宮崎勤の生い立ち&父親と母親など家族!事件と最後の言葉・一族の末路も総まとめ

宮崎勤は日本中を震撼させた東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人で、2008年に死刑執行済みです。この記事では宮崎勤の生い立ち、実家や父親、母親、妹などの家族関係、経歴、結婚の有無、犯行動機、最後の言葉、一族の現在や末路をまとめて紹介します。

宮崎勤が起こした東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の概要まとめ

 

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1988年8月22日、埼玉県入間市内で当時4歳の少女・今野真理さんが行方不明になるという事件が発生しました。

 

両親からの通報を受け、23日から埼玉県警が真理さんの捜索を始めますが、誘拐だとしても犯人からの身代金要求などの連絡もなく、遺体も見つからず、足取りがまったくわからないまま時間が流れてしまいます。

 

その後、10月3日には同じく埼玉県の飯能市内で当時7歳の吉沢正美さんも忽然と姿を消し、12月9日には川越市内で難波絵梨花さんが姿を消すという女児の行方不明が立て続けに発生。

 

埼玉県警は、一連の行方不明事件は同一犯による誘拐の疑いが強いと見て捜査を続けました。

 

しかし、12月15日になって事件は急展開を迎えます。前の週から行方がわからなくなっていた絵梨花さんの遺体が、埼玉県名栗村の雑木林から発見されたのです。

 

警察は連続誘拐から連続誘拐殺人に容疑を変えていっそう捜査に力を入れましたが、翌1989年2月6日に最初に行方不明になった真理さんの自宅前に、人骨と人の歯が入ったダンボールが置かれているのが見つかります。

 

そして鑑定によって、歯は真理さんのものだと判明。2月10日と11日には「今田勇子」を名乗る人物から真理さんの両親と朝日新聞東京本社宛に手紙が届きます。

 

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今田勇子と名乗る人物は犯人しか知り得ないような情報を手紙に綴り、さらに誘拐後に撮影したと思われる真理さんの写真も同封して送りつけていました。

 

そのため警察はこの人物が一連の事件の犯人と見て捜査をしますが、犯人に辿り着く前に新しい被害者が出てしまうのです。

 

6月6日、東京都江東区にある東雲団地から野本綾子さんが姿を消すという事件が発生。6月11日に飯能市内の霊園から頭部と両手と両足首が切断された女児の遺体が見つかり、鑑定の結果、この遺体が綾子さんにものと判明します。

 

 

犯人は別件で逮捕されていた宮崎勤だった

 

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綾子さんの遺体が発見された翌月の1989年7月23日、東京都八王子市美山町で女児に対する強制わいせつで26歳の男が逮捕されます。

 

この男こそが連続幼女誘拐殺人事件の犯人・宮崎勤だったのです。

 

宮崎勤は言葉巧みに女児を誘い出し、裸にして写真を撮るなどしていたところを女児の父親に見つかり、警察に突き出されたのだといいます。

 

当初、取り調べをした八王子所の刑事も宮崎勤が連続幼女誘拐殺人事件の犯人だとはまったく思っていなかったそうです。

 

しかし、強制わいせつ事件で逮捕された際に押収された宮崎の車から血液反応が出ていたこと、シートの下にビニール紐と軍手が隠してあったことを不審に思った刑事が問い詰め、綾子さん殺害の自供を得ます。

 

そして8月10日には自供どおりに奥多摩町の山から綾子さんの頭蓋骨が発見されたことから、宮崎は未成年誘拐、殺人、死体遺棄の容疑で再逮捕されることとなったのです。

 

その後、当初は否認していた真理さん、正美さん、絵梨花さんの誘拐および殺害についても自供を始めたため、宮崎はこれらの件でも再逮捕されます。

 

こうして1988年から1989年にかけて日本全体を恐怖に陥れた連続幼女誘拐殺人事件が解決したのでした。

 

 

オタク文化への偏見とバッシング

 

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宮崎勤が逮捕されると彼の部屋の写真が大々的に報じられるようになり、所狭しと積まれたビデオや漫画、アニメ雑誌などがクローズアップされました。

 

そしてアニメや漫画が趣味の人間は宮崎勤のような犯罪者予備軍だ、という偏見がメディアを通して広まってしまったのです。

 

2017年10月に放送された『衝撃スクープSP 30年目の真実 ~東京・埼玉連続幼女誘拐殺人犯・宮崎勤の肉声~』などの番組や書籍などによって、今では「宮崎勤の部屋には犯罪に結びつくようなロリコンアニメ、スプラッターもののビデオは10本ほどしかなく、ビデオの大半が人気のドラマやバラエティ番組、トーク番組などだった」という事実が知られるようになってきました。

 

しかし、宮崎の逮捕当時はオタクだから犯罪者になった、オタクはみんな犯罪者になり得る存在だと言わんばかりの報道がされていたのです。

 

現在でも宮崎逮捕後に行われた同人誌即売会・コミックマーケット36というイベントにマスコミが押しかけ、そこにいただけのアニメや漫画の愛好家たちを「10万人の宮崎勤」という蔑称で表現したという話がたびたびネットで話題になっています。(本当に「10万人の宮崎勤」という表現があったのかは不明)。

 

 

 

宮崎勤の生い立ち① 生まれと障がい

 

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宮崎勤は1962年8月21日に東京都五日市町大和田(現在のあきる野市大和田)で、地域新聞会社「秋川新聞社」を経営する両親のもとに生まれました。

 

家族構成は祖父、祖母、両親、妹二人の7人で、宮崎家は曽祖父が村会議員、祖父が町会議員をそれぞれ務めた経験があるという地元の名士でした。

 

経済的には恵まれた環境でしたが、両親は仕事に追われる日々であったため幼年期の宮崎の世話や家事などは住み込みで働いていた男性が引き受けていたといいます。

 

また、同居していた祖父は大人しく、引っ込み思案な性格であった宮崎のことを気にかけ、ことさらに可愛がっていたそうです。

 

近所の住民からも「小さい頃は本当に可愛らしい子で、素直ないい子だったんですよ。普通の男の子という印象しかないです」との証言が出ています。

 

一方、宮崎は幼少期に「両側先天性橈尺骨癒合症」という珍しい病気に罹患し、手首を回せない、掌を上に向けられないという障がいを持つこととなります。

 

両親は手術も考えましたが、主治医からは「症例が少なすぎて手術が成功する確立は低い。手術をするにしても、もう少し成長してからのほうが安全だ」と言われてしまい、幼少期での手術を断念。

 

しかし、手首が動かないという珍しい障がいは幼稚園でもからかいの対象になってしまい、お遊戯会などで自分だけうまく手を回せないことから宮崎は劣等感に苛まれるようになります。

 

せめて先生がからかいやいじめに繋がらないような配慮をしていればよかったのですが、周囲の大人は何も言ってくれなかったとのことで、宮崎は幼年期を振り返って「非常に辛かった」と話していました。

 

 

 

宮崎勤の生い立ち② 小学校・中学校時代

 

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地元の公立小学校に入学した宮崎は、同級生から「怪獣博士」と呼ばれるほど特撮の怪獣にハマるようになったといいます。

 

しかし、怪獣の知識で友達を作るようなことはなく、依然としておとなしく目立たない印象の少年でした。

 

宮崎本人によると成績は良く、とくに算数が得意だったといいますが国語と社会科が苦手で、中学も地元の五日市中学校に進学しています。

 

中学時代の同級生の証言によると「おとなしいというか暗い、という印象でした」とのこと。

 

また女子と話すことが非常に苦手であったといい、自分から女子に話しかけることはまったくできず、女子から話しかけられることがあっても聞かれたことにだけ短く答えて終わりで、話がまったく弾まない様子だったそうです。

 

ただ幼少期に手の障がいをからかわれた経験から思うところがあったのか、中学では1、2年で陸上部に入部し、通信教育で空手も習っていたといいます。

 

3年時には陸上ではなく将棋部に所属していたそうですが、勝ち負けに異常にこだわり、負けるとさまざまな将棋の攻略本を読み込んで、勝つまで同じ相手に勝負を挑み続けていたとのことです。

 

 

 

宮崎勤の生い立ち③ 高校時代

 

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中学時代も成績優秀で、とくに英語の偏差値は平均して72ほどもあったという宮崎。高校は明治大学付属中野高校に進学します。言わずもがなの名門校です。

 

当時の五日市中学から明大中野に進学した生徒はいなかったため、中学の校長から「非常に優秀な生徒だ」と太鼓判を押されて宮崎の母親は大喜びしていたといいます。

 

五日市内の宮崎の自宅から東中野にある明大中野高校までは片道2時間もかかったそうですが、両親は「勤は英語が得意だから、英語教育に力を入れている高校に通いたかったのだろう。将来は英語教師になりたいのかもしれない」と楽観視していました。

 

しかし、宮崎本人によると「障がいのことでからかわれるのが嫌で、自分のことを知らない遠くの高校に行きたかっただけ」だったそうです。成績優秀でおとなしい少年だったからこそ、両親は宮崎の悩みに気づかなかったのかもしれません。

 

猛勉強の末に入ったであろう高校でしたが、ここから宮崎の人生は暗いものになっていきます。

 

長閑なあきる野で生まれ育った宮崎にとって新宿にほど近い場所にある中野は大都会であり、周囲に馴染むことができず、勉強にもついていかれなくなってしまったのです。

 

片道2時間、合計で4時間も通学に費やしていれば都心部に住んでいる生徒に比べると単純に時間や体力のロスが多いわけですから、勉強についていかれなくなるのは当然とも言えます。

 

実際に中学時代の担任からは「五日市ののんびりした環境で育った子どもにとって、都心の高校はカルチャーショックの塊だと思う。劣等感を覚えるのは無理もないこと。彼の人生を決定づけたのは高校進学だったのではないかと思う」といった証言が出ていました。

 

また同級生も「休み時間は寝るか、漫画を読んでるかって感じで元気のない様子だった。通学で体力を使い果たしているのかなと思った」と証言しています。

 

高校1年生の時点ですでに個人面談で担任教師から「この成績では明大には進学できないぞ」とたしなめられたそうですが、宮崎は悔しがるでも反発するでもなく、ただ黙って話を聞いていたそうです。

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高校でもいじめに遭う

 

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入学当初は周囲に話しかけられたり、父親同士が知人で近くの駅から通っているという同級生に声をかけられて一緒に通学するなどしていた宮崎でしたが、まったく人付き合いができず、相手から話しかけられてもイエス、ノーくらいしか答えられなかったためにどんどん孤立していってしまいます。

 

そのため2年生に進学する頃には小柄で、勉強もできず、話し方もボソボソしているという理由から一部の生徒からからかわれたり、心無い言葉を投げかけられるなどのいじめに遭うようになったそうです。

 

同級生の1人からは「お前みたいな奴を相手にするのは幼稚園の女の子くらいだ」と、後の事件のことを考えるとゾッとするようなからかわれ方もしていたといいます。

 

ただ、高校3年間で友達がまったくできなかったわけではなく、当時放送していた『機動戦士ガンダム』などのやや大人向けのアニメ作品や漫画を通じて仲良くなった同級生もいたようです。

 

3年生の時には夏休みに友達数人が宮崎の家に泊まりに来て、泳ぎに行ったりボーリングをしたりと普通の高校生らしい過ごし方をしていたとのこと。

 

宮崎の家に行ったという友人からは「当時の部屋は、事件後に報道されているような感じではなかったです。漫画とか特撮の写真集とか珍しいアニメのセル画はあったけど、アニメファンの部屋という印象でした」といった証言が出ていました。

 

 

 

宮崎勤の生い立ち④ 短大へ進学

 

 

結局、卒業まで成績が上がらなかった宮崎は明治大学の二部にも進学できずに、外部の大学を受験することとなりました。

 

そして高校卒業後はカメラが趣味だったことから、東京工芸大学短期大学部の画像技術学科へと進学。

 

大学時代の同級生からは「同じ学科の生徒が集まっているといつも輪の外からじっと様子を窺っていて、自分から話しかけてくることはなかった。2年間で宮崎くんの笑った顔を見たことは一度もなかった気がする」との証言があります。

 

また高校と違い短大は共学でしたが、女子学生が「おはよう」「バイバイ」といった挨拶をしても無視をして答えなかったため、自然と女子からは話しかけられなくなったといいます。

 

タレントの川崎麻世さんは宮崎の短大時代の同級生だったそうですが、「同じ学科には80人くらいの生徒がいて、気の合う者同士の小さなグループができていた。彼とは違うグループだったから、どういう学生だったのか記憶がない」とのこと。

 

ただ宮崎のほうは川崎さんのことをしっかり覚えており、高校時代の友人に「クラスに川崎麻世がいるんだけど、あいつ短大の体育祭でズルしてたんだぜ。いかにも芸能人らしいよな」などと話していたそうです。

 

 

クイズやパズルに没頭していた短大時代

 

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短大生時代の宮崎勤はクイズやパズル雑誌にハマり、かなりの数の解答ハガキを送っては商品を受け取っていたといいます。

 

この頃にも仲が良かったという高校時代の友人を誘ってプロレスや映画などにも出掛けていたそうですが、友人によると「チケットは全部、宮崎がクイズで当てたものだった」とのことで、クイズやパズルが得意だったことが窺えます。

 

また、彼が常連投稿者であったクイズ雑誌の編集者からは「問題のここが変だ、答えに納得がいかないとよく(宮崎から)電話がかかってきました」との証言が出ています。

 

 

 

宮崎勤の短大卒業後の経歴・職歴

 

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短大を卒業した宮崎は、叔父の紹介で東京都小平市内にある印刷会社に就職しました。

 

この会社には家業を継ぐ前提で5年間だけの約束で就職し、印刷機オペレーターとして勤務したといいますが、居眠りをする、勝手に仕事を抜けて外出するなど勤務態度は極めて悪く、神奈川県内への転勤を勧められたことが原因で僅か3年足らずで退職。

 

当時、宮崎を雇用していたという印刷会社の上司からは「同僚に挨拶も返さない人でした。人と話すのが好きではないのでしょうね。すぐに辞めてしまったし、印象は薄いです」との証言がありました。

 

退職後、1986年ころからは家業の「秋川新聞社」の工場仕事を手伝うようになります。

 

勤務時間は朝8時から夕方17時までで、月給は15万円。ちなみに当時は大卒初任給の平均が14万4,500円ですから、給料は平均的、宮崎の経歴を考えれば良いくらいだと言えるでしょう。

 

主な仕事も刷り上がったチラシを取引先に届けるという簡単なもので、この仕事のために運転免許をとり、親からは乗用車を買ってもらったといいます。なお、この時に親が宮崎に買い与えた日産ラングレーは連続幼女誘拐殺人事件で使われたものです。

 

しかし、ここまで良くしてもらっていたにもかかわらず、勤務態度は相変わらずいい加減で、秋川新聞社の関係者によると「工場長も『10分も仕事をしないうちに自分の部屋に戻ってしまう。社長の息子だから強くは言えないし、社長も外回りが多くて勤を放置している』と嘆いていた」とのこと。

 

父親も仕事を抜け出して自分の部屋に戻り、ビデオを見ていた宮崎を工場に連れ帰ってきて「真面目に仕事をしろ!」と怒っていたことはあったそうですが、勤務態度を改めることはありませんでした。

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社会人になってからの私生活

 

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一方、プライベートでは小平の印刷会社を退職してから幼馴染や高校時代の友人に連絡を取るようになり「遊ぼう」と誘うこともあったという宮崎。

 

しかし宮崎の好む遊びはトランプの七並べやババ抜きで、あまり社会人が積極的にやりたいと思うような遊びではなかったといいます。しかもルールを破って自分が勝つようにするなど露骨なズルをしたり、負けると激昂して大声を出したりするため、友人も辟易してしまったそうです。

 

また、事件を起こす前の宮崎は映像作品愛好家が集まるビデオ同好会に入っていましたが、ここでの評判もあまり良くなかったといいます。

 

「自分が借りたいビデオばかり要求して、他の人にビデオを貸すことがなかった」「間違って違うものを送ってしまうと、長々と文句を綴った抗議の手紙を送ってきた」「とにかく自分勝手で付き合いにくい人という印象。ビデオの貸し借り以上の友人になりたいとは思えなかった」等の証言が同好会のメンバーからあがっていました。

 

同時期に宮崎が自分で同人誌を作ってコミックマーケットで売っていたとの話もありますが、この同人誌も特撮研究系のもので自分が所有していた珍しいビデオのタイトルや、その感想をほかの人が主催する合同誌に寄稿しただけだった様子です。

 

逮捕後にはワイドショーなどで、宮崎の書いた同人誌の文章が紹介されることもあったといいます。

 

しかし、どんな文章だったのか当時を知る人の感想を調べてみたところ、ネット上では「宮崎勤の同人誌の内容がテレビで読み上げられていたのを聞いたことがあるけれど、とても平坦な文章で『自分は珍しいビデオを持っている』という自慢しか感じ取れなかった」「同人誌に寄稿するほどの特撮好きが書いたとは思えない、浅い文章だった」といった声しか見られませんでした。

 

 

 

 

宮崎勤の家族① 父親と母親

 

宮崎の両親は仕事が多忙で幼少期には子どもの世話を雇い人や祖父に任せていた、とされていますが、高校以降の宮崎への対応を見ているとやや過保護なのではないかという印象を受けます。

 

宮崎の父親は近くの秋川駅に住む知人の息子も明大中野に受かったことを知ると「息子と一緒に通学してほしい」と頼んでいたといいます。

 

幼稚園児ならいざしれず、高校生にもなった子どもの友人関係に親が出てくるというのは奇妙な話です。

 

結局、そのお宅の息子さんは「家が近いらしいから一緒に帰ろう」と宮崎を誘ったそうですが、話がまったく弾まず、気を使いすぎて疲れてしまったために宮崎とは疎遠になったとのこと。

 

母親も社会人になった宮崎が勤務先の印刷会社を休む際、息子に代わって当日欠勤の電話を掛けるなどしており、やはり過保護だった様子です。

 

ところが事件を起こす頃には宮崎は自室のプレハブ小屋に引きこもるようになり、両親もほぼ息子と話さなくなっていたそうです。

 

 

 

宮崎勤の家族② 妹

 

宮崎には2歳年下、6歳年下の2人の妹がいます。ただ、妹との関係は良好ではなかったようで「小学生の時、兄妹喧嘩をして『当たったら死んでしまうおそれのあるもの』を妹に投げつけた」との話が宮崎本人から出ています。

 

兄妹喧嘩でカッとなってしまい、つい出てしまうこと自体はそれほど珍しいことではないでしょう。しかし、もしぶつかれば死んでしまうかもしれないもの(鈍器や刃物などでしょうか)を投げつけるというのは異常性を感じてしまいます。

 

また、事件を起こす前には自宅に引きこもっていたというものの、妹たちとはいっさい話をしなかったそうです。

 

 

 

宮崎勤の家族③ 祖父母

 

宮崎の祖母については母親との折り合いが悪かった、母親が宮崎を可愛がると「母親が甘やかすとろくな子に育たない」と言って割って入ってきたという話しか残っていません。

 

一方で祖父の方は宮崎のことを非常に可愛がっていたといい、勾留中の宮崎に接見した臨床心理士の長谷川博一氏は「皮肉な話だが、おじいさんがいなければ一連の事件は起きなかったかもしれない」と著書『殺人者はいかに誕生したか』のなかで綴っています。

 

長谷川氏は最高裁判所での判決前に宮崎から直接「精神鑑定してください」と頼まれて、拘置所へ面会に行っていました。

 

そこで「心」「家」といったような単語から何を連想するのかを調べる「言語連想検査」という検査をしたそうですが、ここで亡くなった祖父への執着が如実に現れたというのです。

 

宮崎は甘え、喜び、幸せ、思い出、憧れなど過去やポジティブなイメージのある言葉に対して、すべて祖父との思い出を返してきたといいます。

 

一方で親子という単語には「にせもの」と返しており、両親を拒絶していることが窺えます。

 

鑑定の結果、長谷川氏は「宮崎勤には唯一自分と触れ合ってくれたおじいさんとの再会、幸せだった頃への回帰願望がある」と述べていました。

 

 

 

宮崎勤の死刑執行と最後の言葉

 

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2008年6月27日、宮崎勤は東京拘置所内で死刑執行となりました。享年45歳。逮捕から20年近くが経っていました。

 

宮崎に死刑判決が下ったのは2006年2月1日のことでした。1997年4月14日に下された第一審判決から死刑判決が言い渡されていたのですが、弁護側が犯行当時の宮崎には責任能力が無かったと訴えて控訴。

 

結局、東京高等裁判所も最高裁判所もこの訴えを退けたために弁護側が判決取り消しを求め、死刑確定まで10年の時間を要しました。

 

通常、死刑判決確定から死刑執行までには8年程度の期間が空くケースが多いのですが、宮崎については当時の法務大臣であった鳩山邦夫氏が直々に「日本の犯罪史上、もっとも凶悪な犯罪者の1人と言える。早期の死刑執行を検討すべき」と述べ、異例の早さで死刑が行われたとも言われています。

 

 

最後の言葉

 

死刑執行前の宮崎の最後の言葉は「あのビデオ、まだ途中だったのにな…」であったと言われています。

 

ただ、当然ですがこれは東京拘置所が公式に発表した最後の言葉でもなければ、前述の長谷川氏のように宮崎と接見していた人が発表したことでもなく、正式なソースがないことから作り話の可能性が高いと考えられます。

 

調べてみたところ、この「あのビデオ、まだ途中だったのにな…」が宮崎勤の最後の言葉だったという情報の出どころは、2009年7月にされた2ちゃんねる(冠婚葬祭板)への書き込みのようです。

 

ちなみに宮崎勤に関してはガセネタが大々的に報じられることも多かったようで、逮捕後には「IQ137の天才」「ナポレオンと同じIQ」と夕刊フジで報じられたこともありました。

 

出典:http://std2g.web.fc2.com/

 

これもデマであり、逮捕後の鑑定で宮崎のIQは90〜100とごくごく平均的であったことが明らかになっています。

 

 

宮崎勤は結婚願望があった?小児性愛者ではなかった?

 

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宮崎は犯行前に4回に渡ってお見合いをしていました。最初のお見合いは1986年4月頃で、どうやら4回とも「結婚して自立してほしい」という父親が見合い話を持ってきていたそうです。

 

しかし、やはりと言うべきか先方から断られて結婚は成立ませんでした。とにかく話をせず、ずっと下を向いて黙っているため、相手も察して無言になってしまい、お見合いの席は終始険悪な状態だったといいます。

 

この見合い話に対して、「宮崎勤は小児性愛者だから見合いに乗り気でなかっただけでは?」と考える方もいるかもしれません。

 

宮崎が犯行のターゲットにしたのが小さな女の子ばかりだったため、「宮崎勤は小児性愛者」と見られていました。

 

しかし、裁判時に精神鑑定にあたった医師からは「小児性愛者ではない。成人女性に手が出せないため、代替に幼い女の子を狙ったに過ぎない」と指摘されています。

 

実際に宮崎の友人からは「勤は普通のアダルトビデオを観ていた。金髪女性が出てくるものが好きだった」「山瀬まみさんのファンだった」という証言が出ており、逮捕前に通っていたというレンタルビデオ屋の店員からも「アダルトビデオをよく借りていた」との話が出ていました。

 

 

 

宮崎勤の犯行動機

 

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宮崎勤が東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件に及んだ動機は、はっきりとわかっていません。

 

2017年にフジテレビ系列で放送された『衝撃スクープSP 30年目の真実 ~東京・埼玉連続幼女誘拐殺人犯・宮崎勤の肉声~』では、取調べ中の宮崎勤本人の肉声が公開されて話題を呼びました。

 

この取調べ中に宮崎は、以下のようなことを供述しています。

 

・幼い女の子を誘拐した動機は、子どもが欲しかったから。手元において可愛がりたかったから。

 

・子どもが欲しい理由は、大人には相手にされないから。

 

刑事側はこの証言を宮崎の犯行動機と捉え、「大人の女性に相手にされないから幼い女の子を誘拐し、意のままにならないからと殺した」と考えました。

 

しかし、宮崎に接見を繰り返していた雑誌『創』の編集長の篠田博之氏は「この供述は宮崎が『今田勇子』になりきって話しただけなのではないか」と指摘しています。

 

裁判時に宮崎は取調べ中とは打って変わって犯行を否認し、「犯行はネズミ人間がやった。自分は子どもが殺されるのを無理矢理見せられて、怖かった」などと語っており、精神鑑定でも解離性人格障害(多重人格)や統合失調症の疑いがあるとの結果が出ていました。

 

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一方で、私的に宮崎の鑑定をした長谷川氏には「殺人は儀式のためにやった」「『解剖行為をせよ』という啓示が降りて犯行に及んだ」と話し、一連の犯行は亡くなった祖父を復活させるための儀式だったと、無茶苦茶な犯行動機を述べていました。

 

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また、「世間は私のことを勘違いしている。私は優しい人間だと伝えてください」と耳を疑うようなことを長谷川氏に頼んでいたそうです。

 

死刑を免れるために精神疾患を装っているようにも見えず、篠田氏も長谷川氏も「会って話してもどのような人間なのかわからない」「知れば知るほど混乱する」といった印象を語っており、ともに警察・検察側が主張した動機については懐疑的だといいます。

 

宮崎勤は許せない、とにかく早く死刑にするべきという世間の怒りがあったのも確かですが、動機がわからないまま死刑執行されたことについては現在も賛否の声があります。

 

 

 

宮崎勤一族の末路① 父親

 

 

宮崎勤の家族は宮崎の逮捕から約1年後に引っ越しており、その後は犯罪者の家族として辛い日々を余儀なくされたといいます。

 

急いで引っ越していったのか、その後も何度か家財道具を取りに戻ってくる一家の姿が見られたそうですが、人目を避けるようにそそくさと立ち去っており、近所の人と話すこともなかったとのことです。

 

父親は息子が野本綾子さんを殺害した犯人だということが明らかになった際、マスコミの取材に対して「ニュースを見て、息子が犯人だと知ったところです。息子がそんな事件を起こしたなんて信じられません。ただ、どんな息子だったのかはお話します」と対応していたそうです。

 

逮捕後、宮崎から父親に「弁護士を雇ってほしい」と頼まれたものの父親は拒否しており、宮崎の裁判は国選弁護人が担当することとなりました。

 

これに対しては「地元の名士と呼ばれ、経済的にも余裕があったのだから親が私選弁護人をつけるべきだった。国選弁護人へ支払う費用は税金から出るのだから、無駄使いだと思わないのか」と批判の声が出たといいます。

 

ただ父親は自分たち家族のためにお金を渋っていたわけではなく、引越し後の1994年には自宅を売り払い、その代金を東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の被害者遺族に慰謝料として支払う話をつけていました。

 

そして、その話がまとまると青梅市の神代橋から多摩川に身を投げて自殺したとされます。

 

父親の自殺に対しては「息子への判決も下っていないのに無責任だ」との批判もありましたが、宮崎の逮捕後、父親は自分や妻のみならず無関係の親類縁者までも犯罪者の血縁者として嫌がらせや非難を受けることに悩んでいたといいます。

 

父親には2人の弟がいたそうですが、上の弟は宮崎の逮捕後、役員を務めていた5つの会社をすべて辞職し、経営していた会社も妻に譲ったとされます。

 

下の弟は宮崎勤の親類だと知られると妻や子どもにまで非難が及ぶと考え、悩んだ末に妻と離婚。子どもの親権も妻に渡したそうです。

 

 

 

宮崎勤一族の末路② 母親

 

母親のその後についてはあまり情報がなく、宮崎の死刑執行後に東京拘置所に呼ばれた母親は息子の遺体と対面した後に遺骨は引き取らない旨を宣言して、拘置所に処分は任せるとだけ伝えて帰宅したといいます。

 

ただ、母親の親族も苦労したようでそれぞれ警察官、高校教師という職業についていた兄の息子まで事件後に辞職していたとの話が出ています。

 

 

 

宮崎勤一族の末路③ 妹

 

宮崎の逮捕後、妹2人に対しても嫌がらせが続き、「お前も死んで償え」「人殺し」といった手紙が自宅に何通も投函されたといいます。

 

宮崎が事件を起こす前から上の妹は結婚が決まっており、そのために母親は「お兄ちゃん(宮崎のこと)もしっかりしてもらわないと」などと言っていたそうです。

 

しかし、兄が世間を震え上がらせた残忍な殺人事件の犯人だったことが明らかになると、婚約者一家に迷惑がかかると考えたのか、妹は自ら婚約を破棄。務めていたという会社も自主退職したとされます。

 

また、当時20歳だった下の妹も兄の犯行発覚後に通っていた看護学校を退学しており、以降はどのように暮らしているのかわかりません。

 

 

 

宮崎勤一族の末路④ 宮崎勤の墓

 

出典:https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/

 

宮崎の遺骨は家族が引き取らず、ほかに引き取りても現れなかったために東京都豊島区にある雑司が谷霊園に納骨されることとなりました。

 

雑司ヶ谷霊園内には「法務省納骨堂」という法務省が管理する納骨堂があり、引き取り手のいない死刑囚や獄死者の遺骨はここに納骨されています。

 

納骨堂内の様子は公開されておらず、たとえ親族や縁故者であっても中に入ってお参りすることはできないそうです。

 

 

 

宮崎勤の実家の現在

 

宮崎勤の実家の住所は近隣に住む人の情報などをもとにネット上で特定されており、「東京都 あきる野市 小和田182」であることが明らかになっています。

 

 

現在は会社も家屋も取り壊されて「小和田自治会和み広場」になっており、事故物件サイト『大島てる』でも宮崎勤の実家跡地として表示されています。

 

自宅家屋や会社建物が解体された後、この土地は売りに出されたといいますが買い手がつかないまま20年以上の時間が流れ、一時期は建築会社の資材置き場などに使われたものの長らく放置されていました。

 

その後、砂利のまま簡易な駐車場として利用され、現在のような広場になったようです。

 

 

 

宮崎勤についてのまとめ

 

今回は1988年から1989年にかけて発生した東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人である宮崎勤について、生い立ちや家族との関係、事件の動機などをふくめて紹介しました。

 

宮崎勤は調べれば調べるほどどういった人物なのかわからなくなるような犯罪者であり、当時のメディアもあまりの気味の悪さから、ロリコン、オタクというレッテルを貼って終わりにしようとしたのでは?と勘繰りたくなってしまうほどです。

 

宮崎本人は逮捕後の後述でもあたかも手の障害がいが原因でいじめに遭い、それが非常に辛かったと自分がねじ曲がったのは障害がいが理由であるように話していたといいます。

 

ところが同級生からはいじめの話はあれど、手が原因で嫌がらせを受けていたという証言は出ていません。生育歴にここまでの犯行に及ぶ原因があったとも思えません。

 

死刑執行後の今となっては宮崎勤とは何者だったのか、接見した方々の著書などから想像することしかできませんが、何の落ち度もなく突然命を奪われた少女たちとご遺族の気持ちを思うと、ただ憤りだけを感じます。

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