湯木佐知子氏は食品表示偽装が明るみに出て廃業となった高級料亭「船場吉兆」の最後の社長で、会見時の様子から「ささやき女将」として取り沙汰された人物です。この記事では湯木佐知子氏や旦那、長男・次男の現在、息子たちの結婚について紹介します。
この記事の目次
湯木佐知子氏(ささやき女将)と船場吉兆事件の概要
2007年10月28日、吉兆グループ傘下の高級料亭「船場吉兆」が運営する「吉兆天神フードパーク」で、タルトやほうじ茶ケーキなど5種の和洋菓子の消費期限(賞味期限)が偽装されていたことが発覚しました。
この店舗では和洋菓子は売れ残っても破棄されず、毎日のように消費期限を印刷し直したラベルに貼り替えられて、店頭に並んでいたといいます。
そしてこれを皮切りに11月には吉兆天神フードパークでの売れ残り商品を「吉兆天神店」で客に提供していたことや、船場吉兆本店でもブロイラーを地鶏と表示するなどの食品表示偽装がおこなわれていたことなど、船場吉兆内での食品表示偽装が次々と明らかになりました。
船場吉兆の経営者側は「納入業者や仕入れ担当者ら現場の社員が独断で食品表示偽装をした」と説明しましたが、納入業者や社員らはこれを否定。「役員も承知の上で品質や値段が異なるものを仕入れた」と、反論しました。
その後、大阪府警察本部生活環境課が不正競争防止法違反の疑いで船場吉兆本社や社長宅などに強制捜査に入ったところ、会社ぐるみとしか考えられない規模でさまざまな食品偽装がおこなわれていたことが判明。
一連の不祥事発覚を受け、2007年12月10日に船場吉兆取締役の湯木喜久郎氏が母親で社長の湯木佐知子氏同伴で記者会見を開いたのですが、この会見の様子が話題を呼ぶこととなります。
喜久郎氏が記者からの質問されると、すかさず佐知子氏が小声で「頭が真っ白になった(と言え)」「ないです(と言え)」と返答内容を指示し、そのまま喜久郎氏が答える様子が「腹話術か!」と注目を集めたのです。
さらに湯木佐知子氏は良い歳をした息子に小声で指示をする様子が面白がられて、メディアから「ささやき女将」と呼ばれ、一躍有名人になりました。
不祥事が取り沙汰されている最中にも、わざわざ「ささやき女将」こと湯木佐知子氏を一目見るために店舗へ足を運ぶ客までいたそうです。
しかし吉兆の料亭4店舗すべてで、客の食べ残しを別の客に使いまわして提供していた件が発覚すると社会からの批判は厳しいものとなり、船場吉兆は事業回復が見込めずに2008年5月をもって廃業。
こうして湯木佐知子氏が船場吉兆の最後の社長となりましたが、会見での湯木親子の様子は、しばらくビートたけしさんや太田光さん、清水ミチコさんらお笑い芸人から揶揄され続けました。
湯木佐知子氏(ささやき女将)の経歴
湯木佐知子氏は、1937年に株式会社吉兆の創業者である湯木貞一氏の三女として誕生しました。
父親は1930年に大阪市西区で「御鯛茶處吉兆」という小料理店を開業し、そこから一代で吉兆グループを築き上げたという商才の持ち主で、佐知子氏が2歳の頃に吉兆は株式会社化したとされます。
大阪大空襲で被災するなど苦しい時期もあったものの、戦後は高麗橋本店を開業し、財界人などの引き立てを受けて県内外の要人の会談に使われる高級料亭にまで成長。
さらに『暮しの手帖』で貞一氏が連載を持ち始めたこと、1979年に東京サミットの日本料理担当に選ばれたことで「吉兆」の名前が広く知られるようになります。
そして営業規模が拡大すると、貞一氏は自分の子ども達にも家業の一部を担わせて、吉兆の全国展開を図りました。
佐知子氏も甲南大学経済学部を卒業した後は吉兆の料亭で女将として働くようになり、丁寧な接客ですこぶる評判が良かったそうです。
その後、1991年に貞一氏が吉兆グループを暖簾分けする形で子ども達を独立させた際に、佐知子氏と婿の湯木正徳氏が船場吉兆を継ぎました。
湯木佐知子氏(ささやき女将)と息子を有名にした謝罪会見
船場吉兆の食品表示偽装事件は、事件の内容よりも謝罪会見の面白さが話題を呼び、連日ワイドショーで取り上げられていました。ここでは「伝説の謝罪会見」とも評される湯来佐知子氏と息子の謝罪会見について紹介していきます。
謝罪会見を開くまでの流れ
吉兆天神フードパークでの食品表示偽装が明らかになった際、佐知子氏の次男である湯木尚二取締役はマスコミの取材に対して「ラベルの貼り替えは、店舗で働くパート従業員が勝手にやった」と説明していました。
しかし、パート従業員からは「消費期限の偽装は店長を務めていた湯木尚二取締役からの指示だった」と主張して、2007年11月14日に記者会見を開きます。
そしてそこで、尚二取締役による以下のような問題行動があったことも明らかになったのです。
・パート従業員は食品表示偽装が発覚した10月31日に尚二取締役に呼び出され、「事故報告書」に「自分が独断で表示偽装をした」と署名するように迫られた。
・署名を断ると「言い訳をするな!」と恫喝された。
・11月1日にも呼び出され、「消費期限切れの食品を販売した理由を考えて報告書に書け」「自分が勝手にやったことだと署名押印しろ」と迫られた。
・「独断でやったことではない」と、一時間半も抵抗し続けてやっと帰宅できた。
パート従業員らによると、吉兆天神フードパークでは店長の尚二取締役の指示で、食品の消費期限が本来の日付から最長で一ヶ月も延ばされていたといい、そのために廃棄される食品がゼロだったとのことです。
この従業員の会見を尚二取締役は全面的に否定し、「自分は絶対にそんな指示はしていない」「売れ残ったものでも翌日に売れるものは店頭に並べるように指導したが、販売した食品はすべて消費期限内のもの」と説明しました。
しかし、農林水産省の調べで店の在庫や仕入れの数が判明すると船場吉兆側の主張には矛盾があることが発覚。12月10日に、佐知子氏同伴のもとで長男の喜久郎取締役の会見が開かれるに至りました。
謝罪会見で飛び出した名言の数々
会見では吉兆天神フードパークでの偽装以外に、船場吉兆の本店で九州産のステーキ肉を「但馬牛」と偽って提供していたことについての説明が求められました。
船場吉兆では本来、兵庫県三田から料亭で使う但馬牛を仕入れていたといいますが、仕入れが間に合わずに九州の業者からステーキ肉を仕入れたことがあったそうです。
但馬牛は兵庫のブランド牛ですから九州の業者から仕入れられるはずもなく、業者側が間違えて肉を納品したということはあり得ません。吉兆側で偽装があったとしか考えられないのです。
そのため記者から「九州産の牛肉を但馬牛と偽装したことについて、認識をしていた役員はどなたですか?」という質問が飛び出しました。
これに対して船場吉兆の弁護士が「代表取締役(佐知子氏の夫の正徳氏)です。偽装という、そこに思いが至らなかった」と非常に曖昧な言葉を返すと、記者からさらに「表示変更に思いが至らなかった、というのはどういう意味でしょうか?取締役にご説明願います」と突っ込まれてしまいます。
そこで喜久郎取締役が「あの…」と言葉に詰まると、すかさず佐知子氏が息子に小声で「大きい声で…(質問している記者の)目を見て」と最初のささやきを入れます。
出典:http://iori3.cocolog-nifty.com/
母親からささやきという檄を入れられた喜久郎取締役は顔を上げて前を向き、一転してハキハキした声で「法令の順守という意識が甘かった」と説明。カメラに向かって深々と頭を下げました。
しかし、記者の追求はまだ続き「客を欺く気持ちはあったのですか?」と問われると、喜久郎取締役は再び唇をかみしめて俯いてしまいます。
すると佐知子氏から「ないです…」というささやきがあり、喜久郎取締役はこれをオウム返し。
続いて「なぜ、以前の会見では『経営者側には食品偽装の責任はない』と嘘の説明をしたのですか?」と厳し目の指摘が記者からあがったところで、佐知子氏一番の名言として知られる「頭が真っ白になった」が飛び出したのです。
出典:http://iori3.cocolog-nifty.com/
ここまで来ると流石に会見に集まったTV局のスタッフも「おや…?」と思ったらしく、喜久郎取締役に質問があると佐知子氏にカメラを向けて、次は何をささやくのか収めようとします。
こうして佐知子氏→喜久郎取締役と左右に動くカメラワークも相まって、記者会見はまるでコントのようになってしまいました。
湯木佐知子氏(ささやき女将)と船場吉兆のその後
吉兆天神フードパークでの消費期限偽装が明るみになって以降、牛肉の産地の虚偽表示以外にも、船場吉兆では地鶏の産地偽装、味噌漬け肉の産地偽装、無許可での梅酒製造と提供など、さまざまな違法行為があったことが発覚しました。
これを受けて船場吉兆は2008年1月16日に大阪地方裁判所へ民事再生法適用の申立をおこない、役員は引責辞任をしました。
ただ吉兆創業者の娘である湯木佐知子氏だけは役員として残り、1月21日に自分が新社長に就任し、22日より船場吉兆本店の営業を再開すると宣言。2008年8月までに再生計画も提出すると説明し、再度謝罪会見を開きました。
しかし営業再開後、一時は賑わいを見せた船場吉兆本店も5月に入ると経営が傾きます。
船場吉兆で天ぷらや焼き魚など、客の食べ残しの料理が焼き直しや揚げ直しなどの処理をされて、別の客に提供されていたことが明らかになったためです。
しかも、食べ残しの提供は常態化しており、船場吉兆本店では10年以上前からおこなわれていたといいます。
船場吉兆での客の平均的な支出額は7万円、一度の食事で1人あたり3万円は支払っていたそうです。
たとえファミリーレストランであっても、ほかの客の食べ残しを提供するなど衛生的に言語道断ですが、ここまでの料金を取るほどの高級料亭で食べ残しの使い回しがあったとなると常連客も腹に据えかねたのでしょう。この件が発覚して、一気に客足が遠のいてしまいました。
食べ残し提供によるイメージダウンを恐れた佐知子氏は、マスコミに「食べ残しではなく『手つかずのお料理』を提供した」と言い訳しました。
しかし、そのようなことが通るわけもなく世間からは「呼び方を変えても食べ残しは食べ残し」「じゃあ、高級残飯て呼んだら?」と批判の声があがり、2008年5月28日にとうとう廃業届を提出するに至ります。
そして廃業とともに船場吉兆に残った社員も全員解雇され、6月には会社と湯木正徳・佐知子夫妻それぞれの破産申立がされました。
なお、同じ吉兆グループである本吉兆(大阪吉兆)、東京吉兆、神戸吉兆、京都吉兆は船場吉兆との資本関係が一切なく、同族経営のグループ会社とは言え経営方針も独立していたことから、このゴタゴタの最中も通常営業を続けていました。
湯木佐知子氏(ささやき女将)の現在
前述のように船場吉兆と湯木正徳・佐知子夫妻は破産手続きをおこないました。
当時、兄弟姉妹が経営するグループ会社を激しくライバル視していたという佐知子氏は、20億円もの借り入れをして大阪市中央区に「船場吉兆ビル」という自社ビルを建てていましたが、これも売却。自宅も売却して、借金返済に充てました。
しかし、破産が認められても責任逃れができるわけではありません。
船場吉兆破産手続き時に残っていた資産はすべて税金の支払いや社員への給与などで使い果たしてしまい、ほかの債権者への返済にまわせる金は残らないことが発覚すると、一般債権者は賠償請求訴訟の準備をはじめました。
そのため破産手続きが終わっても、湯木夫妻には8億円もの借金が残ったそうです。
2016年8月5日放送の『爆報フライデー』で「ささやき女将のその後」として取り上げられ、VTR出演した佐知子氏は頭髪が真っ白になり、いくぶん痩せた姿を見せていました。
自宅も手放したことから現在は賃貸住宅に住み、年金のなかから少しずつ借金を返済しているとのことです。
問題の謝罪会見を振り返って
2018年1月11日方法の『バイキング』にも出演した佐知子氏は、会見で息子に指示をしたことを振り返り、「息子が困っているのを感じて、つい口を挟んでしまった」と当時の心境を明かしています。
また、まさか自分が小声で言ったことが全国的に放送されるとは思っていなかったそうで「あんな小さな声までマイクが拾うとは思っていなかったんです」と、恥ずかしそうに話していました。
湯木佐知子氏(ささやき女将)の旦那の現在
「ささやき女将と息子のおもしろ会見」が印象深かったため、あまり表に出てくることがなかった佐知子氏の旦那の湯木正徳氏。
しかし、産地偽装は当時船場吉兆の社長であった正徳氏の指示であったことが明らかになっています。
正徳氏は2008年4月の時点で、大阪府警の取り調べを受けて「店で提供する牛肉を高価な但馬牛から九州産のものに切り替えるように指示した」と供述しており、食品偽装は自分の指示であったことを認めていました。
船場吉兆は2007年12月の謝罪会見で「仕入れが間に合わなくて九州産の肉を使った」と釈明していましたが、実は2003年頃から佐賀や鹿児島産の牛肉を「但馬牛」「三田牛」と神戸のブランド牛に偽装して提供していたとのことです。
現場の料理人からは「味が違いすぎる」「お客様に申し訳ない」と、産地偽装を改めてほしいという意見がたびたびあがっていたそうですが、正徳氏は「味に大差ない」「気づかれない」と聞く耳を持たなかったといいます。
供述を受けて正徳氏と長男の喜久郎氏は不正競争防止法違反容疑で略式起訴され、2008年8月5日にそれぞれ100万円の罰金刑に処されました。
比較的軽度な量刑で済んだのは「そこまでの悪質さは感じられない」と判断されたからだそうです。
湯木正徳氏には厳しい批判も
大阪府警の発表によると、船場吉兆事件で矢面に立つ形となった佐知子氏は食品偽装自体を知らなかった可能性もあるといいます。
社長就任前の佐知子氏の業務は女将としての接客と経理のみで、仕入れには一切関与していなかったそうです。
それならば、当時社長であったうえ食品偽装を指示した正徳氏が会見に出て説明責任を果たすべきでした。
しかし賛否はあれども会見に出席して頭を下げたのは、佐知子氏と長男の喜久郎氏のみ。会見前に「消費期限を改ざんしたのはパート従業員」と嘘の話ではあるものの取材に応じたのは次男の尚二氏で、正徳氏は一切メディアに出てきていなかったのです。
そのため、正徳氏に対しては「妻や息子に責任を負わせずに、きちんと頭を下げるべきだった」「社長の座にいたのだから、婿養子ぶるのは卑怯だ」と厳しい批判の声があがりました。
なお、正徳氏と佐知子氏は船場吉兆事件以降も離婚はしておらず、現在も賃貸住宅で一緒に暮らしているとのことです。
湯木佐知子氏(ささやき女将)の次男は再起して結婚している?
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佐知子の氏の長男の尚二氏は、大阪の北新地で「日本料理 湯木」という懐石料理店を経営しているといいます。
船場吉兆閉業後は貯金も減り続け、借金を返すあてもなく焦燥感に駆られる毎日だったそうですが、2008年の秋に店の得意先であった外食チェーンの経営者に「うちで働かないか?」と声をかけられて一従業員として再スタートしたとのこと。
月給は15万円と、これまで「船場吉兆のお坊ちゃま」として生きてきた尚二氏にとって決して大きな金額ではなかったものの、真面目に働くうちに「自分の店が持ちたい」と前向きに考えられるようになったそうです。
そして「(株)プラス思考」という会社を立ち上げてコンサル業を掛け持ちながら資金を貯め、2010年に6坪ほどの小さなお店をオープン。
するとなんと、船場吉兆の常連客も噂を聞きつけて来店し「頑張ってるね」「また、やり直せるよ」と温かい声をかけてくれたといいます。
さらに船場吉兆で働いていたスタッフも尚二氏のもとに戻ってきたといい、2020年までに「日本料理 湯木」は本店のほかに「日本料理 湯木新店」「日本料理 湯木心斎橋店」肥後橋「ゆきや」の三店舗を構えるまでに成長しています。
現在は再び懐石料理店を経営して成功している尚二氏ですが、まだ自分の店を「吉兆」と紹介されることも多く、船場吉兆という名前は自分が一生背負っていかないといけないものだな、とも考えているそうです。
湯木尚二氏は結婚している?
2021年10月4日にNHK総合で放送された『逆転人生 船場吉兆・働き方改革旅館 話題の逆転劇その後』には、湯木尚二氏が登場し、裕福な生まれから船場吉兆の食品偽装発覚、転落から現在に至るまでを振り返りました。
2015年に現代ビジネスのインタビューに応じた際には「いつかは、家族で店を経営できるといいなと思っています」と話ていたこともあり、結婚や子どもについても番組内で情報が出るのではないか?と囁かれましたが、尚二氏は現在の私生活について何も語りませんでした。そのため、結婚や子どもの有無については不明です。
なお、番組内ではコロナ禍で経営が厳しくなり、新たな一手として祖父の貞一氏と食べたカレーを再現し、通販で展開できないか画策しているとの話が出ていました。
このレトルトカレーは2022年に商品化され、現在は「日本料理湯木」のHPなどで購入可能です。
湯木佐知子氏(ささやき女将)の長男
佐知子氏とともに謝罪会見に臨み、広く知られることとなった長男の喜久郎氏。
父親の正徳氏とともに略式起訴されて罰金刑に処されましたが、現在は料理とは関係のない仕事に就いているそうです。
喜久郎氏は謝罪会見が面白おかしく報道され、ワイドショーなどで「息子さんはマリオネットみたいだ」と揶揄されたことに大きなショックを受けたようで、会見後は佐知子氏に対して「なんであんな真似(ささやき)をしたんだ!」と怒りをぶつけていたとの話もあります。
湯木佐知子氏(ささやき女将)と船場吉兆事件についてのまとめ
今回はささやき女将として有名になった湯木佐知子氏と船場吉兆の食品表示偽装事件、旦那や息子など一族の現在について紹介しました。
後の関係者の話によると、船場吉兆が食品表示偽装に手を出してしまったのはグループ会社への対抗心から経営規模を広げすぎてしまい、利益を出すためだったとされています。
パート従業員や仕入れ業者らに罪をなすりつけようとしたことは許されることではありませんが、現在は佐知子氏も息子たちも事件を向き合って新しい生活を送っている様子です。