太平洋の島国・パラオは親日国として知られています。
この記事ではパラオの場所、スペインやドイツ、日本の植民地となった歴史、日本との良好な関係の理由、現在も残っている日本語、中国がらみの事件、直行便などの生き方や治安、観光スポット、現在の大統領についてまとめました。
この記事の目次
- パラオ共和国は太平洋西部に位置する島国で新日国として知られている
- パラオ共和国の場所はフィリピンの東方でニューギニアの北方
- パラオ共和国の歴史① スペインの植民地時代
- パラオ共和国の歴史② ドイツの植民地時代
- パラオ共和国の歴史③ 日本の委任統治領(実質的には植民地)時代
- パラオ共和国の歴史④ 太平洋戦争後の米国信託統治と独立
- パラオ共和国は有数の新日国で日本と良好な関係を現在も維持している
- パラオ共和国には一部で日本語が使われ象徴的に公用語としている州もある
- パラオ共和国で起きた事件① 2023年12月に中国人同士の殺人事件
- パラオ共和国で起きた事件② 中国の違法漁船に関わる事件が多発
- パラオ共和国の治安は全体的に良好で観光も問題はない
- パラオ共和国への行き方…直行便チャーターかグアムか台北経由の定期便
- パラオ共和国の観光のおすすめスポット
- パラオ共和国の現在の大統領は米国出身だがかつては日系人が務めた事も
- まとめ
パラオ共和国は太平洋西部に位置する島国で新日国として知られている
出典:https://cdn-ak.f.st-hatena.com/
パラオ共和国は、太平洋西部、ミクロネシア地域の西端に位置する島国で、大小数百にも及ぶ群島から成る共和制国家です。人口は18050人(2022年データ)で、全体の面積は488㎢(在パラオ日本大使館公開データ)で屋久島とほぼ同じ面積です。
パラオ共和国は豊かな自然を持つ国で、「Pristine Paradise(手つかずの楽園)」と呼ばれており、エメラルドグリーンの海には700種以上の魚類、2000種以上のサンゴが生息し世界有数のダイビングスポットとして人気を集めています。
また、パラオ共和国は世界有数の親日国として知られ、現在も日本と良好な関係を築いており、毎年多くの日本人が観光に訪れています。
パラオ共和国の場所はフィリピンの東方でニューギニアの北方
パラオ共和国の場所は、フィリピンのダバオから東方向へ約1000km、パプアニューギニアから北方向へ約2300kmの位置にあります。
日本から見ると、近畿地方のちょうどまっすぐ南方向に約3200kmの場所にあります。日本とパラオは経度が同じなので時差はありません。
パラオ共和国の歴史① スペインの植民地時代
出典:https://www.pacificworlds.com/
パラオ共和国のある群島には、4000年前から人類が住んでいたと推定されており、ヤップ、フィリピン、ポナペ、インドネシア、ニューギニアなどへカヌーで行き来して交易をする海洋民族であったと言われています。
16世紀頃に、利権を求めた欧州の人々がパラオを含むミクロネシア諸島に訪れるようになり、19世紀後半頃には植物油の原料となるコプラの生産地として欧米の商社が本格的に進出するようになりました。日本からも同時期に旧士族の田口卯吉、南洋貿易会社を作る水谷新六などがミクロネシア地方に進出しました。
当初、パラオを含むミクロネシア地域にはドイツが本格的に進出し一時は交易の8割を占めるほどになりましたが、最初にこの地域を発見したスペインがこの動きを警戒しパラオを含むカロリン諸島の領有権を主張して海軍を派遣。ドイツもそれに対抗して軍を送りパラオを含む島々に上陸してドイツ国旗を掲げました。
スペインとドイツは一触即発となり国際問題に発展しますが、1885年にローマ法王レオ13世が裁定に入り、ミクロネシア地方のうちスペインがパラオを含むカロリン諸島の領有権を持つ事を認め、植民地行政を行う事を命じ、ドイツに対してはミクロネシア全域のプランテーション経営など経済活動の自由や海軍基地設置による航海の安全を保証しました。
こうしてパラオはスペインの植民地となりましたが、当時を知る人によればスペイン人による搾取などはあまりなく、主にキリスト教(カプチン派)の布教が行われて文化が大きく変わったという事です。
パラオ共和国の歴史② ドイツの植民地時代
出典:https://www.pacificworlds.com/
1898年、カリブ海の支配権をめぐってスペインとアメリカの戦争(米西戦争)が勃発してスペインが敗北。スペインはフィリピンとグアムをアメリカに割譲する事になり、財政難からマリアアナ諸島、カロリン諸島(パラオを含む)、マーシャル諸島をドイツに450万ドルでドイツに売却しました。
こうして1899年にドイツはミクロネシアを植民地化し、1905年にパラオにも支庁が置かれ、役人と軍隊が配備されました。ドイツによるパラオの植民地支配は間接統治で、パラオに永住するジャマイカ人のギボンを責任者として彼の下にパラオ人の警察官5人を配置して社会秩序維持を行わせています。
ドイツ人の長官はパラオの植民地にココヤシの植栽とコプラの生産を課して、全島で4万本のココヤシを植林させています。
また、パラオのアンガウル州とヤップのファイス島に発見されたリン鉱石を採掘する会社を設立し数百人のパラオ人が働き、月あたり当時のレートで17マルク(当時の1マルクは現代の2000円ほどの価値)の賃金を得ており、パラオに本格的な市場経済のシステムが組み込まれる事になりました。
一方で、運河の整備なども1日1マルクの賃金で進められましたが、強制的に働かされたためにパラオ人からの反発が起きています。
また、ドイツもパラオにおけるキリスト教の布教を進め、パラオ固有の宗教やそれに関連する信仰や儀礼を禁止し、一夫多妻制を廃止し一夫一婦制を進め、衣服の着用なども進めています。
キリスト教のミッションスクールも複数作られ、ドイツ語や補助的な算数が教えられました。
しかし、ドイツによる植民地支配ではパラオからの富はほとんどがドイツ人によって独占され、インフラの整備やキリスト教へ改宗しなかった現地人への初等教育は全く行われていません。
植民地支配を受けていたとはいえ、パラオ人は西欧人から積極的に知識や技術を導入し吸収する姿勢を示しており、これがパラオ人の気質であるという見方もされています。
パラオ共和国の歴史③ 日本の委任統治領(実質的には植民地)時代
出典:https://www.pacificworlds.com/
日本統治時代のパラオとの関係の歴史① 第一次世界大戦で日本が無血占領
1914年に第一次世界大戦が始まり、日英同盟に基づいて連合国側で参戦した日本は海軍を派遣してパラオを含むミクロネシア地域のドイツの植民地支配する各島にそれぞれ100名ほどの陸上部隊を上陸させ、同年10月までにパラオも無血占領しました。
日本の軍政府は現地人の財産や習慣、宗教などの保護とドイツ人の退去を命令すると共に、パラオを含むミクロネシアのの地勢、資源、民族、慣習などの調査を行い、教育、道路整備事業に着手しています。
日本の軍政府は1915年より島の人々の保健衛生や教育を改善する施策を実行に移し、主要な島に病院を建てて軍医を派遣して住民の治療にあたり、小学校を建設して将兵による初歩的な教育を実施しています。また、電気や水道、道路などインフラ整備を行いました。
1918年までにはパラオの群島全体に22校の学校を建設し、優秀な修了生を警察官や政府要員に採用する制度を確立しました。同年に第一次大戦が終結すると日本政府はパラオを含む南洋群島を永久の支配地とするために統治形態を軍政から民政へと移行させました。
日本統治時代のパラオとの関係の歴史② 日本の委任統治が国際社会に認められる
1919年、ドイツの旧植民地の継承問題を討議する講和会議(パリ講和会議)にて、連合国側は日本が5年間ミクロネシア地域を実質統治した事を認めざるを得ず、パラオを含む南洋群島の委任統治を認めました。これにより、パラオも日本の委任統治領となり、日本(大日本帝国)は正式に植民地保有国と認められて欧米列強への仲間入りを果たす事になりました。
日本統治時代のパラオとの関係の歴史③ 日本のパラオの植民地政策
日本政府は役人や警察官を派遣し、パラオ人から37人の総村長と65人の村長を指名して給与を支給して地区行政を担わせました。ただ、伝統的な分野以外には独立した指導権はなく、日本人警察官の監視下におかれました。また、警察はパラオ人の若者を「巡警」として採用し町村を巡回させて飲酒や暴力事件、衛生などを取り締まり、徴税や子供の就学などにも関与。法を犯した者に対しては、監獄への連行や鞭打ちなどの厳しい制裁を行なっています。
教育においては、8歳から14歳までパラオ人子女への学校教育を義務付け、本科3年補習科2年からなる初等教育では日本語教育を中心として修身、算術、地理、体操、唱歌、手工などの教科を学ばせています。学校内では私語や母語による会話を禁止しそれに違反する生徒には体罰が加えられました。
1930年までにパラオ人の子女の就学率は100%に達し、成績優秀者は補習科へと進んで現地の日本人家庭で「補習生」として働くようになり、子守りや掃除、家事などを手伝って報酬を得流ようになりました。
1926年には「木工徒弟養成所」が設立され、優秀な男子生徒を選抜して入学させて木工だけでなく、電気、自動車修理、機械、造船などの学科で学ばせ、パラオの若者を技術者に養成しました。
一方で1930年代後半には日本人移民の子女向けの国民学校や実業学校、高等女学校などが設置されましたが、これはパラオ人の子女が入学する事はできず、パラオ人が高等教育を受ける事は不可能な状況に置かれました。これは結局のところ日本にとって都合の良い人材にパラオ人を育成するのが目的であり、独立や自治意識を高めるような高等教育を受けさせないという思惑もあったと考えられます。
日本統治時代のパラオとの関係の歴史④ 国際連盟脱退後は同化政策へ
日本は、1933年に国際連盟からの脱退を宣言した後は、パラオでも同化政策を積極的に進めるようになり、日中戦争が始まり日本と欧米との対立がさらに深まった1937年からは天皇に忠誠を誓わせる事を強制する「皇民化教育」も徹底されるようになりました。
また、国際連盟脱退により「委任統治領に軍事施設を建設してはならない」という規則の適用から逃れた日本はパラオの各地に軍事施設を建設しました。
そして、日本本土からの農業移民の受け入れも進め、1940年にはパラオには2万3000人もの日本人が移り住んでパラオ人の人口(6500人ほど)を大きく上回りました。
当時のパラオの中心地であるコロール島には、寿司屋、うどん屋、沖縄そば屋、料亭など56の飲食店と42のカフェがあり、芸者も77人いました。他にも魚屋、肉屋、米屋、八百屋、豆腐屋、お菓子屋など、日本人のためのあらゆる商店が揃っていました。
日本統治時代のパラオとの関係の歴史⑤ 太平洋戦争では戦場に
出典:https://encrypted-tbn0.gstatic.com/
1941年12月、太平洋戦争が始まるとパラオは日本海軍の重要拠点となりました。
1942年に入って戦争が激化すると関東軍から引き抜かれた陸軍部隊が次々と進駐し南洋群島全体で5万人以上の将兵が駐屯しました。1943年末頃より南洋群島の日本軍拠点へのアメリカの機動部隊の空襲が激化し、ナウル、ギルバート、マーシャル諸島が上陸作戦によって攻略され、1944年、日本海軍の太平洋における最重要拠点であったトラック諸島(チューク諸島)が大規模空襲によって壊滅し、さらにサイパン、テニアン、グアムが次々と陥落し1944年9月にパラオも攻撃を受けました。
パラオも米軍の空襲にさらされた後、アンガウル島とペリリュー島に米軍が上陸。日本軍守備隊は激しく抵抗し全滅しましたが、パラオの現地住民は事前に逃がされており死亡者は1人も出ませんでした。
パラオ共和国の歴史④ 太平洋戦争後の米国信託統治と独立
出典:https://upload.wikimedia.org/
1945年8月、日本の降伏によって太平洋戦争が終結し日本によるパラオの植民地支配が終わりました。
パラオにいた日本人将兵や軍属、民間人は本国へ送還され、パラオはアメリカの統治下となりました。
1947年にアメリカは占領したパラオを米海軍による軍政から国連の太平洋諸島信託統治領へと移行してアメリカによる統治が始まりました。
アメリカのパラオ統治は約50年続き、1994年にアメリカが安全保障を担うという自由連合盟約国として独立し日本もこれを認めて国交を樹立しています。
パラオ共和国は有数の新日国で日本と良好な関係を現在も維持している
パラオ共和国は世界でも有数の新日国として知られており現在も良好な関係を築いています。
パラオが親日国で日本と良好な関係である理由① 日本の植民地時代への回顧
出典:https://japan-palau-yachtrace.com/
パラオが親日国であり現在も日本と良好な関係である理由としては、日本の植民地時代への回顧が挙げられます。
日本は、パラオを植民地支配していた期間、現地人への教育に力を入れ、病院を整備し、水道や電気、道路などインフラ整備を行い、また近代的な技術や産業をもたらしたとし、当時を知るパラオの方はそれがパラオ独立の原動力になったとして新日的な感情を持たれているようです。
NPO法人日本パラオ国際交友協会のサイトには、パラオの第7代・第9代大統領トミー・E・レメンゲサウ・ジュニアのメッセージとして以下の文章が掲載されています。
終戦までの日本は、数万人に及ぶ日本人入植者をパラオに送り込み南洋庁を作り、私たちパラオ人のために様々な教育や産業を伝えました。それは後に、パラオ独立のための貴重な原動力となりました。そして現在でもパラオの長老たちは日本のことを「内地」と呼び、世界で最も親日感情が高い国、といっても過言ではないのです。
日本が植民地支配をしていた1915年〜1939年に、パラオの首長や地位の高いパラオ人が「内地観光団」として日本見物に訪れる政策が実施されました。合計21度の内地観光団が実施され660人のパラオ人が参加。1ヶ月にわたって日本に滞在し皇居、伊勢神宮、銀座、帝国劇場、百貨店、上野動物園、陸海軍基地などを観光しました。
この観光団に参加したパラオのオギワル村の首長は、東京の美しさに感激し、帰国後に丘陵地の村を海岸部へと移動させて石畳を敷き「銀座通り」と名づけ、家は日本風に建て替えて道端に東京にあるような街灯までつけたのだそうです。
また、当時はパラオの男性がパラオに進出した日本の会社で働き独立して商売を始める者もおり、稼いだ金で動力船を購入してパイナップル工場からパイナップルや缶詰を仕入れ、コロールに運んで売り大きな利益を得ていたという事です。
植民地支配を受けていたパラオ人であっても、ただ資源を搾取されるだけでなく、努力や工夫によっては大きな利益を得られ、またドイツの植民地時代と比較して単純に全体の生活水準が向上したため、当時は日本による植民地支配を好意的に受け入れていたパラオの方が多かったようです。
パラオが親日国で日本と良好な関係である理由② 日本文化が多く残されている
パラオが親日国であり日本と良好な関係を示す事例としては、現在もパラオには日本の文化が多く残されていて、日本語由来の現地語が多くある他、刺身、煮付け、おしるこなどの日本料理の影響を受け食文化も残されている事が挙げられます。
他にもパラオではリアルタイムでNHKが放送されていたり、簡単な日本語を話される方が多くいる事や、日本の植民地支配時代に教育を受けた高齢者の中には流暢な日本語を話す事ができる方もいる事などがあります。一部では日本人名のニックネームを名乗るパラオの方もいて、心情的にも日本に親近感を持ってくれている方が多くいるようです。
パラオが親日国で日本と良好な関係である理由③ 日本からの多額の経済支援
日本はパラオに多額の経済支援を行っており港湾やその他の漁業施設、橋や国際空港のターミナルビル、幹線道路などの大規模建設プロジェクト、電力供給支援など2016年までに約233億円の無償資金協力、約70億円の技術協力を実施しています。
日本からパラオの観光業への投資も1980年代に盛んに行われ、パラオ・パシフィック・リゾートの開業や日本航空によるチャーター便の就航はパラオの観光ブームの引き金となりました。
その他、青年海外協力隊員やボランティアなどの人的な交流もあり、これらの日本による支援活動が日本とパラオの友好な関係の維持に大きく寄与していると言えます。
パラオ共和国には一部で日本語が使われ象徴的に公用語としている州もある
パラオ共和国は親日国であり日本との関係が現在も良好である事を紹介しましたが、現在もパラオの一部では日本語が使われています。
パラオの現地語の中には、日本語由来のものが多くあります。
「ダイジョーブ(大丈夫)」、「オキャク(お客)」、「シューカン(習慣)」、「モンダイ(問題)」「デンキ(電気)」、「センキョ(選挙)」、「センプウキ(扇風機)」、「デンワ(電話)」などそのままの日本語の意味で使われている言葉が多くあります。
その他、子沢山の大家族を意味する「ブタイ(部隊)」、何かがとても得意な事を意味する「モーレツ(猛烈)」、サバの缶詰を意味する「イワシ(鰯)」、ビールを飲む事を意味する「ツカレナオス(疲れ直す)」、乾杯を意味する「ショートツ(衝突)」など日本語を由来とするパラオの言葉が数多くあります。
また、パラオ国の公用語はパラオ語と英語ですが、アンガウル州では日本語を公用語として定めています。ただ、実際には日本語を使用する住民はおらず象徴的に定められているものです。
パラオ共和国で起きた事件① 2023年12月に中国人同士の殺人事件
パラオ共和国で起きた中国がらみの事件も話題になっています。
直近では、パラオに観光に訪れた中国人4人が、中国人の観光ガイドを殺害した殺人事件がありました。しかしこの事件は日本のメディアは報じていません。
この事件は2023年12月27日に被害者が焼死体で発見されて発覚。被害者は中国国籍のツアーガイドで37歳でした。犯人は22歳、23歳、41歳の男と女性1名の4名でいずれも中国籍で観光名目でパラオに入国していました。
その後の調べでこの事件は麻薬の密売に関わるトラブルで、被害者は頭部を鈍器で殴られて死亡しその後死体が焼却された事が判明。
中国政府はこの事件以前より、パラオ政府に台湾と断交するように求め、それを当時の大統領に拒否されると団体観光禁止令を出すなど様々な嫌がらせを行っていましたが、この事件を口実としてパラオ旅行に関する安全注意報を出しています。パラオ政府へのハッキング事件なども起きており、パラオ政府はこれも中国の仕業だと睨んでいるという事です。
昨年12月に中国の麻薬密売団が関与した中国人同士の殺人事件が発生すると、この事件を口実に今年6月、パラオ旅行に関する安全注意報を出しました。今年3月にはパラオ政府電算網のハッキング事件が起き、政府の文書2万件が盗まれましたが、パラオ政府は中国をこの事件の黒幕とにらんでいます。
パラオ共和国で起きた事件② 中国の違法漁船に関わる事件が多発
パラオ共和国では以前より中国の漁船が違法に領海に侵入して密漁を行う事件が頻発しています。
2012年3月21日にはパラオの漁業監視船が中国の違法漁船に発砲し中国人1人が射殺される事件が起きています。
3月31日夕刻、パラオの領海内で、不法漁をしていて停船を命じられたが応じなかった中国漁船に対して、パラオの漁業監視船が警告発砲した。そのため、中国漁船員一人が死亡、証拠隠滅のため船長が漁船に火をつけたが5人を逮捕した。
現在も中国漁船(を装った工作船とも言われている)のパラオ領海侵入は繰り返されており、2024年にはパラオ大統領府のジェニファー・アンソン安全保障調整官が、海洋監視の日本の支援に期待すると述べています。
2024年12月にはパラオの海上保安局が中国の違法漁船(を装った工作船と言われている)を拿捕し28名の乗組員を拘束する事件も発生し、中国による太平洋進出の動き(パラオに台湾との断交を求める圧力)が警戒されています。
【12月15日 AFP】太平洋の小国、パラオの海上保安当局(DMLE)は14日、違法操業をしていた中国漁船を拿捕(だほ)し、乗組員28人を拘束したと明らかにした。パラオは台湾と外交関係があり、外交問題に発展する可能性がある。
パラオ共和国の治安は全体的に良好で観光も問題はない
台湾との断交を求める圧力からか中国がらみの事件は頻発しているものの、パラオ共和国自体の治安は全体的に良好であり、日本からの観光にも特段の危険性はありません。
現在も外務省の海外安全情報で危険レベルは設定されておらず治安は安定しています。
ただ、観光客を狙ったスリや置き引き、レンタカーの車上荒らし、タクシーのぼったくりなどの事件が発生していないわけではないため、観光に訪れる際には各自での防犯対策は必要です。
パラオ共和国への行き方…直行便チャーターかグアムか台北経由の定期便
パラオ共和国への行き方は、グアムか台北を経由した定期便を利用するか、JAL(日本航空)のチャーター機による直行便を利用する方法があります。
パラオへの行き方① ユナイテッド航空とチャイナエアラインの定期便
パラオへの定期便を運行しているのは現在は、アメリカのユナイテッド航空(グアム乗り継ぎ)と、台湾のチャイナエアライン(台北乗り継ぎ)の2つです。
ユナイテッド航空のパラオへの定期便は、成田、中部国際空港、関西国際空港から出ておりグアムを経由して合計で5時間〜7時間のフライト時間(待ち時間を含めると10時間以上かかる)となっています。
チャイナエアラインのパラオへの定期便は、成田空港から台北の台北桃園空港で乗り継ぎをするもので、往復ともに台北で1泊ずつする必要があります。
パラオへの行き方② JALのチャーター機による直行便
パラオへの直行便は定期便としては出ていませんが、JALのチャーター機による直行便が就航しています。JALの直行便であれば4時間30分でパラオに到着できるため人気となっており予約が埋まりキャンセル待ちの状態になっている事が多いです。
パラオへの直行便は各旅行会社などから申し込み可能となっています。
パラオ共和国の観光のおすすめスポット
パラオ共和国は美しい自然がそのまま残された場所で観光地としてとても魅力的です。パラオ共和国の観光スポットを紹介します。
パラオの観光スポット① ロックアイランド
出典:https://x.hankyu-travel.com/
ロックアイランドは世界遺産にも登録されたパラオの象徴とも言える観光スポットで、大小数百もの島で構成された一帯です。
ロックアイランドには385種類以上の珊瑚や、多種多様な植物、鳥、ジュゴンや13種以上の鮫などの海洋生物が生息し、透明度の高いエメラルドグリーンの海には美しい珊瑚が広がりいろとりどりの魚を見る事ができる世界でも有数のダイビングスポットが多数あります。
ロックアイランドの中には多くの観光スポットがあり、海底に溜まった乳白色の泥が美容効果が高いとされる「ミルキーウェイ」や毒のないクラゲと触れ合える「ジェリーフィッシュレイク」などが注目されています。。
パラオの観光スポット② ナチュラルアーチ
出典:https://x.hankyu-travel.com/
「ナチュラルアーチ」は、ロックアイランドの中にある象徴的な観光スポットで、波で長い年月で削られた岩がまるで橋のようになり、壮大で美しい景観を作り出しています。干潮時にはボートで潜る事もできファンタジーの世界に迷い込んだような感覚を楽しむ事ができます。
パラオの観光スポット③ ブルーホール
出典:https://x.hankyu-travel.com/
「ブルーホール」はガムリス島北西の人気ダイビングスポットで、水深1m〜2mほどの棚に4つの穴が空いており、この穴は全て中で繋がっており、穴から差し込む太陽光が青く輝いて神秘的な空間を生み出します。洞窟内にはカッポレ、ミナミハタ、モンガラカワハギの幼魚など多様な魚を見る事ができます。
パラオの観光スポット④ ロングビーチ
出典:https://x.hankyu-travel.com/
「ロングビーチ」はオモカン島にある約800m続く美しい白砂のビーチで、潮が引いた時のみ現れ、日によっては水面に現れないこともある幻の砂浜です。
両側から海の波が寄せて、まるで海面の上を歩いているような感覚を味わう事ができます。
パラオの観光スポット⑤ ガラスマオの滝
出典:https://x.hankyu-travel.com/
「ガラスマオの滝」は、バベルダオブ島の幅、高さ30m級の滝です。原生林の囲まれた場所にあり、滝にたどり着くまでに川床を歩いたり、トロッコレールの遺跡を見たりと道の場所へ分け入る昔の冒険家のような気分になります。とはいえトレッキングロードは観光用に整備されていて滝壺での水遊びの可能なため、子供連れでも存分に楽しむ事ができ家族におすすめのスポットです。
パラオの観光スポット⑥ ペリリュー平和記念公園
出典:https://travel.rakuten.co.jp/
「ペリリュー平和記念公園」は、太平洋戦争でパラオ最大の激戦地となったペリリュー島の南端のオムルウム岬にある平和公園です。ペリリュー島では多くの日本人将兵が亡くなり、兵器の残骸など当時の痕跡が残されています。日本人がパラオを訪れたのなら1度は訪れておきたい場所です。
パラオの観光スポット⑦ その他にも美しい観光スポットが多数
出典:https://x.hankyu-travel.com/
パラオにはこの他にも、「ストーンモノリス」、「ジャーマンチャネル」、「マリンレイク」、「カープ島」、「クジラ島」、「セブンティアイランド」など、1度の来訪では周りきれないほどたくさんの美しい観光スポットがあります。
パラオ共和国の現在の大統領は米国出身だがかつては日系人が務めた事も
出典:https://upload.wikimedia.org/
パラオ共和国の現在の大統領は建国以来10代目で、スランゲル・サミュエル・ウィップス・ジュニア氏というアメリカのボルチモア出身の方です。アメリカ出身ではありますが、れっきとしたパラオ人で父親はパラオ議会の議長も務めた政治家で、義兄は第7・9代パラオ大統領であるトミー・レメンゲサウ氏です。
ウィップス大統領は2022年の安倍晋三元首相の葬儀にも出席し、天皇陛下とも会談されています。また、2025年2月には石破茂首相とも会談されています。
パラオのウィップス大統領と会談しました。パラオは人口の約2割が日系人であり、日本とは歴史的に培われた堅固な友好・協力関係があります。パラオの持続可能で強靭な経済発展を後押しし、インド太平洋地域の安定と繁栄に向けて連携を強化します。大阪・関西万博へのパラオの参加も歓迎しました。 pic.twitter.com/mjoHOFeXsT
— 首相官邸 (@kantei) February 12, 2025
パラオ共和国には日系人が多く、過去にはクニオ・ナカムラ氏という日系人の大統領が誕生しています。クニオ・ナカムラ元大統領は、ペリリュー首長部族の娘アリール・ベトックさんと三重県伊勢市大湊町出身の船大工でパラオで働いていた中村善七さんとの間に8人きょうだいの7番目に生まれました。戦争後、一時は家族で日本に引き揚げましたが再びパラオに戻りました。ただ、クニオ・ナカムラ元大統領が生まれたのは戦争が激化した後の1943年で日本語教育を受けておらず日本語はあまり喋れなかったのだそうです。
クニオ・ナカムラ元大統領は日本に自身のルーツの1つを持つ事をとても大切に思ってくれた方で、日本との外交や貿易を重視し、何度も訪日して両国の関係強化に尽力し、現在まで続く親日的なパラオとの関係の礎を作った方でもありました。大統領退任後も何度も訪日し、日本のテレビのバラエティ番組に出演された事もありました。
2020年10月14日に76歳で亡くなられています。
まとめ
今回は、世界有数の親日国として知られる太平洋の島国パラオ共和国についてまとめてみました。
パラオ共和国の場所は、太平洋のミクロネシア地方の西に位置し、フィリピンの東方、パプアニュウギニアの北方、日本からは近畿地方から南方へ約3200kmに位置しています。
パラオ共和国の歴史は、スペインとドイツの植民地を経て、1914年〜1945年まで日本の植民地でした。そのため日本とは歴史的な関係が深い国です。日本の植民地支配を受けたパラオですが当時の日本の統治姿勢を好意的に考えてくれる方が多くいるようです。現在も一部で日本の文化が残っており、日本語が元になったパラオ語や日本料理の影響を受けたパラオ料理などがあります。
パラオ共和国では政治的な思惑が絡んでの中国がらみの事件が頻発していますが、全体的に国内の治安は非常に安定しており、美しい自然が多くある観光地として非常に魅力的な場所です。パラオ共和国への行き方としてはグアムや台北を経由した定期便のほか、JALのチャーター機による直行便があります。
パラオ共和国の現在の大統領はアメリカで生まれたスランゲル・サミュエル・ウィップス・ジュニア氏ですが、過去には日系人の方が大統領を務められた事もありました。