ユーバーリンゲン空中衝突事故は2002年に発生した航空事故で、事故機に乗っていた乗客・乗員全員が死亡しています。ユーバーリンゲン空中衝突事故の原因、管制官が刺殺された復讐事件などその後、現在、アンビリバボー、メーデーや映画について紹介します。
この記事の目次
- ユーバーリンゲン空中衝突事故の概要
- ユーバーリンゲン空中衝突事故の詳細① 事故当日のバシキール航空2937便
- ユーバーリンゲン空中衝突事故の詳細② 事故当日のDHL611便
- ユーバーリンゲン空中衝突事故の詳細③ 事故発生まで
- ユーバーリンゲン空中衝突事故の詳細④ 空中で2体の飛行機が衝突
- ユーバーリンゲン空中衝突事故の原因① 管制官とTCASの指示のミスマッチ
- ユーバーリンゲン空中衝突事故の原因② 管制官のミスと管制の問題点
- ユーバーリンゲン空中衝突事故のその後① 管制官を刺殺する復讐事件が発生
- ユーバーリンゲン空中衝突事故のその後② 現在への影響
- ユーバーリンゲン空中衝突事故は『メーデー』シリーズでも取り上げられた
- ユーバーリンゲン空中衝突事故は『アンビリバボー』でも特集された
- ユーバーリンゲン空中衝突事故を題材にした映画
- ユーバーリンゲン空中衝突事故についてのまとめ
ユーバーリンゲン空中衝突事故の概要
2002年7月1日の21時35分、ドイツ南部の小さな町・ユーバーリンゲンの上空で2体の飛行機が衝突し、そのまま墜落する事故が発生しました。
衝突事故を起こしたのは、BALバシキール航空の2937便とDHLインターナショナル・アビエーションMEの611便です。
バシキール航空2937便はモスクワとバルセロナを結ぶチャーター便として出航しており、事故当日はロシア連邦の半自治地域であるバシコルトスタン共和国の高官の子どもたちを中心に60名の乗客と、9名の乗務員が搭乗していました。
DHL611便は貨物便のため乗客はいませんでしたが、機長と副操縦士の2名が搭乗していたとされます。
衝突の衝撃でバシキール航空2937便は空中分解、DHL611便は完全に操縦不能な状態に陥って墜落したことから、事故機に乗っていた合計71名は全員死亡。
瓦礫は主に森林地帯に落ちたため、地上での死傷者が出なかったことだけが不幸中の幸いでした。
その後の調査で、事故の原因は2機が接近した際の航空管制官のピーター・ニールセンと衝突防止装置(TCAS)の指示が異なったことであり、バシキール航空2937便が管制官の指示に従い、DHL611便がTCASに従ったことが衝突に繋がったと発覚します。
事故原因の一端となった管制官のニールセン氏は精神のバランスを崩して退職し、事故後の裁判後はいっさいの個人情報を秘匿して暮らしていたとされます。
しかし、2004年にユーバーリンゲン空中衝突事故で子どもを失った男性がニールセン氏を探し出して刺殺するという痛ましい復讐事件が起こりました。
ユーバーリンゲン空中衝突事故の詳細① 事故当日のバシキール航空2937便
ユーバーリンゲン空中衝突事故を起こしたバシキール航空は、チャーター便をメインに運航するロシアの航空会社です。
2937便は7月1日の18時48分ロシアのモスクワを出発。スペインのバルセロナに向かっていました。
この便の乗客60名のうち46名は、ユネスコ委員会が企画した旅行で搭乗していたロシアの学童とその両親など関係者でした。
彼らは学業やスポーツで優秀な成績を収めたとしてバルセロナで開催されるユネスコフェスティバルに招待されており、本来は別の便に乗る予定だったものの、手違いがあって急遽2937便に登場することになったとされます。
ほかに2937便には、以下の9名の乗務員が搭乗していました。
・12,070時間の総飛行時間があった52歳のベテラン機長
・8,500時間の総飛行時間があった40歳のチーフパイロット
・41歳の副操縦士
・37歳の航空機関士
・50歳の航法士
・4人の客室乗務員
ユーバーリンゲン空中衝突事故の詳細② 事故当日のDHL611便
もう一方のユーバーリンゲン空中衝突事故当事者であるDHL611便は、ドイツの国際輸送物流会社DHLの貨物便でした。
事故当日、611便はバーレーンからイタリアのベルガモを中継し、ベルギーのブリュッセルへと向かう途中だったとされます。
貨物便ですから乗客はおらず、乗っていたのは11,942時間の総飛行時間があった47歳のベテラン機長と、6,604時間の総飛行時間があった34歳の副操縦士の2名でした。
ユーバーリンゲン空中衝突事故の詳細③ 事故発生まで
モスクワを出た2937便は順調に飛行し、巡航高度36,000フィート(約11,000m)でドイツの領空を通過し、21時30分頃にチューリッヒACCと交信を開始しました。
しかし、その3分後の21時33分、突然2937便の衝突防止装置(TCAS)が作動。
TCASとは衝突のおそれがある他機の存在を感知して警告をする装置で、衝突の危険が高まると接近している2体の飛行機に衝突を回避するための指示を出します。
具体的には片方には上昇するように指示を出し、片方には降下する指示を出して衝突を避けて安全にすれ違わせるのです。
警告音を聞いた2937便の機長らがTCASを確認したところ、左前方から他機が接近していることが発覚し、このままいくとほぼ直角の角度で自機にぶつかってくること明らかになります。
この時、2937便に接近していたのがユーバーリンゲン空中衝突事故のもう一方の当事者となるDHL611便でした。
中継地点のベルガモで荷物の積み下ろしや燃料の補給などを行った611便は、21時6分頃に再び離陸。
21時20分頃に管制官から高度26,000フィート(約7,900m)から、高度32,000フィート(約9,600m)まで上昇するように指示を受けます。
これを受けて611便は燃料を節約するために高度36,000フィート(約11,000m)まで上昇していいか管制官に申し出て、21時24分頃に許可を得て上昇を開始しました。
そして21時29分50秒、611便は2937便と同じ高度36,000フィートに到達し、そのまま水平飛行を開始したのです。
ユーバーリンゲン空中衝突事故の詳細④ 空中で2体の飛行機が衝突
こうして21時34分42秒に611便でもTCASが作動。611便はTCASの指示に従って自動操縦を解除し、下降を開始しました。
この空域はスイス連邦空域管制局・スカイガイドによって管理されており、事故当時、ワークステーションを任されていた管制官はピーター・ニールセン氏たった1人でした。
ニールセン氏は2937便と611便が同じ高度にあり、衝突の危機が迫っていることに気づくと2937便に連絡を取って「衝突を避けるために高度35,000フィート(約10,500m)まで下降するように」と指示を出します。
611便はTCASの指示に従い、2937便は管制官の指示に従って同じように下降していたのです。
21時34分56秒、2937便も自動操縦を解除して機長が下降を開始。すると下降している最中にTCASが再び警告を発して、上昇するように2937便に指示を出し始めました。
この警告を不審に思った機長は、管制官の指示に従ってよいのか、TCASに従って上昇するべきなのか迷ったようで、操縦桿を倒して下降速度を緩めたといいます。
しかし、管制官のニールセン氏から「この速度で下降していると衝突する」という連絡が入り、管制官の指示を信じて再び急降下を開始。毎分600メートルという速度で降下を続けました。
一方、TCASの指示に従って下降していた611便のコクピットにも、2937便と管制官のやり取りは聞こえていました。
自分たちはTCASの指示に従って下降しているのに、なぜ2937便も下降しているのか、管制塔からは2機の動きが確認できているのだから、何か考えがあるのか?と疑問に思った611便の機長は、管制官に対して「このまま下降していいのか?」と確認をとります。
ところが、管制官からは何の反応もなく、TCASからは「下降速度を上げないと衝突する」というさらなる警告が発せられました。
2937便も611便も、速度を上げて下降を再開します。すると、2937便側のTCASが至急、機体を上昇させないと衝突することを示す「インクリーズクライム」という警告を発したのです。
危機が差し迫っていることに2937便のチーフパイロットは焦り、機長に対して「このまま下降して大丈夫なんでしょうか?TCASは上昇を指示しています!」と、TCASに従うべきではないのかと意見を出します。
管制官の指示に従ってよいのか迷いがあった機長は、この助言を受けて緩やかに上昇を開始。
こうして611便も2937便も同じくTCASの指示に従って衝突を回避しようとしたのですが、この時、すでに2機の間に距離はなく、2937便から目視で611便が迫っているのが確認できるほど接近してしまっていたのです。
降下していた611便と緩やかに上昇していた2937便は、21時35分32秒に高度34,890フィート(約10,467m)で、直角に交わるような格好で衝突。
611便の垂直尾翼が2937便の機体を引き裂くようなかたちで衝突したと推測され、2937便は空中分解してドイツ・ユーバーリンゲンの北部に位置するブラッヘンロイテ地区の森林に墜落しました。
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611便も衝突の影響で垂直尾翼の80%を失い、操縦不能の状態で北へ約7㎞ほど飛行を続けた後にタイザースドルフの村付近の森林地帯に首を下にした状態で70℃の角度で地表に突っ込んだとされます。
そしてユーバーリンゲン空中衝突事故は、双方の搭乗者が全員犠牲になるという悲劇的な結果を迎えました。
ユーバーリンゲン空中衝突事故の原因① 管制官とTCASの指示のミスマッチ
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ユーバーリンゲン空中衝突事故が起きた原因は、2937便が管制官の指示に従い、611便がTCASの指示に従って2機ともが下降してしまったことです。
前年の2001年に起きた日本航空機駿河湾上空ニアミス事故も同様の原因で発生した事故なのですが、当時はまだ管制官の指示とTCASの指示が食い違った場合にどちらに従うのか決められていませんでした。
しかも空港会社によっては、このようなケースでの対処法として独自のマニュアルを用意している会社もあり、その内容も統一されていなかったといいます。
たとえばユーバーリンゲン空中衝突事故の当事者であるDHLは、社内マニュアルで「管制官とTCASの指示が異なる際にはTCASに従うように」と定められていました。
そのため611便の機長らはTCASが作動するやいなや、速やかに手動操縦に切り替えて下降を開始していたのです。
しかし、バシキール航空の方針は異なるものでした。
というのも、当時のロシアは航空機にTCASの装備を義務付けておらず、バシキール航空も独自の判断でTCASを備えていたものの「トラブルが起きた際には管制官の指示が最優先」という方針だったのです。
そのため双方の機長は、自社のマニュアルや方針に従って衝突を回避しようとしただけであり、どちらの乗務員にも落ち度はなかったと言えます。
2937便の機長が最終的に上昇を選んだ理由
「トラブルが起きた際には管制官の指示が最優先」という方針があった一方で、なぜかバシキール航空のマニュアルには「TCASの指示は遵守すること」という記載もあったといいます。
しかし、バシキール航空はTCASのシュミュレータを持っていなかったため、ベテランの機長にとってもTCASはそこまで馴染みのある装置ではありませんでした。
そのため管制官の指示に従って下降している際に、TCASから上昇の指示が出ると判断に迷い、最終的には上昇するという行動に出たのではないかと見られています。
つまり、機長ら乗組員に事故の責任はなくとも、バシキール航空のマニュアルには不備があったと言わざるを得ません。
ユーバーリンゲン空中衝突事故の原因② 管制官のミスと管制の問題点
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上でも触れたように、事故当時、管制塔ではピーター・ニールセン氏がたった1人で航空路管制と進入管制を任されていました。
通常、この業務は別々の人物が担当するのですが、ニールセン氏は1人で2つのワークステーションを操作していたといいます。
当日、管制塔にはニールセン氏のほかにスカイガイドの社員がもう1人いたのですが、ちょうど休憩をとっていたため、事故時にはニールセン氏のワンオペ状態だったのです。
本来であれば管制塔に1人しか職員が残らないというのはあってはならないことなのですが、スカイガイド社は人件費削減のため、このような状態に目をつぶっていました。
しかし、現場で働く管制官は過度な仕事をこなすために常に過労状態にあり、ニールセン氏も例外ではありませんでした。
さらに事故当日の7月1日には管制レーダーのメンテナンスが行われており、管制官はバックアップシステムを使う必要があったうえ、出発が遅れた便が進入管制の方に連絡をしてくるなどのトラブルも発生していました。
これら、イレギュラーなことに1人で対応していたため、航空路管制がおろそかになってしまい、611便から「高度を36,000フィートまで上げたい」と連絡があった際に、同じ高度に2937便がいることを失念して許可を出してしまったのです。
衝突のおそれが出た時、2機の間には約10㎞の距離があったといいます。慌てたニールセン氏は2937便に連絡を入れて「300m高度を下げるように」と指示を出しました。
この言葉は611便の機長たちにも届いていているため、2937便が下降して611便がそのままの高度で飛行すれば、衝突することなくすれ違えると考え、この指示を出したとされます。
ところが、ここでもニールセン氏は重大な失敗をしています。2937便に指示を出した直後、2機が安全にすれ違えたかを確認する前に、まだ問題の残っていた進入管制のワークステーションに戻ってしまったのです。
そのため、611便もTCASの指示に従って高度を下げていることに気づかず、611便側からの「自分たちも下降している」という報告もニールセン氏の耳に届きませんでした。
くわえてこの日、管制レーダーのメンテナンスに伴って管制塔にある衝突警報装置のスイッチがオフになっており、しかもそのことをニールセン氏は知らされていませんでした。
衝突の32秒前になって管制卓に設置された短期衝突警報システムが作動し、警告音を発したとされますが、なぜかこの音もごく小さなものでニールセン氏の耳には入らなかったといいます。
たしかに衝突の32秒前に危機を知っても、もう管制官にできることは何もなかったでしょう。
しかし管制官の就労体制や情報伝達のミスなど、ユーバーリンゲン空中衝突事故には管制側の不手際が大きく関係していたと言えます。
ユーバーリンゲン空中衝突事故のその後① 管制官を刺殺する復讐事件が発生
2004年2月24日、ユーバーリンゲン空中衝突事故の際の管制官であったピーター・ニールセン氏が、事故の遺族に刺殺されるという事件が起こりました。
ニールセン氏を殺害したのはロシア人建築家のヴィタリー・カロエフという人物で、カロエフ氏はユーバーリンゲン空中衝突事故で10歳と4歳の2人の子どもを失ったとされます。
実の弟の証言によると、カロエフ氏は事故の後に心身衰弱状態になり、自宅に亡くなった子どものための祠を建てて家に閉じこもる日々が続いていたそうです。
事故から1年が経った頃にはスカイガイド社に連絡をして、「事故を起こした管制官に会わせてくれ」と何度も頼んたといいますが、スカイガイド社からは色よい返事はもらえませんでした。
ニールセン氏も自分のミスで子どもを含む大勢の人々の命を奪ってしまったことを責めてノイローゼ状態に陥り、スカイガイド社の裁判が終わると管制官の仕事を辞めて、妻と3人の子どもとともにチューリッヒに移り住んでいたといいます。
ニールセン氏の住所や連絡先はスカイガイドも秘匿していたのですが、カロエフ氏は探偵を雇って住所を突き止め、24日の午後にニールセン氏の家に向かい、留守を確認すると庭に座って待ち伏せをしました。
そして帰宅したニールセン氏と対峙すると、話し声を聞いて出てきた妻子の目の前でナイフを振り上げ、彼を刺殺したとされます。
逮捕後、カロエフ氏は「ただ謝ってほしかっただけだ」と殺意を否定しましたが、凶器を持っていたことから殺人罪で起訴され、懲役8年の判決を言い渡されました。
最終的には刑期の3分の1を残して2007年に仮釈放、ロシアではカロエフ氏への同情が高じて英雄視する風潮まであったとされ、スイスやドイツでは批判的な声も多くあがっていました。
ユーバーリンゲン空中衝突事故のその後② 現在への影響
出典:https://admiralcloudberg.medium.com/
ユーバーリンゲン空中衝突事故の後、2003年に衝突の危機にある時に管制官の指示とTCASの指示が食い違った場合にはTCASの指示を最優先とする、という決まりが国際民間航空機関によって定められました。
また、同様の事故を防ぐために1人が複数の業務を同時に行わずに済むよう、管制官も常に2名以上配置することを定めるとともに、レーダーやTCASの改良、訓練の強化なども行われました。
ユーバーリンゲン空中衝突事故は『メーデー』シリーズでも取り上げられた
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=iLWxy-SQ6hY?si=Oe9MrQpMbS7zinIP]
ユーバーリンゲン空中衝突事故は、航空災害を紹介するカナダのテレビ番組『メーデー』でも取り上げられています。
ユーバーリンゲン空中衝突事故を特集したのは2004年放送のシーズン2エピソード6の回で、アメリカでは事故後に起きた復讐劇から「父親の復讐」というタイトルで放送されました。
ユーバーリンゲン空中衝突事故は『アンビリバボー』でも特集された
ユーバーリンゲン空中衝突事故は、2019年5月23日放送の『奇跡体験!アンビリバボー』の2時間スペシャルでも「一つの事故により未来を失った2つの家族」というタイトルで特集されています。
『メーデー』に比べるとドラマ性を重視したつくりになっているため、すでに事故について著式がある視聴者のなかでは賛否が分かれる内容だったようです。
番組で初めて事故を知った人からは「管制官だって被害者ではないのか」「国際民間航空機関がしっかりしていれば防げたのではないか」との感想が上がっていました。
ユーバーリンゲン空中衝突事故を題材にした映画
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=o50DGXgXuLo?si=DAuThfZn9KE16nnl]
ユーバーリンゲン空中衝突事故をモチーフにした映画は、これまでにドイツとスイスの共同制作のもの、ロシア制作のものなどが作られてきましたが、もっとも有名なのは『アフターマス』です。
『アフターマス』は2017年公開のアメリカ映画で、ニールセン氏刺殺事件を起こしたカロエフ氏をモデルにした「ローマン」という男を中心に話が進みます。
ローマンを演じたのは、世界的に有名なアクション俳優のアーノルド・シュワルツェネッガー。
管制官を殺害するところまでは事実をベースにしていますが、その後の展開は映画のオリジナル要素が多く含まれます。
ユーバーリンゲン空中衝突事故についてのまとめ
今回は2002年7月1日に発生したユーバーリンゲン空中衝突事故について、事故の詳細や原因、その後に起きた悲劇的な復讐劇を中心に紹介しました。
この事故は2001年に日本航空機駿河湾上空ニアミス事故が起きた際に、きちんとTCASに関する国際的なルールを決めておけば防げたはずでした。
ほかに直接事故に関わった人物がいないため、管制官のニールセン氏に憎しみの矛先が向いてしまうのも仕方のない状況ですが、ニールセン氏1人の責任で事故が起きたとも言えません。そういった意味でも、ユーバーリンゲン空中衝突事故はなんとも後味の悪い、悲惨な事故でした。