高知白バイ衝突死事故は2006年に発生した警察官の死亡事故で、白バイと衝突したバス運転手・片岡晴彦に有罪判決が下りましたが、冤罪の可能性が指摘されています。この記事で本件の原因や場所、疑惑のブレーキ痕と真相、裁判官の判断、再審やその後を紹介します。
この記事の目次
- 高知白バイ衝突死事故の概要
- 高知白バイ衝突死事故が起きた場所
- 高知白バイ衝突死事故が冤罪と疑われる原因① 食い違う証言
- 高知白バイ衝突死事故が冤罪と疑われる原因② ブレーキ痕の捏造疑惑
- 高知白バイ衝突死事故が冤罪と疑われる原因③ 運転手の早すぎる逮捕
- 高知白バイ衝突死事故の裁判と判決
- 高知白バイ衝突死事故のその後① 片岡運転手の現在
- 高知白バイ衝突死事故のその後② ブレーキ痕の再鑑定・再審請求
- 高知白バイ衝突死事故のその後③ 疑惑の裁判官が栄転
- 高知白バイ衝突死事故のその後④ 若い世代への影響
- 高知白バイ衝突死事故の真相① 警察官による違法行為の揉み消しが目的か
- 高知白バイ衝突死事故の真相② 警察の保険金支払い逃れ疑惑もある
- 高知白バイ衝突死事故についてのまとめ
高知白バイ衝突死事故の概要
2006年3月3日の14時30分頃、高知市内の県道交差点で卒業遠足帰りの仁淀川町立仁淀中学校のの3年生22名と教員3名を乗せたスクールバスと、白バイが衝突事故を起こしました。
スクールバスに乗っていた学生や教師に被害はありませんでしたが、この事故で白バイに乗っていた26歳の高知県警察交通機動隊の巡査長が死亡。
事故の原因はスクールバスを運転していた片岡晴彦さんが安全確認不十分のまま交差点に進入してきたため、と判断されて片岡さんは現行犯逮捕されました。
しかし、スクールバスに乗っていた教員や中学生らは事故当時バスは停車していたと証言し、逮捕された片岡さんも無罪を主張します。
一方、警察や検察は「事故現場にスクールバスが急ブレーキをかけたことを証明するブレーキ痕がある」として、片岡さんを起訴。
その後、片岡さんの弁護士やマスコミの調査により、警察と検察側が提出した証拠や目撃証言には捏造の疑いが浮上し、事故は警察官の自損事故だったのではないか?と指摘されました。
事故現場周辺では、かねてから事故現場付近では白バイ隊員の高速度走行訓練がおこなわれており、公道で訓練をしていたことを認めるわけにはいかないため、片岡さんを犯人に仕立て上げたのではないか?との疑惑が持ち上がったのです。
しかしながら裁判でも片岡さんと弁護側の主張は受け入れられず、2008年8月20日に業務上過失致死傷罪で片岡さんには禁錮1年4ヶ月の実刑判決が下されました。
結局、事件の真相がわからないまま片岡さんは加古川刑務所に収監。2010年2月23日に刑期を終えて出所しましたが、その後も冤罪を訴えており、二次再審の準備が進められています。
高知白バイ衝突死事故が起きた場所
高知白バイ衝突死事故が起きたのは、高知県吾川郡春野町(現在の高知市)内、水分神社付近の路上です。
事故当時、スクールバスは道路左沿いにあるレストランの駐車場から大通りに進入して、国道56号線と合流する中央分離帯で停車。右折するタイミングをうかがっていたといいます。
そこに大通りを後ろから走行してきた白バイが衝突した、というのが片岡さん側の主張です。
一方、警察・検察側の主張ではレストランの駐車場を出発したスクールバスが低速で中央分離帯に向かう途中、安全確認を怠って白バイに気づかずに衝突、急ブレーキを踏んだ状態で3mほど白バイを引きずって走ったというものでした。
事故が起きた時のスクールバス、白バイは上の図のようなの位置関係で、反対車線を走行していた別の白バイ隊員が衝突事故を目撃したと証言しています。後述しますが、この白バイ隊員の目撃証言も不自然な点が多いと指摘されています。
高知白バイ衝突死事故が冤罪と疑われる原因① 食い違う証言
高知白バイ衝突死事故ではスクールバスに乗っていた中学生や教員から「衝突が起きた時、バスは国道に合流するために右折するタイミングを図るために停車していた。『まだ出発しないのかな』『もうそろそろ動くんじゃないかな』と思っていたので、よく覚えている」という証言が複数出ていました。
スクールバスに後続するかたちで自家用車で駐車場を出た仁淀川町立仁淀中学校の校長も、「バスは停車していた。目の前で見ていたので間違いない」と、裁判で証言しています。
一方、警察・検察側は衝突地点から123m離れた反対車線にいたという白バイ隊員による以下の内容の証言が正しいと訴えました。
事故を目撃したという白バイ隊員の証言
時速10kmほどでスクールバスが駐車場を出て道路に進入してきた時、亡くなった巡査長の運転する白バイも、55mほど後ろから法廷速度の時速60kmで衝突地点に接近してきていた。
そしてスクールバスと白バイは衝突し、バスは白バイを引きずったままわずかに前進して停車。自分も衝突現場を16mほど過ぎた場所で道路の左端にバイクを停車して、現場に駆け寄った。
この白バイ隊員は事故が目に入った瞬間にバイクを止めようとしたものの、後続車両がいたため急停止してUターンをするのは危険と判断して、現場から16m離れた場所に白バイを停め、携帯電話で119番通報したとのことです。
なお、携帯電話を使った理由は停車した白バイから離れていて警察無線が使えず、また駆けつけた時に事故に遭った巡査長の口から血が噴出したことから、一刻を争うと判断したためだといいます。
一見すると事件を目撃した白バイ隊員の証言は真っ当なものに感じられますが、彼の証言には不自然な点がありました。
事故や事件を目撃した白バイやパトカーは、サイレンと赤色灯を点灯して緊急走行であることを周囲に知らせ、いち早く現場に向かうのが通常です。
後続車両がいてUターンは危なかった、というのは普通の目撃者であればもっともな主張です。
しかし、警察や消防隊などには法令で緊急走行が認められているのに、自分の目の前で大きな事故が起きていながら呑気に16mも現場を通り過ぎて、道路脇に白バイを停めてから現場に向かったというのは不可解な印象を受けます。
しかもスクールバスに乗っていた中学生からは「たしかに衝突があった数分後に別の白バイ隊員が現場に来たけれど、白バイはサイレンも赤色灯もつけていなかった」との証言が出ていました。
これに対して警察側は「事件を目撃した警官は、いったんは白バイのサイレンと赤色灯をつけたものの、バイクを停車した時に回転灯のスイッチを切ったと言っている」と主張しています。
ここでも中学生の目撃証言と警察側の主張が食い違っており、またサイレンと赤色灯を点けていたのなら、なぜそのまま現場にバイクで直行しなかったのかという疑問も生じます。
高知白バイ衝突死事故が冤罪と疑われる原因② ブレーキ痕の捏造疑惑
裁判で検察は証拠として、警察が事故現場で撮影したとされる130枚を超す数の写真を提出しました。
この写真のなかには、事故当時にスクールバスが急ブレーキを踏んだためについたというブレーキ痕を撮影したものが含まれており、警察の「事故が起きる直前にバスは白バイに気づき、急ブレーキを踏んだが間に合わず、そのまま白バイを引きずって3mほど進んだ」という主張の証拠として扱われました。
裁判でも検察側は「写真のとおり前輪左側のタイヤに1.2m、前輪右側に1mのブレーキ痕がそれぞれあり、この痕から見てスクールバスが急ブレーキをかけたのは事実だ」と訴えます。
しかし、このブレーキ痕は警察による証拠捏造ではないかとの疑惑が持たれているのです。
交通事故事案鑑定人の石川和夫氏は、「タイヤにはどれも必ず溝があり、スリップ痕にも溝が写っているはずなのだが、この写真には溝がなく、まるで絵で描いたように見える」と、ブレーキ痕の不自然さを指摘。
実際に片岡さんの支援団体が飲料水で道路にブレーキ痕を模した絵を描いたところ、同じものが再現できたといいます。
裁判でも弁護側がブレーキ痕が捏造できると主張しましたが、検察側は「事故直後から現場周辺にはマスコミや野次馬がおしかけていて、ブレーキ痕を捏造するスキはなかった」と反論。
さらに証拠の捏造疑惑がマスコミに取り上げられると高知県警も異例の記者会見を開き、「絶対に証拠捏造はしていない」と断言しました。
しかし、弁護側は「駐車場を出てからのスクールバスの移動距離はわずか6.5mほどであり、なおかつ一度停車してから緩やかに発進しているため、もし急ブレーキをかけたとしても乾燥した舗装道路で1m以上のブレーキ痕がつくとは思えない」と主張しています。
そもそもスピードを出していた車両が急停車しない限り、ブレーキ痕が残ること自体あまりありません。移動距離が短く、かつ警察側も「時速10kmで走行」と認めていたスクールバスが停車したところで1m以上のブレーキ痕を残すとは考えづらいのです。
またスクールバスに乗っていた中学生や教師も「バスが急ブレーキをかければ体が大きく揺れるような衝撃があるはずだが、そんな衝撃はなかった」と証言。
スクールバスの後を走っていた中学校長も「ずっと後ろにいたが、バスが急ブレーキをかけた場面はなかった」と証言していました。
高知白バイ衝突死事故が冤罪と疑われる原因③ 運転手の早すぎる逮捕
高知白バイ衝突死事件では、事件が発生した直後にスクールバスの運転手である片岡さんが現行犯逮捕されていました。
事故当時、片岡さんは負傷者を救急車に乗せる手伝いや学生らの安全確認おこなったりと慌ただしく動いていたとのことで、事故現場から逃げる様子も、証拠隠滅を図ろうとする様子も見られなかったといいます。
しかし警察は事情を聞く前に片岡さんを逮捕しており、この点についても弁護側から「何か理由があって逮捕したとしか思えない。不自然だ」と指摘されたのです。
また実況見分についても、「本来ならば事故現場が保存されている状態で、事故を起こした当事者が立ち会いのもと、当事者の説明を聞きながらおこなわなければいけないにもかかわらず、運転手は実況見分に呼ばれなかった」と、不公平さを訴えています。
片岡さんは逮捕後、警察が単独でおこなったという実況見分の結果だけを見せられたといい、そのなかには前述のブレーキ痕の写真など「事故直後にはなかったはずのもの」が含まれていたとのこと。
自分が立ち会っていない実況見分で出てきたという証拠を見せられた際、片岡さんは「ここで何を言っても、自分は濡れ衣を着せられる。早く弁護士に相談しなければ」との思いから、いったんは検察の言うことを聞いてしまったそうです。
しかし、この時に片岡さんが「自分ひとりでは太刀打ちができない」と諦めてしまったことが、後に裁判で「一度は罪を認めたくせに、裁判で反論をするのは反省していない証拠だ」として、検察側に糾弾される原因となってしまうのです。
高知白バイ衝突死事故の裁判と判決
2006年12月6日に片岡さんは業務上過失致死容疑で起訴され、高知地方裁判所で第一審が開かれました。裁判での検察側、弁護側の主張はそれぞれ以下のとおりです。
検察側の主張
検察側はあくまでも「片岡被告が道路進入時に安全確認を怠ったために、死亡事故が起きた」として、下のように訴えます。
・事故当時、スクールバスは時速5〜10kmで動いており、レストランの駐車場を出て6.5m進んだところで時速60kmで直進してきた白バイと衝突。
・急ブレーキを踏んだが間に合わず、約2.9m白バイを引きずったまま走行し、約3.6m前方に白バイと巡査長を跳ね飛ばして致命傷を与えた。
・白バイは法定速度の時速60kmを守って走行していたため、バス側が前方注意を怠っていなければ事故は起こらなかった。
・亡くなった巡査長が法定時速を守っていたことは、現場に居合わせた同僚の白バイ隊員が証言している。
・事故直後の被告逮捕については、被害者が現役の警察官であったこと、さらに死亡事故であったことから当然の対応である。
・ブレーキ痕については事故直後に撮影した写真にも写っていることから、捏造はありえない。
弁護側の主張
一方で弁護側は、そもそも事故は白バイの自損事故であったとして、下のような反論をしました。
・衝突事故が起きた時、「バスは停車していた」という複数の証言がある。
・もし検察の主張どおりに動いていたとしても、証拠写真のようなブレーキ痕は残らない。
・事故当時、白バイの後ろを走行していたという運転手から「事故にあった白バイは、時速100kmは出していたと思う。とんでもないスピードで見ていて怖かった」との証言が出ている。
・反対車線から事故を目撃したという別の白バイ隊員についても、現場を検証した結果、カーブや植え込みなどの障害物があるため本当に衝突の瞬間を見ていたのか疑問が残る。
また、弁護側は高知県警の白バイが事故の発生した道路での高速走行訓練をしていたのを見た、という周辺住民の証言から、「事故当時、時速100km近いスピードを出していたという証言とあわせて考えるに、巡査長は公道で違法な走行訓練をしていたのではないか?」と指摘します。
判決と「不自然な判断」と批判された裁判官
高知地方裁判所の片多康裁判官は2007年6月7日に片岡さんに有罪判決を下し、「禁錮1年4ヶ月」を言い渡しました。
これだけ弁護側が無罪を裏付ける証言や証拠を提出したにもかかわらず、片岡さんは有罪となったのです。
有罪判決の理由について片多裁判官は以下のように述べていました。
・学校関係者や事故を目撃した人物からさまざまな証言が出ているが、第三者の証言というだけで裁判の証拠にはならない。
・一方で現場に居合わせた白バイ隊員の証言はプロの警察官のものということで信用に足る。そのため、これを証拠として採用する。
・多くの見物人がいるなか捏造が難しいと思われるブレーキ痕の写真も、証拠として信用できる。
・法定時速を大幅に超えて白バイが走行していたというが、事故車両の破損状態から見て「法定速度をやや上回る程度」の速度に過ぎなかったと思われる。
驚くべきことに裁判官は、嘘をつく必要がないはずの学校関係者や、後続のドライバーの証言は「本当かどうかわからないから、証拠にならない」と断じたうえで、なぜか疑惑が向けられていた白バイ隊員の証言と、ブレーキ痕の写真のみを証拠として採用したのです。
さらに裁判官は、片岡さんが過去にジャンボタクシーの運転士をしていた際に一時停止違反で検挙されていたことも持ち出し「被告は過去にも安全確認を怠っていた。今回も同じだ」と非難しました。
片岡さんと弁護側は当然ながら控訴し、不自然さが残る判決はマスコミでも大きく取り上げられました。
しかし、2007年10月30日に高松高等裁判所で開かれた控訴審でも、柴田秀樹裁判長は「正確性を欠く部分はあるが、一審の判決は妥当と言える」として、弁護側の訴えを棄却。
さらに2008年8月20日には最高裁判所でも今井功裁判長から上告を棄却され、これをもって片岡さんの有罪が確定してしまったのです。
高知白バイ衝突死事故のその後① 片岡運転手の現在
高知白バイ衝突死事故で業務上過失致死罪に問われた片岡運転手。2010年2月23日に管轄の交通刑務所である加古川刑務所を出所しましたが、身元引受人がいたにもかかわらず、なぜか仮釈放は認められず、刑期満了まで刑務所で過ごしました。
事故で逮捕された後、運転手の仕事を解雇されたという片岡さんは、新聞配達の仕事をして生活費を稼いでいたそうです。
交通刑務所収監中は、家族が解雇されないようにとかわりに新聞配達の仕事をして片岡さんの出所を待っていたといいます。
出所後の片岡さんは新聞配達のほかにデイサービス送迎の仕事などを掛け持ちながら、支援者とともに再審の準備を進めています。
高知白バイ衝突死事故のその後② ブレーキ痕の再鑑定・再審請求
片岡さんは出所後、弁護士や支援者らの助けを得て2010年10月に高知地裁に裁判のやり直しを求める再審請求をしました。
再審請求を認めるかどうかを決める裁判所、検察、弁護側の3者協議で、弁護側は最初の裁判で証拠として扱われたブレーキ痕の写真について、新たな鑑定書を提出します。
弁護側は検察が証拠とした写真のネガフィルムの鑑定を、画像解析の権威である千葉大学名誉教授の三宅洋一氏に依頼していたのです。
三宅洋一氏は「液体を塗布してタイヤ痕を偽造した痕跡がある」「他の画像を貼り付けて合成した痕跡がある」として、検察が提出した画像は捏造の可能性が高いとの鑑定書を作成。
この鑑定書があれば再審請求は認められると思われましたが、2013年4月に裁判所の人事異動があり、新しく担当となった武田義徳裁判長により、三宅洋一氏への証人尋問請求が却下されてしまったのです。
そのため弁護側は切り札とも言える三宅洋一氏の証人尋問ができないまま、再審請求への意見書をまとめることになりました。
急に裁判所が態度を軟化させるが…
そんな折、高知地裁が片岡さんの弁護士に向けて「事故当時、バスは動いていなかった可能性」を認めるような書類を送ってきたのです。
高知地裁は弁護士に宛てた書類のなかで「タイヤ痕は、突進してきた白バイに押されてスクールバスが動いた時にできたものではないか?」という可能性を示唆。
これについて弁護士、片岡さん、支援者ともに期待しつつも慎重な反応を見せ、「『バスは停止していた』『無罪』という言葉が並んだ書類を見ると期待をしてしまうが、今更、警察が証拠の捏造を認めるとは思えない」「これに反応すれば、痛い目を見るかも知れない」と話していました。
しかし結局、片岡さんらの期待虚しく2016年12月に高知地裁は再審請求を棄却。
裁判所の方から提案してきた「タイヤ痕は押されてできたものでは?」という意見についても、「弁護側が立証できなかったので、裁判所が触れる必要はない」と軽く扱うにとどまりました。
再審を棄却するのなら、なぜ高知地裁は片岡さんらの「バスは停まっていた」という主張を認めているかのような手紙を出したのでしょうか。
これに対しては元裁判官の間でも「親切心、助け舟のつもりだったのだろう」「善意で出した可能性は低いと思う。片岡さん側を陥れる意図は否定できない」と意見が分かれています。
現在は二次再審の準備中
最終的に東京高裁、最高裁でも再審請求の棄却をされたことから、現在、片岡さんは二次再審のための準備をしているといいます。しかし2022年現在、片岡さんらが二次再審請求をしたとの報道はありません。
2018年5月にKSB瀬戸内海放送の取材を受けた際、片岡さんは「事故から時間が経ち、司法の壁と理不尽、裁判所からの手紙を待つ日々に疲れ果ててしまった。しばらく時間をおきたい」とも話していました。
今は裁判所とも検察とも、距離をおきたいのかもしれません。
高知白バイ衝突死事故のその後③ 疑惑の裁判官が栄転
高知白バイ衝突死事故の第一審を担当した高知地方裁判所の片多康裁判官は、この判決から1年も経たないうちに、東京高等裁判所の刑事部に配属されるという異例の出世をしたといいます。
これは片岡さんの支援グループが公表した情報で、大都市間の異動ならいざ知れず、人口80万人の地方裁判所の裁判官が東京高等裁判所に一足飛びに配属されることなど、通常はあり得ないことなのだそうです。
片岡さんの有罪判決については、最高裁判所の今井功裁判長に対して世間の批判が集中しており、「次の国民審査で不信任を出すべきだ!」という声もネット上では見られました。
今井功裁判長は2009年に退官をしたため国民審査にかけられることはなかったのですが、その影で片多康裁判官が出世をしたことについては、「検察に有利な判決を出すことと引き換えに、出世させてもらったんじゃないか?」と噂されています。
高知白バイ衝突死事故のその後④ 若い世代への影響
2016年、茨城大学の学生が学園祭での催しとして「高知白バイ衝突死事故の模擬裁判」をおこないました。
学生たちは資料を読み込んで裁判を再現し、模擬裁判を傍聴した学生からは「『疑わしきは罰せず』という言葉に反した裁判だと感じた」「やはりどうしても、被告人と弁護士の主張が正しいと感じてしまう」との声があがりました。
指導にあたった茨城大学人文学部の陶山准教授も、「弁護側が無罪を証明できなかったとの指摘もあるが、『被告側が証拠の捏造を証明しなければいけない』というのはあまりに酷だ。それでは冤罪はなくならないのではないか」との見解を示してます。
事故時にバスに乗っていた中学生の現在
事故時にスクールバスに乗っていた仁淀中学校の卒業生からは「事故から時間が経っても、なんで自分たちの言うことは警察にも裁判官にも認められなかったんだろうとずっと考えている。今でも納得がいかない」との声があがっていました。
卒業生のなかには学校の文集に「事故のことで、司法を信用できなくなった」と綴っていた人もいたといいます。
多感な時期に自分たちの発言をすべて否定されたことは、バスに乗っていた中学生の考え方にも大きな影響を与えたと思われます。
高知白バイ衝突死事故の真相① 警察官による違法行為の揉み消しが目的か
高知白バイ衝突死事故が起きる2週間ほど前、警察庁は全国の警察本部長に宛てて、緊急走行や追跡訓練などの高速度走行訓練をおこなうように通達を出していました。
住民からも、ちょうど通達が出されたと思われる頃から時速60km、70kmとは到底思えないような速度で民間人の車を追い越していく白バイを見かけたとの証言があがっており、通達は公道での高速度走行訓練を黙認するものだったのではないかと見られています。
このことは高知県議会でも取り上げられ、県警幹部に対して議員が「公道で訓練のために法定速度以上のスピードを出すことはあるのか?」と質問する場面もありました。
当然ながら一貫して高知県警は「事件や事故が発生した時の緊急走行以外で、警察が法定時速を越えて白バイやパトカーを運転することはない」と断言。
しかし、周辺住民や事故当時白バイの後ろを走っていたトラック運転手の証言から考えて、高知県警が公道で違法に高速度走行訓練をしていたことは間違いないと見られています。
警察官が公道で危険運連という違法行為をしていたうえ、一歩間違えれば市民を事故に巻き込むおそれさえあった。そのような事実が衝突事故がきっかけで世間にバレてしまっては、通達を出した警察庁の立場も危うくなります。
したがって高知白バイ衝突死事故の真相としては、警察の不名誉を隠すためにバス運転手の片岡さんが罪を着せられたのではないかとの説が有力です。
業務上過失致死罪の刑罰は重いもので懲役5年となっています。量刑から見ても、「軽い刑にしておくから、被告人は黙って罪を被ってくれ」という裁判所の意図を感じるとの指摘もあります。
高知白バイ衝突死事故の真相② 警察の保険金支払い逃れ疑惑もある
高知白バイ衝突死事故で亡くなった巡査長の遺族は、スクールバスの所有者である仁淀川町と片岡さんを相手取って2007年4月9日に損害賠償請求訴訟を起こしていました。
この裁判では高知地裁が仁淀川町と片岡さんに遺族に対して1億円を支払い、和解をするよう勧告。
後に仁淀川町が財団法人全国自治協会から7000万円、ニッセイ同和損害保険から3000万円の合計1億円を遺族に支払っています。
しかし事故の原因が警察庁と高知県警による高速度走行訓練であった場合、財団法人全国自治協会とニッセイ同和損害保険が保険金を支払う必要はなく、国家賠償法に基づいて警察庁(国)が遺族に賠償金を支払う必要が出ます。
こうなると税金から遺族に賠償金を支払うことになるので、世論からの批判は必至です。それを避けるためにも警察側は片岡さんに罪を被せ、仁淀川町を通して保険金で損害賠償費用を賄おうとしたのではないか?と疑われているのです。
疑惑が本当ならば、警察は片岡さんの冤罪をでっち上げただけではなく、保険金詐欺まで働いたことになります。
高知白バイ衝突死事故についてのまとめ
今回は2006年に起きた警察官の死亡事故、高知白バイ衝突死事故について、スクールバスの運転手の冤罪が疑われている原因と有罪判決が下されたその後を中心に紹介しました。
数々の報道でも警察や裁判所の言い分の不自然さが指摘され、片岡さんの冤罪が疑われ続けてきたにもかかわらず、再審請求が認められなかったために現在も高知白バイ衝突死事故の真相は不明なままです。
仕事を失っただけではなく、一時期は住んでいる場所の住所までネット上で晒されてしまうなど、この事故が原因で片岡さんと家族の生活は一変してしまったといいます。
警察や検察、裁判所にしてみれば過ぎた事故なのでしょう。しかし冤罪の疑いが残り続けている以上、高知白バイ衝突死事故は決して風化させてはいけない事故だと思います。