山田浩二の生い立ちと現在!獄中結婚の噂・寝屋川の星野凌斗くん&平田奈津美さん殺害事件の動機・死刑判決まとめ

山田浩二は2015年に大阪で発生した寝屋川市中1男女殺害事件の犯人で、 星野凌斗さんと平田奈津美さんの2人を殺害しています。この記事では山田浩二の生い立ちや家族、実家、経歴や犯行動機、死刑判決後の行動や獄中結婚の噂について紹介します。

山田浩二が起こした寝屋川市中1男女殺害事件の概要

 

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2015年8月12日の21時頃、大阪府寝屋川市で、「友達と会ってくる」と言って家を出た中学1年生の平田奈津美さんが行方不明になるという事件が起こります。

 

奈津美さんは同級生の星野凌斗(りょうと)さんに会うと家族に伝えており、凌斗さんも同じく、12日の夜に奈津美さんの家に行くと言って自宅を出たきり行方不明になっていました。

 

2人の姿が最後に確認されたのは8月13日の午前5時頃、京阪本線寝屋川駅前のアーケードに設置された防犯カメラに録画されたものだったといいます。

 

そして行方不明になった翌日の13日23時30分頃に、大阪府高槻市にある物流セ倉庫の駐車場から、奈津美さんの遺体が発見されたのです。

 

奈津美さんの遺体は腕を後ろ手に粘着テープで縛られ、顔も何重にも粘着テープが巻かれた状態でした。

 

また、奈津美さんの身体には左半身を中心に30ヶ所以上もの切り傷があったとされます。

 

その後の司法解剖の結果、奈津美さんの死亡推定時効は13日19時頃で、死因は頚部圧迫による窒息と判明。

 

遺体発見現場近くに設置された防犯カメラに周辺を行き来する不審な車両があったことがわかり、この車を運転していた山田浩二(当時45歳)が奈津美さん殺害の犯人として浮上します。

 

そして同年8月21日に大阪府警の捜査員が大阪市北区の駐車場で山田の車を発見し、尾行したところ、柏原市の竹林に立ち寄る様子が確認され、その竹林から凌斗さんの遺体が発見されたのです。

 

ようやく発見された凌斗さんの遺体は死後1週間経過していたことから腐敗が進んでおり、一部白骨化するなど損傷が激しく、身元の特定に時間がかかったといいます。

 

こうして8月21日に2人を殺害・死体遺棄をした犯人として山田浩二を逮捕、2019年には大阪地裁で山田に対して死刑判決が言い渡されました。

 

しかし、その後も山田は死刑判決を不服として控訴、自ら控訴を取り下げたかと思ったら控訴取下無効を主張、再び控訴取り下げという異常な行動を見せます。この一連の奇妙な行動には何の目的があるのかと注目を集めました。

 

また、山田は事件に関しても明らかに虚偽とわかる供述を繰り返し、犯行を否認するなどして2023年現在に至るまで一貫して罪を認めず、反省する様子も見せていません。

 

さらに、寝屋川市中1男女殺害事件を起こす前にも山田が未成年者の拉致・監禁および強制わいせつ事件を起こして長期服役していたことが発覚しており、本件を機に小児性愛者の更生の難しさについても議論されました。

 

 

山田浩二の生い立ち・経歴① 幼少期と家族関係

 

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山田浩二は1970年4月4日に大阪府で誕生しました。家族構成は両親と5歳年下の妹の4人です。

 

なお、山田浩二はもともと「渡利」という姓で、出生時には渡利浩二という名前でした。この後も何度か姓が変わること、逮捕時・裁判時の姓が山田であったことから記事内の呼称は「山田」で統一します。

 

山田の父親は寡黙な性格でパン屋で働いており、母親はパートで働いて家計を支えていました。

 

年の離れた弟妹がいると面倒見の良い子どもに育つケースも多く見られますが、山田は幼い頃から奇行が目立つ少年だったといいます。

 

具体的には自分より小さな子どもに唾を吐きかける、同級生の女子に虫の死骸を投げつける、他人の物を取り上げてドブに捨てるなど周りが嫌がるようなことばかりしていたそうです。

 

そのような行動をしていたために当然山田は周囲の子どもたちから嫌われていたのですが、周りから距離を置かれると今度はハサミを振り回して暴れるなどして、暴力的な面を見せるようになっていきました。

 

さらに山田には、盗癖もありました。山田は大阪府枚方市香里ケ丘にある「香里団地」で幼少期を過ごしたのですが、自宅のある団地のドアノブを次々と回していき、鍵のかかっていない部屋を見つけると室内に侵入していたといいます。

 

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そしてあがり込んだ家で物を盗む、食べ物を漁るなどの窃盗を繰り返していました。

 

店でも万引きをしており、盗品をちらつかせて同級生の気をひき、友人を作ろうとしていたという話も出ています。

 

ここまで自分の息子が周囲に迷惑をかけ、万引きなどの犯罪にまで手を出していたのに親は何をしていたのでしょうか。

 

小学校時代の山田の先輩にあたる人物からは「家庭環境が悪かったから、犯罪に問題行動が起きたのではないか」と、以下のような証言が出ています。

 

「容疑者のお母さんは幼いころから“何やってんの!”といつも大声で怒鳴ってばかりでした。ドツいたりしていたと思う。かわいがっている姿など1度も見たことがありません。愛情のない家庭に育ったから、グレたんでしょう」

 

引用:大阪中1男女惨殺事件の山田容疑者、関係者からの評判は最悪

 

 

山田浩二の生い立ち・経歴② 中学時代から見られた少年好き

 

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山田浩二が中学2年生の頃、一家は香里団地から枚方市内の戸建てに引っ越していきました。

 

しかし、中学に入っても山田の問題行動は続き、それだけではなく家の玄関やベランダがゴミであふれかえっていたことから、一家はここでも近隣住民に煙たがられる存在となっていました。

 

山田が通った中学は1学年12クラスの超マンモス校だったといいますが、成績は同級生500人のなかでも最底辺。部活もワンダーフォーゲル部に入っていたものの目立った活動はしておらず、運動も不得手で、同級生に言わせると学業面での山田は「取り柄のない奴」でした。

 

いじめられこそしなかったものの、同級生には馬鹿にされ、相手にされないような状態だったそうです。

 

その代わり自分より力の弱い下級生に対して暴力を振るうなどの嫌がらせをしており、ついには下級生を刃物で脅すようになっていったとのこと。

 

しかも、山田の年下の少年・少女に対する異常な執着は中学生時代にすでに見られていたといい、下級生からも「変態渡利」と呼ばれていたといいます。

 

大阪で同級生を取材した大竹真レポーターは、「中学くらいから、小学生の男の子を追いかけ回し、監禁したり刃物で脅したりもあったようです。何を考えてるかわからない不気味さがあったと話しています」

 

引用:山田浩二「変態」と呼ばれていた中学時代!小学生追いかけ刃物で脅し

 

このようなことを繰り返していたために山田は中学校時代から何度も少年鑑別所に入っており、まったく勉強していなかったために高校へも進学しませんでした。

 

 

山田浩二の生い立ち・経歴③ 前科

 

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1986年3月に中学を卒業した山田ですが、その後は進学もせず、定職にも就かず、街で知り合った不良仲間とつるむようになっていったといいます。この頃からシンナーを吸うようになっていました。

 

最初こそ不良仲間と万引きなどをして生活していた山田でしたが、次第に不良からも気味悪がられるようになって孤立。

 

すると今度は暴力団関係者とつながりを持つようになり、麻薬の密売や強盗などにも手を出しはじめたとされます。

 

しかし、そこまで悪質な犯罪に手を出すようになっていたにもかかわらず、山田は周囲の人々からは相変わらずアウトロー・反社会的な人間として恐れられることはなく、不気味な異常者として遠巻きにされていたそうです。

 

小学生の頃は虐待まがいと囁かれることがあっても山田に無関心ではなかった母親も、この頃になると息子についてどこかに相談に行く様子もなく、実家もますます荒れて不潔な様子になっていったといいます。

 

「汚いだけではなく、だんだん異臭がするようになってきたんです。あの家庭では猫を飼っていたのですが、その猫が死んでしまったそうで……。なのに死体を敷地内にほったらかしたまま暮らしていて、そこから虫が湧くほどだったみたいです。異臭も、その腐乱死体から来ているものでした。ご近所さんが『こっちにまで虫が来るねん。臭いもそうやし、もう耐えられへん……』と言っていましたから、よく覚えています」

 

引用:ライブドアニュース – 中学1年遺棄で逮捕された男 飼い猫の死体と一緒に暮らしていた過去

 

 

少年への逮捕監禁などの容疑で逮捕

 

そんななか2002年3月、山田の異常性がはっきりとわかる事件が起こります。

 

3月1日の20時頃、当時31歳であった山田は大阪市西区南堀江一丁目の路上で中学3年生の男子生徒3人に声をかけ、警察官だと嘘をついて少年らに手錠をかけてタクシーに乗せ、拉致したのです。

 

少年3人とタクシーに乗った山田は、運転手に気づかれないようにナイフで彼らを脅しました。

 

そして3人のうち2人をすぐに開放し、残った1人だけを連れて別のタクシーに乗り換え、助けを呼べないように携帯電話を取り上げた状態で数時間連れまわしたとされます。

 

さらに同月8日の22時40分頃にも京阪寝屋川市駅付近で、車を運転していた山田が17歳の男子高校生ら2人組に道案内を頼んで乗車させ、ナイフで脅して拘束し、連れまわすという事件を起こします。

 

少年らを車の中に拉致・監禁した山田は、彼らの衣服を脱がせたうえで身体を触るなどしていました。

 

また、開放する際に1人の少年の顔にライターで軽い火傷を負わせていたとされます。

 

次いで3月18日、3月30日にも山田は同じような手口で路上で少年に接触して拉致・監禁するという犯行を繰り返しました。

 

しかし、すでに警察も8日の事件が起きた時点で捜査を開始していたため、4月3日には山田は逮捕されます。

 

そして最終的には逮捕監禁罪、傷害罪、強制わいせつ罪など8件の容疑で起訴され、2003年5月に大阪地裁によって懲役12年の判決が言い渡されたのです。

 

 

山田浩二の生い立ち・経歴④ 結婚をして苗字が渡利から柴原に変わる

 

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2003年から徳島刑務所に長期服役することになった山田浩二。収監中に獄中結婚をして苗字が「渡利」から妻の姓である「柴原」に変わりました。

 

この結婚相手の女性には、なんと後に寝屋川市中1男女殺害事件の被害者となる星野凌斗さん、平田奈津美さんと同じ歳の娘がいたそうです。

 

山田は出所してこの義理の娘に会うことをとても楽しみにしていたとのことですが、服役中に離婚しています。

 

離婚の原因は不明ですが、山田の少年少女への執着ぶりを考えると元妻にとって離婚は英断だったと言えるでしょう。

 

 

山田浩二の生い立ち・経歴⑤ 除染作業員として働き養子縁組をする

 

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2014年10月に満期で刑期を終えて出所した山田は、出所後に旧知の関係にあった男性と養子縁組をしており、2014年から「山田」の姓を名乗るようになったとされます。

 

刑期を終えた山田は福島県に行き、福島第一原発事故の除染作業員として働き始めました。

 

なお、除染員として働く前、山田は「社会に対してこれまでの償いをしたくて除染員になりたいと思った」などと言っていたそうです。

 

当初、ここでの勤務態度はとくに問題のないものでしたが、プライベートな時間になると服役前と同じような奇行を見せていたといいます。

 

勤務終了後、夜になると山田は街に出て通行人の女性を物色し、ターゲットを決めては跡をつけたり盗撮したりとストーカー行為を繰り返していました。

 

12年の服役生活を終えても、山田の異常性はまったく改善されておらず、更生できないまま社会に放たれてしまったのです。

 

こうして最初は南相馬で契約の除染作業員として働いていた山田でしたが、宿舎のルールを破って女性を連れ込んだことがバレて契約解除となり、今度はほかの会社を通して除染作業員の仕事に就き、二本松市の宿舎で生活を始めていました。

 

そして除染作業員の仕事がお盆休みに入った2015年8月に山田が起こしたのが、寝屋川市中1男女殺害事件だったのです。

 

 

山田浩二の寝屋川市中1男女殺害事件前の行動

 

事件を起こす直前の8月8日と9日、山田は秋葉原に来ていました。目的は成人向けの性行為を目的としたイベントへの参加で、これに参加した後の11日未明には秋葉原で職務質問を受けています。

 

イベント後にナンパに失敗し、苛立って車を急発進させたところで警察に止められたといい、その際に車の中からスタンガン、注射器、手錠といったものが出てきたことから、警察署に任意同行を求められました。

 

警察署で尿検査を行ったところ薬物反応が出なかったことから前科の照合はせずにすぐに解放されたとのことですが、この時にもう少し詳しく警察が山田を調べていれば少年少女の命は奪われずに済んだのかもしれません。

 

 

山田浩二の供述による星野凌斗さん・平田奈津美さんとの出会い

 

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寝屋川市中1男女殺害事件は犯行時の目撃者がおらず、当事者の3人のうち被害者の2人が殺害されている事件です。

 

そのため詳細については犯人の山田浩二の供述が頼りとなるのですが、肝心の山田の供述が虚偽を含んでいることから、何が真相なのか未だにわかっていません。

 

ここでは山田の口から語られた事件の詳細について見ていきましょう。意味の分からない箇所や犯行と矛盾している箇所もありますが、山田浩二の供述どおりに説明していきます。

 

山田が寝屋川駅前で星野凌斗さんと平田奈津美さんを見かけたのは、8月13日の未明だったそうです。

 

2人が歩いているのを見かけた山田は、友達になりたくて「何をしてるの?」と声をかけたといいます。

 

凌斗さんと奈津美さんは合流してすぐの12日22時頃にコンビニで目撃されていたのですが、その時には2人を目撃した大人から「こんな遅くまで遊んでいては危ないよ」「早く帰りなさい」と注意を受けていました。

 

通常、大人が少年少女が遅くに出歩いているのを見た時に声をかけるとしたら、このような言葉でしょう。

 

しかし山田は、親子ほども年の離れた凌斗さんと奈津美さんと「友達になりたくて声をかけた」というのです。

 

そして凌斗さんらが家出をして路上にいると思った山田は、仲良くなるために2人の写真を撮って話のネタにしようと思ったといいます。

 

写真を撮って山田と打ち解けた2人は、「どこかに遊びに連れてってよ」と言い出して自ら山田の運転する軽のワゴン車に乗って来たそうです。

 

この時、奈津美さんが「京都に行きたい」と言い出し、これから刑務所に服役していた頃の知り合いと会う約束をしていた山田は「そんな遠くには行かれない」として、「家に送って行ってあげるから」と2人に帰宅を促したのこと。

 

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しかし、奈津美さんが帰宅を拒んだため家に送り届けられなかったというのです。

 

 

山田浩二の供述による星野凌斗さん死亡時

 

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続いて山田浩二の供述による、星野凌斗さんが死亡した時の様子についてお伝えしていきます。

 

上でも触れましたが、山田は一貫して2人の殺害を否定しています。そのため、2人が亡くなった時の様子に関しては、ほぼすべて虚偽の作り話をしていると見られています。

 

山田によるとしばらく車で走っていたところ、急に凌斗さんが寒くもないのにガタガタと震え出したそうです。

 

心配して声をかけたところ、奈津美さんが「疲れているとこうなるだけ、大丈夫。寝ていれば治る」と言ってきたたため、所持していた睡眠導入剤を凌斗さんに飲ませることにしました。

 

その後、山田は具合の悪い凌斗さんと、家に帰りたがらない奈津美さんを連れて大阪刑務所に向かい、2人だけを車に残して服役中の知り合いに短時間の面会したといいます。

 

そして面会を終えて車に戻ってくると凌斗さんが息をしておらず、山田が病院に連れていこうと提案したところ、奈津美さんが「死体をどこかに隠そう」と言い出したため、救急車を呼ばず、凌斗さんを助けなかったというのです。

 

奈津美さんの提案に従ってコンビニで粘着テープを買ってきた山田は、凌斗さんの腕を拘束したと供述しています。

 

 

 

山田浩二の供述による平田奈津美さん死亡時

 

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凌斗さんが亡くなった後も奈津美さんは家に帰ることを拒否し、「1人になりたくない」と言って山田の車から降りようとしなかったとのことです。

 

仕方なくしばらく車に乗せていると、いきなり奈津美さんが騒ぎはじめ「私を置いていくならレイプされたと警察に届け出てやる!」と怒鳴ってきたといいます。

 

そして黙らせようとして山田が奈津美さんの口を押さえつけたところ、気がついたら死亡していたというのです。

 

上述のように、発見された奈津美さんの遺体には30ヶ所にもおよぶ切り傷がありました。

 

この切り傷も山田によると「ショックを与えれば意識が戻ると思って、善意でつけた傷だった」とのこと。

 

あまりにも荒唐無稽な供述ですが、凌斗さんも奈津美さんも病死や事故死で亡くなっており、自分は無関係だと主張したのです。

 

 

 

山田浩二の逮捕

 

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山田は犯行の前後に自分のFacebookに「やっぱり地元最高っす」「これから大阪です」などと、さも普通のお盆休みを過ごしているような投稿を続けていました。

 

そして8月13日に凌斗さんも奈津美さんを殺害した後、山田は14日には福島に戻って除染作業員としてなに食わぬ顔で仕事に復帰。

 

さらに8月15日には千葉県に行って犯行に使った軽ワゴン車の清掃を行ったうえ、Facebookに「幕張でカレーを食べた」という投稿をしています。

 

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その後、8月20日にはなぜか大阪に戻って来たのですが、この時にはすでに大阪府警は山田浩二を容疑者候補としてマークしており、行方を追っていました。

 

8月21日に大阪市北区の駐車場で山田の車を発見した警察は尾行を開始し、柏原市の山林で行方のわからなかった凌斗さんの遺体を遺棄したと思しき行動を確認。

 

警察が凌斗さんの遺体を発見した際、遺体のズボンからは山田のものではない体液が入った避妊具が出てきたとされます。

 

この避妊具は山田が捜査をかく乱するために用意したもので、ごみ箱で拾ったものを凌斗さんのズボンのポケットに入れていました。

 

21日の20時20分頃に大阪府警は凌斗さんの遺体を遺棄した疑いで山田浩二を逮捕するのですが、逮捕直後の山田は「12日に自分の車には同乗者がいて、そいつが奈津美さんを殴って殺した」などと供述しています。

 

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自分以外の体液が入った避妊具を同乗者がいた証拠にしようと考えたのでしょうが、現場周辺の防犯カメラには同乗者は映っておらず、さらに山田が同乗者の名前や年齢を黙秘し続けたことから、警察は共犯者の存在を否定。

 

9月12日には平田奈津美さんの殺害容疑で再逮捕、次いで星野凌斗さん殺害容疑でも再逮捕となり、追起訴されました。

 

 

山田浩二の裁判と判決

 

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事件から約1週間後には死体遺棄罪で逮捕された山田浩二。しかし、共犯者がいると虚偽の供述をした後は黙秘を貫いたため、裁判までには3年もの時間を要しました。

 

犯行の目撃者もおらず、凶器も見つからず、犯人の自供も得られないと警察は苦しい立場に置かれたのです。

 

唯一、山田が犯人だと言える証拠になったものは車内から被害者たちのDNAが検出されたことと、車内と被害者の体内から睡眠剤が検出されたこと、そして防犯カメラの映像だけだったといいます。

 

この状況でも警察は間接的な状況証拠のみで山田を殺人罪で起訴し、2018年11月1日にようやく大阪地裁で山田浩二の初公判が開かれました。

 

 

山田浩二の一審

 

初公判で山田は周囲が驚くような行動に出ます。出廷するやいなや「この度、経緯はどうであれすいませんでした」と、遺族に向けて突然土下座をしたのです。

 

そして、「ずっと謝りたかった」と言いつつも、自分は2人を殺していない、ただ助けられなくて申し訳なかったなどと言い訳をはじめました。

 

実は山田は前に服役していた刑務所でも窃盗などの問題を起こすと土下座をして大げさに謝り、責任の所在を有耶無耶にしてきたといいます。

 

寝屋川市中1男女殺害事件は裁判員裁判でしたから、裁判員の情に訴えようとしたのでしょう。

 

裁判が始まると検察は、犯行前後に山田が携帯で「ハルシオン(睡眠薬)、子ども、効き目」などと検索していたことや、汗でDNA鑑定ができるのかなどを調べていたことを証拠として提出。

 

山田の車から睡眠薬と被害者のDNAが検出されたことを理由に、犯人は山田以外にあり得ないと訴えました。

 

一方の山田は、事件時の行動や2人が死亡した理由について上で紹介したように「急に具合が悪くなって死んだ」「気がついたら息をしていなかった」という供述をしました。

 

しかし、山田が「死んだ後に粘着テープを顔に巻いた」と述べたのに対して、粘着テープを巻いて首を絞めたことが凌斗さんの死因との検死結果が出ていること、同じく奈津美さんも頚部圧迫が死因と判明していることから、裁判長も山田の話は虚偽だと指摘。

 

弁護側は最終弁論でも「山田被告は自閉スペクトラム症で、事件時に正しい判断ができなかった」「殺意はなかった」と主張しましたが、検察は死刑を求刑します。

 

 

一審の判決は死刑

 

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一審の判決公判は12月19日に行われ、大阪地裁は山田浩二に死刑を言い渡しました。

 

裁判長は山田に反社会性パーソナリティー障害の疑いがあるとしながらも、「首を絞めれば人が死ぬということを理解できないほど重い精神疾患ではない」「虚言と言い訳に終始し、更生の余地がない」と断罪。

 

懲役12年が相当と主張していた弁護側は死刑判決を不服として即日控訴し、山田本人も12月31日付で控訴しました。

 

 

山田浩二による控訴取り下げ

 

いったんは自分でも死刑を不服として控訴した山田でしたが、2019年5月18日にいきなり自ら控訴を取り下げました。

 

これは別に反省して死刑を受け入れようと思ったからではなく、拘置所内で借りたボールペンの返却時間が遅れ、刑務官に怒られたことが原因だったといいます。

 

刑務官に怒られて自暴自棄になった山田は、弁護士にさえ相談せずに勝手に控訴を取り下げたのです。

 

後に紹介しますが、山田は獄中でルポライターの片岡健氏と手紙のやり取りをしており、それを片岡氏が『さよならはいいません ―寝屋川中1男女殺害事件犯人 死刑確定に寄せて』という電子書籍として発表しています。

 

この書籍に載っている山田の言い分によると「謝ってペンを返したのに刑務官から『今、えらそうにアホがと俺に言ったな』と難癖をつけられて、絶望した」とのこと。

 

死刑になって怒ってきた刑務官を呪ってやる、後悔させてやると思って控訴取り下げをしたというのです。

 

 

控訴取下無効判決と二度目の控訴取り下げ

 

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控訴取り下げがあったことを知った弁護側は、5月30日に控訴取下無効を大阪高裁へ求めました。

 

12月17日にこれが認められて控訴取下無効が認められたのですが、2020年3月24日にも再び山田は自ら控訴取り下げをします。

 

控訴取下無効が認められた後、大阪高等検察庁はこの決定を不服として大阪高裁に異議申し立てをしており、その最中に山田が「やっぱり刑務官の嫌がらせに耐えられない」などとして控訴を取り下げたのです。

 

弁護側は2度目の控訴取り下げも無効だと訴えましたが、2021年8月25日付で最高裁判所が「2度目の控訴取り下げは有効」との結論を出します。

 

こうしてようやく、山田浩二の死刑が確定しました。

 

 

控訴取り下げは恩赦狙いだった?

 

死刑判決後の山田の行動は理解しがたいものがあり、何か目的があって控訴の取り下げと取下無効の申し立てを繰り返していたのではないか?とも見られています。

 

山田が最初に控訴取り下げをしたのは2019年5月18日。元号が平成から令和に変わった時期です。

 

元号が変わると恩赦が行われることがあり、過去には昭和から平成に切り替わった際には約1267万人の服役者が恩赦によって出所や減刑などの処分を受けたとされます。

 

そのため、一説には山田も元号が平成から令和に変わる際の恩赦狙いで控訴を取り下げたのではないか?とも噂されています。

 

ただ、いずれにしても山田のように求刑死刑で死刑判決を受けた者は恩赦の対象外ですし、恩赦が目的だったとしたら無駄な悪あがきとしか言えません。

 

 

 

山田浩二が寝屋川市中1男女殺害事件を起こした動機

 

本人の口から何も語られていないため、山田浩二がなぜ寝屋川市中1男女殺害事件を起こしたのか、その動機は未だに不明なままです。

 

しかし事件後、山田の周囲からは「かわいい男の子が好きだと言っていた」「10代の頃から13歳以下の子どもに強い興味を持っていた」との証言が出ており、実際に過去にも少年への強制わいせつ事件を起こしています。

 

そのため、わいせつ目的での拉致・監禁の末に騒がれた、抵抗されたなどの理由で殺害したのではないか?という見方がされています。

 

また、平田奈津美さんの遺体に切り傷が多数ある点については、女性に対する強いコンプレックスの表れではないかと指摘されました。

 

なお、こうした山田の異常な性的嗜好は精神疾患に関連しているのではないかとの疑いもありましたが、裁判時に山田の精神鑑定を行った医師によると「被告の性格は演技的、攻撃的、衝撃的であるものの、治療が必要な精神障害の所見はない」とのこと。

 

発達障害の疑いはあるが事件に至った経緯とは関係なく、減刑の理由にもならないと結論付けていました。

 

 

山田浩二の実家の場所は?

 

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事件後の報道によると2001年から山田の血のつながった両親である渡利家は枚方市内の戸建てからマンションに引っ越しており、ここに山田が帰省していた最中に事件を起こしたとされます。

 

なお、逮捕当時の山田の実家は寝屋川市香里新町香里にある「日光ハイツC棟」だと判明しており、渡利家は12階に住んでいました。

 

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養子縁組をしても養父の男性とは一緒に住むつもりはなかったのか、この実家のポルトに「山田浩二」という名前が書き足されていたと報じられ、事件直後には話題になりました。

 

出典:https://twitter.com/

 

X(Twitter)にも、山田の逮捕後に「日光ハイツに警察やマスコミが大勢来ていた!」という投稿が見られました。

 

 

 

 

山田浩二の現在① 獄中結婚して苗字がまた変わっている

 

これまで何度も苗字を変えてきた山田浩二ですが、死刑判決を受けた後も2020年9月にも養子縁組をして「上田」という姓になっており、その翌月の10月には獄中結婚をして「水海」という姓に変わっています。

 

このことが報じられると、ネット上でも「よりによって性欲のために子どもを殺すような鬼畜と結婚するなんて、何が目的なんだ」と話題に。

 

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相手は死刑廃止を訴える団体の支援者ではないか、面会の権利が欲しくてどこかの記者が偽装結婚したのではないか、と意見が飛び交いました。

 

 

2023年8月に『日刊ゲンダイ』に掲載された片岡健氏の記事によると、結婚相手は水海睦子さんという女性で、水海さんは支援者でも記者でもなく、「暇つぶし」で山田と結婚したのだといいます。

 

水海さん自身も刑務所に服役中で、なんとなく興味をひかれて山田に連絡を取って文通するようになったものの、すぐに山田の人間性に嫌気がさして離婚したそうです。

 

そのため現在、山田浩二の姓は「水海」ではなくなっており、養子縁組を経て「溝口」にまた変わっているとのことです。

 

 

 

山田浩二の現在② まったく反省していない

 

出典:https://www.amazon.co.jp/

 

上でも触れましたが、山田は2019年5月18日に控訴取り下げをしてから積極的に取材に応じていたらしく、片岡健氏もこの時期に山田と手紙のやり取りをしていました。

 

片岡氏は山田の手紙をまとめた『さよならはいいません ―寝屋川中1男女殺害事件犯人 死刑確定に寄せて』という書籍を出しているのですが、この手記のなかに掲載されている山田の手紙の内容が酷すぎて、電気書籍を配信しているAmazonでのレビューも酷評ばかりとなっています。

 

この本を読もうとした人はみな、手紙を通して山田浩二とはどういった人間なのか、犯行に至った背景を少しでも知れればと思ったはずです。

 

片岡氏もそこを探りたかったのでしょう。控訴を取り下げた理由や死刑への恐怖、被害者や遺族への気持ちなど、質問したいことを箇条書きにして山田に尋ねていました。

 

しかし、山田の返信は刑務官への恨み言やマスコミへの恨み言に終始しており、肝心な遺族への気持ちについても「マスコミが裁判での謝罪を『土下座パフォーマンス』と歪めて伝えたせいで、私の誠意が伝わらなかった」と記述。

 

さらに被害者の2人に対しても「それぞれの両親を平田さんと星野君の霊が許してくれれば、きちんと成仏できるのではないでしょうか」と、他人事のように書いていました。

 

読んだ方の大半が「早く死刑が執行されれば良いと思った」「胸糞悪いとしか言いようがない」と立腹するのも当然の内容です。

 

しかも山田は、2021年に月刊『創』編集長の篠田博之氏に宛てた手紙で、再審請求を考えている旨を明かしていました。

 

このまま何もせずに立ち止まっている訳には行かないし、諦める訳にも行かない。ここで終わらす訳には行かへん。常にNever give upの精神を忘れずに前を向いて進む、というのが今の僕のスタンスであり、今の僕は一人の身ではない。

 

引用:死刑確定への決定を受け取った直後に寝屋川事件・山田浩二死刑囚がつづった心情

 

ただ、再審請求をするには死刑判決を覆す新しい証拠が必要になりますし、篠田氏への手紙を見る限り、2021年の時点で一審を担当した弁護士は山田と連絡を絶っている様子。

 

2回も勝手に控訴取り下げをしておいて、再審請求のための証拠を探せと言われても対応する気が起きないのかもしれません。

 

 

 

山田浩二と寝屋川市中1男女殺害事件についてのまとめ

 

今回は2015年に発生した寝屋川市中1男女殺害事件の犯人・山田浩二について、生い立ちや経歴、事件の関する供述、判決、現在を中心に紹介しました。

 

山田浩二は死刑囚の作品を展示する「死刑囚表現展」にも作品を提出しているのですが、そこでも便箋に描いた『鬼滅の刃』や『僕のヒーローアカデミア』などの漫画キャラクターの絵を出品しており、50歳過ぎの大人とは思えない幼稚さが窺えます。

 

こんな人間がいるなんて、と震撼した人も多かったであろうこの事件ですが、やはり本人が反省して真相を語る見込みがない以上、早期の死刑執行を!という声があがるのもやむをえない気がします。

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