日本には「え?それは本当に現代の日本なの?」と思うような風習が残る島があります。その島の1つが姫島村です。
姫島村の場所や独裁体制、姫島村リンチ殺人事件の詳細や怖い闇、姫島村出身の有名人と心霊スポットをまとめました。
この記事の目次
姫島村は「リアルひぐらし」の怖い村
出典:himeshima.jp
姫島村は大分県に北東部の瀬戸内海の西端に浮かぶ人口約1,600人の島です。姫島村は60年以上も独裁政治が続いていたり、30人以上の人たちが2人をリンチして殺してしまうなど、日本の田舎の怖い闇を感じさせるエピソードがいくつもあります。
この姫島村はインターネットユーザーからは、「リアルひぐらし」と呼ばれることがあります。
ひぐらしとは、ゲームやアニメなどで人気となった『ひぐらしのなく頃に』のことです。ひぐらしのなく頃には、人口2,000人に満たない架空の村「雛見沢村」を舞台に村にまつわる古い因習をもとに事件が起こる怖い展開の話ですが、姫島村は『ひぐらしのなく頃に』の昔ながらの村社会の様相を残す村という設定を思い起こさせるため、「リアルひぐらし」と呼ばれているんです。
姫島村の場所
出典:himeshima.jp
姫島村は大分県北東部、瀬戸内海の西の端にある島です。東西約7km、南北約4kmの大きさで、人口は約1,600人です。
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姫島村は漁業と観光業が主な産業になります。漁業ではカレイやタイ、車エビの養殖などが行われています。また、大分県の国東市からフェリーが出ていて、夏になると海水浴などの観光客が訪れます。
島の中には公立の小学校と中学校が1つずつあるだけで、高校・大学はありません。そのため、高校・大学に行くためには、島外に出なければいけません。
姫島村には、「姫島七不思議」と呼ばれる場所があります。
・千人堂:黄金の馬頭観音像が祀られている。大晦日の晩に債鬼(借金取り)に追われた島民千人を匿ったという伝説がある
・逆柳:比売語曽姫が柳の楊枝をさかさまに挿して生えた柳
・かねつけ石:比売語曽姫がお歯黒をつけた場所
・浮田:大蛇の夫婦が住んでいた池だったが埋め立ててしまったので、大蛇の怒りで田んぼが浮いているように揺れる
・阿弥陀牡蠣:阿弥陀如来に似た形をしている海蝕洞窟に群生するカキ。食べると腹痛を起こすと言われている
・拍子水:比売語曽姫がお歯黒をつけた後に手拍子を打って祈ったら湧き出した水。拍子水温泉として、この水を沸かしたお風呂がある
これらの姫島七不思議の場所は、観光名所になっています。
姫島村は独裁政治が続いている
姫島村では独裁政治が続いています。なんと、1960年から現在の2022年まで、村長は2人だけ。しかもその2人の村長は親子であり、親子が姫島村の村長職を独占しているのです。
1955年に姫島村の村長選挙が行われました。この時、元村長の藤本憲吉氏と新人の鹿野亀太郎氏の2名が立候補し、島を二分するような激しい選挙となりました。この時の選挙では藤本氏が僅差で当選し、鹿野氏を応援していた島の有力者は島を追われる事態にもなったようです。
しかし、1957年に村長の藤本憲吉の親戚が石を盗掘した疑いが浮上し、藤本憲吉は病気を理由に辞職。その後、選挙で敗れた鹿野亀太郎氏が村長に無投票で就任しました。
その後、1959年に村長の鹿野亀太郎氏もなぜか村長を辞職したため、1960年1月に藤本熊雄氏が無投票で姫島村の村長に就任しました。
それから、藤本熊雄氏はずっと無投票当選で村長を続けていましたが、1984年10月に任期中に亡くなってしまいます。そして、その翌月1984年11月26日からは前村長の藤本熊雄氏の長男である藤本昭夫が無投票で村長に当選しました。それから2016年までずっと無投票で姫島村長を続けてきました。
つまり、姫島村での村長選挙は1955年に行われたのを最後に2016年まで61年間、村長選挙は行われず、無投票で藤本親子が村長職を独占してきました。
独裁体制の光と闇
しかも、息子の藤本昭夫は完全に独裁政治体制をひいていました。助役や副村長を置かず、村長1人で村の行政の全権を掌握する体制を作り続けています。ナンバー2を作ることもなく、自分の後継者を育てようともしませんでした。
そのため、藤本昭夫はナンバー2から下剋上されたり、寝首をかかれる心配もありません。さらに、村は1955年の選挙で村が二分したことで「選挙を避けよう」という雰囲気があるため、積極的にライバルが出てくることもありませんでした。
ただ、独裁体制と言っても、姫島村の島民にとって悪い政治が行われてきたわけではありません。
絶海の孤島にありながら、生活インフラは充実していて、村主導で光ケーブルを引っ張り、村役場にケーブルテレビ局を開設、下水道は100%完備。
生活インフラは充実していますし、港湾事業やクルマエビの養殖事業などの経済政策も推し進めてきました。
また、労働時間を短くして給料を安く抑えながらも、雇用を増やすワークシェアリングを導入して、島内で雇用を確保し、島に戻ってきたシングルマザーなども積極的に雇用してきました。
このような政策を行ってきたため、島民の13人に1人は姫島村の公務員、臨時職員も含めれば、7人に1人は公務員という事態にもなっています。
「自分の家族が就職でお世話になって役場に勤めているから、誰もが村長には逆らえないと思ってしまう」
史上初めての対抗馬となった藤本敏和は、誰も口にすることはできない村の実情をこう明かす。
引用:大分県の離島に「住みよい北朝鮮」を築き上げた村長親子の末路 親子56年の「王朝」に吹いたつむじ風 (2ページ目) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
雇用を生み出す政策をしてきたからこそ、独裁の村長に雇用を握られる形になり、さらなる強固な独裁体制を作り上げてきたと言えるでしょう。
姫島村を「住みやすい北朝鮮」と表現する人もいるようです。
「住みよい北朝鮮」
ある村議は、島をそんな一言で表現する。
なぜ「北朝鮮」か。島の民は健康で文化的な最低限度の生活を営むために、選挙による民主主義よりも選挙を行わない寡頭支配を選んだ。無投票による「独裁」、つまり藤本親子による世襲体制を抱きしめたのだ。
引用:大分県の離島に「住みよい北朝鮮」を築き上げた村長親子の末路 親子56年の「王朝」に吹いたつむじ風 (2ページ目) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
親子2代で世襲の独裁体制を築き、ワークシェアリング等で平等性を打ち出した村の行政が、「住みよい北朝鮮」と言われる所以でしょう。
2016年に選挙が行われるも独裁体制は続く
しかし、2016年に61年ぶりに村長選挙が行われました。この時の村長選挙では、現職の藤本昭夫だけでなく、対抗馬として新人の藤本敏和が立候補したのです。(苗字は同じだが、親戚関係ではない)村長の立候補者が2名になったため、村長選挙が行われることになりました。
投票の結果、現職の藤本昭夫氏が当選。さらに、2020年にも現職・藤本昭夫VS新人・藤本敏和で村長選挙が行われましたが、またしても藤本昭夫が当選しています。
2016年の村長選挙の後には、当選した藤本昭夫氏は報道陣に対して次のように語っています。
「小さな自治体での選挙戦はよろしくないとの意を強くした。住民の分断を生むからだ。これからも村長選は無投票の形にもっていきたい」
1960年からずっと親子2代にわたり、無投票で村長の職を独占してきた藤本昭夫が「住民の分断を生むから村長選挙は良くない」というのは、「う~ん・・・」と思ってしまいます。1955年の選挙でどれだけ村民の分断があって、どのくらいの弊害があったのかは詳しくはわかりません。
ただ、日本が民主主義国家である以上、選挙で地方自治体の首長を選ぶのは当然のことと思うのですが、これを選挙の直後に独裁体制を築いてきた村長が、この「選挙戦はよろしくない」という一言は村民にとってかなり重い一言になるでしょう。
少なくとも2024年までは、現職の藤本昭夫氏が姫島村の村長でいることになります。何らかの理由で藤本昭夫氏が辞職しない限り、藤本親子の独裁体制は64年間は続くことが確定しています。
しかも、それ以降も独裁体制が続く可能性は十分にあります。独裁が悪いかどうかは別にして、「住みよい北朝鮮」という表現はピッタリと言えるかもしれません。
姫島村リンチ殺人事件とは
姫島村では、1962年3月にリンチ殺人事件が起こっています。姫島村の村民39人が2人の兄弟をリンチして殺害した事件です。この姫島村リンチ殺人事件も、姫島村の闇をあぶり出す事件の1つでした。
被害者の兄弟(事件当時27歳と23歳)は1956年に姫島村に戻ってきた後、映画館やパチンコ店などを経営していました。しかし、別府市の暴力団関係者と付き合いがあり、姫島村でもヤクザまがいの犯罪行為をしていて、島に迷惑をかけていました。
この兄弟の被害者は100人以上にもなっていて、島民は島の警察に被害届を出していましたが、この兄弟は村議会議長や議員の親戚だったことから、警察は積極的に動くことなく握りつぶされていました。さらに、訴えようとした人たちにはお礼参りをして、自分たちのバックにはヤクザがいることをアピールして、脅迫・恐喝することもありました。
そのため、姫島村の人たちは、誰もこの兄弟に逆らうことができない状態になっていて、警察も手出しできなかったのです。
1962年3月上旬、村の青年団が少女歌劇公演を無料で開催しました。すると、当然ながら映画館の客は減ります。映画館を経営していた兄弟は村の青年団を逆恨みして、脅迫しました。
青年団のメンバーは身の危険を感じて、公民館にみんなで避難して、そこで集団で寝泊まりしていました。しかし、3月29日に兄弟が公民館に殴込みをして、青年団のメンバー9人がけがを負います。この殴り込みで青年団のメンバー30数人は、兄弟に対抗しようとして3月30日午前2時ごろに兄弟を姫島幼稚園前の公園に呼び出しました。
そして、30数人で兄弟をこん棒などで暴行し、兄弟は姫島診療所に運ばれたものの死亡しています。
3月30日には青年団の9名が警察に出頭し、事件に参加した39名のうち15名が傷害致死罪で起訴されました。2人を殺害したリンチ殺人事件でしたが、最も重い刑罰だった人でも懲役2年であり、多くの人は執行猶予付きの判決となりました。
これだけ刑が軽くなった理由は次の3つがあったようです。
・暴行は懲罰目的で、殺害を目的とはしていなかった
・多くの人がリンチに参加して群衆心理が働き、コントロール不能に陥った
・事件が起こった責任は被害者にもあること
「事件が起こった責任は被害者にある」となると、「喧嘩両成敗」・「やられたらやり返す」・「自業自得」がまかり通ってしまうのですが、この判決は妥当な判決だったのでしょうか。
姫島村の怖い闇①:成人式は着物NG
出典:himeshima.jp
姫島村にはまだまだ闇はたくさんあります。姫島村の怖い闇の1つ目は、成人式は着物NGという慣習です。成人式と言えば、「着物」ですよね。女性は振袖を着ることが多いですが、姫島村では成人式に着物を着てはいけないようなんです。
姫島村では1969年から成人式で着物(和服)を着ることを認めていません。理由は経済的な理由で着物を用意できない家庭への配慮です。この辺りも、平等を重んじる「住みよい北朝鮮」と言われる姫島村っぽい理由ですね。
2003年には、成人式で誓いを述べる新成人代表に内定していた女性が親類が作った振袖を着ようとしましたが、教育長が「着物は着ないのが常識」と厳しく新成人の女性を叱責しました。このことでその女性は成人式を欠席したのです。
この「姫島村で成人式は着物を着てはいけない」というローカルルールはマスコミで広く報道され、村の公式掲示板は大炎上しました。
平成31年の姫島村の成人式を見ると、男性はもちろん女性も着物・振袖を着ておらず、みんなワンピースやスーツで成人式に出席していることがわかります。
姫島村は成人式に振袖を着ることができない。着たくても着ることができない人への配慮という理由はわかりますが、「振袖を着たいし、経済的にも振袖を用意できる」という人への配慮はないのでしょうか・・・。
姫島村の怖い闇②:藤本家が牛耳る
姫島村の怖い闇の2つ目は、村の要職は藤本家が牛耳っていることです。
姫島村では1960年から藤本熊雄氏・昭夫氏親子が60年以上も村長職を独占してきて、姫島村の独裁体制を築いてきました。その影響で、姫島村の村長以外の要職も、藤本家・村長の息のかかった人物が独占しているようなんです。
村長選挙は長年ありませんでしたが、村議会議員選挙はあります。ただ、基本的には村長の藤本家関係の人間か、村長の息のかかったクルマエビの養殖業者の人とのことです。村議会議員の定員は8名ですから、村長の関係者で埋まってしまうということですね。
しかも、村の議会はすぐに終わります。一般質問はないので、すぐに終わってしまうのです。2012年に15年ぶりの質問があったとのこと。過去36年間で質問に立ったのは5人だけ。完全に藤本家が姫島村の政治・行政を握っていることは間違いないでしょう。
さらに、藤本家は子供社会も牛耳っています。姫島村の学校では藤本家とつながりのある児童・生徒がリーダー格となり、その児童・生徒には教員も逆らうことができないという情報もあります。
村民はこれで良しとしてきたのでしょうか?ただ、村民の7人に1人が公務員の仕事をしているとなると、「これで良し」とは思っていなくても、何も現状を変えられないのかもしれません。
村役場の正規職員は130人ほどだった。それに加え、ほぼ同数の臨時職員が働いていた。つまり村民の7人に1人、大家族の中に1人は役場勤めがいるという計算になる。
引用:大分県の離島に「住みよい北朝鮮」を築き上げた村長親子の末路 親子56年の「王朝」に吹いたつむじ風 (2ページ目) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
村民の7人に1人は村役場の職員。これだけで、かなり異常であることがわかりますが、これは「労働人口の7人に1人」ではなく「村民の7人に1人」です。つまり、子供と高齢者を入れて7人に1人。労働人口に絞ったら、村民の4人に1人くらいが村役場の職員になりそうな気がします。
姫島村は、まさに「住みよい北朝鮮」そのものかもしれません。
姫島村の怖い闇③:忘年会の酒代が公費負担
姫島村の怖い闇、3つ目は忘年会のお酒代は公費負担で長年やっていたことです。
姫島村は12月議会の閉会後に毎年村議などが参加する懇親会(忘年会)を開いていましたが、そこで出されていたビールなどのお酒代は公費から捻出していたことが、2020年に判明しています。
この時のビールや焼酎は合計で260本!これを毎年、公費から捻出していたのです。村の関係者によると、30年以上前からの恒例行事になっていたとのことです。
藤本昭夫村長(77)は21日、「公費の支出は、不適切だった。反省している」と陳謝した。藤本村長は毎日新聞の取材に、懇親会での公費支出を中止する方針を示した。
これも、同じ村長が長年独裁体制を敷いていて、この公費忘年会に疑問を呈する人が出てこなかったという弊害かもしれません。
姫島村の怖い闇④:村長の父親の銅像の前で祭
出典:mainichi.jp
姫島村の怖い闇の4つ目は、現在の村長である藤本昭夫氏の父親であり、前村長である藤本熊雄氏の銅像の前で祭をやっていることです。
現在の村長の父親であり前村長だった人物の銅像が立っているという事実。なかなか怖くないですか?この藤本熊雄氏は、姫島村の名誉村民になっているのですが、毎年10月には「銅像まつり」という名前のお祭りが、銅像の人物の前で開かれるそうです。
銅像まつりはまず神事が行われ、「おせったい」として、小学生以上にはお弁当、幼稚園以下の子供にはお菓子が振舞われて、その後には「お楽しみ抽選会」、さらに村民芸能大会が開かれます。
毎年10月になると「銅像まつり」といって、村長の父親の銅像の前でお祭りが催されます。そこでは役場から弁当や飲み物が配られて、村のひとたちを「お父さんにはお世話になった、息子も支えなくては」という気持ちにさせるんです。
この銅像まつりはお弁当などを振舞ったり、景品を配ったりすることで、村民の心をしっかりつかんで、支持を取り付けていたと思われます。藤本親子の独裁体制づくりに使われていたのでしょう。
姫島村出身の有名人3名
姫島村出身の有名人3名をご紹介します。
西村英一さん
出典:himeshima.jp
西村英一
生年月日:明治30年8月28日
出身:大分県東国東郡姫島村
活動:政治家
西村英一さんは自民党の政治家で、閣僚として厚生大臣や建設大臣を歴任し、自民党副総裁を務めた人物です。姫島村で生まれ、東北帝国大学工学部電気工学科を卒業後は鉄道省に入省しました。その後、運輸通信省や運輸省で官僚を務めましたが、1949年には吉田茂民主自由党から立候補して衆議院議員初当選を果たしています。
その後、厚生大臣、建設大臣、初代国土庁長官、行政管理庁長官などを務め、昭和48年には勲一等旭日大綬章を受章しています。1980年に大平正芳が急死した後は、次期首相候補と言われましたが、この選挙でまさかの落選をしたため、総理大臣の椅子を逃し、1983年に政界から引退しています。
明石要一さん
出典:sbrain.co.jp
明石要一
生年月日:1948年1月17日
出身:大分県東国東郡姫島村
活動:教育学者
明石要一さんは奈良教育大学を卒業後、東京教育大学大学院の修士課程修了・博士課程単位取得満期退学しています。その後、千葉大学で研究職に就き、1993年には千葉大学教育学部教授に就任しました。
現在は千葉大学名誉教授・千葉敬愛短期大学学長を務めています。
藤本敏和さん
藤本敏和
生年月日:1967年
出身:大分県東国東郡姫島村
活動:元アナウンサー、韓国語講師
藤本敏和さんは姫島村出身の元NHKアナウンサーです。高校は大分市の名門大分上野丘高校に進学し、東京外国語大学に進学して、卒業後の1972年にはNHKに入局し、アナウンサーとして活躍しました。
その後、韓国に留学して、日本帰国後は国際放送の番組制作を手掛けるプロデューサーとなり、韓国語の講師としても活躍しています。。そして、2014年に姫島村に戻って、農業を営んでいましたが、2016年の村長選挙で藤本昭夫氏の対抗馬として出馬し、61年ぶりに姫島村で村長選挙が開かれることになった人物です。
姫島村の心霊スポット
出典:sankei.com
姫島村には心霊スポットがあると言われています。
戦時中に美人の「ゆきさん」がいて、島のたくさんの男性からアタックされていましたが、ある男性に恋をして行為際することになります。しかし、その男性は出征することになりました。ゆきさんはその男性の帰りを信じて待ち続けていましたが、戦死の知らせが届きました。
自暴自棄になったゆきさんは、いろいろな男性と肉体関係を持ちましたが、その中の1人の男性と結婚します。子供にも恵まれ、幸せな結婚生活を送っていましたが、そこに戦死したはずの男性が帰ってきたのです。
待ち続けた元カレと今の夫が喧嘩するのを見たゆきさんは、すべて自分が悪いと思って、姫島のがけから飛び降りて自殺したとのことです。
この崖では不思議なことが起こる心霊スポットと言われているようです。
姫島村のまとめ
姫島村の場所や長年続く独裁体制、姫島村リンチ殺人事件や怖い闇エピソード、姫島村出身の有名人と心霊スポットをまとめました。
姫島村は現代の日本では珍しい「古い体制」が続く村です。2024年に村長の任期が終わりますが、藤本昭夫氏は出馬するのか、対抗馬の藤本敏和さんは出馬するのか?はたまた違う人が出馬するのか注目していきたいです。