首狩り族は世界中に点在していて、昔は日本人も首狩り族でした。
世界の首狩り族の12の民族や日本統治時代の台湾の霧社事件の詳細、ドラクエのモンスターや映画化、首狩り族の現在をまとめました。
この記事の目次
首狩り族とは
出典:amazon.co.jp
首狩り族とは、人間の殺してその首を切り取るという習慣・文化を持っている民族のことです。「首狩り族」という名前の民族がいるわけではなく、首を切り取る習慣・文化を持つ民族の総称を首狩り族としています。そのため、首狩り族にはたくさんの民族がいます。
なぜ、人間の首を狩るのか?その目的は民族によって異なります。基本的には宗教的な行為・儀式の一環として、首狩りが行われます。
・その首の人物の力を自分のものするため
・豊作・豊漁・豊猟を確保するため
・死者に他界で仕える者を確保するため
・戦闘での勲功を証明するため
・結婚可能な能力を示すため
・神意を知るため
狩った首は、いわゆる「さらし首」にすることもありますが、干し首(煮込んで乾燥を繰り返す)にしたり、燻製処理をして保存したりすることもあります。
首狩り族の民族①:台湾原住民(セデック族など)
出典:u-picc.com
首狩り族の民族の1つ目は台湾原住民です。台湾原住民として認定されているのは、現在16民族(合計約55万人)がいますが、この中で首狩りの習慣がない民族(首狩り族ではない民族)は、タオ族とアミ族の一部だけでした。つまり、残りの14民族は首狩りの習慣があったということになります。
台湾原住民の首狩りは、「出草」と呼ばれていました。草むらに隠れて、敵対部落の人を背後から襲撃し、首を切り落とす方法が行われていました。また、敵対人物を殺すという意味合いだけでなく、次のような意味も持っていました。
・成人男子としての通過儀礼
・争いの成否を決定するための行為
・悪疫の流行を払う時
・自分の恨みを払う時
・自分の武勇を誇ろうとする時
このほかにもいろいろな意味合いを持っていて、宗教的な意味・儀式、そのほかにも台湾原住民にとっては日常生活の中に首狩りがごく普通に存在していたと言えるでしょう。
首狩り族の民族②:日本人(大和民族)
首狩り族の民族、2つ目は大和民族です。大和民族は私たち日本人を構成する多数派の民族になります。「え?日本人が首狩り族?」と思うかもしれませんが、現在でこそやらないものの、昔は大和民族は首狩り族だったのです。
戦国時代までは、戦で武将を討ち取った際、自分の武功を証明するために、その場で首を切り取って腰にぶら下げながら戦い続けたり、その首を持ち帰って、「この人物を討ち取った」と城で待つ領主などに見せるために首を狩ることが習慣としてありました。
時代劇などを見ていると、首を持ち帰る場面は多々見られます。2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも、箱に入れた首を鎌倉殿のもとに持っていく場面が何度かありました。
首狩り族の民族③:ヒバロ族
出典:gigazine.net
ヒバロ族とは、アマゾン川上流のエクアドルに住む少数民族です。
ヒバロ族は戦闘的な民族で、首狩りの風習がありました。ヒバロ族が首狩り族として特徴的だったのは、首狩りをした後に干し首を作っていたことです。
ヒバロ族は宗教的な儀式の一つとして、首を狩った後、まずは頭蓋骨を取り除き、まぶたを縫い合わせ、ピンで唇を固定します。その後、脂肪をそぎ取った後にタンニンを含む熱湯でゆでられた後に形を整えられ得、熱した石や砂で乾燥させられます。そして、最終的にビーズや鳥の羽などで装飾を施して完成です。
この干し首はツァンツァと呼ばれていて、完成すると、人間の握りこぶし大になるとのことです。
首狩り族の民族④:フィリピンの原住民
フィリピンのルソン島に住む原住民のボントック族、イフガオ族、ティンギアン族にも首狩りの習慣がありました。ボントック族は頭蓋崇拝の習慣を持っていて、首狩りに宗教的な意味合いがあったようです。また、祭りの一環として首狩りが行われていたこともわかっています。
首狩り族の民族⑤:インドネシアのトラジャ族
インドネシアのセレベス島に住むトラジャ族は、村に豊かさをもたらすためのものとして首狩りを位置付けていました。
トラジャ族は生と死を同等で相対的なものであると捉えていて、豊穣や生殖にはそれにふさわしい「死」が必要不可欠と考えていました。
女性は出産があるので「生」を担っていて、男性は相対的に「死」を担うことになります。このような死生観から、トラジャ族や多産や豊穣の儀式のために首狩りを行っていました。
首狩り族の民族⑥:ミャンマーのワ族
ミャンマーに住むワ族も首狩り族です。ワ族はタイではラワ族、中国ではカワ族と呼ばれることもあります。中国南部の雲南省からミャンマー北部、タイ北部に住んでいる民族で、首狩りの習慣がありました。
ワ族の首狩りは、春に農作物の種をまく時に豊穣を願う農耕儀礼の行事の1つとして行われていました。しかし、ワ族の首狩りはいつからか農耕儀礼のものから、争いとしての首狩り・懲罰としての首狩りという側面が強くなっていったとのことです。
近年までワ族の首狩りは行われていたようで、ワ族の中には「うちの村人が首狩りに遭った」などの話をする人もいたそうです。
首狩り族の民族⑦:ミャンマー・インドのナガ族
ナガ族とは、インドの北東部からミャンマー国境上のナガランド一帯に住むモンゴロイド系の民族です。このナガ族は戦闘的な民族で、部族同士の対立で首狩りが盛んに行われていました。
ナガ族が首狩りを行っていた理由は2つあります。1つ目は若い男性が一人前の成人男性として認められるための通過儀礼・イニシエーションです。首狩りを成功していない若者は、一人前として認められず、首狩りが成功すると、一人前として認められ結婚が許されました。また、勇者の証として刺青を入れることになり、首の形をしたペンダントを胸から下げていました。
さらに、首狩りで得た首は、村に力が満ちるとされていたのです。
首狩りの2つ目の理由は「戦利品を獲るため」です。戦利品を獲るために、首狩りを行っていたのです。部族によっては奇襲をかけて、首狩りをしていたとのことです。
ナガ族同士で首狩り・戦闘などの争いがずっと続いていましたが、近年はナガ族という共同体意識が芽生え、首狩り・争いは起こらなくなっているようです。
首狩り族の民族⑧:マオリ族
ニュージーランドの原住民であるマオリ族にも首狩りの習慣・文化がありましたので、マオリ族も首狩り族に入ります。
マオリ族と言えば、ラグビーの試合前に行われる「ハカ」が有名ですが、ハカはもともとは戦いの前に自らを鼓舞して相手を煽る舞踏ですので、マオリ族が戦闘的な民族だったことがわかります。マオリ族は戦った相手の首を戦利品として持ち帰り、干し首のように加工する文化がありました。
敵を倒して首を切り落とした後、首を持ち帰り、頭蓋骨を取り除きます。その後、頭部を煙でいぶして保存できるようにしたのです。自分の強さを誇示するために、首を加工して長年保存できるようにしたと思われます。
イギリス人の海洋探検家のジェームズ・クックがマオリ族の文化・首狩りに興味を持つようになり、首を手に入れようとして、首と交換に武器を与えました。すると、戦闘的な民族であるマオリ族はもっと武器を手に入れようとして、ほかの部族を襲い、首をかき集めたこともあったそうです。
首狩り族の民族⑨:インドネシアのスンバ族
インドネシアのスンバ島に暮らしていたスンバ民族には、東スンバと西スンバの2つに分かれていましたが、どちらも首狩りの習慣を持っていました。
東スンバでは占領地を示すために首狩りを行いました。木の枝に首をぶら下げることで、そこが自分たちの占領地・勝ち取った土地であることを示しました。
西スンバでは対等なもの同士の復讐の証として首狩りを行っています。首狩りをした髪の毛は魔法の調合薬を作るために使われたこともあったそうです。
首狩りが行われていたスンバ族ですが、オランダのキリスト教の伝道師が来たことで、首狩りの風習や儀式は禁止されて、その後徐々に首狩りが廃れていったとのことです。
首狩り族の民族⑩:マレーシアのイバン族
イバン族とはマレーシアのボルネオ島に住んでいる先住民族のダヤク族(マレー人でもイスラム教徒でもない人)の1つで、最強の首狩り族とも言われていた民族です。
自分の力を誇示するために、敵対する村の人間と戦って、首を持ち帰っていたとのこと。首狩りをすることで、一人前の大人として認められ、狩った首は勇者の証のようなものとされていました。また結婚する際には、自分の力を誇示するために、結婚相手の家への結納品として送ることもありました。また、人間の頭部には種子が詰まっているから、豊穣のシンボルとして大切に扱ったとも言われています。
首を保存しておく首堂が作られた村もあり、イバン族にとって首狩りは日常生活に馴染んだものでした。
ただ、州政府が平定し、ゴムやコショウなどの換金作物の農耕を導入した結果、首狩りの風習は徐々になくなっていきました。
首狩り族の民族⑪:モンテネグロ人
モンテネグロ人も首狩り族の1つです。モンテネグロ人が首狩りの対象としたのはオスマントルコの人たちです。1912年からの第一次バルカン戦争では、モンテネグロ人はオスマントルコの人たちの首狩りを行ったとのことです。
モンテネグロ人は基本的に好戦的な性格ではなかったため、近隣に住む人たちの首狩りは行わず、遠方に敵が住んでいた場合のみ、首狩りを行っていたとのことです。
首狩り族の民族⑫:歴史上の民族
出典:his-j.com
歴史上の民族にも首狩り族はたくさんいました。
秦の漢民族
秦の始皇帝の頃、秦の兵士は首狩りを行っていました。敵の首を狩って、それを集めることで、奴隷から平民に身分を上げてもらえることがありました。
大人気漫画の「キングダム」でも、倒した敵の首を狩って、それを将・将軍に見せて功をもらうというシーンがたびたびありました。
ケルト人
ケルト人は古代ヨーロッパに住んでいた民族で、宗教的な理由で首狩りを行っていたと考えらえています。また、ケルト人は敵の中でも最も勇猛だった相手の首を斬り落とすと、それを持ち帰って防腐加工をして飾っていたと言われています。強い相手であればあるほど、その首は貴重なものであり、首を同じ重さの金との交換を持ち出されても、交換しなかったと言われています。
スキタイ人
世界史上初の騎馬遊牧民であるイラン系スキタイ人は、紀元前6世紀ごろに黒海北岸で活動していた民族です。
スキタイ人は敵の首を奪うと、頭皮を頭蓋骨からはぎとって布巾として馬勒に吊り下げたり、頭蓋骨を眉のところで鋸で切断し、盃として使っていたとのことです。自分の強さを誇示するために、首狩りを行っていたとのことです。
首狩り族と霧社事件
1930年に台湾で起こった霧社事件を知っていますか?この霧社事件では、暴動を鎮圧するために、首狩り族である台湾原住民に対し、それまで禁止されていた首狩りを許可して、大規模な首狩りが行われた事件でした。
霧社事件の背景
霧社事件が起こった1930年当時、台湾は日本が統治していました。1915年には統治が台湾原住民全体に及ぶようになります。
日本は台湾原住民に対して、武力で制圧し、その後は大量に警察官を投入して高圧的な統治を行い、さらに教育面では日本人との同化政策がとられ、原住民の伝統的な文化・風習は禁じられました。
この統治に対して、原住民たちは不満を募らせていきます。この不満は当然のことと言えるでしょう。
そのような中、1つの事件が起こりました。1930年10月7日、霧社セデック族村落の1つであるマヘボ社で結婚式の宴会が行われていました。その村のリーダーの長男であるタダオが、たまたま通りかかった日本人巡査を宴会に誘おうと、巡査の手を取りました。
ただ、この時タダオの手は宴会のために解体した豚の血で汚れていたんです。日本人巡査は不快に感じて、思わずステッキでタダオの手を叩きました。しかし、セデック族にとって、宴会に誘うことは最大限の敬意を表す行為であり、それを拒絶されたことは侮辱されたのと同じ意味がありました。
そのため、タダオは日本人巡査に殴りかかり、殴打したのです。この後、セデック族は日本側からの報復を恐れるようになり、特にタダオとその父親は村のリーダーである地位を失うことを恐れていました。
霧社事件は鎮圧された
タダオによる日本人巡査殴打事件から20日後の1930年10月27日、霧社セデック族マヘボ社(村)のリーダーであるモーナ・ルダオ(タダオの父)を中心とした6つの社(村)の男性300人が武装蜂起します。
まず、霧社各地の駐在所を襲い、次に学校の運動会を襲撃しました。この学校には一般市民の日本人や漢民族が参加していました。セデック族たちは和服を着ていた日本人を標的にして襲撃し、この武装蜂起で日本人132人と和服の台湾人2人が惨殺されました。
そして、セデック族は首狩り族ですから、この時の犠牲者は首を斬り落とされていたそうです。
武装蜂起の連絡を受けた日本軍は警察と共に鎮圧を開始します。武装蜂起から2日後の10月29日には、早くも霧社を奪還しています。
武装したセデック族たちは山に逃げ込みました。11月初めにはリーダーのルダオが失踪、その後はタダオが指揮を執っていましたが12月8日には自殺し、12月中には日本側が完全に鎮圧し、治安が回復しています。
鎮圧に首狩りが許可された
日本側はこのセデック族の武装蜂起に対し、親日派のセデック族や周辺部族を動員しました。この日本側の台湾原住民たちは味方蕃と呼ばれましたが、日本は味方蕃に首狩りを許可したのです。
前述のとおり、台湾原住民の多くは首狩りの風習・文化がありましたが、日本が統治するようになってからは、首狩りが禁止されていました。しかし、この霧社事件では味方蕃に首狩りを許可したのです。
直接的に「首狩りをして良い」としたわけではなく、「武装蜂起したセデック族の首級と引き換えに懸賞金を出すよ」というものでした。これは結局のところ、「首狩りをしたら、お金を払います」というものなので、首狩りを推奨したと言っても過言ではないでしょう。
ちなみに、この懸賞金の範囲は武装したセデック族の成人男性だけでなく、一般市民も含まれていましたので、同族であるセデック族間での殺し合いを助長するものとなりました。
その結果、この霧社事件では700人の武装蜂起軍が死亡・自殺し、500人が投稿しています。日本側の戦死者は日本軍22名、警察6名、味方蕃21名でしたので、日本側の圧勝となっています。
首狩りから第二の霧社事件が起こる
出典:twmemory.org
霧社事件では禁止されていた首狩りが許可され、さらに懸賞金が出されたことで、セデック族同士・台湾原住民同士(武装蜂起のセデック族 VS 味方蕃)の殺し合いが起こりました。
このことが、次の事件で得ある第二霧社事件を引き起こしました。
霧社事件が鎮圧されてから約4ヶ月後の1931年4月25日、第二霧社事件が起こります。
武装蜂起して投稿した霧社セデック族の生存者を味方蕃だったタウツア社が襲撃したんです。この第二霧社事件で霧社事件の生存者のセデック族の216人が殺害されました。
このタウツア社はセデック族と対立していました。また日本側の警察がタウツア社に襲撃をするようにそそのかしたとも言われています。その証拠にタウツア社は216名を殺害したのに処罰されず、それどころか霧社事件で武装蜂起したセデック族の土地を与えられることになったのです。
霧社事件で武装蜂起したセデック族の中で生き残ったのは282名でした。この生き残りたちは、日本側によって強制移住させられています。
この霧社事件の後は、再び首狩りは禁じられています。
首狩り族はドラクエにも登場
首狩り族は、人気ゲームであるドラクエにも登場していることを知っていますか?
ドラクエでの首狩り族は、ドラクエ2で初登場しています。
人間の首を斬って陳列することを好む蛮族の一種で、上位種に【バーサーカー】がいる。それ以外に色違いがいなかったが、3DS版DQ7では亜種として【とうぞくこぞう】、【デスパイレーツ】が登場した。
逆立った金色の髪、宝玉を嵌めたサークレット、背中にはマントを翻して、右手には斧、左手には盾を持っているモンスターです。
ドラクエ2で初登場後、しばらく続編には登場していませんでしたが、ドラクエ7で再登場しました。ドラクエ8、ドラクエ10にも登場し、さらに関連ゲーム・小説にも登場しています。
・ドラクエ2
・ドラクエ7
・ドラクエ8
・ドラクエ10
・DQMJ(ドラゴンクエストモンスターズ ジョーカー)
・DQMJ2(ドラゴンクエストモンスターズ ジョーカー2)
・DQMJ2P(ドラゴンクエストモンスターズ ジョーカー2プロ)
・DQB2(ドラゴンクエストビルダーズ2)
・DQR(ドラゴンクエストライバルズ)
これらの作品に登場しています。ドラクエファンにとってはお馴染みのモンスターと言えるかもしれません。
テパ付近に出現し、同地域に生息するヒババンゴがルカナンとマヌーサおよび痛恨の一撃を持つこともあり、同時出現したときにはロトの血族であろうとも全滅の危険性が高い。
満月の塔やロンダルキアの南のほこらで同時出現する、ルカナン持ちのタホドラキーもHPは低いものも、魔法の性能が見直されたリメイク版では嫌な組み合わせである。
首狩り族という名前からも攻撃力が高く、やや厄介なタイプのモンスターかもしれません。
首狩り族は映画化された
出典:u-picc.com
首狩り族は今までに何度か映画の題材として取り上げられています。
・首狩り農場/地獄の大豊作(1971年アメリカ)
・ヘッドハンター(2004年アメリカ)
・ネット探偵アイコ(2003年レントラックジャパン)
・セデック・バレ(2011年台湾)
この中でも、特に話題になったのが2011年に台湾で公開された「セデック・バレ」です。この映画は霧社事件を題材していて、史実をもとにしつつ創作を含んだストーリー展開になっています。
この映画は全2部作で、台湾映画史上最高額となる予算をかけて制作され、中華圏の映画賞である第48回金馬奨で「最優秀作品賞」「最優秀助演男優賞」「最優秀オリジナル音楽」「最優秀音響効果」「観客賞」を受賞しています。
日本では2013年に一般公開されました。日本でも高い評価を得ています。変わりゆく日本時代の台湾と少数民族の苦悩の歴史が描かれていて、反日映画というわけではなく、フラットな視点で描かれた映画となっています。
首狩り族の現在
出典:hulu.jp
首狩り族は現在でも世界に点在しています。ただ、現在でも首狩りを行っているわけではありません。首狩りの習慣はほぼ廃れていると言えます。政府に禁止されたり、文化が少しずつ現代に合わせて変わってきたことで、首狩りを行わなくなったようです。
首狩り族とされている民族の中には、観光客を受け入れていて、ホームステイできるところもありますので、興味のある人は首狩り族の村にホームステイしてみてはいかがでしょうか。
首狩り族のまとめ
首狩り族の民族や台湾での霧社事件と日本人の関係、ドラクエの首狩り族や映画化、現在をまとめました。
日本人も昔は首狩り族だったし、台湾統治時代は霧社事件で首狩りを認めていたというのは衝撃的な事実だと思います。