寿町(横浜のドヤ街)の現在!治安がやばい?事件や女性・有名人・場所や最寄り駅まとめ

「日本三大ドヤ街」の1つである横浜の「寿町」の現在が話題です。

 

この記事ではドヤ街としての寿町の歴史、詳しい場所や最寄り駅、治安が悪く危険でやばいというイメージの理由、女性が訪れても大丈夫かや、過去の事件、寿町に関わる有名人、現在の状況などについてまとめました。

寿町は横浜市にあるドヤ街で山谷や釜ヶ崎と並ぶ「日本三大ドヤ街」の1つ

 

出典:https://www.driveplaza.com/

 

「寿町(ことぶきちょう)」は、神奈川県横浜市中区の町名で、ここを中心とした扇町や松影町を含む一帯は寿地区と呼ばれ、日雇い労働者の求人を行う寄せ場と、日雇い労働者向けの宿泊施設100軒以上が立ち並んで「ドヤ街」を形成しています。

 

寿町周辺の「寿地区」は、東京都台東区の「山谷地区」、大阪市西成区の「釜ヶ崎(あいりん地区)」と並んで「日本三大ドヤ街」(三大寄せ場とも)の1つに数えられています。

 

横浜と聞いて多くの人が思い浮かべるのは、煌めく夜景や異国情緒あふれる港、洗練された元町地区の街並みだと思います。しかし、その華やかな地域に隣接する場所、徒歩圏内にこのドヤ街として知られる「寿町」が存在します。

 

インターネットで「寿町」について検索すると、「ドヤ街」、「危険」、「治安」、「やばい」などの刺激的なワードが関連づけられていて、ある種のタブーや都市伝説のようにも語られています。

 

しかし、その実像は時代の大きな流れの中で変化し続けています。かつては日雇い労働者達が集まる寄せ場として、粗暴な雰囲気はありつつも生命エネルギーに満ち溢れたような街であった寿町ですが、現在では日本社会が直面する課題の最前線となって「福祉の街」へと姿を変えつつあります。

 

ここでは、日本三大ドヤ街として知られる寿町について、場所や最寄り駅、治安が悪く危険でやばいというイメージの理由、女性の関わりや危険性、関わりのある有名人や現在の状況などをテーマとして紹介していきます。

 

 

寿町の場所と最寄り駅【周辺地図あり】

 

最初に、ドヤ街として知られる「寿町」の場所や最寄り駅について見ていきます。

 

 

寿町の場所と地理的な特異性

 

寿町(寿地区)の場所は、横浜市中区寿町一丁目から四丁目を中心として扇町や松影町などにかけて、およそ200mから300m四方の極めて狭いエリア(約60,000m2ほど)です。

 

この小さな区画に、かつては120軒以上、現在でも約100軒の簡易宿泊所、通称「ドヤ」が密集しています。

 

 

寿町の最寄り駅はJR「石川町駅」と「関内駅」

 

出典:https://stat.ameba.jp/

 

この場所は地理的に見ると、驚くほど横浜の中心部に食い込んでいます。最寄り駅はJR根岸線の「石川町駅」と「関内駅」の2つで、特に石川町駅からは徒歩わずか数分で寿町の中心エリアに到達する距離です。

 

寿町の東側には年間通して観光客で賑わう日本最大級の横浜中華街が広がり、南西にはプロ野球・横浜DeNAベイスターズの本拠地である横浜スタジアムが鎮座して、歓声が風に乗って聞こえてくるほどの距離です。

 

さらに、最寄り駅である石川町駅の元町口側は、フェリス女学院大学などが立地し、高級住宅街として知られる「山手」地区へと繋がっています。

 

 

つまり、寿町のある場所は、観光地、繁華街、そして高級住宅街という、全く性質の異なるエリアに四方を囲まれた「陸の孤島」のような地域だと言えます。

 

駅から一歩踏み出すだけで風景が一変するこの場所は、横浜という都市が持つ光と影のコントラストを最も象徴的に体現している空間だと言えます。

 

 

寿町周辺の地図

 

 

 

 

寿町が「ドヤ街」として形成された歴史的背景

 

出典:https://www.kanaloco.jp/

 

上でも紹介したように寿町の場所は、全く性質の異なるエリアに四方を囲まれた「陸の孤島」のような位置関係となっています。

 

なぜ、この横浜の一等地の真ん中に、「ドヤ街」が形成されたのか、その歴史的な背景についても紹介していきます。

 

まず、「ドヤ」とは、宿(ヤド)の逆さ言葉であり、日雇い労働者が主に利用する簡易宿泊所を指す隠語です。

 

寿町のエリアは太平洋戦争終結後、米軍に接収されていましたが、1955年に接収が解除され、その後の高度経済成長期、京浜工業地帯の発展や横浜港の港湾荷役、東京オリンピック関連の建設ラッシュなどにより、全国から仕事を求める単身の男性労働者が爆発的に横浜へ流入しました。

 

この日雇い労働者達の受け皿となったのが寿町で、横浜市港湾労働会館(後に横浜市寿労働福祉会館となる)や公共職業安定所(ハローワーク)の寿町分所が開設されたのもきっかけとなり、仕事を求める人々と、彼らに寝床を提供する簡易宿泊所がこの場所に集中し、日本有数の「ドヤ街」が形成されました。

 

ドヤ街としての最盛期には、夜明け前から職業安定所の前に数千人の労働者が列をなし、手配師と呼ばれる人々がその日の仕事を紹介する光景が日常となりました。

 

寿町は労働者達の熱気とエネルギーに満ち溢れ、日本の経済成長を文字通り土台から支える拠点としての役割を担っていました。しかし、その活気の裏側では、不安定な雇用や過酷な労働、社会的な孤立などの問題が常に渦巻いていた事もこの街のもう1つの側面でした。

 

 

寿町は治安状況と実際の事件で「危険」で「やばい」というイメージが定着

 

出典:https://wasegg.com/

 

ドヤ街として知られる「寿町」には、「治安が悪い」、「危険」、「やばい」などのネガティブなイメージがつきまとっています。

 

こうしたイメージはどういった要因で作られたのかについて、過去の事件や街の治安状況などから見ていきます。

 

 

過去は治安状況が悪く小さな事件は日常茶飯事だった

 

高度経済成長期からバブル期にかけての寿町は、良くも悪くもエネルギッシュな街で、日雇い労働というその日暮らしの生活は、人々の気性を荒くさせた側面もありました。

 

仕事にあぶれた者、稼いだ金をその日のうちに飲酒や博打で全て遣ってしまう者も少なくなく、路上での飲酒や喧嘩は日常茶飯事でした。

 

当時の寿町を知る者は、アルコールに起因するトラブルが絶えなかったと口を揃え、住民間のいざこざから傷害事件に発展するケースも珍しくなかったそうです。

 

また、労働者を狙った強盗事件や賭博をめぐるトラブルなど、反社会的な世界への入り口としての顔も持ち合わせる場所でした。こうした荒々しい日常から、寿町には、「部外者が安易に足を踏み入れるべきではない、危険な場所」というイメージが定着していきました。

 

 

 

2015年には寿町の簡易宿泊所で16歳の少女が殺害される事件が発生

 

そして近年も、寿町では重大な殺人事件が発生しています。

 

2015年9月、寿町の簡易宿泊所(ドヤ)の一室で、当時16歳だった太田伊咲さんの遺体が見つかる事件が発生。太田伊咲さんの死因が窒息死とわかり、この部屋に宿泊していた当時36歳の無職の男が殺人容疑で逮捕される事件へと発展しました。

 

9日午前2時ごろ、横浜市中区寿町の簡易宿泊所(簡宿)の一室で、神奈川県鎌倉市の無職、太田伊咲さん(16)が死亡しているのを、この部屋に宿泊している無職の男(36)が見つけて119番通報した。太田さんに着衣の乱れや目立った外傷はなく、所持品は残されていた。県警伊勢佐木署の司法解剖の結果、太田さんの死因は窒息死と判明。同署は、男が関与した疑いが強まったとして、殺人容疑で逮捕状を請求した。

 

引用:横浜の簡易宿泊所で16歳少女死亡、宿泊の男に逮捕状請求

 

未成年の少女が殺害されるという重大な事件であり、全国ニュースで報じられましたが、どういう理由かこの事件の続報はほとんど報じられず、その後に殺人でなく傷害致死で起訴されたとの報道では出たものの最終的にどのような顛末を迎えたのかは明らかになっていません。

 

そして、被害者の名前は公表されているのに、容疑者の名前は公表されていません。容疑者は日雇い労働者であった可能性が高く、何らかの人権団体が動いた可能性も考えられます。

 

横浜市中区の簡易宿泊所室内で少女(16)が死亡しているのが見つかった事件で、殺人容疑で逮捕、送検された同区、無職の男(36)について、横浜地検は29日、傷害致死罪で起訴した。地検は「殺人の故意の認定が困難だった」としている。

 

引用:横浜・簡宿少女死亡事件、容疑者を傷害致死罪で起訴 殺人でなく

 

この事件は、寿町の深い「闇」を示しているのではないかとネット上で話題となり、「やはり寿町は『やばい』場所だ」というイメージを強める結果を生みました。

 

ただ、この事件は全体としては稀な例で、寿町で起こる事件の多くは住民同士の金銭トラブルや騒音問題といった、閉鎖的なコミュニティ内で起こりがちな人間関係のもつれが原因となっているケースが多いようです。

 

見知らぬ通行人がいきなり襲われるといった、無差別的な犯罪や事件が多発しているという事実はなく、街全体として「足を踏み入れればただでは済まない」などといった極端に治安が悪く危険でやばい地域だという事は現在はありません。

 

 

現在の寿町の治安状況と来訪時に注意すべき点

 

現在の寿町の治安の状況ですが、結論から言えば、かつてのようなピリピリとした緊迫感は大幅に薄れています。

 

その最大の要因は、住民層の「高齢化」が挙げられます。かつては日雇い労働で汗を流していた男らは年齢を重ねて、現在では住民の多くは65歳以上の高齢者となっています。

 

街を歩いても目立つのは、杖をついてゆっくりと歩くお年寄りや、ベンチに座り静かに日向ぼっこをする人々です。

 

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現在でも、日中から路上や公園で飲酒をしている人の姿は見られますが、かつてのように集団で騒ぐという事はなく、1人から数人で静かに時間を過ごしている様子が多いです。

 

これは、寿町全体がエネルギーに満ちた「労働者の街」から、静かで落ち着いた「高齢者の街」へと変化している事を示しており、同時に治安状況も改善して、かつてのように危険でやばい街からは既に変化しています。

 

実際に、警察が公表する犯罪発生率を見ても、寿町のエリアが横浜市内の繁華街などと比較して高いというデータはありません。むしろ、住民同士の見守りの目が行き届き、危険性が少ないという側面すらもあります。

 

とはいえ、注意すべき点がないわけではありません。寿町には貧困や依存症、精神的な問題を抱える人々も集中的に暮らしているという事情も存在します。そのため、部外者が興味本位で住民を無遠慮にジロジロと見たり、許可なくカメラを向けたりする行為は、深刻なトラブルに発展する可能性があります。

 

寿町を訪れる際には、そこに住む人々の生活空間にお邪魔しているという最低限の敬意とマナーを持つ必要があります。

 

 

寿町で働く女性たちの増加と治安上のリスクについて

 

寿町には「治安が悪くやばい危険な街」というイメージがつきまとっています。

 

こうした点から「女性が1人で歩いても大丈夫か?」という問いが常にあるようです。

 

 

 

寿町は「男性の街」という歴史があり女性の姿は極めて稀だった

 

寿町という場所は、その成り立ちから「男性の街」としての歴史を色濃く持っています。

 

住民のほとんどは単身の日雇い労働者の男性であり、街のインフラや文化も彼らを中心に形成されていました。簡易宿泊所は相部屋が基本で、プライバシーはほとんど考慮されていませんでした。街角の立ち飲み屋も公衆浴場も男性達が集う社交場でした。

 

 

このような環境もあり、寿町では「女性」の姿は極めて稀でした。全く女性がいないというわけではありませんでしたが、その多くは簡易宿泊所の帳場を預かる女将や、労働者相手の飲食店で働く従業員、あるいは夜の街に関わる女性達に限られていました。

 

当時の寿町では、女性が日中に1人で道を歩く事すら、好奇の目に晒されるような雰囲気があった事は紛れもない事実で、いうまでもなく、夜間の女性の1人歩きは危険を伴うものでした。

 

 

 

現在の寿町では女性の存在感が強くなっていて治安面も安定

 

現在の寿町は、かつての「男性の街」という状況からは大きく様変わりしています。

 

最も象徴的な変化は、街中で働く女性達の姿が当たり前になった事です。住民の高齢化に伴い、介護や医療の需要が急増し、その結果として多くの介護ヘルパーや訪問看護師、ケアマネージャーといった女性達が、日々寿町の簡易宿泊所を訪れて、住民の生活を支えています。

 

そうした女性達が自転車で街を駆け回り、住民とも親しげに言葉を交わす光景を見る事ができます。これは寿町が「福祉の街」へ変貌した事を物語っています。

 

また、新たな人の流れも生まれています。近年、老朽化した簡易宿泊所の一部がリノベーションされ、国内外のバックパッカーをターゲットにした安価なホステルとして再生する動きが活発化しています。こうしたホステルには若い女性の旅行者も宿泊しやすく、彼女達がスーツケースを引いて寿町を歩く光景も見られるようになりました。

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ただし、だからといって完全に治安面でのリスクが消えたわけではありません。夜間に1人で裏道に入るような行為は避けるべきでしょう。しかし、日中の大通りであれば、大きな危険性はなくそこまで恐怖心を抱くような必要はありません。

 

 

寿町にまつわる有名人について

 

寿町の放つ独特の雰囲気は、一部の文化人や表現者達を惹きつけてきた側面があります。続けて、寿町にまつわる有名人についても紹介していきます。

 

 

寿町に関わる有名人① 山岡強一

 

出典:https://m.media-amazon.com/

 

1976年公開された映画「どっこい!人間節 寿・自由労働者の街」は、映画監督で労働運動家の山岡強一さんのドキュメンタリー作品です。

 

山岡強一さんは寿町に住み込み、労働者達の日常と仕事にあぶれた日のやるせなさ、仲間との束の間の交流などを生々しくカメラに収めました。この作品はそれまでほとんど知られていなかったドヤ街の実情を世に問い、大きな衝撃を与えました。

 

 

 

寿町に関わる有名人② 山﨑洋子

 

出典:https://www.townnews.co.jp/

 

作家の山﨑洋子さんも寿町に深く関わってきた1人です。

 

山﨑洋子さんはNPOの活動などを通じて寿町の人々と交流し、その経験を基にした著作を複数発表しています。特に、戦後横浜の伝説的な娼婦「ハマのメリーさん」が晩年を過ごした場所の1つとして寿町周辺があった事に触れて、この街が持つ歴史の深層を掘り起こしています。

 

 

寿町に関わる有名人③ トム・ギル

 

出典:https://image.news.livedoor.com/

 

学術的な分野では、イギリス出身の文化人類学者であるトム・ギルの存在が大きいです。

 

彼は1980年代から約40年にわたって寿町のフィールドワークの対象とし定点観測を続けてきました。

 

彼の研究は日本の高度経済成長を支えた労働者達のライフヒストリーを記録し、経済の変動が彼らの生活にどのような影響を与えたのかを克明に分析した貴重な資料となっています。トム・ギル氏の著作やインタビューは外部の冷静な視点から寿町の変容を理解する上で欠かせない資料だと言えます。

 

 

寿町に関わる有名人④ 宮間英次郎

 

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出典:https://pbs.twimg.com

 

 

他に、寿町の有名人としてはアウトサイダー・アーティストを名乗る宮間英次郎(みやま・えいじろう)さんがよく知られていました。

 

宮間英次郎さんは寿町の簡易宿泊所に住みながら、自作の被り物をかぶって街を練り歩くパフォーマンスを行なっていました。

 

 

寿町の現在① 「ドヤ街」から「福祉の街」への転換が進んでいる

 

最後に寿町の現在の姿をいくつかの項目に分けて紹介していきます。

 

現在の寿町を最も的確に表す言葉は「福祉の街」です。バブルの崩壊以降、日雇いの仕事は激減し、かつて日本の経済を支えた労働者達は年齢を重ねて仕事からリタイアしていきました。

 

現在の寿町の住民の平均年齢は60代の後半で、その約8割から9割が生活保護を受給しながら暮らしていると言われています。

 

この背景には、横浜市が1970年代から運用してきた「居宅保護」という制度が関係しています。これは、定まった住居のない人でも、簡易宿泊所を「居所」と認定し、生活保護を適用するというものです。

 

この制度により、職や家族、家を失った人々が全国から寿町に流れ着き、日本社会の最後のセーフティネットとして機能するようになりました。

 

この住民構成の変化に伴い街のインフラも大きく変化しました。老朽化した簡易宿泊所の多くは建て替えられ、エレベーターやバリアフリー設備を備えた、さながらワンルームマンションのような外観の建物が増加しています。

 

部屋には介護ベッドを置くスペースが確保され、訪問介護サービスを受けやすい環境が整えられています。

 

2019年には、老朽化した横浜市寿労働福祉会館が「横浜市寿町健康福祉交流センター」として生まれ変わりました。施設内には診療所、地域包括支援センター、公衆浴場、多目的スペースなどが備えられていて、住民の健康維持や孤立防止、社会参加の拠点として機能しています。

 

こうして、現在の寿町は、まさに街全体が巨大な福祉施設のような様相を呈しています。

 

 

寿町の現在② NPOと多機関連携の最前線としての姿

 

出典:https://www.hama-wel.or.jp/

 

現在の「福祉の街」としての寿町を実質的に支えているのが、数多くのNPOや支援団体の存在です。

 

炊き出しを行う団体や夜間の見回り(パトロール)を行う団体、アルコールやギャンブルなどの依存症からの回復を支援する団体、精神的なケアを行う団体など、その活動は多岐にわたっています。彼らは行政の手が届きにくい、きめ細やかなサポートを提供し、住民一人ひとりの生活に寄り添っています。

 

行政、医療機関、介護事業者、そしてNPOが連携する「多機関連携」のネットワークは、寿町モデルとも言える先進的な取り組みであり、同様に、超高齢化と社会的孤立という課題に直面する他の地域にとってのモデル地区として注目されています。

 

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寿町の現在③ 再開発とジェントリフィケーションの波が新たな社会問題に

 

現在は福祉の街へと変貌を遂げた寿町ですが、近年、新たな変化の波が押し寄せています。

 

その1つが、前述したバックパッカー向けのホステルの登場です。2005年に始まった「ヨコハマホステルヴィレッジ」の取り組みは、簡易宿泊所を安価で清潔な宿泊施設に再生させ、国内外の若い旅行者を呼び込みました。

 

アートイベントと連携するなど、寿町にこれまでなかった文化的な風を吹き込み、街のイメージを一新する試みとして注目されています。

 

一方で、より大きな波として懸念されているのが、再開発とジェントリフィケーション(地域の高級化による元々の住民の追い出し)の問題です。

 

横浜の中心地という好立地から、寿町の土地に目を付ける不動産業者は少なくありません。後継者のいない簡易宿泊所が土地ごと売却され、跡地にマンションが建設されるケースも出始めています。

 

地価が上昇し、街が「浄化」されていく過程で、最も弱い立場にある生活保護受給者や高齢者が、長年住み慣れた場所を追われるという問題も浮上しており、安価な簡易宿泊所が失われる事は、寿町が担ってきたセーフティネット機能の崩壊に繋がりかねません。

 

新たな人の流入による地域の活性化と既存のコミュニティの維持という2つのバランスをどのように取っていくのか、寿町は現在、重大な岐路に立たされています。

 

 

まとめ

 

今回は、「日本三大ドヤ街」の1つにも数えられる横浜の寿町についてまとめてみました。

 

寿町の場所は、横浜の中心地に位置し、横浜中華街や高級住宅街に隣接する特異点的な場所となっていて、最寄り駅はJR根岸線の「石川町駅」と「関内駅」の2つです。

 

寿町には、「治安が悪く危険でやばい場所」というイメージが定着していますが、現在は住民らが高齢化し生活保護受給率も高く「福祉の街」へと変貌しており、かつてのような危険なイメージからは変化しています。

 

過去には16歳の少女が簡易宿泊所内で支部する事件などもありましたが、横浜の別の場所を比べて犯罪率が高いという事はなく、女性であっても夜間の1人歩きなどでない場合は比較的安全に訪れる事ができます。また、現在は福祉の街への変貌もあって、ヘルパーや訪問看護師として寿町で働く女性も増えています。

 

現在は、寿町には再開発とジェントリフィケーションの波の影響で新たな社会問題も浮上していて、超高齢化社会、貧困と格差、社会的孤立といった、日本全体がこれから本格的に直面するであろう課題が集中した地域としても注目されています。

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