新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件とは1982年に起きた強盗殺人事件で、犯人不明のまま時効を迎えています。今回は本件の詳細や事件が起きた場所、政治家関与の噂や不気味なネットの書き込みなど真相考察、被害者の現在やその後をまとめます。
この記事の目次
新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件の概要
1982年6月6日、14歳の女子中学生2名が千葉県千葉市横戸町で殺傷されるという事件が起こりました。
事件当時、被害者となった女子中学生たちは家出中で新宿歌舞伎町のディスコやゲームセンターを遊び歩く生活をしていました。その途中で会った男に事件現場まで連れ出されて襲われたと見られていることから、本件は新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件と呼ばれています。
この事件では被害者の女子中学生のうち1名が殺害されおり、1名が軽症で保護されています。
新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件の詳細
新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件の被害者であった女子中学生(A子とB子とする)は、もともと茨城県古河市内の中学校に通っていた同級生でした。
しかし、1981年12月に同居していた祖父が他界したことでA子は母親が暮らす東京都港区白金台3丁目に引っ越すことになり、学校も港区立高松中学校に転校。中学2年生の時に離れ離れになります。
その後、事件が起きる前月の1982年5月にB子がA子の家に遊びに来ていましたが、5月30日からは2人でA子の家を出たきり戻らなくなり、行方不明になっていました。6月4日には心配したA子の母親が、警察に捜索願を出しています。
その頃、2人は東京都足立区の友人の家に泊まっていました。なお、この友人は学校の同級生などではなく、家出中にディスコで知り合った女性だったといいます。
捜索願が出された翌日の6月5日、2人は夜から新宿歌舞伎町に出向き、ディスコや喫茶店などに立ち寄り、ゲームセンター「ゲーム・イン・キガワ」で若い男に声をかけられて一緒に行動するようになります。
そして2人は若い男とともに翌6日の未明に新宿東口のマクドナルドでジュースを飲んだ後、新3丁目の柳通りに停めてあった男の車で、ドライブに出かけました。
2人が男の車に乗ったのは6日の午前4時30分頃で、都内のゲームセンターなどに立ち寄りながら千葉方面に向かったとされます。
A子が殺害される
千葉に向かう車のなかでB子は眠ってしまい、物音がして目が覚めたところでA子がいなくなっていることに気づきます。
目を覚ました時、車は千葉市横戸町に着いており、B子は男から散歩に行かないかと誘われてA子の行方が気になったものの車を降りて着いて行きました。
しばらく歩いたところでB子は突然、後ろから男に頭を殴られ、悲鳴を上げたところを首を絞められて意識を失ってしまいます。
その後、意識を取り戻したB子が花見川サイクリングロードの脇にA子の死体が遺棄されているのを発見。ショックで悲鳴をあげたところ、午前11時50分頃に付近を通りかかった人が何事かと駆けつけて通報したことで事件が発覚、同時にB子は保護されました。
犯人の男はB子が意識を失っている間に事件現場から逃亡しており、被害者を乗せてきた車もなくなっていたとされます。
A子は首とアキレス腱を切られていた
意識を取り戻した後に病院に搬送されたこともあり、B子は打撲などの軽症を負うだけで命に別状はありませんでした。
一方、A子は千葉大学法医学教室による司法解剖の結果、死因は首を切られたことによる失血死であったこと、そして首を切られた後にアキレス腱も切断されていたことが判明します。
さらに検死の結果、A子が殺害された時刻もB子が襲われた時刻も6日の午前8時以前と推定されました。
捜査本部設置から時効成立まで
事件発覚直後に警視庁と千葉県警の合同捜査本部が千葉西署に設置され、捜査が開始されました。
実際に犯行がおこなわれたと見られる千葉県千葉市横戸町1255周辺(現在の千葉市花見川区)は小高い山になっているため近隣に民家もなく、また人通りも少ないことから、事件の目撃情報は期待できない場所でした。
しかし国道16号線から200メートル外れただけありながら人の寄り付かない場所で犯行に及んだことから、警察は犯人は土地勘のある人物だと考え、捜査を続けます。
そして6月9日には、A子が遺棄されていた付近から凶器と思われる刃物が発見されました。
発見されたのは黒いプラスチックの柄のついた、刃渡り10.2センチメートル程度の果物ナイフと空色のビニールホース1本で、犯人はこのホースを用いて被害者2人の首を絞めたものと思われます。また、果物ナイフからはA子と同じ血液型の血液が検出されました。
さらに捜査の過程で、A子の所持品のなかから現金約2万円がなくなっていることがわかり、犯人の男はA子から金を奪おうとしたところで抵抗にあい、殺人に至ったものと考えられました。
その推理を裏付けるように、A子の遺体が遺棄されていた付近には人が押し倒されたような跡ができていたといいます。
一方で犯行前からナイフやホースなどの凶器を車に積んでいたことから、警察は強盗を装った快楽殺人の線でも捜査をしていました。
なお、被害者のアキレス腱が切られていたことから、『処刑戦士』などの作品で同様の描写をしていた小説家の大藪春彦氏が、警察から聴取を受けたという話もあります。
警察は生き残った被害者であるB子の証言を元に犯人の似顔絵を制作し、犯人と被害者らが知り合った歌舞伎町にも多数の捜査員を派遣しましたが、有力な情報は得られませんでした。
また捜査中に、A子が事件前のゴールデンウィークあたりから暴走族と付き合うようになっていたことが判明。事件現場は暴走族のたまり場になっていたことから、暴走族相手のトラブルという線も調べられましたが、事件解決につながる情報は出てきませんでした。
こうして犯人不明のまま、新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件は1997年6月6日に公訴時効を迎えています。
新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件の犯人像
出典:http://dadesigna.blog.fc2.com/
被害者であるB子の証言によると、新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件の犯人には以下のような特徴があったそうです。
・年齢は25歳前後
・身長は170cmほど
・丸顔でパーマヘア
・事件当日の服装は白地に赤い線の入ったシャツに紺色のズボン、サングラス
・自分は大学生だと話していた。(学校名はB子が覚えていなかったため不明)
・訛りがあった
・足跡から靴のサイズは25〜26センチーメートル、アメリカ製のバスケットシューズを履いていた可能性あり
・事件時に乗っていたのは2000ccクラスの4ドアの乗用車(車種不明、スポーツカー風)。色は赤か小豆色で品川ナンバー
ほかにB子は男から、姉と弟がいて現在は姉と2人暮らしであること、犯行に使った車は親が購入したものだということを聞かされたといいます。
なお、B子の証言と同じ色の日産グロリアが事件当時に歌舞伎町や事件現場付近で目撃されていましたが、犯人のものであったのかは不明です。
新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件の真相考察① 犯人は政治家?
新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件の犯人は、政治家の松野頼久氏ではないかと囁かれたことがありました。
松野頼久氏は祖父に参議院議長を務めた松野鶴平氏、父に農林大臣や労働大臣などを歴任した松野頼三を持つエリートで、本人も2009年に鳩山内閣で官房副長官を務めています。
しかし松野頼久氏、若い頃はかなりの遊び人だったようで幼稚舎から慶應に通っていてストレートで慶應義塾大学に入学したにもかかわらず、大学を卒業したのは26歳、政界に入ってからもワイシャツのボタンをホストのように開けたファッションにキツめの香水と、世間からは「問題児の3世」と呼ばれた人物でもあるのです。
また松野一族は、不祥事で話題になることも少なくありませんでした。まず父親の松野頼三氏については1979年に日商岩井から5億円近い政治献金を受けていたことが明らかになり、日米間での軍用機をめぐる汚職事件、ダグラス・グラマン事件に関与したことが判明しています。
そして松野頼久氏本人も2009年に打ち合わせと称して政治資金をクラブなどで使い込んでいたこと、2017年には有償での選挙運動委託をしたとして家宅捜索を受けていました。
このようにたびたび問題を起こしていたことが理由なのか、松野頼久氏にはアンチがついていたようで「慶応生時代の松野氏と、新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件の犯人の似顔絵が似ている」と噂になったことがあったようです。
このことと「被害者の1人は生きていて証言もとれているのに犯人が見つからないのは、警察に圧力がかかっているせいでは?」という疑惑が相まって、犯人は松野頼三氏ではないかと囁かれたのだと思われます。
新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件の真相考察② 不気味な書き込み
また事件から30年以上が経っているにもかかわらず、2ちゃんねるの新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件のスレッドには不気味な書き込みがされていたことも有名です。
521:名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/27(金) 03:56:45 ID:oAP/Gv6i
この被害者の母親が、現在どこに住んでいるかわかる人いますか?
もう62、3歳になっていますねぇ。
上のように何が目的なのか被害者の母親の消息を気にするものや、「もう時効を迎えた事件を掘り返すな。私は擁護されている」という意味の英語の長文の書き込みがあり、スレ住民の間では「これらの意味深なレスは犯人、もしくは事件に関与している人物が書いたのでは」と話題になりました。
また同じスレッドには「(慶応の)三田キャンパスのトイレに『82年の事件の犯人は〇〇』『〇〇自首しろ』という落書きがされていた」という書き込みもされていました。
無関係の人がいたずらで書き込みをしただけの可能性が高いですが、すで時効が成立しているため、面白半分で犯人が自分についての考察がされているスレッドを読みに来ている可能性も否定できません。
新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件の被害者とその現在
事件当時の報道によると、新宿歌舞伎町ディスコナンパ事件の被害者のB子は、自身も殴られた怪我が治っていない状態なのにもかかわらず、サングラスとタオルで顔を隠しながら警察に同行し、歌舞伎町での捜査に協力していたといいます。
また1984年8月に発売された『平凡パンチ』に掲載された「彼等の二年後(前~後)新宿女子中学生殺人事件」という記事では、B子は中学校を出たあとは理美容専門学校に進学し、その後は美容師になったと書かれていました。
同記事内には理美容専門学校にも新宿歌舞伎町ディスコナンパ事件を追う新聞記者などが取材に訪れ、嫌がるB子を級友が守ることもあったと記されています。
亡くなったA子はどんな少女だったのか
新宿歌舞伎町ディスコナンパ事件の被害者のうち、亡くなったA子については事件当時に実名で報道されていました。
A子の本名は落合雅美さんといい、事件当時ウエイトレスをしていたという母親との関係はあまり良くなかったようです。
母親のもとに引っ越してきてからは中学校も不登校になり、1日も登校していなかったとの話もあります。
しかし決して不真面目な性格であったわけではなく、1982年6月7日の中日新聞の朝刊の記事では自分を愛してくれた祖父が他界した悲しみなどを綴ったうえで「私は人生の落ちこぼれかもしれない」と、複雑な心情を吐露する作文を彼女が書いていたことが明かされており、今後の生き方を模索していた最中に悲劇に見舞われたことがわかりました。
新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件のその後① 風営法が改正される
新宿歌舞伎町ディスコナンパ事件のあと、風俗営業法が改正されてディスコの24時以降の営業が禁じられるようになりました。
法改正の前、ディスコは朝まで営業可能であり、被害者らが遊んでいた「1+1」(ワンプラスワン)など一部店舗では、中年以上の大人は入店できない一方で子どもの入場については制限がなく、家出中高生のたまり場になっていたという実態がありました。
新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件のその後② 事件が起きた場所に霊が?
事件現場の近くにある弁天橋には、亡くなったA子の亡霊が出るという噂があります。脚を引きずりながら「助けて…」と近づいてくる女の子の霊が出没するそうです。
現在では弁天橋は「新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件の被害者の霊が出るスポット」として知られており、YouTubeにも上のような動画が多数アップされています。
もちろん本物の霊が映り込んでいるものはありませんが、事件現場は本当に暗くひと気もなく、寂しい場所だったことがわかります。
新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件についてのまとめ
この記事では1982年に発生した未解決事件、新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件についてまとめました。
本件で最も許せないのは、たかが2万円を盗むために中学生に手を出した犯人の男です。しかし少女たち2人の周囲に1人でも話を聞いてくれる大人がいれば、そもそも彼女らが夜の街を徘徊するようなことはなかったのではないかと思います。
せめて生存したB子さんが現在は心安らかな生活を送っていること、そしてA子こと落合雅美さんのご冥福をお祈りします。