杉屋旅館(三重県の廃墟)の現在!歴史や昔の営業当時・20号室や鬼の部屋・巨大な仏壇・廃業理由・心霊ツアーも紹介

三重県の湯の山温泉に鎮座する最恐の心霊スポット「杉屋旅館」が話題です。

 

この記事では杉屋旅館の場所や昔や営業当時の歴史、20号室や鬼の部屋、巨大な仏壇などの数々の不気味な心霊譚、廃業に至った理由や、心霊ツアーも開催されている現在の様子などについてまとめました。

杉屋旅館は三重県の湯の山温泉にある廃墟で心霊スポットとして有名

 

出典:https://livedoor.blogimg.jp/

 

「杉屋旅館」とは、三重県三重郡菰野町、湯の山温泉の山間に所在する巨大な廃墟です。

 

元禄時代(江戸時代中期)に創業したと言われ、訪れる者を癒やし続けてきた老舗の旅館でしたが、2000年代に廃業となって廃墟化し、現在では東海地方随一の心霊スポットとして全国的にその名を知られるようになりました。

 

ここでは、この杉屋旅館について、場所やアクセス方法、創業から廃業に至るまでの昔からの歴史と廃業の理由、「20号室」、「鬼の部屋」、「仏壇」といった数々の心霊の噂、廃墟スポットとしても注目される現在の姿までをまとめていきます。

 

 

杉屋旅館の場所は三重県三重郡菰野町の「湯の山温泉」の一角

 

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東海地方最恐の心霊スポットとも称される「杉屋旅館」ですが、そのミステリアスな雰囲気と数々の心霊の噂に惹かれて詳細な場所やアクセス方法を知りたいという方は少なくないようです。

 

しかし、その場所は安易な訪問が許されない、多くの危険を伴う場所でもあります。ここでは、杉屋旅館の正確な場所とアクセス方法、そして訪問を試みる前に必ず知っておくべき重要な注意点について解説します。

 

 

杉屋旅館の場所(所在地)と地図

 

杉屋旅館は、三重県北部に位置する三重郡菰野町(こものちょう)の山間にある「湯の山温泉街」の一角に存在します。

 

住所表示は「三重県三重郡菰野町菰野8541-16」です。

 

杉屋旅館のある「湯の山温泉」の場所は、鈴鹿山脈の主峰である御在所岳(ございしょだけ)の東麓に広がる、開湯1300年以上の歴史を持つ由緒ある温泉地です。杉屋旅館は、この温泉街の中でも特に古い歴史を持つ旅館でした。

 

 

 

杉屋旅館へのアクセス方法

 

杉屋旅館へのアクセスは、公共交通機関と自動車のいずれかを利用する事になります。ただし、どちらの方法でも最終的には温泉街の坂道や細い道を徒歩で進む必要があります。

 

最寄り駅

 

最寄りの駅は、近畿日本鉄道(近鉄)湯の山線 の終点「湯の山温泉駅」です。

 

駅から旅館までの道のり

 

湯の山温泉駅から杉屋旅館までは、徒歩で約50分ほどの距離があります。道中は坂道が続くため、歩きやすい靴が必須です。

 

バスの利用

 

湯の山温泉駅からは、三重交通バスが運行されています。「湯の山温泉・御在所ロープウエイ前」バス停で下車するのが最も近く、そこから旅館までは徒歩で約12分ほどです。

 

最寄りの高速道路IC

 

自動車を利用する場合は、東名阪自動車道「四日市IC」から、国道477号線(湯の山街道)を西へ約30分です。

 

駐車場について

 

杉屋旅館は既に閉業して廃墟化しており、専用の駐車場はもちろんありません。また、周辺の道路は狭く、駐停車は近隣の迷惑となるため厳禁です。車で訪れる場合は、湯の山温泉街にある有料駐車場(御在所ロープウェイ乗り場周辺など)を利用し、そこから徒歩で向かうことになります。

 

 

杉屋旅館を訪れる際の注意点【重要】

 

杉屋旅館の場所を調べ訪れる上で、最も重要で、絶対に理解しておかなければならないのが、立ち入りに関する以下の項目です。

 

① 私有地であり、立ち入りは固く禁止されている

 

杉屋旅館は管理者が存在する私有地です。許可なく敷地内に足を踏み入れる行為は、刑法の「建造物侵入罪」にあたる明確な犯罪行為です。興味本位で侵入し、警察に通報されるケースも発生しています。

 

② 廃墟化した建物は極めて危険な状態



廃業から数十年が経過し、建物は深刻な老朽化が進んでいます。

 

崩落の危険があり、2024年1月には、玄関の大きな軒が崩落し、入り口を塞ぐ事態も発生しています。床は至る所で腐食し、いつ踏み抜いてもおかしくない状態です。

 

他にも、割れたガラスの破片、錆びた釘、野生動物との遭遇など、心霊現象以前に物理的な危険が数多く存在します。安易な侵入は、命に関わる重大な事故につながる可能性があります。

 

③ 「最恐心霊ツアー」を利用するのがおすすめ



現在、杉屋旅館の内部を見学する唯一の合法的かつ安全な方法は、管理団体が主催する有料の「最恐心霊ツアー」に参加することです。このツアーは、安全管理(ヘルメット着用など)のもと、ガイドの案内で指定されたルートを見学するものです。内部を探索したい場合は、必ずこの正規のルートを利用しましょう。

 

結論として、杉屋旅館の場所を地図で確認することは可能ですが、許可なく現地を訪れ、敷地内に侵入する行為は絶対におやめください。

 

遠くから建物の外観を眺めるに留めるか、安全が確保された公式ツアーに参加することが、法律とご自身の安全を守るための唯一の選択肢です。

 

 

杉屋旅館の昔と歴史① 江戸時代中期に創業した湯の山最古の宿だった

 

出典:https://www.yunoyama-onsen-art.com/

 

続いて、杉屋旅館がいかにして創業し廃業へと至ったのかまでの昔からの歴史についても紹介していきます。

 

まず、杉屋旅館のある湯の山温泉は、遠く奈良時代、718年(養老2年)にまで遡ると伝えられています。薬師如来のお告げによって発見された、あるいは傷ついた鹿がその湯で傷を癒していたという伝説が残る、由緒ある古湯です。

 

 

元禄の創業と江戸時代の賑わいと苦闘の歴史

 

杉屋旅館の創業は、江戸時代中期の元禄年間(1688~1704年)とされています。1686年頃、菰野藩主・土方氏の許しを得て湯の山の温泉復興が本格化し、翌年には「杉屋・泉屋・藤屋」など8軒の湯宿が完成した記録が残っており、杉屋はそのうちの1つとして名を連ねているのが確認できます。

 

当時の伊勢国(現在の三重県を中心とする地域)において温泉は非常に珍しく、湯の山温泉は北伊勢地方で唯一の温泉地として、多くの湯治客や行楽客で賑わいました。温泉街は活況を呈し、杉屋旅館もその中心的な役割を担っていたと推測されます。江戸期の郷土誌にもその名が記されていることから、当時から名の知れた宿であったことが窺えます。

 

しかし、その繁栄は常に順風満帆だったわけではなく、天明の大飢饉や寛政の改革による倹約令などの影響で客足が遠のき、湯宿が4軒にまで減少した苦難の時代があったと伝えられています。杉屋喜三郎という名で記録に残る当時の主人は、他の湯宿の主人たちと共に藩へ窮状を訴える文書を提出しており、その歴史には常に存続をかけた苦闘があったことが見て取れます。

 

 

杉屋旅館の昔と歴史② 西南戦争の際に負傷した兵士のための臨時診療所

 

出典:https://www.yunoyama-onsen-art.com/

 

杉屋旅館の歴史において特筆すべきは、1877年(明治10年)の西南戦争の際に、負傷した兵士たちのための臨時療養所として利用されたという伝承です。

 

激しい戦いで心身ともに傷ついた兵士たちが、この地の湯で癒しを求めた。彼らの苦しみ、安らぎ、そして故郷への想いが、この旅館の土台深くに染み込んでいるとしても不思議ではありません。

 

この出来事は、杉屋旅館に「単なる宿」以上の歴史的な深みを与えています。療養を終えて故郷に帰った兵士たちが、湯の山温泉の風光明媚さとその効能を語り伝えたことで、その名は全国的に広まっていったといわれています。

 

後述しますが、この歴史的背景が、後に語られる心霊現象と結びつけて考えられることも少なくありません。

 

 

杉屋旅館の昔と歴史③ 昭和の繁栄と増改築

 

出典:https://livedoor.blogimg.jp/

 

大正時代に入り鉄道やバスが開通すると、湯の山温泉への交通の便は飛躍的に向上しました。そして昭和の高度経済成長期、日本の観光産業は黄金時代を迎えます。

 

湯の山温泉もその例外ではなく、団体旅行客を中心に多くの人々が押し寄せました。杉屋旅館もこの時代に隆盛を極め、押し寄せる客に対応するため、幾度となく増改築を繰り返したようです。

 

山の斜面という特殊な立地に建てられた旅館は、上へ下へと複雑に建物を増築していった結果、内部はまるで迷宮のような構造になりました。

 

正面玄関から見ると2階建てのように見えるのですが、実際には地下方向へ4階、あるいは5階建てにまで及ぶ巨大な建造物へと、この増改築期に変貌を遂げました。至る所に階段や分岐があり、「1度入ったら出られない」と後に言われる所以はこの時代に形作られました。

 

この複雑怪奇な構造が、営業当時は旅館の個性や収容能力の証であったが、皮肉にも後に廃墟としての恐怖を増幅させる最大の要因となったのです。

 

 

杉屋旅館の昔の歴史④ 廃業に至った時期と理由

 

三百年もの歴史を誇った老舗旅館は、なぜその歴史に幕を下ろし、静かに朽ち果てる道を選んだのでしょうか。その背景には、1つの旅館の経営問題だけでは片付けられない、温泉観光地が抱える構造的な問題が存在します。

 

 

杉屋旅館の廃業の理由① 廃業の時期と湯の山温泉街の斜陽

 

実は、杉屋旅館がいつ廃業したのか、正確な日付は特定されていません。しかし、電話帳には2005年まで記載があるものの、少なくとも2008年の時点ではすでに営業していなかったことが確認されています。

 

これに加えて、廃墟の荒廃具合から、1995年から2005年頃には実質的な営業を停止し廃業していたのではないかと推測する見方が有力となっています。

 

廃業の最大の理由は、湯の山温泉街全体の衰退だと考えられます。高度経済成長期をピークに、旅行の形態は団体旅行から個人旅行へとシフトし、さらに、レジャーの多様化や交通網の発達により、人々はより遠く、より目新しい観光地へと足を運ぶようになりました。

 

かつては年間100万人もの観光客が訪れた湯の山温泉も、その時代の変化に対応しきれず、多くの旅館やホテルが客足の減少に苦しみました。

 

杉屋旅館の周辺にも、「鶯花荘」をはじめとする数多くの廃業した宿泊施設が点在しており、温泉街全体が厳しい状況に置かれていたことがわかります。

 

 

杉屋旅館の廃業の理由② 経営負担という現実

 

歴史ある木造建築の維持管理には、莫大なコストがかかります。特に、増改築を繰り返して迷宮のように複雑化した杉屋旅館の建物は、修繕や耐震補強などの負担が経営を圧迫した可能性が高いのではないかと思います。

 

廃墟を探索した方の報告では、カウンター内に残された書類から、経営難の一端が垣間見えたとの証言もあります。伝統と格式を守り続けるための努力も、時代の大きな潮流の前には限界があったのかもしれません。

 

三百年もの歴史を刻んだ老舗旅館が廃業した最大の理由は、歴史ある木造建築を維持するコスト負担に耐えられなかった事と考えるのが合理的です。

 

 

杉屋旅館の営業当時の面影

 

出典:http://www.pocketbooks-japan.com/

 

杉屋旅館が隆盛を極めていた頃、営業当時の記録などは不思議なほど残されていません。

 

現在の杉屋旅館は、ガラスは割れ、床は抜け落ち、自然の侵食が進む完全な廃墟となっています。しかし、その瓦礫の中に目を凝らせば、かつて多くの人々で賑わった営業当時の面影をそこかしこに見出すことができます。

 

 

杉屋旅館の営業当時の面影① 迷宮と謳われた館の内部

 

杉屋旅館の廃墟を探索した方の報告によれば、館内には営業当時に使用されていたであろう食器や布団、テーブル、帳場に残された書類などが今なお散乱しているといいます。

 

厨房には調理器具が残され、昭和の時代にタイムスリップしたかのような光景が広がっているとの証言もあります。

 

これらの残留物は、ほんの少し前までここで人々が働き、宿泊客が寛いでいたという営業当時の記憶を垣間見るための材料となります。

 

宴会場だったと思われる広い畳の部屋は、床が抜け落ちる寸前の危険な状態でありながらも、かつての賑わいを想像させます。客室は、家族連れが宿泊したであろうこぢんまりとした和室が多く、その1つ1つに笑い声や語らいがあったはずです。

 

窓の外に広がる湯の山の自然を眺めながら、旅の疲れを癒した人々の記憶は、カビ臭さと野生動物の匂いが混じり合う廃墟特有の空気の中に混じり現在もなお漂っているようにも感じられます。

 

 

杉屋旅館の営業当時の面影② 提供されていたサービス

 

杉屋旅館が営業当時にどのようなサービスを提供していたのか、具体的な記録を見つけることは現在は困難です。しかし、湯の山温泉が「鹿の湯」とも呼ばれ、その無色透明の柔らかな泉質で知られていたことから、温泉そのものが最大の魅力であったことは間違いないと思われます。

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杉屋旅館の廃墟を探索した方が発見した狭めの浴場は、歴史ある湯宿の趣を感じさせるものでした。

 

また、近隣には「男はつらいよ」のロケ地となった場所や、登録有形文化財に指定された旅館も現存しており、湯の山温泉街全体が風情ある観光地であったことがわかります。

 

杉屋旅館もまた、営業当時はその一翼を担い、訪れる客に安らぎと非日常の空間を提供していたはずです。

 

 

杉屋旅館は心霊スポットとして全国的に有名に

 

廃業し、人の出入りがなくなり廃墟化した杉屋旅館は、その特異な雰囲気から、いつしか心霊スポットとして囁かれるようになりました。そして、インターネットの普及と共にその噂は瞬く間に拡散され、東海地方随一、日本有数の心霊廃墟としての地位を確立していきました。

 

数多くのYouTuberや心霊マニアがこの地を訪れ、そこで体験したという恐怖の逸話が、杉屋旅館の新たな顔となりました。

 

 

杉屋旅館で語り継がれる代表的な心霊譚

 

杉屋旅館で報告される心霊現象は多岐にわたりますが、特に有名なものに以下のような噂があります。

 

杉屋旅館の心霊譚① 移動する古い人形

 

廊下に佇む古い日本人形が、目を離すたびにその場所を変える、あるいは悲しげな表情でこちらをじっと見つめてくるという噂が囁かれています。恨みの念を宿しているかのように感じるとされ、多くの訪問者に強烈な印象を与えています。

 

杉屋旅館の心霊譚② 謎の視線と物音

 

誰もいないはずの暗い廊下で、明確な視線を感じる。耳元で囁き声が聞こえる、あるいは誰もいない階上から足音が響いてくるなど、聴覚や感覚に訴える怪奇現象の報告は後を絶ちません。

 

杉屋旅館の心霊譚③ 「仏壇の部屋」周囲でお経が聞こえる

 

杉屋旅館の館内の特定の場所、特に後述する「仏壇のある部屋」周辺で、お経のような声が聞こえてくるという証言が複数存在します。この現象は、西南戦争の療養所だったという歴史と結びつけられ、亡くなった兵士たちを弔う声ではないかと考察されています。

 

これらの噂は、訪れた者の恐怖体験として語られるだけでなく、テレビ番組などで取り上げられることでさらに増幅され、杉屋旅館の心霊スポットとしてのイメージを決定的なものにしました。

 

次の見出しからは、杉屋旅館にまつわる恐ろしい心霊の噂についてさらに紹介していきます。

 

 

杉屋旅館の心霊の噂① 封印された20号室

 

出典:https://tmbi-joho.com/

 

杉屋旅館の客室の中でも、特に忌まわしい場所として知られるのが「封印された20号室」です。

 

この20号室の噂は、TBS系の心霊バラエティ番組「口を揃えた怖い話」で紹介された事一躍有名になったもので、なぜか固く封鎖されていて中に入る事ができないとされています。

 

なぜこの20号室だけが封印されているのか、その理由は定かではありません。一説には、過去にこの部屋で宿泊客が次々と異常な体験をし、従業員も不可解な現象に悩まされた結果、閉鎖せざるを得なくなったと言われています。

 

また、夜になると扉越しにお経のような声が聞こえたり、隙間から見える部屋の隅に人影が動くのが目撃されたという証言もあります。この20号室の謎は、杉屋旅館で囁かれる心霊の噂の中心にあり、廃業の理由に関係しているのではないかとも噂され、多くの心霊ファンの探求心を刺激し続けています。

 

 

杉屋旅館の心霊の噂② 「鬼の部屋」

 

杉屋旅館で「20号室」と並び称される謎の空間が「鬼の部屋」です。しかし、この部屋についてはさらに情報が少なく、その存在自体が伝説の域を出ない部分もあります。「お経の部屋、」「三面鏡の間」などと共に「四つの怪異の間」として語られることもありますが、具体的にどの部屋を指すのか、なぜ「鬼」と名付けられたのかは一切不明です。

 

民俗学や家相の世界にも「鬼部屋」という一般的な名称は存在しません。そのため、いくつかの仮説が立てられています。1つは、建物の「鬼門」(北東の方角)に位置していたのではないかという説。家相において鬼門は不吉な方角とされ、そこに何か特別な意味を持つ部屋があったとしても不思議ではありません。

 

また、近隣の寺社に伝わる僧兵伝説や天狗伝説と関連があるのではないか、あるいは部屋に鬼の面や鬼にまつわる装飾があったのではないかといった考察もされていますが、いずれも確証はありません。「鬼の部屋」という不気味な響きだけが独り歩きし、杉屋旅館の謎や不穏さを一層深いものにしています。

 

 

杉屋旅館の心霊の噂③ 最奥部に置かれた巨大な仏壇

 

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杉屋旅館の心霊現象を語る上で、最も象徴的かつ不可解な存在が、館内の最奥部、最下層にあたる場所に置かれているとされる巨大な「仏壇」でしょう。

 

なぜ一旅館に、これほど立派な仏壇が存在するのか。この問いは、多くの訪問者や研究者を悩ませてきました。この仏壇の由来については、複数の説が存在します。

 

 

杉屋旅館の仏壇の考察① 経営者一族の私物説

 

杉屋旅館の仏壇についての最も現実的な説は、旅館の経営者が自身の先祖を祀るために設置したというものです。 仏壇のある部屋にキッチンや冷蔵庫といった生活感のある設備が見られることから、従業員の休憩スペースなどを兼ねたプライベートな空間で、普段はカーテンなどで隠されていたのではないかと推測されています。

 

 

杉屋旅館の仏壇の考察② 西南戦争の慰霊説

 

杉屋旅館が西南戦争の臨時療養所であったという歴史と結びつけ、ここで亡くなった兵士たちの魂を弔うために置かれたのではないかという説もあります。お経が聞こえるという噂も、この説を補強する材料としてしばしば語られています。

 

 

杉屋旅館の仏壇の考察③ その他の説

 

営業当時、旅館に関わる何らかの不幸な出来事があり、その供養のために置かれたのではないか、あるいは近隣の寺社と深い関わりがあったのではないかなど、様々な憶測が飛び交っています。

 

この仏壇の存在は、杉屋旅館が単なる廃墟ではなく、多くの人々の生と死、そして祈りや念が交錯してきた場所であることを強く物語っています。暗い廃墟の最奥で静かに鎮座する仏壇は、訪れる者に対して声なき何かを問いかけているように感じられ、一層その不気味さを際立たせています。

 

 

杉屋旅館の現在① 「最恐心霊ツアー」が開催されている

 

出典:https://t.livepocket.jp/

 

最後に、杉屋旅館の現在についても紹介していきます。

 

近年、この杉屋旅館を正式に管理し、有料の「最恐心霊ツアー」を企画・運営する団体が現れました。これにより、現在の杉屋旅館は無法地帯の廃墟から、管理された「恐怖体験施設」へとその姿を大きく変えています。

 

このツアーは「仕掛けも演出も一切なし」を謳い文句に、この場所自体が放つ本物の恐怖を五感で体験することをコンセプトとしています。

 

参加者は誓約書への署名やヘルメットの着用が義務付けられ、ガイドの先導のもと、懐中電灯1本を頼りに暗闇の迷宮を探索します。この取り組みは、廃墟の持つ特異な価値を認め、それを安全な形で活用しようとする新しい動きとして注目される一方で、心霊スポットの商業化に対する賛否両論も呼んでいます。

 

しかし、無秩序な荒廃を防ぎ、歴史ある建物を管理・維持していくための1つの方法論であることは紛れのない事実です。

 

 

杉屋旅館の現在② 廃墟スポットとしても魅力的だが無許可の侵入は違法

 

心霊スポットとして不動の名声を得た杉屋旅館ですが、その一方で不法侵入や破壊行為、ゴミの不法投棄といった問題が深刻化しています。建物の老朽化も著しく、物理的な危険性も増大する中、杉屋旅館は新たな局面を迎えています。

 

 

崩落の危機と物理的危険性

 

管理された「最恐心霊ツアー」が開催されるようになったとはいえ、現在、杉屋旅館の建物の老朽化は深刻なレベルに達しています。2024年1月の時点では、玄関の軒庇部分が大きく崩落し、入り口自体を塞いでいる状態が報告されています。館内も床の腐食が進み、いつ抜け落ちてもおかしくない場所が多数存在すると言われています。

 

ガラスの破片も散乱しており、安易な立ち入りは重大な事故につながる極めて危険な行為です。管理団体の許可なく侵入することは、建造物侵入罪に問われるだけでなく、自らの生命を危険に晒す行為であることを強く認識する必要があります。

 

現在の杉屋旅館は、心霊的な恐怖と同時に、物理的な崩壊の危機という現実的な恐怖にも直面しています。

 

 

まとめ

 

今回は、三重県三重郡菰野町の湯の山温泉の山の斜面の場所に張り付くように鎮座する廃墟で、「東海地方随一の心霊スポット」とも称される「杉屋旅館」についてまとめてみました。

 

杉屋旅館の歴史は、遠い昔にまで遡り、創業は江戸時代中期の元禄年間とされています。営業当時の記録はほぼ何も残されておらず、廃墟に残された残留物から当時の記憶を辿る事しかできません。廃業の理由もはっきりとはわかっておらず、何か心霊的な理由があったのではと噂する者もいるようです。

 

事実、杉屋旅館には様々な心霊の噂が伝えられており、中でも「20号室」、「鬼の部屋」などのいわくつきの部屋や最奥部に残された巨大な仏壇の謎など不穏で不気味な空気を漂わせています。

 

現在、杉屋旅館では管理者が有料の「最恐心霊ツアー」を企画・開催していて、これを利用する事で、安全に合法的に杉屋旅館を探索する事が可能です。

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