赤報隊事件とは、1987年から1990年の間に「赤報隊」を名乗る犯人が起こしたテロ事件です。赤報隊事件についてわかりやすく解説し、事件の原因、なぜ朝日新聞が狙われたのか、週刊新潮の誤報、統一教会など真犯人説、その後や現在を紹介します。
この記事の目次
- 赤報隊事件の概要
- 赤報隊事件の詳細をわかりやすく説明① 朝日新聞本社襲撃事件
- 赤報隊事件の詳細をわかりやすく説明② 朝日新聞阪神支局襲撃事件
- 赤報隊事件の詳細をわかりやすく説明③ 朝日新聞名古屋本社社員寮襲撃事件
- 赤報隊事件の詳細をわかりやすく説明④ 朝日新聞静岡支局爆破未遂事件
- 赤報隊事件の詳細をわかりやすく説明⑤ 中曾根・竹下両元首相脅迫事件
- 赤報隊事件の詳細をわかりやすく説明⑥ 江副元リクルート会長宅銃撃事件
- 赤報隊事件の詳細をわかりやすく説明⑦ 愛知韓国人会館放火事件
- 赤報隊事件の詳細をわかりやすく説明⑧ 時効の成立
- 赤報隊事件はなぜ起きた?事件の原因や犯人の目的とは
- 赤報隊事件の真犯人考察① 日本民族独立義勇軍と新右翼活動家
- 赤報隊事件の真犯人考察② 統一教会関係者
- 赤報隊事件の真犯人考察③ 南京大虐殺との関係
- 赤報隊事件のその後① 『週刊新潮』の真犯人誤報
- 赤報隊事件のその後② 朝日新聞静岡支局爆破未遂事件の指紋の主が判明
- 赤報隊事件のその後③ 現在も国会で再調査を求められている
- 赤報隊事件のその後④ NHKスペシャルで「赤報隊事件」を放送
- 赤報隊事件についてのまとめ
赤報隊事件の概要
1987年から1990年にかけ、7回に渡って「赤報隊」を名乗る犯人により朝日新聞本社などを狙ったテロ事件が発生しました。
1987年
- ・1月24日…朝日新聞東京本社銃撃事件
- ・5月3日…朝日新聞阪神支局襲撃事件
・9月24日… 朝日新聞名古屋本社社員寮襲撃事件
1988年
- ・3月11日… 朝日新聞静岡支局爆破未遂事件
- ・3月11日(消印)… 中曽根康弘・竹下登両元首相脅迫事件
- ・8月10日… 江副浩正リクルート会長宅銃撃事件
1990年
- ・5月17日… 愛知韓国人会館放火事件
なかでも1987年朝日新聞阪神支局襲撃事件では、夜間の襲撃時に会社に残っていた当時29歳の小尻知博記者と43歳の犬飼兵衛記者が銃撃され、小尻記者が死亡、犬飼記者が重傷を負いました。
警察は7件のうち銃撃事件4件と時限爆弾を用いた爆破未遂事件1件について、社会に深刻な影響を及ぼすテロとして「広域重要指定116号事件」に指定。
捜査を続けましたが「赤報隊」の正体もつかめないまま、すべての事件が2003年に公訴時効を迎え、現在も未解決のままとなっています。
赤報隊事件の詳細をわかりやすく説明① 朝日新聞本社襲撃事件
「赤報隊」を名乗る犯人による一連の事件のうち、最初に起きたのが1987年1月24日の朝日新聞本社襲撃です。
この日の20時頃、東京都千代田区にある朝日新聞の本社1階の植え込み脇から2階の窓ガラスに向けて、2発の散弾銃が発射されたと見られています。
「発射されたと見られる」と発表されている理由は、この襲撃事件には目撃者も被害者もいなかったためです。
2階で仕事をしていた朝日新聞の社員も「窓ガラスに何かが当たったような音がしたが、気になってベランダに出ても何も見つからなかった」と証言しており、物証となる未燃焼の火薬が1階の植え込みから発見されたのも10月に入ってからでした。
また、この事件の後に「日本民族独立義勇軍 別動 赤報隊 一同」を名乗る犯行声明文が時事通信社と共同通信社に送られましたが、共同通信社は手違いにより犯行声明文が入った封筒を中身を見る前に破棄。
一方で時事通信社は犯行声明文のコピーを警視庁に提出するとともに、公安担当経由で朝日新聞に連絡を入れました。
しかし、東京本社の警備センターに確認をとっても社屋が銃撃された痕跡が見つからなかったことから朝日新聞はこのことを報道せず、時事通信社と共同通信社も犯行声明文を表沙汰にはしませんでした。
朝日新聞も実害がなかったためにイタズラだと思ったのでしょう。ところが、自分たちの存在や主張を無視されたと感じた「赤報隊」は朝日新聞に対する憎しみを募らせ、阪神支局襲撃事件という凶行に出たのです。
赤報隊事件の詳細をわかりやすく説明② 朝日新聞阪神支局襲撃事件
朝日新聞阪神支局が銃撃されたのは、5月3日の夜、20時15分頃のことでした。事件が起きた日はゴールデンウィーク初日(憲法記念日)であり、支局内には被害者となった小尻記者、犬飼記者と高山顕治記者(事件当時25歳)がいたとされます。
3人は原稿を書き終えた後、19時頃から支局の2階で夕食をとっていました。そこに黒の目出し帽を被った黒ずくめの男が散弾銃を構えて押し入り、ソファに腰掛けていた犬飼記者に向けて発砲。
犬飼記者は腹部、右手、左ひじなど全身に約80発もの散弾を浴びましたが、胸ポケットに入っていた愛用のボールペンと札入れが盾となって心臓を守ってくれたおかげで、運良く一命をとりとめました。
次いで近くのソファでうたた寝をしていた小尻記者も、突然の銃声に目を覚まして起き上がろうとしたところを犯人に銃撃されます。
小尻記者は至近距離から脇腹に約400個の散弾粒が入ったカップワッズ2発を受け、その場に倒れ込みました。
そして犯人はソファの後ろに隠れた高山記者にも銃口を向けましたが、おそらく弾切れであったためにそのまま撤退。
高山記者の通報で警察と救急が駆けつけ、小尻記者と犬飼記者は病院に搬送されましたが、5月4日の未明に小尻記者は心肺停止によって死亡、犬飼記者も右手の薬指と小指を失う重傷を負いました。
勤務中の新聞記者が襲われて命を落とす事件は日本の言論史上初のことであり、朝日新聞阪神支局襲撃事件は「言論の自由に対する脅威」として社会に大きな衝撃を与えることとなります。
その後、事件から3日経った5月6日、時事通信社と共同通信社に「赤報隊一同」を名乗る犯行声明が届きました。
犯行声明には阪神支局襲撃事件のみならず1月の本社襲撃も自分たちが行なったということのほか、「反日分子である朝日新聞社員には極刑あるのみ」「最後の1人まで処刑する」といった殺意を顕にした凶悪な文章が綴られていました。
高山記者と犬飼記者による証言
生き残った高山記者と犬飼記者によると、身のこなしや背格好から襲撃事件の犯人は20代から30代の比較的若い男性だったとのことです。
また、散弾銃の撃ち方はサイトを覗かずに撃つ難易度の高い「腰だめ撃ち」ではなく、狙撃のような撃ち方であったそうです。このことから犯人は、銃の扱いに熟練した人物ではなかった可能性が指摘されています。
ただ、犯人が現場にいた時間は1分足らずで終始無言だったことから、高い計画性があったことが窺えます。
赤報隊事件の詳細をわかりやすく説明③ 朝日新聞名古屋本社社員寮襲撃事件
9月24日18時45分頃には黒い目だし帽を被った男が、名古屋市東区にあった朝日新聞新出来寮に侵入し、1階の食堂にあったTVに向けて散弾銃を発砲するという事件が発生しました。
この寮には社員19人が入居していましたが、襲撃時に寮にいたのは記者と寮の管理人の2名のみで、記者は3階の自室で寝ており、管理人は入浴中と2名とも犯人と行き合わずに難を逃れています。
さらに犯人は新出来寮の西側に建っていた民間マンションの外壁にも発砲しており、外壁のコンクリートに散弾銃の弾でえぐられた銃創ができたとのことです。
また、この襲撃事件の後も時事通信社と共同通信社に「赤報隊」を名乗る犯行声明文が届き、なかには「反日朝日は50年前(1987年の50年前は日中戦争が開戦した年)に帰れ」といった文言が綴られていたとされます。
警視庁はこの襲撃事件と阪神支局襲撃事件の2件を「広域重要指定116号事件」に指定。翌月の10月には1月に発生した朝日新聞本社襲撃事件についても、実況見分が行われました。
赤報隊事件の詳細をわかりやすく説明④ 朝日新聞静岡支局爆破未遂事件
出典:https://www.briquetonline.com/
1988年3月11日、静岡市追手町にあった朝日新聞静岡支局で爆破未遂事件が発生。
犯行に使われる予定であった時限装置付きのピース缶爆弾は静岡支局の駐車場から不発のまま発見され、幸いにも被害者は出ませんでした。
朝日新聞の発表によると発見された爆弾は1970年前後に発生した「土田・日石・ピース缶爆弾事件」で押収されたものに比べると作りは稚拙であったものの、爆弾の内部に254本もの小さな釘が仕込まれており、爆発と同時に周囲の人を無差別に攻撃する殺意の高いものだったそうです。
またこの事件の後、「赤報隊」が出した犯行声明には朝日新聞以外に毎日新聞と東京新聞が「反日的な存在」として名指しされており、次のターゲットにすると示唆されていたといいます。しかし、実際に毎日新聞と東京新聞が赤報隊事件の被害者になることはありませんでした。
赤報隊事件の詳細をわかりやすく説明⑤ 中曾根・竹下両元首相脅迫事件
1988年には3月11日付の消印で中曽根康弘元首相、竹下登元首相の元にもそれぞれ「赤報隊」より脅迫状が届きました。
2人の元首相のもとに脅迫文が送られた理由は、主に靖国問題でした。
中曽根康弘元首相は1985年8月15日に、私人としてではなく正式に日本の首相として靖国神社を参拝しています。これは戦後初のことであり、政府や与党は次年以降も首相による靖国参拝を継続する予定でいました。
しかし、中国や韓国から首相の靖国参拝は激しく非難されることとなり、国内でも靖国参拝を非難するデモ活動が行われ、靖国問題は政争の具に発展してしまったのです。
戦後初めて靖国神社参拝をした首相といっても、中曽根元首相には何が何でも靖国参拝!という確固たる思想があったわけではありません。政府も含めて「もうほとぼりも冷めた頃だし、戦没者や遺族のために参拝をしても国際問題にはならないだろう」という楽観的な意識で足を運んだのだといいます。
そのため中韓からの激しい批判に及び腰になってしまったこと、さらに1987年には第二次教科書問題で原書房が出版した高校用教科書『新編日本史』の内容を巡って日本会議と対立したことなどが原因となり、中曽根元首相は一部の右翼活動家から敵視されていました。
このように首相の靖国参拝が取りざたされるなか、1998年当時に首相の座にいた竹下登氏の動向も注視されていました。
したがって「赤報隊」は、中曽根元首相には「靖国参拝と教科書問題のことを許さない」という脅迫文を、竹下元首相には「8月15日に靖国参拝をしなかったら許さない」という脅迫文をそれぞれ送りつけたとされています。
なお、この脅迫事件に関しては朝日新聞などへの一連の襲撃・爆破事件の「参考事件」という位置づけられています。
赤報隊事件の詳細をわかりやすく説明⑥ 江副元リクルート会長宅銃撃事件
出典:https://presidenthouse.net/
1988年8月10日午後7時20分頃、東京都内にあるリクルートの元会長・江副浩正氏の自宅に散弾銃1発が発砲され、「赤報隊」から犯行声明文が出されました。
犯行声明文によると、江副氏の自宅を襲った理由については「朝日新聞に広告を出していたから」とのこと。しかし、リクルートが他社と比べて朝日新聞に多く広告をだしていた事実はありません。
また「朝日に広告を出した企業は襲撃する」とも書かれていましたが、リクルートのほかに狙われた企業や関係者はいませんでした。
赤報隊事件の詳細をわかりやすく説明⑦ 愛知韓国人会館放火事件
1990年5月17日の19時25分頃、名古屋市中村区の愛知韓国人会館の玄関付近に火が付けられるという放火事件が発生しました。
この時に「赤報隊」から出された犯行声明文では当時のノ・テウ韓国大統領のことを「ロタイグ」と呼んでおり、大統領の来日反対などが綴られていたといいます。
赤報隊事件の詳細をわかりやすく説明⑧ 時効の成立
「赤報隊」を名乗る犯人は、3年に渡って7件の襲撃事件などを起こし、一連の事件で2人の死傷者を出しました。
警視庁は赤報隊事件を「日本国内で発生した凶悪な政治的テロ」として、延べ124万人もの捜査員を投入して搜査に当たりましたが、犯人は捕まらずに2003年3月に一連の事件が公訴時効を迎えています。
しかし、唯一の死傷者を出した朝日新聞阪神支局襲撃事件が発生した兵庫県警は「公訴時効成立後も捜査を続ける」と表明しており、法務省内に設置された法制審議会でも「赤報隊事件のように社会的影響が強い事件については、時効を適応すべきでなない」と議論が続いているとのことです。
また、小尻記者の記者仲間も独自に事件を追い続けており、2018年には樋田 毅氏が『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』を上梓しています。
赤報隊事件はなぜ起きた?事件の原因や犯人の目的とは
犯人が逮捕されていない以上、赤報隊事件の原因や犯人の目的は明確にはわかっていません。
しかし、犯行声明文での要求や繰り返し使われる「アカの朝日」「反日」というフレーズ、中曽根・竹下元首相への脅迫文から、 靖国参拝、教科書問題にこだわりを持っていることが窺えます。
また捜査にあたった刑事や公安担当者は、犯行声明文の以下の文章について「右翼思想を学んだ者以外には書けない」と指摘していました。
「われわれは日本人である。/日本にうまれ 日本にすみ 日本の自然風土を母とし/日本の伝統を父としてきた。/われわれの先祖は みなそうであった。/われわれも われわれの後輩も そうでなければならない。」
一水会の名誉顧問である鈴木邦男氏は赤報隊は新右翼、もしくは潜在右翼と考察したうえで、「(右翼的思想で)世の中を変えることを目的としていた。その目的が達成されたと判断したために7件の事件以降、活動をしていないのでは」と語っています。
さらに、鈴木邦男氏は「赤報隊事件の起きる前は、『憲法改正』の必要性を口にしただけでも『保守反動』とバッシングされた。だが、今は誰でも憲法改正の是非を議論できる」と指摘。樋田毅氏も赤報隊事件と現代のネトウヨ的思想の関係を指摘しています。
鈴木氏や樋田氏の言うように赤報隊事件以降、右翼思想を持つことへのハードルが下がったとするならば、自分たちの思想が世間に受け入れられ、同調者を増やすことこそが「赤報隊」の目的だったのかもしれません。
ゆえに一連の事件以降も朝日新聞が報道の姿勢を変えなくても、襲撃や爆破を行わなくなったのでしょう。
赤報隊事件の真犯人考察① 日本民族独立義勇軍と新右翼活動家
「赤報隊」の前身組織ではないかと考えられているのが、「日本民族独立義勇軍」と名乗る組織です。
この日本民族独立義勇軍は、1981年から1983年にかけて犯行声明を出して4件のゲリラ事件を起こしていました。
1981年
・12月8日…神戸米国領事館放火事件
1982年
・5月6日…横浜元米軍住宅放火事件
1983年
・5月27日…大阪ソ連領事館火炎瓶襲撃事件
・8月13日…朝日新聞東京・名古屋両本社放火事件
なぜこの組織が「赤報隊」の前身と考えられたかというと、赤報隊事件の初期に一度だけ犯行声明文に「日本民族独立義勇軍 別動 赤報隊一同」と書かれていたことがあったためです。
そのため「日本民族独立義勇軍を探せば赤報隊に繋がる」と見て動いた捜査幹部もいたそうですが、上の4件の事件も解決に至っておらず、日本民族独立義勇軍の素性も不明でした。
そんななか、新右翼関係の機関紙で日本民族独立義勇軍の起こした事件を称賛している新右翼団体(以降、A団体と呼ぶ)がいることを突き止めた警察は、彼らこそが日本民族独立義勇軍=赤報隊であり、自画自賛していた可能性もあるとしてA団体と接触を図ります。
A団体は日本民族独立義勇軍との関係を否定しますが、警察の調べによって1982年5月に起きた横浜元米軍住宅放火事件で、日本民族独立義勇軍以外に、謎の新右翼団体BがA団体発行の機関紙上で犯行声明を出していたことが発覚。
さらにB団体は1982年6月に、A団体の機関紙に犯行声明文を載せたうえで英国大使館文化部を火炎瓶で襲撃するのですが、この事件で逮捕されたのがA団体の幹部だったのです。
A団体の幹部が逮捕されたことで、「この幹部の別働隊がB団体であること、横浜元米軍住宅放火事件でともに犯行声明を出したB団体と日本民族独立義勇軍が同一の団体であることが立証できれば、赤報隊の正体も掴めるのではないか」との線が浮かび上がりました。
しかし、その後の取り調べでも3つの団体をつなぐ決め手となるものは見つからず、逮捕されたA団体幹部らも火炎瓶処罰法違反罪などで有罪判決を受けただけでした。
赤報隊事件の真犯人考察② 統一教会関係者
赤報隊事件を追い続けたジャーナリストの樋田毅氏は、事件の犯人像について以下のような考察をしています。
これまで我々が取材をしてきた右翼の人たちは、しばらくすると『あの事件は誰それの犯行だ』とか言い出すことが結構あったんですよ。もちろんわからないものもありますが、何年か経つとなんとなくわかってくるんです。でも赤報隊だけは、それが全くわからない。少数の結束が固いグループなのか、大きな組織に守られた人たちなのか。そのどちらかだろうと想像してはいますが……
そして著書、『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』のなかで、樋田毅氏が真犯人と断定はしていないものの名前を出したのが、安倍晋三元首相銃撃事件以降、大きな注目を集めている統一教会です。
樋田毅氏は「赤報隊事件が起きた当時、日本のメディアでは霊感商法が批判されることが増えていて朝日新聞や朝日ジャーナルはその急先鋒だった」として、恨みを買う可能性は十分にあったことを示唆しています。
また朝日新聞本社には、阪神支局襲撃事件の際に使われたレミントン製の薬莢とともに、下の画像のような脅迫状が届いていました。
脅迫状には「とういつきょうかいの わるくちをいうやつは みなごろしだ」とワープロで印字されており、脅迫状の消印は阪神支局襲撃事件でレミントン製の薬莢が使われたという報道がされる前だったとのことです。
さらに凶器となった散弾銃の口径とこの薬莢のサイズも一致していたことから、脅迫状の送り主は真犯人、もしくは関係者の可能性が高いと見られました。
また事件当時、統一教会を母体とする政治組織・勝共連合はスパイ防止法案の制定を巡って街宣車を送り込むなどして朝日新聞を攻撃していました。
統一教会関係者から送られたものかは不明ですが、朝日新聞の記者の子どもを殺害するという脅迫文も届き、なかには「文教祖さま(文鮮明のこと)」「共産サタン」といった統一教会内で使われる言葉も見られたといいます。
同様の脅迫状は当時『朝日ジャーナル』の編集長を務めていた筑紫哲也氏のもとにも届いており、差出人は「文鮮明様の使徒」となっていたそうです。
これらのことから赤報隊事件の真犯人は右翼の犯行と見せかけて、統一教会もしくは勝共連合によるものだったのではないか、とも指摘されています。
赤報隊事件の真犯人考察③ 南京大虐殺との関係
出典:https://www.city.nagoya.jp/
1987年の7月、阪神支局襲撃事件が起きて2ヶ月が経った頃、名古屋市長あてに「南京戦に参加した」と自称する匿名の人物からB5版のコピー用紙50枚にも及ぶ告発文が届きました。
1987年は南京大虐殺が起きたとされる1937年からちょうど50年の節目の年であり、名古屋市内では南京市にある「南京大虐殺記念館」の姉妹館を開設しようという働きかけが市民団体らによってされていました。
南京大虐殺の有無については現在も議論されており、中国による歴史改竄を訴える人も少なくありません。
各々の主張の是非はともかく、名古屋市は1978年から南京市と姉妹友好都市提携を結んでいるうえ、市内の大学でも南京大虐殺についての研究が盛んにされていたことから、市民の大勢は南京大虐殺は「あった」という考えでした。
告発文の送り主は、手紙のなかで「南京大虐殺はなかったのだから、記念館を建てる必要はない」という旨を繰り返し訴え、さらに南京大虐殺はあったという前提で報道をする朝日新聞に対し、以下のような激しい憎しみを延々と綴っていたといいます。
「朝日は『お前たち日本人悪人は』という態度である。自分たちは日本人でないかのようだ」「朝日新聞には南京虐殺の反論が載らない。他の雑誌には反論がいくつも出ている。中には投書を申し出ても、ことわられたという人もあるから、朝日が言論を弾圧しているわけだ」
上の引用からもわかるように、告発文の送り主は理路整然とした文章で朝日新聞を批判しており、レーニンの言葉や聖書からも言葉を引用していることから知的レベルの高い人物と推察されました。
また、告発文のなかには第二の阪神支局襲撃事件を示唆する一文もありました。
「もしこの館が出来たら、不測の事態も考慮しなければならぬと思います。つまりこの館の爆破或いは朝日新聞阪神支局襲撃事件のような人身事故の発生です」
このことから捜査本部では、告発文を送った人物が「赤報隊」と同一人物とまではいかずとも、何らかの接点があるのではないかと見られました。
しかし、当時は名古屋市内で右翼の街頭活動がひときわ活発化しており、その対応に追われて一通の告発文を調べるために捜査員を割けなかったそうです。
そのため告発文の送り主と「赤報隊」の接点はわからずじまいで、元捜査員からは今でも「あの告発文をもっと調べておけば」と悔やむ声があがっているといいます。
赤報隊事件のその後① 『週刊新潮』の真犯人誤報
『週刊新潮』は2009年2月5日号から4回に渡り、「実名告白手記・私は朝日新聞阪神支局を襲撃した!」という特集記事を掲載、赤報隊事件の犯人と名乗る元暴力団男性のインタビューを取り上げました。
しかし、この記事は初回掲載時から朝日新聞や、同記事内で事件の黒幕とされた駐日米国大使館から「嘘ばかり」「馬鹿げている」と非難され、他の新聞社や出版社からも「時効が成立しているからと言って、裏もとっていない記事を載せるなんて誠意がない」と叩かれることとなります。
後に『週刊新潮』は元暴力団男性は赤報隊事件の犯人ではなく、「自分たちは騙されて記事を載せた」と誤報を認めましたが、対する元暴力団男性も「自分は新潮に頼まれて、90万円を渡されて嘘の話をさせられた」と応戦。
この点について有耶無耶にしたまま、新潮側は小尻記者の遺族への謝罪、役員の減俸などの対応で幕引きを図りました。
なお、誌上で真犯人と名乗っていた元暴力団男性は2010年に北海道で遺体となって発見されており、死因は自殺とされています。
赤報隊事件のその後② 朝日新聞静岡支局爆破未遂事件の指紋の主が判明
2021年12月、関東地方である事件の容疑者として摘発された55歳の男性から採取した指紋が、朝日新聞静岡支局爆破未遂事件で現場に残されていた遺留指紋と一致したとの報道がありました。
ただ、この遺留指紋がピース缶爆弾など凶器から採取されたものなのか、それとも通行人など事件と無関係な人間が触っても不思議ではない場所から採取されたものなのかは報じられず、その後も指紋の男性と事件の関係性は発表されていません。
赤報隊事件のその後③ 現在も国会で再調査を求められている
2023年2月2日に開かれた衆議院予算委員会で、共産党所属の宮本岳議員が赤報隊事件について言及しました。
宮本議員は兵庫県警捜査1課が作成した事件の内部資料を引用し、事件の背後に統一教会や勝共連合がいた可能性について指摘し、統一教会や勝共連合に再調査を行う意思はあるのか、谷国家公務員長に質問。
谷国家公務員長はこれに対し「赤報隊事件は公訴時効が成立した事件ではあるが、特段の事情がある場合には再度捜査をする可能性はあり得る」と回答しました。
赤報隊事件のその後④ NHKスペシャルで「赤報隊事件」を放送
NHKは2018年1月27日と28日の二夜連続で、NHKスペシャル 未解決事件 「赤報隊事件」を放送。番組の前半では草彅剛さんが事件の真相を追い続ける記者(モデルは小尻記者の先輩でもあった樋田毅氏)を演じるドラマも流されました。
また事件当時、捜査本部にいた元刑事も取材協力しており、名称は出さなかったものの「事件の背景には『ある宗教団体』がいた」「その宗教団体を追おうとしたが、上からストップがかかった」と悔しさをにじませて語っていました。
放送時は「1980年代後半に霊感商法で有名な宗教と言ったら統一教会かなあ?」といった感想が目立ったようですが、やはり統一教会が大きく問題視されるようになった現在では「もう一度、『赤報隊事件』の回を放送してほしい」「NHKも日和らないで統一教会の名前を出すべきでしょう」との声が多く見られます。
赤報隊事件についてのまとめ
今回は1987年から1990年の間に発生し、1名の死者と1名の重傷者を出した赤報隊事件について紹介しました。
事件直後は真犯人は右翼活動家もしくはグループという見方が強かった赤報隊事件ですが、近年では国会で指摘されるほど統一教会や勝共連合の関与が疑われています。
相容れない思想であっても、暴力で相手の口封じを図ることは断じて許されない行為です。時効は成立していますが、事件の真相が白日の下に晒される日が来ることを願います。