長野県にあった廃墟・心霊スポット「信州観光ホテル」は数々のやばい噂で話題です。
この記事では信州観光ホテルで何があったのかの歴史、やばい事件の噂や地下室の隠し部屋や盛り塩と心霊の噂、解体が決定した後の現在の状況などについてまとめました。
この記事の目次
信州観光ホテルは廃墟化し心霊スポット化していたが現在は解体
「信州観光ホテル」は、1951年から1997年にかけて長野県千曲市上山田温泉で運営されていた大型ホテルで、倒産後は20年以上にわたって放置され廃墟化し、心霊スポットとして人気を集めていました。
廃墟・心霊スポット化した信州観光ホテルは、「あそこは本当にやばい」などと囁かれる噂が後を絶ちませんでした。凄惨な殺人事件の舞台となったという噂や複雑怪奇な構造の建物には秘密の地下室が存在するという都市伝説。数々の心霊現象がありあちこちに盛り塩がされているという不気味な噂などがあり、廃墟マニアや心霊マニアを惹きつける場所でした。
ここでは、信州観光ホテルが繁栄を極めて倒産するまでに何があったのかの歴史や、事件や地下室、盛り塩や心霊の噂の真相、解体がほぼ完了している現在などについてまとめました。
信州観光ホテルで何があったのか① 高度経済成長の波に乗り大型ホテルへ
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最初に、信州観光ホテルが、後に日本を代表する廃墟スポット・心霊スポットとして全国的に有名になるよりも前の創業から倒産に至るまでの歴史で何があったのかについて紹介していきます。
信州観光ホテルの歴史は、1951年(昭和26年)に長野県千曲市の上山田温泉で幕を開けました。当初は善光寺参りの湯治客などを目当てとした、ささやかな木造3階建ての旅館だったと言われています。
戦後の混乱から立ち直り、人々が再び旅を楽しむ余裕を取り戻し始めた時代、ホテルは温泉街の活気と共に順調なスタートを切りました。
信州観光ホテルは高度経済成長の波に乗って急成長し、全盛期にには、鉄筋コンクリート地上7階建ての本館を中心に、400人以上を収容可能な客室、350人収容の大宴会場、コンベンションホール、プール、さらには山の上へと続くエスカレーターまで備える、巨大な複合観光施設へと変貌を遂げています。
この急成長の中で信州観光ホテルは増改築を繰り返し、崖に寄り添うように建て増しされた複数の建物は、内部で複雑に接続され、いつしか「迷宮」や「ラビリンス」と形容されるほどの奇怪な構造を持つに至り、これも同ホテルを有名にする要因の1つとなりました。
信州観光ホテルで何があったのか② 全盛期を迎えるもバブル崩壊で打撃
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信州観光ホテルの経営が絶頂期を迎えたのは、日本中が好景気に沸いた1986年(昭和61年)でした。年間売上は9億2800万円を記録し、夜ごと花火を打ち上げ、バスを連ねてやってくる団体客で賑わったという逸話は、当時の栄華を物語っています。
しかし、バブル経済が崩壊すると、あれほどひっきりなしだった客足は徐々に遠のいていきました。さらに、経営に致命的な打撃を与えたのが、度重なる増改築のために抱えた多額の借入金でした。
そして、最後の希望を託したであろう一大イベントが、皮肉にも命運を決定づけます。それは、1998年の長野冬季オリンピックでした。オリンピック景気を見込んでさらなる投資を行ったものの、競技会場からの距離がネックとなり、期待したほどの集客には至りませんでした。大手旅行会社に客室を押さえられたものの、その多くが空振りに終わったとされています。
信州観光ホテルで何があったのか③ 莫大な負債を抱えて倒産
長野オリンピック開催を翌年に控えた1997年(平成9年)8月、信州観光ホテルはついに力尽きます。負債総額16億5000万円を抱え、長野地方裁判所から破産を宣告されました。営業は即日停止され、正社員33名とパート21名も即日解雇という、あまりにも突然の幕引きでした。
賑わいの中心地だった巨大なホテルは、一瞬にして全ての音を失い、静寂に包まれました。これが、20年以上にわたってこの地を支配する「巨大廃墟」の誕生の瞬間であり、数々の「やばい噂」が生まれる土壌が整った瞬間でもありました。
信州観光ホテルのやばい噂① 殺人事件があったという未確認情報
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倒産を経て廃墟と化した信州観光ホテルは、その異様な存在感と複雑怪奇な構造から、いつしか人々の恐怖と好奇の対象となりました。
そして、様々な噂が生まれ、語られ、増幅していく中で、日本有数の心霊スポットという地位を確立していきます。ここでは、囁かれた「やばい噂」の数々を検証し、その真相に迫っていきます。
心霊スポットの噂として最もセンセーショナルなのが「殺人事件」の存在です。「3人が首を切られた」など、具体的な内容を伴う噂もインターネット上では散見されましたが、結論から言えば、信州観光ホテルでそのような凶悪事件が起きたという公式な記録や報道は一切確認されていません。
では、なぜこのような噂が生まれたのでしょうか。考えられる要因はいくつかあります。
信州観光ホテルの殺人事件の噂の理由① 廃墟の持つ閉鎖的で不気味なイメージ
巨大で静まり返った廃墟は、それだけで人々に「何か不幸なことがあったに違いない」という想像を掻き立てます。特に、窓ガラスが割られ、内部が荒らされた光景は、暴力的なイメージと結びつきやすかったでしょう。
信州観光ホテルの殺人事件の噂の理由② 情報の伝言ゲーム化
ネットの掲示板やSNSが普及する中で、「何かあったらしい」という曖昧な情報が、尾ひれがついて「殺人事件があった」という断定的な噂へと変化していった可能性が考えられます。
信州観光ホテルの殺人事件の噂の理由③ 他の事件との混同
全国各地の事件や他の心霊スポットの逸話が、いつの間にか信州観光ホテルの話としてすり替わってしまった可能性も否定できません。
事実として確認できない以上、殺人事件の噂は「廃墟」という非日常空間が生み出した都市伝説と考えるのが妥当でしょう。
信州観光ホテルのやばい噂② 地下室の隠し部屋と至る所に盛り塩がある
信州観光ホテルが「迷宮」と呼ばれた所以である、複雑な内部構造。その中でも特に探訪者たちの興味を引いたのが「地下室」と「隠し部屋」の存在です。
「地下には隠し部屋に続く扉がある」。この噂は、ホテルのミステリアスなイメージをさらに増幅させました。
実際に、増改築を繰り返したホテルには、設計図にもないような奇妙な空間や、用途不明の地下室が存在した可能性はあります。しかし、それが「隠し部屋」であり、何に使われていたのか、真相は今となっては藪の中です。
また、心霊スポットの代名詞とも言える「盛り塩」が、ホテル内部の至る所にあったという噂も根強く語られています。盛り塩は、一般的に魔除けや厄払いの意味で置かれます。もし廃墟内に多数の盛り塩があったとすれば、それは誰かが「そこにいる何か」を恐れ、封じ込めようとした証だと解釈できます。
しかし、これらの盛り塩が本当に「霊を鎮めるため」に置かれたのかは定かではありません。心霊スポットとして有名になった後、訪れた肝試しの来訪者やYouTuberなどが、演出として置いていった可能性も十分に考えられます。
地下室、隠し部屋、盛り塩。これらの要素は、事実と憶測が入り混じり、信州観光ホテルの「やばい」イメージを構築する重要なパーツとなっていったのでしょう。
信州観光ホテルのやばい噂③ ホームレスの幽霊が出るという心霊話
信州観光ホテルで語られる心霊現象の根源として、最も広く知られているのが「ホームレスの自殺説」です。廃墟となったホテルに、ある時期からホームレスが住み着いていたが、やがてその場所で命を絶ってしまった、というものです。
この噂が事実であるかどうかの確証はありません。しかし、実際に広大な廃墟が、風雨をしのぐ場所として不法滞在者に利用されることは珍しくありません。そして、この「ホームレスの霊が出る」という噂が、具体的に報告される心霊現象と結びついていきます。
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信州観光ホテルにまつわる心霊の噂① 聞こえるはずのない足音や物音
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「誰もいないはずの廊下から足音が聞こえる」、「ドアが軋む音がする」といった聴覚的な怪奇現象の報告は非常に多いです。これは、自殺したホームレスの霊が今も館内を彷徨っているからだと説明されました。
信州観光ホテルにまつわる心霊の噂② 謎の声
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「うめき声が聞こえた」、「誰かの話し声がした」という心霊現象も数多く報告されています。
信州観光ホテルにまつわる心霊の噂③ 心霊写真
不可解な光の玉(オーブ)や、顔のようなものが写り込むといった心霊写真が撮れるとも言われました。
信州観光ホテルにまつわる心霊の噂④ 老爺の霊の目撃情報
具体的に「老人の幽霊を見た」という目撃談も存在します。これはホームレスの霊のイメージと直結するものと言えるでしょう。
これらの心霊現象の噂が、挑戦者たちの恐怖心を煽り、次なる探訪者を呼び寄せるというサイクルを生み出しました。
信州観光ホテルのやばい噂④ YouTuberの動画での心霊現象で話題化
信州観光ホテルの名を全国区の心霊スポットへと押し上げた決定的な要因の1つが、人気ホラーエンターテイメント番組「ゾゾゾ」をはじめとする、YouTuberたちの存在でした。
彼らが公開した限定に凸する動画は、視聴者に廃墟内部の様子をリアルに伝え、まるでその場にいるかのような恐怖体験を提供しました。特に「ゾゾゾ」の動画では、撮影中に「人の後ろ姿のような影が映り込んでいる」と視聴者の間で大きな話題となりました。
この「ガチで映ってしまった」とされる映像は、それまでの噂話とは一線を画す「証拠」として拡散され、信州観光ホテルの恐怖を不動のものにしたのです。
当該の動画が消されたという事実も、噂に拍車をかけました。「あまりに危険なものが映ってしまったために削除されたのではないか」という憶測が飛び交い、かえって人々の興味を引く結果となったのです。(ただし、この動画はその後再アップされている)
メディアの力、特にネット動画の普及が、1つの廃墟を伝説的な心霊スポットへと昇華させた典型的な例と言えるでしょう。
信州観光ホテルの現在…20年間放置された廃墟の解体がほぼ完了
数々のやばい都市伝説と心霊的な噂に彩られた信州観光ホテルですが、その物理的な存在にはやがて終焉の時が訪れます。20年以上にわたり温泉街の風景に異様な存在感を放ち続けた巨大廃墟は、いかにしてその姿を消すことになったのかについても紹介していきます。
信州観光ホテルの現在① なぜ20年以上も廃墟のまま放置された理由
1997年の破産後、ホテルは買い手がつかないまま、長い間放置され続けました。その理由は以下のように複数考えられます。
莫大な解体費用
崖に隣接し、複雑な構造を持つ巨大な建物を解体するには、億単位の莫大な費用が必要でした。この費用がネックとなり、誰も手を出せない状況が続きました。
所有権の問題
破産後、ホテルの土地と建物は長野県滞納整理機構に移管され、公売にかけられましたが、入札者は現れませんでした。
アスベスト(石綿)の存在
後に判明しますが、古い建物であるため、解体にあたっては有害物質であるアスベストの除去という課題もありました。
これらの問題が山積し、ホテルは所有者にとっても行政にとっても「負の遺産」として、時が止まったまま取り残されることになったのです。この放置された20年という歳月が、廃墟としての熟成を進め、心霊スポットとしての伝説を育む格好の舞台となりました。
信州観光ホテルの現在② 2018年に解体作業がスタート
信州観光ホテルの長い静寂が破られたのは2018年(平成30年)3月の事でした。群馬県の業者が、ついにホテルの土地と建物を取得したのです。同年8月からは解体に向けての準備が開始され、アスベストの調査などが行われました。
しかし、解体作業は順風満帆ではありませんでした。
不法侵入者の問題
解体作業が始まってもなお、心霊スポットとしての知名度から不法侵入が後を絶たず、2019年7月には男女10名が検挙されるというトラブルも発生しています。
自然災害の影響
2019年10月の台風19号(令和元年東日本台風)による影響で、解体作業が一時中断を余儀なくされました。
幾多の困難を乗り越え、重機が入り、建物の壁が少しずつ剥がされていく様子は、一つの時代の終わりを告げる光景でした。かつての威容は見る影もなく、鉄骨とコンクリートの残骸へと姿を変えていきました。
信州観光ホテルの現在③ 解体作業はほぼ完了している
信州観光ホテルの解体作業は数年をかけて進められ、2022年(令和4年)頃には、建物の基礎部分を残しておおむね完了しました。
2025年現在、かつて巨大なホテルが聳えていた場所は、更地に近い状態になっています。Googleマップの航空写真などでも、建物が存在しないことが確認できます。温泉街を見下ろしていたあの異様な圧迫感はなくなり、そこにはただ静かな山の斜面が広がっています。
まとめ
今回は、元々は長野県千曲市上山田温泉で経営されていた大型ホテルで、倒産後に廃墟化・心霊スポット化して人気となっていた「信州観光ホテル」についてまとめてみました。
信州観光ホテルは、戦後すぐの1951年に創業し高度経済成長に乗って成長を遂げましたが、バブル崩壊で打撃を受けて1997年に多額の負債を抱えて倒産しました。
信州観光ホテルはその後廃墟化し、凄惨な殺人事件があった、地下室に隠し部屋がある、老人の幽霊の心霊現象がありあちこちに盛り塩がされているといったやばい噂が多く囁かれるようになりました。
その後、2018年に信州観光ホテルの廃墟の解体が始まり、2025年の現在は建物の解体はほぼ完了しています。