福島悪魔払い殺人事件は1995年7月に発覚した事件です。宗教家の江藤幸子の自宅から6名の遺体が発見され、社会に衝撃を与えました。
今回は福島悪魔払い殺人事件の概要や犯人・江藤幸子の生い立ちや娘、愛人の根本裕、死刑判決後の最期についてまとめます。
この記事の目次
福島悪魔払い殺人事件の概要
出典:https://cultworld.blog.fc2.com/
1995年7月5日、福島県須賀川市小作田竹ノ花15番地6の住所地にある民家から、6名の男女の変死体が発見されました。
6名を暴行のうえ殺害したのは、家の主である自称祈祷師・江藤幸子(事件当時47歳)とその娘と愛人、信者たちでした。彼女は「悪い動物の霊がついている」などと言って、気に入らない信者を集団でリンチし、食事を取らせないなどの虐待をして衰弱死させていました。
教祖である江藤幸子の発言に従い、夫が妻の暴行に加担する、子どもが親の変死体とともに生活するといった異様な暮らしが、この家ではおこなわれていたのです。
事件は江藤幸子を教祖とする宗教団体の信者だった女性が、江藤らに暴行されたところを両親に発見、保護されて入院したことがきっかけで発覚しました。
逮捕後の江藤幸子は4件の殺人と2件の傷害致死の罪に問われ、死刑判決が下されました。なお、女性の死刑囚は記録が残る1950年以降で4人目です。
同年3月にオウム真理教による無差別テロ・地下鉄サリン事件が起きていたことから、同じ「カルト宗教絡みの事件」ということで、社会に不安と衝撃を与えた事件でもあります。
福島悪魔払い殺人事件が起きた経緯と江藤幸子の宗教活動
1994年の夏頃から、江藤幸子は事件現場となった自宅のある福島県須賀川市で祈祷師としての活動を開始しました。
活動開始当時は、知人の悩み相談に乗ったり、肩こりや腰痛などの症状に悩まされている人に手かざし療法をおこなうなどしていたといいます。するとそのうちに「肩こりが消えた」といったように江藤のおかげで悩みが解消したという噂が広がるようになり、彼女のもとを訪れ、信者になる人も出てきました。
のちに福島悪魔払い殺人事件の最初の被害者となってしまう関根君子さんも、このころに江藤と知り合ったとされます。君子さんは高血圧症からくる不調に悩まされていたのですが、江藤による祈祷で症状が緩和したと感じ、彼女に心酔するようになったそうです。
そして君子さんは、自分と同じく高血圧症に悩む姉の三木和子さんに江藤を紹介しました。和子さんも君子さんと同じく、江藤の祈祷を受けた後に体が楽になったといいます。
和子さんの夫の護さんは糖尿病の治療中、そして娘の里恵さんは緑内障の治療中であったため、一家は藁にもすがる思いで揃って江藤の信者になりました。
このころになると自宅周辺を歩けば江藤は「先生」と声を掛けられ、自信を持った彼女は自らを「幸子様」と呼ぶよう信者に言っていました。
信者との共同生活と暴行
江藤幸子は関根さん夫妻と三木さん夫妻に、自分の家で暮らすように勧めました。「私と暮せば悪い霊を遠ざけられる」と唆された関根さんらは、自分たちの家を出て江藤の家に移り住みます。
三木さん夫妻は長女の里恵さん、高校生の二女、中学生の三女を連れて、関根さん夫妻は小学5年生の息子も連れて江藤の家に来たといいます。
江藤の家には離婚して実家に戻ってきていた娘の裕子と、その長男もいたので、大所帯の家計を賄うために生活費として関根さん一家は100万円、三木さん一家は150万円を江藤に渡すことになりました。
この時、君子さんが100万円の支払いを渋ったために江藤は彼女を疎ましく思います。そして「狐の霊がついているから除霊しないといけない」として、君子さんに嫌がらせをするようになりました。
根本裕との出会い
祈祷師としての江藤の評判は県外にも広がり、通いで訪れる信者も増えてきます。そしてある時、当時18歳の女性信者が恋人の根本裕を連れて江藤のもとを訪れたのです。
陸上自衛隊の自衛官で当時21歳だった根本は、江藤家の近所の人からも「かっこいい」という証言が出るほど見た目に恵まれていたといいます。江藤はひと目見ただけで親子ほども年が離れた根本を気に入り、「あなたは格の高い魂を持っている」として、特別扱いしました。
根本も最初こそ恋人に連れられてきただけでしたが、集団の中で1人だけ優遇されることで気を良くし、自ら江藤の宗教に入信。そして江藤と愛人関係になりました。
その後、江藤は根本の恋人であった18歳の女性信者に彼と別れるように勧めたのですが、彼女はなかなか首を縦に振りません。
苛立った江藤は「この子には狐の霊が憑いている」と言いがかりをつけて女性信者を正座させ、他の信者とともに「除霊」と称して太鼓のバチで殴る、蹴りつけるなどの暴行をくわえたのです。この暴行には根本も参加していたといいます。
除霊だと信じて暴行を受け入れていた女性信者ですが、娘を心配した両親が迎えに来て家に連れ戻され、以降、彼女は江藤とは縁を切り宗教からも脱会しました。
関根君子さんと三木護さんを殺害
女性信者がいなくなった後、次いで暴行の標的となったのが、かねてから江藤が快く思っていなかった君子さんと、根本を特別扱いすることに異論を唱えていた三木護さんの2人です。
このころから根本の発案で除霊と称した暴行行為は「御用」と呼ばれるようになり、暴行の程度や頻度も激しさを増していきました。
護さんは江藤のもとから逃げ出して警察に相談に行きましたが、打撲痕を見せても「自分で入信した宗教で受けた除霊行為で負った傷なら、事件性はない」として相手にされず、江藤の家に戻ったといいます。
ある日、根本といちゃついているところを実の娘の裕子に見られ、口喧嘩になった江藤は「これは君子さんに憑いている狐の霊のせいだ」と言い訳をして、君子さんに御用をくわえました。
江藤と信者の間で君子さんと護さんへの扱いはどんどん酷くなっていき、食事や水も満足に与えられず、1日中正座をして暴行にさらされるようになった2人は、1995年1月25日の未明に相次いで絶命。
しかし江藤は2人の家族に「まだ死んでいない。神様が魂を浄化している最中だから、終われば2人とも蘇る」とデタラメを言って、遺体を1階の奥の8畳間に運ばせました。
嫉妬で次々に信者を暴行・殺害
2人を殺害した後、江藤が標的にしたのは三木さん夫妻の長女の里恵さんでした。江藤は若い
里恵さんに根本をとられるのではないかと嫉妬し、彼女に御用をくわえたのです。
この御用には夫の護さんを殺されたばかりであった里恵さんの母親、和子さんも加担していたといいます。
里恵さんの高校の教諭は彼女の体に痣があるのを見つけて警察に通報しましたが、やはり護さんと同様に「事件性がないので何もできない」という返答しかありませんでした。
そして1995年2月18日に里恵さんも絶命、遺体は先に亡くなった2人と同じ8畳間に運び込まれました。
次いで江藤は和子さんも「根本に色目を使った」として暴行し、3月16日に死亡させています。この御用には、三木家で標的にされていなかった次女と三女もくわわっていたとされます。
さらに江藤は、通いの信者であった亥飼夫婦に同居を勧め、亥飼夫婦は子ども2人と夫・立雄さんの同僚であった先崎明美さんという27歳の女性を伴って出家してきました。
江藤は立雄さんのことを気に入っており「格の高い神様がついている」と持ち上げる一方で、若くて可愛らしい明美さんを激しく妬みました。
そして明美さんに御用をくわえたのですが、このときに立雄さんが場を仕切ろうとしたため、江藤は立雄さんのことも疎ましく思うようになります。
そして全身が赤黒く腫れるまで暴行された立雄さんは5月25日に死亡、明美さんも6月6日に命を落とし、遺体が安置されている8畳間に運ばれました。
事件の発覚と江藤幸子らの逮捕
立雄さんと明美さんが亡くなると、江藤は立雄さんの妻に目をつけました。しかし立雄さんの妻の両親が一家と連絡が取れないのを不審に思い、江藤の家にやってきたことで事件が発覚します。
立雄さんの妻の母親は、6月6日に娘と孫に会いに江藤の家を訪れ、そこで暴行されて血と膿にまみれてぐったりしている娘と、ろくな栄養を与えられていないせいで痩せこけてぐったりした孫を見つけます。
母親はまず孫たちを家に連れて帰り、午後には立雄さんの妻の父親らが江藤のもとに向かい、娘を救出し病院に連れていきました。
最初は洗脳状態にあった立雄さんの妻は、「まだ御用がすんでいない」として江藤の家に戻りたがりましたが、病院で治療を受けて実家で安静にしているうちに落ち着きを取り戻し、江藤と信者の間で起きた異様な事件について家族に話すようになりました。
そして7月5日、殺人事件が起きて死体が遺棄されているとの通報を受けた警察が江藤の家を家宅捜索し、6名の変死体が発見されて江藤らは逮捕されたのです。
このとき家にいた信者は江藤の長女の裕子、愛人の根本、最初に殺害された君子さんの夫の関根満雄、そして三木家や関根家の子どもたち4名でした。
子どもたちは保護され、裕子、根本、関根光雄は江藤とともに殺人および暴行に参加したとして逮捕され、立雄さんの妻も立雄さん殺害に関与しているとして逮捕されました。
なお、近隣住民が実際に家宅捜査にあたった警官から聞いた情報によると、階の床にはウジ虫がびっしりはりついており、布団に寝かされた被害者の遺体は腐乱していたといいます。
また江藤は死体が腐っていく臭いをごまかすために脱臭剤を置いたり、信者らにタバコを吸わせるようにしたいましたが、近所では「甘いような、変なにおいがする」と囁かれていたそうです。
福島悪魔払い殺人事件の裁判
福島悪魔払い殺人事件の裁判では、事件の異常性から江藤幸子を筆頭に加害者たちに責任能力があったのかがまず争点になり、被告人4人に対して精神鑑定がおこなわれました。
精神鑑定の結果
・江藤幸子…「責任能力は認められるが、暴行時にはヒステリーの乖離状態であった可能性がある」という結果
・江藤の娘の裕子…「心神耗弱状態であった」として、責任能力を持たないという結果
・根本裕と関根満雄…責任能力ありという結果
しかし検察は江藤に対して「被告は自らの意思でヒステリーの乖離状態にあった。量刑に影響を及ぼすものではない」として、死刑を求刑。
娘の裕子に対しても「事件時の記憶も鮮明で、自分のおこないを十分に認識していた」として責任能力はあったと主張、無期懲役を求めました。そして根本裕にも無期懲役、関根満雄には懲役二十年を求刑しました。
一方で弁護士側は加害者4人には殺害意図はなかったことを主張し、殺人罪ではなく傷害致死罪を適用すべきだと主張。
さらに根本裕については故意に暴行、殺害にくわわったわけではないとして無罪を主張したのです。また娘の裕子の弁護士も、精神鑑定の結果を盾に減刑を訴えました。
福島悪魔払い殺人事件の判決・江藤幸子は死刑判決が下される
2002年5月10日、福島地裁で開かれた判決公判で江藤幸子には死刑判決が下されました。
弁護士側が主張した「故意に殺したわけではない」という点について、裁判官は「故意でないのならば、最初の2人を殺してしまった時点で除霊行為を辞めている。同じ行為を続ければまた人が死ぬとわかっていながら続けたのだから、『もし死んでしまったとしてもいい』という未必の故意があったと認められる」として、傷害致死罪が相当という訴えを退けました。
江藤側の弁護士はこの判決を不服として仙台高裁に即日控訴し、2003年7月4日には控訴審の初公判がおこなわれています。
控訴審では弁護側の訴えで再度、江藤の精神鑑定がおこなわれました。その結果「犯行時には心神耗弱状態に陥ることがあった」と認められ、正常な判断能力を欠く常況にあったとして弁護側は減刑を求めました。
しかし2005年11月22日に仙台高裁も「被告は愛人男性への執着、嫉妬心から犯行に及んでおり、至って利己的な動機から重大な結果を招いた。犯行時の責任能力についても、常時、正常な判断ができなかったとは認められない」として控訴を棄却。死刑判決を支持します。
弁護側は最高裁に上告し、責任能力がなかったために無罪が相当だと訴え、また「除霊は被害者が進んで受けたいと言ってきたもので、被告が強制したものではない」と主張しました。
しかし、2008年9月16日に以下のような理由から最高裁は弁護側の上告を棄却し、第一審の死刑判決を支持しました。
藤田裁判長は「執拗(しつよう)な暴行を加え続けた犯行は、なぶり殺しともいえる陰惨なもの。宗教的集団による事件として社会に与えた影響も大きい」と指摘。
さらに、「自らを神などとする宗教集団をつくり、その絶対的な力を背景に、自ら、あるいは信者に命令して暴行を加えており、刑事責任は共犯者に比べて際立って重い」などとして、「死刑は追認せざるを得ない」と結論付けた。
この後、江藤は9月22日に判決の訂正申立てをしましたが、10月3日に申立は棄却され、10月5日付けで死刑判決が確定しました。
福島悪魔払い殺人事件の判決・娘の江藤裕子や根本裕らは無期懲役
福島悪魔祓い殺人事件
主犯の江藤幸子の娘・裕子被告は、実は美人だったりする。
罪名:傷害致死、殺人、殺人未遂。
2002年5月10日、福島地裁にて無期懲役が確定。判決で裁判長「有期懲役刑は到底選択し得ず、生命の尊厳を自覚させ、被害者らの冥福を祈らせることが相当」と断罪した。 pic.twitter.com/WFAfDcO5Hs— SHiNYA (@minnaSHiNYA) May 7, 2022
一審の判決で娘の裕子と愛人の根本裕には無期懲役の判決が、関根満男には懲役18年、亥飼立雄さんの妻には懲役3年の判決が下されました。
裕子と根本裕はこの判決を受け入れて控訴しませんでしたが、関根満男と弁護士は「暴行へは積極的に関与したわけではなく、刑罰が重すぎる」として控訴しています。
しかし11月11日にこの申立は福島高等裁判所によって棄却されており、関根満男もそれ以上は争っていません。
亥飼立雄さんの妻も控訴していますが棄却され、懲役3年で刑が確定しました。
福島悪魔払い殺人事件の首謀者・江藤幸子の最期
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逮捕後も江藤幸子は「神様が私の体を使ってやったこと」などと言い、反省どころか罪を認める様子さえ見られませんでした。
獄中でも反省はしていなかったようで再審請求の手続きを依頼し、2012年の年末までに申立をする予定だったといいます。
しかし2012年9月27日、江藤の死刑が収監されていた宮城刑務所で執行されたため、再審請求はかないませんでした。(享年74歳)。
この日には2003年に強盗殺人事件を起こした松田幸則死刑囚の死刑も福岡でおこなわれたため、ニュース速報で2名の死刑執行の一報が流れました。
なお、女性の死刑囚の死刑が執行されたのは夕張保険金殺人事件の犯人であった日高信子元死刑囚以来のことで、15年ぶりのことです。
福島悪魔払い殺人事件の首謀者・江藤幸子の生い立ち
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江藤幸子は1947年8月21日、福島県須賀川市に生まれました。ひとり娘で兄弟はなく、町会議員であった父親は江藤が4歳の時に他界しています。
父親が亡くなったあとは、母親が工場に働きに出て女手一つで育てられ、地元の小中学校と県立高校を卒業。中学、高校での様子は大人しくて目立つタイプではなかったそうです。
高校を卒業してから化粧品の販売員として働きはじめると、すぐにトップクラスの営業成績を誇るセールスレディになりました。そして20歳で高校の同級生で塗装業の男性と結婚し、長男を出産。
1984年には事件現場となった自宅を建てたといいます。なお、自宅の土地は夫の親の土地だったとのことです。
この頃の江藤夫妻は車を2台所持し、家具や調度品も高級なもので揃えるなどして周囲には派手な生活ぶりが知られていました。
当時の江藤を知る人からは「人気の販売員さんだけあって、色白できれいな人だった。女優の松坂慶子さんに似ていた」という証言まで出ているため、若い頃は相当な美人であったことが窺えます。
新興宗教に熱を上げるように…
傍から見ると経済的にも恵まれた幸せな夫婦といった江藤夫妻でしたが、夫のギャンブル癖のせいで一家は借金を抱えており、住宅ローンの支払にも苦慮していました。またこの頃、夫は仕事中の事故が原因で腰痛を悪化させ、仕事も休んでいました。
悩んだ江藤は市内で評判だった「拝み屋」という祈祷師のもとを訪れ、相談に乗ってもらうようになります。そして天使の郷という新興宗教団体に傾倒し、夫婦でこの団体に入信したのです。
なお、天子の郷では体の不調は悪い動物霊のせいで起きると信じられており、これが後の江藤の宗教活動にも反映されたと考えられます。
天使の郷に入信してから夫の腰痛がよくなったことで、江藤夫妻はますます宗教にのめり込み、1992年には岐阜にある教団本部で働くようになりました。しかし、ここで夫は神戸から来ていた女性信者と浮気をし、家を出ていってしまったのです。
その後、天使の郷を脱会した江藤は自殺を考えるほど不安定な状態になり、夫を説得するべく向かった神戸で、新興宗教・神慈秀明会と出会い、1994年6月には神慈秀明会に入信。
ところがお布施として高価な掛け軸の購入を勧められたため、一ヶ月で脱会し、須賀川市に戻ります。
そして1994年7月頃から須賀川市で個人の祈祷師として活動を開始し、徐々に信者を増やしていきました。
福島悪魔払い殺人事件の現場となった江藤幸子の自宅
福島心霊スポットツアー②
須賀川市「悪魔祓い殺人事件の家」
95年に6人が殺害され腐乱死体が発見された現場で、教祖で祈祷師だった女の自宅である。
信者10人と同居していた女は「悪魔祓い」と称し彼らを暴行。6人が死亡し、逮捕時一部の遺体はミイラ状態だったという。
2012年に死刑が執行されている pic.twitter.com/NPUL9sKc5D— かわうそ (@wug0029) August 17, 2019
凄惨な事件の現場となった福島県須賀川市小作田竹ノ花15番地6の江藤の自宅は、彼女の逮捕後に競売にかけられたことが確認されています。
しかし入札者はいなかったようで、事件発覚から27年が経った2022年現在もそのままの姿で放置されています。
なお、この江藤の自宅は「祈祷師殺人事件の家」「悪魔祓い殺人事件の家」として、福島県内では有名な心霊スポットにもなっているそうです。
福島悪魔祓い殺人事件と犯人・江藤幸子についてのまとめ
この記事では1995年に発覚した、福島悪魔祓い事件とその首謀者・江藤幸子の奇行や裁判の判決について紹介しました。
福島悪魔祓い事件は江藤幸子の洗脳下にあった家族がお互いを暴行し、殺し合うという凄惨極まりない事件でした。日本の犯罪史上に残る不気味で衝撃的な事件だといえます。
信者になった人たちも、もとは自分や家族の病気を治したいとただ純粋に願っていたはずです。江藤幸子が反省することなく死刑になったことを思うと、やりきれません。