京都小学生殺害事件(てるくはのる)の犯人は岡村浩昌!生い立ち&母親と兄など家族・高校時代・被害者遺族のその後もまとめ

京都小学生殺害事件は1999年に起きた事件で、犯人の岡村浩昌自殺により動機不明のまま結末を迎えています。

 

今回はてるくはのる事件とも呼ばれる本件が起きた場所、犯人の生い立ち、母親や兄などの家族や高校時代、被害者遺族のその後についてまとめます。

京都小学生殺害事件とは

 

1999年12月21日午後1時55分頃、覆面をした男が京都市立日野小学校に侵入し、校庭にいた当時小学2年生の中村俊希君(7歳)を文化包丁で刺殺するという事件が起こりました。

 

犯行は残虐かつ躊躇のないもので、犯人はジャングルジムで遊んでいた俊希君に後ろから抱きつくようにして襲いかかり、文化包丁で十数か所を刺した後に平然と北門の方へ去っていったとされます。

 

そして小学校を出た犯人は、自転車で逃走。現場となった日野小学校の校庭には凶器の文化包丁、使用する予定だったと思われる金槌や農薬が入った瓶のほか、手書きの犯行声明文が残されました。

 

犯行声明文には日野小学校に恨みがあること、自首するつもりでいるので今は追わないでほしいということ、さらに「私を識別する記号→てるくはのる」という謎の暗号のような一文が添えられていました。

 

引用:https://ameblo.jp/

 

この「てるくはのる」という意味深な言葉に、犯人の正体や動機が隠されているのではないかと話題になり、連日ワイドショーなどでもさまざまな考察が飛び交ったのです。

 

 

 

京都小学生殺害事件の犯人の特定と自殺

 

事件の翌日、日野小学校から300mほど離れた醍醐辰巳児童公園で犯人の遺留品と思われる以下のものが発見されました。

 

・逃走に使ったと思われる自転車

 

・グレーのマフラー

 

・血のついた青いフードのジャンパー

 

・黒い目出し帽

 

・バイク用の手袋

 

・ケースに入ったナイフ

 

乗り捨てられていた自転車の防犯登録番号から、自転車の持ち主は「山室学」という人物であることがわかりましたが、これは偽名であり、登録されていた宇治市内の住所もレンタルビデオ店でした。

 

しかし、同じく防犯登録番号から犯人が自転車を購入した店が大阪府枚方市内にあることが判明。

 

さらに、京都府警は日野小学校から4kmほど離れた場所にある宇治市内のホームセンターで、若い男が凶器となったものと同じ文化包丁と瓶入りの農薬を事件の2日前に購入していたことを、同店の防犯カメラから割り出します。

 

京都府警は防犯カメラの映像を枚方市内の自転車店の店員に見せ、自転車の持ち主とカメラに映った人物が同一人物である可能性が高いことを確認したうえで、2000年1月28日に防犯カメラの映像の公開に踏み切りました。

 

この時、警察の捜査線には1人の男が容疑者として浮上していたとされます。男の名前は岡村浩昌。京都市伏見区内の団地に住む浪人生で、高校時代のいざこざから学校教育に対して強い恨みを持っていた人物でした。

 

事件発生の翌年、2000年2月5日の午前7時、京都府警の捜査員が岡村浩昌の家を訪れて任意同行を求めました。しかし、岡村浩昌はこれに応じずに「いきなり来るなんて失礼だ」などと反論して、任意同行を拒否。家の玄関で1時間以上も警察と押し問答をしたとされます。

 

そこで警察は同居している岡村浩昌の母親にビデオを見せ、母親からも説得されたところで、岡村は「ここではなく、近くの公園でなら話をする」と警察の求めに応じました。

 

 

同日午前8時20分、自宅から200mほど離れた向島東公園に移動した岡村浩昌は2人の捜査員から事情聴取を受けますが、依然として黙秘を貫いたことから午前11時に再び岡村の母親が公園に呼ばれることとなります。

 

そして別に動いていた捜査員が、無人となった岡村家に家宅捜査に入ります。実は警察は、事前に岡村の母親から家宅捜査の許可を得ていたのです。

 

家宅捜査の結果、警察は岡村家から「山室学」の偽名が書かれたメモを発見し、午前11時30分に裁判所へ逮捕状を請求します。

 

しかし、これで一件落着と思いきや、午前11時50分に岡村浩昌が突然、捜査員に持っていたリュックを投げつけて向島東公園から逃走。

 

公園内に待機していた別の捜査員4名の追跡も振り切って近隣のスーパーに駆け込み、そのまま向島ニュータウンの屋上まで逃げて外側から施錠し、飛び降り自殺を図ったのです。

 

引用:https://ja.wikipedia.org/

 

その後、午前11時55分に裁判所から岡村浩昌の逮捕状が出されます。しかし、岡村本人が命を絶ってしまったことから、京都小学生殺害事件は動機不明のまま書類送検されることとなりました。

 

そして最終的に2000年4月に、京都地方裁判所は「被疑者死亡により不起訴」という判断を下しています。

 

 

 

京都小学生殺害事件の犯人・岡村浩昌の生い立ち① 優等生だった少年時代

 

引用:http://sharetube.jp/

 

京都小学生殺害事件の犯人とされる岡村浩昌は、1978年に京都府京都市伏見区内に4人家族の次男として誕生しました。その後、3歳の頃に事件当時に住んでいた向島の団地に引っ越してきたといいます。

 

犯行声明文では日野小学校に恨みがあるように書いていましたが、岡村浩昌が通っていたのは隣の学区にある別の小学校でした。

 

小学校時代は駅伝大会に学校代表生徒として出場するほど足が速く、また成績も優秀だったといいます。一方で仲の良い友人などはいなかったようで、3年生の時には引っ越しなどの事情ではなく、伏見区内の小学校に転校していたそうです。

 

 

京都小学生殺害事件の犯人・岡村浩昌の生い立ち② 兄の家庭内暴力

 

岡村浩昌が3歳の頃から父親は気管支の病気を抱えており、伏せることが多かったといいます。

 

そして岡村が中学1年生の時に、病気がちだった父親が他界。以降は母親が自分の実家の工場へと働きに出て、一家を支えるようになりました。

 

また父親が死んだ頃から、岡村の5つ年上である兄が家庭内暴力を振るうようになり、母親が激しい暴力を受ける様子を見た岡村は抑うつ状態になったとされます。

 

その後、兄が就職して家を出たことで岡村家は平和を取り戻しますが、中学を卒業する頃には岡村はすっかり暗く、口数が極めて少ない生徒になっていたそうです。

 

小学校時代と同様に成績は良かったものの、近所の中学生から挨拶をされても答えないなど、自分の殻に閉じこもるさまが顕著になっていきました。

 

 

京都小学生殺害事件の犯人・岡村浩昌の生い立ち③ 高校入学

 

引用:https://ja.wikipedia.org/

 

中学を卒業した岡村浩昌は、京都府立洛水高等学校に入学します。中学時代の進路指導では私立の進学校を勧められていましたが、受験に失敗して府立高校に進学したようです。

 

入学後は陸上部に所属し、持ち前の俊足で全校生徒参加の持久走大会で4位に入るなどの活躍を見せたといいます。また、中学卒業前には「いるのかいないのかわからないほど、静かで影が薄かった」とクラスメイトや部活仲間から言われていた岡村でしたが、高校の部活仲間からは「もの静かだけど、面白い奴」「普通に馬鹿話で盛り上がることもあったし、好かれていた」等の証言が出ています。

 

これらのことから順調な高校生活を送っていたのかと思いきや、1年生の2学期から優秀だった成績が落ちはじめ、2年生に進級すると不登校になりました。

 

とくにいじめなどがあったわけではなく、突然、学校に来なくなった岡村のことを友人らも心配したといいます。しかし友人らがなぜ学校に来ないのかと訪ねても、岡村は笑ってはぐらかすばかりだったそうです。

 

2年生の5月の時点で、心配した母親が岡村とともに学校を訪れ、担任に「高校を辞めたいと言っている。先生から説得して欲しい」と相談をしていました。学校側も事態を重く受け止め、教育相談会議を開いたうえで、岡村にはカウンセリングを勧めました。

 

結局、岡村は2年時の出席日数全210日のうち180日を欠席し、またテストの答案もほぼすべて白紙で提出したことから留年することとなります。

 

翌年はどのような心境の変化があったのか登校するようになり、無事に3年に進学。ところが3年時の11月には再び母親が学校に訪れ「高校は卒業しない、大検資格を取ると言っていて意味がわからない」と、担任に相談しています。

 

この頃から再び岡村は不登校になります。そして後に詳しく紹介しますが、高校の卒業を巡って

不可解な言動を見せるようになるのです。

 

 

京都小学生殺害事件の犯人・岡村浩昌の生い立ち④ 卒業から犯行まで

 

高校卒業後、岡村浩昌は浪人生活をはじめますが、実際は自分の部屋に閉じこもってTVゲームに明け暮れていたといいます。

 

事件後に家宅捜査に入った捜査官によると、部屋の窓はダンボールで目張りがされていて薄暗く、綺麗に整頓されていたものの参考書の類は一切見当たらず、受験生の部屋には見えなかったとの話が出ていました。

 

また仲が良かった高校時代の陸上部の仲間とも連絡を取らなくなり、卒業後に会ったという同級生からは「別人のように暗くなっていた」との証言もあります。

 

家の外に出ても団地の駐車場を自転車でひたすら周回するなどの奇行を見せ、近隣住民からも「陰気で、気味の悪い子」という印象を持たれていたそうです。

 

 

京都小学生殺害事件の動機は不明のまま

 

引用:https://ja.wikipedia.org/

 

岡村浩昌が自殺した後、彼の自室から犯行を自白するメモと事件を起こした動機について書かれたメモが発見されました。

 

メモに書かれた犯行動機

 

・高校を無理やり卒業させられたことで、今のような立場になったことを恨んでいる

 

・自殺が暴力かどちらかを決行しようと思い、犯行に至った

 

・被害者には何の恨みもない

 

・女の子を襲うのは避けたかった。目に入った男の子のうち、なるべく普通そうな子を狙った

 

犯行動機について書かれた自筆のメモが発見されても、岡村が犯行に至った理由というのはいまいちはっきりしませんし、理解できません。

 

しかし、京都小学生殺害事件を起こす前から学校という場所そのものに対して恨みや執着を持っていたことがわかる奇行や事件を、岡村は起こしていました。

 

これらの行動から、京都小学生殺害事件の動機は、岡村が抱えていた学校という組織そのものへの恨みに関係していると考えられています。

 

高校卒業をめぐるいざこざ

 

高校3年の11月以降、再び不登校となった岡村はとくに親しくもなかった小・中学生時代の知人の家を訪れて「小学生時のビデオを一緒に見ないか」と誘い、相手が戸惑っていると不機嫌になり「もう、いい」と言い残して立ち去ったという奇妙な行動を見せていたといいます。

 

3学期になると単位不足から卒業が危ぶまれるようになり、追試をおこなっても英語の単位がとれなかったために卒業式に出席することができませんでした。

 

3月10日に1人だけ校長室で英語の再追試を受けた岡村は、同月16日に同級生らから遅れて卒業証書を受け取り、無事に京都府立洛水高等学校を卒業。

 

しかし岡村本人は卒業に納得していなかったようで「母親が行けというから卒業証書を受け取りに来た」と言い、教師らが卒業できてよかった、おめでとうと声がけをしても不機嫌ない様子だったとのことです。

 

卒業後も岡村は自分の意に反して卒業させた学校側に恨みがあったようで、たびたび高校を訪れては「卒業を取り消してくれ」「自分は大検を受けるのだ」「卒業取り消しを求めて裁判を起こしてやる」と、卒業を取り消すよう求めていたといいます。

 

さらにはすでに洛水高校にいなかった教師を追いかけて転勤先にまで押しかけ、卒業を取り消すよう訴えていたと報道されています。なんと自分の卒業時に落水高校にいた教師全員に、卒業取り消しを求めてまわったとの話もあるほどです。

 

事件の直後や自殺の直前にも、落水高校の校長に面会を求めていたそうです。

 

奈良県立登美ケ丘高等学校襲撃事件

 

岡村は母校のみならず、接点のない大阪の高校にも「自分は無理やり高校を卒業させられた。このようなことを在校生にしないでほしい」といった旨の手紙を送りつけていました。

 

どうやら岡村は納得の行かない学力で高校卒業したことで大学進学が難しくなった、中退して大検を受けたほうが希望の大学に進学できて、人生が好転したと考えていたようです。

 

大阪の高校に送った手紙には「無理やり高校を卒業させられたせいで、自分は今、高卒という身分である。非常に不快で、人生が滅茶苦茶にされたと感じている」と綴られていたといいます。

 

京都小学生殺害事件を起こす前年、1998年の12月31日に岡村はやはり接点のない奈良県にある奈良県立登美ケ丘高等学校へ侵入して窓ガラスを割り、カーテンを切りつけるなどの器物損壊事件を起こしていました。

 

この事件を起こした時にも岡村は現場に犯行声明文を残しており、そのなかには「識別記号‥きどきてきたきりきし 1234567810」と、てるくはのると同じような一文が書かれていました。

 

なお、この事件は京都小学生殺害事件発生後に家宅捜索した際、犯行を自白するメモが出てきたために岡村による犯行であったことが判明しました。

 

このように京都小学生殺害事件の前から岡村は自分と関係のない学校にも恨みを見せており、それがエスカレートして何の恨みもない俊希君を「ただ学校の校庭にいたから」という理由のみで襲ったものと考えられています。

 

 

京都小学生殺害事件のその後① 犯人家族・母親と兄が謝罪…しかし

 

2000年2月15日、岡村浩昌の母親と兄が被害者遺族のもとを訪れて謝罪をしました。この時、兄は俊希君の遺影の前で土下座し、大声で「申し訳ございません!」と被害者と遺族に許しを請うような姿勢を見せたとされます。

 

母親は憔悴しきった様子ですすり泣きを続け、岡村家を出る前になってやっと小さな声で「申し訳ございませんでした」と告げたとのことです。

 

しかし、一度謝罪に訪れた後は兄の態度は一変。今後の対応については弁護士に一任していること、母親は病に伏せているのでマスコミの取材は受けられないことを被害者遺族に告げています。

 

さらに2度めに被害者宅を訪れた際には、フリースにジーンズという部屋着のようなだらしない姿で現れたうえ「マスコミが嘘を書くせいで、母親は病んでしまった」と被害者面をしていました。

 

また被害者遺族が事件についての手記を発表したことに対しても「話題作り、興味本位」と批判するなど、加害者の家族とは思えないような発言をしていました。

 

 

 

京都小学生殺害事件のその後② 京都府警に批判が寄せられる

 

 

6名もの捜査員が立ち会っていながら、事情聴取をしていた犯人を取り逃がして自殺させてしまったことから、京都府警には厳しい批判の声が寄せられました。

 

警察が岡村の逮捕に失敗した2月5日の前月、2000年1月28日には新潟少女監禁事件が発覚しており、世間からは警察の捜査に落ち度があった、もっと早く被害者を救出できなかったのかと批判が集中していました。

 

そんな折に注目を集めていた京都小学生殺害事件でも犯人を取り逃がしたということで、「いったい警察は何をやっているのか!」「緊急逮捕はできなかったのか」「事前に家宅捜索と逮捕状請求はできなかったのか」と非難されたのです。

 

 

京都小学生殺害事件のその後③ 被害者遺族が手記を出版

 

引用:https://www.amazon.co.jp/

 

2000年7月には俊希君の両親である中村聖志さんと唯子さん夫妻が、手記『聞け、“てるくはのる”よ』を出版しました。表紙には、元気だった頃の俊希君のあどけない写真が使われています。

 

中村さん夫妻は手記のなかで加害者家族の事件後の心無い対応を明かし、「何の非もない子どもが悲惨な事件の被害者になるということは、二度とあってはならない」「我が子が被害者となり、あらためて日本の法律では犯した罪の重さに比べて刑罰が軽すぎると感じた」と訴えています。

 

京都小学生殺害事件が起きる前、1997年には神戸児童連続殺傷事件が起きており、この時にも少年法の見直しや殺人罪の厳罰化が求められました。そのため手記『聞け、“てるくはのる”よ』を読んだ人々からも「僅かでも犯罪の抑止力になる可能性があるのだから、厳罰化は必要だ」との声があがりました。

 

 

京都小学生殺害事件のその後④ てるくはのるの意味が考察される

 

 

事件発生直後から、犯行声明文にあった「てるくはのる」の意味についてはさまざまな考察がされてきました。なかでも有名なのが、以下の2つの解釈です。

 

・てるくはのるは「くの てるはる」など、人物名のアナグラムである

 

・PCのかな入力でてるくはのると打つと「W.FHK.」となる。Fは伏見区、Hは日野小学校、Kは京都府を示していると考えられ、Wに事件を解く鍵がある

 

また、岡村浩昌が犯人だと判明した後には、以下のような解釈もされました。

 

・犯行時の岡村の年齢が21歳で、事件発生日が1月21日だったことから「21」をキーワードとする

 

・てるくはのるのうち、2回でてくる「る」は反転という意味の記号だと推測する

 

・50音順に「て」から21文字進むと「ら」になる

 

・次の文字は「る」なので50音順に「く」から21文字戻ると「む」になる

 

・このように「てるくはのる」を解読すると「らむかお」となり、最後の「る」でこれを反転させると「おかむら」になる

 

一般人の投稿によるこの解読は、まるで推理小説のような見事さから話題となりました。

 

しかし警察の家宅捜査により、てるくはのるには意味がなく、岡村宅にあった『すぐに役立つ名言名句活用新辞典』という本から適当に取っただけだったことが判明します。

 

「てるくはのる」とは、この本の目次部分で紹介されている格言の末尾の平仮名を並べただけのものだったのです。

 

 

京都小学生殺害事件のその後⑤ 犯人が自殺した場所の現在

 

 

岡村浩昌が飛び降り自殺した場所である向島ニュータウンは、第1街区から11街区までがある巨大団地です。

 

岡村が自殺をしたのはこのなかの第6街区2号棟とされており、この建物は現在UR賃貸として運営されています。

 

「てるくはのるの犯人が自殺した場所」として有名になる前から向島ニュータウンはあまり治安が良くなかったようで、現在では中華系の住民が増えた、住民の高齢化が進んでなかばゴーストタウン化しているとも指摘されています。

 

 

また、上の画像のように中心部が開いた建物の構造のせいか向島ニュータウンではたびたび飛び降り自殺が発生しているといい、ネット上でも「昔から定期的に自殺者が出ている」「飛び降りたくなる何かがあるのだろう」と噂されています。

 

 

京都小学生殺害事件についてのまとめ

 

この記事では1999年に発生した京都小学生殺害事件、別名てるくはのる事件について紹介しました。

 

犯人、岡村浩昌の自殺によって何もわからないまま事件は幕を下ろしました。家宅捜査でみつかったメモのなかの「被害者は男の子なら誰でも良かった」という文章から、岡村が生きて裁判にかけられていたところで、犯行に至った心情や動機は到底理解も納得もできるものではなかったのではないかと考えられます。

 

しかしそれでも、犯人本人からの謝罪を得られず、事件の真相もわからないままでいる被害者遺族のやるせなさや行き場のない怒りを思うと苦しくなります。

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