映画「リング」の貞子のモデルとなったのが、実際に存在した超能力者『高橋貞子』です。
千里眼の能力を持ち東京帝国大学・超心理学者の福来友吉助教授の元、公開実験が行われましたが批判を受け続けた高橋貞子は失踪し、その後の子孫・死因・墓の有無は不明瞭です。
この記事の目次
高橋貞子の生い立ちについて
高橋貞子は“旧岡山県和気郡和気町”に1886年、二男二女の末娘として生を受けました。
幼少時より口数が少ない性格で、自分の世界や物思いにふけることを好む少女であったと言われています。その内向的な性格から同級生・同年代等の他人や友達に対しては不愛想でしたが、困っている他人がいれば助けずにはいられない、お節介さと同情心を併せ持つ性格でもあったそうです。
非常に感受性が強く、一説で確証はありませんが気持ちの起伏によって吐血・発熱・痙攣といった健康面の変調をきたすという、にわかには信じがたい一面もありました。父親が日蓮宗の熱心な信者だった影響で、高橋貞子もまた日蓮宗へ強い信仰心を抱いていたそうです。
その様に信仰心深く内気で慈父深い性格をもったまま高橋貞子は成人を迎え、生涯の伴侶を得ます。
高橋貞子の超能力を見出した夫“高橋宮二”
「千里眼問題の真相 千里眼受難史」高橋宮二
人文書院、昭和8年https://t.co/MvCHaTN90g pic.twitter.com/EwdRROLDgT— 股旅堂 (@matatabido) February 24, 2022
高橋貞子はその出生年月日もかなり不確かな部分があり、夫となった“高橋宮二”との馴れ初めや結婚については一切明らかになっていません。
この高橋宮二は決して専門的な知識を持つ「超自然科学」の研究家ではありません。
彼独自に編み出した精神修養のための呼吸法を研究しており、妻である貞子も夫に感化され実践しているうちに精神統一の方法を学んだと言われています。夫・宮二はこの様な独自の…今日では新興?…あるいはカルト宗教と呼ばれそうな手法を用い、妻に霊的能力が宿っていると確信したと言われています。
冒頭の引用Twitterの様に一連の千里眼騒動が落ち着いた昭和初期には、後にキー人物となる東京帝国大学助教授“福来友吉”の後押しもあり「超心理学」の書籍作成に尽力もしています。
夫・宮二の貞子評
御船千鶴子
長尾郁子
この高橋宮二が貞子の能力に着目したのは、当時高橋貞子を含む3人の女性が関わった一連の千里眼事件にインスピレーションを受けたようです。特に長尾郁子の実験に影響を受け、この出来事を耳にした夫宮二が妻貞子の超能力を完全に信じ込む根拠となります。
この様に高橋宮二は貞子の超能力を完全に信じ込むのです。
後に学識者の批判に晒され非業の服毒自殺で24歳の若さで非業の死を遂げることになってしまった第一の女性“御船千鶴子”…そして第二の女性“長尾郁子”の千里眼実験が当時、世間にどれだけのインパクトを与えたのか?が伝わりますね。残念ながらこの長尾郁子も数々の実験のインチキを指摘され表舞台から退いた僅か2か月後に労咳(肺結核)のため40歳でこの世を去っています。
しかし奇しくも長尾郁子の初の念写実験が行われた1910年(明治43年)11月12日に高橋貞子と夫高橋宮二は自身の精神鍛練と、貞子の存在能力が浮き彫りになったことを確信してしまいます。高橋夫妻は実験当時、現・東京都渋谷区千駄ヶ谷で生活しており、千里眼事件の中心人物である福来友吉が在籍する東京帝国大学の手の届く範囲に居を構えていたという、偶然が重なるのです。
高橋貞子が実際に行ったとされる超能力・超心理学現象
実は高橋貞子は元々“超能力・超心理学現象”を行う素質はあれど、幼少期から結婚まではそれを自在にこなす能力はもたなかったとされています。
彼女の超能力が開花したのは、夫・高橋宮二が我流で独自に編み出した精神修練・精神統一のための呼吸法がきっかけで会得したのです。貞子が宮二の呼吸法を真似ることによって超能力に目覚めたというのが高橋夫婦の主張でした。
真偽のほどはあいまいですが、高橋宮二の話によると1910年11月12日にある日突然『貞子が持った火箸が火鉢の上を移動して“清”の一文字を書いた』現象が貞子の超能力の始まりでした。この時貞子は完全に無意識下で意識的に起こした現象ではありません。
更に宮二は確信を得るためにウィジャボード(西洋のコックリさんの様なもの)を用意し、彼女に降霊術や精霊などを呼び出すことを指示します。これが上手く行き宮二は自分の妻の潜在能力を確信しました。
それから更にその当時の超心理学実験の最先端である『千里眼実験』現在で言う所の念写や透視の実験を行い、見事に成功するのです。この実験は試験的に大衆の目の前でも行われており、明治の世に降臨した『千里眼』として一躍話題に挙がります。
高橋貞子の千里眼実験
ここでまた更なる偶然が重なります。当時、高橋夫妻は渋谷区千駄ヶ谷にある鵜澤總明(うざわふさあき)邸宅内の一戸を借り上げ生活をしていました。
この鵜澤總明という人物は、東京帝国大学法学部を卒業した弁護士であり、ここで知己の仲であった福来友吉と高橋夫妻を引き合わせることとなるのです。
2回の超心理学実験が世間から訝しがられているのも意に介さず、福来友吉はこの高橋夫妻の申し出を受け、3回目となる『超心理学実験』を行います。この超心理学実験にどっぷりとのめり込んでいたようです。
世間の目は3度目の実験時にはかなり厳しいものになっていました。それも当然です、超心理学・千里眼実験の被験者「御船千鶴子」「長尾郁子」ら実験に関わった2人の女性が相次いで早逝するという事態になり、その当時の社会の目や学術者…そして福来友吉が所属する東京帝国大学ですら“超心理学実験”をこれ以上行わないように釘を刺していたのです。
そのため公式実験の前に高橋貞子は当の福来友吉立ち合いの元、非公開の実験を3回行ったことがハッキリと記録されています。
高橋貞子の念写方法
出典:https://aucview.aucfan.com/
超心理学実験には高橋貞子の前に「御船千鶴子」「長尾郁子」が関わっていましたが、彼女の念写方法はかなりこの2人とは一線を画していました。
ます貞子は精神統一を行った後、まるで別人格が憑依したかのような言動で透視や念写を行うスタイルでした。
福来友吉はこの別人格に『霊格』という名前を付け、あたかも降霊術の様な高橋貞子の様子を隅々まで記録に残しています。
この“霊格”を呼び起こすため、高橋貞子は幼少の頃に父親とともに信仰していた日蓮宗のお経を唱え、自分自身を別人格にいざなう行為が彼女の超能力を発揮するルーティーンだったようです。これを唱えることで自分自身にある意味暗示をかけ、別人格「霊格」を呼び起こすという行為を行っています。
これは“トランス状態”といい、肉体や精神を極限まで追い込まれた状態や瞑想状態に入った状態の事を指します。高橋貞子の透視や念写を行う方法は長年信心してきた“日蓮宗”をきっかけにしていたようです。
特に高橋貞子が持ちいた方法は、トランス状態に入り宗教的修行に入り外界との接触を絶ち「法悦状態」に入る事が主目的でした。法悦とは仏の教えを聞きそれを信じることにより、心にわく喜びを享受するものです。つまりお経を唱えることで精神統一を行い、超能力を発揮していました。
第一の実験
一回目の実験は1913年3月2日のことでした。
実験の内容は福来友吉が持っていた写真乾板に念写を行うというものです。福来友吉の用意した医師立ち合いの元…彼が隠し持っていた12枚の写真乾板への念写が狙いでした。
しかしここでアクシデントが起こります。貞子は福来友吉が所持していた写真乾板を“5枚”と誤認し、更にはその5枚への念写も全く成功しなかったのです。
ただ驚くべきことに立ち会い医師の自宅にあった、別の写真乾板に貞子の千里眼は感光し念写自体は一応の成功を収めます。
ただ実験としてはあくまで福来が持参した12枚の写真乾板に千里眼を行い念写することが目的であり、結果としては狙い通りの成果を得られなかったという事で、最初の実験は失敗に終わります。
第二の実験
第二の実験は一回目と同じく1913年の4月27日に行われます。
第一の実験の轍を踏まえ、福来友吉はあらかじめ用意した新品の写真乾板12枚から無作為に3枚を抜出して紙で何重にも包み込み、信頼のおける書生に監視させていました。
当日の夕方6:00に高橋貞子は福来友吉宅を訪れ『妙法』の2文字を念写するという自らの意志を伝えました。そして2時間後の夜8:00に他の心理学者立会いの元…第二の実験が始まりました。
この実験は成功を収めます。福来友吉が用意した3枚の写真乾板の内の1枚にハッキリと『妙法』の文字が感光しており、貞子の千里眼実験は大成功を収めます。
「妙法」の念写は、能力者・高橋貞子さんによるもの。福来友吉博士著「透視と念写」に写真が載っている。 pic.twitter.com/BBoJW2yxLw
— overQ⚕ (@overQrevo) August 19, 2014
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第三の実験
第三の実験は約二週間後の5月10日に行われますが、これまでの二度の実験と異なりかなり異質なものとなりました。
それもそのはず、高橋貞子はこの時催眠術をかけられ「睡眠状態」での千里眼実験を試みたのです。この実験では確かに『天』という一字の念写に成功しているのです。しかも当初の目論みとは異なり高橋貞子の無意識下にあったという『金』の文字の念写に成功したのでした。
福来友吉はこの結果に驚くほど喜び、高橋貞子の千里眼・念写などの超能力を確信したと言います。
高橋貞子の千里眼実験の反響
福来博士の『透視と念写』。御船千鶴子、長尾郁子、高橋貞子の3人の超能力者についてまとめた本で、資料としてはめっちゃ役に立ちます。実験のレポートも、誰が何を言って、何をやったかけっこう細かく書かれていて、当時の情景が思い浮かぶようなことも何度かあったり。ただ…… pic.twitter.com/6fiHofZOkz
— 本城達也 (@honjo_tatsuya) November 21, 2019
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福来友吉はこの結果を踏まえ、超心理学現象をまとめた書籍『透視と念写』という著書を刊行します。
しかし世間の反応は冷ややかなものであるどころか、福来友吉と高橋貞子を批判し追いやる風潮に傾いてしまいます。
原因①「学者たちの反発」
まず学識者連…今日で言う所の学会に所属するあらゆる学者が…曰く『迷信を助長させる恐ろしい行為だ』と猛烈に反発します。それは当時、福来友吉が教鞭を振るっていた“東京帝国大学”も同様でした。
もう一つ学者たちが超常現象をいぶかしんだ理由に、当時の国際的な発見があります。それは千里眼ブームが起こる以前に、世界中で放射線研究が全盛期を迎えていたからです。
・明治28年(1895)、レントゲン、「X線」を発見
・明治29年(1896)、ベクレル、ウランの「放射線」発見
・明治31年(1898)、キュリー夫妻、「ラジウム」発見
・明治32年(1899)、ラザフォード、α線とβ線分離(翌年γ線も分離)
今日ではあらゆる物質を透過する危険な放射線…それが千里眼実験以前に次々と国際的に報告が上がっていた背景があります。
トリックと断ずる者もいれば、こういった放射線を利用したインチキという説が日本最高峰の大学「東京帝国大学」で通説になるのも致し方ない事でしょう。
原因②「庶民感覚」
高橋貞子の千里眼実験以前に「御船千鶴子」「長尾郁子」の二人の女性が千里眼・超自然実験に関わり、両名とも非業の死を遂げた事は世間にも広く周知されていました。
その全てに福来友吉が関わっていたのです。
呪いや因果・何かしらの闇を庶民が感じ取るのは当然の帰結です。
原因③「東京帝国大学の面子」
千里眼実験が行われた明治時代は今日とは異なり、旧帝国大学をはじめとした少数の大学機関が存在するのみでした。
その中でも全国のエリート中のエリートが集うのが、当時でも最高峰の教育機関であった“東京帝国大学”です。福来友吉の実験は2回の成功を収めたものの…かえって俗物的な迷信を増長させると断じられてしまいます。
実際に福来友吉は、千里眼実験に対し懐疑的であった物理学者『山川健次郎』への挑戦状として公的な場で、高橋貞子の実験を行うつもりでしたが…当の山川健次郎は一周に伏し、多忙を言い訳に全く取り合わないという事態も起きています。
福来友吉のその後
福来友吉は失意の元に学会、そして東京帝国大学の職すら追われる事となります。ただ福来友吉は最後まで超心理学を信じており、全てを追われたのち…自分自身が千里眼・超能力を得るために高野山で修業を積みました。
福来友吉は最後まで自らが関わった3人の女性の神通力を信じ切っていたのです。
ただ実験は多数の成功を収めたと福来友吉の著書で語られますが、ごく内輪で行われた日公開実験だったためその真偽が疑われる事になってしまったのです。
高橋貞子のその後
「福来友吉に恥をかかせてしまった」その出来事に落胆した高橋夫妻は、その後故郷の岡山に帰ったそうです。
自分たちの実験のため福来友吉が下野に下ったこと…そして自分たちの存在が福来友吉に害を及ぼしたとして責任を感じ、けじめとして東京の表舞台から姿を消してしまいます。
夫・宮二は1933年に千里眼問題の真相本を出版しました。この本には少なくとも1933年までは故郷岡山で高橋夫妻が生活していたことが記されています。
また地元岡山での高橋貞子は近隣住民から熱心な支持を受け「心霊治療」を行い続けていたそうです。ただその後は全く消息不明で、高橋夫妻の情報は1933年を境にパッタリと途切れてしまいます。
高橋貞子に子孫はいるのか?
高橋貞子・宮二夫妻に子供がいたのか?そして子孫は脈々と生き続けているのか?こちらについては全く情報がありません。
故郷岡山で千里眼騒動による世間の注目を避け続け、ひっそりと暮らし続けたと思われます。
世間を騒がせた贖罪か?はたまた福来友吉を追いやってしまった責任感からでしょうか?その情報はぷっつりと途絶えており、令和になった今日でも全く明らかにならないのが正直な現状です。
高橋貞子の死因と墓は現存する?
高橋貞子は一説によれば70歳まで生存したと言われています。千里眼実験以来、身を潜めるように生活していた高橋貞子の死因は全く憶測の域を出ません。
ただ近年、テレビ番組やYoutuberの捜索で事実が明るみに出始めています。
まず高橋貞子の旧姓は“万代”であり、旧生家の近隣には「万代家」の共同墓地が存在しています。しかし貞子だけはこの共同墓地には埋葬されていません。しかも夫高橋宮二と共に埋葬されてはいないそうです。
千里眼事件の余波を受け、離縁されたのかは不明ですが…高橋貞子は高橋の姓を捨て旧制の万代貞子に戻ったという情報もあります。
動画内では古くからこの地に住む地元民から貞子の墓を探り当てています。しかも偶然でしょうか?付近には長期間放置され苔むした井戸も発見されているのです。
更に調べると現在貞子の墓は姿形もなくなっていることが判明しています。
現在「貞子」の墓があった場所は完全な草原になっており、一族から大幅に隔離されていることから千里眼事件の体裁?があったのではないかと示唆されます。
高橋貞子はリングの貞子のモデルなのか
これもまた驚くべきことですが、リングの作者「鈴木光司」によると貞子はおろか貞子の母親静子もモデルはいない…と言いきっています。
ネット上などでは余りの相似性に『御船千鶴子』『長尾郁子』そして名前がぴったり一致する『高橋貞子』の不遇な人生を創作としたという見方が確定的だったのですが、当の執筆者、鈴木光司は、「リング」「らせん」「ループ」の一大ブームの最中、偶然ネット上で同じ境遇の女性がいることを知ったそうです。
執筆当初は本人談で「凄まじいインスピレーション」を受け仕上がった作品だそうで、後に鈴木光司は「貞子の怨念が僕に乗り移ってリングシリーズを書かせたような気がした」とハッキリと発言しています。
果たして鈴木光司のオカルト系の冗談なのか?真偽は分かりませんが、実は「リング」は同時上映の「らせん」に繋がり、「ループ」で終わる3分作品という事を知らない方も多いのではないでしょうか?
ネタバレを防ぎますが、3部作の完結である「ループ」は実はSF系の作品に終息しています。
この事を考えるとやはり作者、鈴木光司のミスリード・オカルト系の冗談ではなく何かしらの力が働いているのでは?ということが全く否定できません。
ぜひリングシリーズの完結作である「ループ」をご覧になる事をおすすめします。
まとめ
今回は映画「リング」のモデルになったと言われる『高橋貞子』について深掘りしてみました。
この作品は単なるホラー作品ではなく、順序立てた“人間の恨みや怨恨”そして最期には驚くべきどんでん返しが待っています。
そして一連の千里眼事件は当時の世の中を大いに騒がせ、超心理学という『超能力』について言及した、明治時代の一大事件だったのです。
果たして今回取り上げた『千里眼』というものが、単なるトリックであったのか?それとも真実の出来事であったのか?約200年経った現在では確かめようもないでしょう。
ただ高橋貞子を始め、千里眼事件に関わった3名の女性の冥福を祈らずにはいられない出来事でした。