野外授業中に女子児童が忽然と姿を消した「下村まなみちゃん行方不明事件」が注目されています。
この記事では、下村まなみちゃんが行方不明になった経緯、父親や母親などの家族、ダウン症の事実、事件の真相の考察や校長犯人説、霊視や未発見の現在の状況などについてまとめました。
この記事の目次
- 下村まなみちゃん行方不明事件の概要
- 下村まなみちゃんの家族① 母親の下村益代さん
- 下村まなみちゃんの家族② 父親の情報は出ていない
- 下村まなみちゃんの家族③ 姉が2人いる
- 下村まなみちゃんの家族④ 祖母の下村陽子さん
- 下村まなみちゃんはダウン症だった事も母親の益代さんが明かしている
- 下村まなみちゃん行方不明事件の真相の仮説① 犯人はツキノワグマ説
- 下村まなみちゃん行方不明事件の真相の仮説② 校長が犯人説もあるがデマ
- 下村まなみちゃん行方不明事件の真相の仮説③ 犯人は顔見知り説
- 下村まなみちゃん行方不明事件の真相の仮説④ 変質者による誘拐説
- 下村まなみちゃん行方不明事件の真相の仮説⑤ 事故や迷子説
- 下村まなみちゃん行方不明事件では霊視による捜査も
- 下村まなみちゃん行方不明事件の現在…未だ発見されず未解決のまま
- まとめ
下村まなみちゃん行方不明事件の概要
出典:https://livedoor.blogimg.jp/
「下村まなみちゃん行方不明事件」は、2009年7月24日に岐阜県郡上市高鷲町の「ひるがの高原キャンプ場」で当時小学校5年生の女児が行方不明になった事件で、2021年12月の現在も発見されておらず未解決のままです。
行方不明になった女児の下村まなみちゃん(当時10歳)は、愛知県の常滑市立常滑西小学校に通う5年生で、学校行事の野外授業で同キャンプ場を訪れていました。
この野外授業には、同小学校5年生の児童85名と校長、教員らおよそ100名が参加しています。
下村まなみちゃんが行方不明になるまでの経緯
下村まなみちゃんは、その夜に予定されていた肝試しのコース(同キャンプ場の遊歩道)の下見のために、同級生の女子児童3名とグループになって午前7時半頃に出発し、午前8時少し前に、キャンプ場の一番奥に位置する遊歩道上の林道のカーブ前で児童らを見守っていた澤田広彰校長(当時49歳)の前を通過しています。
澤田校長の証言によると、この時、下村まなみちゃんはグループの他の3人から約20メートルほど遅れる形で離れて歩いており、その様子を心配した澤田校長は、しばらくしてグループの後を追ったという事です。
澤田校長はその直後、引き返してきた女子児童3名に遭遇し下村まなみちゃんの姿が見えなくなった事を伝えられています。これは、澤田校長が最後に下村まなみちゃんの姿を確認してからわずか10分後の出来事で、午前8時前後の僅かな時間の間に下村まなみちゃんは行方不明になった事になります。
下村まなみちゃんが行方不明になった遊歩道は、道なりに歩けばスタート地点に戻る周回コースになっており、下村まなみちゃんが校長に最後に目撃された地点はアスファルト舗装の林道で、東側には大人でも登れないほどの急斜面の崖、西側には小川が流れていましたが、この季節の水深は10cmほどで10歳の子供が溺れるような水深ではありませんでした。
ローラー作戦による大捜索が行われるも本人はおろか痕跡すら発見できず
下村まなみちゃんが行方不明になった直後、校長や教師らが周辺を捜索していますが発見できず、すぐに警察に通報しています。岐阜県警は、すぐに数百人の捜査員を動員して同キャンプ場の捜索を開始しました。
同キャンプ場は15万平方メートルにも及ぶ広大な敷地を有しており、捜索開始から7日間で、県警、市消防局、市民ボランティアら、のべ1700名以上の大人員でローラー作戦を展開。藪や林の中、周辺の建物内、小川の中は当然ながら、重機を使って崖を切り崩して土の中まで探すなど、徹底的な捜索が行われました。
ところが、これだけの大捜索を行ったにも関わらず、下村まなみちゃん本人はおろか、所持品や痕跡などの手がかりも一切発見されませんでした。
当日は同キャンプ場に一般の宿泊客はおらず、不審者の目撃情報なども出ていません。わずか10分ほどの間に約100人の関係者のいる場所から忽然と姿を消すというあまりにも不可解な状況から神隠しにあったのではという声すらも上がりました。
行方不明当時の下村まなみちゃんの特徴
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行方不明になった当時の下村まなみちゃんの特徴は、身長120cm、体重20kg、体型は痩せ型。服装は白地に袖が水色で、ウサギのイラストが入った長袖Tシャツと薄ピンク色のズボン、水色運動靴、髪を2カ所ゴムで止めていた事、首から名前が書かれた赤いストップをかけていた事などが情報公開されています。
また、母親や学校関係者によれば、下村まなみちゃんは体が弱く、普段の学校生活でも教員や同級生らのサポートを必要としていたそうです。
そのため、下村まなみちゃんが独力でキャンプ場を出て行方をくらました可能性は考えづらいという事でした。
今回はこの「下村まなみちゃん行方不明事件」についてまとめていきます。
下村まなみちゃんの家族① 母親の下村益代さん
行方不明になった下村まなみちゃんの家族についてみていきます。
下村まなみちゃんの母親は下村益代さんという方で、現在も下村まなみちゃんの帰りを待ち続けているという事でメディアの取材にも応じられています。
下村まなみちゃんの母親の下村益代さんは、2018年に朝日新聞の取材を受けた時点で、52歳と報じられているので、2021年の現在の年齢は55歳前後のはずです。
2013年7月24日配信の「朝日新聞デジタル」の記事によると、下村まなみちゃんの母親の下村益代さんは看護師をされているという事でした。
看護師の益代さんは1人で3人を育て、それぞれの成長を楽しみにしていた。
下村まなみちゃんは看護師の母親への憧れを持っていたようで、七夕の短冊に「かんごしさんになりたい。下村まなみ」と書いていたそうです。母親の益代さんはこの短冊を現在も大切にされているという事です。
上述の朝日新聞デジタルの記事では、下村まなみちゃんの母親の益代さんは、まなみちゃんの学習机をそのままにして帰りを待っており、まなみちゃんが行方不明になったキャンプ場に近いひるがの高原サービスエリアやJR岐阜駅で情報提供を求めるチラシ配りを続けている事なども報じられていました。
その他、母親の益代さんは、下村まなみちゃんが当時通っていた常滑市立常滑西小学校への責任追求も行わなかった事なども明かされていました。
益代さんは、キャンプ場の最寄りの東海北陸自動車道ひるがの高原サービスエリアやJR岐阜駅などで情報提供を求めるチラシを配る活動も続ける。当時、益代さんは学校側と監督責任をめぐって争わなかった。精力的に協力してくれる学校や友人らには深く感謝している。
下村まなみちゃんの家族② 父親の情報は出ていない
下村まなみちゃんの父親については情報は一切出ていません。
既に触れた2013年7月24日配信の「朝日新聞デジタル」の記事には「看護師の益代さんは1人で3人を育て」と書かれています。
この内容から、離婚か死別かなどの理由は不明ながら、下村まなみちゃんの家族には父親が不在であった可能性が高いようです。
下村まなみちゃんの家族③ 姉が2人いる
朝日新聞デジタルの記事に、下村まなみちゃんは3人姉妹の末っ子と書かれているので、上に姉が2人いるようです。
まなみさんは3人姉妹の末っ子。
母親の益代さんによれば、行方不明になる日の前夜、自宅で下村まなみちゃんが、当時中学3年生だった姉のいくみさんと居間のソファで歌を合唱するなど、野外学習を楽しみにしてはしゃいでいた様子がまぶたに浮かぶという事です。
キャンプ前夜。まなみさんはパジャマ姿で、中学3年だった姉のいくみさん(18)と居間のソファに座って、歌を合唱していた。キャンプを待ちかね、はしゃぐ様子が、今も益代さんのまぶたに浮かぶ。
下村まなみちゃんは姉2人にもとてもかわいがられていたようです。
下村まなみちゃんの家族④ 祖母の下村陽子さん
下村まなみちゃんは、祖母の下村陽子さんとも一緒に暮らされていたようです。
下村まなみちゃんが学校で鉢植えで「フウセンカズラ」を育てていたそうで、祖母の下村陽子さんは、このフウセンカズラの種を毎年植えて、庭のプランターで世話をされているそうです。
下村まなみちゃんはダウン症だった事も母親の益代さんが明かしている
母親の益代さんは、下村まなみちゃんがダウン症だった事を明かされています。
また、生後間もなく心臓の手術もされていたという事で、行方不明当時も体が弱かったというのはこのダウン症の影響だったようです。
ダウン症と診断され、生後間もなく心臓を手術した。市立常滑西小学校に通い、学習や運動面で多少の遅れはあったが、「明るい性格で、踊るのが好きだった」。
2018年7月23日配信の「朝日新聞デジタル」の記事によると、下村まなみちゃんはダウン症でしたが、集中力や意志の強さがあり、特別支援学級で懸命に勉強をされていたようです。
まなみさんはダウン症で、特別支援学級で学んでいた。計算は苦手だったが、話すことは大好き。ドラマのせりふをすぐに覚えた。長時間、勉強を続ける集中力があり、やりたいことを最後までやり抜く意志の強さもあった。料理で包丁を上手に使えたという。
下村まなみちゃん行方不明事件の真相の仮説① 犯人はツキノワグマ説
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「下村まなみちゃん行方不明事件」は、そのあまりに不可解な内容から、インターネット場の匿名掲示板やウェブメディアなどでその真相が盛んに考察され様々な仮説が出ています。
続けて、そうした真相の仮説のいくつかを順番に紹介していきます。
行方不明事件発生当時の報道では、当時「ひるがの高原キャンプ場」のある岐阜県郡上市の各地で、ツキノワグマの出没情報が出ていた事から、下村まなみちゃんがツキノワグマに襲われたのが真相ではとの見方もされていました。
しかし警察による大規模捜索にも関わらず、下村まなみちゃんの衣服や靴などの遺留物が全く見つかっていない事などから、ツキノワグマに襲われた可能性は極めて低いと結論づけられています。
同市の各地でツキノワグマの出没も目撃されていたことから、事件発生当初は「クマに襲われたのではないか?」との予想もなされた。しかしながら、警察の捜索で衣服や靴などが発見されていないことから、その可能性は極めて低いとみられている。
下村まなみちゃん行方不明事件の真相の仮説② 校長が犯人説もあるがデマ
下村まなみちゃん行方不明事件では、最後の目撃者である澤田広彰校長が怪しいという声も多く出ました。
下村まなみちゃんの事件さぁ
当時は校長が超怪しいんですけど。
事件当日の状況を冷静に覚え過ぎてるしさぁ
テレビにも堂々出過ぎだし…。
最後の目撃者である事と曲がり角があるのに直線上の『橋を渡る』トコまでしか確認してないっつ~話とかさぁ
怪しさ満載!!— *パンのミミ* (@AomiiAtumi) February 14, 2016
校長が怪しいという声の根拠としては、「最後の目撃者だから」という事に加えて、「ダウン症の子供が1人で孤立して歩いていれば、安全のためについて歩くのが常識的な対応ではないか」、「なぜ、先に通過したグループの女子児童3人にその場で下村まなみちゃんを待つように指示しなかったのか」、「行方不明になった後、すぐに警察に通報しなかったのは何故か」といった内容が上げられています。
しかし、校長が最後に下村まなみちゃんの姿を確認してから、先行して歩いていた女子児童3人が引き返してきて、まなみちゃんがいなくなった事を告げられるまでの時間はわずか10分ほどです。
このわずか10分ほどの間に、校長が下村まなみちゃんをどこかへ連れ去って見つからないように隠す事は不可能に近いと思われます。
そして、校長は下村まなみちゃんが行方不明になったと知らされてすぐに、他の教員達に連絡をとって周辺を探しており、そのままの流れで警察への通報と大捜索へとつながっているので、校長先生が犯人である事はまずあり得ないでしょう。
また、警察への通報が遅れた理由としては、学校側としては当時の状況から周辺を探せばすぐに下村まなみちゃんが見つかると考えていた可能性が高く、警察通報するなどの大ごとにはしたくなかった心理が働いた可能性があります。
校長はその後、メディアの取材を受けて「まなみさんの事を思い出さない日は1日もない」とすぐに警察に通報しなかった事を悔いる発言をされていました。
下村まなみちゃん行方不明事件の真相の仮説③ 犯人は顔見知り説
下村まなみちゃんが行方不明になった当時、近くに児童や校長がいたにも関わらず、騒ぐ声や悲鳴などを聞いた者がいない事などから、犯人は下村まなみちゃんの顔見知りではないかという説も語られています。
この仮説が真相だとするなら、犯人は下村まなみちゃんがこの日に野外学習に参加する事を知っており、わざわざ現地に潜んでいた事になります。
しかし、ダウン症を持っていた下村まなみちゃんが1人で歩く状況になった事や、そのタイミングがちょうど周囲から視界が遮られる林道であった事は偶然だったので、顔見知りによる計画的な犯行である可能性は少々考えづらいのではないかと思われます。
下村まなみちゃん行方不明事件の真相の仮説④ 変質者による誘拐説
下村まなみちゃん行方不明事件は、遺留品が一切見つかっていない事から、単なる事故や迷子ではなく、何者かによる人災である可能性が極めて高いとみられています。
こうした事から、下村まなみちゃん行方不明事件の真相は変質者の犯人による誘拐説が有力だとされています。
小児性愛者などの変質者が、その日にひるがの高原キャンプ場で小学校の野外授業が行われる情報を知り、女子児童を誘拐する目的で潜んでおり、偶然同級生と離れて1人きりで歩いている下村まなみちゃんを見つけて犯行に及んだという事が考えられます。
この犯人が、下村まなみちゃんがダウン症である事に付け込んで言葉巧みに誘い出し、こっそりと持ち込んだ自動車などに乗せてその場から速やかに逃亡したとすれば、下村まなみちゃんが行方不明になってから、警察による捜索が開始される約4時間半の間にかなり遠くまで逃亡した可能性が高く、いくら探しても発見されなかった事にも説明がつきます。
下村まなみちゃん行方不明事件の真相の仮説⑤ 事故や迷子説
下村まなみちゃん行方不明事件の真相の仮説としては、事故や迷子になったという説も出ています。
下村まなみちゃんはダウン症を持っており、1人で行動する事はこの時が生まれて初めての事だったそうなので、事故や迷子になったのであれば自分1人の力で対処する事は難しかったと考えられます。
ただ、ここまで見て来たように、下村まなみちゃんが最後に校長先生に確認されてから、行方不明になるまでは約10分ほどしかありません。また、下村まなみちゃんの行方不明になった地点の地形は大人でも登るのが困難な急斜面と、10cmほどの水深の小川はあるものの、短時間で迷子になったり事故に遭ったりするような環境ではありませんでした。
また、徹底的な捜索が行われたにも関わらず、下村まなみちゃんが事故に遭ったことを示すような痕跡は一切見つかりませんでした。
したがって、下村まなみちゃんが事故や迷子になったのが真相だとする可能性は低いと言えそうです。
下村まなみちゃん行方不明事件では霊視による捜査も
2016年2月14日に放送されたフジテレビの日曜ファミリアの枠で放送された特番「最強FBI緊急捜査!日本未解決事件完全プロファイル」で、下村まなみちゃん行方不明事件が特集され、その中でアメリカの霊能力者による霊視捜査が行われました。
この霊能力者による霊視では、下村まなみちゃんは何者かに誘拐された可能性が高いとの結果が出ています。
アメリカの行方不明者捜索団体「FIND ME」は、この霊視結果で導き出された場所を、30年前の人の匂いも感知できるという捜索犬「K-9」を駆使して捜索しましたが、残念ながら発見には至りませんでした。
この霊視結果が信じられるかどうかはわかりませんが、状況から見て下村まなみちゃん行方不明事件の真相は何者かによる誘拐の可能性が最も高いというのは間違いなさそうです。
下村まなみちゃん行方不明事件の現在…未だ発見されず未解決のまま
下村まなみちゃんは、現在も未だ発見されておらず、未解決のままとなっています。
下村まなみちゃんの現在の年齢は22歳前後になっているはずです。
下村まなみちゃんの母親の下村益代さんが、2018年に10月14日に、下村まなみちゃんが行方不明となったひるがの高原キャンプ場に近い、東海北陸自動車道のひるがの高原サービスエリアで情報提供を呼びかけた事が報じられていますが、これを最後にこうした報道はされておらず、現在も母親の益代さんがこうした活動を続けられているのかどうかは確認できませんでした。
ただ、現在も岐阜県警郡上警察署では、下村まなみちゃんに関する情報提供を募っています。もし何か心当たりがある方は「郡上警察署(0575-67-0110)」まで連絡をという事です。
まとめ
今回は、2009年7月24日に発生した「下村まなみちゃん行方不明事件」についてまとめてみました。
下村まなみちゃんは、当時10歳で、常滑市立常滑西小学校の5年生でした。当日は学校の野外授業として、岐阜県郡上市の「ひるがの高原キャンプ場」を訪れており、施設内の遊歩道を散策している最中、最後に校長先生に確認されてからわずか10分ほどの間に忽然と姿を消し行方不明となりました。
下村まなみちゃんの家族は、母親の益代さんと、祖母の陽子さん、姉が2人おり、現在も下村まなみちゃんの帰りを信じて待っているという事です。なお、事情は不明ですが父親は不在のようです。
下村まなみちゃんはダウン症であることなども公表されていて、事件の真相はダウン症につけ込んだ変質者による誘拐説が最も有力とされているようです。他にも犯人は校長説などの噂がネットで流れていますが、証拠はなくデマ情報でしょう。
その後も捜索は続けられ、テレビ番組での霊視を駆使した捜索なども行われましたが、現在も下村まなみちゃんは発見されておらず未解決のままとなっています。
一刻も早く、下村まなみちゃんが発見される事を祈ります。