谷本盛雄の生い立ちから死因!嫁や息子・前科や自宅・北新地ビル放火殺人事件の動機も総まとめ

谷本盛雄は2021年に発生した北新地ビル放火殺人事件の犯人で、事件後に死亡しています。死因は蘇生後脳症でした。この記事では谷本盛雄の生い立ちや実家、親や家族、動機、息子を刺した前科、嫁との結婚と離婚、火災現場の現在について紹介していきます。

谷本盛雄が起こした北新地ビル放火殺人事件の概要

 

出典:https://www.youtube.com/

 

2021年12月17日10時20分頃、大阪市北区曽根崎新地一丁目にあった雑居ビル「堂島北ビル」の4階から火が出ているとの119番通報が入りました。

 

消防車80台が出動して火はおよそ30分で消火しましたが、堂島北ビルは4階フロア25㎡が消失。20人を超す人々が意識のない状態で次々と運び出され、事件発生直後には「27人が心肺停止状態」と報じられました。

 

火元となった4階には「働く人の西梅田こころとからだのクリニック」という心療内科・精神科を専門とするクリニックが入っており、他のフロアにも飲食店など火を使う店は入っていませんでした。

 

そのため、事件発生直後から火災の原因は放火と見て捜査が開始します。そして、ビルに設置された防犯カメラの映像から放火犯と思われる男が浮上。

 

その後の調べで犯人と思われる男も重度の火傷を負って病院に搬送され、心肺停止の状態であることが判明します。

 

容疑者の男の名前は谷本盛雄(もりお)、当時61歳。現場となったクリニックの患者でした。

 

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警察は写真や防犯カメラの映像を公開して動機解明に繋がる情報を募りつつ、谷本盛雄の意識回復を待ちましたが、事件から約2週間後の12月30日に19時05分に谷本の死亡が確認されます。

 

被疑者死亡によって死者27名、負傷者1名を出した凄惨な放火殺人事件は全容が明かされることがないまま、2022年3月16日をもって北新地ビル放火殺人事件の捜査は幕を閉じることとなりました。

 

 

 

谷本盛雄が北新地ビル放火殺人事件を起こした動機

 

出典:https://www.youtube.com/

 

事件について何も話さないまま死亡したため、谷本盛雄が北新地ビル放火殺人事件を起こした動機は不明なままです。

 

ただ、少なくとも半年前から放火の計画していたことが判明しています。大阪府警の発表では谷本の自宅を家宅捜索をした結果、放火殺人事件に興味を持っていたことや事件の計画性をうかがわせる以下のような証拠が発見されたとのことです。

 

・2021年3月に起きた徳島ビル放火事件の新聞記事

 

・2021年7月の新聞に掲載された「京都アニメーション放火殺人事件から2年」という記事

 

・「放火殺人」「消火栓をぬる」などと書かれたメモ用紙

 

・コーキング剤

 

・ナイフのさや

 

このうち、コーキング剤は事件現場となったクリニックに設置された消火栓の扉の隙間を埋めるのに使用されていたものと同じで、メモ書きにあった「消火栓をぬる」というのは「コーキング剤で消火栓の扉を開かないようにする」という意味と考えられます。

 

谷本盛雄は2018年から「働く人の西梅田こころとからだのクリニック」のクリニックに通っていたといい、事件前に来院した際に消火栓の扉に細工した可能性が高いとのことです。

 

さらにナイフのさやは、事件当日に谷本盛雄が凶器として持ち込んでいたものと刃渡りが同じだったといいます。

 

これらの犯行に使った品々やメモや新聞の切り抜きからもわかるように、谷本盛雄は単なる「放火」ではなく、「放火“殺人”」にこだわっていました。

 

 

 

事件現場から見えた高い殺意

 

北新地ビル放火殺人事件の現場検証やシュミレーションからも、谷本盛雄が高い殺意を持って放火をしたことが窺えます。

 

クリニックの扉の前にはエレベーターと非常階段という2箇所の出入り口があり、これらは隣り合っていました。

 

谷本盛雄はクリニックの扉と受付の中間に当たる場所にガソリンを撒いてライターで火をつけていたため、院内にいた人々に逃げ場はなかったのです。

 

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炎から逃げようと院内にいた人々は奥の診察室に逃げ込んだとされますが、診察室には窓がありませんでした。そのため亡くなった被害者の方々の死因は、焼死ではなく一酸化炭素中毒が目立ったといいます。

 

さらに防犯カメラには、放火直後に受付前から非常階段のほうに逃げようとした人に谷本盛雄が体当たりをして、奥に押し戻す様子まで収められていました。

 

これらの行動から考えて、谷本盛雄は偶然その日にクリニックに居合わせた人を1人でも多く殺害しようと考えていたのでしょう。

 

 

 

動機は「拡大自殺」か

 

当初は事件現場が心療内科・精神科のクリニックというセンシティブな場所であったことから、谷本盛雄が診察に関する事柄でクリニックの院長やスタッフに恨みを抱いての犯行ではないかとも予想されました。しかし、捜査が進むとそうではなかったことが明らかになります。

 

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クリニックの西沢弘太郎院長は患者からの信頼が厚く、事件後には「あの病院がなくなってしまったら、どこで悩みを聞いてもらえばいいのか」「院長のおかげで社会復帰できたのに…心が折れそうだ」との声が多く報じられ、患者に寄り添う丁寧な診療をしていたことが窺えます。

 

また、当日クリニックにいた人々は同じ病院の患者という以外に谷本盛雄と接点はありませんでしたから、特定の誰かを狙った犯行ではなかったことは明らかです。

 

谷本盛雄の遺品となったスマートフォンには「道連れ」「死ぬ時くらい目立ちたい」という言葉や、過去に起きた無差別殺人事件の詳細を検索した履歴があったといいます。

 

後述しますが事件当時、谷本盛雄は一人暮らしで仕事もしておらず、社会と接点を持っていませんでした。

 

これらのことから自分の世界に入り込んで「最期くらいは世間にやり返してやりたい」「一人で死ねるか」という歪んだ考えを持つようになり、不特定多数の人を巻き添えにして死ぬ「拡大自殺」を図ったのではないかと見られています。

 

 

 

谷本盛雄には家族がいた・事件の動機にも繋がる心中未遂の前科

 

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北新地ビル放火殺人事件を起こす前は1人で暮らしていたという谷本盛雄ですが、2008年7月までは板金工として鉄工所で働きながら妻子とともに暮らしていたといいます。

 

しかし、突然「やりたいことがある」と言い残して職場に出勤しなくなり、2008年9月には妻とも離婚。

 

その後、離婚した妻に復縁を申し込んだものの断られ、再婚相手を探していた様子も見られたといいます。谷本盛雄が2009年に再度就職した鉄工所の社長からは、以下のような証言も出ていました。

 

21年8月に復職した鉄工所では、別の相手との再婚の希望を口にすることもあった。鉄工所の男性社長(78)は「身元の保証人が必要だったのか、『結婚相談所に行くから名前を貸してほしい』と頼んできたことがあった」と明かす。

 

引用:甘えが招いた殺意 10年前も「家族」を道連れに

 

このようなことを勤務先の社長に頼むとは、よほど孤独に耐えかねて家族を欲していたのだろうと思われます。

 

しかし再婚相手は見つからなかったようで、悲観的な思考に陥った谷本盛雄は後の放火殺人にも繋がる事件を起こしてしまったのです。

 

 

 

「家族は一緒にいるべきだ」妻と息子を道連れに自殺を図る

 

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2011年4月25日、手土産に寿司を携えて元妻と息子たちが暮らす大阪市西淀川区のマンションを訪れた谷本盛雄は、隠し持っていた出刃包丁で当時25歳の長男の頭や肩を切りつけ、殺害しようとしました。

 

長男の激しい抵抗を受け、さらに駆けつけた警察官に取り押さえられたことから殺害は未遂に終わりましたが、このような凶行に及んだ理由も「家族と一緒に自殺したい」という身勝手なものだったといいます。

 

長男殺害未遂の一審を担当した大阪地方裁判所も「被告は離婚を機に孤独に苛まれるようになり、『家族は一緒にいるべき』という考えや孤独死への恐怖から長男のみならず元妻や次男を道連れにした無理心中を図ろうとした」と指摘。

 

懲役4年の判決を受けて服役することとなったのですが、この事件が原因で家族や親族、社会との接点もより少なくなり、いっそう孤独を深めることになったと考えられています。

 

 

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長男殺害未遂と北新地ビル火災殺人事件の共通点

 

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長男殺害未遂事件は谷本盛雄が社会から完全に孤立するきっかけになった事件であり、北新地ビル放火殺人事件を起こす要因にもなったと指摘されています。

 

また2つの事件には共通点があり、長男殺害未遂事件を紐解いていくことで「なぜ厚い信頼を寄せられていた院長のいるクリニックを狙って火をつけたのか」という動機も見えてきました。

 

報道によると長男の殺害未遂を起こした時も、谷本盛雄は実際に使った出刃包丁のほかに刃物2本、ハンマー、スタンガン、催涙スプレーと大量の凶器を元妻の家に持参していたといいます。

 

このことからは、北新地ビル放火殺人事件の時と同様に「必ず殺してやる」という高い殺意が窺えます。

 

しかし、谷本盛雄は息子や妻が憎くて殺害を目論んだわけではありません。むしろ「自分にとって一番思い入れがある、もっとも近い人たち」だからこそ、一緒に死んで欲しいと思ったとされています。

 

この「1人では死にたくない、思い入れのある人と死にたい」という考えは、北新地ビル放火殺人事件の犯行動機にも通じるのではないか、と警察も指摘していました。

 

捜査幹部は「話を聞いてくれるクリニックは数少ない社会との接点だった。『自分を大事にしてくれる人と一緒に死にたい』という身勝手な発想が放火につながったのかもしれない」と推測する。

 

引用:甘えが招いた殺意 10年前も「家族」を道連れに

 

 

 

谷本盛雄の生い立ち① 実家は板金工場

 

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谷本盛雄は1960年3月に大阪市此花区で誕生しました。実家は板金工場を営んでおり、4人兄弟の次男だったといいます。

 

高校を出た後は父親の勧めもあり、板金工として屋根や工事の補修を行なうなどして技術を磨き、父親が営む工場でも働いていました。

 

勤務態度は非常に真面目で腕もよく、父親の工場も次男の谷本盛雄が継ぐ予定だったそうです。しかし、怪我や家庭の事情などの都合が重なって工場は兄である長男が継ぐことに。

 

兄は会社員として働いており、実家を継ぐために戻ってきたといいます。

 

兄が工場長を務めるようになってからもしばらくは実家で板金工をしていたそうですが、折り合いが悪かったのか、衝突を繰り返して実家を出ていったとのことです。

 

 

 

谷本盛雄の生い立ち② 親・家族との関係

 

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谷本盛雄は幼少期から母親が大好きだったといい、少し引っ込み思案だったものの普通の少年だったそうです。

 

一方で父親は厳しく、谷本盛雄は中学生の頃から父親の仕事を手伝っていました。

 

一家を知る人からは「友達と遊ぶ約束をしていても家業の手伝いをさせられることがあったようだ。父親が遊びに来た友人を追い返すなどしていたことから、あまり父親には良い感情を持っていなかったのではないか?」との話も出ています。

 

それでも母親がいた頃は親の言うことを真面目に聞いていたといいますが、谷本盛雄が高校を卒業した頃に母親が病死すると家庭内の雰囲気も一変。

 

父親に反抗的な態度を見せるようになり、揉めて家を出ることもあったそうです。

 

 

兄弟との関係

 

谷本盛雄は4人兄弟で、兄と姉が1人ずついることが明らかになっています。ただ、マスコミのインタビューなどに答えているのは実家の工場を継いだ長男だけです。

 

20歳の時に家を出てから兄とは疎遠になっていたそうですが、30歳の頃に父親が他界し、その葬儀で久しぶりに顔をあわせたいいます。

 

ところが相続の話で揉めて溝が深まり、これ以降は兄弟が顔を合わせることはなかったとのことです。兄は弟と疎遠になってしまったことを悔やみ、事件後に以下のように語っていました。

 

きょうだいで協力し、居どころを捜したこともある。「『仲良うしような』とずっと言ってきたし、できる努力はしてきたけど、離れていってしまった」

事件のことが理解できない。「どうしても腹が立ち、どうしようもないんやったら、俺の方に突っかかってきてくれたらよかったのに」

 

引用:離れていった容疑者「居どころ捜したが…」 大阪ビル放火、兄語る

 

遊びたい盛りに友人との約束を反故にしてまで家業を手伝ってきたのに、父親が跡継ぎに選んだのは板金工の仕事さえしていない兄だった…このことが、兄弟の間に深い遺恨を残してしまったのかもしれません。

 

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なお、兄によると他の3人の兄弟はみな仲が良く、家を出ていった谷本盛雄だけが兄弟全員と疎遠だったといいます。

 

 

 

谷本盛雄の生い立ち③ 学生時代の評判

 

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中学生時代の谷本盛雄は将棋部に所属する真面目な生徒だったそうです。中学の同級生は「くそ真面目、という言葉がぴったりの性格だった。北新地火災の犯人と聞いた時も信じられなかった」と証言しています。

 

ただ寂しそうな雰囲気は当時からあったといい、「あの頃から孤独感はあったのかもしれないです」との話も出ていました。

 

 

 

谷本盛雄の経歴① 実家を出てからの職歴

 

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実家を出た後、谷本盛雄は大阪市内の別の板金工場で働いていたといいます。職人としての評価は非常に高かったらしく、2008年から勤務していたという工場の社長からも以下のような証言が出ていました。

 

「すぐどんな腕かわかりますもん。日当はどんどん上げていった」。最初は8千円。数カ月でアルバイトから正社員になり、1万2千円の日当を月払いするようになった。社長(78)は「彼の仕事は見ただけで、彼がやったと分かるくらい群を抜いていた」と振り返る。

 

引用:腕利き板金工だった放火事件の容疑者 離婚後に「ひとりきりの悩み」

 

谷本盛雄は、1級建築板金技能士の国家資格も所有していたそうです。自分の腕へのプライドからか、仕事に対して指摘されると苛立つ様子は見られたものの、「こうして欲しい」ときちんと伝えるとすぐに納得して修正する柔軟さも持ち合わせていたといいます。

 

また、若い職人の指導も得意で面倒見も良かったとのことです。一方でプライベートでの付き合いは苦手だった様子で、勤務外で同僚と親しくすることはなかったそうです。

 

 

 

谷本盛雄の経歴② 結婚と自宅購入

 

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プライベートでは1985年8月、25歳の時に谷本盛雄は結婚をしています。結婚相手の女性は看護師だったといい、2人の男の子も誕生しました。

 

腕のいい職人だったというだけあってか、1987年には27歳で大阪市西淀川区内に3階建ての一戸建てを購入。

 

当時、近所に住んでいたという次男の同級生によると、一家の印象は「別に、普通の家庭でした。4人暮らしで、お父さんは優しい人だった記憶があります」とのことです。

 

 

 

谷本盛雄の経歴③ 離婚から息子の殺害未遂まで

 

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国家資格も取得して手に職を持ち、職人としての評価も高く、家庭もあって若くしてマイホームも購入していた谷本盛雄。

 

ここまでの経歴を見ていくと、早くに最愛の母親を亡くしたことと実家を継げなかったことを除けば生活はうまくいっていた、むしろ幸せだったのではないかという印象を受けます。

 

しかし、2008年9月に妻から離婚を切り出されて1人で暮らすようになると、生活は一変しました。

 

翌年の8月になって2008年7月に一度退職をした工場に復職するまでは職を転々とし、復職してからは工場の社長に悩みを相談することが増えたといいます。

 

社長の妻は「ひとりぼっちになって悩みもあったようだ。はき出すところがなかったのか出勤したとき、夫(社長)に聞いてもらう感じだった」と言う。

 

引用:腕利き板金工だった放火事件の容疑者 離婚後に「ひとりきりの悩み」

 

同じ頃には離婚した元妻に復縁の申し入れをしたそうですが断られてしまい、以降は競馬にのめり込んで仕事も休みがちになるなど生活もおかしくなっていきました。

 

そして2010年には、務めていた工場を退職。色々と相談に乗っていた社長が心配して何度か電話をかけたものの、退職後は連絡がつかなくなったといいます。

 

その後は定職に就かず過ごし、2011年4月には離れて暮らす長男を包丁で刺して無理心中を図り、失敗。

 

刺されて負傷した長男に家の外に押し戻され、マンションの廊下にいたところを通報を受けて駆けつけた警察に逮捕されることとなりました。

 

 

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谷本盛雄の経歴④ 服役と元嫁への執着

 

出典:https://ja.wikipedia.org/

 

裁判で懲役4年の有罪判決を受けた谷本盛雄は、2011年12月から島根県浜田市にある官民協働の刑務所・島根あさひ社会復帰促進センターに収監されました。

 

同時期に服役していた男性によると、刑務所内で谷本盛雄は「窃盗で捕まった」と嘘をついていたそうです。この男性は「窃盗で刑期4年は長すぎる、なにか隠しているな」と嘘に気づいたとものの、嘘を貫こうと必死な様子が見えたためにあえて追求しなかったといいます。

 

また、谷本盛雄は別の受刑者に以下のような話をしていました。

 

隣の席で職業訓練をしていた別の受刑者・B氏は、谷本が別れた妻への未練を語っていたと証言する。

「谷本に『出所してから何したいんだ』と聞いたところ、『とにかく嫁さんとよりを戻したいんや』と。『ちゃんと話して折り合いをつければいい』と言うと、『そうそううまくいかない。連絡がつかないんや』と弱気で、随分と悩んでいる様子でした」

 

引用:「とにかく嫁さんと…」刑務所仲間が語る大阪放火犯・谷本盛雄の素顔

 

息子を殺害しかけておきながら、妻とよりを戻したがっていたという谷本盛雄。正気の沙汰とは思えない話ですが、それだけ妻や子どもたちへの執着が強かったのでしょう。

 

 

 

谷本盛雄の経歴⑤ 

出所後の生活

 

出典:https://www.youtube.com/

 

刑期満了を待たずに2015年2月に出所した谷本盛雄は、自宅には戻らずに更生保護施設に入りました。

 

更生保護施設で一緒だったという男性は当時の谷本盛雄について、「とにかく口数が少なくて、人付き合いが苦手な様子でした。早く仕事を探さないといけないのに、朝から弁当を作って図書館に入り浸っていましたね。変わった人でした。」と語っていました。

 

また、この男性は「ここを出ても行く場所がない」という谷本盛雄にアパートを紹介して保証人にもなっていましたが、入居して数ヶ月後に何も言わずに出ていってしまったそうです。

 

その後、2017年2月13日に谷本盛雄は大阪市内の行政書士事務所に訪れて「生活保護の書類を作ってほしい」という相談をしていました。この時、担当した行政書士には以下のような話をしていたといいます。

 

「私は長男を刺して刑務所に行っていた人間です。だから、家族には頼れないんですわ。出所して生まれ故郷の大阪に戻ってきたんやけど、就職の面接でええところまで行ってもネットで検索すれば過去の犯罪が出てくる。結局不合格や」

 

引用:預貯金1114円、借金50万円…“大阪放火犯”から相談を受けた行政書士の告白「もしあの時…」

 

更生保護施設を出て就職活動をしたもののうまくいかず、当時の谷本盛雄は1泊1300円の簡易宿泊所を仮の住居にしていました。

 

実は知人に紹介されたアパートも、家賃が払えなくなってひっそり退去していたといいます。

 

アパートの家賃は家族と暮らしていた頃に住んでいた西淀川区の一戸建てを賃貸に出して、その賃料で賄っていたそうです。

 

しかし、毎月7万円ほど入っていたという家賃収入も、2016年の年末に税金の滞納で物件を差し押さえられたことが原因で途絶えてしまいました。

 

行政書士に作成してもらった生活保護申請書類によると、2017年2月時点での谷本盛雄の預貯金は1114円しかなかったうえ、消費者金融に50万円近い借金があったとされます。

 

 

生活保護を断られて

 

出典:https://premium.photo-ac.com/

 

完成した生活保護申請書類を受け取った谷本盛雄は行政書士に書類作成費用の4万5000円をきちんと支払い、さっそく浪速区役所に提出に行きました。

 

しかし、ここまで困窮していたにもかかわらず生活保護は認められなかったといいます。

 

実は谷本盛雄は父親が死んだ際に、大阪市此花区にある文化住宅を相続していました。

 

区役所の担当者は「この家に引っ越せば住む場所は確保できる。それでも厳しいなら此花区で生活保護申請をするように」として、生活保護の申請を受理しなかったのです。

 

この言葉に従って谷本盛雄は此花区の文化住宅に引っ越しますが、この家屋は到底人が住めるような状態ではありませんでした。

 

風呂どころかトイレさえなく、賃貸に出すことも売却することもできないような負の財産だったのです。

 

谷本盛雄は新たに此花区に提出する生活保護申請書類を作成し、それを携えて此花区役所に向かいました。しかし、やはり生活保護は受給できなかったといいます。

 

北新地ビル放火殺人事件の捜査で、当初警察は「目に見えて困窮していたのに、役所が生活保護を断った」と見ていました。

 

ところが実際は、此花区が書類を受理した後でなぜか谷本盛雄本人が申請を取り下げていたのだそうです。

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谷本盛雄の経歴⑥ クリニックに通い始める

 

出典:https://www.youtube.com/

 

谷本盛雄が北新地ビル放火殺人事件の現場となった「働く人の西梅田こころとからだのクリニック」に通い始めたのは、2017年3月からでした。

 

「眠れない」「体が重い」といった相談をしていたらしく、毎月1〜3回ほどの頻度で受診していたといいます。

 

事件を起こすまでは合計112回の診察を受けていたとのことで、主治医は事件で亡くなった西澤院長でした。クリニックのスタッフの話では、谷本盛雄と院長との間にトラブルはなかったそうです。

 

 

 

谷本盛雄の経歴⑦ 困窮から事件へ

 

出典:https://www.youtube.com/

 

どのようにして費用を捻出していたのかは不明ですが、此花区に移り住んでから2021年4月までは谷本盛雄も生活ができていた様子でした。

 

しかし、2021年5月に入ると料金の滞納でガスと電気が止まり、銀行口座の残高も底をついたとされます。

 

この月の23日に、なぜか谷本盛雄はスマホの契約をしていました。電気やガスといったライフラインも止まった状態でどのようにスマホを契約し、毎月の料金を捻出していたのかは明かされていませんが、北新地ビル放火殺人事件の計画を立てるのにもこのスマホを使用していたといいます。

 

入手した翌月からは「働く人の西梅田こころとからだのクリニック」の様子が入念にスマホのメモ機能に入力されていました。

 

最初の記述は6月14日(月)。〈踊り場の扉を開けて寸法を取る〉〈掃除のおばちゃんがいるかを確認する〉と「やるべき下準備」が記されていた。

 人の出入りを観察するなど、具体的な行動に及ぶのは9月から。9月9日(木)は〈20時54分 踊り場ドアが閉まった〉〈21時13分 先生が1階出入口から出てきた〉。

 

引用:「死ぬときくらい注目されたい」…“大阪放火殺人犯”がスマホに残していた緻密すぎる計画

 

メモの日付は木曜日と金曜日に集中していたそうです。毎週金曜の午前中は、このクリニックで「リワークプログラム」という復職を目指す患者のための集まりが開かれていました。

 

実際に放火をした12月17日も金曜日の午前10時過ぎであったことから、谷本盛雄はこのプログラムに参加する患者を狙ったのではないかと思われます。

 

このことに対しては「リワークができた患者に妬みがあったのではないか」「単純に来院者が多い曜日だから狙われたのではないか?」等さまざまな考察がされていますが、谷本盛雄の真意は不明です。

 

なお、このスマホには誰の連絡先も登録しておらず、データを復元してもガス会社や電気会社としか通話記録がなかったそうです。

 

 

 

谷本盛雄の死因と現在

 

出典:https://www.youtube.com/

 

北新地ビル放火殺人事件の後、被害者たちとともに谷本盛雄も心肺停止状態で病院に搬送されていました。

 

大阪市内の病院で人工心肺装置を使うなどの処置を受けて一時的に蘇生したとされますが、脳に酸素が届かない時間が長く続いたために意識が戻らない状態が続き、12月30日19時5分に死亡。死因は蘇生後脳症でした。

 

北新地ビル放火殺人事件の責任については2022年3月16日に容疑者として殺人罪などで書類送検されたものの、死亡で不起訴となっています。

 

死亡後は大阪市立北斎場で火葬されましたが、遺骨の入った骨壷の引手が現れないことから一時期は無縁仏として埋葬されるのではないかと見られていました。

 

しかし、2023年1月になって「谷本盛雄の遺骨が引き取られることになった」との報道がありました。

 

遺骨の引き取り手は親族ではなく、大阪市西成区で生活困窮者の支援をしているメダデ教会の西田好子牧師だといいます。

 

西村牧師は引き取りを申し出た理由について、以下のように話しています。

 

「もし事件前に出会って手を差し伸べていたら、救えたかもしれないという後悔がある。遺骨は教会に安置し、被害者に謝罪するよう毎日声をかけたい」

 

引用:容疑者遺骨、引き取りへ 北新地ビル放火殺人事件

 

 

 

谷本盛雄が起こした火災の現場となった堂島北ビルの現在

 

出典:https://www.youtube.com/

 

北新地ビル放火殺人事件の現場となった堂島北ビル。しばらくは立入禁止の状態が続いていたといいますが、事件から1年が経った2022年の12月には改修工事をしている旨が報じられました。

 

事件当時に入っていたテナントのうち、英会話スクールなどいくつかは新天地での営業を再開しているといいますが、1階に入っていたオーダー紳士服店のダンカン堂島店は、改修後に堂島北ビルに戻る意向だといいます。

 

 

 

谷本盛雄と北新地ビル放火殺人事件についてのまとめ

 

今回は2021年12月17日に発生した北新地ビル放火殺人事件の犯人とされる谷本盛雄の生い立ちや経歴、動機の考察について紹介しました。

 

2017年に生活保護申請の相談に乗った行政書士は谷本盛雄について「自分になにかできたのではないか、悲劇を防げたのではないか」と後悔していると話していました。遺骨引取を申し出た西田牧師も、「生前に会えていれば救えたかもしれない」と語っています。

 

しかし親身に相談に乗り続けた西澤院長が自殺の道連れにされたことを考えるに、別の誰かが被害者になっていただけで拡大自殺そのもの防げなかったのではないか、という印象も受けます。

 

どの段階でどのような助力があれば、谷本盛雄は事件を起こさなかったのでしょうか。被害にあわれた方々のご冥福をお祈りするとともに、類似の事件が起きないことを願います。

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