佐賀女性7人連続殺人事件の犯人と真相!被害者や容疑者と真犯人も総まとめ

1975年から1989年にかけて佐賀県各地で7人の女性が何者かによって殺害された「佐賀女性7人連続殺人事件」が話題です。

 

この記事では佐賀女性7人連続殺人事件の被害者らの失踪事の状況と遺体発見時の状況、容疑者として浮上した人物、真犯人や真相などについてまとめました。

佐賀女性7人連続殺人事件は昭和末に発生し社会を震撼させた連続殺人事件

 

第1・第2の被害者遺体が発見された須古小学校

 

「佐賀女性7人連続殺人事件」とは、1975年から1989年にかけて佐賀県各地で7人の女性が何者かによって殺害された連続殺人事件です。

 

被害者7人のうち6人が水曜日に失踪し、その後遺体となって発見された事から「水曜日の絞殺魔事件」とも呼ばれ、当時の社会を震撼させました。

 

一連の事件での被害者の遺体発見現場は、佐賀県北方町、白石町、北茂安町、武雄市の半径20km圏内で、同一の犯人による犯行の疑いが浮上。

 

佐賀県警察による捜査が行われ、「M」という当時26歳の男が被害者のうち3人の殺害に関わったとする殺人の容疑者として逮捕起訴され、裁判では死刑が求刑されましたが、この男を犯人と決定づける証拠は示されず無罪判決となりました。

 

その後、真犯人は逮捕されず、真相は不明のまま7件全ての事件で公訴時効が成立し、「佐賀女性7人連続殺人事件」は未解決事件となっています。

 

ここではこの「佐賀女性7人連続殺人事件」について詳しく紹介していきます。

 

 

佐賀女性7人連続殺人事件① 第1の被害者・山崎十三子さん殺害事件

 

「佐賀女性7人連続殺人事件」の一連の事件について、被害者が失踪した時系列順に順番に詳細を見ていきます。

 

佐賀女性7人連続殺人事件の第1の被害者は、佐賀県の杵島郡北方町大渡(現在の武雄市)に住んでいた当時12歳の北方中学校1年生・山崎十三子(とみこ)さんでした。

 

 

 

第1の被害者・山崎十三子さん失踪時の状況

 

山崎十三子さんは、1975年8月27日(水曜日)の夜、スナック(クラブK)にホステスとして勤めていた母親(当時41歳)が自宅を出た後、1人で留守番(母と2人暮らしだった)をしていたところを失踪しました。

 

山崎十三子さんは、普段は母親の職場についていき、スナックの控え室で勉強をしている事が多かったそうですが、この日は友人が遊びに来ていたため自宅に残っていたという事です。友人は19時頃に帰宅しており、母親は午前0時30分頃に帰宅しているため、山崎十三子さんはその間に失踪したと見られています。

 

自宅内には争った形跡はなく、金品の盗難などもありませんでしたが、テレビが点けっぱなしになっており、玄関には普段履いている靴がそのまま残されていました。

 

 

第1の被害者・山崎十三子さん遺体発見時の状況

 

失踪から約5年後の1980年6月27日、佐賀県杵島郡白石町にある須古小学校のプール西側に位置するプール専用トイレの便槽内で白骨化した山崎十三子さんの遺体が発見されました。

 

なお、この山崎十三子さんの遺体発見の3日前の6月24日には、同小学校の北校舎トイレの便槽内から百武律子さんという当時20歳の女性の腐乱死体が発見されており、それに関連した小学校内の捜査中に山崎十三子さんの遺体は発見されています。(第2の被害者・百武律子さんについては後述)

 

山崎十三子さんの遺体の上には丸い石が100個ほど積まれ遺体を隠蔽した形跡がありました。

 

 

 

佐賀女性7人連続殺人事件② 第2の被害者・百武律子さん殺害事件

 

「佐賀女性7人連続殺人事件」の第2の被害者は、佐賀県杵島郡白石町(杵島郡大町町福母との情報もある)に住んでいた、喫茶店アルバイト・百武律子さん(当時20歳)でした。

 

 

第2の被害者・百武律子さんの失踪時の状況

 

百武律子さんは、1980年4月12日(この事件の土曜日の失踪)の23時半頃、アルバイト先から帰宅後に失踪しました。

 

百武律子さんは両親と姉弟の6人家族の次女で一緒に暮らしていましたが、父親が怪我で入院し母親はそれに付き添って病院に泊まり込んでおり、他の姉弟らも外出していてこの日は1人でした。

 

自宅には百武律子さんがネグリジェに着替えた形跡があり、アルバイト後に1度帰宅していたと思われますが、その後に失踪したと見られています。室内には争った形跡はなく、金品なども盗まれていませんでした。

 

百武律子さんは失踪の翌日が20歳の誕生日で、日頃から「20歳の誕生日に自殺する」などと言っており、過去に2度自殺未遂を起こしていた事から、家族はすぐに警察に通報し公開捜査に踏み切っています。

 

百武律子さんは姉の同棲相手のUという男と交際していて、その事で悩んでおり過去の自殺未遂はそれに関連していたようです。このUという男は百武律子さんの姉と結婚しようとしていましたが、素行の悪さから百武律子さんの家族の反対にあっていました。

 

また、このUという男は、第1の被害者の山崎十三子さんの母親が勤めるスナック(クラブK)の常連客でした。

 

百武律子さんの失踪直後の1980年4月16日、律子さんの父親宛に「娘ハ帰ラナイダロウ、オ前モ苦シメ」などと書かれた脅迫状が届き、同時期には「人捜しのテレビに出るな」という内容の脅迫電話もあったという事です。(脅迫状は後にUが書いたものと判明。後述)

 

 

 

第2の被害者・百武律子さんの遺体発見時の状況

 

失踪から約2ヶ月後の1980年6月24日、佐賀県杵島郡白石町の須古小学校(第1の被害者・山崎十三子さんの遺体が発見された小学校)北校舎の低学年用トイレ便槽の中から百武律子さんの腐乱した遺体が発見されました。

 

遺体が発見されたのは、衛生業者によるし尿の汲み取り作業中の事で、この業者は2ヶ月に1度のペースで汲み取り作業を行っていたため、百武律子さんは失踪したすぐ後に死亡し、犯人によって遺体が便槽内に遺棄されたと推定されました。

 

また、百武律子さんの自宅と遺体発見現場は約5kmの距離にありました。

 

前述の通り、百武律子さんの遺体発見の3日後の6月27日には、事件全体から見ると第1の被害者にあたる山崎十三子さんの遺体も同小学校のプール用トイレ便槽内から白骨化した状態で発見されています。

 

 

 

容疑者としてUが逮捕されるも証拠不十分で釈放

 

1981年3月12日、第2の被害者の百武律子さんの姉と同棲し、律子さんとも交際していたという当時29歳の男「U」(農業関係)が、律子さん失踪直後に律子さんの父親に対して脅迫状を送った(筆跡鑑定によりUによるものと特定された)とする脅迫の容疑で逮捕されました。(工員を殴った暴行容疑による別件逮捕だったとの情報もある)

 

警察はUが、百武律子さんだけでなく、第1の被害者の山崎十三子さんの殺害にも関与していると疑っていたようですが、Uは殺害の容疑については否認し、証拠不十分により釈放され、その後、容疑者からも外されています。

 

 

 

佐賀女性7人連続殺人事件③ 第3の被害者・池上千鶴子さん殺害事件

 

第3の被害者・池上千鶴子さんが勤めていた縫製工場

 

「佐賀女性7人連続殺人事件」の第3の被害者は、佐賀県杵島郡白石町東郷の縫製工場工員・池上千鶴子さん(当時27歳)でした。

 

 

第3の被害者・池上千鶴子さんの失踪時の状況

 

池上千鶴子さんは、1981年10月7日(水曜日)勤務先の縫製工場を退勤後、17時30分に近くのスーパーの駐車場で目撃されたのを最後に行方不明になりました。スーパー駐車場で目撃したのは職場の同僚で、「乗用車に乗った30代の男と親しく話しているのを見た」と証言しています。

 

 

第3の被害者・池上千鶴子さんの遺体発見時の状況

 

失踪から2週間後の1981年10月21日、池上千鶴子さんは、最後の目撃場所から約40km離れた、佐賀県三養其郡中原町の空き地で遺体となって発見されています。

 

池上千鶴子さんの遺体は勤務先の制服を着用しており、首には電気コードが4重に巻き付いた状態で、このコードによって絞殺されていましたが、性的暴行の形跡はありませんでした。

 

また、現場の空き地の周囲は柵に囲まれており、簡単には人が入れない状態でした。

 

その他、事件との直接的な関係性は不明ながら池上千鶴子さんは失踪前に4日間会社を無断欠席しており、その理由を「母親の看病のため」と説明していた事もわかっています。

 

 

 

佐賀女性7人連続殺人事件④ 第4の被害者・西山久美さん殺害事件

 

第4の被害者・西山久美さん殺害の犯人とされる男の似顔絵

 

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「佐賀女性7人連続殺人事件」の第4の被害者は、佐賀県三養基郡北茂安町に住む、北茂安小学校5年生の西山久美さん(当時11歳)でした。

 

 

第4の被害者・西山久美さん失踪時の状況

 

1982年2月17日(水曜日)、西山久美さんは16時20分頃に下校のために友人と小学校を出ましたが、その後、下校路にある大瀬橋付近で友人と別れて1人になった後に行方不明になっています。

 

この日、西山久美さんが行方不明になる前、同町の国道34号線沿いのバス停で、白い乗用車から降りてきた30代から40代くらいの男が主婦にしつこく声をかけ、主婦に「警察を呼びますよ」と言われて、睨みつけながら車に戻って行くという出来事がありました。

 

さらに、14時半頃には、主婦が声をかけられた地点から約5kmの佐賀県神埼郡三田川町の三戸田小学校の校舎近くに停車した白い乗用車から降りてきた男が、下校中の女児を「ピンクレディーの写真を見せるからこっちへ来なさい」などと言いながら抱き抱えて近くのトイレに連れ込んでいます。この時に女児が大声で泣き出すと、男は何もせずに逃亡しています。

 

そして、15時10分頃、北茂安中学校の女子生徒2名が下校中に、おそらく同じ男にしつこく声をかけられており、さらに15時半頃にも小学2年生女児3名がおそらく同じ男から家まで送ってあげると声をかけられています。

 

この一連の出来事のすぐ後の16時20分以降に西山久美さんは行方不明になっており、この白い車の男が犯人である可能性が極めて高いと見られています。

 

 

 

第4の被害者・西山久美さん遺体発見時の状況

 

西山久美さんが行方不明になった2月17日の20時40分頃、久美さんがいつまでも帰宅しない事を心配した家族が警察に通報しています。

 

翌2月18日の朝から、県警と地元消防員ら約150人体制での捜索が行われ、その日の午前11時半頃に、北茂安中学体育館北側に位置する町道脇のミカン畑の中で、ランドセルを背負ったままうつ伏せに倒れた状態の西山久美さんの遺体が発見されました。

 

西山久美さんの首にはストッキングが巻きつけられ絞殺されており、下半身は裸の状態で性的暴行を受けた痕跡がありました。

 

翌2月19日には、「北茂安町」、「北茂安小学校」、「保健所」宛てに、「誘拐して(金銭を)要求するつもりだった。しかし本人が騒いだので殺した」などと書かれた葉書が届いており、犯人が出したものと推測されました。

 

行方不明当日には、前述の通り、白い車に乗った男による不審な声掛け事案が複数発生していたため、この男が犯人の可能性が高いとして捜査が進められました。

 

目撃証言などから、この犯人と思しき男は30代から40代で、顔立ちは鼻筋の通ったきつい目をした細面、服装はジャンパーに青いズボンだった事などがわかっています。

 

また、犯人と思しき男が乗っていた白い車はトヨタ「カローラ」か「スプリンター」あるいはダイハツ「クオーレ」のようなタイプではないかとの情報も明らかにされました。

 

また、犯行の手口や遺体発見現場が近い事などから、第3の被害者である池上千鶴子さん殺害と同一の犯人によるものではとの推測もされました。

 

 

 

佐賀女性7人連続殺人事件⑤ 第5〜第7の被害者の遺体発見(北方事件)

 

出典:https://pbs.twimg.com/

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1989年1月27日の17時頃、佐賀県杵島郡北方町大峠の山林近くをドライブしていた夫婦が、崖下に女性の遺体を発見して警察に通報しました。

 

通報を受けた警察が到着し周辺を捜索したところ、2日前から行方不明になっていた吉野タツ代さん(当時37歳)、さらにそのすぐ横に中島清美さん(当時50歳)の腐乱死体が、さらにすぐ近くに、藤瀬澄子さん(当時48歳)の白骨遺体が発見されます。

 

また、3人の遺体発見現場から周囲約2km圏内で、被害者のものと思われる下着などの遺留品が点々と捨てられているのも発見されています。

 

この3人の被害者の遺体が発見された事件はまとめて「北方事件」とも呼ばれています。

 

続けて、この第5〜第7の被害者達について、時系列順に失踪時の状況を見ていきます。

 

 

 

第5の被害者・藤瀬澄子さんの失踪時の状況

 

1987年7月8日(水曜日)、武雄温泉街の料亭の仲居として働いていた藤瀬澄子さん(当時48歳)は、仕事帰りに同僚の女性と武雄温泉街のスナックで飲食した後、21時35分頃に西浦通で1人になった後に行方不明になりました。この地点は自宅から1kmほどの場所でした。

 

日付が変わっても帰宅しない澄子さんを心配した夫は、方々に電話をかけ、周囲を探し回りましたが見つける事ができませんでした。その後、夫は警察に捜索願を提出しています。

 

 

 

第6の被害者・中島清美さん失踪時の状況

 

1988年12月7日(水曜日)の19時20分頃、佐賀県北方町の主婦・中島清美さん(当時50歳)は、ミニバレーチームの練習のために徒歩で自宅を出ました。

 

練習場の北方スポーツセンターは、自宅から徒歩700mほどの場所にあり、いつもは練習仲間と2人で通っていましたが、この日はその仲間が休んだため1人で出掛けていました。

 

22時50分、同居している次女が仕事から帰宅していますが、この時にはまだ中島清美さんは帰宅していませんでした。しばらく待っても帰宅しないため、次女はミニバレーチームの関係者に電話で連絡を入れます。するとこの日、中島清美さんは練習に来ていない事が判明。

 

その後、帰宅した中島清美さんの夫が、北方スポーツセンターまでの道を徒歩で探すも見つからず、翌日の午前2時過ぎに、佐賀県警大町警察署に捜索願を出していました。

 

中島清美さんが自宅を出た直後の12月7日の19時30分頃、清美さんと思われる女性が自転車に乗った女性と立ち話をする姿が近隣住民に目撃されています。相手の女性は30歳〜40歳くらいとの証言でしたが、身元を特定する事はできませんでした。

 

 

第7の被害者・吉野タツ代さん失踪時の状況

 

3人の遺体が発見された2日前の1989年1月25日(水曜日)、佐賀県北方町の主婦で町内の縫製工場でも働いていた吉野タツ代さん(当時37歳)は、19時前に勤務先から帰宅し、同居している長男と実母と一緒に夕食をとっていました。

 

その夕食中の19時20分頃に電話があり、20秒ほど通話した後に吉野タツ代さんは「友達の車がパンクしたから山内町まで送ってくる」と母に言い残して自宅を出ています。この時、長男には何故か「友達と食事に行く」と話しています。

 

吉野タツ代さんは赤い乗用車で出かけ、自宅から3kmほど離れた武雄市内のボウリング場の駐車場で、身元不明の男性の車の助手席に乗り込む姿が目撃されたのを最後に行方不明となり、2日後に大峠の崖下の山林で遺体となって発見されました。遺体発見時の服装は家を出た時と同じ、白のスカートとカーディガンでした。

 

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吉野タツ代さんの車はそのまま武雄市内のボウリング場駐車場で放置されているのが発見されています。

 

なお、吉野タツ代さんが勤務していた縫製工場は、第3の被害者である池上千鶴子さんが働いていたのと同じ縫製工場でした。

 

 

 

佐賀女性7人連続殺人事件は犯人が特定されず7件全てが未解決事件に

 

1989年10月、当時26歳の「M」という男が、覚せい剤取締法違反容疑で逮捕されました。

 

この容疑者Mは、吉野タツ代さんと交際していたため、3人の遺体が発見された「北方事件」の容疑者として浮上しており、事件後すぐに事情聴取されています。

 

容疑者Mは、吉野タツ代さんとの交際は認めたものの、殺害の容疑は否認し、一緒に遺体となって発見された藤瀬澄子さんと中島清美さんとは面識もないと主張していました。

 

そして、逮捕後、警察は再び鹿児島刑務所拘置中のMに対して、3人殺害の容疑で任意の聴取を行ったところ容疑者Mは一旦は「軽トラックの中で女友達の写真を見つけられ、口論となりタツ代さんを殺害した」と自供しています。

 

ところが、容疑者Mはその後、一転して容疑を否認し、Mの弁護士は「深夜まで取り調べを受け、捜査員に暴行を受けるなどしたため虚偽の自供をさせられた」と主張。決定的な物証もなかったため、警察は立件を見送っています。

時は流れ、藤瀬澄子さん事件の公訴時効が間近に迫った2002年6月11日、佐賀県警察は窃盗未遂で服役中だったMを再逮捕し、検察は時効成立6時間前の7月7日に「北方事件」での3人の殺害の容疑で起訴に踏み切っています。

検察は、決定的な物的証拠がないまま、状況証拠のみで裁判に挑みました。

 

この裁判で、検察側が主張した状況証拠は以下の内容でした。

 

① ボウリング場駐車場で吉野タツ代さんが乗り込んだと見られる男の車がMの所有者と同じ車種だった。

 

② 吉野タツ代さんの遺体にMの唾液が付着していた。

 

③ 吉野タツ代さんの遺体には失禁した跡があり、Mの車の助手席から人間の尿が検出された。

 

ただ、容疑者Mは吉野タツ代さんと交際していた事は認めているため、これらの状況証拠は殺害の直接的な証拠とは認められずMには無罪の判決が下され確定しています。

 

その後も、一連の事件の犯人は特定されず「佐賀女性7人連続殺人事件」は全ての事件が真相不明のまま控訴時効を迎え未解決事件となりました。

 

 

 

佐賀女性7人連続殺人事件の容疑者の「M」について

 

出典:https://takenoko-ent.c.blog.ss-blog.jp/

 

「佐賀女性7人連続殺人事件」のうちの3件「北方事件」の容疑者として逮捕起訴された「M」という男ですが、実はこの後にも事件を繰り返し起こして逮捕されています。

 

2012年5月18日の毎日新聞には、この容疑者Mが、福岡県、宮崎県、大分県、鹿児島県の4県で、合計127件の窃盗事件を起こしており、被害総額が少なくとも約440万円に上る事が確認された事が報じられています。(記事では実名)

 

Mは、このうち5件の窃盗と、覚せい剤取締法違反(使用)の容疑で福岡地検に送検されています。

 

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「佐賀女性7人連続殺人事件」に関しては、冤罪事件などと言われている容疑者Mですが、こうした犯罪歴などもあり、やはり一連の事件の真犯人ではないのかと疑う声も根強く残っています。

 

このMですが、2012年の報道時点では49歳と報じられており、2023年の現在も60歳前後で存命している可能性が高いと思われます。

 

 

 

佐賀女性7人連続殺人事件の真犯人や真相

 

「佐賀女性7人連続殺人事件」の真犯人や真相は明らかにされていません。

 

そもそも、7人が殺害された事件が同一の犯人によるものかもわかっておらず、3人の遺体が発見された「北山事件」と、以前の4件の殺人事件の真犯人は別人なのが真相とする説も有力とされています。

 

また、北山事件以外の4件は全て別の犯人によるもので、警察が無理矢理に同一の犯人によるものとしたために捜査が混乱したのが真相ではないかとする説も唱えられています。

 

ちなみに、真相としてネット上で有力視されているの以下の内容です。

 

第1の被害者の山崎十三子さんと、第2の被害者の百武律子さんを殺害した真犯人は、警察が容疑者としてあげていた29歳の男Uで、第3の被害者池上千鶴子さん殺害事件の真犯人は別。

 

第4の被害者・西山久美さんの事件の真犯人は、白い車に乗った不審な男で、動機はわいせつ目的。

 

第5〜第7の被害者の「北山事件」の犯人は、やはり「M」ではないか。

 

 

 

まとめ

 

今回は、1975年から1989年にかけて佐賀県各地で7人の女性が何者かによって殺害された連続殺人事件「佐賀女性7人連続殺人事件」についてまとめてみました。

 

佐賀女性7人連続殺人事件の被害者は、山崎十三子さん、百武律子さん、池上千鶴子さん、西山久美さん、藤瀬澄子さん、中島清美さん、吉野タツ代さんの7人で、年齢は小学生から50代主婦までとバラバラです。

 

一連の事件の犯人は見つかっておらず、容疑者としては何人かの男が浮上しましたが、いずれも証拠不十分で釈放、あるいは裁判で無罪とされています。

 

真犯人や真相については現在も判明しておらず、全ての事件が時効を迎え未解決事件となっています。

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