片桐敏男(桶川ストーカー殺人事件の刑事)の現在!生い立ちと家族・経歴・警察の失態と裁判を総まとめ

1999年に埼玉県桶川市で起こった桶川ストーカー殺人事件を覚えていますか?ごく普通の女子大生が男に付きまとわれ、殺害されてしまった事件です。この事件はストーカーの恐ろしさと共に、警察の失態・無能さが明らかになった事件でもありました。

 

桶川ストーカー殺人事件で懲戒免職となった警察官の片桐敏男と桶川ストーカー殺人事件の詳細、警察の失態・杜撰な対応などをまとめました。

片桐敏男は桶川ストーカー殺人事件で懲戒免職になった警察官

出典:dailymotion.com

 

片桐敏男とは、1999年当時に埼玉県警上尾署の刑事課第二課長をしていた刑事です。

 

桶川ストーカー殺人事件では、片桐敏男は被害者の猪野詩織さんとその家族から再三にわたり告訴・捜査などの訴えを受けていましたが、職責を果たすことなく杜撰な対応をしていました。その結果、桶川ストーカー殺人事件が起こり、猪野詩織さんは刺殺されてしまったのです。

 

事件後に捜査一課長の代理として記者会見に出席しましたが、終始責任逃れの発言をしていたほか、殺人事件の記者会見(しかも、自分がきちんと対応しなかったから事件が被害者が殺害されてしまった)なのに、ニヤニヤと笑いながら記者からの質問に答えていました。

 

この片桐敏男や上尾署の対応は国会でも取り上げられ、片桐敏男と上尾署の署員ほか2名は懲戒免職となっています

 

 

片桐敏男の生い立ちや家族

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片桐敏男は桶川ストーカー殺人事件が起こった当時47歳でした。このことから、1952年生まれ(昭和27年生まれ)であると推測できます。片桐の父親も同じ警察官であることがわかっています。そして、父親と同じ警察官になることを志望し、1975年(昭和50年)に大学卒業するとすぐに埼玉県警に入りました。

 

片桐は2世警察官だったんですね。このことから、片桐敏男と父親の親子関係はそれなりに良好だったと考えられます。

 

 

片桐敏男の経歴

出典:dailymotion.com

 

片桐敏男は1975年に埼玉県警の警察官となり、東入間警察署、県警本部、草加警察署などで勤務し、1997年(平成9年)から埼玉県警上尾署に赴任しています。事件時の階級は警部で、役職は上尾警察署刑事第二課長です。

 

刑事第二課は主に知能犯や暴力犯などの事件を扱うところですが、片桐は上尾署の刑事第二課長になるまでは主に鑑識業務をやってきたため、捜査をしたことが経験がありませんでした。

 

そのため、自分に捜査業務が回ってこないように部下に全部担当させていて、捜査内容などもほとんど部下に任せきりにしていました。

 

しかも、刑事第二課には片桐のほかに2人いましたが、そのうちの1人である刑事課捜査第一係長(古田裕一)はやる気がなく、片桐の年上の古株だったため、片桐が仕事を振ると「自分でやれ」と逆襲されるため、刑事第二課の仕事はもう1人の係り員である巡査長の本田剛が1人でやっている状態となっていました。

 

裁判では、片桐敏男は「刑事第二課長としての職責を果たす能力を欠いていた」と認定されています。

 

 

桶川ストーカー殺人事件①:被害者の猪野詩織さんが犯人と知り合う

出典:asahi.com

 

桶川ストーカー殺人事件は、被害者の猪野詩織さんと犯人の小松和人が知り合ったことがそもそもの発端となりました。

 

1999年1月に被害者の猪野詩織さんは友達と一緒にゲームセンターにいた時に、犯人の小松和人らと知り合いました。

 

猪野詩織さんは事件当時21歳で、跡見学園女子大学文学部国文科の2年生でした。犯人の小松和人は当時26歳で、東京や埼玉で無許可にファッションヘルス形態の風俗店を経営していましたが、詩織さんには「23歳で外国車のディーラーをしている」と嘘をついて近づき、2人は交際をすることになったのです。

 

 

桶川ストーカー殺人事件②:犯人の小松和夫がストーカー化する

出典:mainichi.jp

 

食事をしたりドライブデートをするようになった被害者と犯人ですが、少しずつ犯人の小松和人の異常性が顔を出し始めます。

 

小松は詩織さんに対して、高価なブランド品のプレゼントを贈るようになりました。あまりにも高価なものだったため、詩織さんが遠回しに受け取りを拒否すると、突然逆上することがありました。

また、犯人の小松は「ミニパトにわざとぶつかった」などと自慢気に話すなど、詩織さんは小松の身元に疑いを抱くようになります。また、束縛が激しくなっていきました

 

・犬の散歩をしていると「俺より犬が大事とはどういうことだ?その犬を殺すぞ」と言い出す
・30分おきに詩織さんの携帯電話に電話してくる
・教えていないはずの自宅や友人の電話番号まで手に入れている

 

そんな時、詩織さんは小松の車の中から、聞いていた名前とは違う本名(小松和人)のクレジットカードを発見し、実は名前が違うことに気づきました。

さらに、小松のマンションに遊びに行った時、生活感が全くない部屋だったため、そのことに違和感・疑念を抱きます。しかも隠しカメラを発見し、詩織さんが小松にそのことを問いただすと、小松は逆上して詩織さんに暴力を振るい、「今までのプレゼント代100万円を払え!払えないなら、ソープに言って金を作れ!」と怒鳴りつけたのです。

 

知り合ってまだ2ヶ月程度の3月30日には、詩織さんは家族と両親に宛てて遺書を書いてから、小松和人に別れを切り出します

 

しかし、小松は「家族をめちゃくちゃにしてやる」と詩織さんを脅迫して、交際を続けることを強要しました。この時点で小松和人は、詩織さんの父親の勤務先の情報などを入手していて、そのことを詩織さんに告げて詩織さんが逃げられないようにしていたのです。

 

交際を始めてまだ2ヶ月程度の時に、遺書を書いてから別れ話を切り出すなんて、すでに詩織さんは身の危険を感じる状態になっていたんですね。

 

 

桶川ストーカー殺人事件③:被害者と家族が警察に行くも動かず

出典:tokyo-np.co.jp

 

一度別れ話を切り出したことで、犯人の小松和人の行動はエスカレートしてきます。

 

4月21日には小松は詩織さんに対して携帯電話を破壊するように命じるなど、詩織さんを束縛・支配しようとする行動を起こします。詩織さんは何度も別れを切り出しますが、小松は家族に危害を加えることを匂わせて脅迫し、別れることには決して同意しませんでした。詩織さんは周りの友人たちに、「小松に殺されるかもしれない」と何度も漏らすようになります。

 

6月14日には、詩織さんは小松に別れを告げ、自宅に帰る途中に初めて母親に小松とのトラブルを相談しました。その日の午後8時ごろ、小松は兄ら3人と一緒に詩織さん宅に押しかけ、「詩織さんに貢ぐために、小松和人は会社の金500万円を横領した。精神的にもおかしくなった」と脅して1時間以上の居座りました。

 

その後も、小松たちは自宅徘徊や無言電話、誹謗中傷のビラまき(自宅・通学先・父親の勤務先)などが行うようになり、その行動はどんどんエスカレートしていきました。ここからの展開は時系列で見ていきましょう。

 

・6月14日:別れを切り出し、小松らが家に押しかけてくる
・6月15日:詩織さんと母親が上尾署に相談するが相手にされなかった
・6月21日:詩織さんが今までのプレゼントを小松に返送する
・7月13日:自宅周辺に中傷のビラがまかれ、その日に警察署に相談
・7月20日:高島平団地に被害者の名前や顔写真、連絡先が入ったカードがばらまかれる
・7月29日:詩織さんが告訴状を警察に提出
・8月22日:詩織さんの父親の勤務先に誹謗中傷ビラがまかれる
・9月7日:警察が告訴状を被害届に改竄
・9月21日:告訴をなかったことにしてほしいと上尾署署員から母親に打診するも拒否
・10月16日:深夜に詩織さんの自宅周辺に大音量を流す車が現れる

 

猪野詩織さんとご両親は何度も上尾署に足を運び、被害の相談をしていて、小松和人を告訴しています。しかし、警察は猪野詩織さんと家族がどんなにお願いしても、捜査することはなく、それどころか勝手に告訴状を被害届に改竄したり、告訴をなかったことにしてほしいと依頼しています。

 

 

桶川ストーカー殺人事件④:被害者が殺害される

出典:huffingtonpost.jp

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小松が猪野詩織さんの殺害を本格的に考えるようになったのは、6月21日に詩織さんが今までのプレゼントを小松に返送してからであることが、裁判で明らかになっています。

 

6月22日、小松和人は兄(小松武史)に依頼して、元暴力団員の男(久保田)ら2人に2000万円で詩織さんの殺害を依頼しました。そして、小松和人は実行費用の2000万円を兄に預けて、アリバイを作るために自分は沖縄に飛びました。

 

犯人グループ3人は10月25日に犯行現場を下見して、10月26日に午前9時ごろに桶川市に到着します。そして、午後0時53分ごろ、大学に通学するために桶川駅に自転車に来て駅前に自転車を停めた詩織さんに背後から近づいて右側部をナイフで突き刺し、振り返った詩織さんの左前胸部を再び刺しました

 

詩織さんは悲鳴を上げて倒れ、犯人はその場から逃走しています。詩織さんはすぐに上尾中央総合病院に搬送されましたが、午後1時30分に死亡が確認されています。

 

 

桶川ストーカー殺人事件⑤:犯人の逮捕と自殺

出典:tokyo-np.co.jp

 

被害者の猪野詩織さんを殺害した当日の午後5時ごろ、東京の赤羽にあるカラオケボックスに小松武史(和人の兄)と久保田や見張り番の2人が集まり、2000万円を実行犯の久保田に1000万円、見張りの2人に400万円ずつを渡し(残り200万円は誹謗中傷のビラ作成に使っていた)、逃亡生活に入ります。

 

そして、詩織さん殺害から約2ヶ月後の12月19日に実行犯の久保田が逮捕され、12月20日には兄の小松武史や見張り番らが逮捕されました。しかし、兄の武史は「和人は北海道にいる。和人は死に癖がある」という供述はありましたが、主犯である小松和人の行方は分からない状態が続いていました。警察はこの「死に癖がある」という供述をまともに取り合わなかったという情報もあります。

 

そして、2000年1月27日に小松和人は、北海道の屈斜路湖で水死体となって発見されました。

 

 

片桐敏男が桶川ストーカー殺人事件でやったこと

桶川ストーカー殺人事件は、本当に恐ろしい事件でした。被害者の猪野詩織さんとその家族は、どれほどの恐怖、どれほどの絶望を味わったことでしょう。胸糞が悪くなるような事件です。

 

そして、この桶川ストーカー殺人事件では、上尾署の刑事第二課長だった片桐敏男も、その胸糞の悪さに加担していると思えるほどひどいことをしていたんです。

 

片桐敏男が桶川ストーカー殺人事件でやったことを説明していきます。

 

 

告訴を受理しようとしなかった

出典:dailymotion.com

 

小松和人が兄の武史らと自宅に押しかけて来て脅迫した翌日の6月15日、被害者の猪野詩織さんは上尾署に相談をします。この時、詩織さんは前日に小松らが自宅で脅迫してきた時の音声を持っていたので、それを提出しましたが、警察は民事不介入として相手にされませんでした。

 

そして、7月13日に誹謗中傷のビラをまかれたため、詩織さんと母親は再び上尾署に来て、片桐敏男と巡査長だった本多剛に次のように訴えます。

 

・早く小松を捕まえてください。
・このままだと何をされるかわかりません

 

片桐敏男は「警察は告訴がないと捜査できない」とはぐらかしましたが、詩織さんは「今日告訴します」と答えました。

すると、片桐は次のように言い出したのです。

 

・お嬢さんは嫁入り前で裁判になると恥ずかしいことを言わないといけなくなります
・告訴は大学の試験が終わってからでもいいでしょう

 

それでも詩織さんは「大丈夫です。すぐに告訴します」と訴えましたが、片桐敏男は何とかしてはぐらかして、告訴を受け付けようとしませんでした

結局、詩織さんと母親はこの日告訴をすることができずに帰りましたが、巡査長の本多は「これは私一人ではできません。ストーカーのような背景があり、エスカレートする可能性があるので、早く態勢を組んで下さい」と片桐敏男にお願いしましたが、片桐は「とりあえず、できることからやっておいてくれ」というだけで、何もしようとしませんでした。

 

被害者の詩織さんと母親は大学の試験が終わった7月22日に、告訴するために上尾署を訪れます。しかし、片桐敏男は「担当者がいないから1週間後に来てくれ」というだけで、詩織さんたちから話を聞こうともしないまま追い返しました

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告訴を受理するも動かず

出典:mainichi.jp

 

担当者がいないという理由で追い返された1週間後の7月29日、詩織さんと母親は上尾署を訪れます。そして、名誉棄損で告訴状を提出しました。この時も片桐敏男はいろいろと難癖をつけて、告訴状を受け取ろうとはしませんでしたが、何とか告訴状を提出します。

 

しかし、片桐は詩織さんの誹謗中傷のビラを見て「いい紙を使っていますね」などととんでもない発言をしています。また、詩織さんは「小松和人の仕業だ」と訴えているのに、名誉棄損行為の犯人については「誰がこのようなことをしたのかわかりません」と記載しました。

 

しかも、片桐敏男は告訴状を自分のデスクの引き出しにしまい込み、すぐに動こうとはしなかったんです。

 

 

「金かかってるなぁ」発言

出典:sdi-total.com

 

8月23日~24日にかけて、詩織さんの父親の勤務先に誹謗中傷のビラが1200通も送られました。父親は送られてきたビラを持って、上尾署に行きましたが、対応した片桐敏男は次のような配慮のない失礼な言動をしました。

 

・いい紙使っているなぁ
・手が込んでいる
・切手が貼ってある!金がかかっているなぁ

 

父親はすぐに捜査をして警察から犯人に接触するように依頼しましたが、片桐敏男は「こういうのはじっくり時間をかけて捜査しないと。警察も忙しくて時間が取れない。相手側に警察が出向くのはケースバイケース」と父親に言ったんです。

 

犯人を称賛しているともとれる言動をしていますし、やる気がないことがバレバレのひどい対応です。

 

 

告訴を取り下げるように部下に命令

出典:dailymotion.com

 

片桐敏男が桶川ストーカー殺人事件で行ったことは、これだけではありません。部下に詩織さんの告訴を取り下げてもらうように指示しました。

 

片桐敏男が詩織さんの告訴状を次長の決裁を仰いだら、その次長は書類を片桐の机に投げて、「告訴状ではなく被害届で良かったのでは?」と言い放ちました。それを聞いた片桐は、部下の本多に告訴を取り下げて被害届にするように指示したんです。

 

被害届なら県警への報告義務はなく、警察署としての成績に響かないからです。

9月7日に本多は嘘をついて、詩織さんに被害届に署名・捺印させました。そして、9月21日に再び本多は詩織さんの自宅を訪れ、もう落ち着いたから告訴をいったん取り下げるように母親に告げています。

 

一度告訴を取り消したら、再び告訴をすることはできませんが、本多はまた嘘をついて、「また告訴を出せば良い」と嘘をつきました。ただ、母親は告訴を取り下げるのを断固拒否したため、告訴は取り下げることはありませんでした。

 

しかし、書類上は勝手に「告訴」の部分を「届け出」に改竄しています。

 

警察から告訴を取り下げるように言われたことで、詩織さんは警察は助けてくれないと思い、「私は本当に殺されてしまう」と急速に落ちこんでしまいました。

 

 

片桐敏男と警察は半笑いで記者会見をした

出典:dailymotion.com

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桶川ストーカー殺人事件で猪野詩織さんが殺害された後、警察は上尾署で記者会見を開きました。この時、片桐敏男も記者会見に出席しましたが、半笑いでニヤニヤしながらマスコミの質問に答えていました。

 

・「捜査一課長代理ですから、厳しい質問のないようによろしくお願いします。フフフ」
 (ふざけたようにニヤニヤ)

・殺人とストーカーと関連があるのか?の問いに「それはわかりませんよ!」
 (いきどおったような口調)

・隣の署長(?)が「何回も同じこと言わせないでください」という言葉に「フフフ」
 (ニヤニヤする)

 

本当に胸糞が悪くなるような記者会見でした。

 

 

ストーカーと殺人の関係性などはニヤニヤしながらはぐらかしていたのに、詩織さんの遺品については「バッグはプラダ」、「時計はグッチ」などブランド好きの女子大生というイメージを世間に植え付ける発表をしたのです。

 

 

桶川ストーカー殺人事件では警察や刑事より記者が犯人にたどり着く

出典:amazon.co.jp

 

桶川ストーカー殺人事件では、被害者の猪野詩織さんと両親は警察に再三にわたってストーカーや嫌がらせの相談をしていたのに、片桐敏男をはじめとした上尾署はまともに取り合わず、捜査も行っていませんでした。

 

そうこうしているうちに、猪野詩織さんは桶川駅前で殺害されてしまいました。

 

もし、猪野詩織さんを殺害した犯人を警察が捕まえると、その供述から猪野詩織さんをストーカーしていて、その延長線上で猪野詩織さんを殺害したこと判明する。つまり、警察の失態が明らかになってしまうため、警察(上尾署)は猪野詩織さんが殺害された後も、そこまで積極的に捜査しなかったようです。

 

そこで、FOCUSの記者をしていた清水潔氏が独自に犯人を追い始めます。清水氏は詩織さんの友人たちから話を聞き、さらに両親への接触にも成功します。そして、小松和人に関する聞き込みを行った結果、風俗関係者の情報から桶川ストーカー殺人事件の実行犯である久保田にたどり着きます。

 

清水記者は埼玉県警に久保田の存在を知らせましたが、警察は逮捕しようとはしませんでした。さらに独自に犯人を捜査したところ、久保田の居場所も判明します。この情報も警察に提供しましたが、埼玉県警は久保田を逮捕しようとしませんでした。

 

業を煮やした清水記者は、上尾署に直接出向き、桶川ストーカー殺人事件の真実をFOCUSに掲載することを伝えたところ、ようやく警察は久保田や小松武史(小松和人の兄)らを逮捕したのです。

 

つまり、桶川ストーカー殺人事件は警察よりも先に、1人の記者が事件の真相にたどり着いたということになります。ちなみに、この桶川ストーカー殺人事件の真相にたどり着いた清水記者は、足利事件で菅家利和さんのえん罪を証明した人物です。

 

 

片桐敏男が懲戒免職となった桶川ストーカー殺人事件の被害者は警察に殺された?

出典:dailymotion.com

 

桶川ストーカー殺人事件の被害者である猪野詩織さんは警察に殺されたとも言われています。もちろん、主犯は自殺した小松和人で、実行犯は元暴力団員の久保田です。

 

でも、被害者からの相談に片桐敏男がきちんと対応し、警察が名誉棄損などで逮捕していたら、猪野詩織さんは殺害されずに済んだはずです。猪野詩織さんとご両親は何度も上尾署に足を運び、警察に相談をしていました。

 

つまり、警察がこの桶川ストーカー殺人事件を未然に防ぐチャンスはたくさんあったんです。それなのに、そのチャンスを全部捨ててしまったために、猪野詩織さんは殺害されてしまいました。

 

 

警察は猪野詩織さんの印象操作を行った

警察は自分たちの怠慢・失態を少しでも隠すために、被害者である猪野詩織さんの印象操作を行いました。

 

まず、片桐敏男が記者会見で「バッグはプラダ」、「時計はグッチ」などと詩織さんの遺品について、不必要とも思えるようなことばかり詳しく説明したため、ブランド好きの派手な女子大生というイメージがつきました。

 

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その後、夜回りの記者に警察幹部が「風俗嬢のB級事件だ」と情報を流しました。また、被害者は水商売のアルバイトをしていたという情報も暴露しています。

 

確かに、被害者の詩織さんは事件の1年前に友人に頼まれて、2週間だけスナックでアルバイトをしたことがありました。しかし、「やっぱりお酒を飲む人の相手はできない」と言って、2週間分のバイト代を受け取らずにすぐに辞めています。

 

もちろん、詩織さんは風俗でアルバイトなんてしていません。ただの普通の女子大生です。それなのに、警察はいかにも水商売で派手な生活をしている女子大生というイメージを植え付けるような言い方をしたのです。

 

片桐敏男が記者会見で「プラダやグッチが好きな女子大生」とイメージするような言い方をしていたために、さらにそのイメージが強くなりました。

 

そこからマスコミの尾ひれがついて、詩織さんは「キャバ嬢・風俗嬢」という報道をされて、「ストーカーをされても当然の生活をしていた」と世間に思わせるような報道をされてしまいました。

 

小松和人と実行犯の久保田に殺害された後も、詩織さんは警察によって名誉を傷つけられたのです。すでに亡くなっているので、反論のしようもありません・・・。

 

告訴を取り下げるように言ったのは、ストーカーたちが芝居を打った偽刑事であって、上尾署の刑事ではないという情報も流しています。

 

 

片桐敏男は裁判で有罪判決

出典:dailymotion.com

 

片桐敏男は部下に命じて、嘘を被害届を作らせ、さらに告訴状を勝手に書き換えたことで、虚偽有印公文書作成・同行使の罪で逮捕・起訴されました。

 

そして、2000年9月7日に浦和裁判所で有罪判決が言い渡されました。片桐敏男は懲役1年6ヶ月執行猶予3年の判決です。また、桶川ストーカー殺人事件の警察関係者で有罪になったのは、片桐敏男だけではありません。同じ刑事第二課第一係長である古田裕一と巡査長だった本多剛も有罪になりました。

 

・片桐敏男(刑事第二課長・警部):懲役1年6ヶ月執行猶予3年
・古田裕一(刑事第二課第一係長・警部補):懲役1年6ヶ月執行猶予3年
・本多剛(巡査長):懲役1年2ヶ月執行猶予3年

 

この裁判で、片桐敏男は裁判長から強く非難を受けています。

 

被告人が同事件を所管する刑事第二課長として率先して同事件に取り組み上司と相談して捜査態勢を組み部下らを指揮して犯人逮捕に迅速な捜査を行っていれば、おそらくは(被害者)殺害という事態は起こらなかったと思われるのであり、取り返しのつかない結果を招いた同被告人の職務懈怠は誠に遺憾というほかない。同被告人は(被害者)殺害事件発生後内外の厳しい非難にさらされたのであるが、これは当然の報いというべきである。

 

引用:桶川ストーカー殺人事件 – Wikipedia

 

「犯人逮捕に迅速捜査を行っていれば、殺害は起こらなかった」と裁判長は述べています。また、「取り返しのつかない結果を招いた被告人(片桐敏男)の職務懈怠は遺憾である」とも述べています。

 

これらはつまり、「被害者の詩織さんが殺されたのは、片桐敏男が捜査をきちんとしておらず、仕事を怠けていたからです」と裁判で断定されたようなものです。

 

直接、猪野詩織さんを殺害したのは小松和人と実行犯の久保田ですが、その直接的原因をアシストしてしまったのが片桐敏男の職務怠慢と言えるかもしれません。

 

ただ、桶川ストーカー殺人事件が起こり、片桐敏男や桶川署の失態が明るみになったことで、謝罪と悔悟が見られたことや社会的な制裁を受けたことで、量刑はやや軽くなり、執行猶予が付いたようです。

 

 

片桐敏男のその後と現在

出典:dailymotion.com

 

2000年4月6日に、片桐敏男は懲戒免職になりました。これは、告訴状をの「告訴」を「届出」と改竄したためです。片桐敏男だけでなく、ほか2名(古田裕一・本多剛)も一緒に懲戒免職になっています。

 

桶川ストーカー殺人事件をアシストしたような職務怠慢をしていたのですから、これらの懲戒免職は当然の処分と言えるでしょう。ただ、片桐たちが懲戒免職になったのは2000年4月6日のことです。

 

猪野詩織さんが殺害されてから約半年は、のうのうと上尾署で働いていたということになります。自分たちが相談にまともに対応せず、嘘を言って告訴状を取り下げようとして、勝手に告訴状を改竄したために、猪野詩織さんは殺害されたのに、その後も働き続けるというのは、一体どういう事情があったのか?

 

「事件の真相がわかるまで退職を許可されなかった」、「懲戒免職にする予定だから、自主退職は許されなかった」という可能性もありますが、それでも被害者の猪野詩織さんとご両親のことを考えると、半年もお給料をもらってボーナスまで支給されていたと考えると、もやもやが止まりません。

 

警察を懲戒免職になった後の現在は、片桐敏男はどのような活動をしているかは不明です。しかし、1999年の事件当時48歳でしたので、現在はもう70代になっているので、懲戒免職後に何らかの仕事をしていても、現在は定年退職をしていると思われます。

 

 

片桐敏男と桶川ストーカー殺人事件のまとめ

桶川ストーカー殺人事件の詳細と上尾署の片桐敏男についてまとめました。被害者の猪野詩織さんが殺される前にも、片桐敏男は詩織さんと家族にひどいことをしていましたが、殺害された後の記者会見の半笑いが本当にひどいです。

 

殺人事件の記者会見でニヤニヤ笑えるのも信じられません。特に、片桐敏男と猪野詩織さんは被害相談や告訴状提出などで面識があったのですから、面識があった女性が殺害されたのになんでニヤニヤできるのでしょうか。

 

現在の警察には、この片桐敏男の怠慢を反面教師にしてもらいたいです。

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