明るいキャラクターで人気だった女優の清水由貴子さんは、硫化水素による自殺で亡くなりました。
清水由貴子さんのプロフィールや若い頃からの経歴、母親・妹、結婚の有無、自宅での介護や自殺・硫化水素による自殺・死因、他殺の噂と現在をまとめました。
この記事の目次
清水由貴子さんは欽ちゃんファミリー&介護疲れで自殺
出典:daily.co.jp
清水由貴子
生年月日:1959年9月7日
没年月日:2009年4月20日
出身:東京都台東区
所属:元・芸映
血液型:A型
活動:女優・タレント
清水由貴子さんはアイドル歌手としてデビューした後、欽ちゃんファミリーとして、またリポーターや女優として活躍していた女性です。
親しみのあるややぽっちゃりとした体型と明るいキャラクターで人気でしたが、2009年4月に父親の墓前で硫化水素自殺をして、49歳の若さで亡くなっています。
清水由貴子さんの若い頃からの経歴
幼少期は苦労した
清水由貴子さんは1959年に東京都台東区で生まれました。
1969年に父親が心臓肥大のために亡くなり、その後は母子家庭で育ちます。母親も体が弱かったため、幼少期は生活保護を受けて生活していました。また、中学校の頃からは清水由貴子さんが一家の大黒柱になっていました。アルバイトをして、中古のギターも購入しています。
父親が亡くなってからは、清水家ではずっと清水由貴子さんが大黒柱として経済的にも精神的にも支えていたとのことです。
私の学費も、母の入院費や治療費も、すべて姉が働いて出してくれました。私も学校を出て就職しましたが、我が家では経済的にも精神的にも、ずっと姉が大黒柱だったのです。
蔵前中学校を卒業後は京橋商業高校に進学します。そして、高校1年生の9月にオーディション番組に応募した友達に影響されて、「スター誕生!」に応募しました。ここから清水由貴子さんの人生は大きく変わっていきます。
スター誕生でデビュー
スター誕生!に応募した清水由貴子さんは予選を突破し、1976年2月の決戦大会でイルカさんの「なごり雪」を歌い、最優秀賞を獲得し、第16回グランドチャンピオンになりました。この時のスター誕生!には後のピンク・レディーの2人も出場していましたが、清水由貴子さんはその2人に勝って、グランドチャンピオンになったのです。
その後、芸能界デビューに向けて高校を京橋商業高校から明大中野高校定時制に転校し、1977年3月に「お元気ですか」でデビューしました。
音楽プロデューサーの酒井政利さんや萩本欽一さんは、「山口百恵と清水由貴子だけは特別だった」という旨のことを話していますので、清水由貴子さんは光るものを持っていたのでしょう。
アイドル歌手としてデビューした清水由貴子さんでしたが、あまりヒット曲に恵まれず、萩本欽一さんや杉良太郎さんの後押しもあり、ドラマやバラエティ番組に出演するようになります。
レポーターや女優として
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デビューから約2年後の1979年には「欽ちゃんドラマ・Oh!階段家族!!」にレギュラー出演するようになり、1980年ごろからバラエティ番組にも積極的に出演するようになりました。
バラエティ番組では萩本欽一さんの番組に多く出演し、女優としては昼ドラや朝ドラ、2時間ドラマなどに出演、さらに1990年代からはリポーターとしての仕事もするようになり、幅広い活動をしています。
ややぽっちゃりとしていて、明るく天真爛漫なキャラクターが視聴者から親しまれていましたが、2006年には本人の希望で所属事務所の芸映から独立し、その後は2007年には芸能界から完全に引退しました。
清水由貴子さんは結婚していない
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清水由貴子さんは結婚していません。亡くなるまで一度も結婚したことはなく、ずっと清水家の大黒柱として、母親と妹さんを支えてきました。
結婚もせず、自分だけの幸せをつかむことなく、一家を支え続けた清水さん。
身体が弱い母親は入院していて、妹は伯母の家で育ててもらっていたため、伯母の家への仕送りをしていたため、デビュー以降はずっと家族のために働いていたのでしょう。
亡くなる10数年前には家族3人で一緒に住むことができるようになりましたが、その時点ですでに30代になっていて、そこから「恋愛して結婚」という思考回路にならなかったのかもしれません。また、ようやく家族3人で一緒に住むことができたから、家族3人での生活を楽しみたかったという事情もあるでしょう。
もちろん、家族(母親・妹)のために結婚を諦めたということはなかったと思いますが、家族との時間を大切にしたいという思いがあって、清水由貴子さんの仲で結婚の優先度は高くなかったのかもしれません。
清水由貴子さんの家族(母親・妹)
清水由貴子さんは4人家族でした。
・母親
・清水由貴子
・妹
父親は清水由貴子さんが9歳の時に心臓肥大で亡くなっています。
母は要介護5
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清水由貴子さんの母親は、若い頃から病弱でした。そして、清水由貴子さんがデビュー3年目に、母親は精神疾患を発症します。それからは、入院していたことが多かったようです。
さらには、年齢を重ねるにつれ、糖尿病と腎臓病を患うようになり、年齢的なこともあり徐々に介護が必要な状況になっていきました。
2004年ごろからは白内障などで視力が低下し、外出先で転倒して骨折したこともありました。さらに、自宅で転倒して肋骨を骨折し、2008年には自力で立ち上がることができない状態になり、介護度の中で最も重い要介護5になっていたそうです。
妹は夜勤ありの仕事
清水由貴子さんには8歳年下の妹がいました。お名前は清水良子さんです。
清水由貴子さんがデビュー3年目で母親は精神疾患を発症したということは、その当時清水由貴子さんは20歳前後、妹の良子さんは12歳前後になります。
母親が精神疾患を発症し、姉の清水由貴子さんは母親の入院費を稼ぐために働かなければいけなかったため、妹の良子さんは伯母の家に預けられることになりました。
妹さんの学費はすべて清水由貴子さんが出してくれたとのことです。
私の学費も、母の入院費や治療費も、すべて姉が働いて出してくれました。
母親の介護が必要になってからは、妹さんも一緒に母親の介護をしていました。
姉の清水由貴子さんと交代で介護ができるように、すし店の夜勤の仕事をしていたとのことです。
同じ頃、私も24時間営業のすし店に転職しました。夜勤の仕事なら、姉と交代で母を介護するのにも好都合だと思ったからです。
清水由貴子さんは妹さんと一緒に協力して母親の介護をしながら、家族3人で静かに生活をしているように見えたのですが・・・。
清水由貴子さんは自宅で母親を介護するため芸能界を引退
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清水由貴子さんは自宅で母親の介護をするために芸能界を引退しました。清水由貴子さんはデビューから芸映に所属していましたが、2006年に自らの希望で事務所を退所して独立しています。
「母親の介護もかねてゆっくりしたい」という理由でした。
この時点で母親は精神疾患・糖尿病・腎臓疾患、さらに両目の視力低下など状態だったため、清水由貴子さんとしては仕事よりも母親の介護を優先したかったようです。
また、この時にはすでに介護に疲れを感じていたようです。
理由は、心の病に糖尿病と腎臓病も患っていた母親の介護。「かなり疲れていたようで、“とてもお客さまの前にいい顔をお見せできない”と話していた」という。
独立後はレギュラー出演していた「ともちゃん家の5時」には出演していましたが、その番組も2007年には降板し、芸能界からは完全に引退しています。
芸能界引退後は、平日の昼間に母親がデイケアに行っている時には、清水由貴子さんは電話オペレーターの仕事をしていて、平日夜と週末は清水さんと妹さんが一緒に介護をしていたとのことです。
清水由貴子は自殺で死去…死因は硫化水素中毒
清水由貴子さんは、2009年4月21日に静岡県駿東郡小山町の冨士霊園にある父親の墓前で亡くなっているのを発見されました。49歳の若さでした。死因は硫化水素による自殺です。
4月20日、妹の良子さんが夜勤から帰ってくると、清水由貴子さんと母親は出かける用意をしていました。元々はゴールデンウィーク明けに家族3人で一緒に行く約束をしていたのに、清水さんは「今日じゃないとダメ」と言い出したそうです。妹さんは仕事のシフトがあったので、一緒に行くことはできず、清水由貴子さんと母親は2人でお墓参りに出かけました。
しかし、その後は妹さんが清水由貴子さんの携帯電話に電話をしても連絡が取れない状況になり、翌日の午前中(4月21日の午前中)に妹さんが仕事から帰宅した後も自宅に戻っていなかったため、妹さんは冨士霊園に連絡を入れます。
そして、午後1時半ごろ冨士霊園の職員が巡回したところ、父親の墓前の前で硫化水素が充満した黒いポリ袋を頭からかぶり死亡している清水由貴子さんを発見しました。かたわらには車いすに乗った母親が意識不明の状態でグッタリしていたそうです。
母親は救急搬送されましたが、命に別状はありませんでした。
現場には遺書のような手紙が残されていたとのことです。
「消防に通報してください。ご迷惑をおかけします」「東京で葬儀をあげないでください」
清水由貴子は介護疲れで母親と無理心中を計画した?
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清水由貴子さんは硫化水素を吸い込んで自殺をしましたが、発見時に母親は意識はなかったものの、硫化水素を吸い込んだ様子はありませんでした。長時間外に放置されてしまったことによる衰弱だったようです。
ただ、清水由貴子さんは母親と無理心中をしようとしていた可能性があります。
清水由貴子さんは母親の介護に疲れを感じていたことは間違いありません。自殺前は少し元気がないように見えたと妹さんは告白しています。
そのしばらく前から、姉は以前より涙もろくなり、少し元気がないようにも見えました。
また、関係者には介護に疲れていい仕事ができないと話していたそうです。
関係者には「母親の介護に疲れ、いい仕事ができない」などと打ち明けていたという。
引用:欽ちゃんショック!清水由貴子さん介護疲れ?父の墓前で母と無理心中…80代母は一命取り留める/芸能/デイリースポーツ online
清水由貴子さんは真面目な性格だったためか、母親の介護を気負っていた様子も見られたそうです。
「これからも私が母の面倒をすべてみるから、無理して歩けるようにならなくてもいい」と、結局提案を断ってしまいました。
そのような状態で、突然母親と2人で父親のお墓参りに行き、その墓前で硫化水素自殺をした。となれば、無理心中を計画したと考えるのが自然です。
自殺の前週に電話オペレーターの仕事を退職していたという情報もありますので、少し前から自殺を考えていて、その準備をしていたのかもしれません。
しかも、清水由貴子さんの携帯電話には妹さんに宛てた未送信のメールが残っていたそうです。
《良ちゃん 母ちゃんを連れていく事許して下さい 天国で良子の幸せ見守っています 母ちゃんの部屋に手紙があります よろしくお願いいたします じゃぁね さよなら ごめんね》
このメールを見る限り、やはり清水由貴子さんは母親と無理心中しようとしたのでしょう。しかし、いざとなったら、母親を道連れにすることはできず、自分だけ亡くなる道を選んだのかもしれません。
いずれにせよ、とても悲しくてやり切れない結末です。
清水由貴子の他殺説の真相
清水由貴子さんは介護疲れが原因で自殺したとされています。マスコミによる報道は、すべて「自殺」とされています。
「お元気ですか」などのヒット曲で知られるタレント清水由貴子さんが21日午後1時30分ごろ、静岡県内にある冨士霊園で亡くなっているのが発見された。49歳だった。父親の眠る墓石の前で倒れており、硫化水素を吸い込んで自殺したとみられる。
ただ、インターネット上では清水由貴子さんは殺害された、つまり他殺ではないか?という噂が出ています。
清水由貴子は集団ストーカーをされていた?
清水由貴子さんは集団ストーカーをされていて、それに悩んでいたという情報があります。「集団ストーカー」なんて穏やかな話ではありません。
清水由貴子さんが創価学会から集団ストーカー被害にあっていたみたいですが、きっかけは何なんですか?
お墓で亡くなった清水ゆきこさん自殺の原因は介護疲れだけじゃないと思います。生前の音声がネットにありました。そこには創価学会に集団ストーカーされてるようなことを言われてます。
この会話によると、
・デジタル盗聴器が鳴る
・二階の台所に買っていないキャベツが置かれている
・ありを台所に撒かれた
・ヘリコプターが毎日飛んでくる
・消防車やパトカーにほぼ毎日出くわされる
このようなストーカー行為を受けていたとのことです。そして、清水由貴子さんはそのストーカーの犯人は創価学会と考えていたようです。
もしこれが本当なら、清水由貴子さんは本当にストーカー被害に遭っていて、それを苦に自殺したのか?もしくはストーカー殺人に遭ったのか?という可能性を考えることができます。
他殺説はデマの可能性が高い
もし、本当に清水由貴子さんが創価学会から集団ストーカーに遭っていたなら、他殺説は真実味が出てきます。
ただ、本当に集団ストーカーに遭っていたら、警察が捜査するはずです。マスコミも大々的に報じるはずですよね。
それなのに、警察は動かず、マスコミは報じないとなれば、この集団ストーカーによる他殺説はデマの可能性が高いと言えます。
でも、清水由貴子さんは集団ストーカーの被害に遭っている思っていたんです。この矛盾は一体・・・?
これはあくまでも推測の域を出ませんが、清水由貴子さんは精神的に不安定になっていたのかもしれません。
もしかしたら、統合失調症を発症していた可能性もあります。
統合失調症の発症は遺伝的要素もあります(それがすべてではありませんが)。清水由貴子さんの母親も精神疾患を患っていましたから、清水由貴子さんも発症する可能性はあります。
また、統合失調症はストレスをきっかけに発症することも多いとされています。
統合失調症は被害妄想・幻覚・幻聴が症状として現れますので、清水由貴子さんは精神疾患の症状で「集団ストーカーの被害に遭っていた」と思い込んでいたのかもしれません。
清水由貴子の自殺後の現在…母親は死去
出典:amazon.co.jp
清水由貴子さんは、2009年4月に硫化水素による自殺で亡くなりました。
その後、2009年11月には妹の清水良子さんが「介護うつ お姉ちゃん、なんで死んじゃったの」を出版しました。そして、母親はその後肺炎を起こすなど不安定な状態が続き、2010年9月17日に亡くなっています。
清水由貴子のまとめ
清水由貴子さんのプロフィールや若い頃からの経歴、家族(母親・妹)と結婚の有無、自宅での母親の介護による芸能界引退や死因が硫化水素による自殺、他殺説の真相と現在をまとめました。
清水由貴子さんのご冥福をお祈りいたします。