「ダーキニー」とは「地下鉄サリン事件」などを引き起こしたカルト宗教団体「オウム真理教」の教祖・麻原彰晃の愛人達を指す言葉です。
この記事ではダーキニーのメンバーの一覧やその選出基準、オウム真理教にダーキニー制度が生まれた背景とその後や現在などについてまとめました。
この記事の目次
ダーキニーとはオウム真理教の教祖・麻原彰晃の愛人集団を指す言葉
この記事で紹介する「ダーキニー」とは、平成の時代に日本を震撼させたカルト宗教団体「オウム真理教」の教祖・麻原彰晃(あさはら・しょうこう)の愛人達を指す言葉です。
1995年3月20日、東京の営団地下鉄(現在の東京メトロ)で、化学兵器として使用される神経ガス「サリン」が散布され、14人が死亡(後遺症で亡くなった方を含む)、約6300人が重軽傷を負うという未曾有の無差別テロ事件「地下鉄サリン事件」が発生しました。
この事件を首謀したのが、当時、新興宗教団体として勢力を拡大していたオウム真理教と、その教祖である麻原彰晃(本名・松本智津夫)でした。
オウム真理教は、この地下鉄サリン事件以外にも、松本サリン事件や坂本弁護士一家殺害事件など、数々の凶悪事件を引き起こしていた事が次々と明らかになり、日本社会に大きな衝撃と恐怖を与えました。
これらのオウム真理教事件の背景には、麻原彰晃を「最終解脱者」として絶対視する歪んだ教義と、信者たちを社会から隔絶し、徹底的に支配するカルト的な組織構造がありました。
その中でも、教団の異常性を象徴する存在として、麻原の側近、実質的には愛人として仕えた一部の女性信者たち、通称「ダーキニー」の存在が挙げられます。
ここでは、オウム真理教における「ダーキニー」とは何だったのか、その選出基準、主要メンバーの一覧、そして彼女たちのその後や現在に至るまで、麻原彰晃との関係性を軸にして紹介していきます。
ダーキニー制度を作った麻原彰晃とオウム真理教とは
「ダーキニー」という制度を理解するためには、オウム真理教とその教祖である麻原彰晃についての基礎的な知識は不可欠です。
まず最初にオウム真理教の成り立ちと教祖・麻原彰晃について、ごく簡単にですが紹介しておきます。
オウム真理教はヨガサークルから武装化した狂信集団へと変貌した
オウム真理教の起源は、麻原彰晃が1984年に設立したヨーガ道場「オウム神仙の会」に遡ります。当初は、空中浮揚などの超能力を喧伝することで若者を中心に信者を獲得していきました。
1987年に「オウム真理教」と改称し、1989年に東京都から宗教法人としての認証を受けました。この頃から教団は、信者に全財産を布施させ、家族や社会との関係を断ち切らせる「出家」制度を本格化させ、一般社会から隔絶された閉鎖的なコミュニティを形成していきました。
1990年の衆議院議員総選挙に、麻原彰晃をはじめとする幹部25人が「真理党」から立候補するも全員が落選します。
この選挙での惨敗を、麻原彰晃は「国家による陰謀」と位置づけ、教団は急激に反社会的な思想を強め、武装化への道を突き進む事になりました。サリンやVXガスといった化学兵器、さらには自動小銃の製造まで計画・実行し、自らの教団に敵対する、あるいは邪魔になると見なした人物を次々と殺害していきました。
麻原彰晃という「絶対者」
一連の凶悪事件の頂点に君臨したのが、教祖・麻原彰晃でした。
麻原彰晃は自らをヒンドゥー教のシヴァ神の化身であり、仏陀を超える「最終解脱者」であると称し、信者たちに絶対的な帰依を強いました。
教団内では、麻原彰晃の言葉は絶対であり、彼の意に沿わない者は「地獄に落ちる」と恐怖を植え付けられ、思考停止に追い込まれていきました。
この絶対的な権力構造の中で、麻原は自らの欲望を際限なく満たしていくようになります。特に、麻原彰晃の女性信者に対する態度は、教祖としての威厳とはかけ離れた、倒錯的かつ搾取的なものでした。そして、その象徴こそが「ダーキニー」制度だったのです。
ダーキニーとはそもそも何なのか
続けて、この記事の中心的なテーマである「ダーキニー」とはそもそも一体何なのかについて紹介してきます。
「ダーキニー」の語源と麻原彰晃による都合の良いチベット仏教の歪曲
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「ダーキニー」という言葉は、元々はチベット仏教において、悟りを得た女性の仏や、修行者を導く女神などを指す言葉です。しかし、オウム真理教では、この神聖な言葉が全く異なる意味で用いられていました。
すなわち、オウム真理教における「ダーキニー」とは、教祖である麻原彰晃の愛人たちを指す隠語として用いられていました。
麻原彰晃は、自らを「最終解脱者」であるため、一般信者に課せられた「不邪淫」(配偶者以外との性行為の禁止)という戒律を超越した存在であると主張しました。
そして、「若い女性を高い次元に導いてやるために、性行為(左道タントライニシエーション)を最終解脱者の義務として施さなければならない」という、常軌を逸した理屈を掲げ、自らの性的欲望を正当化したのです。
「修行」と称した性的搾取
ダーキニーに選ばれた女性信者にとって、麻原彰晃との性的関係は「究極の修行」と位置づけられました。麻原のエネルギーを直接授かることで、自身の魂のステージが上がると信じ込まされていたのす。
この歪んだ教義は、マインドコントロール下にある信者たちにとって絶大な影響力を持ち、一部の女性信者はダーキニーになる事を名誉な事とさえ考えていたとされます。しかし、その実態は紛れもない性的搾取であり、麻原彰晃によるレイプであったとも指摘されています。
麻原彰晃は、富士山総本部の第1サティアンや第2サティアンにダーキニーたちを住まわせ、さながらハーレム(大奥)のような環境を築き上げていました。自身が「大奥制度を確立した徳川家光の生まれ変わり」であるなどと称し、その行為を正当化していたとされ、その自己中心的で傲慢、そして妄想的な思想には戦慄を覚えます。
麻原彰晃の娘(四女である松本聡香さん)の証言によれば、愛人は延べ100人に及び、正妻以外に4人の信者との間に15人の子供をもうけていたとされます。
ダーキニーの選出基準と選ばれたメンバーの特権
オウム真理教の教祖・麻原彰晃が作り上げた愛人システム「ダーキニー」には、麻原彰晃自身による選出基準があったようです。
また、麻原彰晃は自らの愛人である「ダーキニー」に他の信者達とは一線を画す様々な特権を与えていました。
「ダーキニー」の選出基準は麻原彰晃の「好み」がすべて
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「ダーキニー」の選出基準は、麻原彰晃個人の嗜好が色濃く反映された、極めて恣意的なものでした。その選考のプロセスは以下のようなものでした。
まず、オウム真理教入信時に撮影された顔写真をもとに、麻原彰晃の好みの女性が選ばれる「書類選考」が行われます。
その後、その後、選ばれた女性は本部に呼び出され、麻原彰晃自身や側近の村井秀夫らによる「面談」が行われます。そして最終的には、麻原彰晃による「性行為テスト」を経て、処女である事が確認される事で正式にダーキニーとして認定されたとされています。
麻原彰晃の好みは「若くて丸顔で髪が長い女性」であったとされ、ダーキニーになりたくない女性信者の中には、わざと髪を短くしていた者もいたという証言も出ています。
「ダーキニー」に与えられた「特権」と実質的な支配の実態
麻原彰晃の選出基準にかない、「ダーキニー」に選ばれた女性達には、他の信者とは一線を画す様々な「特権」が与えられました。
「ダーキニー」に与えられた「特権」は、以下のような内容だったとされています。
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・教団内での高い礼遇を受ける権利
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・運転手付きの車に乗れる権利
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・私服を購入し着用できる権利(一般信者は規定の服しか着用できなかった)
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・作りたての温かい食事を食べる権利(一般信者は冷めた粗末な食事しか与えられなかった)
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・麻原の故郷である熊本の名産品メロンの「お下げ渡し」を受ける権利
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・「ワーク」と呼ばれる労働において、ラーメン工場など地位の高い信者が働く場所で作業できる権利
これらの特権は、過酷な出家生活を送る他の信者達から見ると、羨望の対象であったと言われています。
しかし、これは麻原彰晃がダーキニーたちを他の信者から隔離し、自らの支配下に置き続けるための巧妙な手段という側面がありました。特権を与えることで、ダーキニーとしての地位に満足させ、思考を停止させ、性的搾取という現実から目を背けさせていたのです。彼女たちは、麻原によって与えられた偽りの優越感の中で、心身ともに蝕まれていったと言えます。
ダーキニーの主要メンバーと一覧
ここでは、ダーキニーとして名前が挙がっている主要な女性幹部について、公になっている情報を元に記述してきます。
彼女達の多くは、教団内で高い地位に就き、麻原の側近として事件にも深く関与していく事になりました。
ダーキニーの主要メンバー一覧① 石井久子
石井久子は、麻原彰晃が最も寵愛したダーキニーの1人とされ、オウム真理教でのホーリーネームは「マハー・ケイマ、ティローパ」、役職は「大蔵大臣(後に大蔵省大臣)、法皇官房長官」でした。
石井久子は黒髪のロングヘアの知的な印象を受ける美人で、麻原彰晃の好みに合致していたと言われています。
石井久子は短大卒業後に保険会社のOLとして働いていましたが、オウムの前身団体に入会し、最初期の弟子の1人となりました。オウム真理教では「大蔵大臣」として財政を統括し、麻原に次ぐナンバー2の地位にありました。メディアにも頻繁に登場し、教団の広告塔としての役割も担う存在でした。
麻原彰晃との間には双子を含む3人の子供をもうけたとされます。坂本弁護士一家殺害事件や地下鉄サリン事件の実行犯への資金提供など、数々の事件に関与し、犯人隠匿罪などで逮捕され、懲役3年8ヶ月の判決を受けました。
ダーキニーの主要メンバー一覧② 松本知子
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松本知子は麻原彰晃の正妻で、6人の子供達の母親です。オウム真理教でのホーリーネームは「ヤソーダラー」で、役職は「郵政省大臣」でした。
松本知子は予備校時代に麻原彰晃と出会い結婚し、夫がオウム真理教を設立して以降、彼女自身も教団内で高い地位にありました。
麻原彰晃の数多くの愛人関係を知りながらも、その関係性は複雑であったとされ、麻原の四女の証言によれば、松本知子は麻原彰晃が愛人と過ごす部屋の前をうろつく事もあったという事です。
一方で、薬剤師リンチ殺人事件の公判で愛人の話が出た際には「そんな人がいたなんて」と泣き崩れたとも報じられています。
松本知子は薬剤師リンチ殺人事件に関与したとして逮捕され、懲役6年の実刑判決を受けています。
ダーキニーの主要メンバー一覧③ 飯田エリ子
飯田エリ子はオウム真理教ではホーリーネーム「サクラー」、役職は「東信徒庁長官、宗教法人の責任役員」で、麻原彰晃のお気に入りのダーキニーの1人だったとされています。
オウム真理教の最古参のメンバーで、ヨガサークル「オウム神仙の会」の主要人物の1人でした。東日本の信者を統括する幹部であり、布施を集める才能に長けて1ヶ月で2億を集めたともいわれています。
また、諜報省に所属して、教団の敵対者を監視するなどの役割を担っていたともされ、オウム事件では、犯人隠匿罪などで逮捕されて懲役6年6ヶ月の実刑判決を受けました。
ダーキニーの主要メンバー一覧④ 木田裕貴子
出典:https://lh3.googleusercontent.com/
木田裕貴子は、オウム真理教でのホリーネームは「スメーダー」で、10代で入信し、若くしてダーキニーに選ばれたとされ、18歳で麻原彰晃との間に娘を1人出産しています。
この一覧はあくまでも一部であり、ダーキニーのメンバーは少なくとも33人以上いたとされています。彼女達の多くは、高学歴で真面目な女性でした。なぜ、彼女たちは麻原の歪んだ教義を受け入れ、ダーキニーとしての道を選んでしまったのか。その背景には、当時の社会状況や、若者たちが抱える心の隙間、そしてマインドコントロールの恐ろしさがありました。
ダーキニー制度の社会的な背景と麻原彰晃の手口
オウム真理教のようなカルト宗教が信者を獲得し、支配する手口は巧妙です。特に、社会との接点が少なく、自己肯定感が低い、あるいは理想主義的で純粋な若者は、その標的となりやすいとされています。
オウム真理教が勢力を拡大した1980年代後半から90年代前半の日本は、バブル経済が崩壊し、社会全体が先行きの見えない不安感に包まれていた時代でもありました。
オウム真理教が勢力を伸ばした背景と「ダーキニー」を生んだ当時の女性の苦悩
当時の日本では、物質的な豊かさの一方で、精神的な空虚感を抱える若者が少なくありませんでした。学歴社会や企業社会の歯車となる事に疑問を感じ、生きる意味や真理を求める中で、オウム真理教の「解脱」や「救済」といった教えに惹きつけられた者が多くありました。
特に女性信者に関しては、当時の日本社会における男女間の格差や、女性が抱える生きづらさも無関係ではありませんでした。職場で正当な評価を得られなかったり、家庭内で孤独を感じていたりする女性達が、教団というコミュニティに安らぎや自己実現の場を求めた側面も指摘されています。
麻原彰晃による巧妙なマインドコントロール
オウム真理教は、ヨーガの修行、瞑想、薬物の使用、睡眠不足、極端な食事制限などを組み合わせる事で、信者の判断能力を奪い、マインドコントロール下に置いていきました。
麻原彰晃を絶対的な存在として崇拝させ、外部からの情報を遮断することで、教団の教えが唯一の真実であると信じ込ませるという巧妙な手口でした。
このような状況下では、「麻原彰晃との性行為は修行である」という荒唐無稽な教えも、疑うことなく受け入れられました。むしろ、選ばれた者としての特別感や、教祖のエネルギーを直接受けられるという「栄誉」に、一種の恍惚感さえ覚えてしまう心理状態に陥っていた可能性も否定できません。それは、理性や知性では説明がつかない、マインドコントロールの恐ろしさを物語っています。
ダーキニーの主要メンバー達のその後や現在
オウム真理教の教祖・麻原彰晃の愛人である「ダーキニー」の主要メンバー達のその後や現在についてみていきます。
地下鉄サリン事件後、オウム真理教は社会から厳しい批判に晒され、1996年には宗教法人格を剥奪され解散命令を受けました。教祖・麻原彰晃をはじめとする多くの幹部が逮捕・起訴され、ダーキニーとされた女性達も、それぞれの道を歩む事になりました。
ダーキニー達の刑事罰と社会復帰
石井久子や松本知子、飯田エリ子など、事件に深く関与したダーキニー達は、逮捕され刑事罰を受けました。出所後、彼女達は社会復帰を目指す事になりましたが、その道のりは決して平坦ではありませんでした。
「元オウム幹部」、「麻原彰晃の愛人」というレッテルは重く、静かな生活を送る事を望んでも、世間の厳しい目に晒されました。
ダーキニー・石井久子のその後と現在
石井久子は、出所後、「敬愛の気持ちはなくなった」と麻原との決別を語り、子供達と共に社会復帰を目指す意向を示しました。その後、介護の仕事をしながら父親と暮らしていると報じられた事もありますが、現在はかつての「女帝」の面影はなくなっているとされています。
ダーキニー・飯田エリ子のその後と現在
飯田エリ子は、服役中に脳出血で倒れ、右半身に麻痺が残ったとされています。出所後は実家でリハビリ生活を送っていると報じられています。
ダーキニー・松本知子のその後と現在
正確にはダーキニーではなく麻原彰晃の正妻である松本知子は、出所後、オウム真理教の後継団体「Aleph(アレフ)」に一定の影響力を持っているとも言われており、麻原彰晃の家族として、その動向は現在も公安警察に注視されているとされています。
ダーキニー・木田裕貴子のその後と現在
木田裕貴子は、母親と麻原との間に生まれた娘と共に群馬県で暮らしているとの情報があります。
元ダーキニー達は現在も沈黙と苦悩の中にいると推測する見方も
少なくとも33人以上いたとされる元ダーキニー達の多くは、メディアの前に姿を現す事がなく、社会の片隅で静かに暮らしていると考えられています。彼女達の中には、過去を深く悔い、被害者への謝罪の念を抱き続けている者もいると考えられます。
一方で、マインドコントロールから完全に解放されず、今なお苦しんでいる者もいるかもしれません。
彼女たちが経験したことは、あまりにも特異で過酷なものでした。麻原彰晃という1人の人間の狂気に人生を翻弄され、加害者でありながら、同時に深刻な被害者でもあったという側面は否定できません。その心の傷は、時間が経っても癒える事はなく、現在も苦悩しているのではないかと推測する見方もあります。
麻原彰晃にはダーキニーとの間に多くの子供がいるとされています。その子供達もまた、現在も過酷な業を否応なく背負わされている存在だと言えます。
まとめ
今回は、「地下鉄サリン事件」などの凶悪事件を数多く起こし平成の日本社会を震撼させたカルト宗教団体「オウム真理教」の教祖・麻原彰晃の愛人達である「ダーキニー」についてまとめてみました。
オウム真理教の「ダーキニー」制度は、教祖・麻原彰晃の飽くなき支配欲と性的欲望が生み出した、究極の性的搾取システムだったと言えます。神聖な宗教用語を悪用し、「修行」という名目で女性信者の人権を蹂躙したその手口は、カルト宗教の持つ危険性と非人間性を如実に示しています。
ダーキニーのメンバーは少なくとも33人以上いたとされ、彼女達がダーキニーになるに至った背景には、個人的な悩みや弱さだけでなく、社会が抱える構造的な問題や、人の心の隙間に入り込むマインドコントロールの恐ろしさが存在し、それは多くの闇を抱える現在の社会にも重要な問題を投げかけています。