松岡伸矢君は父母の両親と長女・次男の5人家族でした。
失踪事件の現場は母方の実家、徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)。犯人や事件の真相が未解決であり、北朝鮮による拉致・霊視による予言・瓜二つの和田竜人などが絡まり、事件解明に至らず現在に至ります。
この記事の目次
松岡伸也くん失踪事件とは
『松岡伸也くん失踪事件』は遡る事33年前、1989年(平成元年)3月7日に起こった行方不明事件です。失踪時のあまりの不可解さから、現代に起こった『神隠し事件』とも呼ばれています。
事の始まりは3月5日に母方の祖母が急逝し、葬儀のために茨城県牛久市の実家から急遽「徳島県美馬郡貞光町(現:美馬郡つるぎ町)」に松岡くん一家が帰省したことが発端です。
時系列順に追うと祖母の葬儀が終わった翌日、つまり事件当日3月7日の午前8時ごろ、松岡伸矢くんは父親に連れられ従兄弟・姉・次男の計5人で朝食前の散歩に出かけます。葬儀後松岡くん一家は母方の親戚宅に宿泊していました。
散歩自体は朝食前という事もあり10分ほどで切り上げ、父親は親戚宅玄関から門扉に繋がる石段付近、約10mほどの場所に伸矢君を残し残りの子を母親に預けた後、伸矢君の元に向かおうとします。この石段は階段状で死角がありました。
当初、伸矢君はこの後もっと散歩をしたかったらしく、門扉付近に一人で佇んでいたそうです。次男は幼い乳幼児であり、他の3人の子供たちも松岡くんとほぼ同年代の長女・弟・従兄弟でした。父親は母親に次男を預け、長女・弟・従兄弟の計3名を親戚宅の朝食へ誘導した後、再び散歩に連れてあげようと思い、伸矢君の元に向かいます。それは何気ない日常の一コマでした。
ところが父親が階段を降り散歩を再開しようとしたところ、伸矢君の姿は忽然と消えていたのです。メディアにより時間は前後するのですが、この間はたった20~40秒ほどの出来事と言われています。
地方のため、隣家すらだいぶ離れた場所にある母方の親戚宅です。言葉は悪いですがかなりの田舎であり、山あいの集落。当然人通りは皆無で、何かしら怪しい人物がいれば即座に気付くほど見通しの良い状況です。車の往来も非常に少なく、交通事故などが起こった形跡なども、後に一切なかった事が明らかになっています。
更に現場となった親戚宅は町道の終点付近にあり、外部からの出入りは今までほとんどありませんでした。
家族は当初大事とは思わなかったそうです。しかしいくら探しても全く伸矢君は見つかりません。やがて親類・親戚・地元消防団も加わった大規模な捜索が始まっても、伸矢君の姿は一向に発見できず、遂に発生から約2時間後の午前10時に警察に通報する事態となります。
親戚宅に伸也君が滞在していた情報が外部に知られていなかったことから、捜査の初動は「事件性なし」というものでした。この初動が本事件をさらに難解にしてしまいます。警察は当初、松岡伸也くんが単独で所在不明になった「事故」と判断します。ただ警察の捜索活動自体は迅速でした。
その日の内に徳島県警100人、翌日には200人を大動員し徹底した付近の捜索に当たります。しかし徳島県の山間部、そして片田舎ということもあり、地元の人間以外は散歩コースにはほぼ出入りがありません。不審人物や車などの目撃情報も皆無で、手がかりすら一向に掴めない状況が続くのです。
松岡伸也くんの若干4歳という年齢から見ても、その行動範囲は限られています。ましてや捜索のエキスパートである警察官がのべ200人を動員しても、伸矢君に対する痕跡が全く見つからないという異様な状態が続きます。
また松岡伸也くんは4歳にしてはかなり利発な子で、自分の名前だけでなく、自宅の住所や電話番号等もスラスラと伝えられたそうです。もし自発的にどこかへ行き途方に暮れたのなら、本人が確実に連絡を取れることでしょう。この点も失踪事件(事故)としてはかなり異質です。
そして約3ヶ月間、捜索範囲も徐々に広げ、のべ1400人を動員し伸也君を探し続けました。しかしながら全く手掛かりは見つからず、捜査は打ち切りになってしまいます。
当時は父親が第一容疑者という見解もあり、精神的に非常に追い込まれていたそうです。
行方不明事件発生当初から30年という長い期間をかけて手を尽くしても、松岡伸也くんは一向に発見されず、2022年令和の時代になった現在でも松岡伸矢くんは行方不明のままです。
そして次第にこの事件?あるいは事故?はまことしやかに「神隠し」と噂されるようになるのでした。
松岡伸矢くん失踪事件 ~ 両親である父・母と家族のその後は ~
父親は当初、第一報告者=容疑者と見做され、かなり厳しい取り調べを受けます。もちろん後に潔白ということは明確になります。
その後、本来であれば家族全員そろい茨城県牛久市の自宅へ帰宅予定であった3月16日未明に、親戚宅にある奇妙な電話がかかってきます。電話を受けたのは父親でした。
なぜか徳島なまりの女性からの電話で「ナカハラマリコの母親」と名乗るその人物は「成蹊幼稚園の父兄です。お母様はいらっしゃいますか?」と伸矢くんの母親を呼び出します。すると「幼稚園で見舞金を集めたいんですが、もう戻ってくるんですか、どちらに送ればいいのでしょうか」としつこく尋ねてきました。
成蹊幼稚園は実際に伸矢君の姉が通っている幼稚園でした。
ただ不可解なことに後日幼稚園に尋ねると、ナカハラマリコという人物は在籍どころか関係者内にも存在していなかったのです。
徳島なまりのナカハラマリコがなぜ伸矢君の姉が通園している幼稚園名を知っているのか。また茨城県在住の姉の幼稚園名を知っていたとしてなぜ偽名を使うのか?皆目見当がつかない不可解な出来事でした。
母親が牛久市に戻り成蹊幼稚園に話しを聞くと、見舞金が集められていないどころか話題にすら上がっていないことも明らかになります。
松岡伸也くん家族に近しく、そしてその動向を見張っている者の電話なのでしょうか。いたずら電話や愉快犯の仕業と見るのが至極一般的でしょうが、何とも不気味な後味の悪い話です。
この話には更に不思議な点があります。
親戚宅の電話には「松岡伸也くん失踪事件」が身代金目的の誘拐の可能性も否めず、警察はテープレコーダーを取り付けていました。つまり「ナカハラマリコの母親」という人物の通話内容が全て録音されていたはずなのです。
ところが…警察は事もあろうか「何も録音されていない」の一点貼りで、残された家族へのテープの貸し出しを拒否しました。当たり前に家族の猛抗議を受け貸し出しに至るのですが、女性のが不自然に削除されていたのです。
貸し出しを拒み、その上手掛かりとなる「ナカハラマリコの母親」の肉声を完全に削除した警察の意図は、未だに分かっていません。
捜査打ち切り後も、伸也くんの両親はあらゆる手を尽くし我が子の捜索に当たります。
父親はソフトウェア技術者として勤務していたIT企業を辞職、自営業に転身し我が子を探すための時間を作ります。また父親・母親共に情報提供を求めるため、計50回を超えテレビ番組等へのメディアに出演します。自宅の電話番号さえ公表しました。懸命なビラ配りも率先して行います。
当時はインターネットの普及前であり、テレビの特番などで行方不明者捜索などの番組が盛んに組まれていました。
この様に父親・母親…そして家族を始めとした協力者の方々は、懸命に松岡伸也くんの情報収集に当たるのです。その甲斐もあり後述する情報群が徐々に浮かび上あがります。
しかし決め手となる有力情報には、現在まで至っておりません。
父・母…そして兄弟の尽力もあり、2022年までには数多の目撃談が父・母に対し報告されています。
松岡伸也くんが行方不明となった現場の詳細
松岡伸矢くんが突如として行方不明になった現場は、母方の親戚宅…もう少し詳細を書くと『徳島県美馬郡つるぎ町』当時は『徳島県貞光町』と呼ばれていました。
住所の記載はこれ以上深掘りされていませんが、地元の方の話などを調べてみると『徳島県美馬郡貞光町“平石”(現:美馬郡つるぎ町貞光“平石”)という説が濃厚のようです。
Google MAPで見てみると、かなりの山あいということが明白です。
[googlemaps https://www.google.com/maps/embed?pb=!1m18!1m12!1m3!1d20457.36200534769!2d134.05026898825196!3d34.03770940732987!2m3!1f0!2f0!3f0!3m2!1i1024!2i768!4f13.1!3m3!1m2!1s0x3553cba90fc0a983%3A0x489323266b517acc!2z44CSNzc5LTQxMDIg5b6z5bO255yM576O6aas6YOh44Gk44KL44GO55S66LKe5YWJ5bmz55-z!5e1!3m2!1sja!2sjp!4v1657807048464!5m2!1sja!2sjp&w=600&h=450]
赤枠で囲まれた部分が“平石地区”となります。近年の航空写真なので、30年前の行方不明当初はここまで開発事業は進んでいませんでした。
行方不明となった家屋の構造は冒頭の写真の様に、門扉から高さ10mほどの石段が連なっていました。つまり一度玄関まで次男を預けに行った父親から、伸也くんの姿は完全に死角となります。
更に不可解な事に、伸也くんが行方不明時点になる時点で松岡家の方々が、この親戚宅に滞在中ということは外部の誰にも知られていません。
親戚宅は標高200mほどの山間部にあり居住者も少なく、見知らぬ顔が訪ねてくれば近隣住民は容易に気づくと思いますよね?
ただ当時の“美馬郡つるぎ町”はいわゆる住宅地ではなく、隣家とも数十~数百メートルの距離がありました。
松岡伸矢君失踪事件の真相と犯人像の考察
事件の真相は2通りの見解があります。
一つは松岡伸矢くん自身が父の帰りを待ち切れず、一人で勝手に付近をうろつき迷子になったという説です。
この説にはそもそも論で矛盾が生じます。まずそこまで利発な少年であった伸矢君が、勝手に単独行動…しかも母方の親戚宅と言えど“見知らぬ土地”や“人がかなり少ない山奥”を一人で勝手にうろつくものでしょうか?
その後の約3ヶ月間に渡る捜索で、影も形も残さず、痕跡すらないのも当説を否定する裏付けとなります
もう一つの説が最も有力で『第三者による誘拐・拉致』となります。
実は事件発生当時、現場から100mほど離れた場所で農作業をしていた人物は『車などは一台も見かけなかった』と証言しています。付近にブレーキ痕などの交通事故の形跡も一切なく『何かしらの事故』に巻き込まれた可能性は薄くなります。
自動車を使った“誘拐”や“ひき逃げ”の線は考えにくいでしょう。
そうすれば自ずと人間の手による誘拐・拉致の線が濃厚となるのです。
後述しますが松岡伸也くんは『拉致の可能性を排除できない事案に関わる方々』にも正式に認定しています。若しくは冒頭で説明した徳島県の方言を使う『ナカハラマリコの母親』、あるいは他の誘拐・拉致犯がかかわっているのではないでしょうか?
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=zw93xZYMHeI]
またこの様なセンセーショナルな事件なので、全国各地から目撃談が上がります。中には非常に信憑性が高いものもあり、明確な犯人像ではありませんが、それらの証言を繋ぎ合わせると実に不可解な実態が浮かんできます。
以下真実に近しい証言をまとめてみました。
・1989年5月 主婦の証言
徳島県海部郡日和佐町の弁天浜にて、伸矢君に似た子供を抱き海岸を眺めていた不審な男性が目撃されています。目撃者は徳島県の在住歴が長い主婦で、同県で起こった不可解な失踪事件をよく認知していました。子供の顔を覗き込んで確認しようとしましたが、不審男性は隠すように体勢を変え、白い乗用車に乗って立ち去ってしまいます。
※日和佐は北朝鮮の船が来航する港の一つです。
・1990年4月 主婦の証言
「市内で伸矢くんを見た。まず間違いない」との一報は松岡さん宅に直接寄せられ、すぐにその人物と連絡を取ったのち、松岡伸也くんの父親が直接徳島県警本部に証言を伝えています。
ところが、徳島県警本部からの連絡は一切なく直接尋ねてみると、担当刑事は「父が亡くなり、バタバタしていましたので……」と言い訳をし、ナカハラマリコの録音テープ時同様、警察の怠慢さが明るみにでます。そのため残念ながら進展は一切ありませんでした。
・1990年 匿名通報
「山形米沢市のデパート前で、テレビで見た伸矢くんとそっくりの男の子を見た」という目撃例が発生します。証言を聞いた父・正伸さんは急遽米沢市に向かい、デパート周辺でビラ配りをしたところ「この子なら上杉公園で見た」という貴重な情報を得ることができました。証言によると公園内の売店にいた事が明らかになりますが、こちらも発見には至りません。
・1991年 匿名通報
「四国霊場88ヶ所の第21番目の太龍寺で白装束に身を包んだ5~6歳の少年を連れた親子連れを目撃。男女が連れ添っていたが。両親にしては年が離れすぎていた」母・圭子さんは証言を聞きくとすぐさま、87・88番目の最終地点付近の寺でその3人の姿を待ち続けますが、その親子に出会うことはありませんでした。
・1995年 北海道倶知安町在住のご老人の証言
「伸矢くんと名乗る子供を内地からもらってきたという人を知っている」という証言がありましたが、こちらは全く解決材料にはなりませんでした。
・1997年 横浜市内勤務のOLの証言
「横浜の地下鉄で見た」この証言によると帰宅途中のOLの横に座った少年が「鳥肌のたつほど伸矢くんに似ていた」そうであり、更に少年については「苦労しているようで、身なりも良くなく、手首に巻いてある包帯から傷が見えたので気になった」といいます。心配になったOLは少年に声をかけると「おじさんにいじめられる」という話を少年から聞き出します。OLは「困ったことがあったら、お姉さんに電話して」と電話番号を渡し、その後1度だけ電話があったが、手がかりにはならなかった。その後1ヶ月も経たない内にこのOLは家庭の事情で渡米しているそうです。
・1998年 中国地方にあるレンタルビデオ店店員
「手首に傷のある男の子で、現在の伸矢くんの想像写真にそっくりの少年が、『タイタニック』のポスターを買っていった。少年は店の出入り口付近で、まるで監視しているかのように立っているヤクザ風の男に『タイタニック』のポストカードを見せ、”これでいいの?”といった感じで確認した後、レジに来た」応対した店員はすぐに店長に報告し、店長は表通りに2人の姿を捜しに走って行きましたが既にその姿はなく、改めて警察に通報したそうです。その後の手掛かりはありません。
この他にも多数の目撃例がありますが、あやふやなものや茶化す内容の愉快犯さえ加わります。その数は膨大なものに膨れ上がりました。
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=2SXz30v9-qw]
事件の真相・犯人像の考察ですが、犯人側から身代金の要求は一切ないので、まず身代金目的の誘拐事件ではないでしょう。親戚宅に警察がテープレコーダーまで設置して置きながら、身代金で脅すような電話は一切かかってこなかったからです。
そして誤認や冷やかしもあるでしょうが、これほど全国各地から『松岡伸矢くん』に関する目撃情報があり、事件の認知度が高いにも関わらず、仮に国内に誘拐犯が彼と共に滞在している可能性がぬぐえきれないのは何故か…
それは後述する隣国の拉致・及び洗脳の可能性もあるのでは?とまことしやかに語られています。
松岡伸也くんは北朝鮮による特定失踪者になったのか
出典:https://www.pref.tokushima.lg.jp/
徳島県では日本海に面した地理的状況から、昔から北朝鮮による『拉致者』が頻発する地帯といわれています。
上記画像にもある様に「徳島県の公式HP」においても『拉致の可能性のある方々の情報提供のお願い』というページがあるほどです。このページをスクロールしていくと驚くべき事実が閲覧できるのです。
出典:https://www.pref.tokushima.lg.jp/
そう、件の松岡伸也くんも記載されているのです。画像がやや不鮮明ですので抜粋すると…
失踪状況 前日3月6日、両親と共に徳島県小松島市で祖母の葬式に出席。その夜は親戚宅で就寝。朝起きて8時15分頃、父・姉・弟・従姉妹と親戚宅前を数分散歩。玄関から入ってこなかったので、父は抱いていた弟を家の中の母に渡し、すぐに玄関先に出てみたが、そこにいたはずなのにいなくなっていた。すぐに家族で手分けして探し、昼過ぎには警察に通報し、警察犬も出動。警察・消防・地元市民による大規模な山狩りもしたが消息不明。3月15日頃夜、親戚宅にいる母親宛に徳島弁の女性から不審な電話があった。13年間テレビ番組などを通じ探したが手がかりなし。また平成元年4月の終わりか5月の終わりに徳島県海部郡日和佐(現美波)町の弁天浜の岸壁で伸矢君によく似た子供を抱いて海を見ていた不審な男性を目撃したという情報がある。日和佐は北朝鮮の船が来航する港の一つ。
引用:徳島県HP
という文章であり公的には、あくまで『特定失踪者』ではなく『特定失踪者の“疑いがある”』という表現に感じます。しかし『特定失踪者問題調査委員会』では明らかに『特定失踪者』として認定されていました。
つまり、松岡伸也くんは北朝鮮による拉致被害者という可能性が否めない、ということになります。
松岡伸也くん失踪事件は霊視された?
失踪事件が長引くとメディアなどで度々行われるのが超能力を用いた「透視」「霊視」です。一概に否定はできませんが、本件の場合はメディアはメディアでもテレビ番組などではなく、とある一冊の書籍なんです。
ややこじつけに近い部分もあり、著者自体も松岡伸也くんには言及していないので、あくまで都市伝説に限りなく近い類の話として読んで下さい。
出典:https://books.rakuten.co.jp/
霊視したとされる霊能力者は“下ヨシ子”と呼ばれる人物です。なぜ?この書籍が一躍話題になったかというと…後述の「和田竜人」氏の、未解決事件TV番組出演と書籍の中の一文が、見事に合致したからです。
その書籍の一文を覗いてみましょう…
出典:https://books.rakuten.co.jp/
やや小さい画像なので引用文で表記します。
「世間を騒がせた迷宮入り事件が解決することも」
子供に関しては、特に小さいお子さんの場合ですが。ちょっと目を離したすきに連れ去られたり、すれ違いざまに暴力を振るわれたり、あるいは勝手に子供がどこかに行ってしまい大騒ぎになるといったイメージが浮かんでいます……
引用元:下ヨシ子著「2017年あなたの流生命」
幸か不幸か?この直後の2018年元日特番で、世間を騒がせた「和田竜人」氏が登場し、世間やネットを巻き込み「遂に事件解決か?」という大論争を巻き起こすのです。
このため下ヨシ子さんの一文は後に大注目を浴びるのです。
松岡伸也くんにそっくり!世間を騒がせた「和田竜人」とは何者なのか
ここで本事件の最大のお騒がせ事件…もとい分水嶺になる出来事が起こります。
それは2018年1月「緊急!公開大捜索’18春(TBS系列)」として放送された、昔ながらの公開大捜査番組内での出来事です。
本番組には何と!松岡伸矢くんに瓜二つの青年『和田竜人』と名乗る人物が登場し、お茶の間を震撼させます。その和田竜人さんの顔写真がこちらです。
「緊急!公開大捜索’18春」に出演している和田竜人さんが、松岡伸矢くん行方不明事件の当事者にしか思えない。
和田さんと松岡伸矢くんのお父さん、似てるよなぁ?
”おじさん”に誘拐されてたのかな?なんの目的だったんだろ?
とりあえず、和田さんの身元が判明するといいな。#和田竜人 #松岡伸矢 pic.twitter.com/hpOoGXkgFS
— 相沢夏帆➡森下美怜ちゃん推し! (@fudita_1) January 31, 2018
https://platform.twitter.com/widgets.js
確かに幼いころの面影と、父親に似ている点が見受けられます。しかも和田竜人さんは以下のような事情を抱えていました。
和田竜人さんは現在、便利屋さんで働いて生計を立てており、主に力仕事が多い。発見された当初は、とても運動できない状態だったが、今では洗濯機を一人で運べるほどになった。身元を示すものがないので、部屋は借りられない。和田竜人さんは自立支援センターの個室で暮らしており、GReeeeNの「桜color」を聴くなどして過ごしている。また、ワープロ検定2級を取得した。
和田竜人さんは17年間、軟禁されていたという。
引用元:「緊急!公開大捜索’18春(TBS系列)」
もちろん平成元年に比べDNA鑑定は30年余りの期間を経て、飛躍的に進化しています。しかも父親も真相の解明に乗り出し、遂に徳島県警主導の元2人のDNA鑑定が実施されます。
誰もが長年未解決だった事件解明の真相を期待したのですが…
松岡正伸さんのFBから
29年前に徳島で行方不明になった松岡伸矢さんの件について、DNA鑑定の結果、親子関係が認められず、つまり松岡伸矢くんではないことが警察側から連絡があったようです。残念な結果です。 pic.twitter.com/0LbsRHV7T3— オムレツ☆パンチ2勝2敗m(_ _)m (@hitananase7) February 6, 2018
https://platform.twitter.com/widgets.js
結果は親子関係不一致、つまり赤の他人でした。
そしてこの和田竜人氏には後に様々な“やらせ?”と思われる疑惑が浮上します。
徳島県警が一転して両親のDNA採取を、別の有力情報が出たために見送るとしたが、その有力情報とは、和田竜人さんは三重県四日市市の元コンビニ店員でAKBマニアのキタザワヒサシ(北沢尚)さんである可能性が高い。#身元不明者 #公開大捜索 #和田竜人 pic.twitter.com/h92wrRmX18
— ビンタン (@miroku203) February 3, 2018
https://platform.twitter.com/widgets.js
それは和田竜人と名乗る人物が番組放送直前まで、三重県四日市市の某コンビニ店で働いていたという証言。そして読売テレビの番組「情報ライブ ミヤネ屋」で数十万円をAKBに使った熱狂的ファンと瓜二つだったことです。
いかがでしょう?真偽のほどは確かではなく、和田竜人と名乗る人物はその後実父が名乗り出て、松岡伸也くんとは全くの別人ということが判明しています。
本当に何かしらの事情があり、運よく実父が現れた…そんな結末なら良いのですが、この騒動は何とも後味の悪い印象を世間に与えてしまいました
松岡伸矢くん失踪事件の現在
忽然と姿を消した松岡伸矢くん。生きていれば現在37歳、どこで何をしているのでしょうか?
北朝鮮による特定失踪者のリストにも載っており、真実は未だ混沌としています。
松岡伸也くんの失踪についての有力情報は、33年が経過した今でも徳島県警が情報提供を募っているのが現状です。
出典:https://www.police.pref.tokushima.jp/
平成の日本で「神隠し」そして仮にですが「死亡」しているとなれば、確実に亡骸が見つかるはずであり、そもそも神隠し自体ありえません。
残念ながら33年間もの必死の捜索にもかかわらず、未だ松岡伸矢くんは発見に至っていません。
まとめ
今回は30年余りに渡りその所在が分からない『松岡伸矢くん失踪事件』をフォーカスしました。
徳島の山奥の片田舎、いくら死角があったとは言え、ものの数十秒で4歳児が忽然と姿を消すという「平成の神隠し事件」です。
しかしながら必ず事件には要因があります。それが北朝鮮による拉致なのか?はたまた誘拐事件なのか?それとも他の何らかの要因が絡んでいるのか?悔しいですが現状では全く手掛かりが皆無です。
この記事を読み何かしらの心当たりがある方、これから訝しい現場を目撃する方もいるかもしれません。そういった方は是非、徳島県警の方に情報を寄せて下さい。