父親が自分の同級生を誘拐した・・・。このような悲劇的な事件が1980年に起こりました。
宝塚市学童誘拐事件の概要や被害者と犯人の子供が通う学校、事件の詳細、犯人や事件のその後、映画化と犯人の現在をまとめました。
この記事の目次
宝塚市学童誘拐事件とは
宝塚市学童誘拐事件とは、1980年1月23日に兵庫県宝塚市で起こった誘拐事件です。
この事件では身代金受け渡しがうまくいかず、被害者の身の安全が不安視されましたが、警察官が犯人に職務質問して緊急逮捕となり、被害者も無事保護されました。
この事件では被害者は小学一年生でしたが、犯人は被害者と同級生の子供の父親であることが判明しています。
また、被害者の身の安全を考慮して、事件当初から報道協定が結ばれていましたが、読売新聞が協定違反をして、問題となりました。
宝塚市学童誘拐事件の犯人の子供と被害者が通う学校
宝塚市学童誘拐事件では、被害者と犯人の子供は小学1年生で、同じ小学校に通う同級生であることがわかっています。
犯人は自宅にあった子供の学校の名簿を見て、歯科医の息子が同級生にいること、さらに自宅の住所を知り、自分の息子の同級生を誘拐することを思いつきました。当時は、現在では考えられないほど、個人情報がガバガバだったんですね。
歯科医の息子と誘拐犯の息子が通う学校は、豊中市の私立小学校であることがわかっています。
大阪府内には私立小学校が17校ありますが、豊中市内には箕面自由学園小学校1つのみになります。この箕面自由学園小学校は新しい学校ではなく、1926年創設、1947年に現在の学校名になっていますので、宝塚市学童誘拐事件が起こった1980年当時もこの学校はありました。
このことから宝塚市学童誘拐事件の被害者と犯人の息子が通っていた市立小学校は、箕面自由学園小学校であることは間違いないでしょう。
宝塚市学童誘拐事件の詳細
宝塚市学童誘拐事件は1980年1月23日に起こりました。
1980年1月23日、豊中市の私立小学校に通っている小学1年生の被害者(歯科医の息子)は、学校からの下校してい途中、阪急中山駅(現在の中山観音駅)付近で犯人に誘拐されました。
同日16時40分ごろ、被害者の自宅に身代金3000万円を要求する電話がかかってきます。犯人はこの電話で警察に通報しないように被害者両親に告げますが、被害者両親はすぐに兵庫県警に通報します。
警察はすぐに営利誘拐事件と見て捜査を開始します。
1月23日16時40分に初めて身代金要求の電話がかかってきて以降、1月25日までに8回も電話で取引の交渉がありましたが、身代金受け渡しがうまくいきませんでした。犯人は身代金受け渡しの場所に行くと、警察が張り込んでいることに気づき、取引が中止になったこともあったようです。そして、犯人は車で最後の身代金受け渡しのチャンスに向かいますが、やはり警察がいて取引は断念し、車のガソリンが尽きて、武庫川の堤防に車を停めていました。
1月25日15時前に、兵庫県警の自動車警ら隊が職務質問をして、宝塚市学童誘拐事件の犯人であることが判明し、緊急逮捕されました。その車のトランクからは両手・両足・口・目にガムテープを貼られた状態の被害者児童が発見されました。
被害者児童は47時間監禁されていましたが、無事保護されています。犯人に職務質問をして、緊急逮捕にこぎつけた警ら隊2人は警察庁長官賞詞を受け、一階級特進となっています。
宝塚市学童誘拐事件の犯人の動機
宝塚市学童誘拐事件の犯人の動機はお金です。犯人はサラリーマンをしていましたが、喫茶店経営を夢見ていました。サラリーマンを辞めて、喫茶店のバーテン、さらに雇われ魔スタートして経験を積んで、大阪市内で自分の喫茶店をオープンさせます。ここまでは順風満帆だったのですが・・・。
ある日、知人の頼みで300万円の手形を貸したのですが、知人が決算できなくなったため、知人と共謀して韓国人から2000万円を騙し取ったんです。しかし、これが暴力団にバレてしまい、追われる身になります。犯人はせっかくオープンさせた自分の店を閉めて、親子3人で箕面市内でひっそりと隠れるように暮らすことになりました。
その後、お店の利権を売り、親族から借金をして、何とか韓国人から騙し取った2000万円を返済することができました。しかし、その後は生活を立て直すことができず、定職に就かずに生活費にも困り、さらに子供の学校の授業料も滞納するようになりました。
そんな時に子供の学校の名簿を見て、同級生にPTA会長の歯科医の息子がいることを知り、息子の同級生を誘拐することを思いつきました。
なんでそんなにお金に困っているのに、息子を私立の小学校に入れたのでしょうか?
宝塚市学童誘拐事件の判決は不明・・・
宝塚市学童誘拐事件では、1980年1月25日に犯人が緊急逮捕されました。その後、裁判が開かれたはずですが、裁判の判決についての情報がほとんどありません。
インターネット上の一部情報では、懲役9年を求刑されたけれど、犯行に至った経緯の情状酌量があり、犯行時心神喪失状態だったことなどから執行猶予付きの判決が出たと言われています。
ただ、この宝塚市学童誘拐事件はしっかり計画されていて、1月25日までに8回も身代金受け渡しの交渉電話をしていたことから、犯人が心神喪失状態だったとは考えにくいです(自暴自棄状態だった可能性はありますが)。
身代金目的の誘拐罪は刑法225条の2で「法定刑は無期又は3年以上の懲役」とされています。被害者児童は無事保護されていて、身代金の受け渡しにも失敗しているので、無期懲役ではないと思いますが、この法定刑を見ると、本当に執行猶予付きの判決が出たのかは疑問が残ります。
宝塚市学童誘拐事件のその後:読売新聞が報道協定違反で処分
この宝塚市学童誘拐事件では、事件のその後に読売新聞が協定違反をしたことで、無期限の出入り禁止処分を受けています。
宝塚市学童誘拐事件では報道協定が結ばれた
宝塚市学童誘拐事件では、マスコミは被害者の身の安全を考慮して、報道協定を結びました。
警察が捜査を始めると、マスコミは「何か起きた」と事件をかぎつけて報道するのが一般的ですが、誘拐事件でそれをしてしまうと、被害者の人命にかかわります。誘拐事件は「警察に知らせるな」という犯人の要求があることが多いので、「マスコミが報道した=警察が捜査している」ということがわかってしまうからです。
だから、法的な拘束力はないものの、誘拐事件ではマスコミが報道協定を結びます。
取材又は報道されることによって被害者の生命に危険が及ぶおそれがある誘拐事件(誘拐の疑いのある事件を含む。)及び取材又は報道されることによって被害者の生命に危険が及ぶおそれがある恐喝、不法監禁等の事件をいう。
報道協定が結ばれた後は、マスコミは誘拐事件のことは一切取材・報道しません。少しでも犯人にバレる恐れがあることはしないようにします。報道協定が解除されるのは、刑事部長が取材・報道されても「被害者の生命に危険が及ぶおそれがないと判断したとき」になります。
読売新聞が報道協定違反をした
宝塚市学童誘拐事件では報道協定が結ばれました。しかし、読売新聞は協定違反をしたんです。
報道協定では報道だけでなく、取材もNGです。
しかし、読売新聞は宝塚市学童誘拐事件が起こり、報道協定が結ばれた後の1月24日午前9時過ぎ、読売新聞の宝塚直売所に読売新聞社の前線待機本部を設置しました。この宝塚直売所は、被害者宅や捜査本部が置かれる宝塚署から近く、さらに周辺は人や車の動きが激しいため、記者が出入りしても目立たないという理由で前線待機本部になりました。
さらに、読売新聞はまだ協定が解除されていないのに、容疑者逮捕の瞬間をヘリコプターで現場上空から撮影したのです。
このことで、読売新聞は報道協定違反をしたとみなされました。
協定違反で出入り禁止に
報道協定違反を起こした読売新聞社は、兵庫県警察記者クラブから無期限の出入り禁止処分を受けます。
結局は3ヶ月間で出禁処分は解かれたので、処分は実質3ヶ月間でした。
宝塚市学童誘拐事件は映画化された
宝塚市学童誘拐事件は、事件から2年後の1982年に「誘拐報道」というタイトルで映画化されました。
事件をほぼ忠実に再現
出典:amazon.co.jp
宝塚市学童誘拐事件を映画化した「誘拐報道」は、事件をほぼ忠実に再現しています。
・監督:伊藤俊也
・犯人:萩原健一
・犯人の妻:小柳ルミ子
・犯人の子供:高橋かおり(子役)
・被害者の父:岡本富士太
・被害者の母:秋吉久美子
・被害者:和田求由
この誘拐事件は犯人を主役に据えていて、犯人は萩原健一さんが務めています。
犯人の子供は実際には息子でしたが、映画の中では娘になっています。それ以外はほぼ忠実に事件のことを描いているドキュメンタリー映画と言えるでしょう。
読売新聞が自画自賛状態
出典:youtube.com
この「誘拐報道」は原作は、読売新聞大阪本社社会部が新潮社から出版した「誘拐報道」というノンフィクションの本です。
何度も言いますが、この宝塚市学童誘拐事件では読売新聞は報道協定違反をしています。そんな読売新聞がこの宝塚市学童誘拐事件のノンフィクションを出版し、それが映画化されているんです。
しかも、読売新聞本社の社会部部長は「報道協定は報道管制ではないことを訴えたかった。映画が原作以上に結実することを祈ります」と発言していますし、映画の中では読売新聞社の上層部が「協定違反だが、あれだけの特ダネを飾ったんだから、ようやった!」と協定違反をした現場の記者をねぎらい、ほめたたえています。
つまり、読売新聞社としては協定違反をしたことは悪いこととは捉えていないことになります。
確かに、宝塚市学童誘拐事件では読売新聞社が報道協定をしても、被害者は無事保護されました。でも、状況によってはこの結果が変わっていた可能性もゼロではありません。
それなのに、自画自賛してしまうのはちょっとモヤっとしてしまいますね。
児童ポルノに抵触!?
出典:db.eiren.org
宝塚市学童誘拐事件を映画化した「誘拐報道」は、児童ポルノに抵触する可能性があると言われています。
この誘拐報道の中に、子役の高橋かおりさんの入浴シーンがあるんです。犯人役の萩原健一さんと親子の交流をするシーンなのですが、現在の基準で考えると、児童ポルノ的にアウトではないか?と言われています。
この誘拐報道は現在でもBSやCSでも放送されていますが、「一部シーンが加工されている」とWikipediaに書いてありました。加工された一部シーンが高橋かおりさんの入浴シーンかどうかは不明ですが、おそらくそのシーンだと思われます。
ただ、誘拐報道はDVDになっていますので、アウトというわけではないのかもしれません。
宝塚市学童誘拐事件の犯人は現在どうしている?
すでに出所済みの可能性が高い
宝塚市学童誘拐事件の犯人は、現在はすでに刑務所から出所している可能性が高いです。
判決は不明ですが、無期懲役にはなっていないと考えられます。そして、事件からすでに40年以上経過していますので、もしインターネット上の噂のように執行猶予付きの判決ではなく、懲役刑となっていても、すでに出所しているでしょう。
出所後は、家族と一緒に生活しているのでしょうか・・・。
同姓同名が逮捕されたという情報も
ネット上に1つ気になる情報がありました。この宝塚市学童誘拐事件では犯人の実名はほぼインターネット上に掲載されていないのですが、2010年にこの事件の犯人と同姓同名の人物が和歌山県で窃盗で逮捕されているというのです。
その記事の一部を引用します。
和歌山県警田辺署などは2日、資材置き場から鉄板を盗んだとして、窃盗の疑いで和歌山県御坊市、無職中嶋唯佳容疑者(64)を逮捕した。田辺署によると、現場から走り去るトラックを、釣りに行く途中の男性(46)が不審に思い、車で約60キロ追跡したのが逮捕につながった。
そして、この記事について次のようにコメントしている人がいました。
1980年1月の段階で33歳とありますので、2010年時点での年齢はぴったりです。名前も、珍名とはいいませんが、ありふれ過ぎている名前というわけでもない。そして決定的なのが、本に書いてある犯人の出身地(単行本P.218)が、上の引用記事の居住している市と重なります。100%とは言いませんが、99%以上間違いなく同じ人物でしょう。
この方の情報が正確だとすれば、
・名前が一緒
・出身地が一緒
ということになりますので、2010年に窃盗で逮捕された人物は宝塚市学童誘拐事件の犯人の可能性があります。つまり、宝塚市学童誘拐事件の犯人は更生することができなかったということですね。
宝塚学童誘拐事件のまとめ
宝塚市学童誘拐事件の概要や被害者と犯人の子供が通っていた学校、事件の詳細、判決や事件のその後と犯人の現在をまとめました。
被害者児童が無事に保護されて良かったですが、それでも同級生の父親に誘拐されたというショックは計り知れないものがあると思います。