ホテル川久は南紀白浜に位置するホテルで、全室オーシャンビューの豪華な客室や王様のビュッフェで人気を博しています。この記事ではホテル川久の歴史や創業者、過去の事件や幽霊や心霊現象が起きるという噂の真相、現在について紹介していきます。
この記事の目次
ホテル川久の概要と場所
ホテル川久は和歌山県西牟婁郡白浜町3745に位置するホテルで、南紀白浜空港、JR白浜駅から車で10分ほどで到着します。
特徴はなんと言っても贅を尽くした外観と内装。ヨーロッパやイスラム、中国、そして日本とさまざまな国の建築美を取り入れた外観は「夢の城」とまで称されています。
内装もエントランスには1本1億円という柱が24本並び、天井は一面金箔張り、床は一面1cm角のローマンモザイクタイルで幾何学模様が描かれるなど豪華絢爛そのもので、建築界に感銘を与えた建築作品に贈られる「村野藤吾賞」も受賞した名建築です。
出典:http://www.hotel-kawakyu.jp/
客室はすべて田辺湾の絶景を臨むオーシャンビュー、全客室がスイートルーム仕様で部屋の広さも60~274m²という贅沢な設えでありながら、オフシーズンであれば1泊5万円以下で宿泊できるという点も話題となっています。
また、ミナミイセエビや黒毛和牛のステーキなどが供される王様のビュッフェも好評で、食事と入浴を目的とした日帰りプランも人気を博しています。
ホテル川久の歴史と創業者
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周囲の土産物店や温泉旅館と雰囲気がまったく異なるため、ホテル川久は近年になって建設された建造物、バブル期に建てられたホテルという印象を受けます。
しかしその歴史は意外に長く、もともとは大正の終わり頃から昭和の初め頃に開業したとされる「河久」という老舗旅館がルーツとのことです。
「河久」の創業者は大阪船場で商人をしていた河内屋久兵衛(かわちやきゅうべえ)という人物で、自分の苗字と名前から1文字ずつ取って屋号としていました。
この「河久」に川久の創業者となる安間千之(やすまかつじ)氏が訪れたことがきっかけとなり、現在のホテル川久が生まれたといいます。
第二次世界大戦が勃発する前、新婚旅行で「河久」に宿泊した安間氏は、いたくこの老舗旅館を気に入り「いつか、この旅館を買い取らせてほしい」として支度金500円(現在の価値では200万円相当)を置いて行ったそうです。
しかし、ほどなくして戦争が始まると「河久」は陸軍に収容され、終戦直後の1946年には昭和南海地震に見舞われて旅館として機能しないような状態になってしまいました。
そのため河内屋氏は泣く泣く「河久」の廃業を決意。しかし、そこで支度金まで置いていった安間氏の存在を思い出し、安間氏に連絡を取ることにしたのです。
こうしてボロボロになってしまった「河久」を安間氏が買い取り、1949年の9月には「旅館川久」が開業したといいます。
経営不振から「天皇ゆかりの宿」へ
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しかし、開業当初の旅館川久はなかなか宿泊客が訪れず、経営不振からあっという間に廃業寸前にまで陥っていたそうです。
そんな折、たまたま皇族が使っていたという金の馬車が競売に出されたという報せを聞いた安間氏が「これを使って広告をうとう」と思い立ち、借金をして馬車を購入。
そして豪華な金の馬車に「南紀白浜温泉 旅館川久」という屋号を入れて大阪の街中を走り回って宣伝し、ホテルと白浜駅間の送迎にも金の馬車を使うなどして一気に話題を集めたのです。
さらにこの馬車での宣伝が功を奏し、1971年に和歌山県内で黒潮国体が開催された際には天皇陛下が旅館川久にご宿泊されることに。
こうして「天皇がお泊りになった老舗旅館」として一躍有名になり、全国から宿泊客が訪れるようになったのです。
1989年に現在の姿になる
出典:https://www.museum-kawakyu.jp/
純和風の温泉旅館であった川久が、現在のお城のような姿になったのは1989年のことでした。創業者の安間氏の息子である2代目社長と、社長の妹であるマダム・ホリの意向で全面建て替えが計画されたのです。
建て替えは「世界の数奇屋」をテーマに進められ、建築家の永田祐三氏が設計を担当。建設も大手のゼネコンに一任するのではなく、世界のどこにもない歴史に残る建造物を造ることを目標に、2代目らが職人の元を訪れて個別に依頼を出すという熱の入れようだったといいます。
外壁に使われている瓦ひとつとっても、紫禁城に瓦を納めてきた窯「瑠璃青磚廠」に21回も出向いて頭を下げ続けて、特別に焼いてもらったという逸話を持ちます。
「瑠璃青磚廠」が47万枚もの瓦を中国国外に輸出したことは、歴史上例を見ないことだそうです。
ほかにも洋宴会場にはホール一面にイタリアの画伯ジョルジオ・チェリベルティの天井画が描かれ、エレベーターの床にも寄木細工が施されていたりと、そこここに凝った意匠が散りばめられています。
当初は建て替えに180億円から200億円を計上していたそうですが、最終的には400億円を越す予算が出たとの話があるほどです。
会長職に就任していた創業者と、2代目社長は建築については妹のマダム・ホリと永田氏に任せていたといいます。そのために予算が大幅にオーバーし、次項で紹介する事件が発生してしまうのでした。
ホテル川久を襲った事件
こうして1991年には新生ホテル川久が開業したのですが、当時は現在のように誰でもが泊まれる宿泊施設ではありませんでした。
当時のホテル川久は完全会員制の施設で個人会員権は2000万円〜、法人会員権は6000万円〜となっており、宿泊できるのは会員権の保有者か会員からの紹介がある人のみだったのです。
いくらバブル景気の絶頂期とはいえ、和歌山県にある宿泊施設の会員権にそこまでの大金を出す人は多くはなかったようです。
そのため400億円も投じて建て替えたにもかかわらず、1995年にはホテル川久は倒産に追い込まれてしまいました。
倒産時には負債総額は402億円に膨れ上がっており、1991年のリニューアルオープンから倒産までの間は、宿泊稼働率が20%を越すことさえなかったといいます。
当初の経営者たちの目論見では会員権は最低でも1900口は売れ、これで建て替えにかかった費用も回収可能という算段だったそうです。しかし、実際に売れた会員権は約5年の間に431口であり、どうやっても負債を返す目処が立ちませんでした。
経営元の株式会社川久が倒産した後、ホテル川久の建物は競売にかけられて、1999年4月にはカラカミ観光株式会社(現在のKarakami HOTELS&RESORTS株式会社)が買収。翌月の5月からは現在のように誰でも宿泊できるホテルとして、営業再開となりました。
なお、カラカミ観光株式会社は約30億円でホテル川久を買い取ったとされます。バブル崩壊の不景気の影響もあり、建て替えにかかった10分の1以下の金額でしか買い手がつかなかったのです。
社運を賭け、巨額を投じた建て替えからあっという間の倒産という流れは、高度経済成長期の追い風を受けて財を築いた川久創業者一族を襲った一大事件でした。
ホテル川久の現在① 幽霊が出る?心霊現象が起きるという噂
出典:https://www.museum-kawakyu.jp/
現在の感覚では到底理解できないような金額を投じて建てられたことから、ホテル川久は「バブル時代の遺産」と呼ばれています。
営業中であるため遺産と呼ぶのは少し違う気もしますが、同様にバブル期に巨額を費やし、贅を尽くして建てたもののあっという間に経営が傾いたホテルは全国に数多くあり、なかには買い手がつかないまま廃墟化したものも存在します。
そのような廃墟化した元豪華ホテル、リゾートホテルのなかには熊本県の卑弥呼の里のように心霊現象の噂がつきまとう場所も少なくありません。
そのためホテル川久も幽霊が出るのではないか?心霊現象が起きるのではないか?と気にする方がいるようで、Googleのサジェストにも「ホテル川久 幽霊」というものが出てきます。
しかし、ホテル川久では前述の倒産以外に大きな事故や事件が起きたという記録もなく、債権者の銀行が経営をした後にカラカミ観光が買い取ったために廃墟化していた時期というのも存在しません。
もちろん倒産したホテルを舞台にした怪談でよくあるような「経営者が首を吊って自殺したため、夜な夜なホテル内に経営者の霊が現れる」という話もありません。
実際に泊まった人の口コミやブログ、SNSの投稿を調べても「川久ホテルで幽霊を見た」というものは1つも見つかりませんでした。強いて言うのなら「部屋が広すぎて夜中にトイレに行くのが怖かった」「内装が異世界過ぎて落ち着かない」といったような口コミが見られた程度です。
どうやら「過去に倒産しているバブルの遺産」というイメージから心霊現象が起きる、幽霊が出る、という印象を持たれてしまっただけで、ホテル川久では心霊現象は起こらない様子です。
ホテル川久の現在② 王様のビュッフェが話題に
出典:http://www.hotel-kawakyu.jp/
川久ホテルでは高級食材をふんだんに使用した王様のビュッフェが好評で、宿泊せずにランチタイムに王様のビュッフェとサロン、スパのみ予約することも可能です。また、夏にはサマーアクティビティとして「王様のBBQ」が開催されています。
ビュッフェ目的で日帰りで訪れる場合、ドレスコードはあるのか、避けたほうがいい服装はあるのかと気にされる方も多いようですが、現在は会員制のホテルではないため特別なドレスコードは設けられていないとのこと。
宿泊客も日帰り客も、清潔感のあるカジュアルウェアの方が多い様子です。
値段も比較的リーズナブルで、日にちによっては 大人 6,050円、小学生までの子ども3,000円 で王様のビュッフェが楽しめます。
ホテル川久の現在③ 炎上事件が起きた?最悪という口コミの真相
ホテル川久では、直近で炎上沙汰が起きていました。
といっても、ホテル側が利用客に対して失礼なことをした、従業員が問題を起こしたというものではありません。
不登校YouTuberことゆたぼんがホテル川久を訪れ、未成年者なのにもかかわらず館内にあるカフェ「Musee」で提供されているブランデーのかかったアイス、「アルマニャック100年のくちどけ」を食べる動画をアップしたことが批判を呼んだのです。
出典:http://www.anige-sokuhouvip.com/
動画が公開されたのは2022年10月11日のことで、翌日には視聴者からの通報を受けたYouTube側がガイドライン違反として、該当の動画は削除されています。
炎上直後には「未成年者が口にするとわかっていてアルコール度数40ものブランデーがかかったアイスを提供したのなら、ホテル側にも問題があるのではないか?」「このスイーツは未成年者には提供できないとメニューに書いてあるのに提供したのなら、川久も未成年飲酒禁酒法違反だ」とホテル川久にまで批判の矛先が向いてしまいました。
そしてその影響で、ホテル川久の口コミには「非常識」「最悪」といったレビューが数多く寄せられてしまったのです。
これについてホテル川久は『週刊女性PRIME』の取材に対して「未成年者には提供しませんが、未成年者を連れた保護者の方などが注文した場合には提供しております」と回答。
同席していた父親の中村幸也氏と支援者のそうまん氏が口にするのだろうと考えて提供しただけで、周囲の大人が13歳のゆたぼんに食べさせるつもりで頼んだとは思いもしなかったと説明していました。
その後も未成年飲酒禁酒法違反に問われていないことから、ホテル川久側は本当に炎上事件とは関係なく、とばっちりで酷い口コミを投稿され、業務妨害にあってしまったことが明らかになっています。
ホテル川久についてのまとめ
今回は和歌山県の南紀白浜にあるホテル川久について、歴史や倒産、現在に至るまでの流れ、幽霊や心霊現象の噂や炎上事件などをふくめて紹介しました。
400億円もの巨額を投じて建てられたというホテル川久ですが、現在、職人やアーティストを集めて同じ建物を造ろうとすると、1,000億円は下らないと言われるほど価値があるのだといいます。ほかには見ないような独特な世界観のホテルなので、一度は泊まってみたいですね。