世界平和大観音像は1982年に淡路島に建立された全長100mを超す巨大観音像で、現在は解体されています。この記事では世界平和大観音像の場所や内部、解体までの流れ、飛び降り事件や統一教会との噂、跡地について紹介していきます。
この記事の目次
世界平和大観音像の概要
世界平和大観音像は1982年、兵庫県淡路市釜口に建てられました。
観音像そのものの大きさは高さ約80m、台座も含めると100mで、大阪湾や紀伊半島からも姿が確認できるほどの巨大さを誇ります。
この観音像を作ったのは大阪市内で事業用ビルや賃貸マンション、商業用店舗などを運営している株式会社オクウチグループの創業者である奥内豊吉氏という人物です。奥内氏の出身が淡路島であったため、淡路市釜口に建立されたといいます。
総工費はおよそ53億円。建造当時は世界でも最大規模の観音像であった世界平和大観音像は、多い時には1日に2000人もの観光客が訪れるほどの観光名所でした。
しかし、1988年に奥内氏が亡くなると管理が困難になり、老朽化が進んで周辺住民からも倒壊を危ぶむ声があがるようになっていきます。
そして2006年には正式に閉館。2020年には国が廃墟と化した世界平和大観音像と周辺施設の所有権を獲得し、なんと8億円以上もの費用をかけて解体するに至ったのです。
現在では解体が完全に完了していおり、跡地の活用に注目が集まっています。
世界平和大観音像の場所
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世界平和大観音像および、観音像があった平和観音寺の住所地は兵庫県淡路市釜口2006-1です。
淡路市コミュニティの「津田」バス停留所から徒歩5分程度の場所にありました。
世界平和大観音像の内部
世界平和大観音像は地下1階、地上5階建ての台座部分の上に観音像が乗っているという構造で、2006年2月の閉館までは内部も公開されていました。
観音像の前にある朱塗りの門で拝観料を支払う決まりになっていたそうで、拝観料は時期によって違いがあった模様です。調べたところ、観光客の多かった1980年代には800円だったという情報がある一方で、500円だった、閉館前に行った時には400円だったいう情報も見られました。
まず、地下1階は奥内氏がコレクションしていたクラシックカーの展示スペースとなっており、1960年代に製造された日本車などを中心とした名車が所狭しと飾られていたといいます。
1階は「豊清山平和観音寺」という宗教施設で、四国八十八ヶ所霊場から運んできた砂利が敷かれていました。
これは「四国八十八ヶ所お砂踏み」というもので、四国八十八ヶ所各霊場寺院から持ち帰って砂を別の場所で踏むことで、実際に霊場を巡拝したのと同じ功徳が積めるというものです。
そして、この奥に豊清山平和観音寺の本尊がありました。
「観音寺」といっても、正式に宗教法人格を取得していたわけではなく、奥内氏が個人的に儀式行事を行っていただけとのことです。
なお、世界平和大観音像の内部で宗教施設らしさが強く感じられるのはこの1階部分のみだったといいます。
2階と3階は奥内氏の施設美術館で、2階にはピカソやミロ、ビュッフェ、藤田嗣治らの名画の複製が展示されていました。
3階は近代陶芸および時計の美術館となっており、年代物の置時計などが展示されていたそうです。ただ、ガラスケースに入って1つ1つきれいに並べられていたわけではなく、開閉ができるガラス棚に雑多に並べられていただけだったといいます。
4階は観光名所らしく展望レストランと土産物売り場でした。このレストランから大阪湾が一望できるというのがウリだったようです。
また4階にはラドン温泉もあったとされ、もしかしたら世界平和大観音像を宿泊施設として運営する計画もあったのではないかと言われています。
最上階の5階は民俗博物館となっており、奥内氏が蒐集した鎧兜が畳の間に置かれていました。
ただ、こちらも特別な手入れなどはされていなかったようで、黴臭かった、ほこりが酷くてくしゃみが止まらなかったという感想がネット上では見られました。
閉館前に行ったにもかかわらず美術館や博物館などの展示スペースはもちろん、レストランや土産物売り場にもスタッフがいなかったとのコメントも見られましたので、入館料をとって客を入れていたものの、かなりの期間、内部は手入れしていなかったのでしょう。
また、1階のエレベーターホールからは観音像の首の部分にあたる10階まで上ることができ、10階部分はフェンスに囲まれた展望スペースになっていました。
淡路島の海岸が臨めて景観は良かったものの、この展望スペースそのものの見た目がよくない、との批判もあったそうです。
外から見ると、ちょうど観音像の首周りに展望スペースがあったことから、まるで観音様がむち打ち用のギプスをしているように見えたのです。そのため世界平和観音像は別名「むち打ち観音」と呼ばれることもあったといいます。
世界平和大観音像解体までの流れ
前述のように設立者の奥内豊吉氏が1988年に亡くなった後から、世界平和大観音像は放置され、老朽化が進むことになりました。
奥内氏の死後、いったんは奥さまが相続して管理していたものの、その奥様も2006年に死去。
親族たちも取り壊すにしてもお金がかかり、運営も困難な世界平和大観音像の相続を放棄したといい、一時はアメリカのリーマン・ブラザーズ系の金融機関が債権を持ったものの、2008年9月にはリーマンショックの影響で別会社に債権が譲渡されました。
同時期に神戸地裁も競売にかけていましたが、買い手がつかなかったといいます。
2012年頃には売却の話も出たものの、不動産取得税などが高額になるためこの話は立ち消えてしまいました。
再利用が極めて難しい特殊な肝臓物であるにもかかわらず、この時点での世界平和大観音像の評価額は6億2000万円にものぼったそうです。そうなると税金も高額になります。淡路市も税金の減免措置を講じたものの、買い手は現れませんでした。
こうして世界平和大観音像は放置され続けたのですが、相続されず、買い手も現れなかった不動産というのは、最終的に民法第239条第2項に基づいて国庫に帰属することになります。
そのため世界平和大観音像も2020年3月30日付で国の財産となりました。
地元住民の反応
淡路市釜口の住民の多くは世界平和大観音像の老朽化を憂いていたといいます。
解体もされず、かといって補強工事もされないまま巨大な建造物が放置されていたことから「いつか崩れてくるのではないか」「観音像周辺の敷地も荒れ放題で、草刈りくらいはしたいが私有地なので入れない」と心配する声が多くあがっていました。
2011年に淡路市職員らが調査を行った際には、雨漏りや天井板の剥落、非常階段の腐食などが確認され、危険な状態との結論が出たといいます。
そのため国庫に帰属されて解体が決まった際には、安堵する住民が少なくなかった様子です。
ただ、地元では頭痛の種であったと同時に愛されてもいたようで、建設当時の賑わいを知る人や町内会長からは「昔は観音様の前に観光バスが何台も停まって、この辺りは大騒ぎだった」「商店をやっていると納品も増えて、景気も良くなった」「いざなくなると、寂しい」という声も聞かれました。
世界平和大観音像の解体費用は8億8000万円
2020年4月、財務省近畿財務局は世界平和大観音像の完全解体を発表。観音像と周辺の関連施設は撤去されることとなりました。
解体費用は資産でなんと8億8000万円。これだけの額が税金から出されるわけですから、当然ながら世間からも「税金の無駄遣い」という声があがりました。
高さが100mもある建造物の解体なので、どうしても費用も高額になってしまうのです。
工程としては、まず観音像の頭部から外壁のモルタルを少しずつ崩して内側の空洞部分に落としていき、どんどん骨組みだけの状態にしていき、観音像を壊したら台座部分や基礎を取り壊すというものでした。
こうして2021年6月14日に解体作業が開始され、2022年5月中に世界平和大観音像と周辺の解体・撤去工事は完了しました。
世界平和大観音像の現在・跡地はどうなる?
現在、世界平和大観音像のあった場所は空き地となっています。国は2025年度中に跡地の埋没物の調査などを終えて不動産鑑定評価を行う予定と発表しています。
そしてその後、淡路市の意向も確認しながら土地を競売にかけるとのことです。
地元住民からは跡地の利用について「観光客の誘致に役立つものだと嬉しい」とホテル建設を望む声や、「景観がとても良い場所だから、タワーマンションを建てたら移住者や別荘購入者が増えるのでは?」といった声があがっています。
世界平和大観音像に関する噂① 飛び降り事件があった?
倒壊する前に解体工事が完了し、幸いにも工事中も大きな事故が起こらなかったという世界平和大観音像。
しかし、2020年2月2日の16時50分頃、立ち入り禁止になっていた世界平和大観音像の内部に侵入した男性が展望スペースから飛び降りるという自殺事故が起きています。
展望スペースは観音像の首の部分にあたる高所のため、飛び降りた男性は即死。たまたま近くを通りかかった近隣住民が、自殺の一部始終を目撃して119番通報したものの、救急隊が駆け付けた時には男性は死亡していました。
男性が1人で世界平和大観音像に入ったのか、誰かに突き落とされたのではないかと当初は事件性も疑われましたが、展望スペースに男性の靴がそろえて置かれていたことなどから、自殺の可能性が高いと報じられています。
世界平和大観音像に関する噂② 統一教会と関係がある?
前述のように、世界平和大観音像は奥内豊吉氏が個人で建立したものであり、既存の宗教法人とは無関係の施設です。
ところが安倍晋三元首相が銃殺され、自民党と統一教会の関係が明るみに出始めた頃に「世界平和大観音像も統一教会と関係があったのではないか?」と怪しむ声がネット上にあがっていました。
世界平和大観音像が国庫に入ったことから「宗教施設の国営化ではないのか」との指摘が出て、そこから国と強固な関係がある宗教といえば統一教会だ、と繋がっていたようです。
しかしながら世界平和大観音像は寺や観音像を名乗ってはいるものの、実態は個人が私財で建てた観光スポットであり、相続放棄と買い手がつかなかったために仕方なく国が保有することになっただけの不動産です。
そのため世界平和大観音像が実は統一教会と繋がっていたという事実はありません。もし本当にメジャーなカルト宗教と関係のある施設だったなら、どこかで買い手がついていたのではないでしょうか。
世界平和大観音像に関する噂③ 解体前は心霊スポットだった?
2011年に淡路市の職員らが調査を行ったところ、世界平和大観音像の内部からは盗難されたものがあること、さらに壁や床に多数の落書きがされていたことが確認できたといいます。
2006年に閉館して以降、廃墟探索で無断で侵入する人や盗みに入る人が多かったのでしょう。
また、世界平和大観音像は展望スペース部分がギプスのように見えることから「首折れ観音」という不気味な別名で呼ばれていたそうで、心霊スポットとしても有名だったようです。
とくに地下1階のトイレに女性の霊が出るという噂があったようで、過去にはYouTubeやニコニコ動画にも肝試し動画が上がっていました。
世界平和大観音像についてのまとめ
今回は1988年に建設、2022年に解体・撤去された兵庫県淡路市にあった巨大観音像・世界平和大観音像について紹介しました。
個人が趣味で建てた豪華すぎる建造物の撤去に多額の税金が投入されるのか、と脱力した方も少なくないと思います。せめて跡地が相応の価格で売れて、国は撤去にかかった費用を少しでも取り戻してほしいものです。