「東京佐川急便事件」とは、1992年に発覚した巨額の汚職事件です。
この記事では東京佐川急便事件についてわかりやすくまとめ、元首相の竹下登、主要な犯人とされる渡辺広康と金丸信、松澤泰生などの関連人物、橋幸夫さんら関連が疑われた芸能人、事件や関係者のその後や現在などについてまとめました。
この記事の目次
- 東京佐川急便事件は「戦後最大の経済事件」とも呼ばれる巨額汚職事件
- 東京佐川急便事件に関連する主な人物① 政界のタニマチ・渡辺広康
- 東京佐川急便事件に関連する主な人物② 政界のドン・金丸信
- 東京佐川急便事件に関連する主な人物③ 元首相・竹下登
- 東京佐川事件をわかりやすく解説① 事件の発覚と捜査
- 東京佐川事件をわかりやすく解説② 政界のドン・金丸信への5億円闇献金
- 東京佐川事件をわかりやすく解説③ 皇民党事件と暴力団の影
- 東京佐川急便事件での渡辺広康の金庫番・松澤泰生の役割
- 東京佐川急便事件の犯人(黒幕)は実際のところ誰だったのか
- 東京佐川急便事件との関与が疑われた芸能人・橋幸夫
- 東京佐川急便事件のその後の政界と社会
- 東京佐川急便事件に関わった人物のその後と現在
- まとめ
東京佐川急便事件は「戦後最大の経済事件」とも呼ばれる巨額汚職事件

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「東京佐川急便事件」とは、1992年、バブル経済が崩壊し、日本社会がその熱狂から冷めやらぬ中で発覚した巨額汚職事件です。
大手運送会社「東京佐川急便」を舞台に、数千億円ともいわれる巨額の資金が暴力団関係者や政界に不正に流れたとされ、「戦後最大の経済事件」、「戦後最大級の汚職事件」、「戦後最大の特別背任事件」などと呼ばれています。
東京佐川急便事件は単なる経済事件にとどまらず、当時の政界の頂点に君臨した自民党副総裁・金丸信の5億円闇献金受領、そしてその背景にあったとされる竹下登元首相の総理誕生をめぐる暴力団との関わりなど、政治の中枢と裏社会の根深い癒着を白日の下に晒されました。
この東京佐川急便事件により国民の政治不信は頂点に達し、長らく続いた自民党一党支配「55年体制」が崩壊する直接的な引き金となったのです。
ここでは、この「東京佐川急便事件」の複雑な全体像を、「わかりやすく」を主眼に置きながら、中心人物で主要な犯人とされる渡辺広康、金丸信、そして事件に関わったと疑われた芸能人などについてまとめました。
東京佐川急便事件に関連する主な人物① 政界のタニマチ・渡辺広康

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この複雑で巨大な「東京佐川急便事件」を理解するためには、まず主要な登場人物たちの背景と思惑を知る必要があります。
主要な犯人だけでなく関わった人物たちの野心や欲望、立場などが複雑に絡み合い、この巨額汚職事件が生み出されたと言えるからです。
まず、東京佐川急便事件のすべての発端は、当時の東京佐川急便の社長であった渡辺広康にあります。新潟県の出身で、一代で運送会社「渡辺運輸」を築き上げた渡辺広康は、1980年代に佐川急便の東京進出に伴い、業務提携の後にその系列下として東京佐川急便を設立し社長に就任しました。
渡辺広康は、社員に過酷な長時間労働を強いる一方で、その利益を元手に自民党の有力政治家や大物芸能人、スポーツ選手などに惜しげもなく金を配る「タニマチ」として知られていました。
特に、自民党竹下派(経世会)との関係は深く、その資金力で政界に強い影響力を持つことを望んでいました。
しかし、その野心は次第に彼を裏社会へと引き込み、暴力団・稲川会との関係を深めていきます。
平和相互銀行の乗っ取り事件への協力や、トラブル処理の依頼などを通じて、稲川会会長(当時)の石井進と密接な関係を築き、会社の資金を暴力団関係企業への不明朗な融資や債務保証につぎ込んでいきました。
この暴走が、やがて会社を破滅へと導き、東京佐川急便事件へとつながりました。
東京佐川急便事件に関連する主な人物② 政界のドン・金丸信

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当時、「政界のドン」、「キングメーカー」などと呼ばれ、当時は首相をも凌ぐ権力を持っていたのが、自民党副総裁であり、竹下派会長の金丸信でした。
金丸信は、その絶大な政治力を背景に、政界に金の流れを作り出す中心人物と見られていました。
東京佐川急便事件においてこの金丸信の名が大きくクローズアップされたのは、渡辺広康から5億円もの闇献金を受け取っていたことが発覚したためです。
当初、金丸信はこの事実を認めず、検察の出頭要請にも応じませんでした。
しかし、世論の厳しい批判を受け、最終的には略式起訴を受け入れ、議員辞職に追い込まれます。この金丸信の失脚は、彼が率いた竹下派の分裂を招き、自民党の権力構造を根底から揺るがしました。
東京佐川急便事件に関連する主な人物③ 元首相・竹下登

金丸信と同じ竹下派の創設者であり、1987年から89年まで首相を務めた竹下登も東京佐川急便事件で大きな名前が取り沙汰された1人です。
竹下登元首相自身が直接的に東京佐川急便から金銭を受け取ったわけではありませんが、事件の根源には彼の首相就任の経緯が深く関わっています。
1987年の自民党総裁選の際、竹下登元首相は右翼団体「日本皇民党」から執拗な「ほめ殺し」という街宣活動による嫌がらせを受けていました。
これは、竹下が彼の政治の師である田中角栄元首相を裏切る形で自身の派閥を立ち上げたことに、皇民党側が「義憤」を感じたためとされています。
この嫌がらせにより、竹下登の総裁就任は危ぶまれました。この窮地を救うために動いたのが、腹心の金丸信であり、その依頼を受けたのが渡辺広康という構図でした。
渡辺広康は稲川会の石井進会長に仲介を依頼し、暴力団の力を借りて皇民党の活動を停止させたのです。
この一連の出来事は「皇民党事件」と呼ばれ、一国の首相誕生の裏に暴力団が関与していたという事実は、国民に大きな衝撃を与えました。
東京佐川事件をわかりやすく解説① 事件の発覚と捜査
続けて、「東京佐川急便事件」の経緯をわかりやすく解説していきます。
東京佐川急便事件の発覚
東京佐川急便事件が発覚するきっかけとなったのは、バブル経済の崩壊がそれまで水面下で膨張し続けていた膿を一気に噴出させた事でした。
1991年頃からバブル経済の崩壊が顕著になると、東京佐川急便が巨額の債務保証をしていた稲川会関連企業の経営が悪化。利息の支払いが滞り始め、返済が不能になることが確実となりました。これにより、東京佐川急便自身も莫大な債務を抱え、経営危機に陥ります。
この異常な経営実態に気づいた親会社の佐川急便は、内部調査を開始。その結果、渡辺広康らが会社に断りなく、暴力団関係企業などに天文学的な額の融資や債務保証を繰り返していた事実が発覚したのです。
東京地検特捜部の強制捜査で明るみに出た政官界の汚職
事態を重く見た佐川急便は、渡辺広康らを刑事告訴。これを受け、1992年2月、東京地方検察庁特別捜査部(東京地検特捜部)が強制捜査に乗り出します。
そして、渡辺広康社長(当時)や早乙女潤常務ら4人が、東京佐川急便に約952億円もの損害を与えたとして、商法の特別背任容疑で逮捕される事になります。
特捜部の捜査が進むにつれ、これが単なる経済事件ではないことが明らかになります。押収された資料や渡辺らの供述から、数千億円単位の資金が暴力団組織に流れただけでなく、その一部が政界にも「ヤミ献金」として還流していた疑惑が浮上。
捜査の焦点は、政官界の汚職へと移っていきました。
東京佐川事件をわかりやすく解説② 政界のドン・金丸信への5億円闇献金

「東京佐川急便事件」での特捜部の捜査線上に浮かび上がったのが、当時の政界で絶対的な権力を誇っていた金丸信でした。
5億円闇献金の発覚と国民の怒り
1992年8月、朝日新聞のスクープにより、金丸信が東京佐川急便側から5億円の闇献金を受け取っていたことが報じられます。
当初、金丸信側はこれを否定しましたが、世論の追求は厳しく、同年8月27日、金丸は記者会見を開き、自民党副総裁の辞任を表明。しかし、この時点では議員辞職は否定しました。
検察は金丸信に出頭を要請しますが、金丸信はこれを拒否し、政治資金規正法違反を認める「上申書」を提出するにとどまりました。
これを受け、特捜部は金丸信本人を聴取しないまま、1992年9月28日に政治資金規正法違反で略式起訴。その翌日には、東京簡易裁判所は罰金20万円の略式命令を下しました。
5億円という巨額の闇献金に対し、逮捕もなく、事情聴取すら行われず、わずか20万円の罰金で済まされたこの処分は、国民の怒りが爆発する結果を呼びます。
「検察は権力に屈したのか」、「法の下の平等はどこにあるのか」という批判が日本中を席巻し、検察庁の表札にペンキがかけられる事件まで発生しました。
議員辞職、そして脱税事件での逮捕へ
あまりの世論の反発の強さに、金丸信はついに観念します。1992年10月14日に衆議院議員の辞職願を提出し、政界からの引退を余儀なくされました。
しかし、これで事件が終わったわけではありませんでした。東京佐川急便事件の捜査の過程で、金丸信に巨額の脱税疑惑が浮上。特捜部は捜査を継続し、1993年3月、金丸信本人と彼の秘書を所得税法違反(脱税)の容疑で逮捕しました。
家宅捜索では、割引金融債など数十億円相当の資産が発見され、その金権政治の凄まじさを改めて国民に見せつける結果となりました。
東京佐川事件をわかりやすく解説③ 皇民党事件と暴力団の影

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「東京佐川急便事件」の闇の奥深くには、政治権力の誕生そのものに暴力団が関与したとされる「皇民党事件」が存在します。
首相の座を巡る「ほめ殺し」
前述の通り、1987年の自民党総裁選で、最有力候補だった竹下登は、右翼団体「日本皇民党」による「ほめ殺し」という異様な街宣活動に悩まされていました。これは、表向きは褒め称えながら、実際には皮肉を込めて徹底的に攻撃し、イメージダウンを狙う嫌がらせでした。
「日本一金儲けの上手い竹下さんを総理にしましょう」といった街宣が連日行われ、竹下陣営は追い詰められます。このままでは総理の座が危ういと判断した竹下登は、腹心の金丸信に相談。
金丸信が頼ったのが、裏社会に顔が利く東京佐川急便の渡辺広康でした。
暴力団の仲介と取引
渡辺広康は、かねてより懇意にしていた稲川会の石井進会長に仲介を依頼。石井会長の介入により、皇民党は街宣活動を停止します。その見返りとして、渡辺広康は石井会長が実質的に経営する企業に対し、東京佐川急便から巨額の融資や債務保証を行うようになりました。
1992年の渡辺広康らの公判における検察側の冒頭陳述で、この「皇民党事件」の存在が初めて公にされました。
首相の座が、暴力団の力を借りて得られたものであったという事実は、日本の民主主義の根幹を揺るがすスキャンダルであり、金丸信の5億円闇献金問題とともに、国会での証人喚問の大きな焦点となりました。
東京佐川急便事件での渡辺広康の金庫番・松澤泰生の役割

「東京佐川急便事件」の金の流れを解明する上で、重要な役割を担ったとされるのが、宝石ブローカーなどをしており、渡辺広康の「金庫番」とも呼ばれた松澤泰生という男でした。
松澤泰生は、渡辺広康に接近し、株式取引や不動産投資などを通じて東京佐川急便の資金を運用し、その利益の一部を裏金として還流させる役割を担っていたとされています。
松澤泰生は、平和堂グループの元代表として、渡辺広康が見返りを求めて行った違法な債務保証の相手方でもあり、その後の裁判で特別背任罪などで有罪判決を受けています。
2025年11月、松澤泰生は別件の会社(不動産管理会社「ハナマサ」)乗っ取り事件で再び逮捕されており、これが東京佐川急便事件に再び社会の注目が集まるきっかけとなりました。
松澤泰生の名はバブル期の経済事件を象徴する人物の1人として多くの人々に記憶されています。
東京佐川急便事件の犯人(黒幕)は実際のところ誰だったのか
「東京佐川急便事件」を最近になって知ったという方は、この事件の犯人が誰なのか?という点にも関心を持っているようです。
しかし東京佐川急便事件は1人の「犯人」がいたというより、複数の中心人物がそれぞれの立場で罪を犯し、事件を構成したと理解するのが最も正確です。
ただ、東京佐川急便事件において、法律に基づいて刑事罰を受けた「犯人」は主に以下の2人です。
東京佐川急便事件の犯人① 渡辺広康
ここまででも触れたように東京佐川急便の元社長であった渡辺広康は、会社のトップという立場を悪用し、暴力団・稲川会の元会長・石井進氏が関わる企業などに対し、返済の見込みがほとんどないにもかかわらず、会社の資金から総額952億円にも上る巨額の融資や債務保証を独断で行い、会社に甚大な損害を与えました。まさに事件の実行役であり、不正な金の流れを作り出した中心人物です。
渡辺広康に対しては懲役7年の実刑判決が確定しました。しかし、病気のため刑の執行は停止され、収監されないまま2004年に亡くなりました。
東京佐川急便事件の犯人② 金丸信
自民党の副総裁を務め、政界のドンとも呼ばれた金丸信は渡辺広康元社長から、5億円もの裏金(闇献金)を受け取りました。この献金は政治資金収支報告書に記載されておらず、違法なものでした。
ここまででも触れていますが、当初、検察は金丸氏本人を直接取り調べることなく、罰金20万円の略式起訴で事件を終わらせようとしました。
5億円という大金に対してあまりにも軽い処分だったため、国民から猛烈な批判が巻き起こり、検察庁の表札にペンキがかけられる事件まで発生。世論の圧力に押され、金丸信は議員を辞職。
その後、この事件の捜査の過程で巨額の脱税が発覚し、所得税法違反(脱税)の容疑で逮捕され、有罪判決を受けました。
東京佐川急便事件との関与が疑われた芸能人・橋幸夫

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「東京佐川急便事件」は、政界や裏社会だけでなく、華やかな芸能界にもその影を落としていました。
国民的歌手・橋幸夫と渡辺広康の関係
渡辺広康は「政界のタニマチ」であると同時に、芸能界にも太いパイプを持っていました。その中でも特に名前が挙がったのが、国民的歌手の橋幸夫さんです。渡辺広康は橋幸夫のタニマチとしても知られていました。橋幸夫さんは、佐川グループの佐川清社長(当時)からの誘いを受け、佐川グループが設立したレコード会社「リバスター音産」の役員(後に社長)に就任しています。
東京佐川急便事件が発覚すると、リバスター音産も佐川グループの一員であったことから、橋幸夫さんにも疑惑の目が向けられ、「逮捕か」などと報じられることもありました。
しかし、橋幸夫さん本人が事件に直接関与した事実はなく、後に無関係であったことが明らかになっています。
とはいえ、事件の中心人物と近しい関係にあったことで、激しいバッシングに晒され、そのイメージに傷をつけたのは事実です。
その他の東京佐川急便事件に関わったと疑われた芸能人

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渡辺広康のタニマチとしての交友関係は幅広く、橋幸夫さん以外にも様々な芸能人やスポーツ選手の名前が取り沙汰されました。
国会でも、アントニオ猪木参議院議員(当時)が経営する会社などに東京佐川急便から資金が流れていたことが指摘されています。しかし、これらの多くは事件の捜査の進展とともに、直接的な犯罪への関与は認められませんでした。
東京佐川急便事件のその後の政界と社会
「東京佐川急便事件」はその発覚後、日本の政治と社会に巨大な地殻変動をもたらしました。
政治改革と55年体制の崩壊
リクルート事件に続くこの大型汚職事件は、国民の政治不信を決定的なものにしました。
事件が発覚したその後、「政治とカネ」の問題を断ち切るべく、政治改革を求める声が燎原の火のように広がりました。
この国民の声に後押しされる形で、政治改革が最大の争点となりました。金丸信の失脚のその後、彼が率いた巨大派閥・竹下派は分裂。 金丸信の子飼いであった小沢一郎は、改革を掲げて羽田孜らと共に自民党を離党し、新生党を結成します。
これに他の新党も合流する形で、1993年の総選挙で自民党は過半数を割り込み、結党以来初めて野党に転落。日本新党の細川護熙を首班とする非自民連立政権が誕生しました。
ここに、1955年以来、約38年間にわたって続いた自民党の一党優位体制、いわゆる「55年体制」は崩壊したのです。そしてその後、細川政権の下で、衆議院の選挙制度を中選挙区制から小選挙区比例代表並立制へと改める政治改革関連法が成立しました。
東京佐川急便事件に関わった人物のその後と現在
「東京佐川急便事件」に関わった人物らのその後と現在についてもみていきます。
東京佐川急便事件の関連人物のその後と現在① 渡辺広康
東京佐川急便事件の中心人物である渡辺広康は、特別背任罪で起訴され、2003年に最高裁で懲役7年の実刑判決が確定しました。しかしその後、病気のため刑の執行は停止され、収監されることなく、2004年1月に69歳で病死しています。
東京佐川急便事件の関連人物のその後と現在② 金丸信
政界のドンとして君臨した金丸信は、議員辞職後、脱税事件で逮捕・起訴され、有罪判決を受けました。その後、1996年に81歳で死去しました。
東京佐川急便事件の関連人物のその後と現在③ 竹下登
首相誕生の経緯が問われ続けた竹下登は、事件後も一定の政治的影響力を保ちましたが、体調を崩し、2000年に76歳で死去しました。
東京佐川急便事件の関連人物のその後と現在④ 橋幸夫
東京佐川急便事件との関与を疑われた歌手の橋幸夫さんは、実際には直接的な関与はなかったものの、一時期は厳しい立場に置かれました。しかし、その後も歌手として長年活躍し、多くのファンに愛され続けました。
橋幸夫さんは2025年9月4日に82歳で亡くなっています。
東京佐川急便事件の関連人物のその後と現在⑤ 松澤泰生
渡辺広康の金庫番とされた松澤泰生は、特別背任罪などで実刑判決を受け服役。しかし、出所後も経済事件に関与して「稀代の詐欺師」などと呼ばれました。
そして、2025年11月13日に、会社乗っ取りをもくろみ株券の偽造などを行ったとして、有価証券偽造・同行使などの容疑で逮捕され、現在、再びその名前が取り沙汰されています。
まとめ
今回は、「戦後最大の経済事件」、「戦後最大級の汚職事件」、「戦後最大の特別背任事件」などと呼ばれる「東京佐川急便事件」についてまとめてみました。
現在、東京佐川急便事件から30年以上が経過していますが、この事件は単なる過去の一大スキャンダルではありません。この事件は現在においても日本社会と政治が抱える問題を映し出す鏡だと言えます。
東京佐川急便事件をきっかけに政治改革が行われ、政権交代が可能な政治体制が生まれました。しかし、「政治とカネ」をめぐる問題が、その後も形を変えて幾度となく繰り返されている事からもそれは明らかです。
派閥の政治資金パーティーをめぐる問題など、現在も国民の政治不信を招く事案は後を絶ちません。
また、政治家と特定の団体や勢力との不透明な関係も、根絶されたとはとても言えません。東京佐川急便事件が白日の下に晒した、権力とカネ、そして裏社会の癒着という構造的な問題は、今なおこの社会の裏側に潜んでいる可能性があります。
東京佐川急便事件の全貌を振り返ることは、これによって日本の政治が何を失い、何を得て、そして何を未だに克服できていないのかを考える上で、極めて重要な意味を持ちます。
東京佐川急便事件の記憶を風化させることなく、その教訓を未来に活かしていくことこそが、現在を生きる私たちの責務だといえるのかもしれません。

















