相川比奈江さんは、2011年に発生して2012年に発覚した「東海市会社員女性拉致殺人事件」の被害者です。
この記事で相川比奈江さんの経歴や勤務先の会社、結婚など家族や人物像、事件の概要と経緯、死因、市川孝之など犯人らに対する裁判での判決と現在などについてまとめました。
この記事の目次
相川比奈江さんは愛知県東海市の拉致殺人事件の被害者
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相川比奈江(あいかわ・ひなえ)さん(事件当時48歳)は、2011年に発生し2012年に発覚した「東海市女性会社員拉致殺人事件」の被害者です。
相川比奈江さんは、2011年11月7日、仕事の商談中に姿を消して行方不明となり、約3ヶ月後の2012年2月21日に岐阜県御嵩町の側溝内で仰向けに倒れた状態で死亡しているのが見つかりました。発見時には死後3ヶ月程度が経過しており、失踪直後に死亡したとみられました。
そしてその後、取引先の男らによる殺人事件である事が判明。犯人らの周到な犯行計画やあまりにも理不尽な動機などが明らかになり、社会に大きな衝撃を与えました。
ここでは、被害者である相川比奈江さんの経歴や結婚や家族など人物像、そして、「東海市会社員女性拉致殺人事件」の経緯と犯人たちに下された判決などを中心に、報道された事実を基にまとめていきます。
相川比奈江さんの経歴…東海市のリサイクル会社「富田日中貿易」
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相川比奈江さんは事件当時、東海市にあるリサイクル会社「富田日中貿易」に勤務していました。
いわゆるキャリアウーマンだったようで、この会社で相川比奈江さんは営業課長として手腕を発揮していたという事です。
相川さんは東海市のリサイクル会社、富田日中貿易の営業課長だった。
関係者によれば、相川比奈江さんの仕事ぶりは精力的で、社内では営業の旗振り役として大きな信頼を得ており、裁量権も大きく、独自の判断で取引を進める事も少なくなかったという事でした。
相川比奈江さんは2010年11月にこの東海市のリサイクル会社に入社したという事ですが、それまでの経歴については明かされておらず不明です。しかし、入社してすぐに営業課長を任されたという事なので、相応の経歴を持っていた可能性は高そうです。
そして、相川比奈江さんが殺害された「東海市会社員女性拉致殺人事件」の原因となったのは、相川比奈江さんが営業を担当した会社(犯人が社長を務めていた)との取引における金銭トラブルでした。
「東海市会社員女性拉致殺人事件」の概要や詳しい経緯については後述します。
相川比奈江さんは結婚しており夫と2人の子供がいた
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相川比奈江さんの私生活についてはほとんど情報がありませんが、結婚をし、当時50歳の夫と2人の子供(長男と長女)がいた事が明らかにされています。
結婚の時期などは不明ですが、主婦業をしながら東海市にあるリサイクル会社「富田日中貿易」で営業課長を務めてバリバリ働いていたという事なので、子供2人はこの時点で手がかからないほどの年齢には成長していたと推測されます。
また、相川比奈江さんの人物像については、知人らから「家族思いで優しい」、「着飾らず気さくで友人が多い」などの証言が出ていて、仕事と家庭を両立させ、充実した日々を送っていた事がうかがわれます。
相川比奈江さん東海市拉致殺人事件の経緯① 発端はビジネス上のトラブル
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相川比奈江さんが殺害された「東海市会社員女性拉致殺人事件」の経緯について詳しくみていきます。
事件の発端は取引を巡る金銭トラブル
相川比奈江さんが殺害された事件の引き金となったのは、相川比奈江さんが勤務していたリサイクル会社「富田日中貿易」と、事件の犯人(主犯格)である市川孝之が経営に関わる会社との間で生じた金銭トラブルでした。
2011年1月から2月にかけて、相川比奈江さんは岐阜県各務原市にある金型製造会社「プロスワン」へ飛び込み営業を行いました。
これがきっかけとなり、同年3月、富田日中貿易はプロスワンから銅粉200トンを4000万円で購入する契約を締結します。手付金として2000万円を支払いましたが、納品された銅粉の銅含有量が契約内容と著しく異なっている事が発覚。契約では銅の含有率が60%以上とされていたにもかかわらず、実際に納品された製品はわずか16%しか含まれていなかったのです。
この契約不履行を受け、富田日中貿易はプロスワン側に対し、手付金の返還を要求。しかし、交渉は決裂し、同年10月13日、富田日中貿易は市川孝之の親族が経営し、市川孝之が株主を務める金属会社を相手取り、2000万円の支払いを求める民事訴訟を名古屋地裁半田支部に起こしました。
そして、この訴訟において、富田日中貿易側の担当窓口を務めていたのが、相川比奈江さんでした。
訴訟に発展した事で、市川孝之は相川比奈江さんに対して強い不満を抱くようになりました。当初、双方の取引担当者であった市川孝之は、相川比奈江さんと連絡が取れなくなった事に苛立ちを募らせていたとの証言も出ています。
この個人的な恨みが、後に取り返しのつかない凶悪犯罪へと繋がっていく事になります。
相川比奈江さん東海市拉致殺人事件の経緯② 犯人らの巧妙な犯行計画
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恨みを募らせた犯人の市川孝之は、相川比奈江さんを誘い出し、危害を加える事を計画。
その実行にあたり、古くからの友人であった岐阜県輪之内町のプラスチック加工会社「東輪化学工業」の社長、小川卓美(当時53歳)に協力を依頼しました。
事件の約1週間前、市川孝之は小川卓美に対し、「リサイクル会社に電話をして、社長を呼び出してほしい」と依頼。20年来の親友であった小川卓美は、市川孝之の頼みを断り切れず、この計画に加担する事になります。
小川卓美は市川孝之の指示通り、自分の身元を隠して富田日中貿易に電話をかけ、「廃プラスチックを処分したい」と虚偽の商談を持ち掛けました。この時、小川卓美は市川孝之からの依頼である事を伏せていました。
そして、2011年11月7日。相川比奈江さんは、この偽りの商談を信じ、1人で社用車を運転し、岐阜県輪之内町にある小川卓美の会社「東輪化学工業」へと向かいました。15時半ごろ、相川比奈江さんから会社に「商談を終えたら帰社する」という内容の業務連絡が入っていますが、これが彼女の最後の声となりました。
小川卓美の会社に到着した相川比奈江さんに対し、小川卓美は市川孝之らが待ち伏せする工場敷地内の駐車場へと誘導。そこには、市川孝之のほか、市川が金で雇った戸島義男、伊藤次郎、野畑直志、そして韓国籍の文昇といった男たちが待ち構えていました。
相川比奈江さん東海市拉致殺人事件の経緯③ 犯行内容と死因
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駐車場で待ち伏せていた市川孝之らは、相川比奈江さんを暴力的に車に押し込み、そのまま拉致監禁します。犯行にはスタンガンが使用されたとの情報も出ています。抵抗する術もなく、恐怖と絶望の中で、相川比奈江さんは愛知・岐阜県内を引きずり回されました。
そして、相川比奈江さんは、失踪から約3ヶ月後の2012年2月21日、岐阜県御嵩町の側溝内で仰向けに倒れた状態で遺体となって見つかりました。発見時、死後3ヶ月程度が経過しているとみられ、検死の結果、直接の死因は水死(溺死)である事が判明。
犯人らは、相川比奈江さんに暴行を加えて身動きができない状態にして側溝に身体を押し込み、殺害したものとみられています。
起訴状によると、市川被告は昨年11月7日ごろ、岐阜県周辺で、相川さんに暴行を加えて身動きができない状態にし、同県御嵩町の山林内の農業用水路に押し込み、溺死させたとされる。
捜査本部は、犯人らが当初「(誰が来るかわからないまま)その場で焼きを入れるつもりだった」などと供述している事から、明確な殺害計画までは立てていなかった可能性も指摘しています。
しかし、結果として、1人の女性の尊い命が、身勝手極まりない動機によって無残に奪われた事実に変わりはありません。
相川比奈江さん東海市拉致殺人事件の犯人らの逮捕と裁判での判決
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続けて、相川比奈江さんを共謀して殺害した犯人らの逮捕と、裁判での判決についても詳しくみていきます。
犯人たちの逮捕
愛知県警と岐阜県警の合同捜査本部は、事件の全容解明に向け捜査を進め、2012年2月27日までに、主犯格の市川孝之(当時45歳)と、誘い出し役の小川卓美(当時53歳)を加害目的略取などの容疑で逮捕しました。
その後、実行犯として関わった戸島義男(当時72歳)、伊藤次郎(当時46歳)、野畑直志(当時46歳)、そして韓国籍の文昇(当時54歳)も次々と逮捕され、事件に関与した男たちは合計6人となりました。
裁判では、犯人たちの責任が厳しく問われる事になりました。
犯人・市川孝之(主犯格)の裁判と判決
犯人らのうち主犯格である市川孝之は、裁判では当初から一貫して無罪を主張しました。
しかし、名古屋地方裁判所は2013年11月、「市川被告以外の犯行は考えられない」として、傷害致死などの罪で懲役16年の判決を言い渡しました。
市川孝之はこれを不服として控訴しましたが、2014年4月、名古屋高等裁判所も一審判決を支持し、控訴を棄却。懲役16年の実刑判決が確定しました。
犯人・小川卓美(誘い出し役)の裁判と判決
市川孝之に指示されて相川比奈江さんの誘い出し役を担った小川卓美は、逮捕監禁ほう助の罪に問われ、名古屋地裁は2012年8月、懲役2年、執行猶予4年の有罪判決を言い渡しました。
犯人・戸島義男、伊藤次郎、野畑直志、文昇(実行犯)らの裁判と判決
犯人らのうち実行役となった戸島義男、伊藤次郎、野畑直志、文昇の4人は営利目的略取と逮捕監禁などの罪に問われました。
2012年8月14日の名古屋地裁判決では、戸島義男に懲役7年と罰金100万円、伊藤次郎に懲役5年、野畑直志に懲役4年6ヶ月、文昇に懲役2年6ヶ月がそれぞれ言い渡されました。
裁判では、4人がいずれも市川から20万~34万円の報酬を受け取っていた事が明らかにされています。
裁判においては、実行犯の4人は容疑を認めたものの、「相川さんが亡くなるとは思わなかった」と供述。全員が相川比奈江さんとは面識がなかった事も明らかになっています。
相川比奈江さん東海市拉致殺人事件の現在
相川比奈江さんが殺害された「東海市女性会社員拉致殺人事件」の現在についてもみていきます。
相川比奈江さんが殺害された事件からは、2025年現在の時点で10年以上が経過し、犯人たちのうち主犯格である市川孝之以外は既に刑期を終えて出所しています。
犯人らに対して法的な裁きは下されたものの、現在も残された相川比奈江さんの遺族の悲しみや苦しみが完全に癒えるという事はないだろうと想像されます。
この事件は、企業間の金銭トラブルが、いかにして凶悪な個人的復讐へとエスカレートしうるかという危険性を示しました。また、主犯格の男の身勝手な逆恨みに、金で雇われた実行犯たちが安易に加担するという、現代社会の闇を浮き彫りにした事件でもありました。
なぜ、このような悲劇が起きてしまったのか。この事件から何を教訓とすべきなのか。社会全体で問い続け、記憶し続けることが、未来の安全を考える上で不可欠だと言えます。
まとめ
今回は、2011年に発生し2012年に発覚した「東海市会社員女性拉致殺人事件」の被害者である相川比奈江さんについてまとめてみました。
相川比奈江さんの詳しい経歴は明かされていませんが、2010年11月に東海市のリサイクル会社「富田日中貿易」に入社し、すぐに営業課長を任されて取引の裁量権も委ねられていたとの事なので、相応の経歴を持つ女性であったと推測されます。
相川比奈江さんの私生活についてもほとんど情報は公開されていませんが、結婚していて当時50歳の夫がおり、2人の子供がいた事もわかっています。
相川比奈江さんを殺害された事件は、会社での取引をめぐる金銭トラブルが裁判にまで発展し、その窓口役であった相川比奈江さんに対して相手会社の経営者ある市川孝之が恨みを募らせました。
そして、市川孝之は、小川卓美、戸島義男、伊藤次郎、野畑直志、文昇らに指示をして相川比奈江さんを拉致し、暴行を加えた上で殺害しました。相川比奈江さんの死因は身動きの取れない状態で側溝に押し込められた事による水死(溺死)と発表されています。
犯人らに対しては、主犯格である市川孝之に対しては懲役16年の判決、誘い出し役の小川卓美に対しては懲役2年執行猶予4年の判決、実行役となったその他4人には、それぞれ懲役2年6ヶ月から懲役7年の実刑判決が言い渡されています。
現在、犯人らのうち市川孝之以外の全員は既に刑期を終えて社会に復帰しています。