免田事件の真相と真犯人!免田栄の生い立ちと家族・結婚や女性関係・保証金や死因も総まとめ

1948年12月に発生した強盗殺人事件で冤罪事件として知られる「免田事件」が話題です。

 

この記事では免田事件の概要、冤罪被害にあった免田栄さんの生い立ちや家族、結婚、娘の噂、女性関係前科の噂による誹謗中傷、事件の真犯人や多額の補償金、現在や死因などについてまとめました。

 

免田事件は戦後すぐ起きた殺人事件で免田栄が死刑判決を受けた冤罪事件

 

出典:https://chie-pctr.c.yimg.jp/

 

「免田事件」とは、1948年12月29日の深夜から翌30日の未明にかけて、熊本県人吉市の民家で発生した強盗殺人事件で、犯人として逮捕され死刑判決を受けた免田栄さんがその後の再審で無罪になった事から、その名前を取ってこの事件名称で呼ばれています。

 

免田事件は、日本において死刑囚に対しての初めて最新無罪の判決が出された事件としても知られています。

 

 

 

免田事件の概要① 事件発生と現場の状況

 

出典:https://kumanichi.com/

 

1948年12月30日の深夜午前3時半頃、熊本県人吉市の自宅で、祈祷師の白福角蔵(当時76歳)とその妻のトキ枝(当時53歳)が殺害され、娘2人(当時14歳の長女イツ子と当時12歳の次女のムツ子)も重傷を負った状態で発見されました。

 

発見者は自宅周辺を見回っていた被害者の白福角蔵の四男で、自宅内からの呻き声を聞いて惨状を発見して警察に駆け込み事件発覚となりました。

 

被害者4人はナタのような厚手の刃物で頭部を中心に激しく殴打されており、祈祷師の白福角蔵は頭と首に合計13ヶ所の傷を受けて即死、妻のトキ枝は頭に7ヶ所の傷を受けて翌朝に死亡しました。娘2人も頭に傷を受けて1ヶ月入院の重傷でした。

 

包丁のような刃物で刺された白福角蔵の首の傷以外は全てナタのような刃物で受けた「割り傷」であり、家族4人が眠っていた布団と畳は血の海のようになり、枕元の屏風や箪笥にも生々しい血痕が飛び散る惨状だったという事です。

 

倒れた白福角蔵の近くには、刃が折れ曲がった包丁が落ちていましたが、ナタのような凶器は現場からは見つからず、犯人の指紋などの遺留品も見つかりませんでした。

 

また、部屋の中に物色の形跡はあったものの、特に盗られた物はありませんでした。(その後、警察が現金を盗まれていたと真偽不明の発表をして強盗殺人事件とされた)

 

 

 

免田事件の概要② 娘が目撃した犯人と警察の捜査

 

重傷を負ったものの生き残った娘2人の証言によれば、犯人は20歳から30歳くらいの男で、国民服を着て、髪は長く、色黒で小柄な体型だったという事でした。

 

犯行の手口が残忍(ナタによる打撃が被害者4人に対し合計で22回も加えられ、夫婦は頭が割れるほどの攻撃を受けている)である事と、特に盗まれた物品が無い事から、警察(人吉市警、戦後混乱期における自治警察)は怨恨による犯行の線で捜査を進めました。

 

警察は被害者とつながりのある人物を対象に捜査しましたが、年が明けて新年を迎えた後も一向に容疑者は浮上せず、捜査陣は焦りを募らせました。

 

そんな時、警察に「八代市(人吉市の北)で事件の話をしていた男がいる」との情報が寄せられます。さらに、その男が手配されていた犯人像と服装や体型、年齢が一致しているとの情報も併せて寄せられました。

 

そしてこの男こそが当時、人吉市に隣接する球磨郡一勝地村の山小屋に住み込みながら、山林の伐採の仕事をしていた当時23歳の免田栄さんでした。

 

 

 

免田事件の概要③ 警察が免田栄を違法拘束まがいの任意同行

 

情報提供を受けた警察はこの男が犯人ではないかという見込みだけで目星をつけ、1949年1月13日に免田栄さんを人吉市警察署に任意で連行しています。

 

しかし、任意同行とは名ばかりで、その日の21時過ぎ、捜査員は知人宅に宿泊して既に布団に入り眠っていた免田栄さんを叩き起こし、拳銃を突きつけられながら連行されています。

 

さらに、警察は前後を5人の警察官に固められ監視した状態で免田栄さんを2時間にもわたって深夜の冬の山道を歩かせ、自動車に乗せた後も拳銃を突きつけられたまま警察署まで連行しました。

 

そして、深夜2時半頃に人吉市警察署に到着してすぐ一切休息を与える事なく免田栄さんの取り調べを始めています。

 

 

 

免田事件の概要④ 警察が拷問を加え免田栄に自白を強要して違法逮捕

 

警察は免田栄さんを厳しく取り調べましたが、祈祷師の家族殺傷の事件では逮捕する証拠が揃わずに、少し前に盗難届が出されていた玄米と籾(もみ)の窃盗の容疑で別件逮捕しています。

 

この窃盗での逮捕の理由は、「盗難届が提出されていた事」、「免田栄さんが自供した事」、「売春宿で派手に金銭を使って遊んでいた事」だけで、この窃盗についても説得力のある証拠が示されているわけではありませんでした。

 

警察は1月16日に免田栄さんを窃盗の件では1度釈放した後に、祈祷師家族殺傷の事件でも容疑者として緊急逮捕しています。

 

その後の取り調べは拷問まがいのもので、免田栄さん本人の証言によれば、「睡眠をほとんど与えられずぶっ通しで取り調べを受けた」、「アリバイがあると主張すると、捜査員が床に蹴倒してきて、踏みつけられたり蹴られたりの暴行を受けた」、「上着を取られてシャツ1枚にされたまま、暖房もない冬の極寒の部屋で取り調べを受け、寒さのあまり体が硬直して言葉もうまく出ないような状態にされた」などの、違法性の強い取り調べが行われたようです。

 

特に眠らせて貰えないという状況は相当な苦痛で、それから逃れるために虚偽の自供をしたと免田栄さん本人が後に語っています。

 

免田栄さんの逮捕と取り調べを行なった人吉市警察署はアメリカの占領軍(GHQ)からの「自治体ごとに警察署を設置すべし」という命令によって簡易的に設置されたもので、留置場も備えられておらず、免田栄さんは連行から取り調べの最初の3日間のうちに眠れたのは14日に取調室の机の上に突っ伏して僅かな時間仮眠を取っただけだったという事です。

 

緊急逮捕後、免田栄さんは国の管轄である球磨地区の警察署の留置場に移送されていますが、それまでの人吉市警察署での16日までの取り調べの間に、ほとんど睡眠を取らされないまま、正座や腕立て伏せを強要され、小突かれ殴られるなどの暴行を受け続けた挙句、警察の意に沿った形の自白調書6通が作成されたのでした。

 

 

 

免田事件の概要⑤ 警察によるアリバイ揉み消し

 

免田栄さんは、突然の逮捕から約2週間後の1949年1月29日には強盗殺人の容疑で熊本地方裁判所八代支部に起訴されました。

 

同年2月17日の第一審初公判では、免田栄さんは起訴事実を認めましたが、同年4月14日の第3回公判で、自白は拷問を受けて強要されたもので、事件の起きた1948年12月29日夜から30日未明にかけては、人吉市内の「丸駒」という特殊飲食店(売春婦に接客させていた飲食店で売春宿のような商売もしていた)に行き、石村文子という当時16歳の売春婦の客となって一晩一緒にいたとして、アリバイを主張し、無罪を主張しました。

 

この主張を受けて、警察は免田栄さんのアリバイの証人である売春婦の石村文子を呼び出して取り調べを行っています。この時、石村文子はまだ16歳という年齢である事や、売春行為をしていたという弱みもあって捜査官に追及、誘導されるままに「免田栄さんと一緒にいたのは29日ではなく、犯行後の30日の夜から31日にかけてだった」と証言してしまいます。

 

さらに、免田栄さんは特殊飲食店「丸駒」を出た後、30日の早朝から列車に乗って知人の兼田又市の自宅へ向かい、その日の夜はそこに宿泊したと主張しています。

 

そして、第一回公判後の出張尋問で、この兼田又市は30日に確かに免田栄さんが泊まったと証言しています。さらにこの時には中村友治という男も一緒におり、この中村も免田栄さんの供述を事実だと認めています。

 

この戦後直後の時代の日本では米などは配給制で、30日はちょうど米の配給日だったため、米の配給通帳や消費者台帳などの記録から、免田栄さんがこの証人2人と一緒にいた事が証明されています。

 

さらにその後の調べで、特殊飲食店「丸駒」の主人が毎日つけていた日記により、免田栄さんが29日夜から30日早朝にかけて同店に宿泊していたのも事実だと証明されました。

 

こうした免田栄さんのアリバイを立証する証拠が出ているにもかかわらず、検察側も裁判所もこれを全て無視しました。

 

 

 

免田事件の概要⑥ 警察による証拠品隠しや捏造

 

警察は取調べの際に、免田栄さんから犯行に使用した凶器だとして、所有するナタの場所を聞き出し、免田栄さんが当時宿泊していた球磨郡一勝地村の山小屋を家宅捜索してナタと、犯行当時着ていたとする法被、マフラー、ズボン、手袋、上着などを証拠品として押収しています。

 

ところが、押収されたナタや法被などには血痕が付着していませんでした。そこで警察は拷問まがいの取り調べにより、犯行の後に免田栄さんが着ていた法被の血痕を川で洗い落とし、ナタは旧日本軍の滑走路近くに埋めた後に後日掘り起こして自宅へ持ち帰ったなどとする不自然な自白調書を作成しています。

 

また、凶器とされたナタからは被害者4人のうち3人の血液型と同じ「O型」の人間の血液が付着していたとの鑑定結果が熊本県警察により証拠として出されています。

 

しかし、当時の血液型鑑定は26時間から27時間の時間が必要であったにもかかわらず、この時の鑑定にかけられた時間は6時間〜7時間ほどでした。

 

免田栄さんは後に、再審請求時の無実立証の証拠品とするために、押収されたナタや法被、マフラー、上着、ズボン、手袋などの返還を求めましたが、検察側は「証拠物は血痕付着の為に腐蝕し、もう役には立たない」などと言って、その所有権の放棄を免田栄さんに執拗に要求しています。

 

後の再審裁判で、検察側がこれらの証拠品であるナタや法被、マフラー、上着、ズボン、手袋などを廃棄していた事が判明しています。(免田栄さんがこれらの証拠品の返還を求める裁判を国を相手取って東京地裁で起こした際に、検察側は「証拠物は紛失したので返せない」と開き直った)

 

 

免田事件の概要⑦ 免田栄は犯行を否認するも死刑判決が確定

 

免田栄さんはアリバイを主張して犯行自体を否認しますが、熊本地裁八代支部は免田栄さんの訴えを全て無視し、検察側が強引に作り上げた自白調書と証拠の数々を一方的に支持し、1950年3月23日に死刑判決を言い渡しました。

 

免田栄さんはこの判決を不服として控訴しますが、1951年3月19日に福岡高裁はこれを棄却する判決を言い渡しました。免田栄さんはこれも不服として上告しますが、1951年12月25日に最高裁もこの上告を棄却し、1952年1月5日に免田栄さんの死刑判決が確定しました。

 

 

 

免田事件の概要⑧ 事件から34年6か月後に再審無罪判決

 

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免田栄さんは死刑確定後も冤罪を訴え続け、1952年6月から6回にわたって再審請求を行っていますが、5回までは全て棄却されています。ただ、第3次再審請求に関しては、1956年8月に1度は再審開始が決定しています。

 

しかし、これに対して検察側は即時抗告(不服申し立て)し、福岡高裁はこれを認めて再審開始を取り消し、免田栄さんはこれを不服として特別抗告しますが、最高裁も福岡高裁の決定を支持して結局再審は開かれていません。

 

その後も免田栄さんは再審請求を続け、1972年4月に起こした第6次再審請求では、熊本地裁八代支部が棄却を決定したものの、1979年9月27日に福岡高裁が再審開始を決定。

 

検察側は最高裁に特別抗告しますが、1980年12月11日に最高裁は検察側の抗告を棄却し、再審の開始が確定しました。

 

再審では、ここまででも触れている警察や検察側もアリバイの揉み消しや証拠の隠蔽や捏造、不自然な自白調書などが問題視され、相対的に免田栄さんのアリバイや自白の信用性が高まり、1983年7月15日に熊本地裁八代支部は免田に無罪判決を言い渡しました。

 

事件発生から34年6か月後の冤罪確定、無罪判決となりました。免田栄さんは即日釈放され、同年7月28日に検察側が控訴を断念した事で免田栄さんの冤罪と無罪判決が確定しました。

 

 

 

免田事件で冤罪となった免田栄の生い立ちや家族

 

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免田事件で冤罪となった免田栄さんは、1925年11月4日に熊本県球磨郡免田町(現在の球磨郡あさぎり町)で生まれていますが、詳しい生い立ちは明かされていません。

 

家族については、裁判資料などから父親は栄策さんという方である事がわかっていますが、その他の内容は不明です。

 

ただ、家族や親族は免田栄さんが逮捕されて死刑確定の判決を受けた事で生活を破壊され、地元では村八分のような扱いを受けるなど酷い目にあったようです。

 

こうした事から、免田栄さんは冤罪が確定して釈放された後も出身地の免田町に戻る事はできなかったという事です。

 

 

 

免田事件で冤罪となった免田栄は無罪確定後に結婚

 

出典:https://www.asahicom.jp/

 

免田事件での冤罪逮捕により、家族との縁もほとんど断ち切られたという免田栄さんですが、無罪が確定し釈放された後に知り合った玉枝さんという11歳年下の女性と、翌年の1984年に結婚されています。

 

免田栄さんが結婚した玉枝さんは福岡県大牟田市の出身で、免田栄さんは無罪確定後も地元の球磨郡免田町の故郷へは戻らずに、妻の実家である大牟田市で暮らしています。

 

免田栄さんは亡くなるまでこの大牟田市で玉枝さんとの結婚生活を送られていました。玉枝さんは無罪確定後も世間からの偏見に晒され続けた免田栄さんの支えになっていたようです。

 

玉枝さんは免田栄さんとの結婚を家族や親族に猛反対されたそうですが、それを押し切って結婚されたそうです。

 

ただ、結婚してからの数年間は、免田栄さんが死刑執行の恐怖から悪夢を見て奇声を上げて夜中に飛び起きたり、酒に酔うと「俺が死刑囚だからか」などと言って暴力を振るうなどしたため、離婚を本気で考えた時期もあったのだとか。

 

神経が太く、気にしない性格と語る妻が心の支えだったが、玉枝さんは離婚を考えた時期があったという。結婚当初の数年間。免田さんは酒に酔うと「俺が死刑囚だからか」と暴力を振るった。眠れば死刑執行の夢にうなされ、奇声を上げて跳び起きた。

 

引用:消えない烙印…獄中34年、釈放後も苦悩 冤罪と闘い続けた免田栄さん

 

免田栄さんは玉枝さんと結婚して大牟田市に移り住んでからも、周囲からの偏見の目で見られたり、心ない誹謗中傷を浴びたりする事も多かったようです。

 

しかし、時間の経過とともに次第に理解者が増え、近所の人々や地元の炭鉱で働く人々と良好な関係を築く事ができたという事です。これにも玉枝さんの支えが大きな力となったのでしょう。

 

免田栄さんは晩年は高齢者施設に入所していますが、2019年からは妻の玉枝さんも同じ高齢者施設に入り最後まで2人で仲良く暮らされていたという事でした。

 

 

 

免田事件で冤罪となった免田栄には娘がいるという噂も

 

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免田事件での冤罪が確定した翌年の1984年に大牟田市の女性・玉枝さんと結婚した免田栄さんですが、娘がいるという噂があるようです。

 

ただ、免田栄さんと結婚した時、玉枝さんは48歳で高齢出産だとしても難しい年齢でした。また、免田栄さんは冤罪確定後の暮らしについて、玉枝さんと夫婦で細々と暮らしている事を取材などでよく語られていて、娘がいるという話は1度もされていません。

 

そのため、免田栄さんと玉枝さんの間に娘がいるという噂は事実ではないようです。

 

しかし、免田栄さんは免田事件で冤罪逮捕される以前、若い頃に1度結婚歴があり事件の前に離婚しています。そのため、その1度目の結婚相手との間に娘がいる可能性は考えられます。

 

 

 

免田事件で冤罪となった免田栄は女性関係などで無罪確定後も批判された

 

出典:https://blog-imgs-135.fc2.com/

 

免田事件での冤罪が確定した後も、免田栄さんに対しては「ごね得で刑事補償金を得た」、「本当はお前がやったんだろう」などといった誹謗中傷が少なからず浴びせかけられたそうです。

 

これは一般大衆からの攻撃だけでなく、週刊誌やワイドショーなどのメディアによる攻撃も含まれていました。特に一部の週刊誌などは免田栄さんの女性関係などについてある事ない事を書き立てて、ネガティブな印象操作を行いました。

 

免田栄さんが女性関係でスキャンダラスな内容を書き立てられた理由としては、免田事件での冤罪を証明するアリバイを証言したのが特殊飲食店(売春宿)で働く売春婦だった事や、免田事件での逮捕の前の窃盗事件での逮捕時の嫌疑の理由に免田栄さんが身分不相応に女性のいるお店(遊郭のようなお店)で遊んでいた事などが挙げられていたためでした。

 

こうした免田事件での裁判などで明らかになった免田栄さんの女性関係が大袈裟に取り上げられ、一部週刊誌などがこれをネタにしてスキャンダラスに書き立て、大衆の耳目を集めようとした面がありました。

 

 

 

免田事件で冤罪となった免田栄の窃盗の前科やその他の噂について

 

出典:https://news.ntv.co.jp/

 

ここまででも何度か触れていますが、免田栄さんは免田事件での逮捕より前に、玄米と籾を窃盗した罪で逮捕されています。

 

これが免田栄さんの前科のように言われていますが、そもそもこの窃盗事件も警察による拷問まがいの取り調べの中での自供が証拠とされており、実際に免田栄さんが窃盗したという物的証拠は1つも示されていません。

 

そのため、免田栄さんの前科と言われている窃盗事件も冤罪である可能性も十分に考えられます。

 

ちなみに、免田栄さんの前科の噂が出る根拠の1つになった疑いがあるのが、2020年12月に投稿された一般の方のブログ記事です。

 

この方は、免田事件の冤罪確定の2年後頃に、知り合いの女性から免田栄さんに自転車を盗難された話を聞いた事があるとブログで綴っています。

 

再審無罪の2年くらい後に知り合いのオバチャンから聞いた話しです。
朝、警官が自転車を押して家に来たそうです。
自転車はオバチャンの家の自転車。
「なんで?」ってオバチャンが警官に聞いたら、「盗まれてました」との返事。
「泥棒は捕まえた?」とオバチャンが聞くと、警官の返事は「免田栄です」。
オバチャンはビックリして「捕まえた?」と聞いたら、警官は「すみません」。
 

 

この方がこの話を聞いたのは1985年頃の話という事ですし、そもそもが又聞きの又聞き(警察官から聞いた女性から聞いた話)として聞いた話だという事なので信憑性は極めて低いと思われます。

 

この他にも、ネット上の匿名掲示板などで、免田事件以前にも免田栄さんに強盗殺人の前科があるなどといった噂が書き込まれていたようですが、これは事実ではなく完全なデマ情報でしょう。

 

こうした冤罪事件では、「本当は犯人だが、証拠はなく無罪になったのだろう」という見方が強まり、過去に前科があるといった真偽不明の噂話が流布される場合も多く見られますが、この免田事件に関しては再審裁判などで示された様々な証拠を客観的に見ても、確かに冤罪だった可能性の方が高いと思われます。

 

 

 

免田事件で冤罪となった免田栄は無罪確定後補償金9071万2800円を受領

 

免田事件での冤罪が確定した事を受けて、免田栄さんには刑事補償金として国から9071万2800円という大金が支払われています。

 

これは、不当に拘束されていた日数かける所定の金額が冤罪被害者に支払われる事が法律で定められているためです。

 

日本では、裁判で無罪判決を受けた方へ、精神的、肉体的に受けた苦痛の補償として、拘束されていた日数1日あたりにつき1,000円~12,500円を、国が支払うということが「刑事補償法」で定められています。

 

引用:冤罪の補償金がいくらか知っていますか?

 

冤罪被害を受けた免田栄さんには、この補償金を受け取る権利が当然ありますが、多額の補償金を受け取った事が気に入らない人も一定数存在したようで、その使い道を批判したり、「本当は殺人犯なのに上手いことやって多額の補償金を得た」などと無責任な噂を拡散させたりする者もいたようです。

 

当時、一部の週刊誌やワイドショーなども、免田栄さんの補償金の使い道を女性関係などと絡めて、スキャンダラスに報じていました。

 

しかし、免田栄さんは冤罪確定後に、この刑事補償金の半額以上を弁護団や支援団体に謝礼金として渡しており、実際には全ての補償金を受け取ったわけではありませんでした。

 

免田栄さんが拘束されて失った時間や、釈放後に受けたいわれのない誹謗中傷などを考えれば、とてもではありませんが割に合う金額だとは言えないでしょう。

 

 

 

免田事件の現在① 免田栄は2020年に95歳で死去…死因は「老衰」

 

出典:https://www.nishinippon.co.jp/

 

免田事件での冤罪確定後、免田栄さんは冤罪被害の防止や死刑廃止を訴える活動に力を注ぎ、講演会などにも全国各地で行われていました。また、免田事件での獄中記などの書籍も数多く出版されています。

 

また、免田栄さんは国民年金制度が始まった1961年4月に免田事件で不当に逮捕されたために獄中におり、再審で無罪が確定して釈放された時は既に57歳だったため、年金の支給を受けるために必要な加入年数を満たす事ができず、60歳になっても年金を受け取る事ができませんでした。

 

免田栄さんは無年金状態になったのには冤罪を生んだ国家に責任があるとして、日本弁護士連合会に対し人権救済の申立てを行うなど冤罪被害者の救済に向けた活動も展開されていました。

 

その結果、2013年6月19日に死刑再審無罪者に国民年金の給付を行う特例法が可決されています。

 

こうした活動を続けられていた免田栄さんでしたが、2017年秋に免田栄さんは歩く事が困難になって病院に入院し、そのまま大牟田市内の高齢者施設へと移っていました。

 

その後、2019年に妻の玉枝さんも同じ高齢者施設に入所して夫婦で穏やかに暮らされていたという事でしたが、2020年12月5日に95歳で亡くなりました。死因は「老衰」と報じられています。

 

死刑囚として初めて再審無罪になった「免田事件」の免田栄(めんだ・さかえ)さんが5日午前、老衰のため福岡県大牟田市内の高齢者施設で死去した。95歳だった。

 

引用:免田栄さん死去、95歳 死刑囚として初めて再審無罪

 

 

 

免田事件の現在② 免田栄の妻の玉枝さんは福祉施設で暮らしている

 

出典:https://kumanichi.com/

 

免田栄さんが2020年12月に95歳で亡くなられた後も妻の玉枝さんは大牟田市内の高齢者施設で暮らされていました。

 

2023年の現在も玉枝さんはこの高齢者施設で1人暮らされているという事です。2022年12月の免田栄さんの3回忌の法要には玉枝さんも参列しメディアのインタビューを受けられていました。

 

玉枝さんはいま、ひとり福祉施設で暮らしています。 妻・免田玉枝さん 「いい出会いがあったなと思っております。短かったけれど、大牟田で皆さんと出会って、大牟田が大好きだったんですね。大牟田の皆さんに仲良くしてもらったこと本当に喜んでいました。本当にありがとうございました」

 

引用:確定死刑囚から初の“再審無罪”も…「人殺し」「うまくやったな」待っていた偏見、闘い続けた免田栄さん三回忌 支えた妻の思い

 

免田栄さんの妻の玉枝さんは現在も免田栄さんの夢を見る事があるそうで、夫婦が固い絆で結ばれていた事が伝わって来ます。

 

妻・免田玉枝さん
「(免田さんが)2回夢に出てきて、『おなかすいたけん飯食わせろ』と来る。私『ここはご飯全然ないよ』と言ったら『そうか』と言ってさーっと消えていく。もうちょっといればいいのにと思ったけどね」

 

引用:確定死刑囚から初の“再審無罪”も…「人殺し」「うまくやったな」待っていた偏見、闘い続けた免田栄さん三回忌 支えた妻の思い

 

 

 

免田事件の現在③ 真犯人は今も捕まっていない

 

免田事件では、免田栄さんの冤罪が確定しましたが、真犯人は捕まっておらず事件の真相は闇の中です。

 

免田事件では警察が免田栄さんを犯人と決めつけたために、真犯人に対する正当な捜査が行われず事件が未解決になったとも言えます。

 

さらに、真犯人が捕まらなかった事で、無罪確定後も免田栄さんに対して「本当はお前が真犯人なのだろう」といった誹謗中傷が長く続く事になりました。

 

 

 

まとめ

 

今回は、1948年12月に熊本県人吉市で発生した強盗殺人事件「免田事件」と、この事件で犯人として逮捕され死刑判決を受けるも、再審で無罪が確定した免田栄さんについてまとめてみました。

 

免田事件は、祈祷師の男とその妻、10代の娘2人が何者かに惨殺された事件ですが、有力な証拠がないまま怪しいという理由だけで免田栄さんが逮捕されました

 

免田栄さんはアリバイを主張して無実を訴えますが、検察も裁判所もその訴えを無視して死刑判決が確定します。免田栄さんは死刑執行に怯えながら、6度にわたる再審請求を行い、再審裁判の結果冤罪である事が確定して釈放されました。

 

事件発生から見て34年6か月後の無罪確定で、免田栄さんはかけがえのない人生の時間を不当に奪われた事になります。

 

免田栄さんは釈放後は故郷の家族とは疎遠になりますが、1984年に玉枝さんという女性と結婚して生涯を添い遂げられています。玉枝さんとの間に娘がいるとの噂がありますが、これはデマ情報のようです。

 

また、免田栄さんは無罪確定後も、女性関係の噂や前科があるなどと誹謗中傷される被害を受け続けました。免田栄さんは無罪確定後に刑事補償金として9071万2800円を受領していますが、この補償金の使い道に対してもある事ない事週刊誌などに書き立てられて誹謗中傷被害に遭っています。

 

免田栄さんは釈放後は、冤罪被害を防止する活動や、死刑廃止を訴える活動に力を注がれていましたが、晩年は高齢者施設に入り、2020年に95歳で亡くなられています。死因は「老衰」と報じられています。

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