海外ではたくさんの事件・テロが起こり、多くの犠牲者が出ていますが、海外での事件・テロに日本人が巻き込まれ死亡することもあります。
海外で日本人が死亡した被害事件を衝撃度ランキングでまとめました。今回は日本人が巻き込まれて死亡した海外の事件の中でも戦後(1945年以降)の事件に限定しています。
この記事の目次
海外の日本人死亡被害事件の衝撃ランキング:40位~36位
第40位:水野成規さん殺害事件
水野成規さん殺害事件
発生日時:2017年4月20日
場所:フィリピンのマニラ
被害者:水野成規さん
事件概要:銃撃されて死亡
2017年4月20日、パチンコ関連企業「ジェーアンドエー」の社長・水野成規さんが出張のためマニラを訪れました。
フィリピンに着いたその日の夜に、社員らと飲食店で夕食を食べた後、ホテルに戻る途中、オートバイに乗った2人組の犯人から銃撃され、左首を撃たれて死亡しました。
この2人組の犯人は、レストランにいる時から水野成規さんを狙っていて、発砲後は現金など何も盗らずに逃走したことから、プロの殺し屋の犯行ではないかと見られています。
第39位:アンピル日本隊員等襲撃事件
出典:twitter.com
アンピル日本隊員等襲撃事件
発生日時:1993年5月4日
場所:カンボジア北西部のアンピル村
被害者:1名(日本人)死亡、9名負傷(日本人+オランダ人)
事件概要:ゲリラによる襲撃
1992年10月から国際連合カンボジア暫定統治機構(UNTAC)の文民警察官が、現地カンボジアの警察官要請のためにカンボジア各地に派遣されていました。
現地の治安は非常に悪い状況でしたが、文民警察官は武器の携行が認められていない状況でした。
1993年5月4日、オランダ海兵隊の警護を受けながら、日本人文民警察官が地域を巡回していた時、ポル・ポト派と見られる10人程度の武装ゲリラに対戦車ロケット弾や自動小銃で襲撃され、高田晴行警部補が死亡、ほかの4人の日本人文民警察官が重傷、応戦したオランダ海兵隊5人も重傷を負いました。
第38位:中田厚仁殺害事件
中田厚仁殺害事件
発生日時:1993年4月8日
場所:カンボジアのプラサットサンボ郡フィル・クレル村
被害者:中田厚仁さん
事件概要:襲撃を受けて死亡
中田厚仁さんは国際連合カンボジア暫定統治機構(UNTAC)に採用され、1992年7月にカンボジアの選挙監視員として赴任しました。
1993年4月8日、中田さんはプランサットサンボ郡を自動車で移動中、フィル・クレル村でクメールルージュと見られるグループに拘束された後、背中に3発・後頭部に1発の銃撃を受けて死亡しました。
この事件の2日前には中田さんが赴任していたプランサットサンボ郡で中田さんが殺害されるという噂が広まっていて、中田さんの事務所に誰も立ち寄らなくなっていたとのことです。
第37位:カナダ邦人女性遺体発見事件
カナダ邦人女性遺体発見事件
発生日時:2016年9月28日
場所:カナダのバンクーバー
被害者:古川夏好さん
事件概要:薬を飲ませて殺害?
カナダのバンクーバーの空き家で、2016年9月28日に日本人留学生の古川夏好さんの遺体が発見されました。古川さんは9月8日以降に行方が分からなくなっていました。
カナダの警察は防犯カメラに古川さんと一緒に映っていたカナダ人の男ウィリアム・シュナイダーを殺人・死体遺棄で逮捕し、2018年には終身刑が言い渡されています。
第36位:バングラデシュ邦人殺害事件
出典:sankei.com
バングラデシュ邦人殺害事件
発生日時:2015年10月3日
場所:バングラデシュ北西部ロングプール
被害者:星邦男さん
事件概要:銃撃により死亡
バングラデシュの北西部にあるロングプールという地域で、農業支援のために滞在していた日本人男性の星邦男さん(当時66歳)が、三輪自転車タクシー「リキシャ」に乗っていたところを、バイクに乗った3人組に銃撃され死亡しました。
この星邦男さん襲撃事件では、過激派組織の「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」が犯行声明を出しています。事件に関与していた容疑者のうち3人は事件の翌月に拘束され、2016年1月には犯人の潜伏先を警察が急襲し、銃撃戦により犯人1人が死亡しています。
海外の日本人死亡被害事件の衝撃ランキング:35位~31位
第35位:森田耕一郎さん殺害事件
森田耕一郎さん殺害事件
発生日時:2012年5月7日
場所:チリのサンティアゴ
被害者:森田耕一郎さん
事件概要:強盗殺人で死亡
国立天文台の森田耕一郎教授は、2010年10月からチリ北部で行われていた電波望遠鏡「アルマ」の国際プロジェクトに参加していました。
アルマの観測開始が目前に迫った2012年5月7日、サンティアゴにある森田教授の自宅マンション前で何者かに襲われて頭部を強打し病院に搬送されましたが、死亡しました。警察によると、財布や携帯電話、身分証などがなくなっていたとのことで、強盗殺人として捜査が進みました。
事件から4日後の5月11日に強盗殺人の疑いで、チリ人男性のクリストフェル・キハダが逮捕されています。
第34位:斎藤昭彦さん拘束死亡事件
斎藤昭彦さん拘束死亡事件
発生日時:2005年5月28日(?)
場所:イラクの西部
被害者:斎藤昭彦さん
事件概要:武装組織による拘束・死亡
日本人の斎藤昭彦さんはイギリス系の民間軍事会社「Hart Sequlity」で傭兵としてイラクで勤務していました。2005年5月8日、イラクの武装勢力「アンサール・アル・スンナ軍」がイラク西部のヒート周辺で、アメリカ軍基地を出た車列を襲撃し、銃撃戦の末に斎藤昭彦さんが拘束されました。
「アンサール・アル・スンナ軍」は5月28日に斎藤さんが死亡したことを公表し、インターネット上に斎藤さんがコンクリートの床に大の字なった状態で亡くなっている映像を流しました。
第33位:ネパール邦人女性失踪事件
出典:saiyu.co.jp
ネパール邦人女性失踪事件
発生日時:1990年4月3日以降
場所:ネパールのポカラ周辺
被害者:南埜佐代子さん
事件概要:行方不明
1990年4月3日、南埜佐代子(当時29歳)がネパールの首都カトマンズから日本の家族に「4週間くらいの予定でヒマラヤ・アンナプルナ方面に山歩きに行く」という内容の手紙を出しましたが、それ以降行方が分からなくなっていました。
心配した家族がネパールで南埜さんの行方を捜したところ、アンナプルナトレッキングの玄関口であるポカラという街のホテルに南埜さんの荷物が残されていました。
荷物の中に衣類や日用品が残されていたことから、トレッキングに出かける前に失踪したものと見られています。
失踪してから約4ヶ月後の1990年8月に大阪の実家に泣きじゃくりながら、「あぁ悔しい、苦しい」と話す電話がかかってきました。その電話を受けた母親は南埜さんからの電話と直感しましたが、この電話の女性は泣くばかりで具体的なことは何も言わずに電話は切れてしまいました。
その後、南埜佐代子さんの行方は全く分かっておらず、現地で何らかの事件に巻き込まれて命を落としたと見られています。
第32位:ラスベガスの大学銃撃事件
ラスベガスの大学銃撃事件
発生日時:2023年12月6日
場所:アメリカのラスベガス
被害者:3名死亡(うち日本人1名)、3名負傷
事件概要:銃乱射事件
2023年12月6日、アメリカのネバダ大学ラスベガス校で犯人のアンソニー・ポリトが銃乱射事件を起こしました。この事件で教員3名が死亡し、教員1名と警察官2名が負傷しました。犯人のアンソニー・ポリトは警察に射殺されています。
この死亡した3人の教員のうち1名が日本人の武丸直子准教授でした。武丸准教授は、ネバダ大学ラスベガス校で人文科学部の日本学を教えていました。
第31位:フィリピン航空434便爆破事件
出典:flyteam.jp
フィリピン航空434便爆破事件
発生日時:1994年12月11日
場所:南大東島上空
被害者:1名死亡、10名負傷
事件概要:航空機爆破テロ
1994年12月11日フィリピンのマニラ発、セブ経由成田空港行きのフィリピン航空434便に、世界貿易センター爆破事件の実行犯であるアルカーイダのラムジ・ユセフが時限爆弾を持ってマニラから搭乗し、爆弾を座席番号26Kの座席下に仕掛けてセブで途中降機しました。
セブから成田空港に向けて飛び立ったフィリピン航空434便は成田まであと2時間の南大東島付近に差し掛かりました。すると、上空約9,000mの地点で突然爆弾が爆発し、26Kに座っていた日本人男性(当時24歳)が即死したのです。周辺に座っていた乗客10名も負傷しました。
爆発後、飛行機は那覇空港に緊急着陸し、日本人男性1名以外に犠牲者は出ませんでした。この爆破テロは1995年1月に行う予定だった「ボジンカ計画」という航空機爆破計画の予行練習として行われたことがわかっています。
海外の日本人死亡被害事件の衝撃ランキング:30位~26位
第30位:エクアドル邦人銃撃事件
エクアドル邦人銃撃事件
発生日時:2013年12月28日
場所:エクアドルのグアヤキル
被害者:1名死亡、1名重傷
事件概要:強盗殺人
2013年12月28日、南米のエクアドル最大の都市グアヤキルで、新婚旅行中の日本人夫婦が8人組の強盗グループに襲撃され、夫の人見哲生さんが死亡、妻の真梨子さんは脚を撃たれるなどの重傷を負いました。
エクアドルでは特急誘拐と呼ばれる短時間での強盗・誘拐が頻発していて、この夫婦も特急誘拐にあったものの、クレジットカードの暗証番号を教えなかったために殺害されたと見られています。
第29位:台湾日本人女子大生殺人事件
出典:twitter.com
台湾日本人女子大生殺人事件
発生日時:1990年4月8日
場所:台湾の高雄
被害者:1名死亡
事件概要:バラバラ殺人事件
お茶の水女子大に通う井口真理子さんは、1990年4月2日から台湾を1人で旅行していました。4月4日には台北から台南に向かい、そこで若い男と知り合って、男の家に宿泊します。
その男の案内で台南を敢行した後、4月7日に台南から高雄に向かいました。その後、行方が分からなくなっています。
事件から11ヶ月後の1991年3月4日、高雄市在住のタクシー運転手が逮捕されました。
供述によると、1990年4月7日に高雄市で井口さんと知り合い、仲良くなって一緒に遊びましたが、性的な関係を井口さんから拒否されたため、弓矢を彼女の頭部に発射して殺害し、頭部を切断して遺棄し、身体はガソリンをかけて燃やしてから遺棄したとのことです。
第28位:テッド・新井殺害事件
出典:nicovideo.jp
テッド・新井殺害事件
発生日時:2007年2月5日
場所:パラグアイのアスンシオン
被害者:1名死亡
事件概要:強盗に射殺される
テッド・新井(新井国右)さんはアメリカ陸軍の憲兵として、朝鮮戦争で軍内部の犯罪捜査に携わっていた経験を活かし、南アメリカや南アフリカで傭兵として戦っていました。
その後、私立探偵や軍事アドバイザー、銃器の指導員などの仕事をしていましたが、2007年2月5日にパラグアイの首都アスンシオンで自動車運転中に信号待ちで強盗に襲われ、強盗から至近距離で射殺されて亡くなりました。
第27位:杏真理子殺害事件
杏真理子殺害事件
発生日時:1974年4月8日
場所:アメリカのサンフランシスコ
被害者:1名死亡
事件概要:男に射殺
歌手の杏真理子さんは、1973年9月から音楽の勉強のために滞在していたサンフランシスコでボイストレーニングなどをしていましたが、1974年4月8日に行方不明になり、翌4月9日にアパートでトランクに詰め込まれた状態で遺体となって発見されました。
杏真理子さんを殺害したのは日系人の「タネヨシ・ミギタ」という男性で、動機は杏真理子さんが借金を断ったからとも、肉体関係を迫ったら杏真理子さんに断られたからとも言われています。
第26位:パンアメリカン航空103便爆破事件
出典:youtube.com
パンアメリカン航空103便爆破事件
発生日時:1988年12月21日
場所:スコットランドのロッカビー上空
被害者:270名死亡(うち日本人1名)
事件概要:航空機爆破テロ
1988年12月21日、パンアメリカン航空103便はロンドンのヒースロー空港を離陸し、ニューヨークのジョン・F・ケネディ空港に向かっていました。
ヒースロー空港を離陸して約40分後、前部貨物室に搭載されていた貨物コンテナが爆発し、機体が空中爆発しました。機体の残骸はロッカビー村に落下し、民家を巻き込んで大爆発を起こしています。
この事故で乗員16名・乗客243名全員が死亡、さらに住民11名が死亡しています。乗客の中にはロンドン在住の日本人(当時26歳)も含まれていました。
パンアメリカン航空103便爆破事件はリビア政府が関与していることがわかっています。
事件から34年経った2022年12月に、爆弾製造でこの事件に関与した元リビア情報機関員のアブアギラ・マスウドが拘束されました。
海外の日本人死亡被害事件の衝撃ランキング:25位~21位
第25位:ピル治験女性バラバラ殺人事件
出典:ameblo.jp
ピル治験女性バラバラ殺人事件
発生日時:1986年10月8日~15日
場所:デンマークのコペンハーゲン
被害者:1名死亡
事件概要:バラバラ殺人
1986年10月31日、デンマークのコペンハーゲン港に浮いていたバッグの中から人間の下半身や足の一部が発見されました。その後の捜索で、海底から頭部や腕なども見つかり、遺体は海外のピル治験ツアーに参加していた22歳の日本人女性であることが判明しました。
このピル治験ツアーは渡航費用は会社持ち、手当として1日1万円、さらにドイツ語学校で勉強できるという特典があるもので、日本人女性5名が参加していました。
4名は治験終了後日本に戻っていますが、被害女性は10月4日にヘルシンキにいたことが確認されたのを最後に足取りが途絶えていた状態で、約4週間後にバラバラ遺体となって発見されたのです。
現地警察によると10月8日~15日の間に窒息死させられたものと見られていますが、暴行の形跡や毒物・薬物の飯能もなく、犯人は不明なままとなっています。
第24位:イラク日本人外交官射殺事件
出典:jiji.com
イラク日本人外交官射殺事件
発生日時:2003年11月29日
場所:イラクのティクリート近郊
被害者:日本人外交官2名+イラク人運転手
事件概要:襲撃されて射殺
2003年11月29日午前11時ごろ、イラク北部のティクリート近郊で、奥克彦・駐英参事官と井ノ上正盛・駐イラク三等書記官の2人が日本大使館の車で移動中に後ろから追いついてきた車に発砲されました。
警察が到着した時点でイラク人運転手と井ノ上書記官はすでに死亡していましたが、奥参事官はまだ息があり、病院に搬送されましたが死亡しています。
金品等は盗まれていないことから、テロの可能性が高いと見られています。
第23位:シリア邦人記者死亡事件
出典:jiji.com
シリア邦人記者死亡事件
発生日時:2012年8月20日
場所:シリアのアレッポ
被害者:山本美香さん
事件概要:銃撃により死亡
シリア内戦の取材のために2012年8月14日にシリアに入った山本美香さんは、反政府派の自由シリア軍と行動する形で取材をしていましたが、8月20日に徒歩で移動中に政府側の民兵組織から銃撃を受けて死亡しました。
司法解剖により、銃創は9ヶ所、致命傷は首への銃撃による頚髄損傷であることがわかっています。
山本さんの死後、日本記者クラブ賞特別賞、国際新聞編集者協会から「ワールド・プレス・フリーダム・ヒーロー賞」が贈られました。
第22位:ルーマニア邦人女子大生殺害事件
ルーマニア邦人女子大生殺害事件
発生日時:2012年8月15日
場所:ルーマニアのブカレスト
被害者:益野友利香さん
事件概要:強盗殺人
2012年8月15日、学生インターンシップに参加するため、1人でルーマニアのブカレストに到着した女子大生の益野友利香さんは、ブラッド・ニコラエ(当時25歳)に声をかけられて、一緒に空港からタクシーに乗り込みました。この時、すでに20時30分ごろです。
その後、タクシーは益野さんが向かう駅とは逆方向に走り、左右を森に囲まれて暗く寂しい場所にあるバス停付近で2人はタクシーを降りました。
それから2日後の8月17日に益野さんは、森の中で遺体となって発見され、ブラッド・ニコラエが逮捕されました。ブラッド・ニコラエは益野さんの携帯電話やデジタルカメラを盗んでいたほか、遺体からはブラッド・ニコラエのDNAが検出されています。
第21位:フィリピン宝探し殺害事件
フィリピン宝探し殺害事件
発生日時:2021年5月4日
場所:フィリピンのヌエバエシハ州
被害者:クルマツカ・ノリオさん
事件概要:トラブルによる殺人?
2021年5月4日、フィリピン北部のルソン島で、クルマツカ・ノリオさんという82歳の日本人男性の遺体が発見されました。クルマツカさんは頭に殴られたような痕跡があり、現地警察は殺人事件として捜査し、現場近くに住むフィリピン人男性を逮捕しています。
クルマツカさんはフィリピンで財宝探しのための掘削作業を進めていましたが、犯人の男と口論していたことがわかっています。
82歳でフィリピンでトレジャーハンターをしていたというだけで、かなり気になる事件ですが、最後がフィリピン人に殺害されるというのは一体何があったのでしょうか。
海外の日本人死亡被害事件の衝撃ランキング:20位~16位
第20位:日本人留学生射殺事件
出典:mainichi.jp
日本人留学生射殺事件
発生日時:1992年10月17日
場所:アメリカのルイジアナ州バトンルージュ
被害者:服部剛丈さん
事件概要:射殺
1992年夏、愛知県在住の高校2年生だった服部剛丈さんは交換留学でアメリカのルイジアナ州でホームステイをしていました。
1992年10月17日、ホストファミリーの高校生と一緒に仮装してハロウィンパーティーに出かけましたが、訪問先の家を間違えてしまいます。服部さんとホストファミリーの高校生が訪問した家の住人は2人を見つけると、銃を持ってきて、2人に向けて「フリーズ」と警告しました。
しかし、服部さんは「パーティーに来たんです」と近づいていき、それを見た住人が服部さんに向けて発砲し、服部さんは死亡しました。
服部さんは「フリーズ」を「プリーズ」と聞き間違えたのでは?と言われています。
刑事裁判ではこの発砲した住人は無罪になりましたが、民事裁判ではおよそ7000万円を支払う判決が出ました。
第19位:ペルー早稲田大学探検部員殺害事件
出典:jiji.com
ペルー早稲田大学探検部員殺害事件
発生日時:1997年10月17日
場所:ペルーのペバス近くのピファヤル監視所
被害者:2名死亡
事件概要:営利目的で暴行の末殺害+遺体損壊
早稲田大学探検部員の2名は1997年7月23日にペルーに入国し、8月18日からイカダで川下りをスタートさせました。10月17日、イカダがピファヤル陸軍監視所付近を通過した時、ペルー陸軍の軍曹がイカダを停船させて大学生2人を監視所に連行します。
所持品検査で1200ドルを所持していたことを確認すると、現金を強奪し、ペルー陸軍の兵士は大学生2名を暴行して殺害しました。その後、遺体は山刀でバラバラにされて隠されました。
大学生2名が行方不明になったことから、大使館からペルー警察に対して正式に捜索願が提出され、捜索が始まりましたが、現場近くのぺバスで被害大学生所持品を持っていた少年が見つかり、そこから軍人の関与が疑われ、事件が発覚・遺体が発見されました。
この事件後には当時の首相である橋本龍太郎氏の言動や事件への対処能力、補償問題、海外での邦人安全確保などの様々な議論が噴出して、社会問題にもなっています。
第18位:長井健司さん銃撃事件
長井健司さん銃撃事件
発生日時:2007年9月27日
場所:ミャンマーのヤンゴン
被害者:長井健司さん
事件概要:取材中に射殺
APF通信社所属の長井健司さんは2007年9月27日にミャンマーのヤンゴンで軍事政権に対する僧侶や市民の反政府デモを取材していた時、ミャンマー軍の兵士に至近距離から銃撃されて死亡しました。
事件当初、ミャンマー政府は流れ弾が当たったと説明していましたが、軍人が背後から近づき至近距離で長井健司さんを撃った映像が残っていました。また、永井さんの周りに政府による監視者がいたこと、ミャンマー政府から射殺命令が出ていたことなどが指摘されています。
長井さんが使っていたカメラはミャンマー政府に取り上げられていて、現在でも返還されていません。
第17位:第2次バリ島爆弾テロ事件
第2次バリ島爆弾テロ事件
発生日時:2005年10月1日
場所:インドネシアのバリ島
被害者:20名死亡(うち日本人1名)+129名負傷(うち日本人4名)
事件概要:爆弾テロ
2005年10月1日にインドネシアの代表的な観光地・リゾート地であるバリ島で同時多発爆弾テロが起こりました。
午後7時40分にジンバランのレストラン、その1分後にジンバランのカフェ、その4分後にクタのレストランで爆弾が爆発しています。
この爆弾テロで20名が死亡、129名が負傷し、さらに自爆テロだったため犯人3名も死亡しています。バリ島の中でも観光客が特に多い場所での連続爆弾テロだったため、世界に衝撃を与えました。
第16位:TAJIMA号事件
TAJIMA号事件
発生日時:2002年4月7日
場所:台湾沖の公海上
被害者:1名死亡
事件概要:殺人
パナマ船籍で日本の海運会社が運航するタンカーのTAJIMA号(日本人5名+フィリピン人18名)はペルシャ湾から姫路港に向かっていて、2002年4月7日に台湾沖の公海上で日本人の二等航海士が行方不明になったと通報がありました。
海上保安本部の巡視船と台湾当局が協力して捜索にあたったものの、行方不明になった二等航海士を発見することができませんでした。
その後、TAJIMA号の日本人船長に「フィリピン人乗組員が二等航海士を殺害して海中に投げ込むのを目撃した」という密告があり、フィリピン人乗組員の容疑者2名を拘束し、容疑者2人は犯行を自供しています。
しかし、当時の日本の刑法には公海上の外国籍船内で外国人による日本人殺害の処罰規定がなかったため、旗国であるパナマが刑事裁判管轄権を持つことになり、結果として容疑者2名は無罪となりました。
海外の日本人死亡被害事件の衝撃ランキング:15位~11位
第15位:コロンビア副社長誘拐事件
出典:jiji.com
コロンビア副社長誘拐事件
発生日時:2001年2月22日~2003年11月24日
場所:コロンビアのボゴタ
被害者:1名死亡
事件概要:左翼ゲリラの誘拐・殺害
2001年2月22日コロンビアのボゴタで矢崎総業の現地合弁企業「矢崎シーメル」の日本人副社長・村松治夫さんがボゴタ北部で警察官を装った男らに拉致されました。その後、副社長の身柄は左翼ゲリラ組織コロンビア革命軍に引き渡され、身代金2,500万ドルが要求されています。
その後、事件は長期化し、副社長の生死が明確にはわからないままでしたが、事件発生から2年9ヶ月後の2003年11月24日に副社長の遺体が発見されました。
遺体発見後、コロンビア国軍が犯人掃討作戦を展開し、副社長を殺害したと思われる容疑者を射殺しています。また、2005年以降、副社長の誘拐に関与した容疑者や誘拐を計画したコロンビア革命軍の最高幹部、誘拐殺害に関与した幹部が逮捕されました。
第14位:ムンバイ同時多発テロ事件
出典:jp.wsj.com
ムンバイ同時多発テロ事件
発生日時:2008年11月26日~11月29日
場所:インドのムンバイ
被害者:174名死亡(うち日本人1名)、239名負傷(うち日本人1名)
事件概要:イスラム過激派によるテロ
2008年11月26日~11月29日にかけて、インドのムンバイで外国人向けのホテルや駅、カフェ、映画館、病院など複数の場所がイスラム過激派によって攻撃され、インド、イスラエル、アメリカ、ドイツ、日本などの多国籍の被害者が死亡し、239名が負傷しました。
事件後、デカン・ムジャーヒディーンと名乗る組織が犯行声明を出し、この犯行声明の発信元はパキスタンであることが突き止められ、インドとパキスタンの関係性がさらに悪化した一因になりました。
第13位:バリ島爆弾テロ事件 (2002年)
バリ島爆弾テロ事件 (2002年)
発生日時:2002年10月12日
場所:インドネシアのバリ島
被害者:202名死亡(うち日本人2名)、209名負傷
事件概要:爆弾テロ
2002年10月12日バリ島南部の繁華街であり、観光客が集まりエリアであるクタで路上に停めてあった自動車爆弾が爆発し、向かいのディスコなどの建物が吹き飛んで炎上し、外国人観光客を含む202名が死亡し、209名が負傷する大惨事が起こりました。
この爆弾テロはイスラム過激派「ジェマ・イスラミア」の犯行であるとして、多数の幹部が逮捕・拘束されています。
第12位:アフガニスタン日本人拉致事件
アフガニスタン日本人拉致事件
発生日時:2008年8月26日~27日
場所:アフガニスタンのナンガルハール州
被害者:1名死亡
事件概要:タリバーンによる拉致・殺害
2008年8月26日、アフガニスタン東部にあるナンガルハール州で、NGO組織のペシャワール会のメンバーである伊藤和也さん(当時31歳)が拉致されました。
拉致直後に伊藤さんを近くの村民が発見してタリバーンを追い詰めましたが逃走し、アフガニスタン政府の警備隊とタリバーンの間で激しい銃撃戦が行われ、伊藤さんも銃で攻撃されて死亡しています。
逮捕された容疑者は「金目当てで犯行を決意した」、「政府警備隊が来たから伊藤さんを殺さざるを得なくなった」と話しています。
第11位:ソウル梨泰院雑踏将棋倒し事件
ソウル梨泰院雑踏将棋倒し事件
発生日時:2022年10月29日
場所:韓国のソウル・梨泰院
被害者:159名死亡(うち日本人2名)
事件概要:群衆雪崩
2022年10月29日、韓国のソウルにある繁華街の梨泰院でハロウィンイベントが行われ、若者を中心とした大群衆が集まりました。
事故が起こる1時間前にはすでに身動きが取れないほどの大混雑になっていて、22時15分ごろには坂の上の方から群衆雪崩が起こり、次々に折り重なるように人々が倒れ、300人以上が折り重なり、呼吸困難に陥りました。1㎡あたり17人がいた計算になります。
この事件で159名が死亡しましたが、このうち2名は日本人でした。
海外の日本人死亡被害事件の衝撃ランキング:10位~6位
第10位:藤田小女姫殺害事件
出典:abema.tv
藤田小女姫殺害事件
発生日時:1994年2月23日
場所:アメリカのハワイ・ホノルル
被害者:2名死亡
事件概要:親子殺害
1994年2月23日、ホノルルにある高層マンションでボヤ騒ぎがあり、火元の部屋のクローゼットから日本の有名占い師だった藤田小女姫さんが射殺体となって発見されました。
この1時間前には藤田小女姫さんは取引先の銀行員と電話で話していましたが、その声が怯えていると感じた銀行員が領事館に連絡し、領事館員がマンションに駆け付けると、ボヤ騒ぎが起こっていたとのことです。
また藤田小女姫さんの遺体が発見された高層マンションから数キロメートル離れたホテルの駐車場で乗用車が1台炎上しているのが発見され、車の中からは藤田小女姫の息子さんが胸を銃撃され、手足をテープで縛られて死亡していました。
この事件で息子さんの知人の男性(日本人)が逮捕されましたが、この犯人は「殺人は行っていないが、ある人物らに手をかさないと家族や恋人を誘拐すると脅され手伝った」と話しています。また、藤田小女姫さんの「ノート」が発見されていないことから、黒幕がいるのでは?という噂もあります。
第9位:バルド国立博物館での銃乱射事件
出典:jiji.com
バルド国立博物館での銃乱射事件
発生日時:2015年3月18日
場所:チュニジアのチュニス
被害者:22名死亡(うち日本人3名)、42名負傷
事件概要:イスラム過激派組織による攻撃
2015年3月18日、チュニジアの首都・チュニスにあるバルド国立博物館に、武装した男2人が観光客を人質に取って立てこもり、外国人観光客22名が死亡、42名が負傷しました。この22名の中には日本人女性3名が含まれていました。
治安部隊が事件発生から約4時間後に犯人2人を射殺して、現場を制圧しています。
この事件はチュニジア国内で活動するイスラム過激派組織である「アンサール・アル=シャリーア」の犯行であると断定されていますが、事件後は「イスラム国(ISIL)」に関するSNSでこの事件を称賛する書き込みが相次いだことから、イスラム国(ISIL)も関与しているのではないかと見られています。
第8位:中村哲さん殺害事件
中村哲さん殺害事件
発生日時:2019年12月4日
場所:アフガニスタンのナンガルハル州ジャラーラーバード
被害者:中村哲さん
事件概要:テロ組織による攻撃
アフガニスタンで活動するペシャワール会現地代表で医師の中村哲さんは、2019年12月4日にアフガニスタンのジャラーラーバードで車で移動中に銃撃を受けて死亡しました。
この中村哲さん襲撃事件後、タリバーンの報道官が組織の関与を否定する声明を発表しましたが、イスラム主義武装組織のパキスタン・タリバン運動の犯行であることがわかっています。
中村哲さんは2018年にアフガニスタンの国家勲章を受章、事件の2ヶ月前の2019年10月7日にはアフガニスタンの名誉市民権を授与されるなど、アフガニスタン政府・国民から尊敬を集めている人物でした。
第7位:グアム無差別殺傷事件
出典:jiji.com
グアム無差別殺傷事件
発生日時:2013年2月12日
場所:グアム
被害者:3名死亡、11人負傷
事件概要:通り魔殺人
2013年2月12日、アメリカ領のグアムの繁華街で地元に住むチャド・ライアン・デソト(当時21歳)が車で路上にいた6人を次々にはねて、ABCマートに突っ込みました。その後、車を降りて刃物で日本人観光客8人を次々に刺したのです。
この事件の被害者14人は全員日本人で、3人が死亡、11人が負傷しました。負傷した人の中には生後8ヶ月の乳児や3歳児も含まれていました。
犯人のチャド・ライアン・デソトには仮釈放なしの終身刑が言い渡されています。
第6位:ダッカ・レストラン襲撃人質テロ事件
出典:cnn.co.jp
ダッカ・レストラン襲撃人質テロ事件
発生日時:2016年7月1日
場所:バングラデシュのダッカ・グルシャン地区
被害者:28名死亡(うち日本人7名)、50名負傷
事件概要:ISILの武装組織
2016年7月1日、バングラデシュの首都ダッカの中で外国人が多く集まる地区であるグルシャン地区にあるレストランを、武装した7人が襲撃しました。襲撃の犯人たちは爆弾と銃で武装していて、「アッラーは偉大なり」と叫びながら、無差別に銃撃し、爆弾を投げつけました。
警察と銃撃戦になり、18名の外国人(日本人7名)と2名の警察官、犯人の6名が死亡しました。
犯人グループの1人には「モハメド・サイフラ・オザキ」というバングラデシュ系日本人がいて、立命館アジア太平洋大学や九州大学に留学し、2011年からは立命館大学で助教に就任、さらに2012年には日本に帰化していました。その後、2015年に日本を出国して、ISILに参加していたことが明らかになっています。
海外の日本人死亡被害事件の衝撃ランキング:5位~1位
第5位:イラク日本人青年殺害事件
出典:asahi.com
イラク日本人青年殺害事件
発生日時:2004年10月29日
場所:イラク
被害者:香田証生さん
事件概要:拉致・殺害
2004年10月27日、イラクの聖戦アルカーイダ組織が香田証生さんを人質にして、日本政府に対し48時間以内にイラクから自衛隊を撤退させないと香田証生さんを殺害すると脅迫しました。
日本政府はテロリストに屈しないという立場から自衛隊撤退を拒否したため、香田証生さんはナイフで首を切断され殺害されました。
イラクの聖戦アルカーイダ組織は香田証生さんを殺害するビデオをインターネット上に流し、犯行声明を出しています。
第4位:ルクソール事件
出典:mainichi.jp
ルクソール事件
発生日時:1997年11月17日
場所:エジプトのルクソール
被害者:62名死亡(うち日本人10名)、85名負傷
事件概要:イスラム勢力によるテロ
1997年11月17日、エジプトのルクソールの王家の谷近くにあるハトシェプスト女王葬祭殿の前で少なくとも6名のテロリストが外国人観光客ら200名を待ち伏せ、無差別に銃を乱射し、さらに短剣で襲い掛かりました。
犯人はイスラム原理主義過激派のイスラム集団で、犯人は現場から逃走しようとしましたが、6人全員が射殺されています。
このルクソール事件により、エジプトの観光客は大幅に減少しましたが、エジプト政府がテロ勢力の掃討を実行したことで、アラブの春(2010年~2012年)まではエジプト国内でのテロ行為は沈静化しています。
第3位:ISILによる日本人拘束事件
出典:afpbb.com
ISILによる日本人拘束事件
発生日時:2015年1月~2月1日
場所:シリアのアレッポ
被害者:湯川遥菜さん、後藤健二さん
事件概要:ISILによる拘束・殺害
2014年7月に湯川さんがシリアに単身で渡航し、8月にISILに拘束されました。その後、後藤健二さんが湯川遥菜さん救出のためにシリアに入りますが、消息を絶ち、ISILに拘束されたことが判明しました。
その後、ISILのメンバーが身代金の支払いを求め、身代金を支払わないと湯川さんと後藤さんを殺害すると述べる動画が公開されました。
日本政府・ヨルダン政府は2名の解放に向けて努力はしましたが、「テロには屈しない」という姿勢を見せたこともあり、湯川さんと後藤さんは相次いで殺害され、その動画がインターネット上に公開されました。
日本人が殺害される様子が映っている動画は、あまりにも衝撃的でショッキングなものでした。
第2位:アルジェリア人質事件
出典:jiji.com
アルジェリア人質事件
発生日時:2013年1月16日~21日
場所:アルジェリアのイナメナス
被害者:48名死亡(うち日本人10名)、7名負傷
事件概要:人質拘束事件
2013年1月16日、アルジェリアのイナメナス近くにある天然ガス精製プラントをイスラム系武装集団「イスラム聖戦士血盟団」が襲撃し、アルジェリア人150人と外国人41人を人質として拘束しました。
アルジェリア軍が作戦行動を開始し、事件発生から5日後の1月21日に特殊部隊が突入して制圧しています。
しかし、この事件で日本人10名を含む48名が死亡し、武装集団側は32名が死亡しました。この事件で被害を受けた日本人は全員日揮関係の幹部・協力会社・派遣社員でした。
第1位:アメリカ同時多発テロ
アメリカ同時多発テロ
発生日時:2001年9月11日
場所:アメリカのニューヨーク・ペンシルベニア・バージニア
被害者:2,977名死亡(うち日本人24名)、25,000名以上負傷
事件概要:イスラム勢力によるテロ
海外の日本人死亡被害事件の衝撃ランキング第1位はアメリカ同時多発テロです。
イスラム原理主義過激派アルカイダのメンバーが飛行機4機をハイジャックし、2機はワールドトレードセンターに、1機はペンタゴンに、最後の1機は乗員乗客がハイジャック犯制圧を試みてテロ失敗に終わっています。
この事件で、2,977名が死亡しました。この2,977名のうち日本人は24名。そのうち1名は乗員乗客がハイジャック犯整髪を試みてテロを失敗させたユナイテッド航空93便に乗っていました。
海外の日本人死亡被害事件の衝撃ランキングのまとめ
海外の日本人死亡被害事件の衝撃度ランキングをまとめました。海外では思わぬ形で事件に巻き込まれるリスクがありますので、海外に行く際には十分に注意すると共に、被害に遭った方のご冥福をお祈りいたします。