1973年に起きた豊川信用金庫事件は、女子高生の他愛のない冗談がきっかけで豊川信用金庫に顧客が殺到し、取り付け騒ぎに発展した事件です。この記事では豊川信用金庫事件の概要をわかりやすく説明するとともに、詳細やその後、犯人の現在を紹介します。
この記事の目次
豊川信用金庫事件の概要をわかりやすく説明
1973年12月、1人の女子高生が友人に「信用金庫は危ないよ」と話したことをきっかけに、愛知県豊川市に本店を構える豊川信用金庫が倒産の危機に立たされるという騒動が起こりました。
この女子高生は特定の信用金庫の経営が危ないと話したわけではなく、豊川信用金庫に就職が決まった友達に対して「銀行強盗が入るかもしれないし、危ないんじゃない?」という軽い冗談で「信用金庫は危ない」と言っただけでした。
しかし、この冗談が伝言ゲームのように広がり、女子高生が冗談を言った1週間後には「豊川信用金庫は経営が危ない」「豊川信用金庫は潰れるらしい」という話が豊川市中で囁かれるようになっていったのです。
その結果、「倒産したら預金が引き出せなくなる!」と焦った顧客が豊川信用金庫の各店に殺到。
さらに「倒産の理由は職員の横領らしい」「社長は自殺したそうだ」「明日にはお金がおろせなくなるぞ」など、噂話はエスカレートしていき、短期間に豊川信用金庫からおよそ26億円もの預金が引き出されたのでした。
一度に多くの顧客から預金を引き出された豊川信用金庫は、本当に経営が危うい状態になりました。日本銀行が記者会見を開き「豊川信用金庫の経営状態は健全です」とアピールしたことなどでやっと事態は収束し、その後は経営を回復させて現在に至ります。
豊川信用金庫事件は、悪意なく話したことがデマや噂として広がり、大きなパニックを巻き起こす過程がわかる実在の事例として、心理学の教材に使われることもあります。
「取り付け騒ぎ」とは?
豊川信用金庫事件の説明では「取り付け騒ぎ」という単語が頻繁に出てきます。
取り付け騒ぎとは、「資金難なのでは?」「回収不可能な債権を多数抱えているらしい」などの不安から特定の金融機関に対する信用が著しく低下し、自分の資産を守りたい顧客が預金の引き出しに殺到することを指します。
恐慌などの景気後退のほか、人々の心が不安定になりがちな大きな震災の直後にも起こりやすいとされています。
豊川信用金庫事件の詳細① 噂の発生
1973年12月8日、国鉄飯田線の車内で通学途中の女子高生3人が雑談をしていました。
3人のうち1人・Aさんは豊川信用金庫に就職が決まったと話し、それに対して友達のBさん、Cさんが「信用金庫は危ないよ」と返したといいます。
Bさん、CさんはAさんの就職先を指して危ない、やばいと言ったわけではなく、「銀行強盗が入ったら怖いよね?」という軽い冗談のつもりだったそうです。
ところが真面目なAさんは「自分の就職先は危ない場所なのだろうか」と深刻にとらえてしまい、帰宅後、親戚に「信用金庫は危ないの?」と尋ねます。
この時、Aさんは豊川信用金庫の名前は出さず、漠然と信用金庫は危ないのか?とだけ聞いたといいます。
しかし、親戚はAさんが豊川信用金庫の経営状態を指して危ないのか?と聞いてきたのだと早合点してしまい、ほかの親戚にも「豊川信用金庫は経営が危ないって聞いたんだけど、本当?」と伝えてしまったのです。
女子高生から「信用金庫は危ないの?」と聞かれて真に受ける大人がいるのだろうか、と疑問に思う方もいるでしょう。
しかしAさんは豊川信用金庫から内定をもらっている身であり、親戚もそのことは知っていたでしょうから「この子は豊川信用金庫の内部事情を知っているのかも」と思い込んでしまったのかもしれません。
その後、12月9日には「豊川信用金庫は危ないらしい」という噂が美容院経営者の耳に入り、10日にはクリーニング業者の耳に入り、といったように人々に伝わっていきます。
顧客と世間話をすることの多い職業の人に噂が伝わったせいか、12月11日には主婦の井戸端会議でも豊川信用金庫の話が出るようになっていました。
なお、このクリーニング業者は過去にほかの銀行の倒産で大損害にあっており、そのせいか豊川信用金庫の噂に対して大きな不安を持っていたといいます。そのため「本当なのか?」と複数の人に聞いて回っていたそうです。
こうして豊川市内(当時は宝飯郡小坂井町)に噂が広がっていき、この頃には「豊川信用金庫は経営が危ない」という断定調に内容も変化していたといいます。
豊川信用金庫事件の詳細② 取り付け騒ぎに発展
12月13日、10日に豊川信用金庫の噂を聞いていたクリーニング業者の店で電話を借りたガス屋が、「豊川信用金庫から120万円おろしておいて」と電話口に相手に依頼しました。
ガス屋は噂とは関係なく所用でお金をおろしたかっただけなのですが、たまたま電話の内容を聞いていたクリーニング店の客が「やはり豊川信用金庫は潰れるんだ!だからこの人はお金をおろそうとしている!」と思い込み、パニックになります。
そして自分も豊川信用金庫から預金を引き出すとともに、クリーニング業者と「豊川信用金庫は本当に潰れる」と騒ぎ立てたのです。
さらにこの噂を聞きつけたアマチュア無線愛好家が、あろうことか無線を使って広範囲に噂を広めたため、豊川信用金庫には顧客が殺到して次々に預金を引き出す事態になりました。
この日、豊川信用金庫小坂井支店に客を運んだというタクシーの運転手によると、1日のうちに客から聞いた信用金庫に対する噂は以下のようにエスカレートしていったといいます。
正午頃に乗せた客
「豊川信用金庫は経営が危ないらしい」
14時30分頃に乗せた客
「豊川信用金庫は危ない」
16時30分頃に乗せた客
「豊川信用金庫は潰れる」
夜間に乗せた客
「もう豊川信用金庫のシャッターは上がらないだろう」
豊川信用金庫事件の詳細③ 信用金庫側の対応
12月14日は朝から豊川信用金庫の前に顧客が行列をつくる事態になりました。
信用金庫側は顧客に迅速に対応できるように払い戻しの特例を設けましたが、これが逆に誤解を生み、「1万円以下は切り捨てるらしい」「定期預金の元本だけしか返せないなんて、資金がない証拠だ!」とさらなるデマが流れることとなります。
また行列をさばくために配置された警備員を警察と勘違いする者も現れ「警察が来ている!横領か何かがあって捜査に入っているんだ」と、豊川信用金庫に対する別の噂まで発生しました。
自力では取り付け騒ぎを沈静化できないと考えた豊川信用金庫の上層部は、マスコミ各社に「倒産はデマ」と報じるように依頼を出します。
新聞各社は、14日の夕刊から翌日の15日の朝刊に上のような記事を載せました。
さらに日本銀行も会見を開いて豊川信用金庫の経営が健全である旨を説明、日銀名古屋支店から輸送したという高さ約1m、幅約5mにも及ぶ大量の現金を豊川信用金庫本店の金庫前に置き、資金があることをアピールしました。
豊川信用金庫事件の詳細④ 混乱の収束
日本銀行と同時に、取り付け騒ぎの噂を聞きつけた全国信用金庫連合・全国信用金庫協会の小原鐵五郎会長が以下のような対応を迅速にとったこともあり、事態は収束していきました。
・窓口から見えるような場所に大量の現金を置く
・豊川信用金庫全店に「豊川信用金庫の後ろには全国信用金庫連合がついているので安全です」といった旨を印刷したポスターを貼る
・不安のあまり執拗に説明を求める客には、財務省東海財務局と電話を繋いで納得いくまで話をさせた。また、その会話を録音して店内で流しほかの客にも聞かせた
・15時の閉店時間が過ぎても「シャッターを下ろすと『払えるお金がなくなった』との誤解を招くため、騒ぎが収まるまでは客が全員帰るまで対応するように」と指示を出した
・女子職員に金庫の中の現金を見せ、業務外でも「豊川信用金庫にはお金がたくさんある」とPRするように頼む
・その他、マスコミなどにも協力を依頼
しかし、このわずかな期間だけで噂の中心地にあった豊川信用金庫の小坂井支店では1650 件、金額で約4億9000万円の引出しがあったとされます。
そして豊川信用金庫全体としては、約26億円もの預金が引き出されたとのことです。
当時の豊川信用金庫の預金残高は約360億円とのことなので、およそ7%もの預金が引き出されてしまったことになります。
豊川信用金庫事件のその後① 犯人の女子高生の処分
取り付け騒ぎが発生した当初、警察は悪意のある何者かが豊川信用金庫の信用を傷つけるために故意に経営危機の噂を流したものと見て捜査を開始しました。
しかし、12月16日にデマのもととなったのが女子高生の他愛もない冗談であり、それが予期せぬ方向に伝播していったことが明らかになります。
また噂を広げた人々のなかにも悪意のある者はいなかったことから、警察はこの騒動には犯人がなく、女子高生も信用毀損業務妨害罪には問われないと結論づけました。
このことは16日にいちはやくNHKが報道し、17日には新聞各紙も報じました。
しかし、あまりにも真相が予想外だったためか、マスコミの発表後も「そんなはずない。警察はなにか隠している」「豊川信用金庫は本当に危ない状態にあって、警察や日銀が必死に隠しているに違いない」という陰謀論も流れたそうです。
豊川信用金庫事件のその後② 豊川信用金庫の現在
豊川信用金庫は現在も営業を続けています。一時期は本当に倒産するのではないかと危ぶまれるほどの預金が引き出されてしまいましたが、取り付け騒ぎの2年後には預金額は500億円になっていたといい、あっという間に信用も取り戻せた様子です。
豊川信用金庫事件のその後③ 類似事件の発生
2003年12月25日、チェーンメールやネット掲示板で「佐賀銀行が倒産する」という噂が流れ、今度は佐賀銀行で取り付け騒ぎが起こるという事件がありました。
この事件では、友達から「佐賀銀行は危ないらしい」と聞いた20代の女性が、「大ニュース!26日に佐賀銀行が潰れるらしい。松尾建設(佐賀市の建設会社)も、佐賀銀行と取引をやめたらしい。預金は引き出したほうがいいよ」というメールを26人の知人に流したことが発端でした。
女性がメールを出した翌日の12月25日には情報が拡散され、佐賀銀行には預金引き出しを求める顧客が殺到。この日だけで180億円が引き出され、事態が収束するまでに合計約500億円もの預金が引き出されたといいます。
噂の発信源である20代の女性は2004年2月に信用毀損容疑で書類送検されましたが、豊川信用金庫事件同様に悪意はなかったと判断されたため、不起訴処分となっています。
豊川信用金庫事件は教訓として取り上げられている
豊川信用金庫事件は噂話がどのように変化し、流布していくのかがわかるモデルケースとしても利用されており、心理学や社会学で貴重な資料として扱われています。
豊川信用金庫事件では「『豊川信用金庫は危ないらしい』という噂を、短期間に別々の人から何度も聞かされることによって信じてしまった人が多い」「根拠のない話でも、何度も聞かされるうちに事実だと思いこんでしまう人が多い」と指摘されていました。
SNSなどでのフェイクニュースの拡散や商品PRでも、複数のアカウントが同じようなことを発信して世論を誘導する手法が見られることから、現在も豊川信用金庫事件から学ぶことはあると言われています。
豊川信用金庫事件についてのまとめ
今回は1973年12月に起きた金融機関の取り次ぎ騒ぎ、豊川信用金庫事件について紹介しました。
奇しくも豊川信用金庫が起きた1973年には「紙がなくなる!」という噂からトイレットペーパーの買い占めが日本中で起きこる「トイレットペーパー買い占め事件」も起きていました。
両方ともデマと不安、パニックが結びついて起きた騒動であり、井戸端会議でのちょっとした雑談が予期しない方向に伝播していく様子が学べる事件です。
ネット社会である現在は、豊川信用金庫事件が起きた頃よりも情報の広がる速度や範囲が格段にあがっています。豊川信用金庫事件をとおして情報を発信する責任や、事実を確認せずに情報を鵜呑みにし、それを拡散してしまう恐さを再認識したいですね。