沢田マンションは高知県にある地下1階地上5階の集合住宅で、オーナー夫婦が自ら設計建築した日本最大の違法建築物として有名です。この記事では沢田マンションの耐震性や家賃、間取り、怖い、臭いなどの噂や宿泊の感想、事件や現在について紹介します。
この記事の目次
- 沢田マンションの概要【高知の違法巨大マンション】
- 沢田マンションの歴史① オーナー夫婦の結婚とマンション建設準備期
- 沢田マンションの歴史② 建設開始
- 沢田マンションの歴史③ 第一期工事終了からの経過
- 沢田マンションの特徴
- 沢田マンションの耐震性
- 沢田マンションの間取りと家賃
- 沢田マンションの問題点① 違法建築物を放置してよいのか?
- 沢田マンションの問題点② 臭い?衛生面で問題がある?
- 沢田マンションの問題点③ 治安は?過去にはヤクザがらみの事件もあった?
- 沢田マンションの問題点④ 怖い?近所の人はどう思っている?
- 沢田マンションの現在① 宿泊施設としても運営されている
- 沢田マンションの現在② オーナー夫婦の現在
- 沢田マンションについてのまとめ
沢田マンションの概要【高知の違法巨大マンション】
沢田マンションは高知県高知市薊野北町一丁目10番3号に位置するマンションで、建築士や大工などの専門職ではない建築の素人によってつくられた日本最大の違法建築物です。
構造は鉄骨鉄筋コンクリート造で敷地550坪、地下1階地上5階(一部分は6階)からなる沢田マンションは、一見しても構造がよくわからないことから「日本の九龍城」とも称されています。
また、この建物の設計から施工までを行っているオーナーの沢田嘉農・裕江(さわだかのう・ひろえ)夫婦が増改築を繰り返した結果、巨大な建物ができあがっていったことから、アメリカのウィンチェスターハウスやスペインのサグラダファミリアと比較されることもあります。
「マンション」と名を冠していることからもわかるように、沢田マンションには現在も約100人ほどの入居者がいるとされますが、同時にツアーバスが訪れる、宿泊客を受け入れるなど観光名所として機能している点も特徴です。
沢田マンションの歴史① オーナー夫婦の結婚とマンション建設準備期
沢田マンションの設計をした沢田嘉農さんは、1927年、高知県幡多郡七郷村で誕生しました。
建築に興味を持ったのは小学校5年生の頃で、産業組合中央会が出版、農協を通じて主に農業従事者の家庭などに配布される情報誌『家の光』で見た洋風建築のアパートのモダンな佇まいに衝撃を受けたことがきっかけでした。
そこから集合住宅の建築や経営を志すようになり、尋常小学校卒業後は祖父の助けを借りながら土佐の山中で製材業を始めます。
この時、嘉農さんが大工ではなく製材業の道を選んだのには理由がありました。
一から自分の手でアパートを建てる知識を得るには、丸太一本から家を建てるために使う木材を切り出していく製材の仕事に就くのが近道だと考えたのです。
嘉農さんは実際に製材業の仕事を経て家を建てるのにはどのくらいの太さの柱がどこに何本必要で、垂木(たるき)を何本、どこに通すのかといったことを自然と学んでいったといいます。
さらに木材に触れる生活を続けることで、どの木をどこに使えば建物の強度をあげられるかといった適材適所の知識も得ていったそうです。
こうして大あえて大工以外の選び、1年ほどの兵役期間を挟んだものの製材の仕事を続けた嘉農さん。
27歳の頃に四万十市に移ると、自らの知識だけで建てた住宅を販売したり、アパート経営をしたりして、沢田マンションを建てるための資金を貯めていきました。
そして32歳の時に、なんと当時まだ13歳、中学生であった裕江さんと実質的な結婚生活を開始。
この頃、裕江さん一家は嘉農さんの経営するアパートに住んでいたものの、家賃の支払いに窮して母親が裕江さん1人を残して実家に帰ってしまっていました。
そこで嘉農さんが裕江さんを養いつつ、裕江さんが家事をして嘉農さんの私生活を支えるという暮らしが始まったのですが、当時も現在同様に13歳の少女と成人男性の結婚は法律的には認められません。
そのため嘉農さんには、未成年者略取の疑いがかかったこともあったそうです。
沢田マンションの歴史② 建設開始
沢田マンションの建設準備が整ったのは1971年、嘉農さんが44歳、裕江さんが25歳の時でした。高知市薊野にマンション建設用に550坪の土地を買い、工事を開始します。
この時に嘉農さんは資金が不足していたこともあって、マンション建設に必要な行政の許可をとらないまま着手してしまいます。
といっても最初から違法な建物をつくろうと思っていたなどというわけではなく、嘉農さんが役所に相談に行ったところ、「では手数料が用意できたら、持ってきてください」といったようなおおらかな対応をしてもらったため、建設を開始したそうです。
こうして無事に行政に報告をしたうえで、嘉農さんは敷地内の西側から着工し、東に向けて増築していきました。
嘉農さんはなんと設計図を書いておらず、自分の頭にある図面に従って工事を進めていたっといいます。
さらに嘉農さんはマンションの屋上に自作のクレーンや製材所を設け、建設に使用するセメントも自分で練ったものを使用。
妻の裕江さんだけではなく、まだ小学校6年生であった娘まで動員して一家総出のDIYのような格好で施工は進んでいきました。
沢田マンションの歴史③ 第一期工事終了からの経過
1972年。マンションの基礎と水回りの工事、そして1階から4階まで各6戸ずつの部屋が完成し、第一期工事は終了します。
そして住民が入居していき、1973年には1階部分にスーパーマーケットが開店。このスーパーは以後5年間、始業することとなります。
さらに1973年には第二期工事が開始し、5階にオーナーの沢田家の住居スペースが完成しました。次いで高知市内初となる地下駐車場も完成します。
この地下駐車場は床から天井までの高さ3m、面積140坪、収容可能台数25台という広さからはじまり、後に250坪まで拡大されています。
二期工事はマンションの断熱を考えて屋上には畑を作り、耕作ができるようにしたところで1976年に終了します。
その後1978年にオーナーの沢田さん夫婦が、沢田マンションの住人のために48人乗りの大型バスを購入。このバスは嘉農さんが運転し、マンション住民のレジャーなどに使われたそうです。
ここまでの段階でも沢田マンションはかなり独自性の高い集合住宅なのですが、沢田さん夫婦は1983年に第3期工事を開始します。
この第3期工事で70坪の工事が行われ、現在の沢田マンションの姿となりました。
沢田マンションの特徴
1989年には3階まで車で侵入できるスロープが建設され、これは後々まで語り継がれる沢田マンションの大きな特徴となります。
このスロープにより、なんと沢田マンションの住民は車に乗ったまま玄関先まで移動することができるのです。
さらにマンションの外廊下の幅が広いため、車に乗ったまま4階や5回へ移動することも可能です。
次いで工事の際に使われたリフトも、沢田マンションの名物とされています。
このリフトはオーナー夫婦の手作りで、工事中には資材の運搬などに使用されており、人間を運ぶエレベーターとして活動していた時期もあったそうです。
ほかに、工事中に製材機や水をくみ上げるポンプを動かすために使われた発動機も残されたままで、こちらも愛好家から人気を集めています。
さらにマンションの内部は迷宮のようにスロープや階段が設置され、カーブしている廊下も多いことから見学ツアーで行った人は迷子になりかけることもあるそうです。
また、沢田マンションの部屋番号は通常の集合住宅のように1階の手前から101、102…と割り振られているのではなく、第一期の工事終了後、入居者の決まった部屋から順番に振っているという変わった特徴を持ちます。
あまりにも配達員さん泣かせで不便ではないか、との理由で一時期は普通の集合住宅同様の部屋番号にしたものの、住人から「もとの部屋番号がいい」という苦情が殺到したために、現在も変わった番号が採用されているとのことです。
一時期は共同浴場やスーパーなどが入っていた沢田マンションですが、現在は1階部分を中心にカフェや美容院、雑貨店などのお店が並び、買い物を目当てに訪れる人も少なくありません。
断熱のためにと世間のブームより早く取り入れられた屋上緑化も、現在では進歩を重ねて滝や池がつくられているうえ、各階の通路部分にも家庭菜園ができるテラスが設けられています。
沢田マンションの耐震性
前述のように沢田マンションには設計図が存在せず、建築に使用したセメントもオーナー夫婦の手作りのため、建物の正確な耐震性や構造的な強度は不明となっています。
しかし、2001年に芝浦工業大学と東京理科大学の共同チームが沢田マンションに入り、調査した結果によると、沢田マンションの基本的な構造は従来の集合住宅の建築方法からそれほど外れていないのだそうです。
具体的に、沢田マンションの基礎部分は以下のような方法でつくられたとされます。
・30トンブルドーザーと大型パワーショベルをレンタルして岩盤場で掘り起こし、安定した基礎部分を築いている。
・一期工事では高さ15m、重さ500㎏という大きさかつ、継ぎ目のない鉄骨を主柱として使用している。
・この主柱の周りを鉄筋で巻き、一辺の太さが30㎝の柱を作成。そこにコンクリートを流し込むというSRC造の工法を採用している。
この工法は耐震性、耐火性に優れることからタワーマンションでも採用されることが多く、沢田マンションの二期工事、三期工事ではさらに丈夫な鉄骨が使用されました。
ほかにも柱と柱の間に筋交いが入る隙間のない場所についてはブロックを積むなど、耐久性を上げる工夫がされています。
実際に2001年に発生した芸予地震でも沢田マンションには目立った被害がなかったことから、地盤の強さも手伝って、強度には余裕があるのではないかと指摘されています。
災害時の避難経路や安全性は?
沢田マンションでは広い廊下がベランダを兼ね、上層階から1階に降りる階段は2箇所。さらにスロープも設置されているため、時代に先駆けてバリアフリー化された建物とも言えます。
もともとオーナー夫婦は住む場所を探すのが困難な低所得者でも入居できるように、という考えで沢田マンションを建設しました。
そのためマンション内には、高齢の入居者でも不自由なく暮らせるようにという配慮が各所にされています。それらが功を奏して、集合住宅としての安全性はある程度確保されいると考えられます。
沢田マンションの間取りと家賃
沢田マンションの部屋の間取りは全室異なっており、実はオーナー夫婦さえ完全には把握していないといいます。
というのも、このマンションは賃貸でありながらオーナーの許可が得られれば住民が部屋をDIYで改造してもよいというルールになっているのです。
それにくわえて、もともとオーナー夫婦のこだわりで間取りをバラバラにしていたこともあり、部屋の広さもまちまち。そのため同じマンション内で、部屋を引っ越す人もいるのだそうです。
部屋の広さも一人暮らし用の1Kから家族で暮らせる2~3DKまであり、家賃は2万~5万程度。
高知駅にも自転車で行ける距離で景色もよく、家庭菜園もできるテラスまでついていることを考えると、かなり良心的な家賃設定と言えるでしょう。
ただ、この自由な間取りというのが建物そのものの耐久性にどの程度影響を与えているのかは不明です。
建設時に沢田嘉農さんは「100年住めるマンションをつくろう」という目標を掲げていたそうで、基礎もしっかりしていることから上でも触れたようにマンションそのものの強度はある程度は保たれていると考えられています。
しかし、部屋の中はオーナーさえわからないブラックボックスとなっているため、非常識な住民が勝手なリフォームをしたことで、建物そのものの耐震性が下がるおそれもあるのでは?と心配されています。
沢田マンションの問題点① 違法建築物を放置してよいのか?
50年以上、住民を受け入れてきたうえに現在では観光スポットとしても愛されていますが、沢田マンションが建築基準法に違反してつくられた違法建築である事実は変わりません。
耐震性以外に、沢田マンションの建ぺい率や容積率も違法な可能性が指摘されていまし、それ以前にそもそも建設前に建築確認申請が出されていないのです。
建築確認申請はこれから建てようとしている建築物が、建築基準法に適合しているかを事前に確認するための必須手続きです。
しかし、沢田マンションの建築確認申請には400万円以上がかかる見積であったためにオーナー夫婦は役所に相談はしたものの、正式な手続きをスキップして建築に着手してしまいました。
なお、このような建物というのは沢田マンションの建設が開始された1971年当時は珍しくなかったそうです。
最終的には1996年に、沢田マンションが建っている敷地に10階建ての集合住宅を建てるための建築確認申請書を出して受理されていますが、この申請書にある建物は現存の沢田マンションではありません。
そのため「オーナー夫婦はきちんと建築確認申請をしているから、沢田マンションは違法ではない」という意見もあるものの、「現存の建物が違法建築なのは変わらない」という指摘が一般的です。
ただ、完成して以降ずっと住人がいることや大きな事故が起きていないことなどから、違法性は否定できないものの行政も黙認しているというのが沢田マンションの現状といえます。
沢田マンションの問題点② 臭い?衛生面で問題がある?
沢田マンションも老朽化が進んでおり、住民の間では雨漏りの被害が当たり前になっているといいます。
こうした、沢マンならではの「武勇伝」は枚挙にいとまがない。雨漏りで家電が全部壊れた。数週間ぶりに出張から戻り、部屋のドアを開けたら(青カビで)一面ナウシカの「腐海」状態に――。「キノコ、なくなりましたわ」「おれんち、まだ生えちゅう」。スロープで立ち話をしていた住人達からは、そんなほほえましい会話も漏れ聞こえてくる。潔癖症の人が聞いたら、どれも絶叫しそうな話だ。
上のように雨漏りで家電が壊れる、室内の湿度が著しく上がってキノコが生えるといったケースもあることから、建物もある程度はカビ臭さいのではないかと思われます。
ただ、分譲ではなく賃貸という性質もあってか、これまで沢田マンションに住んだことが原因で健康被害が起きたという事例は見当たらず、ツアーや観光で訪れた人からも「臭い」という苦情は出ていない様子です。
沢田マンションの問題点③ 治安は?過去にはヤクザがらみの事件もあった?
建物だけではなくオーナー夫婦の人柄に惹かれて入居を希望する人もいるという沢田マンション。
多くの住民がオーナーと良好な関係を結んできたのですが、ある時、家賃を払わない住民が増えるという事件が起きたそうです。
上でも触れましたが当初、オーナー夫婦は「高齢者やシングルマザーなど、普通の賃貸住宅に入居するのが難しい人に入居してほしい」という考えで沢田マンションを経営していました。
そして部屋数が増えて余裕ができた頃に、「困っているのは高齢者やシングル世帯だけではないはず」として、入居要件を緩和します。
しかし、これに目をつけて普通には部屋が借りられないようなヤクザが沢田マンションに集まってしまい、平然と家賃を滞納して住み着くようになってしまったのです。
普通なら弁護士や警察に相談して解決策を探りそうなものですが、沢田嘉農さんはヤクザの上を行く豪胆な人物でした。
「お前らが部屋から出ていかないなら、部屋そのものをなくして住居を奪ってやる」と宣言して、なんとヤクザの住んでいた部屋の壁を外から壊し、強制的にヤクザ住民を追い出したといいます。
こんなことをしてしまっては、結果的に損をするのはオーナー夫婦ではないのかという気もしますが、ヤクザも黙らせる意外な行動に出たことがきっかけとなって、沢田マンションには反社会的な住民が入居することはなくなったそうです。
現在では住民も若い人が増えて住民同士の交流もあり、マンションの治安は安定して良いと言われています。
沢田マンションの問題点④ 怖い?近所の人はどう思っている?
沢田マンションのような建築基準を満たしているのかわからない、ハンドメイドの巨大建築があったら周辺住民は「倒壊してくるのではないか?」等の心配が絶えず、怖いのではないかと心配する声もあります。
しかし、ネットで近所に住んでいる人の感想を探したところ「子どもの頃は夏休みになると沢田マンションに肝試しに行った」「最近はおしゃれな店が多くて、雰囲気も明るい」と好意的な声が目立ちました。
どうやら近隣住民には「怖い」という印象はないようです。
沢田マンションの現在① 宿泊施設としても運営されている
本日は沢田マンションに宿泊。
旅行系ユーチューバーさんが、かなりの確率で訪れる部屋がこちらになります🤗 pic.twitter.com/f9WXV6fXeI— 清水 栄治 (@kingsspain) May 3, 2023
沢田マンションは空き室をマンスリーマンションや宿泊施設として運用しており、宿泊の場合は1泊3500円からとのことです。
ただ現在は沢田マンションの公式サイトでも宿泊の案内はしていないため、宿泊できるのかは要問合せとなっています。
実際に泊った人からは「部屋は広くてきれいだった」「じっくりマンション内を散策できて満足した」と好評ですが、ゴキブリやムカデ、カメムシなどの虫と室内で遭遇する確率は高いとのこと。虫が苦手な方は注意したほうがよさそうです。
沢田マンションの現在② オーナー夫婦の現在
沢田マンションの創設者である沢田嘉農さんは、2003年に肝臓病で他界されています。享年75歳でした。
奥さまの裕江さんも現在はご高齢になっていることから、マンションの維持管理などは娘の幸子さんがされているとのことです。
代替わりをしてからはSNSを利用しての情報発信や、沢田マンションのオリジナルグッズの販売、「沢マンいろどりマルシェ」といったイベントも行われています。
沢田マンションについてのまとめ
今回は高知県高知市内にある巨大違法建築・沢田マンションについて、建築の歴史や耐震性、怖い、臭いといった噂を中心に紹介しました。
建築基準法の条件を満たしていない集合住宅と聞くと、なんでそんな危険なものが壊されずに残っているのかと思わずにはいられませんが、住民や近隣住民からの声は「それでも沢田マンションが好き」という意見が目立ちます。
ここまで愛され、受け入れられている違法建築物は後にも先にも出てこないのではないでしょうか。
とはいえ老朽化が進んでいるのは確かですから、いつまで現在の姿が見られるのかは不明です。気になる方は、見学ツアーなどに参加してみてはいかがでしょう。