日本にはいろいろな場所に風俗街がありますが、飛田新地や松島新地と並ぶ関西の風俗街として有名だったのが尼崎のかんなみ新地です。
尼崎のかんなみ新地の歴史や事件・事故、閉鎖の理由や現在などをまとめました。
この記事の目次
かんなみ新地とは
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かんなみ新地とは兵庫県尼崎市にあった性風俗街です。
680平方メートルの敷地に建つ2棟の長屋の中に、30店舗を超える性風俗店が営業していました。営業形態は「ちょんの間」と呼ばれているもので、「表向きは飲食店」ですが、裏では売春をしている風俗店です。
日本には売春防止法がありますし、かんなみ新地の「ちょんの間」は風営法違反になりますので、2021年11月には尼崎市と警察から警告を受け、かんなみ新地の風俗店(ちょんの間)はすべて閉店していて、かんなみ新地の歴史は終わりを告げました。
かんなみ新地の場所
かんなみ新地の場所は、兵庫県尼崎市神田南通3丁目です。
Google Mapを拡大してみると、かんなみ新地の場所はちょっと異様な建物が並んでいることがわかります。
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細長い建物がずらっと並んでいます。ここがかんなみ新地です。かんなみ新地の風俗店舗は、2~3階に2畳ほどの部屋があるだけなので、このような造りの建物が並ぶんです。
サービス提供の場は2階。細い階段を上がると、布団が敷いてあるだけの2畳ほどの部屋があります。
かんなみ新地の最寄り駅は阪神本線の出屋敷駅です。
出屋敷駅の東出口から出て、駅前の大通りをまっすぐ北上すると、左手に竹谷交番があります。その交番がある次の交差点を右に曲がり、神田南通に入ります。交差点から20mほど進むと、バラック造りの長屋が見えてきます。そこがかんなみ新地です。
出屋敷駅から徒歩5分程度の距離で、かなりの好立地にあったと言えるでしょう。
かんなみ新地の歴史
かんなみ新地の歴史は戦後の1950年から始まります。
1945年の終戦直後から出屋敷駅や阪神尼崎駅、その2つの駅の間を結ぶように走っている国道2号線のあたりに、売春目的の女性が立ち始めます。この「立ちんぼ(街娼)」の女性たちは、店舗を構えるようになり、それがかんなみ新地の場所に集まってきて、1950年ごろから「青線地帯」と呼ばれる風俗街ができました。
「青線」とは、19046年1月にGHQによる公娼廃止指令から非合法に売春が行われてきた地帯のことです。警察署では地域の地図上で、特殊飲食店として売春行為を許容していた地域を赤丸で囲んで「赤線」と呼んだことに対し、非合法で売春を行っている地域を「青線」と呼ぶようになりました。かんなみ新地は非合法の風俗街でしたので、「青線」になります。
かんなみ新地ができたころは、「かんなみ新地」ではなく、「パーク街」や「パーク飲食街」と呼ばれていました。このパーク街の名前の由来は、かんなみ新地に隣接している「パーク座」という映画館です。
パーク座を建設している時、建設業者が勝手にバラックを敷地内に造り始めました。戦後の混乱期は、バラックを勝手に建てることで不法占拠をすることが多かったので、パーク座のオーナーは勝手にバラックを建てられないように、貸店舗として使うためのバラックを自ら建てることにしました。そして、パーク座に隣接したそのバラックを売春店として貸し出すようになったのです。
当時のかんなみ新地の呼び名は「パーク街」や「パーク飲食街」。「地元の70歳以上くらいの人は、みんなパークって呼ぶね。店の前には川が流れ、お客は橋を渡ってきてたらしいよ」と、ママさんの一人が教えてくれた。
引用:いたちごっこを続けながら、なぜ70年間も営業を続けられたのか 兵庫「かんなみ新地」の最期を追った(2)|まいどなニュース
そして、映画館のパーク座がなくなり、かんなみ新地と呼ばれるようになりました。神田南通にあったから、それを略して「かんなみ」ですね。
尼崎市は労働者の街として知られていて、日雇い労働者が全国から集まってきて、その労働者たちがかんなみ新地に客になりました。
ただ、1958年には売春防止法が施行されたことで、尼崎市内の青線はすべて摘発されましたが、かんなみ新地だけは非合法の青線ながらも風俗街として生き残ってきました。
しかし、かんなみ新地は長い歴史があり、そこで働く女性たちの高齢化を避けることはできず、一時期は下火になっていたようですが、阪神大震災の後あたりからは若い女の子が入ってくるようになりました。
ようやく人気が戻ってきたかと思ったら、そのころに警察が100人体制でやってきて、営業自粛的なことになりました。ただ1年程度でもとに戻ったようです。
「その時の組合長がよかったんちゃう? 警察と交渉とか、したんちゃうかな。警察から、『飲食店で営業届け出てるのに、看板も暖簾も出てないのはおかしい』と言われて、みんな暖簾を出しました」
引用:〈生きていくため、体を売って何が悪い〉かんなみ新地に掲げられた言葉とその真意 「搾取の構造はない。ここは女の砦やった」 | 文春オンライン
それからはさらに若い女の子が働くようになり、かんなみ新地は兵庫・大阪などの関西圏だけでなく、東京・名古屋・九州からも客が来るほどの大盛況になりました。しかし、2021年に突然の閉業を迎えることになるのです。
かんなみ新地はちょんの間
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かんなみ新地はちょんの間と呼ばれる形態の風俗街です。
ちょんの間とは、売春をしている風俗店やその地区のことを指します。日本や日本統治下の大韓民国に存在する売春宿を「ちょんの間」と呼ぶことが多く、特に近畿圏では風俗店の中でも本番行為をさせる店のことを意味します。
ちょんの間は「ちょっとの間に本番行為をする」という風俗形態が語源になっています。ちょっとの間に性行為をするから、「ちょんの間」なんですね。
かんなみ新地では、時間の単位は「20分」です。20分で1万円がかんなみ新地の相場でした。
「相場は20分1万円。店先で年配のおばちゃんが行き交う客に声をかけ、中を見るとキャミソール姿の女の子が座って手を振ってるんですよ。要は品定めですよね。気に入れば前払いで入店します。サービス提供の場は2階。細い階段を上がると、布団が敷いてあるだけの2畳ほどの部屋があります。女の子と部屋に入ったら流れ作業で最後までいくわけです」(常連客)
引用:(2ページ目)「飛田新地とは対照的…」尼崎の色街“かんなみ新地”で70年続いた「警察の黙認」が終わった“ウラの事情”《遊郭が一斉閉店》 | 文春オンライン
本当にちょっとの間に性行為をササっと済ませて、目的を果たした客はすぐに去るということなのでしょう。
かんなみ新地は近隣の「ちょんの間」である飛田新地や松島新地よりも、割安だったという特徴があります。かんなみ新地は20分1万円ですが、飛田新地は15分1万1000円、20分だと1万6000円が相場なので、客にとってはかんなみ新地のほうが使いやすいのでしょう。しかも、近年はかんなみ新地にも若い女の子がたくさん入っているので、人気があるのも納得ですね。
経営者はママ&反社会的勢力は介入せず
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かんなみ新地は飛田新地や松島新地よりも割安で、しかも若い女の子が入っているので、人気が高い風俗街でしたが、働く女の子にとっても悪い場所ではなかったようです。
風俗街と言えば、反社会的勢力が牛耳っているというイメージがあるかもしれませんが、かんなみ新地はそうではなかったそうです。
——つまり、めっちゃ女の砦やったってこと?
「そうや。暴力団も昔から入ったらあかんてことになってるし。みかじめもない。暴力団はお客としては来とったけど、そんだけや
引用:(3ページ目)〈生きていくため、体を売って何が悪い〉かんなみ新地に掲げられた言葉とその真意 「搾取の構造はない。ここは女の砦やった」 | 文春オンライン
暴力団の人たちはお客としては来ていたけれど、それ以外ではかかわってくることはなく、みかじめ料などは要求してこないと、かんなみ新地のママは語っていました。また、かんなみ新地の特徴として、ママが自ら客を取っていたということがあります。
また、どこまで真実かはわかりませんが、女の子たちは誰かに無理に働かされているわけではなく、自ら進んでかんなみ新地で働いているようです。
今日びの女の子は自分から進んで仕事に来る子ばっかりやんか。ホストに入れあげたいとか、そんな子ばっかりやん。
引用:(3ページ目)〈生きていくため、体を売って何が悪い〉かんなみ新地に掲げられた言葉とその真意 「搾取の構造はない。ここは女の砦やった」 | 文春オンライン
また、飛田新地と比べると、女の子たちの取り分が多い「優良ちょんの間」でした。
ここは基本は四分六や。女の子の方がええねん。20分1万円。女の子6000円。飛田は20分1万1000円、30分1万6000円で、5−5−1(女の子5000円、店側5000円、遣り手1000円)やろ。こっち(かんなみ)の方が、女の子、率がいい
引用:(3ページ目)〈生きていくため、体を売って何が悪い〉かんなみ新地に掲げられた言葉とその真意 「搾取の構造はない。ここは女の砦やった」 | 文春オンライン
かんなみ新地は客にも働く女の子にも良いちょんの間だったのかもしれません。
かんなみ新地の事件・事故:尼崎銃撃事件
かんなみ新地は70年の歴史がありましたが、かんなみ新地を舞台にした大きな凶悪事件や大きな事故は長い歴史の中でも起こっていません。
ただ、かんなみ新地のすぐ近くで、2019年に銃撃事件が起こりました。
かんなみ新地から約200~300m離れている尼崎市神田南通1丁目の路上で、2019年11月27日午後5時8分に、神戸山口組の傘下である「三代目古川組」の総裁・古川恵一幹部が銃撃を受けました。この銃撃は自動小銃が使われていて、10発以上銃撃をされたという恐ろしい事件でした。
週刊文春によると、M16という自動小銃で、数十発が発射されたようです。街中の路上で自動小銃が数十発も発射されるなんて、あまりにも怖いですし、非日常すぎて現実感がありません。
犯人はその場から逃走しましたが、京都市内で発見され、警察官に拳銃を突き付けたため、銃刀法違反の容疑現行犯されています。
この尼崎銃撃事件はかんなみ新地のすぐ近くで発生しましたが、かんなみ新地がかかわっているわけではなく、ただ単に「近くで起こった事件」ということのようです。
かんなみ新地は閉鎖
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1950年ごろから「ちょんの間」として営業を続けてきたかんなみ新地は、2021年11月に突然閉業することになりました。
2021年11月1日に、尼崎市と兵庫県警尼崎南署から風営法に基づく警告を受けたのです。
11月1日に「かんなみ新地組合」の代表が呼び出されて、尼崎市職員と兵庫県警尼崎南署員に警告書を渡されました。
飲食店の形態をとりながら、店の実態は女性による性的サービスの提供という情報を得ている-。そう切り出し、店がある場所は性風俗店の営業が禁止されている地域であると指摘している。
引用:「直ちに中止せよ」戦後70年続いた街が、紙切れ一枚で消えた 兵庫「かんなみ新地」の最期を追った(1)|まいどなニュース
地元から「生活環境が悪化している」という声が上がっていることも指摘され、違法な営業をしているのであれば、直ちに中止するように警告されたそうです。
その日のうちに、かんなみ新地のすべての店の営業はストップし、11月16日には大量の敷布団や冷蔵庫など店の備品が粗大ごみに出され、さらに「かんなみ新地組合」は解散することになったので、かんなみ新地は完全に閉業することになりました。
かんなみ新地は、表向きは飲食店として経営していて、性風俗関連特殊営業として届け出をしていない状態で裏では売春宿として営業していたので、違法であることは間違いありません。尼崎市と警察が本気で警告してきたので、これ以上は営業を続けられないと判断したのでしょう。
かんなみ新地は70年以上の歴史がありましたが、警告書1枚で長い歴史に幕を下ろすことになったのです。
かんなみ新地の閉鎖理由
かんなみ新地は、ずっと非合法の営業を続けていましたので、警察に目を付けられることはありました。しかし、なんだかんだ言いながらも、70年以上にわたり、営業を続けることができていたのです。
でも、ここにきて急転直下の閉鎖となりました。なぜ、かんなみ新地は尼崎市と警察から厳しく取り締まられることになったのでしょうか?
その理由は次の3つがあるとされています。
・尼崎市の方針に反していた
・SNSなどでかんなみ新地の売春が知られるようになった
この3つの理由を1つ1つ見ていきましょう。
コロナの緊急事態宣言中でも営業していた
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かんなみ新地は、新型コロナウイルス流行による緊急事態宣言中でも営業を続けていました。もちろん、緊急事態宣言が出された時には営業を自粛していたのですが、休業要請が長引いたため、ほかのちょんの間よりも早く営業を再開したそうです。
けど、かんなみは続かんかった。思いのほか休業要請が長引いて、緊急事態宣言が明ける前から我慢できずに開け出しとった。『あんなところでクラスターでも発生したらどうするんや』っちゅう苦情が近隣住民からもあったようですわ」(地元企業経営者)
引用:(3ページ目)【「かんなみ新地」尼崎市が土地取得へ】「飛田新地とは対照的…」尼崎の色街“かんなみ新地”で70年続いた「警察の黙認」が終わった“ウラの事情”《遊郭が一斉閉店》 | 文春オンライン
休業要請に応じなかったことで、行政から目を付けられ、さらに近隣住民から苦情が出たことで、行政は本腰を入れて警告することになったと思われます。
尼崎市の方針に反していた
尼崎市は市長の稲村和美氏が主導して、子育て世代の定住促進・暴力団排除を目指してきました。
かんなみ新地の存在は、尼崎市の方針に反していたのです。
それでも、かんなみ新地が合法に営業していたら、いくら行政でも手出しはできませんでしたが、非合法で営業を続けていたので、標的にされて排除されることになったようです。
SNSなどでかんなみ新地の売春が知られるようになった
出典:daily.co.jp
かんなみ新地は近年人気が高まっていました。周辺の飛田新地よりも格安で、しかも若い女の子もいるので、人気になっていたのです。
しかも、バラックが並ぶ昭和の「遊郭」の雰囲気を残すようなノスタルジックな場所でもありました。
そのため、誕生からひっそりと営業を続けてきたかんなみ新地がここにきて一躍脚光を浴びることになりました。
有名な大阪市の飛田新地より知名度こそ劣るが、20分1万円という価格や飛田に勝るサービスもあり、ネットやSNSで拡散。近年は活況だったという。
引用:神戸新聞NEXT|連載・特集|話題|兵庫・尼崎「かんなみ新地」の今 警告で一斉閉店も、新店ラッシュ…勘違いする男性客も
SNSで話題になるだけでなく、Youtuberが訪れて、かんなみ新地の様子が動画でアップされることもありました。そして、かんなみ新地もその人気に乗って、少しずつ派手になっていきました。
ひっそりと営業していたら、多少の違法行為は目をつぶっていた行政・警察も、派手になってきて、SNS等で拡散されるようになったかんなみ新地を見過ごすことはできなくなったのでしょう。
かんなみ新地の現在
尼崎市が土地を買収
2021年11月に完全閉業となったかんなみ新地は、合法の「飲食店」として営業するところが数店ありましたが、ほとんどの店が空き店舗となりました。そして、そのかんなみ新地の敷地を尼崎市が買い上げることになったようです。
「かんなみ新地」と呼ばれた兵庫県尼崎市神田南通3の風俗街が昨年11月に同市と兵庫県警から警告を出されて一斉閉店したのを受け、同市は一帯の土地建物を取得して更地にした上で、売却する方針を明らかにした。
民間業者に買い上げさせると、反社会的勢力が介入する可能性があるため、市が買い上げることになったようです。
権利者問題で難航か?
尼崎市がかんなみ新地の土地や建物を買い上げる計画がありますが、早くも暗礁に乗り上げている可能性があります。かんなみ新地は長屋が立ち並び、廊下が共有など事情があるため、権利関係が複雑であることがわかりました。
市によりますと「かんなみ新地」があった一帯は680平方メートルほどで、長屋が建ち並び共有の廊下もあることなどから権利関係が複雑なものの、これまでに30人以上の地権者が登記簿で確認できたということです。
地権者全員が買い上げに同意しないと市による買い上げは実現しませんが、30人以上の地権者がいるということは、誰か1人でも反対すれば暗礁に乗り上げることになるかもしれません。
尼崎市は2023年末までに土地の取得を目指しているようですが、今後どうなるか注目していきたいです。
かんなみ新地のまとめ
尼崎のかんなみ新地の概要や歴史、ちょんの間と呼ばれた理由や事件・事故、閉鎖の理由や現在をまとめました。
かんなみ新地は70年の歴史を経て閉鎖となりました。同じようなちょんの間である飛田新地や松島新地は今後どうなるのか気になりますね。