丸二ホテル伊勢の郷は三重県多気郡明和町にあったリゾートホテルで、もとは「有料老人ホーム伊勢の郷」として営業していました。現在は巨大廃墟になっている丸二ホテル伊勢の郷の場所や歴史、心霊現象の噂や運営者について紹介していきます。
この記事の目次
丸二ホテル伊勢の郷の概要と歴史【三重県の巨大廃墟】
丸二ホテル伊勢の郷は、2009年頃まで三重県多気郡明和町で株式会社伊勢の郷が営業していたリゾートホテルです。
地上9階建て、客室数282室を誇る巨大な施設で総工費は約32億円。1985年に開業した当初は「有料老人ホーム伊勢の郷」として営業していました。
老人ホームだった頃から部屋にはすべてバス・トイレ・冷暖房設備が完備されており、日本庭園や茶室、二階建ゲートボール場、陶芸窯、家庭菜園といった豪華な施設も備えられていました。
施設自体は伊勢カントリークラブと隣接する自然豊かな閑静な場所にあり、入居者は無料で松阪市や伊勢市の中心部へバスで送迎してもらえるといったサービスも充実していたとされます。
しかしながら運営元の株式会社伊勢の郷が見込んだほどの入居希望者が集まらず、開業から4年が経った1990年1月の時点での有料老人ホーム伊勢の郷の入居者は17室23名にとどまることに。
総収容人数の5%しか入居者しか獲得できなかったことから1986年の時点ですでに60億円の負債を抱えており、開業早々、借り入れた運転資金の利息や従業員の給料の支払いさえ困難になっていました。
経営が立ち行かなくなった有料老人ホーム伊勢の郷は、1990年には株式会社伊勢の郷が入居金など約3億8000万円を入居者全員に返還し、入居者を退去させたうえで閉業します。
その後、伊勢カントリークラブの利用客を主なターゲットにした「丸二ホテル伊勢の郷」が、老人ホームの跡地に開業。
ホテルとしてリニューアルオープンした後は、芸能人を呼んだショーを開催したりメディアに取り上げられたりと賑わいを見せましたが、バブル崩壊後は客足も遠のき、またしても経営に窮することに。
2009年頃には丸二ホテル伊勢の郷も廃業したのですが、現在も建物は解体されずに国内最大級の廃墟として取り残されています。
丸二ホテル伊勢の郷の場所
丸二ホテル伊勢の郷の場所は、三重県多気郡明和町有爾中(うになか)579-7です。最寄り駅は近鉄山田線の斎宮駅(さいくうえき)で、斎宮駅からは車で10分ほどの距離となります。
なお、Googleなどで「丸二ホテル伊勢の郷 場所」と検索すると三重県伊勢市御薗町高向633−1という住所が出ますが、これは同じ運営会社が現在も営業している「丸二ホテル伊勢」の住所です。
丸二ホテル伊勢の郷は老人ホーム時代に訴えられていた
豪華な設備をウリにしていただけあって、丸二ホテル伊勢の郷の前身である有料老人ホーム伊勢の郷の入居一時金は約1,600万円から2,500万円と極めて高額だったといいます。さらにこれとは別に、入居者は月々の利用料金を支払う必要がありました。
これだけのお金を用意して引っ越してきたわけですから、入居者たちは最高の環境とサービスを期待して、有料老人ホーム伊勢の郷を終の棲家に選んだのでしょう。
しかし実際には事前に説明されていたようなサービスは提供されず、以下のような不満が入居者からあがっていました。
医療態勢への不満
・診療所を設置し、医師や看護師はもちろん理学療法士やヘルストレーナーが常駐すると契約書にあったが、医師さえいない日が多い。
・診療所の医師がころころ変わり、主治医というものがいない。
・夜間は医師だけではなく看護師もいなくなる。
・理学療法士やヘルストレーナーは見たこともない。
・病気の際には提携病院と連携して対応すると契約書にあったが、提携病院などない。
施設への不満
・契約書にあった施設のうち、ゴルフ練習場、子供の村、日用雑貨医薬品の売店、理美容室の4つは存在しなかった。
・テニスコート、家庭菜園はあまりに粗末なもので利用に耐えなかった。
・ゲートボール場は雨の日も利用可と契約書にあったが、実際には雨の日には使えなかった。
・茶室と日本庭園は、施設職員のたまり場になっており、入居者は利用できなかった。
その他の不満
・食事の質もどんどん低下していき、味も栄養バランスも悪く、給食を利用する入居者は激減していた。
・ケースワーカーが配属されておらず、困ったときに相談できる職員もいなかった。
・松阪市内へは無料バスで送迎するとの契約だったが、1990年からは送迎を拒否されるようになった。
上述のように有料老人ホーム伊勢の郷は開業から4年が経っても95%が空き室の状態で、オープンから一貫して資金難が続いていました。
くわえて給与の支払いが遅れたことから従業員の離職も相次ぎ、サービスの質も低下。そのため、契約書どおりのサービスを提供できなかったのでしょう。
数少ない入居者からも不満や不安の声があがるなか、「倒産間近なのではないか?」「施設を売却するらしい」という噂が社内外で囁かれていたといいます。
そのような折、1989年4月にホームを運営する株式会社伊勢の郷は、武山総合開発株式会社という会社に有料老人ホーム伊勢の郷の建物の一部に区分所有権を設定し、譲渡する合意をしてしまったのです。
なんの説明もなく、自分たちの住んでいるホームの一部が他社に譲渡されることを知った入居者は驚き、津地方裁判所に譲渡禁止の仮処分を申請。
これについては1990年4月に伊勢の郷側が入居者に入居金などを支払うことで和解が成立したのですが、その後も入居者を悲劇が襲います。
入居者たちの多くが老人ホームに引っ越すにあたり、自宅を売却して費用を工面していたのですが、バブル経済の真っ只中に退去が決まったため、土地の価格が高騰して転居先が見つからなかったのです。
退去費用だけでは自宅を買い戻せないことを知った入居者らは、さらに契約どおりのサービスが提供されなかったとして、債務不履行でも株式会社伊勢の郷を訴えました。
これを受けて津地方裁判所は、入居者の訴えを一部認めて合計約9,500万円の支払いを伊勢の郷に求めています。
丸二ホテル伊勢の郷の運営者
丸二ホテル伊勢の郷の運営は株式会社伊勢の郷であり、株式会社伊勢の郷は三重県伊勢市にある「株式会社丸二」の子会社でした。
裁判の資料よると伊勢の郷も丸二も、有料老人ホーム伊勢の郷の時代には西口秀嗣氏が代表取締役を務めていたとされます。
丸二ホテル伊勢の郷になってから放送されたTV番組では「丸二ホテル伊勢の郷のオーナーは医学博士の西口利明さん」と紹介されていることから、ホテルとして再開する際に経営者が代替わりしたのかもしれません。
当時、西口利明氏は名古屋グランパスエイトの顧問ドクターを務めており、マスコミにも顔を出していたことから話題を呼ぶのに適していたのでしょう。
老人ホーム時代に医療サービスが提供されない、介護や福祉のことを何も知らない素人が安易に手を出した結果だと批判を集めたことを払拭しようとしたのか、「医学博士の健康プログラムで健康になれる宿」としてさまざまなプランを展開していたようです。
西口利明氏が開発した医療器具・ゴールドレッグスでマッサージも受けられたといいます。
また、この頃、株式会社丸二と西口利明氏は三重県鳥羽市安楽島町で「丸二水産ビッグシードーム」という観光レストランも運営していました。
伊勢海老が丸ごと入った伊勢エビールなどの変わったメニューが話題を呼び、嵐がMCを務める深夜番組『Dの嵐!』でも取り上げられるなどしていましたが、このビッグシードームも丸二ホテル伊勢の郷と同時期に閉業。廃墟として建物だけが残っています。
現在でも丸二ホテル伊勢の郷、ビッグシードームともに株式会社丸二の所有物となっている可能性が高く、不法侵入を警戒して厳重な見回りが行われているとの話もあります。
日本最大級の廃墟としてマニアから人気の高い施設ですが、過去には不法侵入者が通報されて警察沙汰になったこともあるそうなので、興味がある方も外観だけを楽しんで帰りましょう。
丸二ホテル伊勢はなぜ廃業した?
TVでも取り上げられるほど、一時期は注目を集めた丸二ホテル伊勢の郷。どうしてオープンから20年もたたずに廃業してしまったのでしょうか。
丸二ホテル伊勢の郷が経営不振に陥った背景には、維持費が掛かりすぎたほかに道路事情があるのではないか?とも指摘されています。
丸二ホテル伊勢の郷の近くには国道166号線が走っているのですが、この国道166号線はかつて「伊勢街道」「参宮街道」と呼ばれたほど、お伊勢参りをする人に多く使われた道でした。
そのためホテル開業当時は付近も参拝客のための土産屋が多く並び、丸二ホテル伊勢の郷にもゴルフ客のほかに多くの観光客が立ち寄ったそうです。
しかしその後、三重県の南北方向を結ぶ国道23号線のバイパス化が進み、お伊勢参りに向かう人の圧倒的多数が国道23号線を使うように。
反対に国道166号線は道幅も細く、平日であっても渋滞しがちと使い勝手が悪く、また遠方からの観光客は伊勢自動車道を使うことから、どんどん道路周辺が衰退していったのです。
そのあおりを受けて丸二ホテル伊勢の郷にも客が来なくなり、廃業に追い込まれたのではないかと考察されています。
また、調べたところ名物社長としてメディアに出ていた西口利明氏がホテル倒産の前後に亡くなっていたようで、社長による求心力がなくなってビッグシードームまで廃業したのでは?とも言われていました。
丸二ホテル伊勢の郷は心霊スポット?
もともとが老人ホームだったため、丸二ホテル伊勢の郷は廃墟となった現在でも介護用品が大量におかれた部屋があったり、ナースステーションのようなカウンターがあったりするそうです。
その不気味さからか「丸二ホテル伊勢の郷には霊が出るらしい」との噂がありますが、実際にホテル付近で心霊体験をした人はいない様子です。
5ちゃんねるのオカルト板や近隣に住んでいる人による情報も調べて見ましたが、これといったエピソードもなく、それよりも管理者の警備の厳しさや、ガラスの破片などが散らばっていて危険な状態であることから「中には絶対に入らないほうがいい」と訴える声が目立ちました。
また、三重県内には「鶯花荘寮」「翠峯閣」といった心霊スポットとして全国的に有名な廃旅館があるため、それらと混同しているのでは?との指摘も見られました。
丸二ホテル伊勢の郷の現在
閉業してから10年以上が経っていますが、現在も丸二ホテル伊勢の郷の跡地はどうなるのか決まっておらず、建物も取り壊されずに残っています。
解体にも費用がかかるうえ、更地にしたほうが固定資産税が高くなる可能性もあるため、所有者も手が付けられずぞのままにしているのでしょう。
「早く取り壊してほしい」等の住民の苦情も多く出ていないのか、ここまで大きな廃墟でありながらメディアで取り上げられたこともない様子です。
土地建物が競売にかけられている、行政が買い取るという情報も出ていません。現在、三重県内には伊勢などの有名観光地を除いた各地に廃ホテルや廃旅館が点在しており、かつては環境客でにぎわった鳥羽市もすっかり寂れているといいます。
そのため市街地から離れた場所にある丸二ホテル伊勢の郷は、早急に解体が必要な物件とされていないのかもしれません。
しかし、ネット上では「このホテルのように『くの字型』の建物は、曲がっている箇所からヒビが入って倒壊しやすい」と指摘する声も見られ、営業中の介護施設が隣接していることからも「大きな地震が来たら危ないのではないか」と心配する声もあがっています。
丸二ホテル伊勢の郷についてのまとめ
今回は1985年に老人ホームとして開業し、2009年頃には閉業して廃墟となった巨大ホテル・丸二ホテル伊勢の郷について、歴史や老人ホーム時代に起きた訴訟、運営者などの情報を中心に紹介しました。
丸二ホテル伊勢の郷については、老人ホーム時代の訴訟の資料くらいしか施設について詳しく書かれたものが残っていません。
そもそもなぜ、高齢化が進む現在でさえ経営が難しそうな巨大な高級老人ホームを、利便性が高くない明和町に建てることにしたのでしょうか。どのような計画で開業したのか疑問が残ります。