パシフィック・サウスウエスト航空1771便墜落事故は1987年に発生した航空事故で、航空会社に恨みを持つ元従業員の男によって引き起こされた悲劇でした。この記事では本件の原因や機長、犯人、事故のその後や現在への影響について紹介します。
この記事の目次
パシフィック・サウスウエスト航空1771便墜落事故の概要
パシフィック・サウスウエスト航空1771便墜落事故は、1987年12月7日に発生した航空事故です。
乗客38名・乗務員5名、合計43名の搭乗者全員が死亡という痛ましい事故のうえ、墜落はデイビット・A・バークという男によって故意に引き起こされたものでした。
バークはパシフィック・サウスウエスト航空(PSA)の親会社であるUSエアウェイズの元従業員で、会社を解雇されたことに恨みを持っていました。
そのため拳銃を隠し持って1771便に乗り込み、乗務員と機長、副操縦士を射殺して、墜落事故を起こしたのです。
このことからパシフィック・サウスウエスト航空1771便墜落事故は、PSA1771便「事件」と呼ばれることもあります。
パシフィック・サウスウエスト航空1771便墜落事故機の詳細
パシフィック・サウスウエスト航空の1771便はサンフランシスコからロサンゼルスまでを結ぶ国内線で、約1時間のフライトを予定した便です。
使用されていた機体はイギリス製の「ブリティッシュ・エアロスペースBAe 146-200A」という小型機で、1771便はPSAの中でも利用客が多く、いわゆる稼ぎ頭だったといいます。
事故当日、1771便のコックピットには44歳のグレッグ・リンダムード機長と、48歳のジェームス・ナン副操縦士、客室にはフライトアテンダントら4名(男性1名、女性3名)、乗客38名が搭乗していました。
15時31分にロサンゼルスを出発した飛行機は、16時43分にはロサンゼルスに到着する予定だったとされます。
しかし、カリフォルニア中央海岸上空6,700m付近に差し掛かった時、事件が起きたのです。
この時、リンダムード機長とナン副操縦士は弱い乱気流が発生したことを気にかけており、管制塔に天候についての問い合わせをしていました。
すると客室から突然、銃声のような音が聞こえたのです。
この音は、事故後に回収されたコックピットボイスレコーダーにも録音されており、音がした直後に1771便は機首を下にした状態で急速で落下。
そのままサンタ・ルシア山脈の斜面に地面に突き刺さるほどの勢いで突っ込み、爆発したとされます。
パシフィック・サウスウエスト航空1771便墜落事故機の被害の様子
事故の翌日には国家運輸安全委員会が現場に入って調査を開始しましたが、1771便は主翼や胴体はもちろんのこと、後部座席まで粉砕されているような悲惨な状況でした。
そしてなぜか、事故現場付近には燃えカスになっていない紙の束が散乱していたといいます。
繰り返しになりますが生存者は1人もおらず、それどころか遺体さえ個人が識別できるような状態ではありませんでした。
一説には、発見された遺体は最大でも足首くらいの大きさしかないほど四散していたともいわれています。そのため、乗客のうち身元が判明したのはわずか11人にとどまったそうです。
771便は時速670㎞もの速さで墜落したうえ、落ちた先が岩だらけの丘の斜面だったことから、このような凄惨な結果になったとされます。
パシフィック・サウスウエスト航空1771便墜落事故機の原因は機長射殺?
搭乗者全員が死亡しているため、パシフィック・サウスウエスト航空1771便墜落事故の原因を確定することはできません。
しかし、事故直後に調査に入った国家運輸安全委員会は、事故時の様子を知る唯一の手掛かりとなるコックピットボイスレコーダーと、フライトデータレコーダーの回収に成功します。
両方とも墜落時に5000Gほどの衝撃を受けたと見られており、ひしゃげた状態ではありましたが、データを取り出すことにも成功。そして、ここから事故前後に機内で起きていたさまざまなことが明かされていったのです。
ロサンゼルスを出発して約28分、乱気流について機長が管制塔に問い合わせをするまでの間、1771便は何のトラブルもなく順調なフライトを続けていました。
ところが、突然客室の方から2回、銃声のような音がすると機長たちの様子も一変。「なんだ?今の音は?」「銃声じゃないのか!?」と焦りはじめ、管制官に緊急事態発生を知らせる「スコーク7700」を伝えていました。
その直後、客室から女性のフライトアテンダントが駆け込んできて何かを叫ぶ声が記録されていましたが、解読できたのは「キャプテン!」という言葉だけだったといいます。
さらにこの1秒後に機長とも副操縦士とも違う男性の声が録音されていたとのことですが、これについても「問題」という単語しか聞き取れず、切迫した状況だけが伝わる内容でした。
このやりとりの直後さらに2発の銃声が響き、その6秒後に再び1発の銃声がした後、15秒後にコクピットのドアが開閉する音が録音されていました。
そしてコクピットドアの開閉音の32秒後に、最後となる6発目の銃声が客室の方から聞こえたとのことです。
国家運輸安全委員会は乗客の1人が客室で発砲した後にコクピットに入っきて、リンダムード機長とナン副操縦士に向けて発砲、その後、客室で別の人間に向けて再度発砲したか、銃で自殺したのではないかと見ました。
殺害したのか重傷を負わせたのかは不明ですが、乗客を装って搭乗した何者かが機長と副操縦士を銃撃したために、コントロールを失った1771便が墜落したという衝撃的な真実が、コックピットボイスレコーダーに残された音声から明らかになったのです。
パシフィック・サウスウエスト航空1771便墜落事故機の犯人
パシフィック・サウスウエスト航空1771便墜落事故の犯人とされているのが、デイビット・オーガスタス・バークという当時35歳だった男です。
バークはかつてニューヨーク州ロチェスターにあるUSエアウェイズ(PSAの親会社)の発券代理店で働いていました。
しかし、あまり素行の良くない人物だったようで、USエアウェイズを利用して生まれ故郷のジャマイカからロチェスターにコカインを密輸入している疑いを持たれており、逮捕・起訴こそされていなかったものの警察に目をつけられていたといいます。
また事故の前にバークは、USエアウェイズを解雇されていました。解雇理由は機内カクテルのレシートから70ドルを窃盗したことです。
解雇後、バークはマネージャーのレイ・トムソンに面談を申し出て再度雇ってもらえないか交渉を試みていました。しかし、トムソン氏はこれをはねのけ、バークの復職を拒んだとされます。
そのことを恨んだバークが、USエアウェイズとトムソン氏への復讐のために事故を引き起こしたと結論付けられたのです。
事故当時、会社を解雇されたバークはコカイン密輸入に関する捜査から逃げるためにロチェスターからロサンゼルスに生活拠点を移していました。
さらにトムソン氏はロサンゼルス国際空港で働いており、サンフランシスコ・ベイエリアの自宅からロサンゼルスに通勤していたといいます。
バークは復職を断られた直後に、トムソン氏が通勤に利用している1771便の航空券を購入していました。
また、機長らを撃った凶器として墜落現場から回収された「スミス&ウェッソンモデル29 .44マグナムリボルバー」を、事故直前に知人から借りたことも明らかになっています。
犯人を決定づけた証拠
墜落前に銃撃があったことから、発生直後からFBIもパシフィック・サウスウエスト航空1771便墜落事故の捜査に乗り出していました。
まずFBIが注目したのは、犯人はどうやって厳重なセキュリティチェックをかいくぐって機内に拳銃を持ち込んだのか、という点です。
FBIとしては今回の事故の真相解明のほか、再度同じような事件を起こさないためにも空港のセキュリティに穴がないか、しっかり探る必要があったのです。
普通に搭乗ゲートを通る場合、手荷物検査や金属探知機、X線などの厳しいチェックを受けることとなるため、拳銃を持って飛行機に乗ることは不可能と考えられます。
しかし、当時のロサンゼルス空港では空港関係者や航空会社の社員であればセキュリティチェックを受けずに飛行機に乗れたのです。
当時は空港関係者であることを示すIDを提示するだけで、搭乗ゲートを素通りできる従業員専用の通路が設けられていたといいます。
そこでFBIは事故当日、12月7日の1771便の搭乗者リストをチェックし、男性従業員として従業員専用通路を使った4人(機長、副操縦士を含む)に目をつけました。
一方、事故を引き起こした凶器とみられるスミス&ウェッソンモデル29 .44マグナムリボルバーは、事故発生の2日後に現場から回収されていました。
墜落の衝撃で原型をとどめないほど損傷していてもおかしくない状況でしたが、なんと2つに折れただけの状態で見つかったといいます。
FBIはこの拳銃を徹底的に調べ、引き金に犯人のものと思われる指の組織が残っていることを発見。
凶器の拳銃に残された指の組織と、従業員専用通路を使った4人の男性の指紋を照合した結果、浮上したのがデイビット・オーガスタス・バークだったのです。
バークはUSエアウェイズを解雇された後も、IDを返却せずに持っていました。このIDを使って従業員専用通路を通ることに成功し、凶器の拳銃を1771便に持ち込んだのでした。
犯行声明文のようなものも発見される
さらに墜落現場からは、搭乗後にバークがメッセージを書いたと思われるエチケット袋も発見されました。
袋には以下のような言葉が、バークの元上司であったレイ・トムソン氏宛てに書かれていたといいます。
パシフィック・サウスウエスト航空1771便墜落事故機の犯人の行動
残された証拠を整理した結果、パシフィック・サウスウエスト航空1771便墜落事故は以下のような流れで発生したのではないかと考えられました。
・飛行機がカリフォルニア中央海岸上空に差し掛かった時、バークが客室でレイ・トムソン氏に2発拳銃を発砲。
・その後、コックピットに緊急事態を報告しに行った女性のフライトアテンダントに発砲。
・次いで機長と副操縦士に向けて1発ずつ発砲。
・機長と副操縦士を殺害、もしくは無力化した後で操縦棹を思い切り下げて機首を下に向け、1771便を急降下させる。
コックピットボイスレコーダーによるとこの後、バークはコックピットを出て客室に戻り、最後に1回発砲しています。
これが誰に向けての発砲だったのかは分かっておらず、当初はバークが自殺したのではないかと見られていました。
しかし、発見された拳銃の引き金にバークの指の組織が挟まっていたことから、墜落時も拳銃を握ったままだった=バークは墜落まで生きていた可能性が高いという結論に至ります。
そのため、最後に1発はたまたま搭乗していた非番のパイロット、ダグラス・アーサーに向けたものだったのではないかという説が有力です。
おそらく急降下していく機体をレスキューしようとしたアーサー氏がコクピットに向かい、それを阻止するためにバークが撃ったのではないかと考えられています。
パシフィック・サウスウエスト航空1771便墜落事故機のその後・現在
パシフィック・サウスウエスト航空1771便墜落事故が起きた後、航空会社や空港の従業員が退職した場合には速やかにIDを回収することを義務付ける法案などが可決されました。
また、事故の起きた1771便には大手エネルギー企業のシェブロンUSAの社長や、通信会社のパシフィック・ベル社の幹部らが乗り合わせており、全員が命を落としました。
そのため大企業では、経営者や幹部が複数人でPSAの便を利用することを禁じるなどの決まりができたといいます。
パシフィック・サウスウエスト航空1771便墜落事故機についてのまとめ
今回は1987年12月7日に発生した衝撃的な航空事故・パシフィック・サウスウエスト航空1771便墜落事故について、墜落の原因や犯人、犯行動機を中心に紹介しました。
大勢の無関係の人々を巻き込んで逆恨みの復讐をした犯人の行動が許しがたいものですが、そもそもバークのIDを退職時に回収していれば、空港職員にも厳しいチェックをしていれば、このような惨事は防げたはずです。
航空会社も空港もまさかIDを悪用する人間がいるとは思っていなかったのかもしれませんが、その点が残念でなりません。