無理心中とは死ぬ意志のない相手を殺害したうえで自らも命を絶つ行為で、無理矢理に行われる心中のことです。この記事では芸能人や文化人などの有名人が過去に起こした衝撃的な無理心中や心中事件一覧を、ランキング形式で23位まで紹介していきます。
この記事の目次
無理心中とは
家族や恋人など、主に自分に近しい人物とともに自殺することを心中と呼びますが、このうち相手の同意を得ずに無理矢理に心中に巻き込むことを無理心中といいます。
具体的な例としては、「親が死んで、子どもだけ自死遺族として残されたら可哀想だ」等の理由で子どもを巻き込んで行われる一家心中や、別れ話のもつれなどから恋人を殺害して自分も死ぬケースなどがあげられます。
相手の同意を得ずに殺害という点から身勝手な印象を受けますが、介護疲れから高齢の家族を殺害して自殺を図る、というような痛ましい事件も無理心中と言えるでしょう。
無理心中は罪になる?
なお、同意の上で行われる心中ではないため、無理心中の首謀者が生き残った場合には心中に至った理由を問わず殺人罪で裁かれることとなります。
そのため無理心中を図って相手を殺し、何らかの事情で生き残って逮捕された者は死刑、または無期もしくは5年以上の有期懲役に処されます。
無理心中事件の一覧3選
具体的に無理心中事件とはどのようなケースがあるのでしょうか。ここでは近年に発生した無理心中事件のうち、とくに大きく報じられたものを一覧で紹介していきます。
愛知豊田無理心中事件
2015年5月、愛知県豊田市で一家の主である松井芳治が妻と長女、義理の母親の3人を殺害して自宅に火を放つという事件が発生しました。
松井が無理心中を図った原因は、妻による貯金の使い込みでした。松井家には長男と長女がおり、2人とも実家を出て就職したされていましたが、実際に自立していたのは長男だけで、長女は母親からこっそりと仕送りを受けながら、1人暮らしをしていたマンションで引きこもり生活を続けていたのです。
妻は仕送りのために家の貯金を切り崩してしまったこと、実は娘が働いていないことを打ち明けられずに15年が過ぎ、夫婦の老後のための資金は大幅に減ってしまいます。松井本人は定年まで勤め上げた後に警備員として働き続けていたため、家のことを妻に任せきっており、このことにまったく気づいていませんでした。
しかも妻は、娘の就職の斡旋を頼むため、近所に住む水野照代という知人の女にも8000万円以上の大金を渡していたのです。
潤沢にあったはずの老後資金が妻と娘、さらに詐欺師によってすべて食い荒らされていたことを知った松井は慌てて警察に相談に行きますが、8000万円という金額が大きすぎたために信じてもらえず途方にくれることとなります。
さらに貯金の使い込みがバレたことで妻はうつ病になり、娘のノイローゼ状態に。家族がおかしくなってしまったことに心を痛めた松井は、親族に「家族3人を連れて死ぬ」という遺書を書いた後に義母と母、娘を殺して火をつけて放火してしまいます。
そしてその足で包丁2本を携えて水野照代のもとに訪れた松井は、水野を殺してから自分も死のうとしました。
ところが水野に襲いかかる前に警察に取り押さえられてしまい、そのまま逮捕。こうして家族3人の命を奪って自分は生き延びてしまった松井は、裁判で懲役27年を言い渡されました。
逗子ストーカー殺人事件
2012年11月6日、神奈川県逗子市のアパートで、この部屋に住む三好梨絵さんが刺殺体で発見されるという事件が起こりました。
同時に同じアパートの敷地内、2階の出窓に縄をかけて首吊り自殺をした男性の遺体も発見され、捜査の結果、三好さんを殺害したのはこの自殺をした男性であったことが発覚します。
三好さんを道連れに無理心中を図った犯人は、かつて彼女と交際していた小堤英統という男でした。
小堤は事件の6年前に三好さんから別れを告げられて恋人関係を解消していたにもかかわらず、その後も彼女のストーカーを続けていたのです。
小堤と別れた後に三好さんは新しく交際を始めた男性と結婚し、東京から神奈川に移り住んでいました。
直に連絡はなかったもののFacebookを通して彼女の結婚を知った小堤は「殺してやる」などのメールを大量に送り付け、この段階で脅迫容疑で逮捕されることとなります。
しかし、執行猶予がついたことからその後も小堤はストーカーを続け、探偵を雇って逗子市役所から三好さんの住所を入手。無理心中に至ったのです。
この事件では探偵からの申し出を受けて三好さんの個人情報を開示した市役所の対応にも非難が集まり、ストーカー規制法の改正にも繋がりました。
林眞須美死刑囚の長女の無理心中
2021年6月9日、和歌山市内のアパートでこの家に住む16歳の鶴崎心桜(こころ)さんが心肺停止状態で発見され、間もなく亡くなるという事件が起こりました。
心桜さんの遺体には全身打撲の痕があり、司法解剖の結果、死因は外傷性ショックと判断されます。虐待の可能性があると見た警察は、同居していた母親の再婚相手である木下匠を逮捕。
しかし、事件はこれだけでは終わりませんでした。心桜さんの死亡が確認されたその日に、彼女の母親と4歳の妹も関西国際空港の連絡橋から身を投げて自殺をしたのです。
さらに木下被告の裁判で、無理心中を図った心桜さんの母親は和歌山カレー毒物混入事件の犯人として死刑を言い渡されている林真須美の長女であることが発覚。
夫婦で日常的に心桜さんを虐待し、彼女が死亡したことでパニックになって次女を連れて無理心中を図ったことも判明しました。
木下被告の供述によると、虐待は母親である林真須美の長女が主に行っており、拒否すると自分も暴行されるために脅されて手を出していたと言います。
また、このような事件が起きてしまったことについて「私の責任です。妻(林真須美の長女)はカレー事件の林真須美の子どもということがずっと辛かったのだと思う」と語っていました。
無理心中や心中事件を起こした有名人・芸能人衝撃度ランキング23-16
無理心中や心中で命を落とした有名人や芸能人、文化人も複数存在します。ここでは訃報が世間に与えた影響や事件の衝撃度などを基準に、無理心中や心中事件を起こした有名人をランキング形式で紹介していきます。
第23位:勝精
勝精(かつ くわし)氏は徳川慶喜の十男として生まれ、勝海舟の家に娘婿として入り、海舟亡き後に家督を継いだ人物です。
実業家として浅野セメント(現在の太平洋セメント)や、オリエンタル写真工業の重役を務め、妻との間に1男5女をもうけました。
しかし、妻の伊代子が亡くなると羽目を外したように女遊びに溺れるように。そして1932年に43歳で急逝することとなります。
死因については当初、脳溢血と報じられました。しかし、後に新聞で「愛人の1人であった水野マサとカルモチンを飲んで心中した」と発表されています。
第22位:野村隈畔
野村隈畔(わいはん)氏は、明治・大正期に活動した文学碑評価、哲学者です。
1921年、38歳の時に神田の音楽学校で開かれた哲学講習会で知り合った24歳の岡本梅子さんという女性と江戸川に身を投げて心中。これが死因となりました。
ともに心中しようと思うほど2人が惹かれ合った理由は、隈畔氏の『永劫の彼岸へ』という恋愛哲学書に梅子が共鳴したためとされます。
在野の学者であった隈畔氏の生活は苦しく、生活は妻が女工をして支えていました。「永遠の美と愛と心行くまで憧憬する」などと日記に書き残して夫が若い女性と駆け落ちした際にも、執筆のために旅行に出たものと信じ切っていたそうです。
結局、10月の頭に妻子をおいて家を出たた隈畔は、同月20日頃に千葉県市川市内で梅子さんとともに江戸川に身を投げ、命を落とします。この時、2人は抱き合った状態で白布で身体を結びつけていたといいます。
そして翌月の5日に津田沼海岸に遺体があがって心中が発覚。この心中について友人の小川美芽らは「哲学的情死」と呼びましたが、否定的な見方もされています。
第21位:毛利輝夫
毛利輝夫さんは1929年から1931年にかけて、松竹蒲田撮影所のサイレント映画に出演していた俳優です。
小津安二郎監督映画『大学は出たけれど』『朗かに歩め』などに出演し、日本人離れしたルックスから人気を博しますが、1931年3月20日に23歳の若さで早逝しました。
死因は神奈川県中郡国府村で鉄道踏切への飛び込みで、同じく松竹蒲田撮影所の新人女優であった大町弘子さんとともに心中を図ったとされます。
2人の馴れ初めは所内で大町さんと先輩俳優のゴシップが流れた際に、毛利さんが庇ったことだったそうです。
しかし、その後に女優の井上雪子さんが毛利さんに接近したことで三角関係になり、さらに井上さんは先輩俳優の鈴木傳明一さんとの関係も噂されていたことから「先輩の彼女に手を出した」として毛利さんは責められることに。
これがきっかけで撮影所内での肩身が狭くなり、同時期に大町さんも肺病を患って悩んでいたとも、毛利さんの子を身ごもって悩んでいた言われています。
真偽は不明ですが、同じ時期に悩みを抱えていた2人は鉄道心中という道を選んだとされています。
第20位:平塚らいてう
平塚らいてう氏は大正から昭和にかけて活動した思想家、作家、女性解放運動家です。
彼女が有名になったきっかけは著作や活動ではなく、心中未遂事件でした。
22歳の頃、らいてう氏は自身の処女小説『愛の末日』を高く評価してくれた作家の森田草平氏と恋仲になります。2人は初めてのデートで栃木方面に向かって行方不明になり、県警の捜査によって塩原温泉の山奥にある尾花峠で保護されるという事件を起こしました。(塩原事件)
この時、2人は単に道に迷っていたのではなく一緒に死ぬ場所を探して山中を歩いていたのです。後に森田氏はこの時の心中未遂を題材にした私小説『煤煙』を発表。これはヒット作となりました。
らいてうも事件直後は世間からのバッシングを浴びたものの、この心中未遂を機に『青鞜』という文芸誌に作品を発表するようになり、熱狂的な読者を獲得したとされます。
第19位:オーストリア皇太子ルドルフ
世界で最も有名かつ謎の多い心中事件とされているのが、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の子であったルドルフ皇太子と男爵令嬢マリー・フォン・ヴェッツェラが情死したとされる「マイヤーリンク事件」です。
ルドルフ皇太子はベルギー王レオポルド2世の娘を嫁にとり、妻との間に子どもも生まれていましたが、マリーと恋仲になってしまいます。
そして、ローマ教皇に対して「妻との離婚とマリーとの結婚を認めてほしい」という手紙を出しました。
しかしながら教皇はこれを良しとせず「離婚も再婚も認められない」という返事をかえすのですが、運の悪いことにこの手紙をルドルフ皇太子ではなく父親のヨーゼフ1世が先に読んでしまったのです。
ベルギー王の娘を嫁にとっておきながら離婚を希望する息子に対し、ヨーゼフ1世は怒り心頭に発することとなります。そして息子を呼び出して激しく叱りつけたのです。
このことが起きたしばらく後に、ルドルフ皇太子とマリーはマイヤーリンクの狩猟館で血まみれの遺体となって発見されます。
2人は道ならぬ恋の果に心中を選んだとヨーロッパ中に伝えられましたが、実際には事件の2ヶ月前には皇太子とマリーの関係が冷めきっていた、ルドルフ皇太子は他の女性に入れ込んで宝飾品を貢いでいたなどの情報も出ており、なぜこの2人の遺体が同じ場所で発見されたのかは現在も謎のままです。
第18位:近藤柏次郎
近藤柏次郎氏は、大正から昭和の初期にかけて活動したピアニストです。
有名ピアニストとして脚光を浴びる一方で、柏次郎氏は中学の頃に自殺未遂を起こして以来、ずっと希死念慮に捕らわれていたといいます。
そして1931年に資産家の娘である妻と別れ、翌年の1932年、別れた妻と結婚する前からの仲であった千代梅という人気芸妓とともに自宅でガス心中を図りました。
発見された時に2人の遺体はダブルベッドの上に並んでいたといい、ベッドサイドには「どこかの隅に埋めてください」というそっけない遺書があったとのことです。
心中に至った動機は2人が多額の借金を抱えていたことと、商売道具のピアノまで借金のかたになっていたことだと見られています。
第17位:翠川秋子
翠川 秋子さんは、大正時代に日本初の女性アナウンサーとなった人物です。社団法人東京放送局に入社後、豊かな声量を評価されてアナウンサーに抜擢されましたが、局内では「女のくせに」という批判も多く風当たりの強さから7ヶ月で退社。
その後も出版社や美術教師など職を転々としますがどれも長続きせず、新宿で屋台のおでん屋を開いたもののこちらも上手くいかなかったといいます。
そうして1935年、すでに夫とは死別し、子どもも手を離れる歳になっていたという翠川さんはふらりと家を出ていき、そのまま千葉県の館山市でおでん屋の常連客と心中を図りました。
第16位:東郷青児
東郷青児氏は「二科展の帝王」と呼ばれた日本画家で、旭日章も受賞しています。宇野千代氏の小説『色ざんげ』のモデルになったと言われるほど、女性遍歴が激しかったことでも有名です。
1929年には既に妻がいるにもかかわらず、愛人との結婚を発表して結婚披露宴をあげ、さらにその1ヶ月後に別の愛人と心中未遂事件を起こして物議を醸しました。
頸動脈を切った後で愛人女性とガス自殺を図り、事切れる前に救出されたとのことで、このエピソードは『色ざんげ』にも登場します。
なお、心中未遂事件では相手の女性も助かっており、後に東郷氏の子を妊娠して2人は入籍しています。こうして誕生したのが歌手で画家の東郷たまみさんです。
無理心中や心中事件を起こした有名人・芸能人衝撃度ランキング15-8
第15位:島田屯
出典:https://minnashinda.jimdofree.com/
島田屯(とん)さんは、1950年代から60年代半ばまで独立プロ映画やドラマに出演していた俳優です。
宇津井健さん主演の映画『松川事件』や、NKHの連続テレビドラマ『バス通り裏』などに出演しましたが、役に恵まれず、視聴者に覚えられるような役にキャスティングされることはありませんでした。
1965年夏頃からは仕事のオファーが激減してノイローゼ状態に陥っていたといい、仕事の悩みや困窮から、この年の11月8日に4歳の息子の首をしめて殺害した後、息子の遺体を膝に乗せた状態で自分もガス自殺を図るという無理心中事件を起こしています。
この時、島田さんの妻は生活を支えるために出稼ぎに出ていて留守だったそうで、長男の遺体は「ゴメンネ。パパワツカレタヨ」という遺書が握らされていたそうです。
第14位:愛新覚羅慧生
愛新覚羅慧生さんは、中華圏最後の皇帝・ラストエンペラーとして知られる愛新覚羅溥儀の姪です。
慧生さんは学習院大学文学部国文学科で知り合い、恋仲になった大久保武道さんと1957年に伊豆半島中部にある天城山山中で心中を図って亡くなっており、この事件は「天城事件」と呼ばれています。
2人がなぜ心中を選んだのかは明らかになっていませんが、慧生さんとの身分の違いなどの事情によって大久保さんが自棄になり、無理心中をしたのではないかとの指摘もあります。
事実、慧生さんの遺体は左のこめかみを拳銃(大久保さんが実家から持ち出したという)で撃たれて亡くなっており、凶器となった拳銃は大久保さんの遺体が握っていました。
また、慧生さんの友人から「エコちゃん(慧生さんのこと)は、死にたがる大久保くんをおもいとどまるように説得していた」との証言も出ており、天城山に向かった際に乗車したタクシーの運転手からも、「慧生さんは、大久保さんに帰ろうと訴えていた」との証言が出ていたそうです。
しかしながら2人の死が発表された後にマスコミなどが「身分違いの悲劇の恋」「天国で結ばれた恋人」などと報じたこともあり、認められない恋を嘆いての心中として世間に扱われていたといます。
第13位:有島武郎
『或る女』『カインの末裔』で知られる白樺派の小説家、有島武郎氏も心中で生涯を終えています。
筆を折った後の1923年、有島氏は雑誌『婦人公論』の編集者であった波多野秋子さんと恋に落ちました。当時、有島氏は妻を亡くして独身でしたが、相手の女性には夫がいました。
2人の仲は秋子さんの夫の知るところとなり、有島氏は夫から「秋子と一緒になりたいなら1,000万円払え」と脅迫を受けたといいます。
「愛する人を金に換算するなんて」と有島氏がお金の支払を拒んだところ、夫が激怒。「金を払わないなら、姦通罪で訴えてやる」と脅されて追い詰められ、秋子さんとともに死ぬことを選んだとされます。
1923年6月9日、軽井沢にある有島市の別荘に向かった2人は首を吊って心中を図りました。遺体が発見されたのはその翌月のことで、第一発見者の別荘の管理人によると2人の遺体は腐敗して蛆が湧いていたそうです。
有島氏の心中は世間にも大きな衝撃を与え、後追い自殺をするファンまで出ました。
第12位:冨永美沙子
出典:https://minnashinda.seesaa.net/
冨永美沙子さんは1955年に『おやゆび姫』に出演して以降、TVドラマを忠心に活動した女優です。『うちのママは世界一』など、海外ドラマの吹き替えをしたことでも知られます。
冨永さんは1975年5月に、プロデューサーの母袋博氏とともに北海道支笏湖畔近くで遺体で発見されています。
2人は乗っていた車の中でガス自殺を図ったとされ、発見された時の冨永さんは真っ黒な死装束を身に着けていました。
さらに車内からは母袋氏の手記が発見され、心中のために車のマフラーから排気ガスを吸い上げるパイプを作ったことなどが、「ドライブインでコーヒーを飲んだ」「散歩をした」といった普通のメモとともに綴られていたといいます。
第11位:坂本鉄男
坂本鉄男氏は、ナポリ東洋大学教授を務めたイタリア文学研究者です。
イタリア、ローマ在住で産経新聞にコラムを寄稿し続けていましたが、2022年4月28日にローマの自宅バスルームで切腹自殺を図っています。
さらに妻の遺体も自宅のベッドルームで発見されており、日本国内では「坂本鉄男氏、逝去」とだけ報じられましたが、イタリアでは「妻を伴って無理心中か」と報じられていたそうです。
遺書などは残っていないため、現在もなぜ坂本夫妻が命を絶ったのかは不明です。
第10位:山藤浩三
出典:http://minnashinda.seesaa.net/
山藤浩三(ひろみ)さんは、1964年に開催された東京オリンピックの日本代表選手にも選出された競輪選手で1981年まで特別競輪にも出場していました。
競輪選手として華々しい活躍を見せる一方で多額の借金に苦しんでいたといい、1984年5月9日に茨城県取手市内の自宅で妻と13歳の長男、10歳の次男とともに無理心中を図ったとされます。
一家の遺体は寝室で布団の上に横たわった状態で発見されたといい、台所のガス管のゴムホースが寝室に引き込まれており、窓にはガズがもれないようにしっかり目張りがされていたそうです。
遺体のそばには妻が書いた遺書があり、払っても払っても借金が減らないこと、夫婦で話し合って死を選んだことなどが綴られていました。
第9位:渡辺博之
出典:http://minnashinda.seesaa.net/
渡辺博之さんは、1950年から1957年まで阪神タイガースに在籍したプロ野球選手です。
洋品雑貨店の店主として働きながらノンプロの都市対抗野球に出場し、そこからタイガースの2軍に入るという異例の経歴の持ち主であり、当時は「草野球選手がなんと阪神選手に!」と話題になったといいます。
そこから1軍に昇格し、外野手に転向してからは1954年には打点王を獲得。同年のベストナインに選ばれるなどの活躍を見せました。
現役を引退してからも同志社大学工学部の教授を歴任し、野球部の監督も務めたとされます。
順風満帆な野球人生を送っているように見えましたが、1990年10月2日に京都府内の自宅で妻とともに首を吊って心中。62歳で生涯を終えています。
心中の理由は明らかになっていませんが、持病の心臓病に悩んでいたこと、家族間のトラブルを抱えていたことが原因とされています。
第8位:小堀保三郎
小堀保三郎氏は、自動車などに装備されているエアバッグの発明者です。
現在では販売されているほとんどの車に装備されているエアバッグですが、小堀氏がこの装置を発明し、売り出そうとした1970年頃に安全装置の重要性を気にする自動車会社はあまりありませんでした。少なくとも日本国内の大手自動車メーカは見向きもしなかったといいます。
そのため、開発資金に行き詰まるようになった小堀氏は、1975年8月30日に東京港区三田の事務所で妻の艶子さんとともにガス自殺を図ったのでした。
その後、1980年になってメルセデス・ベンツが生前の小堀氏の発明を参考に、ベンツのSクラスにエアバッグを装備。その後、1985年にやっと日本の自動車メーカーとしてホンダが初めてエアバッグを採用しました。
小堀夫妻の心中から10年が過ぎて、やっとエアバッグの価値が認められたのです。
無理心中や心中事件を起こした有名人・芸能人衝撃度ランキング7-1
第7位:マリア
出典:http://luckydaze.seesaa.net/
2004年10月埼玉県皆野町の美の山公園付近で女性3名男性4名、合計7名の若者の遺体が発見されるという男女7人集団変死事件が起こりました。
7人の死因は練炭自殺で、「T-BOLAN」の森友嵐士さんの元妻で自身も「メリーメリーマリー」のボーカルとして音楽活動をしていたマリアさんを中心とした集まった人々だったことが明らかになっています。
マリアさんは実の父親に虐待をされて育ったといい、森友さんと結婚して子どもをもうけたことで虐待の記憶が蘇ってノイローゼ状態になり、結果、子どもを施設に預けて自殺を図ったとされます。
一緒に死んだ6人の若者は互いに面識はなく、ネットで集まった志願者だったそうです。
第6位:太宰治
5回以上も自殺を図ったとされる文豪、太宰治氏。そのうち4回が心中でした。太宰氏が起こした心中事件は以下のとおりです。
・1929年…町娘とともにカルモチンを服用して心中を図る。未遂に終わる。
・1930年…恋人・田部あつみとカルモチンを大量摂取して心中を図る。恋人のみ死亡する。
・1937年…内縁の妻、小山初代とカルモチンを大量摂取して心中を図る。未遂に終わる。
・1948年…愛人、山崎富栄と入水自殺を図る。
度重なる自殺未遂や心中未遂から、いくつかは狂言自殺だったのではないかとも言われていますが、1948年6月には愛人と玉川上水で入水自殺を図り、太宰氏は命を落としています。
当初は芥川龍之介氏の影響で自殺未遂を繰り返していたのではないかとも指摘されていた太宰氏ですが、この頃には経済的な問題、結核の悪化、愛人問題と家庭関係の悪化、井伏鱒二氏ら分断との関係悪化など複数の悩みを抱えて行き詰まっていました。
そのため愛人とともに入水自殺を図ったものとされていますが、太宰氏に死ぬ意志はなく、愛人の富栄さんが青酸カリを飲ませて太宰氏を殺害し、無理心中を図ったのではないかとする意見もあります。
第5位:アドルフ・ヒトラー
ナチス・ドイツ総統アドルフ・ヒトラーは、第二次世界大戦の末に妻のエヴァ・ブラウンと心中をしています。
ヒトラーが心中したのは 1945年4月30日。ソ連軍が目前まで迫る中で総統地下壕で青酸カリのカプセルを服毒し、こめかみを銃で撃って死亡しました。
妻と心中といってもヒトラーはエヴァを深く愛していたわけではなかったようで、複数の愛人のうち1人であった彼女と、自殺をする直前に結婚をしたとされています。
また、ヒトラーはこの時に愛犬のジャーマンシェパード・ブロンディにもシアン化合物のカプセルを食べさせ、ブロンディの死を見届けてか自殺したと伝わっていますが、妻の死よりも愛犬の死を嘆きなしんだそうです。
第4位:大場啓仁
1973年9月6日、伊豆半島石廊崎の海岸で男女2人幼児2人の溺死体が発見されました。遺体は立教大学助教授の大場啓仁(ひろよし)と妻の順子さん、そして大場家の6歳と4歳の娘のものでした。
4人が飛び降りたと見られる崖上には「お手数をおかけしますが、親子で飛び降り自殺をします。この手紙を発見した方はお届けください」という内容の遺書が残されていたそうです。
夫妻が幼い子どもを連れて無理心中を図った理由は、大場が心中事件の2ヶ月前に不倫相手の大学院生を殺害したためであり、自分の犯した罪が発覚することを恐れてのことででした。
なお、一家が心中した翌年の2月に殺害された大学院生の遺体も多摩ニュータウンで発見されています。
第3位:桃井望
桃井望さんは舞台女優としても活動していたセクシー女優で、2002年10月12日に会社員の男性とともに長野県塩尻市の河川敷で焼死体で発見されています。
桃井さんは交際していた男性とともに焼身自殺を図った、心中だったとして事件は片付けられました。
しかし、家族や友人らの証言や現場の状況から他殺の可能性が囁かれており、遺族も再捜査を求めています。
第2位:帯谷信弘
帯谷信弘さんは、DEEPライト級王者にも輝いた総合格闘家です。2021年に妻の美穂子さんと7歳と2歳の息子を連れて無理心中を図り、格闘技ファンに大きな衝撃を与えました。
2021年4月22日に入った第一報では「横浜市内の駐車場で4人の遺体が発見、一家心中か」と伝えられ、その後、遺体が帯谷さん一家のものと判明。妻と息子を刺殺した後に自らも命を経ったとされます。
帯谷さんは2010年にDEEPライト級タイトルマッチで王座獲得に失敗して以降、トレーニングジムの講師やブラジリアン柔術の競技者に転向していたといい、姓も妻の美穂子さんの土志田姓を名乗っていました。
さらに近年は自身でトレーニングジムを経営していたそうです。無理心中の理由については明らかにされていませんが、コロナ禍の折、ジムの経営が苦しかったのではないかとの見方がされています。
第1位:清水由貴子
清水由貴子さんは『お元気ですか』『銀座の雨の物語』などのヒット曲を持つ歌手で、欽ちゃんファミリーとしてTV番組にも多数出演していました。
2000年代に入ると女優としても活動の幅を広げ、NHKの朝ドラ『こころ』などに出演していましたが、2006年に長らく所属していた芸映プロダクションを退所。理由は「母親の介護に専念したい」とのことでした。
その後、2007年には芸能活動を完全に休止して表舞台から姿を消していましたが、2009年4月21日に訃報という悲しい形で再度、世間の関心を集めることとなります。
静岡県駿東郡小山町にある父親のお墓の前で、黒いポリ袋を頭に被った状態で清水さんの遺体が発見され、大きく報道されました。死因は自殺で、黒いポリ袋のなかには硫化水素が充満していたとのことです。
清水さんの遺体の傍らには要介護の実母が意識不明の状態で車椅子に座っていたといいますが、後に意識を取り戻し、命に別状はありませんでした。
清水さんの妹によると「母の白内障の手術がうまくいかず、視力に低下が見られた頃に芸能活動休止を決めたのではないか」とのこと。ほかに母親は糖尿病と腎臓の病気も患っていたそうです。
そのため母親の介護に悩んだ末に無理心中を図り、自分のみ命を落としたのではないかと考えられています。
無理心中なのか?市川猿之助さん一家心中事件
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=PzlRwPAQa2I]
2023年5月18日、歌舞伎役者の市川猿之助さんが両親とともに心中を図ったというニュースが日本中を駆け巡りました。
両親の遺体からは、フルニトラゼパムという成分の含まれた致死性の高い向精神薬が検出されたといいます。通常の病院で処方されるものではなく、海外では使用禁止にされている国もあるとのことです。
この薬を10錠ほど飲んで意識を失った後、猿之助さんが両親の顔にビニール袋をかけて窒息死させ、自ら首を吊って自殺を図ったと報じられており、3人のなかで一命をとりとめた猿之助さんに自殺幇助の疑いがあるとしていました。
猿之助さん本人は以下のように供述をしているとのことですが、同時に「亡くなった両親の頭には傷があった」との報道もされており、6月に入ってから心中ではなく両親に自殺の意志はなく、無理心中だったのではないかとの疑惑も出ています。
「“一家心中”騒動の前夜、猿之助さんは両親と話し合い、『もう生きていても意味がない。家族みんなで死んで生まれ変わろう』との結論に至ったことから、一緒に向精神薬を服用したという趣旨の証言をしているようです。
また、仮に自殺願望があったとしても、土壇場で抵抗した痕が見られた場合には嘱託殺人ではなく殺人罪が適用されるという判決も座間9人殺害事件の裁判出てていることから、今回の心中事件もどのような扱いになるか注目が集まっています。
現在、市川猿之助さんは逮捕され、取り調べを受けています。
母親に対する自殺幇助(ほうじょ)事件で逮捕された歌舞伎俳優の市川猿之助容疑者が、睡眠薬を「数錠ずつ飲んだ」という趣旨の説明をしていたことが分かりました。
無理心中事件と無理心中・心中をした有名人についてのまとめ
今回は無理心中事件と心中、心中未遂事件を起こした有名人、芸能人をランキング形式で紹介しました。
とくに親が状況を理解できない年齢の子を道連れに死を選ぶ無理心中というのは、理由や時代に関係なくやるせない気持ちにさせられます。
また心中とされているものの疑惑がある事件については、真相が明らかになる日が来ることを願います。