あなたは臨死体験をしたことはありますか?死に直面をすると、普段は経験できないような不思議な体験をすることがあるんです。臨死体験をしたことがある芸能員・有名人とその実話の体験談・エピソードをまとめました。
この記事の目次
- 臨死体験とは
- 臨死体験の芸能人/有名人の実話体験談・エピソード①:GACKT
- 臨死体験の芸能人/有名人の実話体験談・エピソード②:丹波哲郎
- 臨死体験の芸能人/有名人の実話体験談・エピソード③:加藤茶
- 臨死体験の芸能人/有名人の実話体験談・エピソード④:ビートたけし
- 臨死体験の芸能人/有名人の実話体験談・エピソード⑤:石原裕次郎
- 臨死体験の芸能人/有名人の実話体験談・エピソード⑥:加山雄三
- 臨死体験の芸能人/有名人の実話体験談・エピソード⑦:松村邦洋
- 臨死体験の芸能人/有名人の実話体験談・エピソード⑧:大仁田厚
- 臨死体験の芸能人/有名人の実話体験談・エピソード⑨:千原ジュニア
- 臨死体験の芸能人/有名人の実話体験談・エピソード⑩:八代英輝
- 臨死体験の芸能人/有名人の実話体験談・エピソード⑪:前田忠明
- 臨死体験の芸能人/有名人の実話体験談・エピソード⑫:保阪尚希
- 臨死体験の芸能人/有名人の実話体験談・エピソード⑬:馳浩
- 臨死体験の芸能人/有名人の実話体験談・エピソード⑭:川津祐介
- 臨死体験の芸能人/有名人の実話体験談・エピソード⑮:飯伏幸太
- 臨死体験の芸能人/有名人の実話体験談・エピソード⑯:高木善之
- 臨死体験のまとめ
臨死体験とは
臨死体験とは、死に臨んだ時・死に直面した時に起こる体験です。
臨死体験をすると、次のようなことがよく起こるとされています。
↓
暗いトンネルに入る
↓
体外離脱をする
↓
死んだ家族や親しい人に会う
↓
光を見る
↓
自分の走馬灯を見る
↓
生き返る
ただ、臨死体験の詳細は、年齢や文化背景によって異なります。子供の頃の臨死体験はシンプルであるとされています。
また、宗教や文化背景によっても、どのような臨死体験をするのかは異なります。日本人に多い臨死体験は、死んだ親兄弟に会ったり、三途の川やお花畑を見るケースが多いです。
臨死体験の芸能人/有名人の実話体験談・エピソード①:GACKT
GACKTさん
出典:bunshun.jp
GACKT
生年月日:1973年7月4日
出身:沖縄県沖縄市
身長:180cm
所属: 株式会社グラブエンターテイメント
活動:ミュージシャン、タレント
GACKTさんは、MALICE MIZERのボーカルとしてデビューし、1999年に脱退した後は、ソロミュージシャンとして活躍しています。「翔んで埼玉」では主演を務め、「芸能人格付けチェック」では前人未到の65連勝を記録し、音楽活動だけでなく、幅広い活動をしていました。
しかし、2021年に体調不良で無期限の活動休止を発表しました。
GACKTさんの臨死体験の実話体験談・エピソード
GACKTさんは7歳の頃に沖縄の海で溺れて、臨死体験をしています。波にのまれたGACKTさんは、足がつかず、水中にどんどん引っ張られ、海水をたくさん飲むことになりました。
そして、パニックになった中、パッと音が消え、何かに抱かれているような温かくて優しい感覚に包み込まれました。この時、なんとも言えないような安堵感を感じたそうです。
それから、生まれてからの記憶が走馬灯のように駆け巡りました。
GACKTさんはその後も死にそうになるたびに、走馬灯を見るようになりました。交通事故やケンカなどで死にかけたことがあり、合計で15回も走馬灯を見るという臨死体験をしたと告白しています。
臨死体験の芸能人/有名人の実話体験談・エピソード②:丹波哲郎
丹波哲郎さん
丹波哲郎
生年月日:1922年7月17日
没年月日:2006年9月24日
出身:東京都新宿区
身長:175cm
所属:丹波プロダクション
活動:俳優、芸能プロモーター
丹波哲郎さんは50年以上も俳優として活動し、300本以上の映画に出演しています。俳優としての実績は素晴らしいのですが、霊界にも通じていた人物としても知られています。心霊額と霊界に造詣を持ち、霊界の存在を確信して、霊界に関する本も多数執筆しています。
丹波哲郎さんの臨死体験の実話体験談・エピソード
出典:ameblo.jp
丹波哲郎さんは2回も臨死体験をしたことをインタビューなどで話していました。
1回目の臨死体験は小学校1年生の時です。妹と一緒におまんじゅうを食べたら、赤痢になり、意識不明の重体となりました。妹さんは赤痢で他界しています。
ベッドで寝ていると、体が宙に浮いて、ベッドに寝ている自分を見つめていて、病室の四方八方を自由自在に見ることができたそうです。体外離脱のような感じですね。
2回目の臨死体験は亡くなる1年前の2005年のことです。インフルエンザと肺炎、虫垂炎のために入院することになり、意識を失った丹波さんは、壁を通りぬけることができて、さらに巨大な船に乗って航海していました。船の行先を尋ねたら、知らない場所を告げられて、そこで意識を取り戻したそうです。
ちなみに、丹波哲郎さんは2006年に亡くなりますが、お葬式に参列した江原啓之さんは、丹波さんの霊が棺の上に座ってニコニコ笑っていたのを目撃したそうです。
臨死体験の芸能人/有名人の実話体験談・エピソード③:加藤茶
加藤茶さん
加藤茶
生年月日:1943年3月1日
出身:東京都世田谷区
身長:163cm
所属:イザワオフィス
血液型:A型
活動:お笑いタレント
加藤茶さんはザ・ドリフターズのメンバーで、長年日本のお笑いシーンをけん引してきた人物です。2010年には68歳にして23歳の女性と再婚し、当時は夫婦(主に嫁)でバッシングされましたが、現在は仲睦まじく生活していて、好感度が爆上がりしています。
加藤茶さんの臨死体験の実話体験談・エピソード
出典:jprime.jp
加藤茶さんは2015年に「ダウンタウンDX」に出演した際に、2014年は入退院を繰り返していて、臨死体験をしたことを告白しました。三途の川の向こう岸にいかりや長介さんが見えて、慌てて引き返してきたそうです。
また、2020年に「サワコの朝」に出演した時は大動脈瘤で集中治療室に入っていた時に、遠くから「おーい、おーい」と呼ぶいかりや長介さんの声が聞こえたきたと話していました。
加藤茶さんの臨死体験には、いつもいかりや長介さんが出てくるんですね。それだけ、加藤茶さんにとっていかりや長介さんの存在が大きいということでしょう。
臨死体験の芸能人/有名人の実話体験談・エピソード④:ビートたけし
ビートたけしさん
ビートたけし
生年月日:1947年1月18日
出身:東京都足立区
身長:168cm
所属:T.Nゴン
血液型:O型
活動:お笑いタレント、映画監督
ビートたけしさんは「ツービート」でデビューし、漫才ブームをけん引し、その後もたくさんのバラエティ番組に出演し、「たけし軍団」を結成して、日本のお笑いシーンのトップを走ってきた人物です。
映画監督としても高い評価を得ていて、「HANA-BI」ではベネチア国際映画賞金獅子賞を受賞しています。
ビートたけしさんの臨死体験の実話体験談・エピソード
ビートたけしさんは1994年にバイクで大事故を起こし、生死の境をさまよっていますが、その時に臨死体験をしています。
この時の事故で、ビートたけしさんは右側頭部頭蓋骨陥没骨折、脳挫傷、右頬骨複雑骨折の大けがを負い、手術をすることになりました。ビートたけしさんはこの時の手術の時に、臨死体験をしたと「ビートたけしのTVタックル」で話しています。
麻酔を打って手術する時に夢だか何だか知らないけど、上から自分が倒れているのを客観的に見たような気がする
死に直面したことで、体外離脱のような臨死体験をしたようです。
さらに、生死の境をさまよっていた時には、「平成教育委員会」で共演していた逸見政孝さんが夢に出てきて、「まだ死んじゃいけないって逸見さんが言いに来てくれたんじゃないか」と振り返っていました。
臨死体験の芸能人/有名人の実話体験談・エピソード⑤:石原裕次郎
石原裕次郎さん
石原裕次郎
生年月日:1934年12月28日
没年月日:1987年7月17日
出身:兵庫県神戸市
身長:178cm
所属:石原プロモーション
血液型:A型
活動:俳優、歌手
石原裕次郎さんは、昭和の大スターです。『太陽の季節』、『狂った果実』、『嵐を呼ぶ男』、『銀座の恋の物語』、『太陽にほえろ!』、『西部警察』などの代表作などがあり、令和になった今でも「昭和の大スター」として根強い人気を誇っています。
石原裕次郎さんの臨死体験の実話体験談・エピソード
石原裕次郎さんは1981年に解離性大動脈瘤を患い、生還率3%という大手術を決行しますが、その時に三途の川のようなものを見たそうです。
石原裕次郎さんは臨死体験をした時に、白く輝く河原に迷い込み、その川をジープで渡ろうとしたものの、誰かがハンドルを押さえつけたために川を渡ることができなかったとのことです。
臨死体験の芸能人/有名人の実話体験談・エピソード⑥:加山雄三
加山雄三さん
出典:jiji.com
加山雄三
生年月日:1937年4月11日
出身:神奈川県茅ケ崎市
身長:175cm
所属:加山プロモーション
血液型:A型
活動:俳優、歌手
加山雄三さんは「若大将」のニックネームを持つ俳優です。映画「若大将」シリーズは大ヒットし、さらに主題歌だった「君といつまでも」は350万枚の大ヒットになりました。また日本テレビの24時間テレビの作曲・歌唱でも有名です。
加山雄三さんの臨死体験の実話体験談・エピソード
加山雄三さんは19歳の時にスキー場で風邪をひきましたが、大会に出なくてはいけないため、抗生物質の注射を打って、早く風邪を治そうとしました。しかし、抗生物質のアレルギーがあったようで、注射を打ってすぐに心肺停止となってしまいました。
この時、加山雄三さんは自分が暗闇にいて、小さな光が見えていたとのことです。そして、その光が大きくなって、お花畑にいるように感じたと著書で述べています。
母親が加山雄三さんの首に数珠を首をかけたら、体が温かくなって、蘇生することができたとラジオ番組で語っていました。
そして加山が19歳で心肺停止となったとき、母は数珠を思い出し、加山の首にかけたところ、息を吹き返したという。「体が温かくなって、ボーッとして人が見えてきて、みんなが『心臓動いた!』って(騒いで)。お袋ワンワン泣きながらわめいているのもよくわかった」と蘇生直後の様子も鮮明に覚えていると明かしていた。
臨死体験の芸能人/有名人の実話体験談・エピソード⑦:松村邦洋
松村邦洋さん
松村邦洋
生年月日:1967年8月11日
出身:山口県田布施町
身長:164 cm
所属:太田プロダクション
血液型:A型
活動:お笑いタレント
お笑いタレントの松村邦洋さんは、ビートたけしさんや掛布雅之さんのものまねなどが有名で、「バウバウ」もギャグとして有名ですね。また、「進め!電波少年」への出演でも知られています。
松村邦洋さんの臨死体験の実話体験談・エピソード
出典:mainichi.jp
松村邦洋さんは2009年3月に東京マラソンに出場した時に、途中で倒れて心肺停止となりました。倒れている時に、三途の川を渡りかけたという臨死体験をしました。
三途の川を目の前にした時、2008年に急逝した亡くなったウガンダさんが夢の中に出てきて、「こっちの川じゃなくて、そっちを通れよ」と言われて、その通りにしたら、三途の川が神田川につながっていて、目が覚めたそうです。
松村邦洋さんはウガンダさんと親しかったために、先輩芸人のウガンダさんが助けてくれたのかもしれません。
臨死体験の芸能人/有名人の実話体験談・エピソード⑧:大仁田厚
大仁田厚さん
大仁田厚
生年月日:1957年10月25日
出身:長崎県長崎市
身長:181cm
活動:プロレスラー、元政治家
大仁田厚さんは電流爆破デスマッチなどの過激なプロレスで人気になったプロレスラーです。王道のプロレスとは違い、流血や派手な演出が特徴で「邪道」と呼ばれ、大仁田信者をたくさん生み出しました。
さらに今までに7回引退し、そのたびに復帰して、現役プロレスを続けています。また、2001年には参議院議員に初当選し、政治家として活動していましたが、2007年には政界引退を表明しています。2009年には長崎県知事選挙に出馬しましたが、落選しました。
大仁田厚さんの臨死体験の実話体験談・エピソード
出典:daily.co.jp
大仁田厚さんは1993年に臨死体験をしていいます。1993年に喉が痛くて寒気がするような風邪の症状がありましたが、治療をしたら良くなったので、そのまま予定通りに試合にに出場しました。
しかし、試合が始まったら、呼吸ができなくなりました。なんとか試合に勝ち、試合を終えたら、呼吸困難になって病院に救急搬送される事態になります。
検査の結果、扁桃炎が原因の敗血症になっていて、喉の奥が腫れて5ミリ程度しか開いておらず、瀕死の状態になりました。
スナックで飲んでいたのに、気がつくとロシア。きれいな麦畑があって、そこに大きな木があり、幹に入ると気持ちいい。
ところが、「お兄ちゃま」って呼ぶ声が遠くから聞こえる。今から思うと、あれは母さんの声なんだよな。こんなに幸せなのに、と思って振り向くと、今度は雪山にいて、すぐ近くに熊! 〈俺がやっつけなくては〉と正義感で向かっていったら、熊に殴られ、そこで目が覚めた。
臨死体験中に熊に殴られて生還するというのは、かなりユニークですよね。大仁田厚さんが意識を取り戻した時には、意識を失ってから1週間が経過していたとのことです。また、臨死体験中にはお花畑も見えていたそうです。
臨死体験の芸能人/有名人の実話体験談・エピソード⑨:千原ジュニア
千原ジュニアさん
出典:oricon.co.jp
千原ジュニア
生年月日:1974年3月30日
出身:京都府福知山市
身長:180cm
所属:吉本興業
血液型:O型
活動:お笑いタレント
千原ジュニアさんは「千原兄弟」という兄弟コンビを組んでいるお笑いタレントです。大喜利番組やトーク番組だけでなく、情報番組や家族向けのバラエティ番組など幅広い番組に出演しています。
千原ジュニアさんの臨死体験の実話体験談・エピソード
出典:thetv.jp
千原ジュニアさんは、2001年にバイク事故を起こして、前頭骨骨折・鼻骨骨折・下顎骨骨折・頬骨骨折・上顎骨骨折・眼窩底骨骨折・眼窩内壁骨折などの大けがを負い、意識不明の重体になりました。
この時に、臨死体験をして三途の川やお花畑を見たそうです。
ジュニアは「俺も見たことあるんですよ。三途の川的な、お花畑。事故の時」と切り出しました。
日本人の臨死体験は三途の川とお花畑はセットのようなものなのかもしれません。
臨死体験の芸能人/有名人の実話体験談・エピソード⑩:八代英輝
八代英輝さん
出典:daily.co.jp
八代英輝
生年月日:1964年7月8日
出身:東京都板橋区
身長:178cm
所属:八代国際法律事務所
活動:国際弁護士
八代英輝さんは、日本とアメリカのニューヨーク州の弁護士資格を持つ国際弁護士で、矢代国際法律事務所の代表でもあります。「ひるおび!」の総合司会・コメンテーターとしても活躍しています。
八代英輝さんの臨死体験の実話体験談・エピソード
八代英輝さんは2021年に読売テレビの「そこまで言って委員会NP」に出演した際に、臨死体験をしたことがあると話していました。
心臓カテーテル手術をした時に、枕元にあった心電図がピーっという音と共に一直線になり、数分間心臓が停止したことがあるそうです。心電図が一直線に時に、八代さんは視界が一気に暗くなり、体外離脱をして、手術室の隅から自分の体を眺めていました。
そして、三途の川とお花畑が見えたそうです。
お花畑についても「お花畑の向こうに川があって、その向こうで人が受付していて道案内をしていた。実は二度目の体験で、戻らなきゃって思った」と具体的に説明した。
引用:八代英輝氏 手術中に数分間心停止したことを告白 意識戻らず院内騒然 臨死体験も「お花畑経験しました」― スポニチ Sponichi Annex 芸能
三途の川とお花畑のところに受付&道案内があったというのは、面白いですよね。
臨死体験の芸能人/有名人の実話体験談・エピソード⑪:前田忠明
前田忠明さん
出典:getnavi.jp
前田忠明
生年月日:1941年5月15日
出身:北海道岩見沢市
所属:元フジテレビ専属契約
活動:芸能レポーター
前田忠明さんは、女性自身の記者からフジテレビ専属の芸能レポーターに転身し、長年芸能レポーターをしていました。
前田忠明さんの臨死体験の実話体験談・エピソード
前田忠明さんは、1990年の冬に胸痛を感じて病院に駆け込んだら、そこで意識を失い、臨死体験をすることになりました。
身体がふわーッと浮いた状態になり、ドアが開いて、光が差し込んできて、もう1人の自分が手招きをしていました。向こう側の世界は、今まで見たことがないようなきれいなお花畑になっていたそうです。
ぼくは、自分を呼ぶもうひとりのぼくに「まだ行かないよ、まだ行きたくない」と言いました。するとさっきまで開いていたドアがバタンと閉まって、また真っ暗な状態に戻ってしまいました。
前田忠明さんは23時間意識を失っていて、そのうちの1分間は心停止していたとのことです。
臨死体験の芸能人/有名人の実話体験談・エピソード⑫:保阪尚希
保阪尚希さん
出典:nikkou.info
保阪尚希
生年月日:1967年12月11日
出身:静岡県静岡市
身長:180cm
所属:有限会社サンクチュアリ
血液型:A型
活動:俳優、料理研究家、通販コンサルタント
保坂尚希さんは、若い頃はイケメン俳優として活動していましたが、一度仏門に入りました。2010年ごろからは俳優としての活動よりも、通販番組への出演などが多くなり、通販分野で大成功を収めています。
保阪尚希さんの臨死体験の実話体験談・エピソード
出典:oricon.co.jp
保坂尚希さんは、子供の頃にランドセルを背負った状態で車に踏みつぶされ、1週間意識不明の重体になったことがありました。
この時、臨死体験をしていたことを2018年に「特盛!よしもと 今田・八光のおしゃべりジャングル」で話していました。
意識がない間については「三途の川みたいなところを逆走して、おばさんから『こっちに来ちゃだめよ』って言われた」と明かしました。
保坂さんは無事に意識を取り戻しましたが、4ヶ月も入院することになったそうです。
臨死体験の芸能人/有名人の実話体験談・エピソード⑬:馳浩
馳浩さん
出典:mainichi.jp
馳浩
生年月日:1961年5月5日
出身:富山県西礪波郡砺中町
身長:183cm
所属:自由民主党
活動:政治家、教育者、元プロレスラー
馳浩さんは新日本プロレスや全日本プロレスで活躍したプロレスラーです。1995年からは衆議院議員として活動し、2006年にはプロレスラーを引退しています。2021年7月には、石川県知事に立候補する予定であることを発表しました。
馳浩さんの臨死体験の実話体験談・エピソード
馳浩さんは1990年6月、プロレスの試合中にバックドロップで受け身を取り損ねて左のこめかみからマットに落ちてしまう事故がありました。この時馳浩さんは意識朦朧となり、なんとか試合を終えたものの、セコンドに就こうとした途中で心肺停止状態となります。
リングドクターの処置で1分後には心拍再開して、病院に搬送され、翌日には意識を取り戻していますが、馳さんはこの時に臨死体験をしていて、体外離脱し、倒れている自分の体を見ていたそうです。
臨死体験の芸能人/有名人の実話体験談・エピソード⑭:川津祐介
川津祐介さん
川津祐介
生年月日:1935年5月12日
出身:東京都新宿区
活動:俳優
俳優の川津祐介さんは、『ザ・ガードマン』、『スパイキャッチャーJ3』、『Gメン’75』などの代表作を持つ俳優です。『こんなにヤセていいかしら』というダイエット本がベストセラーになり、骨盤体操を流行らせた人でもあります。
川津祐介さんの臨死体験の実話体験談・エピソード
川津祐介さんは『三回死んでわかったこと』という著作の中で、3回の臨死体験を語っています。
1回目の臨死体験は19歳の時です。19歳の時に自殺を図った川津さんは、真っ暗な世界に引きずり込まれそうになっています。
34歳の時には撮影中に事故に遭いましたが、この時は明るい世界に引き上げられていく感覚になり、体外離脱を経験しました。
60歳の時には心臓左心室壊死で大手術を受けましたが、この時にも臨死体験をしています。
さらに、2011年の76歳の時にも手術を受けていて、この時は繭のようなボートに乗っている臨死体験をしたそうです。合計で4回も臨死体験をしたんですね。
臨死体験の芸能人/有名人の実話体験談・エピソード⑮:飯伏幸太
飯伏幸太さん
飯伏幸太
生年月日:1982年5月21日
出身:鹿児島県姶良市
身長:181cm
所属:新日本プロレス
血液型:O型
活動:プロレスラー
飯伏幸太さんは、新日本プロレスを中心に活躍しているプロレスラーです。芸能活動ではアミューズがマネジメントしています。
飯伏幸太さんの臨死体験の実話体験談・エピソード
出典:hochi.news
飯伏幸太さんは2009年に急性咽頭炎を発病し、救急搬送されました。この時、飯伏さんは自ら自分の体調がヤバいと思って救急車を呼んだのですが、救急車の中で記憶がなく、砂漠のような光景が見えたと証言していました。
臨死体験の芸能人/有名人の実話体験談・エピソード⑯:高木善之
高木善之さん
高木善之
生年月日:1947年
出身:大阪府堺市
所属:特定非営利活動法人ネットワーク『地球村』
活動:環境保護活動家
高木善之さんは、1991年にNPO「地球村」を設立し、地球環境や生き方などの提言を続けている人物です。
高木善之さんの臨死体験の実話体験談・エピソード
高木善之さんんは1981年にバイク事故に遭って、臨死体験をしています。
この時の臨死体験はかなり特殊なもので、地球の未来を予知したものだったそうです。10年後にソ連崩壊、20年後にアメリカ崩壊、30年後に日本崩壊、40年後に地球崩壊という夢で、この臨死体験がきっかけで、環境保護活動を始めたとのことエス。
・20年後→アメリカ崩壊=9.11テロ
・30年後→日本崩壊=東日本大震災
・40年後→地球崩壊???
このように考えると、高木さんの予知夢は本物だったのかもしれません。
臨死体験のまとめ
臨死体験をした芸能人・有名人の実話体験談とエピソードをまとめました。臨死体験をすると、三途の川とお花畑を見る人が多いことがわかります。いろいろな臨死体験のエピソードの中でも、髙木善之さんのエピソードは、本当に興味深いですね。