「山形・東京連続放火殺人事件」の犯人の浅山克己が注目されています。
この記事では浅山克己の起こした山形・東京連続放火殺人事件の詳細な経緯、生い立ちや姉や両親など家族、結婚した嫁で共犯の小夕里、子供の有無、裁判での判決や現在の様子などについてまとめました。
この記事の目次
浅山克己は山形・東京連続放火殺人事件の犯人
浅山克己(あさやま・かつみ)は、2010年と2011年に発生した連続放火殺人事件「山形・東京連続放火殺人事件」の犯人です。
同性愛者(ゲイ)である浅山克己は、自らの暴力によって逃げた元交際相手の男性2人にストーカー行為をして執拗に追いかけ、それぞれの実家で家族を殺害した挙句、証拠隠滅のために2件の現場共に放火しました。
また、東京の事件では、便宜上結婚していた嫁の浅山小夕里(あさやま・さゆり)も共犯に引き入れています。
2012年、警視庁は、浅山克己(当時46歳)とその嫁(当時42歳)を殺人、現住建造物等放火、逮捕監禁、ストーカー規制法違反、有印私文書偽造・同行使などの容疑で逮捕し、その後、東京地検は、2件の事件で合わせて、ストーカー規制法違反、有印私文書偽造・同行使、殺人、現住建造物等放火などの罪で起訴しました。
ここではこの、「山形・東京連続放火殺人事件」の犯人の浅山克己についてまとめていきます。
山形・東京連続放火殺人事件の経緯① 2008年頃、浅山克己とAが出会う
2008年8月頃、浅山克己は愛知県名古屋市内のスーパー銭湯で、山形県出身で同性愛者の男性A(当時40代で名古屋市内の飲食店に勤務)と知り合い、その日のうちに肉体関係を持って、程なくして半同棲状態になりました。
4ヶ月後の2008年のクリスマス、浅山克己が「こんな何もないクリスマスは初めてだ」などと言って不機嫌になり、Aの頭をリモコンやチャッカマンで殴るなどの暴力を働きました。
これをきっかけに浅山克己からAに対する暴力が増え、年が明けた頃にAの方から別れを告げています。しかし、浅山克己はこれを拒否し「周囲にも家族にもお前がゲイだとバラすぞ」などとAを脅迫し、逃亡を防ぐために職場に迎えに来るなど激しく束縛するようになりました。
山形・東京連続放火殺人事件の経緯② Aが浅山克己から逃げて実家の山形に戻る
2010年5月、浅山克己の暴力や束縛に耐えかねたAは、逃げるようにして山形県山形市の実家へと戻ります。
しかし、その後も浅山克己はAに対して大量のメールを送り、電話を繰り返し粘着。同年9月にはAの実家を突き止めて山形まで押しかけて、強引にAを名古屋に連れ戻しています。
Aは実家の母親の介助をしなくてはならないと言って再び山形市へと逃げますが、その後も浅山克己の粘着は止まずに、大量のメールや電話が続きました。
山形・東京連続放火殺人事件の経緯③ 浅山克己がAの実家に放火し家族を殺害
そして同年10月2日、Aの実家で火災が発生し、焼け跡からAの家族2人(当時71歳の父親と当時69歳の母親)の遺体が発見されました。
当初、警察は火災の原因を特定できずに、住民による失火の可能性が高いとして処理しましたが、後にこれが浅山克己による放火だった事が判明しています。
山形・東京連続放火殺人事件の経緯④ 新たな交際相手Bも暴力を受けて逃亡
2011年2月頃、浅山克己はBという同性愛者の男性と同居を始めています。同居していたのは愛知県名古屋市昭和区内の住宅街の2階建の一軒家で、浅山克己とB、そして浅山克己の嫁の浅山小夕里(浅山克己の結婚と嫁については後述)との3人暮らしでした。
浅山克己はこのBに対しても暴力を振るい、Bはこれに耐えかねて3ヶ月ほどで逃亡します。
山形・東京連続放火殺人事件の経緯⑤ 浅山克己と嫁がBの母親を殺害し放火
2011年9月以降、浅山克己は東京都江東区のBの母親が住むマンション(12階建の9階)に何度も押しかけて、Bに会わせるように迫っています。
そして、2011年11月24日、浅山克己は嫁の浅山小夕里と共謀して、2011年11月24日に隣室から外壁を伝ってベランダからBの母親のマンション内へと侵入。
その直後に外出先から帰宅したBの母親を結束バンドを使って拘束し、大きなプラスチックの容器にBさんの母親を入れて閉じ込めました。
そして、浅山克己と嫁の浅山小夕里は、この容器の中で炭を焚いてBさんの母親を一酸化炭素中毒で死亡させました。裁判記録によれば、この容器とはプラスチック製のたらいで、それを逆さにした状態にしてBさんの母親を閉じ込めて中で練炭を焚いた上、浅山克己と嫁の浅山小夕里がその上に乗って座り、Bさんの母親が出られないようにしたようです。
Bさんの母親は泣き叫んで命乞いをしましたが、浅山克己と嫁の浅山小夕里は、それを無視して、飼い犬のご飯の心配などの会話をしていたという事です。
その後、浅山克己と嫁の浅山小夕里は、証拠隠滅のために部屋に灯油を撒いて火を放ち全焼させました。
山形・東京連続放火殺人事件の経緯⑥ 浅山克己と嫁の浅山小夕里が逮捕起訴
警視庁は放火事件として捜査を開始。周辺の防犯カメラの映像などから、すぐに捜査線上に浅山克己らが浮上しました。
2012年1月5日、警視庁は、Bを装って役所で住民票の写しを手に入れたり、付きまとったりしたなどとして、有印私文書偽造、ストーカー規制法違反容疑で浅山克己と嫁の浅山小夕里を逮捕しました。
そして、同年1月18日、警視庁は、Bの母親に対する殺人、現住建造物等放火、逮捕監禁などの容疑で浅山克己と嫁の浅山小夕里を再逮捕しました。
その後の取り調べで容疑が固まり、2012年2月8日までに、東京地検は有印私文書偽造、ストーカー規制法違反、殺人、現住建造物等放火などの罪で浅山克己と嫁の浅山小夕里を起訴。
さらに同年3月、浅山克己は、2010年の山形事件でも殺人、現住建造物等放火罪で逮捕起訴されました。
浅山克己の生い立ちや家族について
浅山克己の生い立ちや家族については詳しい内容はわかっていませんが、裁判で浅山克己の実姉が証人として出廷し、生い立ちや家族について証言しています。
姉の証言によると、浅山克己は両親と兄と姉の5人家族で育った生い立ちを持ちます。両親の仲は悪く、父親は母親に対して日常的に暴力を振るっていたという事です。
浅山克己は5歳頃から、父親の暴力から母親を庇っており、父親は中学生時代の浅山克己に羽交い締めにされ、その時に「もう息子には叶わない」と悟って、それ以来母親への暴力を止めたという事です。
家族の家計は裕福ではなく、浅山克己は中学を卒業後に美容師を目指して上京したという事です。また、浅山克己の兄は25歳で自殺しているという事です。
浅山はどんな境遇に育ったのか。第8回公判で姉が証言する。
「弟は、父の暴力がひどくていつも母をかばってました。家計が困難で学歴は中卒。美容師をめざして上京した。私たちの兄は25歳で自殺しました」
浅山克己はその後、地元の名古屋市へと戻っており、2003年には名古屋市昭和区のビデオ店でヘッドホンステレオを万引きし、それを見つけた女性店員に対して顔を殴ったり足を蹴ったりなどする暴行事件を起こして逮捕されています。
浅山克己は同性愛者だが結婚しており嫁の小夕里は「おこげ」
浅山克己は同性愛者でしたが、小夕里(東京事件の共犯)という女性と結婚しています。
昨年11月、東京都江東区のマンションで、かつて交際していた男性の母親、大塚達子さん(76=当時)を殺害し、その部屋に放火したとして逮捕、起訴されている浅山克己被告(46)。克己被告は同性愛者なのだが、なんと一方で妻がいる。
その妻、浅山小夕里被告(43)も大塚さん殺害に関わったとして逮捕、起訴されており、11月7日から東京地裁で裁判員裁判が開かれた。
裁判の記録などによると、浅山克己が嫁の小夕里と結婚したのは2002年だったようです。
浅山克己と嫁の小夕里とは元々友人関係でしたが、浅山克己が当時の同棲相手に逃げられて飼い犬の世話をする人間がいなくなり、その世話を協力してほしい、そのためには結婚していた方が都合が良いという理由で結婚したという事です。
嫁の小夕里は結婚した時の事について、浅山克己から「結婚しなければ犬を殺す」などと脅されたと供述しています。
浅山克己の嫁の小夕里は、子供時代から頭がいい子と評判の子供で、かつては外車販売会社に勤務し、逮捕当時も別の会社に勤務し朝から出勤していたそうです。
浅山小夕里は、ゲイの男性を好む女性、いわゆる「おこげ」であり、がんで闘病中の父親に花嫁姿を見せて安心させたいという気持ちなどの、複数の利害が一致して浅山克己と結婚したようです。
浅山克己には子供はいない
浅山克己と嫁の小夕里は結婚状態にはありましたが、便宜上の結婚であって、男女の関係はありませんでした。したがって浅山克己と嫁の小夕里の間には子供はいません。
浅山克己は同性愛者であって男性に対してしか性的な興味を持っておらず、他の女性との間に子供がいるといった事実もありません。
浅山克己の山形・東京連続放火殺人事件の裁判と判決
浅山克己は、元交際相手であるAの両親とBの母親に対する殺人罪や、その自宅に火をつけた事などの現住建造物等放火罪など、重大な罪で起訴され裁判を受けました。
当然の結果ながら、浅山克己には死刑が求刑され、裁判の末に2016年6月13日に死刑判決が確定しています。
山形・東京で平成22~23年、2人の元交際相手の親3人を殺害したとして殺人罪などに問われ1、2審で死刑とされた浅山克己被告(50)の上告審判決で最高裁第2小法廷(千葉勝美裁判長)は13日、「3人を死亡させた刑事責任は重大で、死刑を是認せざるを得ない」として被告の上告を棄却した。4人の裁判官全員一致の意見。死刑が確定する。
また、浅山克己はこの裁判が始まる以前の2012年3月25日に、留置場で首吊り自殺を図って一時は意識不明の重体となっています。裁判では医師も証人出廷して、浅山克己が「鬱状態」である事を証言しましたが、それによって判決が軽くなる事はありませんでした。
なお、嫁の浅山小夕里に対しては懲役18年の判決が下されています。(求刑は懲役22年)
浅山克己の現在
死刑判決が確定している浅山克己ですが、現在も死刑は執行されておらず存命です。
現在は東京拘置所に拘置されているようです。浅山克己の拘置所での現在の様子などは情報がなく不明です。
まとめ
今回は、2010年と2011年に起こった「山形・東京連続放火殺人事件」の犯人で、死刑判決を受けて現在も拘置されている浅山克己についてまとめてみました。
同性愛者である浅山克己は、元交際相手の男性2人にそれぞれ粘着してストーカー行為を繰り返し、それぞれの実家まで押しかけて、その元交際相手の家族合計3人を殺害(うち2人は放火による焼死)し、証拠隠滅のために現場に放火するなどしました。
浅山克己は愛知県名古屋市の生まれで、両親の仲の悪い5人家族の次男として育った生い立ちを持ちます。中学卒業後に美容師を目指して上京しましたが、その後は名古屋市へと戻って暴行罪で逮捕された前歴もあります。
2002年頃に便宜上女性と結婚していますが、この嫁の浅山小夕里は事件にも関与して逮捕され、懲役18年の判決を受けています。浅山克己は同性愛者であり、嫁の浅山小夕里との間に男女関係はなく子供もいません。
浅山克己は殺人罪や現住建造物等放火罪などで起訴され、裁判で死刑判決が確定しています。
2022年9月の現在はまだ死刑は執行されておらず、東京拘置所に拘置されています。