北センチネル島はインド洋に浮かぶ孤島で、先住民のセンチネル族は外部との接触を遮断しています。この記事では北センチネル島の地図や場所、人食いなどやばい噂と宣教師殺害事件、やらせ疑惑、ドローン画像、出身芸能人の都市伝説、現在について紹介します。
この記事の目次
- 北センチネル島の概要
- 北センチネル島の場所
- 北センチネル島の先住民・センチネル族
- 北センチネル島の歴史
- 北センチネル島がやばいと言われる理由① 宣教師殺害事件
- 北センチネル島がやばいと言われる理由② 人食い人種ではないかという噂
- 北センチネル島の都市伝説① 一時期は日本の統治下にあった?
- 北センチネル島の都市伝説② 島出身の芸能人がいる?
- 北センチネル島の都市伝説③ 地図にマクドナルドがある?
- 北センチネル島の都市伝説④ センチネル族は女好き
- 北センチネル島はやらせ?何かを隠している?
- 北センチネル島はドローンで空撮できる?
- 北センチネル島の現在
- 北センチネル島で暮らすセンチネル族殲滅作戦が計画される?
- 北センチネル島に行ってみた!ができるゲーム『The sentinel』
- 北センチネル島についてのまとめ
北センチネル島の概要
北センチネル島はインド領のアンダマン諸島に所属する約60km²の未開の島です。センチネル族という独自の文化を持つ住民が、39人から400人程度集まって暮らしていると見られます。
センチネル族は21世紀になってもなお、石器時代のような狩猟と釣りを中心とした生活を営む唯一の部族とされており、外部との接触を遮断していることから詳細な情報はわかっていません。
インドの行政当局は、外部との接触によって感染症が流行すればセンチネル族絶滅の危険もあるとして、法律で北センチネル島への上陸を禁止しています。
また、センチネル族自体も非常に排他的で外部の人間を非常に警戒するため、これまでに上陸を試みた人が襲われる事件なども起きています。
北センチネル島の場所
北センチネル島はインド洋東部のベンガル湾に位置します。
インド領であるものの東南アジアに近い場所にあり、スマトラ島からは約142km、インド半島からは約1200kmほどしか離れていません。
もとは72km²ほどの面積だったとされますが、2004年に発生したスマトラ沖地震の影響で海岸線が変化して現在の姿になりました。
なお、北センチネル島が属するアンダマン諸島は320を超える島々からなり、そのうち26の島はリゾートとして観光客に解放されています。そのため北センチネル島自体も、地理的には決して行くことが困難な場所にあるわけではありません。
しかし、島の周りにはインド海軍が約3マイル(約5.6km)の緩衝地帯を維持しており、ここを超えてセンチネル島に近づくことは禁じられています。
北センチネル島の先住民・センチネル族
センチネル族は大アンダマン族、ジャラワ族、オンゲ族、ションペン族、ニコバル族とともアンダマン諸島に現存する6の先住民族の1つに数えられます。
ただ、ほかの5部族は外部との交流を保っている一方でセンチネル族は部族の外の人間との一切の交流を拒んでおり、1956年以降はインド政府も干渉しないことを表明し、距離を保ち続けてています。
前述のように現在はセンチネル島の周囲には緩衝地帯が設けられており、周辺の海域ではパトロールも行われているため、センチネル族の写真を撮影することも禁じられてきました。
部族の人数も定かではなく、39人と紹介されることもあれば500人近くが暮らしていると紹介されることもあるようです。
なお、センチネル島の面積はニューヨークのマンハッタン島と同程度であり、マンハッタン島の人口が約160万人と報告されていることと比べると、人口密度は極めて低いと言えます。
「センチネル語」という独自の言語を使用しているといわれていますが、同じくアンダマン諸島で暮らす先住民族・ジャラワ族が使うジャワラ語とは重複言語がなく相互に理解不能とのことです。
ほかの言語との共通点も不確定であり、センチネル族以外の民族がセンチネル語を完全に理解するのは不可能とも見られています。
過去に報告されたセンチネル族の特徴
ドイツの地理学者、ハインリヒ・ハラーが1977年に発表したレポートによると、センチネル族を含むアンダマン諸島の先住民族の男性の平均身長は約160cmで、肥満体型の者はいないとのことです。
平均身長が低いのは、アンダマン諸島の先住民族が資源量が著しく制限された場所で生活しているためとも考えられています。
小さな個体の方が代謝量が少なくて済むうえ、性成熟が早いことから、生息域や資源の量が限られる場所では生物学的に個体が矮小化する傾向にあるとされているのです。(島嶼化という)
少ない数で集めって暮らしているため遺伝的な影響を受けやすく、みな似たような身長・体型になるのではないかとの説もあります。
また、干渉しない意向を表明しているインド政府ですが、人口の調査は行なっているとのことで2011年の国勢調査(厳密なものではない)では12人の男性と3人の女声の姿が記録されたと公表しています。
さらに2014年には4歳未満と思われる幼児3人の姿が確認されたそうです。
センチネル族の生活
センチネル族は狩猟採集生活を営んでおり、弓矢を使って陸上の生物を狩ったり、貝などを採取して暮らしていることが確認されています。なお、農業を営んでいる様子は見られていません。
男女とも服装は基本的に裸であり、装飾品として樹皮で作った紐を身に着けています。ほかにネックレスやヘッドバンドなどを着用し、男性のみ腰に短剣を挿しているようです。
住居は4本の柱と、葉で覆われた屋根からなる簡素なものと見られています。
また、センチネル族は武器や道具を作るために金属の価値を高く評価するといい、1974年にナショナル・ジオグラフィック協会の遠征隊がアルミ製の調理器具を置いていった際にはこれを受け取っていました。
彼らは釣りに出る時には手製のカヌーを使用しますが、オールではなく長い棒を推進力にすることが確認されています。
なお、アンダマン諸島の先住民のなかでカヌーを使うのはセンチネル族とオンゲ族だけで、この2つの部族には食文化や身に付ける装飾品などいくつかの共通点が見られるとのことです。
北センチネル島の歴史
センチネル族が誕生したのはおよそ6万年前と考えられており、アフリカから大陸を渡って移住してきた民族が定着したといわれています。
1771年に東インド会社の水路測量船が北センチネル島の海岸で多数の光を観測したことが、島に人が住んでいることが確認された最初の記録とされていますが、この時は上陸まではせず、センチネル族とも接触していません。
1867年10月にはインドの商船が北センチネル沖のサンゴ礁で座礁し、乗員たちが北センチネル島のビーチに避難したところ、鉄製と思われる弓矢で原住民に襲撃されてボートで逃げたという記録が残されています。
また1980年には当時、アンダマン諸島を植民地にしていたイギリスの海軍士官のモーリス・ヴィダル・ポートマンが、センチネル族を調査するために受刑者や友好関係を築いたアンダマン人らを連れて北センチネル島に上陸しました。
武装した人々が上陸してきたのを見たセンチネル族はジャングルに逃げ込んだといいますが、ポートマンは数日間探索を続け、6人のセンチネル族を捕獲。
捕らえられたのは高齢の男性と女性、4人の子どもだったとされ、アンダマン・ニコバル諸島最大の都市であるポートブレアに到着してすぐに男性と女性が死亡し、子どもたちも次々に病気を発症して弱っていきました。
あくまでもセンチネル族と友好関係を結びたかったポートマンは焦り、大量の贈り物を携えて子どもたちを北センチネル島に送り届けたといいます。しかし、この時の出来事が原因でセンチネル族はいっそう外部の人間を警戒するようになったのではないか、とも指摘されています。
1896年にはグレート・アンダマン島の流刑地から脱出した囚人が、北センチネル島のビーチまで逃げ落ちるという事件が起こりましたが、この囚人は流れ着いてすぐにセンチネル族に殺害されたらしく、喉が掻き切られ、矢が刺さった状態で発見されたとのことです。
その後も各国の調査隊などが北センチネル島を訪れましたが、センチネル族は姿を現さないことも多く、また船が近づいてきただけでも警戒して攻撃してくることから、どこの国も友好関係を結べずに時間が過ぎていきました。
インド政府の対応
出典:https://thestrongtraveller.com/
転機が訪れたのは1967年のことで、この年に初めて軍人や探検家ではなく、プロの民俗学者が北センチネル島に上陸したのです。
インド人類学調査所の人類学者T.N.パンディット博士は知事や軍人など20人のメンバーからなる探索隊を編成し、北センチネル島へと向かい、センチネル族に接触せず、脅かすことなく、彼らの暮らしだけを調べて帰りました。
パンディット博士のグループはセンチネル族が木や竹などを使用して道具を作っていること、鋳鉄技術を持っていることなどを確認し、贈り物だけを置いて立ち去ったといいます。
この調査結果を受けてインド政府は、自国が北センチネル島の所有権を明確に主張しなければセンチネル族が説滅においやられるおそれがあると考え、1970年に公式の測量隊を派遣して北センチネル島の外れにインド領であることを示す石板を建てました。
ナショナル・ジオグラフィックの調査隊が上陸
1976年、ナショナル・ジオグラフィックのクルーがパンディット博士を含む人類学者と武装警察を伴って北センチネル島に上陸し、ドキュメンタリー映画『Man in Search of Man』の撮影を決行しました。
彼らはまず、センチネル族を刺激しないようにプラスチック製のミニカーや人形などのおもちゃ、ココナッツ、アルミ製の調理器具、豚などの贈り物を砂の中に残して退散し、離れた場所から様子を窺うことにしました。
しかし、島に近づいた時点でセンチネル族に見つかって矢を射られてしまい、贈り物を置いて退散する前にディレクターが膝を負傷してしまったといいます。
撮影クルーたちが船に帰っていった後、センチネル族は贈り物に近づき、ココナッツとアルミ製の調理器具だけを拾って立ち去ったそうです。
初めての友好的な接触
ナショナル・ジオグラフィックの撮影クルーが上陸した後にもセンチネル族との接触は何度か試みられたものの、矢で攻撃され、退散するケースが続きました。
しかし1991年になって初めて、センチネル族との交流に成功したチームが現れます。
このチームはかねてから北センチネル島を研究していたバンディット博士と、女性人類学者マドゥマラ・チャトパディヤイ博士らからなるインドの人類学者を中心とした編成で、女性が北センチネル島に上陸するのは初の試みでした。
1991年の1月4日に彼らの船が北センチネル島に近づくと、センチネル族は初めて武器を構えずにビーチに現れ、贈り物として用意してきたココナッツを拾い集め、それどころかチームの乗っているヨットに自ら近づいてきたのです。
また、センチネル族の男性がチームに向かって弓矢を構えたところ、仲間の女性が武器を降ろすようなジェスチャーをしたといいます。すると、男性は弓を地面に置いたのだそうです。
武装しない状態でセンチネル族がヨットに向かってきたため、チームのメンバーはこの日、ココナッツを手渡しすることに成功したとされます。
さらに2月24日に同じチームが2回目の調査に訪れたところ、彼らを覚えていたのかセンチネル族はやはり武装せずに姿を見せ、またしてもヨットに近づいてきたのです。
チームが前回と同じようにココナッツを渡したところ、彼らはなんとヨットに乗り込んできて、隠しておいたライフル銃に興味を示したといいます。しかし、チームの人間がセンチネル族の装飾に触れることは拒まれたといい、ビーチよりも奥へ案内されることもありませんでした。
未接触部族として扱われる
その後もインドでは1994年まで北センチネル島への調査訪問が続けられ、ココナッツの木の植樹計画まで持ち上がったそうです。
しかし、調査報告を受けるうちにインド政府は外部の人間と接触を続けることで島には存在しない病原菌が持ち込まれ、センチネル族が絶滅するおそれがあると懸念するようになります。
過去には同じくアンダマン諸島で暮らす先住民のジャワラ族が密猟者などから持ち込まれた麻疹に苦しめられ、絶滅の危機に追いやられたことがあったため、インド政府は少数部族の保護に神経をとがらせていたのです。
また、バンディット博士のチームには非武装で近づいてきていたセンチネル族でしたが、ほかのチームのことは受け付けず、相変わらず排他的な態度を貫いていました。
そのためいずれにしてもバンディット博士がいなければ調査続行も不可能とされ、1996年にはインド政府公認によるセンチネル族の調査は中止となったのです。
2004年のスマトラ沖地震の影響
2004年に発生したスマトラ沖地震の後、インド政府はセンチネル族の安否を確認するためにヘリコプターを飛ばしました。
上空から確認したところ、3箇所に散らばったセンチネル族合計32人の生存が確認されたといい、遺体などは見当たらなかったそうです。そのため、センチネル族は津波の影響をほとんど受けなかったと見られています。
なお、この時にもセンチネル族はヘリコプターに向けて矢を放ってきたといい、この行動は「災害によってコミュニティが大きな被害を受けておらず、また被害から回復している兆候」と判断されました。
北センチネル島がやばいと言われる理由① 宣教師殺害事件
2018年11月17日、北センチネル島に上陸したアメリカ人男性宣教師のジョン・アレン・チャウさん(当時26歳)がセンチネル族によって殺害されるという事件が起こりました。
チャウさんは観光ビザでインドに入国し、金銭を払って漁船に同乗してアンダマン・ニコバル海域に入り、北センチネル島周辺の緩衝地帯に侵入したとされます。
報道によるとチャウさんが北センチネル島付近に到着したのは11月14日のことで、それから上陸の機会を窺い、15日の朝にカヤックに乗り換えて1人で島に向かっていったとのことです。
そして島の周辺をまわりながら「私の名前はジョンといいます」「イエス様はみなさんを愛しています」と叫ぶなどしましたが、現れたセンチネル族が矢を放ってきたために撤退。
午後にも魚などの贈り物を携えて再び北センチネル島に近づき、今度はセンチネル族の少年と接触を図ろうとしましたが、やはり矢を放たれ、この時は運良く携帯していた聖書のおかげで怪我をせずに済んだといいます。
ここで帰っていればよかったものの、宣教師としての使命感からチャウさんは「殺されるかもしれないけれど、イエス様の愛を伝えたい」と覚悟を決めてしまった様子です。
彼が遺した手記には「自分が殺されても、センチネル族の人々を恨まないでください」といった遺書ともとれる文章が綴られていました。
こうして16日の朝にも北センチネル島に単独で上陸したチャウさんは、たちまちセンチネル族の襲撃を受けることとなります。彼を連れてきたという漁師たちは、当時の様子について以下のように話していました。
「チャウさんは矢で襲われた後も歩き続けた。また漁師たちは先住民らがチャウさんの首に縄を巻き付け、体を引きずっていくのを目撃した」
恐ろしくなった漁師たちはすぐさまその場を離れ、翌朝になって戻ってきたところ海岸にチャウさんの遺体が埋められているのを発見したといいます。
なお、見つかった遺体の回収についてはインド当局が試みたものの、センチネル族の襲撃を避けてボートで島に近づくことが困難であったため、最終的に断念されたとのことです。
宣教師殺害事件に対する反応
この宣教師殺害事件については世界中で報道され、ネット上でもさまざまな意見が飛び交いました。
事件で初めてセンチネル族の存在を知る人も多く、「今までどうやって暮らしてきたのだろう」と驚く声も見られました。
ただ、センチネル族に対して野蛮、人殺しといった意見はあまり見られず、「相手の文化を尊重せずに、信仰を押し付けようとする行為は宣教師としてどうなのだろう?」「自分が原因で島で病気が流行ったら、責任をとるつもりだったのか」と、チャウさんの行動を疑問視するコメントが多かったようです。
チャウさんは北センチネル島に近づくに当たり、アンダマン・ニコバル諸島の入境許可を含む観光ビザを持っていたといいますが、緩衝地帯への侵入は禁じられており、観光客に島への上陸許可が降りることはありません。
そのため法律的にも問題があったのはチャウさんという判断になり、彼の上陸を手助けした漁師ら7人は逮捕されたものの、センチネル族は訴追不可能とされています。
宣教師がダーウィン賞にノミネートされる
宣教師のチャウさんはメディアやネットで批判されただけではなく、2018年には「原住民に殺害された自撮りシーカー」として命知らずな行為がダーウィン賞にも選出されました。
ダーウィン賞は普通では考えられないような死因でこの世を去った人に贈られる賞で、「このような死に方をした人間の遺伝子は、後世に残さないほうが世のため」という皮肉をこめてダーウィンの名が冠されています。
北センチネル島がやばいと言われる理由② 人食い人種ではないかという噂
2006年1月27日、2人のインド人漁師がカニの密猟目当てで北センチネル島に近づき、センチネル族に殺害されるという事件が起こりました。
漁師らは夜間に島に近づいたものの、錨が壊れて船が流されてしまい島の浅瀬に漂着したところをセンチネル族に襲われたと見られています。
2人の遺体は海に面して設置された杭の上に、まるでかかしのようにかけられていたといいます。
回収のためにヘリコプターが向かったものの、やはり弓矢で威嚇されたために断念して戻っており、その後遺体がどうなったのかは不明です。
この後に宣教師殺害事件も起きたことや漁師の遺体がどうなったのかわからないことから、センチネル族には人食いの習慣があって、襲った人を食べているのではないかという説が発生したようです。
ただこれは単なる都市伝説であり、個人的嗜好のカニバリズムではなく人種として人食いをする部族は19世紀で絶滅が確認されています。
また、過去の調査でセンチネル族の主食は貝である可能性が高いという結果が発表されているため、襲った人を食べているという説は「理由もなく近づいた人を殺す部族なんているわけがない、なにか目的があるに違いない」という考えから生まれた噂なのでしょう。
北センチネル島の都市伝説① 一時期は日本の統治下にあった?
1942年に日本軍はアンダマン・ニコバル諸島を占拠しており、これは1945年の敗戦まで続きました。
アンダマン諸島に日本軍が上陸していたとなると、戦時下の日本は北センチネル島も占拠していたのではないか?という疑惑が持ち上がりますが、これについては資料がのこっていないこともあり、おそらく上陸していないという見方がされています。
北センチネル島は小さな島で、石炭などの資源があるわけでもないので、日本軍にとっては上陸して原住民を制圧するほど重要な場所ではなかったと考えられます。また、連合国軍が上陸していない島まで占拠する必要もないはずです。
アンダマン諸島のなかでも最大の都市であるポートブレアはイギリス軍の空爆に晒されたという記録が残っていますが、ほかの小さな島については戦時下でどのような扱いを受けたのかほぼ不明となっているのです。
そのため、たとえ直接戦争に巻き込まれなかったとしても、センチネル族の人々も島の上空を爆撃機が飛んでいるのを見かけるくらいのことはあったかもしれません。
北センチネル島の都市伝説② 島出身の芸能人がいる?
一時期、ネット上でタレントの松本伊代さんが北センチネル島出身という噂が流れたことがあります。
当然ながら根も葉もない噂であり、このきっかけとなったのはノンストップラビットというYouTuberが動画内で「日本語が不得手、独自の文化を持つ島出身だから料理も不得手、という芸能人は北センチネル島出身の可能性が高い」として、松本伊代さんが怪しいと言い出したのが始まりでした。
もっとも本気で松本伊代さんが北センチネル島出身だと思っているわけではなく、彼女の代表曲である『センチメンタル・ジャーニー』の歌詞にもどことなく「未開の土地から連れてこられた感」のある意味深なフレーズがある、と指摘してふざけているだけの動画です。
そのそも彼らは「日本が北センチネル島を占拠していた時に、連れてこられたのが伊代さん」と仮定して話をしていますが、松本伊代さんが生まれたのは1956年です。
終戦から10年以上経ち、侵略戦争が禁じられている日本で誕生した彼女が、植民地から無理やり連れてこられた女性というのは都市伝説としてもお粗末と言えるでしょう。
そのため松本伊代さんが北センチネル島と関係があるとの噂を生み出したノンストップラビットのメンバーも、ふざけて話したことがネット上で拡散され、未だに「北センチネル島」とGoogleで検索するとサジェストに「松本伊代」とでてしまうことに困惑しているかもしれません。
北センチネル島の都市伝説③ 地図にマクドナルドがある?
一時期、Googleで北センチネル島を検索すると島の中央付近にマクドナルドの店舗があると表示されることがありました。
北センチネル島には水道も電気もガスも通っていませんから、もちろんこれはいたずらです。たまにこのようにGoogle Mapを編集する人が現れるようで、「HUMAN BBQ」という架空のレストランや、安売りスーパーのウォルマートなどが北センチネル島に表示されたこともあるといいます。
また一時期、アメリカの巨大ネット掲示板のRedditでGoogle Mapの北センチネル島の口コミを勝手に投稿することが流行り、「完璧なリゾート」「長年の夢だったスーパーもできて、文句なし」といったレビューが並び、5つ星がついたこともありました。
北センチネル島の都市伝説④ センチネル族は女好き
センチネル族は女好きという都市伝説は、1991年に初めて彼らと友好的な接触を果たせた際に、女性人類学者のマドゥマラ・チャトパディヤイ博士が調査チームに同行していたことから生まれたものと思われます。
もっともチャトパディヤイ博士は女性がいれば警戒心が薄れるかも、という理由で調査チームに配属されたわけではありません。
それどころか当初は「あんな危険な場所に女性は連れていけない」と反対意見が多く、同行に際して博士は両親とともに「北センチネル島で身体や命に危険を負うことがあっても、政府に補償は求めません」という誓約書を提出していたといいます。
チャトパディヤイ博士本人のインタビューによると、武装を解いてココナッツを拾いに来てくれてもセンチネル族と調査隊の間には緊張感があったといい、とくに部族の女性や子どもは遠くで警戒しているだけで近づこうとしなかったそうです。
そこで博士がほかのアンダマン諸島の先住民から習った言葉で、「ココナッツがあるよ」と話しかけたところ、ようやくヨットに向かってきたとのことです。
チャトパディヤイ博士以外に女性で北センチネル島に近づいた人物は記録されていないため、本当に女性に対してはあまり警戒しないのかは不明です。聞いた覚えのあるような言語を話していたために、安全だと判断しただけかもしれません。
なお、チャトパディヤイ博士は政府公認の調査プロジェクトが中止されて以降は北センチネル島に近づいていないといい「センチネル族に必要なのは、何かをされることではなく、そのまま放っておかれることだと思う」と語っていました。
北センチネル島はやらせ?何かを隠している?
2018年に起きた宣教師殺害事件以降、日本のTV番組でも北センチネル島が取り上げられることが増えてきたことから「あんな島あるわけがない」「センチネル族とかただの仕込みだろ」と、島の存在そのものにやらせ疑惑が浮上したといいます。
北センチネル島は嘘、やらせを訴える人の主張としては以下のような点が怪しいのだそうです。
・未開の島のわりに他の島から近い
・カヌーを作る技術があって近くにほかの島もあるのに、行き来がないのは不自然
・あれほど狭い島、少ない人口でどうやってここまで部族を維持できたのか不明
・武装した警官がいればすぐに制圧できるのに、インド当局が怖がって近づかないのが不自然
造船技術があるのに近隣の島に行かないのは不自然、というのはたしかにその通りです。
過去にはオンゲ族と交流があったのではないかとも考えられていますが、それもオンゲ族が鉄を求めて北センチネル島に上陸した可能性があるとのことで、調べてみてもセンチネル族が周辺の島に出向いた記録というのは残っていないようです。
独自の信仰なり何らかの理由があって移動できる距離を決めているのかもしれませんが、渡航を拒む理由やどうやって人口を維持しているのかについては、きちんとした調査がされない限りは不明のままなのでしょう。
ただ、一番下の理由についてはインド政府の目的が部族の制圧ではなく保護なので、武装して向かえばいいというのは的はずれな指摘といえます。
しかし、仮にやらせで北センチネル島とセンチネル族をでっちあげたとして、誰にどんな得があるというのでしょうか。やらせ派の人の意見を調べたところ、以下のような考察が見つかりました。
49 :風吹けば名無し 2019/12/15(日) 06:01:16.44 7u8K/oCw0.net
絶対麻薬の精製工場とかがあるパターンやろ
未開の地に違法に侵入して麻薬栽培を行なう犯罪者がいる、貧困から麻薬産業が蔓りやすいということはたびたびニュースでも取り上げられる社会問題です。
そのため北センチネル島が麻薬栽培業者に牛耳られているのではないかという指摘も一理あるのですが、北センチネル島はインド政府によって立ち入りが禁じられている場所です。
そこで秘密裏に犯罪行為がされているとなるとインド政府もグルだった、むしろ政府主導で麻薬栽培が行われていたということになりますから、北センチネル島で麻薬を作っているという可能性は低いのではないかと思われます。
北センチネル島はドローンで空撮できる?
YouTubeやTikTokには、北センチネル島をドローンで空撮したという動画が複数投稿されています。
ただ、これらの動画の真贋は不明で、疑わしいものも多数あります。たとえばYouTubeで300万回以上再生されている上の動画などは、「ドローンで見る北センチネル島」と題していますが、映っているのはアマゾンの孤立部族だと思われます。
映像中にわらぶきの小屋が出てくるのですが、これはアマゾンの部族が建てる「マロカ」という建物です。
また動画内に出てくる身体を赤くペイントした部族も、ナショナル・ジオグラフィックの公式チャンネルが投稿している『Tribal Attack』という動画に出てくるアマゾンの部族と酷似しており、あまりセンチネル族とは似ていません。
おそらく、インド政府は北センチネル島のドローン撮影も許可していないと思われます。そのため、ネットにアップされている「ドローンで北センチネル島を撮ってみた」系の動画はフェイクの可能性が高いでしょう。
北センチネル島の現在
2020年に新型コロナウイルスが世界中で大流行を見せ始めた際、8月の時点でインドの陽性者数がアメリカに迫る勢いで増加したことから少数部族の罹患リスクが懸念されました。
実際にセンチネル族と同じく、アンダマン諸島に暮らす先住民族である大アンダマン族は2020年8月下旬の時点で50名あまりの総人口の2割にあたる10名が新型コロナウイルスに感染したといい、ニュースにもなりました。
なお、罹患した10名のうち6名は大都市のポートブレアに出張した履歴があり、翌月には全員無事に回復したとされます。
大アンダマンは、外部との交流がある部族であったために感染症が流行っても大事には至りませんでした。
しかし、島の外の人間と関わっていないセンチネル族にコロナ罹患者が出た場合、病気への免疫をあまり持たないことが予想されるために部族存続も危うくなるのではないかと心配され、インド政府も島に感染症が持ち込まれないように注視していたといいます。
幸いなことに2022年2月時の報道では「北センチネル島はノーコロナ」とあり、センチネル族に新型コロナウイルスは持ち込まれていないことが確認されています。
北センチネル島で暮らすセンチネル族殲滅作戦が計画される?
2021年4月、近づいた人間を殺害していながら罪に問われることがないセンチネル族の扱いに異論を唱える人々が集まり、Facebook上に北センチネル島の殲滅を目的とするコミュニティがつくられました。
このコミュニティ内では「船で近づくのが危険なら、飛行機で北センチネル島に接近して火炎放射器で島ごと焼き払おう」「空から毒を散布すれば一掃できる」等、過激な意見が投稿されたといいます。
当然ながら多くの批判を集めたため、コミュニティはあっさり解散。管理者は「ただのジョークのつもりだった」と言い訳をして新しく「Love Sentinel Island」というコミュニティを立ち上げていました。
北センチネル島に行ってみた!ができるゲーム『The sentinel』
出典:https://store.steampowered.com/
2020年12月に北センチネル島を舞台にしたアクションアドベンチャーゲーム『The sentinel』がsteamでリリースされました。
北センチネル島をモデルにしているとは思えないほど島の文化が発展している、センチネル族が太っていて体格が良い、素手でセンチネル族が襲いかかってきてひたすらチョップをされるなど何を資料に作ったのだろう?と首をひねりたくなるような箇所も多々見られますが、北センチネル島をモチーフにしたゲームは他にないため、貴重と言えるでしょう。
ただバグが多すぎてまともにプレイできないというレビューが続いたせいか、現在は「大型アップデートをする予定」という予告を残してダウンロードできなくなっています。
北センチネル島についてのまとめ
今回は世界で最も危険な島と呼ばれる北センチネル島について、島の歴史ややばいと言われる理由、やらせ疑惑や現在の様子をふくめて紹介しました。
センチネル族のように完全に外部との接触を遮断して生活をしている部族は貴重であり、今後も彼らの方から接触を求めてくる、島の存続が危ぶまれるほどの自然災害が起こる、といった特段の事情がない限りはインド政府が彼らに干渉することはないといいます。
しかし、北センチネル島で暮らす人間については確認できていますが、島固有の動植物なども存在するのでしょうか。とても気になるところですが、北センチネル島の生態系が明らかになることも当分はないのかもしれません。