海外にはたくさんの失踪事件・行方不明事件があります。それらの中には未解決のものがありますし、ミステリアスで謎が多いものもあります。
海外の失踪・行方不明の有名な事件と衝撃度ランキングをまとめました。
この記事の目次
海外の失踪/行方不明の有名事件の一覧
海外の失踪事件・行方不明事件の中で、未解決で有名なものを年代順に一覧としてまとめました。アガサ・クリスティ失踪事件は解決していますが、アガサ・クリスティーが超有名人であり、ミステリアスな失踪事件であることから、この一覧に入れています。
1872年:メアリー・セレスト号乗組員失踪事件
1980年:ルイ・ル・プランス行方不明事件
1900年:アイリーン・モア灯台事件
1917年:セルティックウッドの怪
1918年:サイクロプス行方不明事件
1923年:アマゾン探検家失踪事件
1923年:オエル・ベルデ村失踪事件
1926年:アガサ・クリスティ失踪事件
1930年:アンギクニ湖事件
1937年:アメリア・イアハート行方不明事件
1945年:フライト19失踪事件
1945年:ソダー家児童失踪事件
1949年:ジーン・スパングラー失踪事件
1955年:ジョイタ号失踪事件
1961年:マイケル・ロックフェラー行方不明事件
1965年:スウェーデン男性4人失踪事件
1966年:ボーモンド家
1967年:ジム・トンプソン失踪事件
1967年:ハロルド・ホルト行方不明事件
1969年:ドナルド・クローハースト行方不明事件
1975年:モロッコ政治家行方不明事件
1978年:フレデリック・ヴァレンティッヒの失踪
1979年:サラ・ジョー号行方不明事件
1987年:夜狸猫事件
1988年:タラ・キャリコ失踪事件
1991年:アンジェラ・ハモンド失踪事件
2003年:リアナ・ワーナー失踪事件
2004年:リアンナ・メートランド失踪事件
2007年:KAZ II失踪事件
2007年:マデリンちゃん行方不明事件
2014年:ラース・ミッタン失踪事件
これらの海外の有名な失踪・行方不明事件を衝撃度ランキングにして詳しく見ていきます。
海外の失踪/行方不明の有名事件の衝撃度ランキング:30位~26位
第30位:フライト19事件
第二次世界大戦が終戦となり、冷戦時代が幕を開ける1945年12月。アメリカのフロリダ州の海軍基地から5機のアベンジャー雷撃機編隊「フロリダ19」が飛び立ちました。
フロリダ19の搭乗員は合計で14名。フロリダ19は爆撃訓練を終えて、海軍基地に帰ろうとしました。その途中、「陸地が見えない。コースを外れたようだ」、「白い水のようなものに突入した……完全に方向を見失った」と無線が入り、そのまま通信は途絶え、フライト19の5機と搭乗員14名は行方不明になってしまったのです。
海軍基地からは2機の捜索隊が出ましたが、そのうち1機(搭乗員13名)も行方不明になっています。
このフライト19が失踪した場所は、バミューダトライアングルと呼ばれている事故が多発する海域で、このフロリダ19が失踪した12月5日はバミューダトライアングルの日と呼ばれています。
このフロリダ19のパイロットの「陸地が見えない。コースを外れたようだ」、「白い水のようなものに突入した……完全に方向を見失った」というセリフは、脚色と言われていますが、なぜフロリダ19の5機14名と捜索隊1機13名は行方不明になったのかは、いまだにわかっていません。
また機体の残骸や遺体なども一切発見されておらず、原因には天候説・宇宙人説・磁力異常説・メタンハイドレード説などがありますが、どれも決め手となる証拠には欠けています。
第29位:ブリアンナ・メートランド失踪事件
2004年3月にアメリカのバーモント州で、17歳のブリアンナ・メートランドさんが、仕事の後に行方不明になった事件がありました。
行方不明になった翌日に職場から1.6km離れた場所で、車が後ろ向きに廃屋に突っ込んだ状態で発見されました。
ブリアンナ・メートランドさんは失踪当時、友達の家を転々としていたために、捜索願を出すのが遅れてしまい、その後は捜査は進んでいません。
また、彼女は事件の3週間前には友人から殴られて、鼻骨を骨折し脳震盪を起こすケガをしていますが、その友人は事件には関与していないと証言しています。
2012年には連続強姦殺人犯のイスラエル・キーズが捜査線上に浮かびましたが、結局は失踪と結びつく証拠はなく、容疑者から外れました。
ブリアンナ・メートランドさんの行方は全く分かっていませんが、2016年に廃屋に放置されていた彼女の車からDNAが採取されたことが警察から発表されました。そして、その4か月後に廃屋は全焼してしまったという不可思議なことも起こっています。
ブリアンナ・メートランド失踪事件はアメリカのテレビドキュメンタリー番組でもたびたび取り上げられていますが、いまだに真相はわかっていません。
第28位:KAZ II失踪事件
出典:kiseki-syougeki-news.blog.ss-blog.jp
2007年4月18日に、オーストラリアのグレートバリアリーフの洋上で誰も乗っていない難破船(KAZ Ⅱ)が発見されました。
このKAZ Ⅱは、4月14日に50~60代に男性3名が乗ってクイーンランド州から出向したことがわかっていますが、発見された時には船内には誰もいませんでした。
発見時の船の様子は次の通りです。
・テーブルには食事が用意されていた
・エンジンはかかったままだった
・ノートパソコンやラジオの電源は入っていた
・GPSは作動中
・救命胴衣は船内にあった
・救命いかだはなかった
この時の船は誰もいないことを除けば、ほぼ正常な状態だったとのことです。4月15~16日は海は荒い状態でしたので、この時に海に投げ出された可能性はあります。
しかし、それだと救命胴衣が残っていたことや食事の用意がされていたことなどの説明がつきません。遺体などはまだ発見されておらず、乗組員3人は行方不明のままです。
第27位:スウェーデン男性4人失踪事件
出典:ichi.pro
1965年にスウェーデン南部の港町ヨーテポリで4人の男性が失踪した事件がありました。造船所で働く3人グループはキャンプに行くために車で外出しましたが、そのまま行方不明になりました。
そして、同じ日に18歳の少年もヨーテポリで行方不明になりました。同じ日に同じ町で若い男性4人が行方不明になってしまったのです。
当初、この事件はそれぞれ別々のもので関係性があるとは思われていませんでした。しかし、この失踪事件が起こった日、ヨーテポリでは銀行強盗があり、4人の失踪は銀行強盗に関係しているのではないか?と言われるようになったんです。
後日、銀行強盗の犯人グループは捕まっていますので、この4人が実行犯というわけではありませんが、銀行強盗に関する「何か」を当日に目撃してしまったのでは?と言われています。
ただ、この失踪事件の真相はわかっていませんし、銀行強盗と何らかの関係があるのかもわかっていないままです。
第26位:フレデリック・ヴァレンティッヒの失踪
出典:abc.net.au
1978年にオーストラリアのパイロットであるフレデリック・ヴァレンティッヒは、訓練飛行中に何らかの未確認飛行物体を目撃し、それを管制塔に報告しています。
・大きな未知の航空機が4つの明るい着陸灯に照らされているように見える
・相手のパイロットはわざと自分をもてあそんでいるかもしれない
・それは航空機ではない
このようなことを管制塔に伝え、最後に金属製の引っかいているような音が聞こえた後に通信が途絶え、フレデリック・ヴァレンティッヒは行方不明になりました。
このことから、彼はUFOに連れ去られたのではないか?と言われています。また、フレデリック・ヴァレンティッヒは普段からUFOの存在を熱烈に信じていて、襲われることを心配していたために、方向感覚がなくなり、ひっくり返って飛行してしまった時に、街の光をUFOと思いこんだのではないかという説もあります。
海外の失踪/行方不明の有名事件の衝撃度ランキング:25位~21位
第25位:アンジェラ・ハモンド失踪事件
1991年4月4日、アメリカのミズーリ州で20歳のアンジェラ・ハモンドさんは、夜11時過ぎに公衆電話で彼氏と電話していました。
その時、ピックアップトラックがアンジェラさんの周りをぐるぐるしていて、アンジェラさんはそのピックアップトラックの存在と運転手のことを、彼氏に電話で伝えています。
そんな時、彼氏は受話器越しにアンジェラさんの悲鳴を聞きました。
彼氏はすぐに自分の車に飛び乗り、アンジェラさんのもとに向かいます。その途中、彼氏はアンジェラさんが電話で言っていたピックアップトラックと似ている車とすれ違い、急いでUターンして、車を追跡しますが見失ってしまいます。
警察は、最初は彼氏を容疑者とみなしていましたが、アリバイが成立し、容疑者から外されました。
ミズーリ州では1991年1月29日、2月27日にも女性の失踪事件が起こっていて、アンジェラさんの失踪はこの2つの事件と関連性があるのではないかと見られています。
第24位:ドナルド・クローハースト行方不明事件
出典:bulkhead.jp
ドナルド・クローハーストはイギリスの実業家であり、アマチュアセーラーでした。ドナルド・クローハーストは事業を失敗し、その穴埋めのために優勝賞金4000万円の無寄港世界一周ヨットレースに参加します。
1968年10月31日に出港しましたが、出港早々のトラブルや技術不足により、世界一周を早々に断念して、航海日誌を偽装して、「世界一周を達成した」ことにしようと試みます。
しかし、1969年7月10日に彼のヨットが無人の状態で発見されました。航海日誌や食料、機材などが残されていましたが、ドナルド・クローハーストはいなかったのです。
そして、残された航海日誌から彼が偽装工作したことが発覚します。また、航海日誌からは彼が徐々に精神を病んでいった様子が克明に記されていて、最終的には海に投身自殺したものと見られています。
航海日誌によると、出港後すぐに世界一周は無理と判断したけれど、途中で棄権したら、膨大な借金が残るだけだし、ゴールしても偽装したことがバレるだけで、前にも後ろも進めなくなり、追い詰められてしまったようです。
ただ、これは航海日誌からの推測であり、投身自殺の証拠はなく、遺体も見つかっていません。ドナルド・クローハーストはまだ行方不明のままなのです。
第23位:モロッコ政治家行方不明事件
1965年にフランスのパリで、モロッコの左翼政治家であるメフディー・ベン・バルカが失踪しました。
このメフディー・ベン・バルカは、モロッコ国王ハッサン2世への抵抗運動をしたり、キューバの国際団体「アジア・アフリカ・ラテンアメリカ人民連帯機構」の書記もしていたバリバリの左翼政治家でした。
この左翼政治家がパリで警察官に連れていかれて、そのまま失踪してしまったんです。この失踪は、ただの事件ではなく、政治的な思惑が関与していると言われています。
一説ではモロッコの諜報員に殺害され、この事件にはアメリカのCIAやイスラエル諜報特務局(モサド)も関与していると言われていて、恐ろしい失踪事件であることは間違いありません。
第22位:マイケル・ロックフェラー行方不明事件
出典:tocana.jp
あのロックフェラー家の一員であり、ネルソン・ロックフェラーの息子であるマイケル・ロックフェラーは、ハーバード大学で民族学を学んだ民族学者です。
ニューギニア・イリアンジャヤの部族に興味を持ち、首狩りの風習があるアスマット族の研究を行いました。そして、研究から帰る時、オランダ人研究者と一緒に乗っていた船が転覆してしまいます。
助けを呼びに行くために、マイケル・ロックフェラーは島に泳いで戻り、そのまま行方不明になりました。
マイケル・ロックフェラーは首狩り族に殺されて、食べられたのではないかと報じられています。
息子の行方不明を聞いたネルソン・ロックフェラーはすぐに現地入りして、大規模な捜索を行いますが、行方も手掛かりもわからないままです。
第21位:アマゾン探検家失踪事件
出典:amazon.co.jp
イギリスの探検家であるパーシー・ハリソン・フォーセットはブラジルのマットグロッソ州のジャングルの中に、「失われた都市Z」があると考え、その存在を探すために、1925年に息子のジャックやその友人とアマゾンの中に入りました。
そして、出発から640キロのところで、妻に手紙を出してくるように、ブラジル人の助手に使いを頼み、その後はパーシー・ハリソン・フォーセットも息子も行方不明になりました。
数年後にはスイス人がパーシー・ハリソン・フォーセットに似た人物を見かけたと証言したため、大規模な捜索隊が派遣されましたが、手掛かり1つ見つけられませんでした。
海外の失踪/行方不明の有名事件の衝撃度ランキング:20位~16位
第20位:オエル・ヴェルデ村失踪事件
出典:karapaia.com
1923年にブラジルの小さな村であるオエル・ヴェルデ村で、たった1晩で600人もの村人全員が失踪した事件がありました。
数人の旅行者が偶然にオエル・ヴェルデ村を訪問しましたが、村の中には誰もおらず、身の回りのものはほとんど残されていて、まるで急いで村を離れたような、村を放棄した状態だったとのことです。警察によって、大規模な捜索が行われましたが、村人たちを発見することはできませんでした。
ただ、村の学校には「救いはない!」と書かれた黒板が残されていて、近くには24時間以内に発砲された銃も残されていたとのことです。
この村人600人はいったいどこに行ってしまったのか?全く手掛かりはつかめていませんが、オエル・ヴェルデ村周辺は政情的に不安定で、ゲリラ戦に巻き込まれたり、麻薬カルテルのいざこざに巻き込まれて、村を離れざるを得なくなったのでは?と言われています。
第19位:ロアノーク植民地失踪事件
出典:nanikanochishiki.blogspot.com
ロアノーク植民地はアメリカのノースカロライナ州にあったイギリスの植民地です。このロアノーク植民地は1587年から3年の間に消失し、開拓者たちは失踪してしまいました。
このロアノーク植民地は1587年に117名がイギリスから入植しましたが、現地の原住民との関係性が悪化し、危険が迫っていると判断したため、ジョン・ホワイト総督は本国のイングランドに援助を求めるために、一度イギリスに帰還し、ロアノーク植民地には115名が残りました。
そして、ジョン・ホワイトが3年後にロアノーク植民地に戻った時には、115名は忽然と消えてしまっていたんです。
緊急時にはマルタ十字を彫ることをみんなで約束していましたが、マルタ十字はどこにもなく、さらに家具はきちんと解体されていたため、強制的に連れていかれたり、急いで連れていかれたわけではないことがわかります。
また、「CROATOAN」という先住民の部族名が残されていました。
餓死や先住民との抗争でみんな消えてしまった可能性はありますが、現在のところ、先住民の協力を得て同化していったのではないかと見られていますが、神隠しにあったり、ほかの原因でみんなが失踪してしまった可能性はゼロではありません。
第18位:ソダー家児童失踪事件
アメリカのヴァージニア州で、1945年12月に兄弟5人が行方不明になった事件がありました。
12月24日に、ソダー家は火事に遭いました。12月24日にクリスマス・イヴをお祝いし、夫婦と9人兄弟は眠りにつきました。
そして、日付が変わった午前1時頃、家の中に煙が充満していることに気づき、夫婦と子供たち4人は家の外に避難します。しかし、次の5人の子供たちは家の外に出てこず、両親は煙に巻かれて死んでしまったものだと思っていました。
・マーサ(女):12歳
・ルイ(男):9歳
・ジェニー(女):8歳
・ベティ(女):5歳
しかし、焼け跡からも5人の遺体は発見されませんでした。つまり、子供5人はどこに行ったのかわからない行方不明になったのです。
実は、この火事の約30分前の深夜0時30分ごろ、ソダー家に不可思議な間違い電話がかかってきて、母親が電話に対応しています。そして、電話を切って寝室に戻った時、子供たちの部屋の電気がついていて、カーテンが開いていたことに気づきました。
また、火事になった時、通報したり子供たちを救出しようとしても、電話線は切られていて、いつもあるはずの梯子がなく、トラックが動かないなど、妨害行為とも思える点が複数ありました。
もしかしたら、この時に子供がたちが連れ去られていて、連れ去ったあとに放火したのかもしれません。
ソダー家はイタリア移民だったため、マフィアの抗争に巻き込まれて、子供たちは連れ去られたのではないかとも噂されています。
第17位:リアナ・ワーナー失踪事件
出典:kstp.com
2003年6月にアメリカのミネソタ州で、5歳のリアナ・ワーナーちゃんが数m先の隣の家に1人で遊びに行って、そのまま行方不明になった事件がありました。
リアナ・ワーナーちゃんは、友人宅に遊びに行きましたが、友人家族は不在でした。そして、その後は自宅から1ブロック半離れた場所を裸足で歩いているのを目撃されて以降、行方が分からなくなっています。
リアナ・ワーナーちゃんは失踪前に不可思議な行動をしていました。失踪の2週間前に、「お化けに連れていかれる」と言って、クローゼットの中に閉じこもっていたことがありました。その数日後にはバービー人形とその洋服をたくさん抱えて帰ってきたり、失踪1週間前にはスーツケースを持って「新しいみんなの家に行く」と話しいていたんです。
これらのことから、警察は誘拐されたのではないかと見て捜査を進めていましたが、手掛かりはなく、いまだに未解決のままとなっています。
第16位:ジーン・スパングラー失踪事件
出典:ichi.pro
売れない女優であり、ナイトダンサーの仕事を掛け持ちしていたジーン・スパングラーは、1949年に、「撮影に行ってくる」と告げ、幼い娘を残したまま行方不明になりました。
行方不明になった2日後、ジーンのバッグが自宅から9キロ離れた公園で見つかり、財布の中には「カーク、もう待てない。スコット先生に会ってくる」というメモが残されていました。
警察の捜査で、彼女は違法な中絶手術をしている人物に接触していて、妊娠していた可能性があることがわかりました。そして、メモの「カーク」とはハリウッドスターのカーク・ダグラスで、「スコット先生」は違法な中絶手術をしている医師ではないかと推測されました。
つまり、ハリウッドスターと深い関係になり、妊娠して、中絶をしようとした。その中でトラブルに巻き込まれ、失踪したのでは?と見られているんです。
また、ジーンはアンソニー・コネーコやミッキー・コーエンなどのマフィアとも深い関係があったのではないか?と噂されるようになりました。
有名コラムニストが1,000ドルの懸賞金をかけたこともありましたが、結局はジーンの行方は分からず、さらにメモの人物が誰だったのかも分からないまま迷宮入りしています。
海外の失踪/行方不明の有名事件の衝撃度ランキング:15位~11位
第15位:アガサ・クリスティ失踪事件
ミステリーの女王であるアガサ・クリスティーは1926年12月3日に自宅を出たまま行方不明になった事件がありました。
アガサ・クリスティーは夫と秘書に手紙を残し、当時は珍しかった自動車を自ら運転して、外移出し、行方が分からなくなったのです。
当時は「アクロイド殺し」で一躍有名作家となりましたが、夫のアーチボルドに不倫相手がいたことが発覚し、また事件前には母親が亡くなるという精神的にショックな出来事が続いていました。
アガサ・クリスティーの失踪を受けて、推理小説の「ピーター・ウィムジイ卿」シリーズで知られる女性推理小説家ドロシー・L・セイヤーズやシャーロックホームズシリーズで知られるコナン・ドイルもコメントを出しました。
アガサ・クリスティーは失踪から11日後に、偽名(夫の愛人の名前)でホテルに宿泊していたところを保護されています。失踪理由については、「心神耗弱状態だった」・「自分の意志で失踪した」など諸説あります。
失踪事件の2年後、アガサと夫は離婚することになります。そして、14歳年下の男性と再婚し、『オリエント急行の殺人』や『ABC殺人事件』、『そして誰もいなくなった』などの超名作を生み出していくのです。
第14位:マデリンちゃん行方不明事件
2007年5月3日、イギリスからバカンスでポルトガルに遊びに来ていた夫婦の娘であるマデリン・マクカーンちゃん(3歳)が、リゾート施設のアパートから行方不明になった事件がありました。
大人9名+子ども8名で遊びに来ていましたが、子供たちを寝かしつけた後に、大人だけでレストランで食事をしていました。そして、午後10時ごろに母親がマデリンちゃんたちの様子を見にアパートに戻ると、子供たちの中でマデリンちゃんだけが行方不明になっていたのです。
両親はアパートのドアや窓に鍵をかけておらず、誰でも簡単に侵入できる状態になっていました。マデリンちゃんのような女の子を抱っこした男が歩いていたなどの目撃情報はありますが、ポルトガル警察の初動捜査のミスもあり、マデリンちゃんの行方はわからないまま、月日だけが過ぎていきました。
ところが、事件から13年近くたった2020年、ドイツ国籍の服役囚「クリスチャン・B」という男が捜査線上に浮上しました。この「クリスチャン・B」は事件当時、ポルトガルのマデリンちゃんが行方不明になった場所に住んでいて、刑務所仲間にマデリンちゃん誘拐を告白していたというのです。
しかし、「容疑者が浮上し捜査中」という報道があって以降、何の報道もないので、い美亜ダニマデリンちゃんの行方は分かっていません。
第13位:ラース・ミッタン失踪事件
出典:bq-news.com
2014年にドイツ国籍の「ラース・ミッタン」はブルガリアで休暇を過ごした後に帰国間際になって、行方不明になりました。
大きな荷物を持って、空港に着いたラース・ミッタンは、荷物を放り出して、全速力で逃げる様子が空港の監視カメラに映っていました。そして、フェンスをよじ登って空港外に逃げているんです。
この監視カメラの映像はYoutubeで拡散され、「Youtubeで一番有名な行方不明者」とも言われています。
実は休暇中にラース・ミッタンはケンカに巻き込まれて脳震盪を起こしています。そのこともあり、出国するには医師の診察が必要でした。
空港で彼を診察した医師は「彼はひどく不安定な状態だった」と述べています。また、母親には「4人の男に追われている」とホテルからの電話で告げていました。
このことから考えると、ケンカで頭を打ったことで、被害妄想が大きくなり、パニックに陥って空港から逃亡したと推測できます。
ただ、本当に追われていた可能性はゼロではありません。ブルガリアは人身売買が多い国と言われますし、「ラース・ミッタンは人体実験のために連れ去られた」という噂もあります。監視カメラのおびえ方を見ると、なんとなく不気味に感じてしまいますね。
第12位:アンギクニ湖事件
1930年11月、毛皮猟師のジョー・ラベルはキャンプ地を探していて、アンギクニ湖近くのイヌイットの村を見つけました。
しかし、その村は30戸規模でしたが、誰もいませんでした。でも、料理の途中だったようで、鍋の下の薪にはに火がついていて、鍋の中は焦げ付いていました。また、家の中には私物が残されていて、食料の備蓄もありました。それなのに、人っ子一人いなかったのです。
さらに、墓地は掘り起こされていて、遺体も消えていました。墓石は墓地の両脇にきちんと積まれていたそうです。
警察が来て捜査が行われましたが、行方は全く分かっていません。
第11位:ルイ・ル・プランス行方不明事件
出典:blog.scienceandmediamuseum.org.uk
ルイ・ル・プランスは世界初の映画を撮影した発明家であり、「映画の父」と呼ばれている人物です。
ルイ・ル・プランスは、1890年にフランスのディジョンからパリに向かう列車の中で失踪しました。ディジョンでは兄弟が彼が駅にいるのを目撃していましたが、パリで出迎えた友人たちの前に姿を現すことはありませんでした。
ほかに目撃者はなく、列車内での目撃情報もありません。さらに、列車内には彼の荷物も残されていませんでした。ディジョン~パリ間の線路周辺でも、彼の遺体は見つかっていません。
この時、ルイ・ル・プランスはエジソンと特許関係で裁判で争っていて、それに絡む暗殺だったのではないか?と言われています。また、破産寸前だったために自殺をした、もしくは家族のために自ら失踪したとも推測されています。
ルイ・ル・プランスが失踪したために、「映画の父=エジソン」と言われるようになりましたが、現在ではルイ・ル・プランスが映画の父であると再評価されるようになりました。
2003年にはパリ警察の記録から、1890年のルイ・ル・プランスに似た溺死体の記録が発見されましたが、本当に彼の溺死体なのかは不明なままです。また、もし本当にその溺死体がルイ・ル・プランスだったとしても、なぜ溺死体になったのか?真相は藪の中です。
海外の失踪/行方不明の有名事件の衝撃度ランキング:10位~6位
第10位:ジョイタ号失踪事件
1955年に南太平洋上で、一部浸水していて、傾きながら漂流しているジョイタ号が発見されました。
完全には沈んでおらず、傾いている状態でしたが、船には誰も乗っておらず、乗っていたはずの乗員乗客あわせて25人は失踪していたのです。
ジョイタ号には何かが衝突した跡がありましたが、沈むほどのダメージではありません。そもそも、ジョイタ号はコルク・ライニングがあり、不沈船でした。また、燃料もしっかり残っていたんです。
そして、船の窓は全部割られていて、エンジンにはマットがかけられていて、救命いかだはなくなっていました。照明は全部ついていて、電気時計は10時25分で止まっていたため、夜の10時25分ごろに何かしらのトラブルが起こったと考えられます。
不沈船で燃料も残っていたのに、なぜみんないなくなってしまったのでしょうか?乗員乗客が全員消えたことについて、いろいろな憶測が飛び交っていましたが、1959年に衝撃的な手紙が発見されました。
1959年にニュージーランドの海岸に手紙が入った1本の瓶が漂着しました。この手紙はジョイタ号の船員が書いたもので、「奇妙な物体が我々を連れ去ろうとしている」と記されていました。
この手紙から、ジョイタ号の乗員乗客はUFOに連れ去られたのではないか?と言われるようになっています。
第9位:アメリア・イアハート行方不明事件
アメリア・イアハートは女性で初めて大西洋単独横断飛行を成功させたアメリカ人パイロットで、アメリカ大陸単独横断無着陸飛行やハワイからカリフォルニアへの飛行も成功させています。
1937年に赤道上世界一周飛行のためにアメリカを出発しています。7月2日にニューギニアからハウランド島に向けて離陸しましたが、ハウランド島に到着することはありませんでした。アメリカと日本が彼女の捜索を行いましたが、遺体を発見することはできませんでした。
アメリア・イアハートは燃料を使い果たして、墜落・不時着水して死亡したという見方が一般的です。
しかし、当時は日本とアメリカの対立が高まっていたことから、日本軍が関与して墜落させたのではないか?という憶測や日本軍に捕虜として捕まったのではないか?という憶測もありました。
第8位:タラ・キャリコ失踪事件
出典:tocana.jp
1988年にアメリカのニューメキシコ州で、当時19歳で大学2年生だったタラ・キャリコさんが失踪する事件がありました。
行方不明になった当日、彼女が自転車で走る後ろを、ピックアップトラックが追走している目撃証言があり、自宅から5キロ離れた場所では彼女のカセットテープ、30キロ離れたところでウォークマンが発見されています。
数週間にわたり、タラ・キャリコさんの捜索が行われましたが、行方はわかりませんでした。
それから10ヶ月後、事件は急転します。1989年6月に現場から遠く離れたフロリダ州のコンビニ駐車場で、女性と少年が口をテープでふさがれ、後ろ手に縛られているような状態のポラロイド写真が発見されました。
この写真は車の中で撮影されたと見られています。女性はタラ・キャリコさんと同じ位置にあざがあったり、彼女がよく読んでいた隣に置かれていたことから、母親はこの女性がタラ・キャリコさんであると主張していましたが、本当にポラロイド写真の彼女が、タラ・キャリコさんかどうかは現在でも不明ですし、タラ・キャリコさんの行方も分かっていません。
第7位:サラ・ジョー号行方不明事件
出典:ameblo.jp
1979年2月11日、ハワイのマウイ島で航海経験豊富な男性5人が、サラ・ジョー号に乗って釣りに出かけました。
しかし、突然海が荒れて、サラ・ジョー号は行方不明になってしまったのです。捜索が行われましたが、サラ・ジョー号も乗っていた男性5人も発見できませんでした。
サラ・ジョー号の遭難から9年経った1988年に、マウイ島から3600キロ離れたマーシャル諸島で、サラ・ジョー号の残骸が発見され、その残骸の近くに5人のうちの1人のお墓があったのです。
お墓には骨が埋められていて、十字架が作ってありました。サラ・ジョー号とお墓が見つかったのは無人の岩礁ですので、その島に住んでいる人がお墓を作ったとは考えにくいです。また、ほかの4人はどうなってしまったのかなど、謎は深まるばかりです。
第6位:ジム・トンプソン失踪事件
タイのシルク王と呼ばれ、タイシルクを全世界に広めた実業家のジム・トンプソンは、1976年3月26日にマレーシアの高級リゾート地のキャメロン・ハイランドで、友人の別荘から散歩に出かけたまま失踪しました。
当時、ベトナム戦争が激化していましたが、ジム・トンプソンは以前にCIAに所属していて、当時もスパイと接触していたことから、スパイ活動関係で誘拐・暗殺されたのではないか?と言われています。
そのほか、地元住民に殺害された、トラに食い殺されたなどの説もありますが、いまだに遺体は見つかっていませんし、失踪理由もわかっていません。
海外の失踪/行方不明の有名事件の衝撃度ランキング:5位~1位
第5位:ハロルド・ホルト行方不明事件
出典:huaglad.com
ハロルド・ホルトは、1966年にオーストラリアの首相に就任した政治家です。
1967年に友人たちとビーチに遊びに行き、海水浴を楽しんでいる最中に行方不明になりました。一国の首相が在任期間中に行方不明になることは非常に珍しく、様々な憶測が飛び交いました。
・潜水艦で連れ去られた
・国外逃亡して、愛人と一緒に暮らしている
ただ、あくまで憶測でしかありませんでしたが、2005年にはビクトリア州の検視官が過去の事例などを参考にした上で、「水死した」と結論づけています。
第4位:夜狸猫事件
出典:tansuola.com
中国の陝西省の晶山村で、1987年に約1,000人の住民が忽然と姿を消してしまった事件がありました。この事件では住民だけでなく、家畜やペットも姿を消しています。
この事件は、宇宙人によって連れ去られたt説以外に、中国共産党によって強制移住・強制収容所送りになってしまったという説もありますが、住民がどこに行ってしまったのか、事件の真相はわかっていません。
1000人という規模に中国の闇を感じにはいられません。
第3位:セルティックウッドの怪
セルティックウッドの怪とは、第一次世界大戦時にオーストラリア陸軍第1師団第10大隊の将兵71名が、ベルギーのセルティックウッドで失踪した事件です。
オーストラリア陸軍の公式報告でも、将兵のうち37名は何が起こったのか説明できないとしています。
この失踪は敵軍であるドイツ軍に虐殺されたのではないかとも言われていますが、オーストラリア軍が霧の中に行進していったという噂もあります。また、戦時中の混乱で犠牲者数などの記録が間違っており、謎の失踪者が出たことになっているだけではないかとも言われています。
第2位:サイクロプス行方不明事件
出典:history.com
サイクロプス行方不明事件は、1918年にアメリカ海軍の給炭艦サイクロプスが、バミューダトライアングルで行方不明になった事件です。
サイクロプスには300人以上のの乗員がいましたが、SOS信号は発信されないまま行方不明になっています。
捜索が行われましたが、全長165メートル・幅20メートル・大きさ1万トンを超える大型艦なのに、船の残骸も遺体も遺品も発見されていません。
・悪天候で沈没した
・艦内で反乱が起こった
・構造的な欠陥で沈没した
このようないろいろな説がありますが、どの説も根拠に欠けていて、いまだに未解決の失踪事件となっています。
第1位:メアリー・セレスト号乗組員失踪事件
1872年11月7日にアメリカのニューヨークを出発し、イタリアのジェノバに向かっていたメアリー・セレスト号は乗員8名と乗客2名(船長の妻子)の合計10名を乗せていました。
そして、そのメアリー・セレスト号は出港から約1ヶ月後の1872年12月4日に、ポルトガルのリスボンから約1500km離れたアゾレス諸島で、乗員・乗客が誰一人いない状態で、幽霊船のように漂流しているところを発見されました。もちろん、船内には遺体もありません。
航海日誌は11月24日が最後となっていて、その時点では異変は感じさせるものではありませんでした。船内には争った形跡も見られません。
救命ボートはなかったため、乗員たちは自らの意志でメアリー・セレスト号を捨てて、救命ボートに乗り換えたと見られています。しかし、メアリー・セレスト号は航行可能な状態で、食料も6ヶ月分以上あり、積み荷も残っていました。ということは、海賊に襲われた可能性も低くなります。
なぜ、乗員たちはメアリー・セレスト号を捨てたのか、またどこに行ってしまったのかなど謎が多い失踪事件となっています。
海外の失踪/行方不明の有名事件のまとめ
海外の有名な失踪事件・行方不明事件をまとめました。世界には色々な不思議な失踪事件・有名事件があります。真相がわからない失踪事件、行方不明事件はいろいろな推測ができ、ミステリアスで惹きつけられるものがありますね。