消費者金融大手の武富士のテレビCMに出演し、一斉を風靡したダンサー集団「武富士ダンサーズ」が、実は借金を返せなかった見せしめに踊らされていたという都市伝説が話題です。
この記事では武富士ダンサーズの都市伝説の内容や真相、元メンバーの現在などについてまとめました。
この記事の目次
武富士ダンサーズのCMの都市伝説…借金を返せない人達が踊らされている
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「武富士ダンサーズ」とは、2010年に倒産(厳密には2017年に解散)した大手消費者金融企業「武富士」のテレビCMに出演していたダンサー集団です。
武富士ダンサーズは、ジョー・リノイエの「SYNCHRONIZED LOVE」という曲に合わせて、セクシーなレオタードをきた女性ダンサー達(時期によっては一部男性もいた)が集団でキレキレのダンスを踊るインパクトのあるCMで注目を集め、1990年代には社会現象になるほどの知名度を誇りました。
そんな武富士ダンサーズですが、ネット上では、ある都市伝説で現在も話題になっています。
武富士ダンサーズの都市伝説の内容は、武富士のテレビCMで踊っているメンバー達は、実は武富士で借りた金を返せない人たちが見せしめのため、あるいは借金返済のために無理やり出演させられているというものです。
都市伝説の内容によると、武富士のテレビCMで踊る武富士ダンサーズ達の顔が、髪で隠れたり、横顔だったりして何故か顔が見えないように作られているのは、メンバー達は見せしめのために踊らされている一般人なので顔を映さないようにしているのだそうです。(実際には顔が見えないという事はない)
この都市伝説に信憑性を与えたのが、武富士という会社がその後、悪質な取り立てが週刊誌やワイドショーで問題にされたり、2004年に「ジャーナリスト宅盗聴事件」を起こして当時の武井保雄会長が懲役3年執行猶予4年の有罪判決を受けたりして、武富士という会社自体にブラックなイメージが定着した事でした。
さらに、武富士が倒産して武富士のテレビCMが放送されなくなった後、元武富士ダンサーズを売りにAV女優としてデビューする人や、ヌードグラビアに出演する人が登場した事も、武富士ダンサーズはお金に困っている人が多かったといった印象につながり、武富士ダンサーズのメンバーは借金を返せずに強制的に踊らされていたという都市伝説に信憑性を与えています。
武富士ダンサーズのテレビCMの都市伝説の真相
借金を返せない人が無理矢理CMに出演させられていたという内容の武富士ダンサーズの都市伝説ですが、その真相はすでに明らかになっています。
武富士ダンサーズの都市伝説が生まれたのは、当時活躍していた吉本所属の漫才コンビ「ハリガネロック」の漫才のネタの中に、「武富士ダンサーズのメンバー達は全て顔を出していないのは、借金を返せない人達が見せしめのために踊らされている」とボケ、それに対して「そんわけあるかい」と突っ込む流れがあった事でした。
当時、武富士は各テレビ局で武富士ダンサーズのCMを流していたため、民放でこのネタを披露する事はNGだったそうですが、スポンサーをつけなNHKのお笑い番組ならこのネタを披露する事ができ、それが全国的に広まってしまったそうです。
そして、次第にネタの仲の武富士ダンサーズが借金を返せない人々という部分だけがピックアップされて広まり、いつの間にかハリガネロックの漫才ネタという部分が抜け落ちてしまい都市伝説化して行ったという事でした。
武富士ダンサーズの歴史やCM動画
都市伝説が生まれるほど人気があった武富士ダンサーズ自体についても紹介していきます。
そもそも、武富士ダンサーズが出演するテレビCMが最初に流れたのは1990年でした。大勢のダンサー達が踊るイメージ強い武富士ダンサーズですが、実は初代武富士ダンサーズは3人でした。
この初代武富士ダンサーズはオーディションで選ばれた一般人ではなく、CM出演以前から芸能活動をしているタレントで、新井由美子さん(モデルや歌手として活動)、三瀬真美子さん(レースクイーン、武富士CM出演後にシェイプUPガールズのメンバー)、清水玉恵さん(レースクイーン、タレント)の3人でした。
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=SMSucx3JTZU]
1991年、初代武富士ダンサーズのテレビCMが好評を得たのを受けて、2代目武富士ダンサーズのオーディションが開催され、300人以上の応募者の中から男性も含めた14名が選ばれました。
2代目武富士ダンサーズのギャラは30万円だったそうですが、CMは大好評で6年以上にわたって放送されたため、毎年追加のギャラが支払われたそうです。
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=kxB5S5JH_B0]
1998年には、再びオーディションで選ばれた3代目武富士ダンサーズのCMが放送されました。3代目武富士ダンサーズのメンバーは15名で、多くのメディアに取り上げられた事で全バーション以上の話題を呼びました。
現在もこのCMを覚えている人の多くは、この3代目武富士ダンサーズのバージョンを真っ先に思い浮かべる人が多いようです。
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=yuI-CLw_QO8]
さらにその後、プロのダンサーを対象にしたオーディションを行い、12名の4代目武富士ダンサーズが結成され、2001年から新バージョンのテレビCMが放送されています。
コスチュームや振り付けもよりハイクオリティなものに変更された新CMは話題になりましたが、2003年に武富士会長の指示による「ジャーナリスト宅盗聴事件」が発覚し、武井保雄会長が逮捕され有罪判決を受けたため、このCMはすぐに放送自粛となってしまいました。
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=kR28D2Qm_fI]
2005年、再びオーディションによって選ばれた8名による5代目武富士ダンサーズが結成され、TRFのSAMさんらが振り付けを手がけた新たなCMが制作されました。
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=ieLpc659wP0]
この2005年バージョンの武富士のCMは、消費者金融業のCMに関する規制が厳格化された影響によりテレビでの放映はされず、映画館の上映前の広告やインターネットで限定的に放送されました。
以上のように、1990年代はじめから2000年代半ばにかけて一斉を風靡した武富士ダンサーズのメンバーの現在が気になるという方も多いようです。次の見出しから武富士ダンサーズの元メンバーの経歴や現在についても紹介していきます。
武富士ダンサーズのメンバーの経歴と現在① 新井由美子(初代)
初代武富士ダンサーズ・新井由美子のプロフィール
生年月日:1967年11月26日
出身地 :神奈川県大和市
身長 :167cm
血液型 :O型
1990年に結成された初代武富士ダンサーズのメンバーのうち、新井由美子さんは、「エアロ美少女」のキャッチフレーズで売り出されていたホリエージェンシー所属の元アイドル歌手でした。
中学3年生になったばかりだった1982年4月に日本テレビの視聴者参加型オーディション番組「スター誕生!」に出場し合格し、同年8月の「スター誕生!第42回決戦大会」に進出して注目されました。
その後、1983年の「第8回ホリプロスカウトキャラバン」の東京大会に出場した時にホリエージェンシーからのスカウトを受け芸能界入りし、モデルとして芸能活動をスタートさせています。
1985年からはアイドル歌手としてデビューし、2月に1stシングル「ピンクの花粉」をリリース。当時、NHK総合で放送されていた若者向け音楽番組「レッツゴーヤング」の番組内で結成された「サンデーズ」のメンバーとしても活躍し人気を集めました。
歌手活動を終えた後は、グラビアやCM出演を中心に活躍し、1990年に初代武富士ダンサーズの1人に選ばれました。
現在は芸能界は引退して一般人として生活されているようですが、詳しい情報はなく不明です。
武富士ダンサーズのメンバーの経歴と現在② 三瀬真美子(初代)
初代武富士ダンサーズ・三瀬真美子のプロフィール
生年月日:1969年9月17日
出身地 :神奈川県
身長 :170cm
血液型 :A型
「シェイプUPガールズ」のメンバーとして知られる三瀬真美子さんも、初代武富士ダンサーズの1人でした。
三瀬真美子さんは、1989年に飯島直子さんとのペアで売り出され、Schickのレースクイーンとしてデビューしています。1990年にはレナウンのチャージクイーンを経て、初代武富士ダンサーズとして活躍しました。
その後は、サムタイムワールドカップ’92クイーンに輝き、1994年4月に「シェイプUPガールズ オーディション」でグランプリに選ばれ、同グループでブレイクしています。
シェイプUPガールズが実質解散した後もソロで芸能活動を続け、2011年2月2日に俳優の細川茂樹さんと結婚されています。
現在もオスカープロモーションに所属のタレントですが、細川茂樹さんとの結婚後は表立った芸能活動はされていません。
武富士ダンサーズのメンバーの経歴と現在③ 大西裕貴子(2代目)
初代の3人以外の武富士ダンサーズのメンバーの詳しい経歴は一切公表されていなかったため、詳しい経歴も不明で、現在も表立った活動をされている方はほぼいないようです。
そんな中で、2代目武富士ダンサーズのメンバーだったプロダンサーの大西裕貴子さんは、振付師として、若手時代の「SMAP」や「TOKIO」、「C.C.ガールズ」の振り付けを担当した経歴を持ち、現在はボーカルダンススクールを経営して成功されています。
大西裕貴子さんは、1989年に単身アメリカニューヨークへ渡ってダンスを学び、帰国後に六本木のダンススクールに所属しプロのダンサーとして本格的に活動を開始しています。そんな中で大西裕貴子さんは、武富士ダンサーズのオーディションを受け合格しCM出演する事になったようです。
また、それに前後して大西裕貴子さんは、田原俊彦さんのディナーショーに振り付けスタッフの1人として参加したのをきっかけにジャニーズ事務所からオファーを受けるようになり、若手時代の「SMAP」や「TOKIO」の振り付けも担当されたそうです。
武富士ダンサーズや振付師として活躍後については、1995年に結婚し出産も経験し、一時ダンサーの活動からは離れていたそうですが、1999年に復帰し、2003年にダンススタジオ「Y.Oダンススタジオ」を千葉県内にオープンさせています。
現在も同スタジオを運営する「有限会社ワイオープロダクション」の代表取締役を務め、タレントの振り付け指導や、芸能界入りを目指す人向けのオーディション対策指導などを手がけられています。
元武富士ダンサーズ・大西裕貴子さんは、YouTubeチャンネル「芸能オーディション必勝法」も運営されています。
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=8IJ5x7Rsw7U]
まとめ
今回は、消費者金融大手「武富士」のテレビCMに出演し、1990年代から2000年代にかけて一斉を風靡した「武富士ダンサーズ」の都市伝説やメンバーの現在などを中心にまとめてみました。
武富士ダンサーズの都市伝説の内容は、武富士ダンサーズのメンバーは実は、武富士から借金をしてお金を返せなかった人達が見せしめのために無理矢理テレビCMで踊らされているというものでした。
この武富士ダンサーズの都市伝説の真相は、当時活躍していた吉本のお笑いコンビ「ハリガネロック」の漫才のネタの中に武富士ダンサーズは借金を返せず見せしめに踊らされているという内容があり、これが元ネタになって広まり都市伝説化したというものでした。
この都市伝説は、2004年に武富士の武井保雄会長が「ジャーナリスト宅盗聴事件」で有罪判決を受け、ワイドショーや週刊誌が武富士の強引な取り立てなどのブラックな一面をこぞって報じた事なども影響して信憑性が高まり、ネット上で実しやかに囁かれるようになった面もありました。
実際には武富士ダンサーズのメンバーはオーディションで選ばれており、借金を返せなかった人達というわけではありませんでした。
ほとんどの武富士ダンサーズのメンバーの現在は不明ですが、1991年から6年以上放送されたCMに出演していた2代目武富士ダンサーズの1人である大西裕貴子さんは、振付師として成功し、現在はダンスボーカルスクールを経営し、タレントの振り付けや芸能界を目指す人のためのオーディション対策指導などで活躍されています。