「九州最後の炭鉱の島」、「第二の軍艦島」として知られる池島炭鉱が注目されています。
この記事では池島炭鉱の場所や地図、行き方、これまでの歴史、過去の事件や事故、廃墟化し軍艦島と並ぶ廃墟スポットとしての人気や心霊の噂、現在の島の様子などについてまとめました。
この記事の目次
池島炭鉱は九州最後の炭鉱で現在は廃墟や心霊スポットでも話題
「池島炭鉱」は、長崎県西彼杵半島の西方7kmに浮かぶ海岸線長4kmほどの池島の周辺海底で1950年代から開発された炭鉱で、2001年11月に閉山した「九州最後の炭鉱の島」でした。
池島炭鉱は1959年の出炭開始から、日本の戦後復興と高度成長期を支えるエネルギー供給の根幹となり坑道の総延長距離は96kmにも達しました。
最盛期の1970年頃には池島に労働者や関係者ら7700人もの人々が住み、炭鉱マンと呼ばれた炭鉱労働者の社宅として高層アパートが次々と建設され、商店街や飲み屋、パチンコ店なども栄えました。交代制で24時間体制で働く炭鉱マン達に合わせてそれらの店舗が深夜営業され、対岸から見ると、まるで島全体が燃えているように明かりで輝いていたそうです。
しかし、石油へのエネルギー転換によって池島の人口は徐々に減少し、2023年の現在の島の人口は約100人ほどとなっています。
島を埋め尽くすようだった高層アパート群や商店街、住宅、巨大な機械群はほとんどが廃墟化しており、廃墟ファンの間では「第二の軍艦島」とも呼ばれて人気を集めています。また、島全体がゴーストタウンの様相を呈している事もあり心霊スポットとして名前が上がる事もあります。
池島炭鉱の場所と地図
出典:https://www.nishinippon.co.jp/
池島炭鉱のある池島の場所は、長崎市外海地区の西の沖合7kmで、住所は「長崎県長崎市池島町」です。(大まかな場所は上の地図参照)
下は池島炭鉱周辺の拡大地図(Googleマップ)で、縮尺を小さくすると全体の位置関係が把握できます。
池島炭鉱への行き方や船の利用料金
出典:https://www.welcomekyushu.jp/
池島炭鉱への行き方は船を利用して渡る事ができます。
長崎市神浦江川町の神浦港と長崎県西海市大瀬戸町瀬戸樫浦郷の瀬戸港、長崎県佐世保市新港町の佐世保港からそれぞれ池島港行きのフェリーや高速船が出ています。
各港への行き方には、公共交通機関(バス)や自家用車が利用できます。公共交通機関を利用する場合は神浦港が、自家用車の場合は比較的駐車施設の充実した瀬戸港が推奨されています。
池島炭鉱への行き方① 神浦港から出港
神浦港からは、高速船で約10分、フェリーで約26分、「進栄丸」という地域交通船で約15分です。2023年現在の神浦港から池島港までの各船の利用料金は以下の内容です。
船種 | 料金 | 所要時間 | 便数 |
フェリー | 大人420円 小人210円 | 約26分 | 1日2往復 |
高速船 | 大人570円 小人290円 | 約10分 | 1日1往復 |
進栄丸 | 大人370円 小人160円 | 約15分 | 1日4往復 |
池島炭鉱への行き方② 瀬戸港から出港
瀬戸港からは、高速船で約11分、フェリーで約28分です。2023年現在の瀬戸港から池島港への各船の利用料金は以下です。
船種 | 料金 | 所要時間 | 便数 |
高速船 | 大人600円 小人310円 | 約11分 | 1日1便(往復便でない) |
フェリー | 大人450円 小人230円 | 約28分 | 1日5往復 |
池島炭鉱への行き方③ 佐世保港から出港
佐世保港からは高速船で概ね1時間です。2023年現在の佐世保港から池島港への高速船の利用料金は以下です。
船種 | 料金 | 所要時間 | 便数 |
高速船 | 大人1940円 小人970円 | 約54分〜67分 | 1日2往復 |
池島炭鉱の歴史
池島炭鉱の歴史についても見ていきます。
池島には炭鉱が開発される前から有人島でしたが、半農半漁で生活する小さな集落があるだけでした。当時は「鏡ヶ池」という大きな池があり、「池島」の名前の由来になったと言われています。この鏡ケ池は炭鉱の開発に伴って海へと開かれ現在の池島港へと姿を変えました。
1913年、三井鉱山(現在の日本コークス工業)の出資によって1913年に設立された松島炭鉱(現在の三井松島ホールディングス)により、1935年から用地買収と海底炭鉱の試掘が進められ、1947年に池島新鉱採掘計画が国に提出され、1949年に大規模な石炭層が発見されます。
1952年に用地買収が完了し、1959年10月に営業出炭が開始されました。当時、国内で最も新しい炭鉱としても注目されました。
そのわずか3年後の1962年10月の原油の輸入自由化政策が始まり、それに伴うエネルギー革命ににより、国内のエネルギー供給の主役が石炭から石油へと移り変わる時代を迎えますが、池島炭鉱はその流れに逆らうように発展し続けました。
1967年には第一立坑が完成し、石炭火力発電所と海水淡水化装置も完成。増産につぐ増産で池島の経済は盛り上がり、最盛期の1970年代はじめには人口7700人にまで膨れ上がります。
この頃までには軍艦島と同じように高層アパート群が相次いで建設され、工場や病院、幼稚園から中学までの学校、消防署や郵便局、派出所が整備され、娯楽施設なども立ち並んでいました。しかも島内ではマイカーブームが起こり、海岸線長4kmほどの小さな島を約600台もの車が走っていたのでした。
しかし、1980年代に入ると、長引く鉄鋼不況と割安な輸入炭によって池島炭鉱も次第に不況に喘ぐようになります。
全国的に炭鉱の閉山が相次ぐ中でも、池島炭鉱は優れた炭質と良好な採掘条件によって、生き残りをかけて操業が続けられましたが、次第に低価格な外国炭に押され、人員削減や賃金カット、機械化などが進められるようになります。
そして、1990年代終わりの石油価格の暴落にトドメを刺される形で、2001年11月29日についに池島炭鉱は閉山しました。閉山時も池島の人口は約2700人でした。その後は島離れが加速し、2023年の現在は約100人ほどが住むだけとなっています。
池島炭鉱のある池島で起きた歴史的事件「池島事件」
池島炭鉱では大きな事件が発生した事もありませんでしたが、池島炭鉱が開発される以前の1887年3月に「池島事件」と呼ばれる歴史的な事件が発生しています。
池島事件とは、1887年3月4日、アメリカの軍艦「オマハ号」が、許可なく日本の領海へと侵入し、池島周辺海域において無断で海上射的演習を実施し、多数の不発弾が池島に着弾。その不発弾の処理中に起きた爆発事故で、当時の島民4名が死亡し、7名が重傷を負った事件です。
この事件は日本政府とアメリカ政府の折衝に発展し、アメリカ政府は長崎港に寄港したオマハ号艦上で軍法会議予審を開き艦長を罷免処分としています。しかし、これは日本政府向けのポーズに過ぎず、その翌年にアメリカ本国で開かれた軍法会議では同艦長は無罪となり復帰しています。
一方で、アメリカ政府は補償金として1889年に当時の日本円の価値で2万円(現在の価値で8000万円ほど)を遺族や被害者に支払っています。死亡時の補償金は最高で3500円(現在の価値で1300万円ほど)でした。
池島炭鉱の事故
1963年の「三井三池三川炭鉱炭塵爆発事故」や、1981年の「北炭夕張新炭鉱ガス突出事故」など、国内の炭鉱でも大きな事故がしばしば起こり、多数の死者を出していました。
しかし、池島炭鉱ではこうした大勢の命が奪われるような大規模な炭鉱事故は1度も起こっておらず、それが長く操業が続けられた理由の1つでした。
創業以来殉職者が6名しか出ていないとの情報もあり、当時としては異例の事故の少なさでした。この安全性に加え、労働環境や福利厚生の良さもあって、全国から多くの労働者が池島炭鉱に集まったのでした。
ただ、小規模な死亡事故は何度か発生しており、特に1990年代には小規模な事故が相次いで発生したため、これが2001年の閉山の要因の1つとされています。
池島炭鉱の現在① 廃墟の島としても人気が高く「第二の軍艦島」の異名も
池島炭鉱は現在は、世界でも有数の廃墟の島として廃墟ファンの間で人気が高く、同じく長崎の廃墟島と知られる軍艦島(端島)に因んで「第二の軍艦島」とも呼ばれています。
池島炭鉱はまだ閉山してから時が浅いため、廃墟化した建物の老朽化があまり進まずに維持されており、立入禁止区域が少なく観光客は比較的自由に歩き回る事ができます。
廃墟見学ツアーもあるのですが、ツアーに参加せずとも自由に歩き回り廃墟のノスタルジックな雰囲気を堪能できるとして廃墟ファンの間では絶大な人気があります。
池島炭鉱住宅跡。廃墟化が進み、緑で覆われている。 pic.twitter.com/oE0PqiPr87
— www9945 (@sp500500) January 19, 2023
池島炭鉱の廃墟は自由に歩き回れるため、軍艦島よりも面白いといった声も多く見られます。
昔、長崎の池島炭鉱を見学したけど、元炭鉱夫のガイドさんも含めて楽しかった。他の観光客が、池島は自由にまわれるので軍艦島よりも面白いと絶賛していた。池島は事故が無かったと話していた気がする。
— ホクト@🇯🇵日本株投資 (@hokutokinoko) April 11, 2022
池島炭鉱の現在② 心霊スポットとして紹介される事もあるが事実無根
軍艦島に並ぶ廃墟の島として人気の高い池島炭鉱ですが、心霊スポットとして紹介される事も多いようです。
ただ、既に触れたように池島炭鉱では大規模な死亡事故もなく、殺人事件が起こった事もないため、具体的な心霊話に発展するような土壌ではありません。
そのため具体的な心霊体験話や怖い話などは語られていないようです。近くにある廃墟島の軍艦島は無人島という事もあって心霊の噂が絶えないのですが、池島炭鉱のある池島は現在も100名以上の人が住んでおり心霊話などはありません。
何より、心霊スポットとして肝試しに訪れるのは住んでいる人々の迷惑になるのでやめましょう。
池島炭鉱の現在③ 人が住んでおり宿泊施設があり炭鉱技術を伝える事業も
池島炭鉱のあった池島には2023年の現在も約100人の人が暮らしています。
池島炭鉱は廃墟ファンに人気があり観光客もあるため、坑道見学や廃墟見学などが含まれる観光ツアーが組まれていて、宿泊施設や簡単な売店もあります。
宿泊施設は市営の池島中央会館という施設で、食事はない素泊まりのみで一泊二日で3000円程度で利用できます。
他にも、池島では日本の優れた炭鉱技術を海外に伝える事業も行われており、インドネシアやベトナム、中国などから毎年研修生が訪れて池島炭鉱跡地の研修センターで学んでいます。
池島炭鉱の現在④ 島唯一の食堂「かあちゃんの店」は惜しまれつつ閉店
出典:https://www.nishinippon.co.jp/
池島では、「かあちゃんの店」という島唯一の食堂があり、名物店として多くのファンに愛されていたのですが、2023年3月に惜しまれながら閉店となりました。
長崎市の離島、池島にある唯一の食堂「かあちゃんの店」が2023年3月いっぱいで閉店する。店がある市設池島総合食料品小売センターが老朽化で解体されるためだ。約20年愛されてきた名物店だけに悲しむ声も多い。
まとめ
今回は、「九州最後の炭鉱」、「第二の軍艦島」などとして知られる、長崎県長崎市の池島炭鉱についてまとめてみました。
池島炭鉱の場所は長崎市外海地区の西の沖合7kmに浮かぶ周囲4kmの池島にあります。
池島炭鉱への行き方は、神浦港、瀬戸港、佐世保港から定期船が出ていて、高速船やフェリーで渡る事ができます。
池島炭鉱の歴史としては、1959年に出炭が開始され戦後復興や高度成長期のエネルギーを支えました。石油燃料への移り変わりの時期にあっても池島は発展を続け、操業以来大きな事件や事故がなかった安全性の高さや待遇の良さから全国から労働者が集まり栄えました。
1970年の全盛期には7700人もの人が池島に住んでいましたが、1980年代半ばからは次第に事業を縮小し2001年に閉山となりました。
現在も池島炭鉱には当時の建物や機械が廃墟化して残されており、廃墟ファンの間では「軍艦島」と並ぶ廃墟島として人気があります。また、心霊スポットとして紹介される事もありますが、特に怖い話や心霊体験などは語られていません。