カッパピアは群馬県高崎市に存在した遊園地です。2003年に閉園し、2011年まで廃墟のまま放置されていました。
この記事ではカッパピアにかつてあったアトラクション、事故の噂や放火事件、閉園理由、心霊現象、現在の様子を紹介します。
この記事の目次
カッパピアとは
出典:http://masakane.dreamlog.jp/
カッパピアは群馬県高崎市石原町の観音山丘陵に存在した遊園地で、1962年に開園し、2003年11月30日に閉園しました。
正式名称は「高崎フェアリーランド」といい、カッパピアとはもともと遊園地に併設された大型プールの名称でした。
最盛期には大手玩具メーカーのタカラ(現在のタカラトミー)とタイアップしたイベント「こえだちゃんランド」を展開する、有名タレントのステージが開かれるなどして多くの入場者を集めたといいます。
しかしバブル景気の崩壊も受けて入場者数は右肩下がりになり、経営難から閉園を迎えました。
閉園後は廃墟として放置されていましたが、朽ち果てたアトラクションや遊具の不気味さから心霊スポットとしても有名になり、廃墟マニアや肝試し目的の若者などによる不法侵入が相次ぎ、近隣住民からは治安への悪影響を心配する声が上がるようになりました。
そして2007年に園内で放火が原因と見られる火災が起こり、それを機に解体に向けて高崎市が舵を切ったとされます。
2011年にはカッパピアの廃墟は完全に解体・撤去され、現在はドイツのケルナー社の遊具を設置した公園「ケルナー広場」が跡地に建設されています。
カッパピアの歴史
1952年、高崎市は「新日本高崎子ども博覧会」を開催しました。この博覧会は戦後の復興政策としておこなわれたもので、閉幕後に高崎市は博覧会で使われた遊具を設置した「観音山遊園地」を、高崎観音丘陵付近に開園しました。
しかし、1960年には経営難になったために翌年の1961年からは上州鉄道が経営権を引き継ぎ、遊園地運営のための子会社「高崎フェアリーランド株式会社」を設立。1962年3月31日から遊園地は「高崎フェアリーランド」として再スタートをしました。
そして1969年7月には園内にプール「カッパピア」が設置されます。なお、カッパピアという名称は一般公募で決まったもので、河童の伝承が多く残る利根川水系で泳ぐ子どもの姿を河童に見立て「河童の楽園=カッパ・ユートピア」を省略して付けたとのことです。
このプールの人気が非常に高かったため、「高崎フェアリーランド」は「カッパピア」と呼ばれることが多くなり、1990年からは施設全体の名称を「カッパピア」に改めたといいます。
カッパピアにあったアトラクション一覧
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開園から閉園までの間にカッパピアにあったアトラクションとしては、以下のようなものがありました。
・3D立体映画シアター(「ゲゲゲの鬼太郎」のアニメのみ上映)
・海賊船(開園から閉園まで存続した数少ないアトラクションの一つ)
・大観覧車
・メルヘン館
・ケーブルカー
・ジェットコースター
・宙返りジェットコースター
・べんけい号
・ジャングルマウス (ジェットコースター)
・スーパーカー・フラッシュダンス
・ゴーカート
・バッテリーカー
・アラビアンメリー(メリーゴランド)
・ツインドラゴン(バイキング)
・ティーカップ
・パラトルーパー
・ツイスター
・ビックリ迷路
・ビックリハウス
・メルヘンボックス
・バルーンサイクル
・銀河鉄道
・ミニバイク
・ゲームコーナー
・パットゴルフ
・バズーカ砲
・トリッピングカー
・小動物ふれあい広場
・サルの国
カッパピアのホームページのアーカイブによると、それぞれのアトラクションに乗る際には1枚100円の乗り物券(12枚つづり1,000円、30枚つづり2500円の割引あり)が1〜3枚必要だったようです。
出典:http://tekdiver2.sitemix.jp/
上の写真はメルヘン館のものです。メルヘンというよりホラーな雰囲気ですが、もともとはお化け屋敷として用いられていた施設に手をくわえて、白雪姫などの童話の世界を見て回るアトラクションにしたのがメルヘン館なのだとか。
ツタンカーメンの顔がついた乗り物で館内をめぐる、人形のテイストが統一されていないなどお化け屋敷よりも不気味なアトラクションとして、隠れた人気を博していたようです。
また、おとぎ汽車「べんけい号」も舌切り雀の世界をモチーフにしたアトラクションになっているのですが、こちらもなかなか怖かったらしく、廃墟になった後も写真を撮りたがる人が多かった様子です。
出典:http://tekdiver2.sitemix.jp/
また、カッパピアの収入源になっていたとされるプールにも以下のような種類や設備がありました。
・サンリバー(流れるプール)
・スペクトルゾーン(滝)
・ダイビングパンチ(飛び込みプール)
・こどもプール
・露天風呂プール
・ループスライダー
・波のプール
・ジャブジャブビーチ
・サービスタワー
最盛期のカッパピアではイベントも盛んにおこなわれていたようで、仮面ライダーショーのような幼児向けのショーから、テンプターズやフィンガー5など有名タレントを招いたステージショーまで開催していたといいます。
カッパピアのアトラクションで事故が起きたことはある?
閉園前にはアトラクションの老朽化が進み、ことジェットコースター系の乗り物は「スリルというより命の危険を感じた」とまで言われていたことから、「そんな状態で営業して、カッパピアでは事故は起こらなかったのか?」と疑問に思う方もいるようです。
国土技術政策総合研究所プロジェクト研究報告の「遊戯施設の事故事例」を確認したところ、カッパピアではアトラクションの事故は報告されていませんでした。
なお、ジェットコースター「ジャングルマウス」で骨折事故が起きたと紹介しているサイトもありましたが、ジャングルマウスで事故が起きたのはカッパピアではなく、静岡県にある「浜名湖パルパル」という別の遊園地でした。
ジャングルマウス動いてる〜(笑)
最近事故多いから動かしてる遊園地すくないんだよね pic.twitter.com/ap9rkJpMGE— しげちー@いたち (@kotorikn) July 23, 2017
浜名湖パルパルでは2000年に走行中のジャングルマウスから12歳の女児が投げ出され、約3.4m下の地面に落下、右肩を骨折するという事故が起きています。
カッパピアの閉園理由
1969年は62万人の年間入場者数を記録したカッパピアですが、ほかに新しい娯楽ができたことや少子化によるファミリー来園者の減少により、徐々に入場者数は減少。
1989年には年間入場者数が29万人に減り、1998年代に入ると年間入場者数が9万人という最低記録を更新し、その後も持ち直すことはなかったといいます。
ファミリー層の入場者が減ってからはデートスポットとして売り出そうとしたものの、いかんせんアトラクションが地味で人気が振るわず、最終的にはのど自慢大会を開催するなどして高齢者をターゲットにしていたとの話もあります。
また、2003年の閉園前には設備維持費も工面できなくなっており、アトラクションの老朽化も進んでいたとのことです。
実際に閉園前のカッパピアを訪れたという方からは「ジェットコースターが発車する際に異音やきしみがひどかった」「少しでも体重が偏るとアトラクションの運行に支障があったらしく、3人で訪れた際には『分散して乗ってください!』と厳し目に案内された」などの体験談があがっていました。
このように資金難の状態であったことから経営が維持できなくなり、カッパピアは2003年11月30日に閉園に至りました。
カッパピアは廃墟に放火事件が起きる
閉園後の2004年2月9日、カッパピアを運営していた「高崎フェアリーランド株式会社」が前橋地方裁判所に自己破産申請をし、その10日後に破産宣告を受けました。破産時の負債総額は約10億1300万円にまでのぼったといいます。
一方、閉園後のカッパピアは土地の所有関係が複雑であったことから、なかなか解体に着手できず、債権問題が解決するまで廃墟のまま放置されることとなりました。
債権問題とともに廃墟となったカッパピアの姿がTV番組で報じられると、若者などが不法侵入するようになり、周辺住民からは「犯罪の温床になるのではないか?」と不安がる声があがるように。
そして2007年1月23日の23時30分頃、カッパピア園内の入場券売り場や売店のあった建物から火災が発生し、鉄骨平屋建ての建物600平方メートルが焼失する被害が出たのです。
この頃にはTV番組の心霊特集でもカッパピアがいわく付きの廃墟として取り上げられるようになっており、夜間、園内に不法侵入する人があとを絶たなかったといいます。
火災の原因はこれら不法侵入者による放火と見られて、周辺住民からも「いつかこのような事件が起きるのではないかと思っていた」「まだこのまま放置するのか」との声が高崎市に寄せられました。
事態を重く受け止めた高崎市は火災が発生した翌日の1月24日に、高崎フェアリーランドからカッパピアの土地と建物を買い取る決定をします。土地と建物の購入代金は5,000万〜6,000万円と見られ、高崎フェアリーランド側は市から受け取ったお金を債権者に支払うと発表しました。
こうしてカッパピアの土地と建物は高崎市の所有となり、買収決定の翌日には「跡地は公園になる予定」と上野毛新聞にて報じられました。
カッパピアで起きた心霊現象
閉園後のカッパピアには「事故死した子どもの霊が現れる」「事故死したスタッフの霊が現れる」といった心霊現象が起きるという噂が流れるようになりました。
上記のようにカッパピアで火災以外の事件や事故が起きたという記録はないため、これらの心霊現象はデマの可能性が高いと思われます。
ただカッパピアの東には大きな火葬場があり、この一帯には霊道(亡くなった人の魂の通り道、浮遊霊が好んで通る場所という説もあり)があると地元では囁かれていることや、カッパピアを見下ろすかたちで佇んでいる観音像は戦没者の慰霊目的で建立されたものであることから、心霊現象が起きてもおかしくない場所だとも指摘されているようです。
カッパピアの現在・高崎市が「ケルナー広場」を開園
高崎市が買収した後、2011年にはカッパピアに残されていたアトラクションや建物は撤去されて完全な更地になりました。
そして2013年8月には高崎市が、153,000平方メートルあるというカッパピア跡地の南東部分の丘にあたる部分、5,000平方メートルを公園として整備する旨を発表しました。
公園にはドイツの世界的遊具メーカー「ケルナー社」の遊具を設置した「ケルナー広場」を設け、グリム童話『ヘンゼルとグレーテル』に登場する「お菓子の家」なども配置するとのことでした。
なお、ケルナー社の遊具は遊びを通して子どもの危険予知能力を高める効果があるとされており、国内の都市公園に同社の遊具が導入されるのは初めてのことです。
こうして2017年7月には、観音山丘陵にケルナー広場とプールなどを含む公園がオープンしました。新しい公園は非常に好評のようで、夏場はプールの営業時間を延長した、行楽シーズンは親子連れで混雑しているいった話もあります。
カッパピアのグッズが発売される
2021年8月には高崎市にある「アサヒ商会」が、カッパピアをモチーフにした文房具を発売して話題になりました。
「アサヒ商会」の直営店である「Hi-NOTE(ハイノート)」高崎店では発売から3日でボールペンとクリアファイル(2種類)が完売してしまうほどの人気ぶりでした。
グッズの主な購入者層は、カッパピアに訪れたことがあるという30~70歳代の男性が中心だったといいます。
ほかの商品も早々に売り切れてしまい、再販を望む声が多かったことを受けてアサヒ商会は2022年7月にカッパピアシリーズの第2弾を発売。
第2弾はまだHi-NOTE(ハイノート)のオンラインストアで購入可能なため、気になる方はチェックしてみてはいかがでしょうか。
カッパピア周辺・高崎市の心霊スポット①観音山の墓地
カッパピアと同じ高崎市観音山にある霊園や、霊園の駐車場でも心霊現象が報告されています。この霊園では女性の霊を見たという人が多いようで、以下のような心霊体験がネット上にあがっていました。
群馬に転勤した友人Aの家を、もう1人の友人Bと一緒に訪ねた時の話だ。夜になってAが「夜景が綺麗で、いい場所があるんだよ」と言い、僕たちを観音山という山に連れて行ってくれた。
観音山の駐車場から見る景色は確かに綺麗で、他に人もいなかったので開放感もある。ふと駐車場の下はどうなっているのだろう、と気になって一段下に階段を降りてみると、目の前に墓地が広がっていた。
霊園なのか、と思った僕は階段を降りずに車に戻ることにした。するとAが「素敵な墓地が近くにあるから、そこにも寄ろう」と言い出したのだ。
夜間に縁もゆかりもない墓地を見るなんてなんとなく不気味で、僕とBは断ったが、なかば強引にAに勧められて階段を降りて墓地に入った。
少し見て回って車に帰ろうとすると、背後から肩を叩かれる感触があった。が、振り返ると誰もいなく、近くにいたBも脂汗をかいて「なんだか気持ち悪くなってきた…」と気分が悪そうだ。
程なくして僕たちは車に乗って観音山を後にしたが、その途中でAが奇妙なことを言い出したのだ。「さっき白いお墓のところにいた姉妹、可愛かったね。ニコニコしてて感じも良かった」
僕とBはゾッとした。たしかに白い墓はあったが、姉妹なんていなかった。そもそも墓地にも駐車場にも僕たち3人以外いなかったのだ。
気味が悪かったが反論しない方が良い気がしたので、僕もBも黙っていた。そうして、僕とBは高崎から自分たちの家に帰った。
あの後、Aは仕事のストレスなどからおかしくなってしまい、実家に帰ったという。
カッパピア周辺・高崎市の心霊スポット②榛名湖
榛名湖は、高崎市にある 榛名山の火山活動で生まれたとされる湖です。この榛名湖はかつて残酷な事件の現場になっており、そのせいか群馬県内でも有名な心霊スポットの一つに数えられています。
1971年の3月から5月までのわずか2ヶ月の間に、群馬県内で8人の女性が殺害される事件がおこりました。この事件は犯人の名前をとって「大久保清事件」と呼ばれています。
大久保清は強姦目的で女性に声をかけて車に乗せて拉致、被害女性のうち8人を殺害して遺体を遺棄していたのです。この事件の被害者のうち1人の遺体が発見されたのが、榛名湖の湖畔でした。
また、この榛名湖周辺の地蔵峠にはあさま山荘事件で有名な日本赤軍の「榛名ベース」があったとされます。
日本赤軍は迦葉、妙義、榛名の3つのベース(アジト)で、身内に対する壮絶なリンチをおこなっており、これは後に山岳ベース事件として知られています。
日本赤軍でのリンチは「総括」という名称で、活動についての反省、懲罰としておこなわれていました。
この総括は対象者が死ぬまで続き、死者が出ると幹部たちは「精神が弱いから死ぬ」「この程度で死ぬ人間は到底、革命戦士にはなれない」などとして自分たちの非道さを正当化していたといいます。榛名ベースでは総括によって、8名の死者が出ました。
この2件の大事件のほかにも榛名湖では水難事故や自殺などが起きており、「水面に藻が浮いていると思ってすくい上げたら人間の髪の毛だった、という恐怖体験をした人がいる」「木の間に白っぽい人が立っていた」という怖い話が多く聞かれます。
カッパピア周辺・高崎市の心霊スポット③入の谷津橋
高崎市鼻高町にある入の谷津橋は、1987年に発生した荻原功明(おぎわらよしあき)ちゃん誘拐殺人事件の現場となった場所です。
功明ちゃん誘拐殺人事件は「(家の近くの)神社に行ってくる」と言って家を出た当時5歳の功明ちゃんが誘拐され、身代金を要求する電話が自宅にかかってきたものの、身代金の受け渡しの前に功明ちゃんが殺害されるという残酷な事件でした。
殺害された功明ちゃんの遺体は入の谷津橋下の寺沢川から発見されており、司法解剖の結果、腹部に殴った痕と顎に骨折が見られたものの致命傷は見られなかったことから、殴って気絶させた後に功明ちゃんを生きたまま橋の上から川に投げ捨てたことが明らかになりました。
悲惨な事件の現場になったことから、付近を通ると子どものうめき声が聞こえる、気分が悪くなるといった心霊現象が報告されています。
カッパピア周辺・高崎市の心霊スポット④群馬の森
高崎市岩鼻町にある群馬の森は広大な緑地公園で、週末には多くの家族連れで賑わいます。
しかしこの土地の一角には明治時代に創業した陸軍岩鼻火薬製造所という火薬工場があったとされ、ダイナマイトを製造していたことがわかる「我が国ダイナマイト発祥の地」と刻まれた石碑もあります。
岩鼻火薬製造所は昭和に入ると陸軍唯一の黒色火薬製造工場として戦時に火薬やダイナマイトを供給していたそうです。日中戦争と日露戦争の戦時下ではこの工場内で何度も爆発事故が起きており、近隣住民に死傷者が出たこともあったとされます。
そのような歴史の負の側面を背負った場所であるためか、現在でも「日中はのどかだけど、日が暮れると急に不気味な森になる」「とくに立入禁止の鎖を越えたあたりは禍々しい空気が漂っている」「男の人のうめき声が聞こえる」などの報告が見られました。
カッパピアについてのまとめ
この記事では群馬県高崎市にあった遊園地・カッパピアの歴史やアトラクション、閉園後に起きた事件、現在の姿について紹介しました。
一時期は廃墟となって「治安を悪化させる危険な場所」として見られていたカッパピアですが、現在は跡地に公園が建設され、遊園地の最盛期の頃のような賑わいを見せているそうです。
廃墟になった姿だけを見ると不気味な印象もありますが、これからの時代にこのようなゆるい遊園地が新設されることはおそらくもうないのでしょう。そう思うとカッパピアのような遊園地が跡形もなくなくなってしまうのは、少し寂しい気がしますね。