ボーガンで家族4人を殺傷した「宝塚ボーガン殺傷事件」の犯人・野津英滉が注目されています。
この記事では野津英滉の生い立ちや父親母親、兄弟などの実家の家族、高校の卒アル画像や大学と経歴、結婚、事件現場の自宅と事件の経緯と犯行の動機、裁判の判決と現在についてまとめました。
この記事の目次
野津英滉は長男により家族4人が殺傷された宝塚ボーガン殺傷事件の犯人

野津英滉(のづ・ひであき)は、2020年6月4日、兵庫県宝塚市の民家で家族4人が殺傷された「宝塚ボーガン殺傷事件」の犯人です。
野津英滉は事件当時23歳で、事件を起こす約8ヶ月前の2019年9月末に大学を除籍になっており当時は無職でした。
「宝塚ボーガン殺傷事件」は、2020年6月4日午前10時15分頃に発生。野津英滉がボーガン(洋弓銃)で自身の祖母(好美さん、事件当時75歳)、母親(マユミさん、事件当時47歳)、弟(英志、ひでゆきさん、事件当時22歳)の3人を殺害し、伯母(事件当時49歳、西宮市在住で事件発生直後に来訪)にも重傷を負わされたという衝撃的な事件です。
その後の報道や裁判では、野津英治の複雑な家庭環境や、本人、弟、母親が共に発達障害の診断を受けていた事なども明らかになり、壮絶な犯行の内容とも相まって社会からの注目を集めています。
ここでは、この野津英滉の生い立ちや家族、高校や大学などの経歴と事件に至るまでの経緯と事件自体の内容、裁判の詳細と現在の状況などを中心に、報道されている情報に基づいて詳しくまとめていきます。
野津英滉の生い立ち

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野津英滉は幼い頃から複雑な家庭環境の中で育った生い立ちを持つ事も明らかにされています。
野津英滉の生い立ち① 幼い頃に両親が離婚し母親と弟との3人家族で育つ
裁判記録によると、野津英滉は1996年12月11日に長男として生まれています。翌年には今回の事件の被害者の1人となる1学年下の弟も誕生。
しかし、それからわずか数年後の2000年頃に両親が離婚しており、以降は母親と弟との3人家族で育っています。
野津英滉の生い立ち② 家族全員が発達障害と診断されていた
こちらも法廷やその他の報道で明らかにされた内容ですが、家族全員が発達障害と診断されていたようです。
野津英滉の母親は先天的なアスペルガー症候群(「自閉スペクトラム症(ASD)」に分類される発達障害の一種)と診断されており、IQ78の境界知能であり、うつ病を患い精神科にも通っていたという情報が明らかにされています。
また、野津英滉の弟も知的能力がやや平均を下回り衝動的で暴力を振るう傾向があり、多動性障害との診断を受けていたとのことです。
そして、野津英滉自身も、小学生の頃に自閉症スペクトラム症と診断されており、同居する家族全員が発達障害という特殊の家庭環境(しかもうち2人は子供)で育っています。
この特殊な家庭環境で育った生い立ちが、野津英滉が事件を起こした動機に関連しているとの見方も出ています。
野津英滉の生い立ち③ 母親と弟の異様な関係
裁判での検察側の陳述や野津英滉本人の供述によると、母親は弟が生まれてからは、その育児につきっきりとなり、野津英滉は疎外感を抱いていたとされています。
そして、母親と弟との関係は、一般的にみて異様だと感じられるもので、日常的に舌を舐めあったり、じゃれあうような行動(本人供述によると「同級生がイチャイチャとじゃれあうような関わり」)が見られたといいます。
また、母親が作る食事もカップ麺の上にご飯を乗せたものなど「小学生が思いつくようなもの」であり、野津英滉は、最初はそれが普通だと思っていたものの、学校で同級生の弁当と見比べて「ちょっと違うな」と思うようになったと供述しています。
以上のような内容から、野津英滉は安定した家庭環境とは言い難い状況で育った生い立ちを持つ事は間違いないとみられています。
野津英滉の生い立ち④ 弟との不仲と母親への不満
野津英滉の弟は衝動的で暴力を振るう傾向にあり、小学校の頃には野津英滉に対しても「ガイジ」などと誹謗中傷するようになり、そのことで野津英滉は自身の発達障害を同級生らに知られることになり、小学校を休みがちになったとされています。
また、野津英滉は法廷で弟について「いらんことしいのクソガキ」と表現し、弟が嫌がることをわざとし、自分のわがままが通るまで駄々をこねていた事などを供述しています。
一方、母親についても、怒ると口を聞いてくれなかったり、物を壊したり、行先も告げずに家を出て外泊することがあったとし、中学生に入る頃には、「母の資質を疑った」、「親としての資格がないのでは」などと思うよになり母親としての役割を果たしていないと不満を抱くようになったとしています。
この頃には野津英滉も母親に対して暴力を振るうようになった事なども裁判で明らかにされています。
野津英滉の生い立ち⑤ 中学時代には自殺を考える
野津英滉は中学時代に強迫性洗浄障害と診断された事も明かしています。
何度も手を洗ってしまい、トイレに1~2時間こもるなどし、その事でさらにストレスがたまり自殺を考えたが、「自殺しても母親は何も感じないどころか、自分の良いようにあれこれと言うだろう」と考えて嫌気がさし、この時は「それならば前向きに生きよう」と前向きに考えたと供述しています。
なお、中学時代の野津英滉については、当時の同級生の証言によると、サッカー部に入部したが1年の途中から練習に来なくなり幽霊部員だったことや、勉強も熱心でなく、放課後にはすぐに帰って自宅でゲームをするような目立たないタイプだったという事です。
野津英滉の実家と事件現場となった自宅についての情報

報道や裁判記録によれば、「宝塚ボーガン殺傷事件」の現場となったのは、野津英滉が当時住んでいた兵庫県宝塚市安倉西2丁目の民家です。
この家は、宝塚市役所から東へ約1キロメートル、武庫川沿いに広がる閑静な住宅街にあると報じられています。しかし、この家は野津英滉が生まれ育った「実家」ではなく、当時、野津英滉が住んでいた祖母の自宅です。
野津英滉は中学時代に母親に対して暴力を振るうようになったため、実家を出てこの祖母の自宅で暮らすようになったという背景がありました。
その後、弟も実家を離れて祖母の家で住むようになり、事件当時、野津英滉は祖母と弟と3人で暮らしていたという事です。
野津英滉が中学まで育った実家の詳しい場所は明らかになっていませんが、公営団地だったとの情報が報じられています。
自宅の近隣住民との関係について
事件現場となった祖母の自宅の近隣住民の証言によれば、野津英滉と祖母の間には以前からトラブルがあったとされています。
警察が駆けつける事態も度々あり、祖母が「孫から怒られたり文句を言われたりする」と周囲に漏らしていたという報道もあります。
野津英滉の家族…事件被害者の母親、祖母、兄弟、伯母と生き別れた父親

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「宝塚ボーガン殺傷事件」は、野津英滉の家族への積年の怒りの感情が動機となり引き起こされたとみられています。
裁判では、野津英滉の家族のそれぞれが発達障害を抱え、愛情やコミュニケーションが著しく欠如した、歪な関係性も明らかにされました。
ここでは、事件の被害者となった野津英滉の母親と祖母、ただ1人の兄弟である弟、子育てにも関わっていたという伯母、そして、野津英滉が幼い頃に離婚して生き別れとなった父親についてみていきます。
野津英滉の家族① 母親・マユミさん
野津英滉の動機の中核になったとみられているのが、母親のマユミさんへの強い憎悪の感情でした。野津英滉の供述からは、母親からの愛情を感じられずに育ったという強い想いが浮かび上がります。
野津英滉がまだ幼かった両親は離婚し、母親のマユミさんはシングルマザーとして幼い兄弟2人を育てましたが、自身も先天的なアスペルガー症候群(発達障害の一種)を抱えている事に加えて、平均よりも知能が低い「境界知能」であったとされています。
そうした障害が影響したのかは明確ではないものの、母親のマユミさんの子育ては一般的とは言い難いものだったようで、まともな食事も用意できず、うつ病を理由に仕事(外回りの営業の仕事をしていたとの情報)も辞めて生活保護を受けて生活していたという事です。
そして、野津英滉が母親のマユミさんへの憎悪を募らせる最大の原因となったのが、弟の英志さんへの偏愛でした。
野津英滉の目には、母親は弟に付きっきりで、自分は放置されていると映っていました。さらに、母親と弟が日常的に舌を舐め合ったり、じゃれ合ったりする異様な関係性を目の当たりにし、「母親ごっこをする女の子みたいだった」と母親の資質そのものを疑うようになっていきます。
野津英滉が中学生になると、母親への不満は暴力という形で現れます。一方で、マユミさんも息子の異常性を感じ取り、恐怖を抱いていたようです。事件前には、自身の姉である伯母(事件の被害者)に「息子(野津英滉)に殺される不安を感じている」と漏らしていたことが、法廷で明らかになっています。
しかし、野津英滉の「愛情をもらえなかった」という認識とは裏腹に、マユミさんが通院していた精神科のカウンセリング記録には、長男である野津英滉を心配する様子や、「自分が母親でなければもっと幸せに育っただろう」と嘆く言葉が残されていました。
そんな母親のマユミさんは、事件当日、野津英滉に「学校の書類のことで来てほしい」と嘘の口実で呼び出され、自宅(祖母の家)の玄関でボーガンで頭部を撃たれ、47歳で命を落としました。
野津英滉の家族② 兄弟は1学年下の弟・英志さん1人

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野津英滉にとって、母親の愛情を独占する存在に見え憎しみの対象とされていたのが、ただ1人の今日である弟・英志(ひでゆき)さんだったとみられています。
英志さんもまた多動性障害を抱えおり、衝動的で暴力的な一面が見られ、兄である野津英滉を「ガイジ」などと呼び、からかうこともあったとされています。これにより、野津英滉は自身の発達障害を周囲に知られることになり、学校などで孤独を強めたと主張し、弟についていらんことしいのクソガキ」と表現しています。
他にも野津英滉は弟の英志さんについて、「虚言癖がすごかった」、「争いになると、必ず相手が悪いように言う」、「母親が弟の暴力によって自宅を出た時も、周囲に『男を作って家を出た』、『母は奨学金150万円を盗んでいった』などと嘘を言い同情を誘おうとしていた」などと供述し、さらに、祖母に対しても暴力を振るい現金や携帯電話を取り上げたりしていたとも供述しており、ただ1人の兄弟である弟・英志さんを強く嫌悪していた事が窺えます。
また、弟・英志さんは幼少期に母親からの寵愛を受けていたとされ、野津英滉は兄弟の扱いの格差を感じ、嫉妬と憎悪をかき立てたとみられています。
一方で、母親は弟の暴力が原因で一時的にシェルターに避難したこともあったとの内容も明らかにされています。
兄弟の実家(県営住宅)の近隣住民の証言によれば、兄の野津英滉が「挨拶してもペコッと頭を下げるだけ」という大人しいタイプだったのに対し、弟の英志さんは「ハキハキ挨拶する明るい子」で、兄弟で随分と印象が違ったようです。
この近隣住民によれば、弟の英志さんは小さい頃からバスに乗って遠くの剣道場まで稽古に行っていたとの事です。
また、兄弟の中学時代の同級生の証言によると、兄の野津英滉がサッカー部をすぐに幽霊部員になったのに対して、弟の英志さんもサッカー部に入ってレギュラーとして活躍していたという事です。さらに、弟の英志さんについては「友達も多く、兄と違って『クラスの人気者』って感じでした」と証言しており、1学年差の兄弟の格差が学校内でも生じていた事が窺えます。
弟の英志さんは、高校卒業後は大学ではなく専門学校に進学し、2019年10月に建設関連の会社(大手住宅メーカーとの情報)への就職を決めていたという事です。一方の野津英滉は2019年9月末に大学を除籍となって無職となっており、ここでもまた現れた兄弟の格差に絶望した事が事件の動機となった可能性も指摘されています。
そんな弟の英志さんは、事件当日、自宅の風呂場あたりで野津英滉にボーガンの矢2本を頭部に撃ちこまれて殺害されています。死因は出血性ショックで、22歳でした。
野津英滉の家族③ 祖母・好美さん
母親に怒りを募らせて暴力を振るうなど関係が悪化していた野津英滉にとって、祖母の好美さんの家は一時的な避難場所になっていたと考えられます。しかし、その関係も次第に破綻し、祖母もまた事件の犠牲者となりました。
野津英滉は中学生の頃に母親のマユミさんに暴力を振るうようになったのがきっかけとなり、近くの祖母の家(事件現場となる民家)に身を寄せるようになります。事件当時は、この祖母の家で、祖母と弟との3人暮らしでした。
当初は良好だったとされる野津英滉と祖母との関係も、次第に悪化していきます。近隣住民からは、警察が駆けつけるほどのトラブルが度々あったことや、祖母が「孫から怒られたり文句を言われたりする」と漏らしていたことが証言されています。
野津英滉は裁判では祖母に対しても恨み言を述べており、「被害妄想が激しい人」、「自分だけが苦労していると考え、責められると言い逃れをする」、「母の年取ったバージョン」、「母親の元凶は祖母」などと表現し、不快感を露わにしてました。
祖母は事件当日の早朝5時にトイレにいるところを野津英滉に襲撃され、右側頭部にボーガンの矢を撃ち込まれて殺害されています。
野津英滉の家族④ 父親
野津英滉の父親は、幼少期に離婚して生き別れて担っており、その情報は限られています。
野津英滉は祖母から父親が母親と離婚する際に、「こんな奴に子を育てられるか」と親権を主張していたと聞かされていたと供述しており、それが事実であれば父親は子供たちの親権を争っていたという事になります。
しかし最終的には親権は母親のマユミさんが持つ事となり、結果として今回の事件が引き起こされる事につながりました。
離婚後、父親が野津英滉の人生にどのように関わっていたのかは、裁判の報道などではほとんど触れられていません。おそらく関わりはなく、野津英滉の人生において、父親は「不在の存在」であったことがうかがえます。
野津英滉の家族⑤ 伯母
野津英治の母親の姉にあたる伯母(事件当時49歳)も今回の事件の被害者ですが、首をボーガンで撃たれて重傷を負いながらも一命を取り止め、事件の唯一の目撃者であり証人となっています。
野津英滉が引き起こした事件の全貌がかなり詳しくわかっているのは、この伯母の証言によるところが大きいようです。
この野津英滉の伯母ですが、自身の妹である母親の2人の兄弟の子育てをサポートしていたようです。事件当時も野津英滉に電話で呼び出されて自転車で来訪している事から、妹と2人の甥っ子を気にかけていた事が窺えます。
しかし、その伯母もまた、来訪したところを野津英滉に襲撃され重傷を負う事になりました。この伯母は隙を見て逃げ出し、近所の人に助けを求めています。
ただ、野津英滉は伯母に対しては他の家族に対してほどの強い恨みを募らせていたわけではないようで、ボーガンで撃った後、伯母に対しては「お前は助けたる」、「後で救急車呼んだるから黙っとけ」、「ごめん、ヘルメットつけてたから一発で殺せなかった」などと言っていたという事です。
この野津英滉の伯母ですが、裁判後に殺害された家族の無念を語るとともに、甥である野津についても「大切な家族」とし、「罪と向き合わせることで償わせるという裁判所のご判断は、私にも響きました」と、加害者と被害者双方の家族としての複雑な心境を明かしています。
野津英滉の経歴…高校時代や大学を除籍になるまで【卒アル画像あり】

野津英滉の中学卒業後の高校や大学への進学。そして大学を除籍となってから「宝塚ボーガン殺傷事件」を引き起こすまでの経歴についても追っていきます。
野津英滉の経歴① 高校は卒アル画像から「三田松聖高校」の可能性が高い

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野津英滉は中学卒業後は兵庫県三田市内の高校に進学したと報じられています。
野津英滉の高校時代の卒アル画像も公開されており、その制服が手がかりとなって出身高校は兵庫県三田市の私立「三田松聖高校」である可能性が高いとみられています。
野津英滉の高校時代については、信頼できる教師や友人に恵まれた事でそれまでより精神的に安定し、ガソリンスタンドでのアルバイトも始めるなど前向きな一面も見せていたようです。

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そして、高校3年生の頃には大学受験を決意し、勉学に励んだ結果、神戸学院大学人文学部に合格しています。
野津英滉の経歴② 神戸学院大学では法曹界を志し法学部へ転部

野津英滉は神戸学院大学人文学部に入学しましたが、その後、警察官や自衛官、法曹界を志すようになり、2016年4月から法学部に転部しています。
しかし、その大学生活は長くは続きませんでした。一部報道によると野津英滉は2019年春から大学を休学し、そのまま学費未納により2019年9月に除籍となっています。
大学を休学した理由ですが、野津英滉の供述によれば、弟の暴力によりシェルターに入っていた母親が戻ってきた事での身体の不調だったようです。本人の供述によれば、母親が戻ってきた頃から頭の回転が遅くなり、脳を使いたいように使えないと感じるように、腸の調子もおかしくなり、排便したい時に出なかったり、逆に排便をしようとしていないのに出てしまったりという事が起きるようになったという事です。
病院でMRI検査を受けるも異常は見つからず、不調の原因はわからず、日常生活もままならなくなって将来を悲観しこの頃に再び自殺を考えるも、「自分が死んでも家族は原因を顧みようとせず、好きなことを言うんだろう」と想像して思いとどまったとされます。
逮捕当時、野津英滉は「大学4年生」と供述していましたが、実際には大学生ではなく無職でした。アルバイトなどもせずに自宅に引きこもりがちであったとみられています。
野津英滉の結婚について
野津英滉の「結婚」についてもネット上で検索されているようですが、宝塚ボーガン殺傷事件に関する数多くの報道や裁判記録において、野津英滉が結婚していた、あるいは特定の恋人がいたといった情報は1つもありません。
この事から、野津英滉は結婚はしておらず、特定の恋人もいなかった可能性が高いとみられています。
野津英滉の起こした「宝塚ボーガン殺傷事件」の経緯

野津英滉が引き起こした「宝塚ボーガン殺傷事件」の経緯についてもみていきます。
事件が発生したのは2020年6月4日の午前5時頃から10時過ぎにかけてでした。
野津英滉はまず、祖母の好美さんを襲撃しました。裁判の供述によると、祖母がトイレのドアを開けたまま用を足す癖を利用し、2~3メートルの距離から左側頭部をボーガンで撃ち、殺害しています。その後、野津英滉は遺体を引きずって祖母の部屋のベッドの下に隠しています。
続いて、起床してきた弟の英志さんの側頭部を狙ってボーガンを発射。矢が刺さりながらも動いている様子があったため、さらに「とどめ」としてもう1本矢を放ち、殺害しました。弟は風呂場のあたりで倒れており、頭部には2本の矢が刺さった状態でした。
祖母と弟の殺害後、野津英滉はすぐに別居していた伯母と母親のマユミさんに連絡を取りました。伯母には携帯電話で「大変なことになった」と伝え、母親には携帯電話のメッセージ機能を使って「大学の書類のことで来てほしい」という趣旨の嘘の口実で呼び出しました。
午前10時頃、連絡を受けて駆けつけた伯母は、家の中で倒れている弟・英志さんの姿を発見し、その名を呼びながら体を揺さぶりました。野津英滉はその隙を狙い、伯母の首の後ろをボーガンで撃ちました。矢は首に命中し伯母は重傷を負いましたが一命を取り止めました。ヘルメットをしていたため、即死する側頭部ではなく首を狙ったためでした。
伯母が撃たれた直後、同じく呼び出されていた母親のマユミさんが自宅に到着。野津英滉はマユミさんが玄関から入ってきたところを、祖母や弟と同じように側頭部を狙ってボーガンで撃ち殺害しています。
伯母は、首に矢が刺さった状態のまま自力で屋外に脱出し、近隣住民に助けを求めました。その住民は午前10時15分頃に「首に矢のようなものが刺さっている女性がいる」と119番通報しています。
通報を受けて駆けつけた警察官が、自宅前の路上にいた野津英滉を発見。殺人未遂の容疑で現行犯逮捕しました。逮捕時、野津英滉は「私が3人を殺害しました」、「家族全員を殺すつもりだった」などと供述しています。
現場からは凶器となったボーガンと、殺傷能力を高めるために「返し」が付けられた矢が5本発見されました
事件で使用されたボーガンについて
事件で使われたボーガンは、野津英滉自身が購入したものでした。当時、ボーガンは法的な規制が緩く、インターネット通販などで容易に入手できる状況にありました。この事件の重大性を受け、2022年3月15日に改正銃刀法が施行され、ボーガンの所持は原則として禁止されることとなりました。
野津英滉が自らの母親や兄弟ら家族を殺傷した動機
野津英滉が母親やただ1人の兄弟である弟、伯母など家族を殺害した動機についてもみていきます。
逮捕後の取り調べや裁判で、野津英滉は一貫して「家族全員を殺すつもりだった」と供述しました。その動機について野津英滉は、積年の恨みによる「家族関係の清算」と、それによって自身が「死刑になること」だとする趣旨の供述をしています。
野津英滉は裁判で、自らの不遇な家庭環境が犯行の原因であると主張しました。母親からの愛情を感じられず、弟との確執、自身の発達障害による生きづらさなど、積もり積もったストレスが、家族全体への憎悪へと変化しこれが動機となったとみられています。
また、野津英滉は大学2年生の頃から心身の不調が悪化し、部屋に引きこもりがちになり、将来を悲観して自殺も考えたと述べています。しかし、自分が死んでも家族は何も省みず、自分に都合のいいように話すだろうと考え、「それならば全員を殺して、自分の苦しみを世間に知らしめた上で死刑になろう」という歪んだ結論に至ったとされます。
4人殺害すれば確実に死刑になるだろうという計算も働いていたとされ、これが次々と家族をボーガンで射殺する凶行のもう1つの動機であったと考えられています。
野津英滉の裁判と判決

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野津英滉の裁判の経緯と判決についてもみていきます。
神戸地方裁判所で開かれた裁判員裁判では、野津英滉が起訴内容を認めたため、刑事責任能力の程度と量刑が最大の争点となりました。
検察側は「3人を殺害した計画的で残忍な犯行」として死刑を求刑。一方の弁護側は、「犯行当時は心神耗弱状態にあった」として、懲役25年が妥当だと主張しました。
2025年10月31日、神戸地裁の松田道別裁判長は、野津英滉に対し無期懲役の判決を言い渡しました。
判決では、野津英滉の自閉スペクトラム症や強迫性障害が動機形成に関連したことは認めつつも、「自らの判断で犯行に及んでおり、制御能力を十分に有していた」として完全責任能力を認定し、心神耗弱の主張を退けました。
その上で死刑を回避した理由について、「不遇な家庭環境で育ち、精神科の受診もできないまま一人で問題を抱え込み、自殺ではなく『死刑になる』という極端な思考に至った経緯は、被告人だけを一方的に非難することはできない」と指摘。「家庭内で起きた事件であり、反社会性が高いとまでは言えない」ことなどを考慮し、「生涯をかけて罪に向き合わせることが相当」と結論付けました。
この判決に対し、野津被告自身、弁護側、そして検察側のいずれも控訴せず、2025年11月14日の控訴期限をもって無期懲役の判決が確定しています。
野津英滉の現在
最後に野津英滉の現在の状況についてもみていきます。
無期懲役が確定した野津英滉は、現在、刑務所に服役中です。具体的な収監先については公表されていません。
事件から5年が経過した法廷でも、家族については「殺されるに値する」と述べ、反省の言葉を口にすることはありませんでした。
生涯をかけて自らの罪と向き合うことになった彼の更生の道のりは、極めて厳しいものになることが予想されます。
まとめ
今回は、2020年6月4日に発生した「宝塚ボーガン殺傷事件」で、母親と兄弟、祖母の3人をボーガンで射殺し、伯母にも重傷を負わせた野津英滉についてまとめてみました。
野津英滉は幼い頃に両親が離婚し、家族全員が発達障害と診断されている母子家庭で育つという特殊な生い立ちを持ちます。自身は自閉スペクトラム症と診断されており、家族との関係でのストレスから精神的な疾患も患っていたとみられています。
野津英滉は高校を卒業後、神戸学院大学に進学し、一時は警察官や自衛官、法曹界を志していましたが、心身の不調から大学を休学してそのまま除籍となり、それから半年後に家族をボーガンで惨殺する凄惨な事件を起こしました。
野津英滉は動機について、家族への積年の恨みと死刑になる事を目的としていたとする趣旨の供述をしています。その後、野津英滉は無期懲役の判決が確定し、現在は服役中です。

















