勝田州彦とは津山女児殺害事件を起こしたとされる人物で、小学3年生の筒塩侑子さんを卑劣極まりない動機で殺害したと見られています。
今回は勝田州彦のプロフィール・ 生い立ち、親や家族の関係、加古川事件などの余罪、判決や現在についてまとめます。
この記事の目次
勝田州彦が起こしたとされる津山女児殺害事件の概要
出典:https://livedoor.blogimg.jp/
津山女児殺害事件は、2004年9月3日に岡山県津山市総社に住む筒塩勝義さん宅で起きた殺人事件です。被害者となったのは当時小学3年生であった勝義さん夫妻の次女・筒塩侑子さんで、彼女の遺体を発見したのは帰宅した高校1年生の長女でした。
事件が起きた日、筒塩侑子さんは14時40分頃に小学校を出ており、近隣住民の証言から15時10分から20分頃には帰宅していたものと見られます。この日、母親はパートに出て家を空けていて、侑子さん帰宅時には家に誰もいませんでした。
その後、15時35分頃に姉が帰宅して、1階のリビングのテーブルとサイドボードの間でうつぶせに倒れている侑子さんを発見。最初は「寝ているのかな?」と思った姉でしたが、近づいてみると侑子さんが着用していた小学校の制服の白いブラウスが赤く染まっていることに気づき、母親に連絡しています。
15時47分頃に母親が119番通報し、その5〜6分後には救急隊が筒塩さん宅に駆けつけて侑子さんを病院に搬送しましたが、残念ながら命は助かりませんでした。
侑子さんの身体には複数の刺し傷があり、深いものは内臓にまで達していたといいます。2004年9月4日におこなわれた司法解剖の結果では「死因は窒息、失血の疑いがある」と報告されており、争った形跡がないことから首を締められた後に刺されたのではないかと見られました。
しかし、不審者情報などは寄せられたものの解決の手がかりになる情報や証拠はなく、侑子さんを殺害した犯人は見つからないまま14年の時間が流れます。
事件はこのまま迷宮入りするのかと思われましたが、2018年5月になって別の事件で逮捕中であった勝田州彦(当時39歳)が、裕子さん殺害に関与していることをほのめかす供述をしたことで事態は一変します。
自白に信憑性があると見た警察は、同月30日に津山女児殺害事件の容疑者として、勝田州彦を逮捕したのです。
勝田州彦が筒塩侑子さん殺害容疑で逮捕・起訴されるまで
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筒塩侑子さん殺害をほのめかした時、勝田州彦は大阪刑務所に収監されていました。2015年5月に兵庫県姫路市の路上で女子中学生にナイフで襲いかかるという事件(姫路市女子中学生刺傷事件)を起こしており、殺人未遂罪で懲役10年の刑に処されていたためです。
事件の起きた2004年9月3日の自分の行動について、勝田州彦は以下のように供述していました。
勝田州彦の自供による事件当日の経緯
・鳥取砂丘に行こうと思って兵庫県の自宅を出た
・途中で津山市に寄る。この時の目的は「女の子を探すこと」だった
・ショッピングセンターの駐車場に車を停めてウロウロしていたところ、小学校を発見する
・小学校から1人で出てくる侑子さんを目撃し、尾行
・自分で鍵をあけて自宅に入っていく様子を見て、家に誰もいないと予想する
・筒塩家の玄関は施錠されていなかったため、玄関を開けて「すみません」と声をかけて侑子さんを呼び出した
・玄関にやって来た侑子さんに「今、何時?」と聞き、彼女が時計を見に奥に戻ったところを着いていき、家にあがりこんだ
・侑子さんが可愛かったので首を締めた。首を締めた際に抵抗されたので、刺した
容疑者捜査段階で公表されていなかったはずの筒塩さん宅の間取りや侑子さんの通学経路をなぜか勝田州彦が把握していたことから、この供述は信憑性が高いと見られ、警察は勝田の逮捕に踏み切りました。
また勝田州彦は獄中から自分の母親に向けて出した手紙のなかにも、「侑子さんの首を締めたのは自分だ」という旨を書いています。
なお、この供述については二転三転しており、勝田州彦は逮捕された3日後の6月2日の取り調べでは「侑子さんを刺して殺害した」と自白したにもかかわらず、その4日後の6月4日には「供述した内容は、ぜんぶ自分が考えた妄想だ」などとして、容疑を否認していました。
しかしながら、この後おこなわれた精神鑑定では鑑定医に対して「自分がやった」と侑子さん殺害を認める発言をしており、保身のために嘘をついているわけではない様子が窺えます。逮捕が決まった最初の供述でも、侑子さんの首を締めたことは認めつつも刺したことは否定するなど、不自然な点が見られました。
勝田州彦の弁護士によると、勝田は「境界知能」という健常者と知的障がい者の中間にあたる知能の持ち主であるそうです。
「ボーダー」「グレーゾーン」とも呼ばれる境界知能の子どもは、いっけん普通に見えるが故に生きづらさを抱え、理解力や認知の歪みから犯罪行為に走ることが少なくないといいます。
このことはベストセラーとなった児童精神科医の宮口幸治氏の著書『ケーキの切れない非行少年たち』でも取り上げられており、社会的にも大きな関心を集めました。
勝田州彦は供述に一貫性がないだけではなく、裁判や取調べ中でも情緒不安定な様子が見られると報じられています。これには境界知能であることも関係しているのではないか、と考えられています。
勝田州彦のプロフィール・生い立ち
勝田州彦のプロフィール
・氏名…勝田州彦(かつたくにひこ)
・生年月日…1978年12月31日
・出身地…兵庫県加古川市新在家
・身長…170cm
勝田州彦は兵庫県警の警部である父親と、兵庫県警の職員である母親のもとに生まれました。つまり、両親ともが警察関係者だったのです。
兄弟は、10歳以上年の離れた姉が1人。勝田州彦は遅くに生まれた待望の男の子だったとのことで、「クニちゃん」と呼ばれて両親から溺愛されて育ったそうです。高校は水泳が得意だったことから、私立の男子校である市川高校に推薦入学をしています。
高校卒業後は海上自衛隊に入隊しましたが、厳しい規則を守ることができず、集団生活にも馴染めなかったことから僅か半年で除隊。
その後は大阪外語専門学校のキャビンアテンダント・エアライン科に入学し、エアポートスタッフを目指したといいます。
専門学校卒業後はアメリカへの短期留学をしていますが、帰国後は職を転々としていたようで、郵便局、運送業、パチンコ台の組立工、現金輸送車の運転手などさまざまな仕事に就いたものの、人間関係のストレスなどからどれも長続きしていません。
では、まったく努力をしていなかったのかというとそうではなく、本人が開設していたフェイスブックアカウントの情報によると、就職のために資格取得の勉強に励んでいたことが窺えます。
中型免許、フォークリフト免許、クレーン・デリック運転士免許、乙類4種危険物取扱者、甲種防火管理者などさまざまな資格を所有しており、逮捕される直前の2014年からは製造メーカーで働いていたようです。
勝田州彦の自傷癖と異常性癖
高校卒業までは大きなトラブルを起こさなかったという勝田州彦ですが、中学時代にいじめを受けており、それがきっかけとなって人間関係などでストレスがあると自分の身体をカッター等で傷つける自傷行為をするようになりました。
自傷行為は逮捕直前まで続いていたとされ、2004年9月には腹部を深く刺しすぎたせいで出血多量になり、救急車で搬送されています。
また、勝田州彦は高校に進学した頃から美少女キャラクターが出てくるアニメにのめり込むようになり、実際に少女が苦しむ様子を妄想するようになったとの話もあります。
そして自傷行為で自分の腹部を刺した時、着ていた白いシャツが赤く染まっていくのを見て「女の子にも同じことをしたい。白いブラウスを着た子の腹部を刺してみたい」という強い衝動を感じたといいます。
この時の衝動から勝田州彦は「白いブラウスを着た可愛い女の子」をターゲットとして探すようになり、不幸にも小学校の制服を身に着けた筒塩侑子さんが、その条件に当てはまってしまったのです。
勝田州彦の裁判での様子
津山女児殺害事件の初公判は2021年10月6日、岡山地方裁判所で開かれました。しかし自白をしていたはずの勝田州彦は初公判で「私はやっていません」と犯行を全面否認。
勝田州彦は兵庫県警の取り調べに対して「侑子さんを殺害した凶器は海に捨てた」と供述しており、警察は勝田の自宅周辺を中心に沿岸部を捜索したのですが凶器は発見されませんでした。また事件現場からは犯人の現場にはDNA型も採取できず、容疑の証拠となるのは自白のみでした。
そのため弁護側は「被告の自白には犯人しか知り得ない情報が含まれておらず、秘密の暴露にあたらない、また自白を裏付けるだけの物証もない」として、無罪を主張。また前述のように「被告は境界知能であるため、自白に真実性はない」とも訴えました。
精神鑑定をおこなった医師の証言
弁護側の主張に対して、勝田州彦の精神鑑定をおこなった鑑定医は「被告は黙秘するように弁護側に言われた、と話していた」として、以下の内容を証言しました。
「被告は当時『弁護人から黙秘を勧められている』と話していた。黙秘は当然の権利であり鑑定でも一番最初にそのことを説明する。一方で精神鑑定としてはできるだけ正直に話して欲しい、正しい鑑定を行いたい、とも説明する。その上でもちろん、本人で判断してくださいと伝えた。すると被告は『黙秘するように弁護人からは言われているが、本当は話したいんだ』と言っていた」(医師の証言)
なお、この医師は2015年の姫路市女子中学生刺傷事件の際にも勝田州彦の精神鑑定をしています。
勝田州彦と向き合うのが二度目となる医師は、「2015年の鑑定時、被告のIQは76で、今回の鑑定ではIQは70であった。しかし、このことで法的判断が困難な精神障害があるとは認められず、被告には事件当時も現在も責任能力がある」とも証言しました。
また、犯罪に至った過程については「被告の人格傾向によるもの」と診断を下しています。
医師が指摘した「人格傾向」というのは、前述した勝田州彦の異常性癖のことです。彼には2015年の事件を起こす前にも2件の前科がありました。
勝田州彦の前科
・2000年に10歳前後の少女数名を相手に腹部等を殴る暴行や、強制わいせつ事件を起こして逮捕される。裁判では保護観察付きの執行猶予判決を受ける
・2010年には少女をドライバーで突く、腹部を殴るという傷害事件を起こす。裁判では懲役4年の実刑判決を受ける
女子児童に対する暴力をふるう際、被害者の苦しむ顔を見て勝田州彦は性的興奮を覚えていたそうで、暴行後に自慰をすることもあったといいます。
また精神鑑定の初日にも医師に対して「警察官と一緒にここに来る途中、可愛い女の子を見た。殴るか、刺してやりたいと思った」などと平然と口にしていたそうです。
筒塩侑子さんを殺害した異常な動機
通常、このような犯人のサディズムや異常性癖からくる事件の場合、犯行を重ねるうちにより手口は過激に、被害は大きくなっていく傾向があるとされています。
しかし、勝田州彦は2000年に女子児童の腹部を殴り、2004年に侑子さんを殺害し、その後、2010年にドライバーや素手で女子児童数名を暴行し、2015年に女子中学生を刃物で切りつけていました。
この点を訝しく思った医師が精神鑑定時に「殴りたいと思った対象と、刺したいと思った対象には何か違いはあるのか」と勝田州彦に質問したところ、勝田は「可愛い子ほど刺してみたいと思う」「刺したいと思ったのは侑子さんと女子中学生だけ。今まで見かけた女の子のなかで一番可愛かったから刺した」と、語ったといいます。
また医師に「これまで、被害者に申し訳ないと思ったことは?」と聞かれた勝田州彦は「さまあみろと思った」と答え、「(自分にとって犯罪は)散歩のような、時間潰しのようなもの」とも話していたことが、公判中に明かされました。
公判では遺体の第一発見者である侑子さんの姉も証言に立っています。また、侑子さんのご両親も傍聴席にいました。遺族がどのような気持ちで勝田州彦の話を聞いていたのかは、察するに余りあります。
勝田州彦に下された判決
2022年1月6日、津山女児殺害事件の裁判の判決公判が開かれ、岡山地方裁判所は勝田州彦に検察の求刑どおり無期懲役を言い渡しました。
争点となった自白の信憑性について、裁判長は以下のように述べていました。
6日の判決で岡山地方裁判所の倉成章裁判長は「被告が供述した被害者を殺害した状況は、犯人だからこそ供述できたと考えるのが合理的だ。被告の自白は信用できる」などと指摘しました。
しかし、弁護側はこの判決に対して「無罪判決が決定されると思っていたので、たいへん遺憾」と語り、広島高等裁判所岡山支部に即日控訴しています。
無期懲役判決に対する世間の反応
この無期懲役の判決に対してネット上では「求刑が無期懲役だから一番良い結果だったのだろうけど、死刑にしてほしかった」「前科を見る限り、とても更生できるとは思えない。なぜ死刑ではないのか」「被害者の子、怖かったよね…死刑すら生ぬるいと思うのに無期で済むんだ」というように、無期懲役は甘すぎるのではないか?とする意見が大半を占めていました。
またこの裁判は裁判員裁判であったため、裁判員の判断次第では検察の求刑を上回る量刑がされるのではないか、と注目されていました。
そのため、世間では極刑相当、死刑になってほしいという声が多くあがったのかもしれません。
なお被害者遺族はこの判決に対して、弁護士を通じて「とりあえず、有罪判決が下ってほっとしています」というコメントを出しています。
勝田州彦の家族(両親)の現在
津山女児殺害事件では控訴中ですが、勝田州彦は2015年に起こした姫路市女子中学生刺傷事件で殺人未遂罪に問われて懲役10年の実刑判決を受けているため、現在も大阪刑務所で服役中です。年齢は2022年で44歳になります。
両親は津山女児殺害事件で勝田州彦が逮捕された時も加古市に住んでいたようで、逮捕直後にはTV局の直撃取材も受けていました。
しかし、玄関口に出て対応した母親は事件について尋ねられても「自分は知らない、わからない」と無関係であることだけを主張。被害者に対する謝罪はもちろん、息子は無罪だと信じているとも言わなかったのです。
この対応には批判が集中しましたが、勝田州彦の母親は2010年の逮捕が原因で自主退職したという話もあります。そのため、もう成人してる息子に人生を振り回されることに疲れ果ててしまったのかもしれません。
では息子を完全に突き放しているのかというとそうではなく、勝田州彦が大阪刑務所に入った際には母親が漫画本を差し入れていたとの情報も、津山女児殺害事件の公判で明らかになっています。
父親は近所に頭を下げていた
一方、勝田州彦の父親は2000年に息子が逮捕された時、近隣住民の家を回って「これからは、私がきちんと監督します」と頭を下げていたそうです。
勝田州彦の父親はノンキャリアで定年まで兵庫県警で勤め上げ、2008年には瑞宝単光章を受勲したほどの人物でした。周囲からの信頼も厚く、「あの立派なお父さんがそう言うのなら、息子もやり直せるだろう」と、近隣住民も思ったそうです。
なお、執行猶予期間を終えた勝田州彦は大手飲料会社で期間社員として就職していました。勤務態度も真面目で、同僚も「無遅刻無欠勤で、何ら問題はなかった」と証言しているため、周囲からは更生したように見えたことでしょう。
しかし、実際には勝田州彦は更生どころか自分のために頭を下げた父親を裏切って、2004年に侑子さんを殺害していました。
勝田州彦は父親によって、厳しく柔道の稽古をつけられていたとの話もあります。自分が身に着けさせた腕力で幼い子どもを暴行、殺害していたとなると父親としては耐え難いものがあるはずです。
津山女児殺害事件での逮捕時には父親に関する情報は出ておらず、父親が取材に応じることもありませんでした。
勝田州彦には余罪がある?加古川小2女児殺害事件への関与疑惑も
津山女児殺害事件以外に勝田州彦が起こした事件は、現在の時点では3件となっています。しかし、まだ余罪があるのではないかとも指摘されています。
関与が疑われているのか、2022年時点でまだ未解決である「加古川小2女児殺害事件」と「たつの市小4女児殺人未遂事件」です。この2つの事件は犯行の手口、被害者の年齢・性別、そして勝田州彦の自宅と事件現場が同じ兵庫県内で、比較的近い距離にあることから勝田犯人説が浮上しています。
余罪①加古川小2女児殺害事件
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加古川小2女児殺害事件は2007年10月16日に兵庫県加古川市別府町で起きた殺人事件で、2022年現在も犯人が見つかっていません。
被害者となったのは事件当時小学校2年生であった鵜瀬柚希さんで、柚希さんは公園から帰宅したところを自宅前で何者かに襲われ、胸や腹部を刃物で刺されて亡くなっています。
事件時、柚希さんの悲鳴を聞いて家から出てきた家族が、倒れかかっていた彼女から「大人の人…男…」という犯人を示す言葉を聞いており、これ以外に犯人の目撃情報らしきものは出てきていません。
この事件も犯行の手口などから、犯人は勝田州彦なのではないかと見られています。
余罪②たつの市小4女児殺人未遂事件
2006年9月28日、当時小学4年の女児が兵庫県たつの市新宮町の路上で刃物を持った男に襲われて、胸や腕などを刺されるという事件が起こりました。
被害者の女児は18時22分頃、JR姫新線播磨新宮駅南東にある学習塾の前の歩道を歩いていたところ、見知らぬ男に背負っていたリュックを触られそうになり、これを避けたところ白いポリ袋のようなもので叩かれ、刃物で左胸の下を2回と腕を切られたといいます。
襲われた女子児童は学習塾に戻って講師に助けを求め、講師はすぐに警察へ通報。捜査の結果、現場の近くに設置されていた防犯カメラに、走り去っていく男の後ろ姿が録画されていたことがわかりました。
警察の発表によると、防犯カメラに映った男の年齢は20〜40歳程度、身長は170cmほどで、白っぽい上着を着用してリュックサックを背負っていたとのことです。
この事件も未だに犯人が見つかっておらず、警察は犯人と思われる男が映った防犯ビデオの映像を公開して情報提供を求めています。
そしてこの事件もまた、犯行の手口や犯人と見られる人物の特徴から、犯人は勝田州彦なのではないかと指摘されています。
勝田州彦と津山女児殺害事件についてのまとめ
今回は2004年に起きた津山女児殺害事件の犯人と見られている勝田州彦について、生い立ちや家族との関係、第一審の様子などを中心に紹介しました。
一審では無期懲役の判決が下された勝田州彦ですが、自ら犯行を自白しておきながらまったく反省の様子が見られず、即日控訴までしています。二審でどのような判決がされるのかはわかりませんが、被害者遺族と亡くなった侑子さんにとってよい結果が出ることを願わずにはいられません。