売春島(渡鹿野島)の現在!場所と歴史や全盛期・事件や芸能人の関連・危険の噂や廃墟もまとめ

三重県志摩市の渡鹿野島はかつては売春ビジネスで栄え売春島と呼ばれました。

 

この記事では、売春島の場所、三重県渡鹿野島がそう呼ばれるようになった歴史、全盛期の様子、訪れた芸能人や関係していると噂の事件、危険という噂や残された廃墟群、今現在の様子などについてまとめました。

売春島とは三重県渡鹿野島のかつての姿を指した通称

 

出典:https://www.iseshima-kanko.jp/

 

「売春島」とは、三重県志摩市にある渡鹿野島(わたかのじま)のかつての姿を指した通称です。2017年にノンフィクション作家の高木瑞穂さんが上梓した『売春島 「最後の桃源郷」渡鹿野島ルポ』がベストセラーとなった事で広く一般にも知られるようになりました。

 

渡鹿野島は周囲が約7km、面積が0.7平方kmという小さな島で、2022年3月の時点での志摩市の調査による人口は「172人」でした。

 

このかつて売春島と呼ばれた渡鹿野島は、歴史的に江戸時代から売春業が盛んなことで知られており、戦後に時代から1980年代にかけては売春業で大いに栄え、全盛期には「置屋」と呼ばれる売春婦の斡旋所が島内に10数件並び売春婦も常時100名以上はいてメインストリートは客で溢れるほどの賑わいを見せていたそうです。

 

そうした売春を軸としたビジネスは1990年代から2000年代にかけても続きましたが、バブルの崩壊のあおりや性風俗ビジネスの多様化の流れを受けて次第に衰退し、2010年代以降は全盛期と比べて見る影もなく廃れていきました。

 

現在はもはや、渡鹿野島の性風俗ビジネスは風前の灯となっていて、過去の性風俗の島という負のイメージを払拭するために“クリーン化”した島のPRが盛んに行われて、家族連れや恋人向けの健全な観光地への転換が進められています。

 

ここでは、そんな「売春島」の歴史や今現在についてを中心に紹介していきます。

 

 

 

売春島こと渡鹿野島の場所は三重県志摩市の伊勢志摩国立公園内

 

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「売春島」こと渡鹿野島の場所は、三重県志摩市東部に位置する的矢湾の奥部で、志摩諸島に属しています。G7伊勢志摩サミットで有名になった賢島とも程近い場所にあります。

 

また、伊勢志摩国立公園内にあり、その特異な歴史からかつては売春島と呼ばれた一方で、風光明媚な景観と豊かな自然が魅力的な場所でもあります。

 

交通アクセスは、近鉄志摩線で鵜方駅で降り三重交通バスで18分の渡鹿野島対岸渡船乗り場から、小型の連絡船に乗って3分ほどです。

 

 

 

 

売春島の歴史① 江戸時代から風待ち港として栄え船乗り相手の女郎がいた

 

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渡鹿野島が「売春島」と呼ばれるようになった歴史的な背景についても見ていきます。

 

渡鹿野島は江戸時代、大阪から江戸へと物資や商品を運ぶ、 菱垣廻船や樽廻船から肥料船、イワシを追うアグリ船の航路の途上にありました。

 

当時は帆船で物資を運搬していたため、渡鹿野島は船出に適した風を待つ「風待ち港」としての役割を果たし、大小多数の船が入港して入江を埋め尽くし賑わったそうです。

 

海が時化れば、こうした船の船員達が島に宿を取ったため、彼らの相手をする「ハシリガネ」と呼ばれる女郎の文化が古くから根付いていたそうです。ハシリガネは“巴針金”とも表記され、これは、船員相手の夜伽の他に、船の帆や船員の破れた服を繕う仕事も請け負っていたからだとされます。

 

渡鹿野島のこうした女郎文化は、明治期に入って「ハシリガネ」が禁止され、帆船が汽船に代わって島の「風待ち港」としての役割が終わった後も、遊郭に形を変えて残り続けたようです。

 

こうした歴史的な背景もあって、元々、渡鹿野島には売春業が栄える土壌がありました。

 

 

 

売春島の歴史② 戦時中駐屯していた予科練が戦後期に売春が盛んな島だと広める

 

太平洋戦争末期の1944年頃、三重県津市香良洲町に駐屯していた海軍航空隊の予科練(海軍航空隊の練習生)の一部500人ほどが、潜水艦などを隠すための壕を作る任務のため渡鹿野島に分屯され、終戦まで駐屯していました。

 

その予科練達は、終戦後島を離れてそれぞれの故郷へと戻りましたが、滞在中に渡鹿野島が売春が盛んな島だと知ってそれを広め、当時を懐かしんで再び島へと遊びに来る者も大勢あったそうです。彼らは友人も連れて島を訪れ、その人々の口コミによって次第に当時の渡鹿野島が売春が盛んな島だという事が広まっていたようです。

 

 

 

売春島の歴史③ 島外から来た売春婦・岡田雅子がスナックを隠れ蓑とした置屋を開業

 

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1960年代後半から1970年代はじめ頃にかけて、売春の盛んな島だとの噂を聞きつけた四国や九州などを出身とする売春婦達が渡鹿野島に出稼ぎのために渡ってきたようです。

 

その売春婦のうちの何人かが、貸し店舗でスナックなどを装った置屋を開業して作り上げたシステムが、その後の「売春島」の特異な売春ビジネスシステムの原型になったという事です。

 

高木瑞穂さんの著作『売春島 「最後の桃源郷」渡鹿野島ルポ』によると、この頃に渡鹿野島に渡ってきた売春婦のうちの1人の岡田雅子さんという方が、渡鹿野島が「売春島」と呼ばれるようなるほど売春ビジネスで繁栄した事に大きな役割を果たした人物だったようです。

 

この岡田雅子さんという方は、四国の高知県の出身で、大阪でホステスとして働いた後、1960年代後半から1970年代はじめまでの間のいつ頃か(正確な年は不明)、20代半ばの頃に渡鹿野島に渡ってきたそうです。(岡田雅子さんは1977年に売春防止法で逮捕された際の新聞記事で32歳と報じられている)

 

岡田雅子さんは渡鹿野島に移住して1〜2年ほど一介の売春婦として稼いだ後、居抜きの店舗を借りてスナックを装った置屋(売春婦斡旋所)を開業して独立しています。

 

岡田雅子さんは自らも娼婦として働きながら、何人も売春婦を雇って置屋ビジネスで成功を収めています。

 

時系列は多少前後するようですが、1971年の秋に岡田雅子さんは、三重県警の手入れで売春に関わる何らかの容疑で逮捕されています。この時に取調べを行なったのが、芥川時雄さんという警部補でしたが岡田雅子さんはこの芥川時雄さんを取調べ中に色仕掛けしてたぶらかし、恋仲になってしまいます。

 

そして、この芥川時雄警部補はこの岡田雅子さんとの男女関係が原因となって、論旨免職処分となって退職しています。その後、岡田雅子さんと芥川時雄さんは内縁の関係になりスナックを隠れ蓑とした置屋を共同経営するようになっています。

 

岡田雅子さんは元警察官という強力な後ろ盾を得て、また、元々地元の暴力団組織との関係も深かったために力を持つようになり、売春ビジネスで年間数億円規模の利益を上げて、1984年には大型ホテル「つたや」を開業するほどの成功を収めました。

 

この岡田雅子さんが売春ビジネスを拡大し、大金を動かして島外からレベルの高い売春婦を招き入れた事で噂を聞きつけた買春目的の客が島に殺到するようになり、渡鹿野島は「この世の桃源郷」と呼ばれるほどの繁栄を極めました。渡鹿野島が「売春島」の異名でも呼ばれるようになったのはこの頃だったようです。

 

またこの頃に渡鹿野島に同じく四国から渡ってきたという別のある売春婦の方(ノンフィクション「売春島」には「Kさんの嫁」の呼称で登場)も置屋を開業し成功されています。この方は成功後に地元から旦那さんを呼び寄せ、この旦那さんの「Kさん」が島の中の人々に金銭を貸して様々なビジネスの支援をした事も当時の渡鹿野島の発展に大きく影響したようです。

 

この「Kさんの嫁」は、2017年に高木瑞穂さんが『売春島 「最後の桃源郷」渡鹿野島ルポ』を発表した時点では、まだ渡鹿野島で置屋を経営されていたようです。(現在も置屋経営されているのかは不明)

 

 

 

売春島の歴史④ 1970年頃から大型ホテルや裏カジノなどの娯楽施設の建設ラッシュ

 

出典:https://ryokou-ya.co.jp/

 

上でも触れましたが、岡田雅子さんら、四国や九州から渡ってきた売春婦達が、置屋ビジネスを成功させたことで、噂を聞きつけた買春目的の来訪者が全国から殺到するようになり、渡鹿野島の景気は大いに活気付きました。

 

この1970年頃から、渡鹿野島では大型ホテルをはじめとする宿泊施設の建設ラッシュがはじまり、それに伴ってゲームセンターやパチンコ屋、ストリップ劇場、非合法な裏カジノなどの娯楽施設、働く売春婦向けのアパートや美容院、ペットホテル、喫茶店などの飲食店や土産物屋などが、人口わずか500人ほど(当時)の小さな島に次々と建ち並び、まるで一大レジャーランドのような様子だったそうです。

 

そうして、「売春島」こと渡鹿野島は1980年頃の全盛期へと向かって行きました。

 

 

 

売春島の歴史⑤ 1980年前後に全盛期を迎える

 

出典:https://bunshun.ismcdn.jp/

 

渡鹿野島が「売春島」としての全盛期を迎えたのは、関係者証言によると1980年前後の事だったようです。

 

当時の島の様子はメインストリートは人で溢れて、肩同士がぶつからないと歩けない程だったそうです。この全盛期頃には、置屋が10数軒、ホテルや旅館が10軒、売春をする女性は200人〜300人はいたと言われています。(当時を知る関係者からはせいぜい50人〜60人ほどという証言も)

 

また、年間に訪れる来訪者の数は延20万人超にものぼったようです。

 

この全盛期の頃に売春島で働いていた女性達は、外部からブローカーによって連れ込まれたいわくを持った女性が中心ではなく、自らの意思で金を稼ごうと出稼ぎに来た女性達が中心だったため、サービスの質が高く、問題を起こす事も少なかったようでこれも売春島の人気につながっていたという事でした。

 

 

 

売春島の歴史⑥ 1990年代からは売春防止法などでの逮捕者が増え売春ビジネスは下火に

 

1980年前後に全盛期を迎えた「売春島」こと渡鹿野島でしたが、1990年代に入ると、バブル崩壊のあおりを受ける形で次第にその景気も後退の傾向となりました。

 

ただ、この頃はまだ買春目的の来訪者も多く、置屋や売春婦達が十分に稼げるたけの状態は維持されていたようです。

 

しかし、1990年代のはじめ頃から、置屋に若い女性を売るブローカーが入り込むようになり、不法滞在者を含むフィリピン人やタイ人など外国人女性や、家出中の中高生などの未成年女性が急増したようです。

 

さらに、ブローカーにスカウトされて島に来た日本人の女性の中には、一方的に借金を背負わされて(女性と引き換えに「バンス」と呼ばれる多額の前借金を置屋がブローカーに支払うシステムがあった)、半ば強制的に売春婦として島で働かされる者が含まれていて、そうした女性らが警察に駆け込む事などがありました。

 

こうした事が原因となって、置屋関係者や島外のブローカーに、職業安定法違反、売春防止法違反、入管難民法違反などによる逮捕者が続出するようになりました。

 

実際に逮捕者が続出した事で、渡鹿野島には俗世を忘れてアバンチュールを楽しめる夢の島のイメージよりも、違法な行為が横行する危険な島というイメージが先行するようになり、これも買春目的の来訪者の減少へとつながっていった側面があったようです。

 

 

 

売春島の歴史⑦ 2000年代からは次第に健全化の流れへ

 

そして、2000年代に入る頃から、1990年頃から始まっていたという健全化の流れが本格化していきました。1980年の全盛期にかけて渡鹿野島は売春ビジネスで好景気に沸き、それは直接的には売春ビジネスに関わっていない一般の島民達にも経済的な利益をもたらし、日々の生活を支えたという側面も事実としてあったようです。

 

しかし、それでもやはり一部の島民達は、売春ビジネスで成り立つ島のイメージを快く思っておらず、そうした人々や旅館組合からも島の健全化を望む声が上がり始めたという事でした。

 

こうした島民の声に行政側が応じる形で、健全化に向けたプロジェクトが推し進められ、渡鹿野島は売春ビジネス排除の流れへと向かっていきました。

 

1990年代の初頭にはまだ13軒あったという置屋は、2000年代終わり頃までには数軒にまで減り、買春目的の客を宿泊させる事で成り立っていた宿泊施設も次々と廃業していきました。また、全盛期までに建てられた商業施設もほとんどが閉められました。

 

 

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売春島の歴史⑧ 2016年の伊勢志摩サミットを契機に一気に凋落の流れへ

 

「売春島」のイメージを払拭すべく、渡鹿野島は海水浴場や景観が売りの公園など、家族向けや恋人向けの観光スポットの整備に乗り出しています。

 

2012年には若者の感性や意欲を地域振興に活かす試みとして、四日市大学の学生を招いて意見交換を行い、2013年に島と行政機関が共同で「渡鹿野島安全・安心街づくり宣言」を出しています。この年には、交番や駐在所が設置されていない渡鹿野島のために、三重県警鳥羽署から、定期的に署員が派遣され講話などを行う「移動交番」事業も始まっています。

 

2015年には、渡鹿野島を上空から見るとハート型に見えるという事にちなんだ「ハートウォークラリー」という、島の観光名所を巡るイベントも開始されました。

 

そんな渡鹿野島の健全化の流れの中で、売春ビジネスにトドメを刺す決定的な要因となったのが、2016年5月26日から27日にかけて開催されたG7伊勢志摩サミット(第42回先進国首脳会議)でした。

 

伊勢志摩サミットは、渡鹿野島にほど近い賢島で開催されましたが、開催が決まった当初から、重要な国際会議の会場近くに「売春島」と呼ばれるような不健全は島が存在している事を問題視する声が盛んに上がっていました。

 

サミット開催日の数ヶ月前から渡鹿野島の島内を警察官が巡回するようになり、取り締まりも強化されました。これを受けて廃業する置屋や、ブローカー業から足を洗う者が続出したようです。

 

また、客の方も、取り締まりが強化されている事を受けて、買春をすれば逮捕されるかも知れないと警戒して足が遠のき、客が来なくなった売春を生業としていた女性達も、稼げる場所を求めて多くが島外へと出て行ってしまったのだそうです。

 

こうして、「売春島」としての渡鹿野島の歴史は終わりを告げつつあり、『売春島 「最後の桃源郷」渡鹿野島ルポ』の文庫版が出版された2019年の時点では、島にいる売春婦は日本人が2人とタイ人が2人の4人だけ、置屋もやっている日とやっていない日がある開店休業のような状態だという事でした。

 

 

 

売春島に行った芸能人

 

複雑な歴史を持つ「売春島」ですが、インターネット上では、この売春島と芸能人の関係にも興味がある人が多いようです。

 

売春島に買春を目的に訪れたという芸能人の情報などは見つかりませんが、そうした過去の歴史に興味を持たれて訪れている芸能人や、純粋な観光目的で訪れている芸能人は少なからずいたようです。

 

 

 

売春島を訪れた芸能人① 整形男子として話題のアレン

 

出典:https://www.cyzowoman.com/

 

整形に1億円以上かけた整形男子として話題になっているタレントのアレンさんは、2014年に「売春島」に興味を持ち訪れた時の事をブログで書かれています。

 

今日は、前からずっと気になってたところに何回も道に迷いながら人に聞いて聞いて夜にやっと行く事が叶いました

ここは、三重県の志摩市にある島渡鹿野島です。
別名『売春島』として有名な、現存する島です。

 

引用:日本一の整形男子の究極の美ブログ アレンオフィシャルブログ 皆さん、売春島を知っていますか?

 

 

 

売春島を訪れた芸能人② 元宝塚女優の彩羽真矢

 

出典:https://public.potaufeu.asahi.com/

 

2010年には、元宝塚歌劇団男役で、現在はタレントやYouTuberとして活動されている彩羽真矢さんも「売春島」を訪れた事をブログで綴られていました。

 

彩羽真矢さんは純粋に観光で渡鹿野島を訪れたようで、宿泊した旅館での美味しそうな食事や、アーユルヴェーダというエステを受けた事などを紹介されています。

 

てなわけで今私がいるのは伊勢志摩の渡鹿野島(わたかの島)というところです\(^ー^)/
時間が出来たので更新(^-^)
チェックイン後、この旅館でエステのアーユルヴェーダが受けられると知り、ソッコー1時間のコースを予約(^ω^)

 

引用:彩羽真矢オフィシャルブログ エステ→ご飯→お風呂

 

 

売春島と伊勢市女性記者行方不明事件が関わっているという噂はデマ

 

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出典:https://www.nagoyatv.com/

 

「売春島」が関わっていると噂される事件として、1998年に発生した「伊勢市女性記者行方不明事件」があります。

 

この事件は、当時、三重県伊勢市の出版社「伊勢文化舎」の編集者兼記者だった辻出紀子さん(当時24歳)という方が、1998年11月24日の23時頃に勤務先の伊勢文化舎(三重県伊勢市船江の出版社)を出たのを最後に行方不明になり現在も見つかっていない失踪事件です。

 

この事件は未だ未解決ですが、辻出紀子さんは売春島の人身売買について取材しており、その際に何らかのトラブルに巻き込まれて失踪したとする説がネット上で囁かれています。

 

辻出紀子さんは失踪する直前まで、タイを旅行していました。当時、タイ人の女性を売春島に送って人身売買するルートが存在していたという噂があり、タイ旅行中にその事実を知った辻出紀子さんが取材に動こうとしたため、それに関わる裏組織によって消されたという説です。

 

ただ、辻出紀子さんの関係者は皆一様に、辻出さんが売春島に興味を持っていたという事も、何かを調べようとしていたという事実もないと証言しているため、売春島と辻出紀子さんの行方不明事件は無関係でしょう。

 

 

 

売春島は危険という噂が根強く今でも多くの都市伝説が囁かれている

 

出典:https://bunshun.ismcdn.jp/

 

「伊勢市女性記者行方不明事件」との関係が噂されている事からもわかりますが、1990年代頃から「売春島」は、近づいてはいけない危険な島という目で見られていました。

 

渡鹿野島の健全化の動きが進んでいる現在でも、未だにインターネット上では、売春島を危険な島だとする噂話や都市伝説が数多く囁かれています。

 

売春島が危険だとする噂話としては、「警察や取材者を警戒する島民達によって、外部から来た来訪者は皆、監視されている。」というものや、「島内の写真や動画を撮影する事は禁止されていて、撮影しているのが見つかるとカメラや携帯電話を取り上げられてしまう」といった、まるで某北の独裁国家を彷彿とさせるような内容が囁かれています。

 

他にも、「本土まで泳いで逃げた売春婦がいる」(1990年頃までは実際にあったと言われている)、「内偵に入った警察官が逆に取り込まれて置屋のマスターになった。」といった、実際に過去にあった事件が元になっている噂話も古くからネット上で話題にされていました。

 

確かに、1990年代から2000年頃までにかけてまでの売春島は、暴力団組織が関係しており、違法な薬物が出回り、非合法な裏カジノも存在していたという事なので、危険な場所であったのは事実だったと思われます。

 

ただ、現在の渡鹿野島については危険という事は全くなく、ごく普通の観光島になっています。

 

 

 

売春島の今現在① 危険という事はなく家族や恋人向けに観光地化されている

 

出典:https://pbs.twimg.com/

 

「売春島」と呼ばれた時代には危険だという噂も囁かれていた渡鹿野島ですが、現在は家族連れや恋人向けの観光地化が進んでいて、危険という事は全くありません。

 

現在は、上空から見た島の形がハート型に見えるという事から恋愛成就の島としても人気になっているようです。

 

また、地元旅行会社の行き先を明かさないミステリーツアーの来訪先にも組み込まれていて、それで渡鹿野島を訪れる家族連れも多いという事です。

 

出典:https://image.news.livedoor.com/

 

さらに、老舗旅館の「福寿荘」をはじめ、渡鹿野島のは、全国の小・中学校や高校から修学旅行生を誘致する活動に取り組んでおり、2021年には初めての修学旅行生(大阪府立長吉高校)が宿泊しています。

 

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報道によると、2021年は12月までに大阪や三重県内の他、福岡、広島、岐阜、静岡などから、合計で12校の小・中学校、高校からの修学旅行生が宿泊したという事でした。

 

修学旅行生が島に宿泊したのは初めてのことだ。同校を含め12月までに大阪や三重県内、福岡などの小中学校、高校で計10校の修学旅行の宿泊の予約が入っているという。

 

引用:「売春島」と呼ばれた島の歴史が変わった日

 

そんな努力の甲斐もあって12月までに岐阜県や静岡県、広島県などの、小・中学校や高校合わせて12校の受け入れが決まりました。

 

引用:初めての修学旅行生 伊勢志摩サミットをきっかけに観光客などが多く訪れる離島

 

渡鹿野島から「売春島」のイメージの払拭を目指している方々にとっては、修学旅行生の誘致成功はとても大きな出来事だったのではないかと思います。

 

 

 

売春島の今現在② 売春業は寂れて全盛期の名残の廃墟が多数残されている

 

出典:https://pbs.twimg.com/

 

渡鹿野島では現在、「売春島」と呼ばれていた時代の名残りの建造物の廃墟が残されています。

 

全盛期には大勢の売春を生業とする女性が島に住みながら商売をしていたため、その女性らが住んでいたアパートの廃墟が多数残されています。

 

出典:https://stat.ameba.jp/

 

当時の売春島では、あくまでも自由恋愛の結果女性の自宅で関係を持つという建前の下で売春行為が行われていたので、こうしたアパートがたくさん用意されていましたが、現在は島に住むそうした女性がいないため、そのほとんどが廃墟化してしまっています。

 

出典:https://pbs.twimg.com/

 

また、全盛期に次々と建設された大型の宿泊施設もほとんどが廃業して廃墟化しており、敷地内のプールが解体途中のまま放置されたりもしています。

 

出典:https://pbs.twimg.com/

 

出典:https://pbs.twimg.com/

 

また、当時乱立していた置屋も、そのほとんどが廃墟化してそのまま放置されています。

 

出典:https://stat.ameba.jp/

 

こうした廃墟群は、廃墟マニアから見ると、ノスタルジックな雰囲気でかなり魅力的に映るので、ある意味で観光資源として活用できるかも知れません。

 

 

 

売春島の今現在③ 「恋人の聖地」にも選定され話題に

 

 

出典:https://upload.wikimedia.org/

 

かつては「売春島」と呼ばれ、卑猥なイメージがつきまとっていた渡鹿野島ですが、2021年11月、特定非営利活動法人地域活性化支援センター主催「恋人の聖地プロジェクト」によって、「恋人の聖地」に選定されています。

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令和3年11月16日に開催された『「恋人の聖地」銘板授与式』で、渡鹿野島が「オノコロハートアイランド ~日本最古の恋人島・わたかのじま~」として「恋人の聖地」に選定されました。

 

引用:渡鹿野島が「恋人の聖地」として選定されました

 

渡鹿野島では、上空から見た島の形がハート型に見えることから「ハートアイランド」と称して、恋愛成就の島としてアピールを続けていました。

 

出典:https://imatabi.travelnews.co.jp/

 

また、上でも紹介した、修学旅行生の誘致にも力を入れている渡鹿野島の老舗旅館「福寿荘」は、2008年に旅館敷地内に祠を建てて「福寿神社」と命名し、島の形にちなんだハート型の「恋の絵馬」を500円で販売して、その絵馬を伊勢神宮に奉納するサービスを展開して話題になっていました。

 

こうした旅館や島の人々のイメージアップ戦略の努力が報われる形での今回の「恋人の聖地」選定となりました。

 

 

 

まとめ

 

今回は、戦後の時代から2000年頃まで、売春ビジネスで栄えた三重県の島「売春島」についてまとめてみました。

 

売春島の場所は三重県志摩市東部に位置する的矢湾に浮かぶ渡鹿野島です。伊勢志摩サミットで有名になった賢島からほど近い場所にあります。

 

この渡鹿野島は、江戸時代には風待ち港として栄え、船乗りを相手にする女郎文化が根付いた歴史を持ち、その土壌が元になって売春が盛んな島として栄えました。

 

全盛期は1980年前後で、当時はメインストリートが買春目的の客で溢れかえって、人とぶつからなければ歩けないほどの賑わいを見せていたのだそうです。

 

しかし、バブルの崩壊や性風俗ビジネスの多様化、島の健全化を望む動きなどがあって、売春ビジネスは次第に衰退し、現在はそうしたサービスはほとんど無くなっているという事です。

 

売春島に買春目的で来訪した芸能人は知られていませんが、その特殊な歴史背景への興味や純粋な観光目的で訪れた芸能人としては、整形男子のアレンさんや、元宝塚女優の彩羽真矢さんらがいます。

 

1998年に三重県伊勢市で発生した「伊勢市女性記者行方不明事件」が、売春島と関係しているという噂がネット上で囁かれていますがこれはデマの可能性が高いようです。

 

また、かつては売春島と呼ばれたダークなイメージから、渡鹿野島は危険という声が今もありますが、現在は健全化が進み、家族向け、恋人向けの観光地化が進んでいて危険という事は全くありません。

 

現在、渡鹿野島には、売春島と呼ばれた当時の遺物である建物の多くがそのまま残されていて廃墟化していて、一部マニアの注目を集めています。

 

また、現在の渡鹿野島は過去の不健全なイメージを払拭するべく、クリーンなイメージ戦略に力を入れており、2021年には島史上初の修学旅行生の誘致に成功しています。他にも島の形がハート型である事にちなんだ恋愛成就の島としてのPRし続けた努力が報われる形で「恋人の聖地」に選定されるなど、着実に脱売春島の歩みを進めています。

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